2011年9月25日日曜日

*One Life

●天上がり(?)(「ここまでやるか、官僚政治!」)(毎日新聞・2011年・9・25)

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どうして、この日本では暴動が起きないのか?
不思議でならない。

官僚たちは、まさにやりたい放題。
が、今度は、天下りならぬ、「天上り」!

毎日新聞の記事をそのまま転載させてもらう。
この記事の中で、とくに注意してほしいのが、
「抜け道」という言葉。

官僚たちは何かの法案を考えるとき、かならず「抜け道」を作る。
何かの規制をかけようとすればするほど、その抜け道を作る。
作って、官僚たちは、身の保全を図ろうとする。

 だから何も変わらない。
旧態依然のまま。
行政改革など、どこ吹く風。

+++++++++++以下、毎日新聞より転載+++++++++++++

 「天下り」でもたれ合ってきた霞が関と電力会社。
逆に電力会社に籍を残したまま、社員が非常勤の国家公務員として採用される「天上がり」も盛んに行われ、行政との一体化の象徴となってきた。
01年の中央省庁再編以降、電力会社からの天上がりは少なくとも99人に上り、内閣官房や文部科学省、内閣府などの中枢部門に配属され、原子力委員会など電力会社の利害に直接かかわる業務も行ってきた。

 国の民間からの人材登用は人事院規則に基づく公募採用が原則。
しかし、電力会社の場合は「専門知識を有する場合は公募しなくても良い」との特例を適用した『抜け道採用』が常態化している。

 政府によると、これまでの非常勤国家公務員としての採用実績は東電のほか、北海道、関西、中部、東北、四国、九州電力など。
その多くが、原子力安全委員会事務局(内閣府)や原子力研究開発課(文科省)など原子力行政の中枢で勤務。

 採用期間は2~3年程度で、その間は国から給与を受ける。
期間が満了すると、間をおかずに同じ電力会社から別の社員が連続して採用されるケースも頻繁。
文科省原子力研究開発課は東電から、同ライフサイエンス課は北海道電力から、内閣府政策統括官は関西電力からそれぞれ連続採用され、各社の「指定席」となっている。

 東電の天上がり社員の一人は、天下り規制を担当する「公務員制度改革推進本部事務局(内閣官房)」で勤務。
過去には公益法人改革を担当する部署にも配属されたが、天下りの最大の受け皿である電力会社社員が霞が関改革部門で働く姿はブラックジョークにも映る。

 電力会社の天上がり問題については、5月の衆院経済産業委員会で吉井英勝委員(共産)が「まるで『東京電力・霞が関出張所』ではないか」と是正を求めている。

+++++++++++以上、毎日新聞より転載+++++++++++++

●抜け道

 こういうインチキが積もりに積もり、今回の原発事故につながった。
そういう点では、まさに人災。
が、不思議なことに、本当に不思議なことに、この日本では、こうした官僚が何かの責任を取ったという事実は、一例もない。
今回もそうだ。

 だれも責任を追及しない。
だいたいだれが責任者かもわからない。
だれも責任を取らない。
みな、逃げてしまう。
またそういうしくみになっている。

 この日本人の(従順さ)は、いったいどこからくるのか?
だれも怒らない。
だれも抗議しない。
外国でなら、暴動が起きても不思議ではない。
暴動が起きないどころか、「日本人の美徳」と片づけてしまう。
まさに不思議国、日本!

 私はこの記事を読んで、久々に、頭に血が上るのを覚えた。
が、そのやり場がない。
この歯がゆさ。
虚しさ。

 みなさんは、どうか?
そんなふうに感ずるのは、私だけか?


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●経済の勉強(先を読む経済)

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月刊「東洋経済」誌を買ってきた。
読んでみた。
が、専門用語ばかり。
よくわからない。
わからないから、結論だけを読んで終わりにしようとする。
しかしこれではいけない。
こんな読み方ではいけない。

さらに考えてみれば、私たちが得る情報は、いつも「結果」ばかり。
途中のプロセスがない。
今回の恐慌にしても、ある日、突然、やってくる。
「結果として、世界経済はこうなりました」と。

株価を例にあげるまでもない。
が、これでは先が読めない。
そこで今朝は、経済の勉強をしてみることにした。

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●専門用語

★リスクオフ……投資家のリスク許容度のこと?
★ナンピン買い……株価がさがったようなとき、追加資金で購入し、購入コストをさげること?
★ドルペッグ制……ドルとの連動性が高いこと?
★購買力平価の理論……物価が相対的にあがると、その国の通貨の購買力は低下し、為替レートが下落すること?(反対に物価がさがると、為替レートは、上昇しやすい?)
★キャリートレードのメカニズム……その国の金利が相対的に高いと、金利裁定が働いて、低金利の国からマネーが流れ込み、その国の通貨が上昇すること?
★金利裁定……各国の金利の動向を見ながら、マネーが流動すること? その国の金利が低いと、マネーは金利の高い国を求めて移動する?
★逆張り……たとえば自分のもっている株価がさがったようなとき、さらに買いつづけ、株価を下支えすること?
★ソブリンリスク……国家そのものの危険性? たとえばデフォルト(国家破綻)の可能性があることをいう?
(以上、私の勝手な解釈のよるものなので、信頼性ゼロ。)

 雑誌を読みながら、専門用語を少しずつ脳の中で消化していく。
結構、頭を使う。
疲れる。
たとえば、同誌P52には、こうある。

『……日本はデフレだが、米欧はインフレ率がプラスなので、ゼロ金利であれば、実質金利はマイナス。ドルやユーロを売って、金、あるいはデフレ通貨であるスイスフランや円に換えることは、合理的な投資行動だ』と。

 私の脳みそが鈍ってきたのか、この部分を理解するだけでも、私は2、3度読みなおしてしまった。

●先を読む

 経済学者の仕事は、先を読むこと。
結果の分析など、してもあまり意味はない。
意味があるとすれば、それをどう未来に向けて、利用していくかということ。
この点、発達心理学と、視点が逆。

 発達心理学では、常に(現状)の分析を大切にする。
「今、どうしてこの子どもは、こうなのか」を考える。
そこを原点として、その子どもに問題があれば、その問題の解決に全力を尽くす。
言うなれば、発達心理学の世界は、「個人」という「ミニ」の世界。

 一方、経済学の世界では、経済学者の力は、ほとんどない。
あえて言うなら、気圧配置を見、雨量を予想し、洪水の可能性を述べる気象予報士の仕事に似ている。
言うなれば、そこは「世界」という「マクロ」の世界。
そういう点では、経済学には別のおもしろさがある。

 たとえば経済学の世界では、先、つまり未来を読む。
未来を予測する。
(発達心理学では、子どもの未来を予測するのは、わかっていても、タブー。
「あなたの子はこうなりますよ」と言っただけで、大問題になる。)
P51(同誌)を参考に、私なりに日本の近未来を予想してみる。
それを箇条書きにしてみる。

(1)個人投資家は日本で暮らしているから、(つまり日本という井の中の蛙だから)、日本の円高は変だと思っている。
(2)だからいつか、そこかでかならず円安に転換するはずと思っている。
(3)そこで個人投資家は、円を売り、外債に手を出す。
(4)当然、円を売れば、円安に向かう。
(5)また円を売れば、日本に対するヘッジになると考える。
(6)円安になれば、日本の企業は輸出しやすくなり、企業にメリットがある。
(7)景気は回復する。
(8)日本の株価は、上昇する。

 ……というところまでなら、私でも読める。
つまりこの程度の「未来」ならわかる。
しかしここからが、問題。
そうはいかないところに、経済学の(深み)がある。
同誌の中で、同志社大学の浜のり子教授はこう述べている。

(9)そのころには、輸出企業は、全部海外に移転しているので、円安になっても企業は円安メリットをほとんど享受できないのではないか、と。

 ナルホド、そういうことか!
円安に戻るころには、日本の企業は総崩れになっている(?)。
だったら、モタモタしていないで、今すぐ円安を是正する。
早ければ早いほど、よい。

が、ミニの世界とちがい、相手は世界。
マクロの世界。
海千山千の怪物どもがしのぎを削りあう、化け物の世界。
言うなれば、戦場。
ものごとは理屈どおりには、動かない。
言い換えると、経済学……というより世界経済のおもしろさは、ここにある。

●外国の常識vs日本の常識

 話題を変えよう。
おととい、A氏(55歳)から、こんな電話があった。
いわく「11月に、オーストラリアの友人のB氏が妻を連れて、日本へやってくるのだが、今年に入って、もう2度目。
数年前から来るようになって、この数年間だけでも、5回目。
たまに来るのはいいのだが、ぼくも疲れました。
林さん(=私)は、どうしていますか?」と。

 現在、オーストラリアドルは、最強通貨。
日本人の私たちにとっては、オーストラリアでは、すべてのものが高い。
自動販売機のペットボトルにしても、1本が300~400円(実勢交換レート)。
(ただしボトルのサイズは、日本のそれの1・5倍前後。)
ホテルが、どこも一泊3~4万円。

 反対にオーストラリア人にしてみれば、日本では、すべてのものが安い。
日本の旅館に泊まるとき、一泊2食付きで、2~3万円と聞くと、私たちはそれを「高い」と感ずる。
が、オーストラリア人にしてみると、その2~3万円が、5000円程度の感覚になるのでは?
つまり私たちが高級旅館と感ずる日本の旅館に、彼らは、5000円~1万円程度の感覚で宿泊することができる。

私「だから、オーストラリア人は、日本へ来たがるのです」
友「しかしこうも頻繁に来られると、私の方も疲れてしまいます」
私「それはたいへんですね」
友「それに習慣のちがいというか、彼らはたいしたみやげも持ってこないで、平気で2、3週間も泊まっていきます。それにね、林さん、帰国しても一通の礼状さえくれないんですよ」

私「欧米人は、そうでしょうね。そういう習慣がないから……」
友「でね、林さんのところへも、よく来るでしょ」
私「この10月にも、来ます」
友「そういうとき、どうしてますか?」と。

 欧米人というより、相手がオーストラリア人のばあいは、何でもストレートにものを言うのがよい。
いやだったら、いやと言えばよい。
忙しかったら、忙しいと言えばよい。
「今日は午後から仕事だから、6時ごろまで、君のめんどうをみられない」とか。
オーストラリア人は、そういうことを、まったく気にしない。
失敬なこととは思わない。
だから正直にありのままを言う。
正直に言えば、「ライト(わかった)」ですんでしまう。
(反対に、ウソには、敏感に反応する。
オーストラリア人には、ウソだけは言ってはいけない。)

 が、日本人はそうではない。
日本人は、「表」と「裏」を使い分ける。
内心ではいやだと思っていても、表面的には、「また遊びにおいでください」などと言う。
こういう言葉が、かえって彼らを混乱させる。

私「たまたま今は円高だから、Aさんが今度は、オーストラリアへ遊びに行けばいい」
A「そうは言っても、この不景気ですからね……。
先のことを考えると、気軽に遊びに行くわけにもいかないのですよ」
私「そこが日本人の悲しいところですね。
円高なら、本来なら喜んでいいはずなのに、それが喜べない。
円高を生かして、外国へ遊びに行くこともできない」と。

●再び経済論

 話をもとに戻すが、マクロの世界でも同じことが言える。
日本人も、もっと率直に、そして正直に、本音を言えばよい。
へたにいい子ブルから、苦労する。
あとがたいへんになる。
もっと野性的に、もっとドロ臭く、もっと貪欲に生きる。
このままでは通貨危機どころか、日本国という「国」が危うくなる。

 「このままでは日本企業は全滅する。
手持ち外貨(ドル)の5%を、金(ゴールド)に換える」と。
「復興資金にする」でもよい。
それくらいの宣言は、してもよいのでは?
アメリカは怒るだろうが、日本が破産するよりはよい。

 東洋経済誌にもあるように、「やっと円安になったと喜んだときには、日本国内に会社はなし」では困る。

 今朝は、そんなことを考えた。
2011/09/25


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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