2010年3月31日水曜日

*Obedience of Children

【児童心理・思いつくまま】(わんぱく少年+子どもの服従的態度)

●おとなしくなった男児

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最近の子どもたち、とくに男児が、
おとなしすぎる。
柔和で、やさしく、覇気がない。
小学1~2年生でも、いじめられて泣くのは
男児。
いじめるのは女児と決まっている。
こうした逆転現象(?)は、すでに15~20
年以上も前から始まっている。
そうした傾向が、このところ、少子化の進行とともに、
さらに加速している。
今では、小学3、4年生でも、いじめられて
泣くのは男児。
いじめるのは女児と決まっている。

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●わんぱく少年

私たちが子どものころには、わんぱく少年は
どこにでもいた。
私も、その1人だった。
乱暴で、喧嘩ばやかった。
しかしその半面、学校の「教室」という場では、
おとなしかった。

当時、近くの山をはさんで、山の反対側に住む
子どもたちと、戦争ごっこをよくした。
「ごっこ」というレベルを超えていたかもしれない。
はげしかった。
山の中で相手を見つけると、リンチをした。
私たちも、リンチされた。
私も一度、つかまってしまい、チxチxの先に、
かぶれの木の樹液を塗られたことがある。
あれをやられると、そのあと1週間ほど、
痛くて排尿がうまくできなくなる。

しかし学校という場では、おとなしかった。
私たちは「敵」と呼んでいたが、学校で
敵を見つけても、あいさつこそしなかったが、
たがいに知らぬ顔をして、その場をやり過ごした。

●荒れる教室

 つまり私たちが子どものころは、子どもが本来もつ
エネルギーを発散する場所を、別にもっていた。
私のばあい、「山」だった。
が、最近の子どもには、それがない。
家の中に閉じこもったまま。

 数年前のこと。
浜松の郊外、郊外といっても、山奥に近いが、そこで
講演をさせてもらったときのこと。
校長から、こんな話を聞いた。
「このあたりの子どもも、外で遊ばなくなりました」と。

 いろいろな調査結果を見ても、農村や山村地域の子どもの
ほうが、都会に住む子どもよりも、家の中にいる時間が長い。
理由は言わずと知れた、テレビゲーム、ゲーム機器。
つまりそれでは、エネルギーを発散できない。
そこでそのエネルギーを学校の教室という場で、
発散するようになった(?)。
つまり子どもたちを取り巻く環境が、質的に変化してきた。
それに並行して、少子化。
それぞれの子どもが、必要以上に、ていねいに(?)、
育てられるようになった。
とくに男児。

 言葉は悪いが、母親に(飼い殺されてしまっている)。
「飼いつぶされてしまっている」のほうが、よいかも
しれない。
過関心と過干渉。
それに溺愛と過保護。
今では昔風のわんぱくな男児というと、10人に
2~3人程度しかいない(年長児)。
これとて多めにみた数字。

 こうして「荒れる教室」が生まれ、「女児化した
男児」が生まれた。
もっとも、ほかにもいろいろな見方があるだろうが、
ひとつの見方として、参考にしてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 わんぱく少年 男児の女児化 環境の質的な変化)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●服従的態度

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だれかに服従して生きるというのは、
一見すると、「たいへんだな」と思う
人もいるかもしれない。
しかし実際には、楽。
何も考えなくてよい。

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●リーダー不在

 良好な人間関係が結べない子どもは、(1)攻撃的態度、(2)依存的態度、(3)同情
的態度、それに(4)服従的態度のうちの、どれかをとることが知られている。
これらについては何度も書いてきたので、ここでは(4)の服従的態度について、考えて
みたい。

 つまりだれかに徹底的に服従することによって、自分の立場を確保しようとする。
よくあるケースが、親分・子分の関係。
思春期の子どもによく見られる現象である。

 ところで少し話が脱線するが、私たちが子どものころは、子どもたちが集まる場所では、
すぐこの親分・子分関係が生まれた。
私もずっと子分だったときがあり、それが終わると、今度は親分になった。
が、今は、それがない。

 すでに15年ほど前に書いた本の中で、私はこの問題を指摘した。
たとえば幼稚園の砂場でも、珍現象が起きていた。
40年前には、砂場でも、すぐ親分・子分関係が生まれ、リーダー格の子どもの指示に
従って、みなが動いた。
みなが力を合わせて、大きな山を作ったりした。
が、最近は砂場でも、子どもたちが互いに背を向けあいながら、それぞれがチマチマと、
勝手に遊んでいる。
こうした傾向は、さらに最近、強くなってきている。
「ぼくがリーダーだ」と声をあげる子どもが、いない。
その雰囲気さえ、ない。

 それはそれとして、服従的態度にも、さまざまな問題がある。

●カルト教団

 話は一足飛びに飛躍するが、世の中には、「カルト教団」と呼ばれる宗教団体が、数
多くある。
そういう教団の中では、信者たちは、それを意識することもなく、人間ロボットとして、
幹部の指導者の意のままに動いている。
一度、そういう信者の1人と、個人的に話したことがある。
(詳しくは私の書いた『ポケモンカルト』の中に収録。)

 私が「あなたは、だれかに操られていると思いませんか」と聞いたときのこと。
その信者は、こう答えた。
「私は自分の意思で動いています。
それに教祖様(=指導者)は、万巻の本を読んでおられます。
まちがっていません」と。
こうした盲目性が、カルト教団の信者の特徴のひとつということになる。

 が、同時に、そこは甘美な世界でもある。
教団を中心に、信者どうしが、兄弟以上の兄弟、親子以上の親子になったりする。
一瞬にして、孤独感が消える。
その魅力があるからこそ、信者は、その教団から離れることができない。
またそういう力を利用して、教団は、自らの勢力を拡大していく。
つまり信者は徹底した服従を誓うことによって、自らの立場を確保していく。

 私の知っているK教団では、信仰年数によって、序列が決まる。
当然「信仰年数」が長い信者ほど、立場が上。
だから50歳くらいの信者が、30歳くらいの信者に頭をさげたりする。
そういう光景をよく目撃する。

 しかし子どもの世界では、この服従的態度は、心理的な発育ということを考えると、
好ましくない。

●自己の同一性(アイデンティティ)

 「自分はこうありたい」「こうしたい」という(自己概念)。
「私は、今、こうだ」「現実に、こうしている」という(現実自己)。
この2つが一致した状態を、「自己の同一性」という。

 思春期前夜から思春期にかけて、子どもは、この自己の同一性を確立する。
またそれができるよう、周囲の者(教師や親)は、子どもを声援し、見守らなければ
ならない。
が、そうした確立が軟弱なまま、思春期を過ごしてしまう子どもも多い。
その原因のひとつとして、服従的態度がある。

 もっとも服従することが、すべてまちがっているわけではない。
それによって、そのノウハウが蓄積され、今度はそれが親分(リーダー)としての素質に
つながっていくこともある。
先に、私は子分時代を経て、親分になったと書いた。
具体的には、幼稚園へ通っているころは、ずっと子分だった。
小学2、3年生になって、親分になった。
現在、そのころの経験が、自分の仕事(=幼児教室)で、役に立っている。

 が、一方的に服従する。
言われたまま行動する……というよりは、自分でものを考えない。
自分がどうあるべきかも、考えない。
こうした姿勢が一度身につくと、ここに書いた、自己の同一性の確立がおぼつかなくなる。
自分が何をしたいのか、何をすべきなのかも、わからなくなる。
ついで、何をしてはいけないのかもわからなくなる。
これはよくない。
「危険な態度」と断言してもよい。

 そのため思春期の服従的態度は、えてして非行、犯罪行為につながりやすい。
またそういう集団を組みやすくなる。
それを避けるためには、どうするか。

 要するに、(自分で考え)、(自分で行動し)、(自分で責任を取る)という、「自由の
3原則」を、子育てに生かす。
これについては、たびたび書いてきたので、ここに、その原稿をさがして添付する。

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子育て自由論。

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●自由

 自由のもともとの意味は、「自らに由(よ)る」、あるいは、「自らに由らせる」という意味である。

 この自由には、3つの柱がある。(1)まず自分で考えさせること。(2)自分で行動させること。(3)自分で責任を取らせること。

(1)まず自分で考えさせること……日本人は、どうしても子どもを「下」に見る傾向が強いので、「~~しなさい」「~~してはダメ」式の命令口調が多くなる。しかしこういう言い方は、子どもを手っ取り早く指導するには、たいへん効果的だが、しかしその一方で、子どもから考える力を奪う。そういうときは、こう言いかえる。「あなたはどう思うの?」「あなたは何をしたいの?」「あなたは何をしてほしいの?」「あなたは今、どうすべきなの?」と。時間は、ずっとかかるようになるが、子どもが何かを言うまでじっと待つ。その姿勢が、子どもを考える子どもにする。

(2)自分で行動させること……行動させない親の典型が、過保護ママということになる。しかし過保護といっても、いろいろある。食事面で過保護になるケース。運動面で過保護になるケースなど。親はそれぞれの思い(心配)があって、子どもを過保護にする。しかし何が悪いかといって、子どもを精神面で過保護にするケース。子どもは俗にいう「温室育ち」になり、「外の世界へ出すと、すぐ風邪をひく」。たとえばブランコを横取りされても、メソメソするだけで、それに対処できないなど。

(3)自分で責任を取らせること……もしあなたの子どもが、寝る直前になって、「ママ、明日の宿題をやっていない……」と言い出したとしたら、あなたはどうするだろうか。子どもを起こし、いっしょに宿題を片づけてやるだろうか。それとも、「あなたが悪い。さっさと寝て、明日先生に叱られてきなさい」と言うだろうか。もちろんその中間のケースもあり、宿題といっても、いろいろな宿題がある。しかし子どもに責任を取らせるという意味では、後者の母親のほうが、望ましい。日本人は、元来、責任ということに甘い民族である。ことを荒だてるより、ものごとをナーナーですまそうとする。こうした民族性が、子育てにも反映されている。

 子育ての目標は、「よき家庭人として、子どもを自立させる」こと。すべてはこの一点に集中する。そのためには、子どもを自由にする。よく「自由」というと、子どもに好き勝手なことをさせることと誤解する人もいるが、それは誤解。誤解であることがわかってもらえれば、それでよい。
(01-11-7)

● 子どもは自由にして育てよう。
● 子育ての目標は、子どもをよき家庭人として、自立させること。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子育て自由論 自由 自らに由る 自らに由らせる。)

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が、過関心、過干渉が日常化すると、
子どもは自立できなくなってしまう。
もちろん人格の核(コア)形成も遅れる。
それについて、つぎのような原稿を
書いたことがある。

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【子どもの人格】

●幼児性の残った子ども

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人格の核形成が遅れ、その年齢に
ふさわしい人格の発達が見られない。

全体として、しぐさ、動作が、
幼稚ぽい。子どもぽい。

そういう子どもは、少なくない。

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 「幼稚」という言い方には、語弊がある。たとえば幼稚園児イコール、幼稚ぽいという
ことではない。幼稚園児でも、人格の完成度が高く、はっと驚くような子どもは、いくら
でもいる。

 が、その一方で、そうでない子どもも、少なくない。こうした(差)は、小学1、2年
生ごろになると、はっきりとしてくる。その年齢のほかの子どもに比べて、人格の核形成
が遅れ、乳幼児期の幼児性をそのまま持続してしまう。特徴としては、つぎのようなもの
がある。

(1) 独特の幼児ぽい動作や言動。
(2) 無責任で無秩序な行動や言動。
(3) しまりのない生活態度。
(4) 自己管理能力の欠落。
(5) 現実検証能力の欠落。

 わかりやすく言えば、(すべきこと)と、(してはいけないこと)の判断が、そのつど、
できない。自分の行動を律することができず、状況に応じて、安易に周囲に迎合してしま
う。

 原因の多くは、家庭での親の育児姿勢にあると考えてよい。でき愛と過干渉、過保護と
過関心など。そのときどきにおいて変化する、一貫性のない親の育児姿勢が、子どもの人
格の核形成を遅らせる。

 「人格の核形成」という言葉は、私が使い始めた言葉である。「この子は、こういう子ど
も」という(つかみどころ)を「核」と呼んでいる。人格の核形成の進んでいる子どもは、
YES・NOがはっきりしている。そうでない子どもは、優柔不断。そのときどきの雰囲
気に流されて、周囲に迎合しやすくなる。

 そこであなたの子どもは、どうか?

【人格の完成度の高い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、年上に見える。
○自己管理能力にすぐれ、自分の行動を正しく律することができる。
○YES・NOをはっきりと言い、それに従って行動できる。
○ハキハキとしていて、いつも目的をもって行動できる。

【人格の完成度の低い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、幼児性が強く残っている。
○自己管理能力が弱く、その場の雰囲気に流されて行動しやすい。
○優柔不断で、何を考えているかわからないところがある。
○グズグズすることが多く、ダラダラと時間を過ごすことが多い。

 では、どうするか?

 子どもの人格の核形成をうながすためには、つぎの3つの方法がある。

(1) まず子どもを、子どもではなく、1人の人間として、その人格を認める。
(2) 親の育児姿勢に一貫性をもたせる。
(3) 『自らに由(よ)らせる』という意味での、子育て自由論を大切にする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 以上、子どもの服従的態度について考えてみた。
古来より日本では、「親や先生の指示に、ハイハイと従う子どもほど、いい子」と
考える。
またそれを教育の目標にしてきた。
しかしそういう子どもほど、あとあと心配。
子ども自身も、「私探し」に苦労する。

 要するに、おとなしく覇気がないというのは、子ども本来のあるべき姿ではない。
アメリカでは、このタイプの子どもを、「問題児」として位置づけている。
そういうことも考えながら、子どもの服従的態度を、改めて見なおしてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 服従的態度 自由の3原則 三原則 問題児 育児姿勢)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

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