2011年9月5日月曜日

*The Oceans Hotel Sep 2011

●弁天島温泉・「The Oceans」にて(はやし浩司 2011-09ー04)

●クレタケ・イン

 浜松市内でイチのビジネスホテルと言えば、「クレタケ・イン」。
サービスもよく、清潔。
料金も、最安値圏。
ただしクレタケ・インが、すべて同じというわけではない。
ホテルによって、部屋の広さが微妙にちがう。
料金もちがう。

 いちばんよいのは、呉竹荘本店(西伊場)。
つづいてクレタケ・イン(田町)。
そして今夜は、「The Oceans」(弁天)に泊まってみることにした。
以前は「白砂亭」という名前の旅館だった。
経営者が替わり、「The Oceans」という名前になった。

 3人1部屋、朝食のみで、計1万2000円弱。
つまり朝食付きで、1名4000円弱。

「料理の持ち込みは、いいですか?」と電話で聞くと、即答で「いいです」と。
部屋の案内書にも、「館外にサークルKがあります」とある。
こういう寛大さが、うれしい。
(料理の持ち込みにうるさい旅館も多い。)

で、クレタケ系のホテルは、どこもサービスがよい。
浴衣、作務衣の両方が用意してあり、洗濯、アイロンがけなどが行き届いている。
シーツ類も、もちろん清潔。
洗濯済みで真新しい。

 旅館全体が中規模だから、風呂も中規模。
が、窓からは浜名湖が一望できる。
大浴場の洗面所には、洗面具一式のほか、歯ブラシまで置いてあった。
(歯ブラシまで置いてあるホテルは少ない。)
この料金で、文句を言う人はいない。
いろいろなホテルに泊まってきたが、これほどまでに良心的なホテルは、そうはない。
浜名湖弁天島では、イチ押しの旅館。
「The Oceans」。
星はもちろん5つ。
★★★★★。

 ちょうど夕刻だったので、窓際にビデオカメラを置き、浜名湖の様子を撮影した。

●居場所
 
 先ほど、知人の女性からメールが届いた。
それにはこうあった。
「東京にも、浜松にも、私の居場所がありません」と。

 現在、夫、息子とともに東京に住んでいる。
ときどき実家のあるこの浜松に戻ってくる。
その浜松にも、「居場所がない」と。

●私もその1人

 居場所・・・それがある人には、空気のようなもの。
ふだんは気がつかない。
が、それがなくなって、人は、自分の居場所を知る。
居場所があったことを知る。
居場所というのは、そういうもの。

●「NO」

 私も改めて知った。
先日、家出をし、3日間、あちこちを旅した。
そのときのこと。
この日本には、私の「家庭」以外、私の居場所がないことを知った。
「2、3日でも、泊めてくれる人はいないか」と、いろいろな人を、頭の中で思い浮かべてみた。
が、何度考えても、答えは「NO」だった。

 むしろ私のそういう状態を知ったら、おもしろがる人はいるかもしれない。
そういう人たちは、何人か、頭の中に浮かんできた。
そういう人たちには、そういう人たちどうしのネットワークがある。

 数年前も半ば冗談のつもりで、「離婚するかも?」とその中の1人に話したことがある。
が、その数日後には、みなに伝わってしまった。
別の1人からは、電話もかかってきた。
一応、心配そうな言い方だった。
が、もちろん心配などしていない。
ただの野次馬。
事実を確かめるためだった。
それが私にもよくわかった。

 残念なことだが、私の周囲には、そんな人たちもいる。
みながみな、私に好意的というわけではない。
「居場所がない」という言葉には、そういう意味も含まれる。

●実感

 結局、家出はしたものの、いつもの夫婦喧嘩で終わった。
私たち夫婦は、周期的にそれを繰り返している。
その理由はといえば、結局は居場所ということになる。

 居場所といえば、一義的には「家庭」ということになる。
しかし家庭ではない。
簡単に言えば、「生きがいが根付いたところ」ということになる。
私がいなければ、だれかが困るという場所。

 私たちは常に他者とのつながりの中で生きている。
その(つながり)を、しっかりと実感できるところ。
何も考えず、どっかりとすわることができるところ。

●すぐそば

 私たちはいつも、自分の居場所を求めて、さまよい歩く。
しかし居場所は、そんな遠くにあるのではない。
私たちのすぐそばにあって、私たちに見つけてもらうのを、息をひそめて待っている。
すぐそばにある。
あとはそれを受け入れ、それに身を任せばよい。
居場所は、あなたを温かく受け入れてくれる。

 知人のメールを読んで、そんなことを考えた。

●甘え

 話を変える。

 もう10年にもなる。
中日新聞にこんな投書が載った。
ある女子大生の投書だった。
いわく、「就職先がないのは、社会の責任だ」と。

それについての原稿は、何度も書いた。
ここでは、もう少しその先を書いてみたい。
というのも、こうした傾向は、この10年で
さらに強くなった。

●自責型人間

 人間は大きく、2つのタイプに分けられる。

(1)自責型人間と、(2)他責型人間。

 たとえばお茶をこぼしたとする。
そのときすかさず、「ごめんなさい。私の不注意です」と謝るのを、自責型人間。
反対に「こんなところにお茶を置いておく人が悪い」と、だれかの責任に転嫁するのを、他責型人間。

 私は一見、他責型人間に見えるかもしれないが、自責型人間。
何があっても、責任を自分のほうに向けてしまう。
そういうことも、心のどこかにおき、これからの原稿を読んでほしい。

●自業自得

 こう書くからといって、息子を責めているのではない。
今、ほとんどの若者たちは、こう考えている。
息子も、その1人にすぎない。

 私があるとき、こう言ったときのこと。
息子はすかさず、「そんなのは、パパたちの責任だろ」と。
私が「ぼくたち戦後生まれの人間は、ひもじい時代を過ごした」と話したときのことだった。
戦争についても、「ぼくたちには、関係ない。(日本中が焼け野原になったのも)、自業自得。パパたちが勝手に起こした戦争だろ」と。

●ニート

 現在の若者たち、そしてその上の世代を総じてみると、ほとんどが他責型人間。
少なくとも、私たちの世代よりも、はるかに多い。
理由はともかくも、世代を経るごとに、日本人の意識は大きく変わった。

 先日も、あるニート(35歳くらい・男性)と呼ばれる男と話をした。
この10年以上、仕事らしい仕事をしていない。
もちろん収入もない。
親のスネをかじりながら、その日暮らしの生活をつづけている。
そのニートに、「アルバイトでもしたら?」と話してみた。
とたん、こんな答が返ってきた。
「こんなオレにしたのは、親父だ」と。

●書き込み

 私のYOUTUBEにも、こんな書き込みがあった。
私が「でき愛」について話したものである。
いわく「オレも母親にでき愛された。おかげで今はニート」と。

 でき愛児イコール、ニートではない。
でき愛されたからといって、ニートになるわけではない。
私の言ったことが、どこかで誤解されたらしい。
それはともかくも、ここでも、「他責」が出てきた。
つまり「ニートをしているのは、オレのせいではない。母親のせい」と。
いつも心の奥底で、だれかを恨んでいる。
自分の努力のなさを棚に上げ、それを他人の責任にしている。

●自責

 私は冒頭に書いたように、自責型人間。
だから基本的な部分で、発想そのものがちがう。
たとえば私の父は、アルコール中毒だった。
ふだんは静かでおとなしかった。
しかし酒が入ると、人が変わった。
大声を出して、暴れた。

 そういう意味では、悲惨な幼児期→少年期を過ごした。
が、一度たりとも、そういう意味で、父をうらんだり、ののしったりしたことはない。
そのつど人生につまずいたことは何度か、ある。
が、それでも父をうらんだり、ののしったことはない。

 さらに言えば、現在の日本とは比較にならないほど、貧しい時代を過ごした。
が、それでもそれについて、父をうらんだり、ののしったことはない。

 反対にこんなこともあった。

●失業保険

 私も生涯において、2度、失業保険を受け取ることができた。
しかし私は受け取らなかった。
プライドが許さなかった。

 またワイフと結婚したときも、市営住宅へ入居することができた。
ワイフがそれを申し込んだ。
しかし私は入居しなかった。
プライドが許さなかった。

●子どもに謝る

 が、意識は変わった。
逆転した。
今では、祖父母や父母が、孫や子どもに、「ごめん」「ごめん」と言って謝る。
孫や子どもが謝るのではない。
祖父母や父母が、謝る。
謝りながら、子育てをしている。
それについては少し前にも書いた。
たとえば孫や子どもが迷子になったとする。
そういうとき、祖父母や父母は、血眼になって孫や子どもを捜す。
で、見つかったとする。
祖父母や父母は、まず孫や子どもに謝る。
「ごめん」「ごめん」と。

 私たちの時代には、考えられなかったことである。
私たちが子どもの時代には、反対に子どものほうが叱られた。
「バカヤロー、どこをほっつき歩いていたア!」と。

●学校では……

 同じような現象が、このあたりの小学校でも起きている(静岡県浜松市)。
今では、どんな些細な怪我でも、子どもがすると、担任の教師がその子どもと一緒に家庭訪問をし、親に謝ることになっている(某小学校校長談)。
「昔なら、電話一本ですんだ話ですがね」と。

 では、中学校ではどうか?
何人かの中学生に、直接話を聞いてみた。
いわく、「怪我の程度にもよる」と。
このあたりは常識的な意見ということになる。

●意識の変化

 意識の変化を如実に表すのが、「仕送り」。

 私たちが青年時代のころは、社会人になると同時に、ほとんどの人が実家への仕送りを始めた。
それがその当時の常識だった。
共通の意識だった。
が、今はちがう。
逆転した。
へたにそんな話を口にしようものなら、すかさずこう言い返される。
「そんな恩着せがましいことを言われても困る」と。

 それがひっくり返ったのが、冒頭の女子大生ということになる。
「就職先がないのは、社会の責任だ」と。

●がんこ

 意識のちがいというのは、恐ろしい。
一方の意識をもっている人は、他方の人がもっている意識を理解できない。
「常識」として、その人の脳の中で、固まってしまう。
さらに年を取れば取るほど、耳障りのよい意見だけを取り入れ、そうでない意見を排斥してしまう。
こうしてたがいに、人は、がんこになる。

●世代間戦争

 それだけが原因とは言えない。
しかし現在、世代間で、はげしい戦争が起きているのも事実。
たとえば「孝行論」「先祖論」。

 親孝行を説く世代と、それを無視する世代。
先祖は重要と説く世代と、それを無視する世代。

 少し前は、親の権威主義、家父長意識、上下意識が、問題になった。
私も問題にしてきた。
が、気がついてみたら、それが今は、行き過ぎてしまった。
「無視」から「否定」へ。
「否定」から、「反作用」へ。

 「反作用」というのは、「平等」すらも通り越してしまったということ。
今、親子関係は、総じてみれば、「平等」ではない。
孫や子どものほうが、「上」。
祖父母や父母のほうが、「下」。
そうなってしまった。

●縁を切る

 それでも良好な親子関係が残っていれば、祖父母も父母も救われる。
が、その人間関係も壊れてしまたら……。
というより、これも以前に書いたが、今では、子どものほうから「縁を切る」時代になった。
私たちの時代には、考えられなかったことである。

 アメリカの合理主義の影響とも考えられる。
戦後、アメリカ文化が、怒涛のごとくこの日本に流れ込んできた。
結果、「家族破壊」(「家庭破壊」ではない。「家族破壊」)が急速に進んだ。
同時に、恋愛第一主義。
それも享楽主義。

 若い人は、その意識もないまま、恋愛を、すべての価値観の基本に置くようになった。
親の意見を聞く若者は、今ではいない。
いわんや親の許可を求める若者は、いない。
しかも結婚と同時に、親に向かっては、「ハイ、さようなら」と。

 理由など、何でもよい。
それこそ、「こんなオレにしたのは、テメエだろ」となる。

●人前で堂々と……

 今夕も、ワイフと夕食に出かけた。
近くにZシティという、地下の食堂街がある。
その一角。
若い男女が、怪しげな行動を繰り返していた。
女のほうが、正面から男の股間に顔を埋めていた。

 男は、顔を、女の髪の毛の中に押し込んでいた。
で、食器を返却するとき、横からそれを見ると、女のほうが、男のズボンのジッパーの中に舌を入れていた。

 驚くというより、あきれた。
今では、人目もはばからず、そういうことを平気でする男女がふえている。
周りには、女子高校生たちが、何組が席を囲んで、アイスのようなものを食べていた。
見て見ぬフリをし、笑っていた。

●家族崩壊

 先に「家族崩壊」について、書いた。
が、欧米では、「家族崩壊」が常識化し、社会もそれに応じて、変化し、常態化した。
アメリカでもオーストラリアでも、祖父母と同居している三世代同居家族というのは、さがしても見つからない。

 「家族」の概念そのものが、ちがう。
また日本の概念のほうが正しいと書くつもりはない。
しかし欧米では、家族崩壊を前提として、社会のしくみも完成している。
退職後の老人を例にあげるまでもない。
老人は老人で、みな、お決まりのコースを歩む。

 まず都市部でアパート暮らし→老人村へ→特別養護施設へ……と。
在宅介護の制度も完成している。
が、この日本では、そういったシステムも、やっと起動に乗り始めたところ。
この先、団塊の世代が大量に後期高齢者になるころには、システムそのものも崩壊しかねない。
あやうい。

 つまり制度が整わないうちに、家族という組織が破壊されてしまった。
若い世代の意識が変わってしまった。
これを悲劇と言わずして、何と言う。

 事実として、50代の人で、貯金額ゼロという人が、30%もいる。
そういう人たちは、今後、どうやって自分の老後を設計していくのか?

●M氏

 1週間ほど前、保険の外交員をしている、M氏と話す。
40人ほどのグループを作って、保険契約の勧誘をしているという。
「グループ」であって、「会社」ではない。
だからそこで働く人たちは、社員ではなく、「研修生」という身分だそうだ。
ある大手の保険会社と契約し、1件の保険契約につきいくら……という形で、収入を得ているという。

 そのM氏が、こう言った。
「以前は、学資保険にしても、180万円掛ければ、200万円を手にすることができた。
今は、200万円を手に入れるためには、220万円掛けなければならない」と。

 もちろんその間に万が一何かあれば、保険金を受け取ることができる。
が、それについても、ある一定以上の収入のある人は、保険には加入せず、貯金の形でもっていたほうが得、と。

 さらにインフレの問題もある。
現在の200万円と、10年後の200万円が同じということはありえない。
今後、この日本はハイパーインフレに襲われる可能性がある。
もしそうなれば、その分だけ、損をすることになる。

 が、本当の問題は、このことではない。
子どもの学資を心配するくらいなら、自分の老後の資金を心配したほうがよい。
この先、子どもが親のめんどうをみるということは、ありえない。
期待もできない。
たとえ息子や娘がいても、この先60%の人が、孤独死、無縁死を迎える。
加入するとしたら、学資保険ではなく、介護保険。
認知症保険でもよい。

●親元

 皮肉なことに、学資を出せば出すほど、息子や娘は、親元を離れていく。
私自身も3人の息子を育ててみて、大きく考え方が変わった。
それまでは、「学資は惜しまない」が、私のモットーだった。
息子たちから請求があれば、迷わず、しかも満額、提供してきた。

 が、それがいかにバカげたことであったか。
それを今になって、思い知らされている。
いや、息子たちを責めているのではない。
息子たちにしても、ごく平均的な若者。
ふつうの常識と良識を備えた、ごくふつうの若者。

 冒頭にあげたM氏にしても、こう言った。
「親のめんどうをみるといっても、ぼくたちには、その余裕がありません」と。
2人の子ども(高校生と中学生)をかかえ、生活は、ギリギリという。
さらにこうも言った。

「親父には、年金があります。ひょっとしたら、今のぼくの給料より多いのではないかな」と。
M氏の父親は、NTTに定年まで勤めた。
定年後は、子会社で調査員のアルバイトをしている。

 そういうM氏を、どうして責めることができるだろうか。
M氏にしても、ごく平均的な日本人ということになる。

 先日、温泉で出会った男性も、こう言っていた。
製造会社元専務。
現在は、長野県のS市で、ひとり住まい。
息子と娘がいたが、とくに娘とは、30年以上、会っていないという。

●学費

 「息子や娘たちの学資にしても、ほどほどにしておけばよかった」と。
つまり「私は、典型的な親バカだった。
気がついてみたら、貯金通帳は底をついていた」とも。
「ピンコロする、その日まで、働くしかないですね」と私が話すと、こう言った。
「今は、死後の心配までしています」と。

 その地域では、無住の寺ばかり。
境内の中央に、納骨堂を作り、そこに無縁仏となった人たちの遺骨を納めているという。

●学資保険

 ……ということで、M氏との話は、暗~イものになってしまった。

私「学資保険といっても、大卒にしても就職率は70%ですからね」
M「無理して大学を出しても、無駄になるということですか」
私「無駄になるか、ならないかは、本人次第ですね」
M「どういうことですか」
私「懸命に自分を磨けば、それでよし。またそういう仕事ならいい」
M「……たとえば?」
私「やはり研究職ということになるかな?」と。

 向上心さえあれば、学歴など、関係ない。
そういう意味で、私は「本人次第」という言葉を使った。
大学を出ても、バカはバカ。
出なくても、賢い人は賢い。
学資を出せば、賢くなるという時代は、もう終わった。

私「あなたもね、子どもの学資など心配するのをやめて、自分の老後の資金をためたほうがいい」
M「ハハハ、実は、ためようにも、ためようがないのです。毎月、家計は赤字です」
私「赤字?」
M「知っていて知らぬフリをしていますが、女房のヤツ、実家から毎月、お金を借りているみたいです」
私「そりゃあ、たいへんだ」
M「たいへんです」と。

 書き忘れたが、M氏は、46歳。
頭も切れる。
行動も速い。
バイタリティもある。
そんなM氏でも、この不況下、生活そのものがデッドロックに乗り上げ、苦しんでいる。

●The Oceans

 ワイフは、ビデオを観ている。
長男は、絵を描いている。
私は水を飲みながら、この文章を書いている。

 ときどきたがいに言葉を交わす。
そしてまたそれぞれのことをし始める。

 ビデオが終わったら、もう一度、温泉につかってくる。

2011年9月4日 午後8時50分


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【BW子どもクラブより】年中5歳児「数の学習」

(1)


(2)



(3)



(4)



(おまけ)The Oceans



Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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