2010年3月26日金曜日

*"Nine" *What is Me?

● 映画『NINE』

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昨夜遅く、映画『NINE』を劇場で
観てきた。
ほかに観たい映画がなかった。
しかたないので、『NINE』にした。
(失礼!)
もう少し若いころなら、「おとなっぽい映画
だな」と思ったかもしれない。
しかし今は、ちがう。
映画の観方が変わった。
いうなれば、「ドーパミン映画」。
そんな映画だった。

快楽追求行動を調整している神経伝達物質※がある。
それがドーパミン。
視床下部からの指令を受けて、その
ホルモンが分泌される。
そのドーパミン漬けのような映画。
タバコと酒、それに踊りと音楽。
どこか薄汚く、どこか退廃的。
「おとなの映画というのは、こういうもの」
という、監督の意図、見え見え。
それで星は2つの、★★。

若い人なら、監督の隠された意図を
見抜けないかもしれない。
「これぞ、おとなの映画」と賞賛する
かもしれない。
が、私にはできない。
それには、もうひとつ理由がある。

私は50歳を少し過ぎたころ、「男の
更年期?」なるものを経験した。
そのときのこと。
私は性欲からの解放を味わった。
それは実に軽快な気分だった。
と、同時に、それまでの私が、いかに
「性的エネルギー」(フロイト)の奴隷で
あったかを知った。

もろもろの人間の活動は、どこかでその
性的エネルギーの指令を受けている。
男は女を意識し、女は男を意識する。
つまりそういう意識から解放された。

幸か不幸か(?)、そのあとしばらくして、
再び私の中に「男」が戻ってきた。
女性が再び、「女」に見えてきた。
が、それでも、元に戻ったわけではない。
60歳を過ぎた今は、「男」も、ぐんと
薄くなってきた。
それが自分でもよくわかる。

そういう現在の「私」から見ると、ドーパミン
というホルモンが、どういうものか、よくわかる。
それに操られた人間が、どういうものか、
よくわかる。

映画『NINE』は、そういう映画だった。
中身があるようで、まったく、ない。
ウソとインチキとゴマカシ。
人生を知り尽くしたようなセリフ。
「これが人生」と言わんばかりの高飛車なセリフ。
それをあえて、けばけばしい音楽と踊りで飾る。
私はああいう世界が、あるべき(おとなの世界)とは
思わない。
あるべき(おとなの世界)というのは、
どこかに童心を残した、純粋な世界をいう。
またそういう世界を恥じることはない。
パブロ・ピカソの絵画を例にあげるまでもない。

あのピカソも若いころは、精一杯、背伸びした
ような絵を描いていた。
が、晩年のピカソは、幼児の描くような絵に
戻っている。
残念ながら、ピカソの絵画が幼児の描く絵より
すぐれていると言っているのではない。
ピカソの絵画よりすぐれた絵を描く子どもは、
いくらでもいる。
が、そういう子どもでも、やがて俗化し、
薄汚いおとなの世界に、紛れ込んでいく。
子どものころの純粋さを見失っていく。
その結果が、映画『NINE』ということになる。

二度目は、ぜったいに見たくない映画。
いくら「賞」で飾っても、一度でこりごり。
途中で眠くなったほど。

(注※)
ドーパミン……快楽追求行動を調整している神経伝達物質
条件づけ反応……報酬と喜びに関連する脳の刺激に対する反応。これによって
       条件づけ反応が生じ、その環境に身を置いただけで、反応が起こる
       ようになる(以上、日経「サイエンス」07-12、p54) 

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●The Howie Brothers(ホウイ兄弟)

今朝起きてすぐ、「The Howie Brothers」のことを書いた。
オーストラリアの音楽家である。
大学の同窓生でもある。
1970年のときの写真と、2010年の写真を並べて、BLOGに掲載した。
その2つの写真を見比べなら、こう思った。

 たいていの人は、(私のワイフもそうだが)、現在の写真を見て、「こんな人たちにも、若いときがあった」と思う。
この見方は、まちがってはいない。
しかし空白の40年を縮めてみると、見方が逆になる。
「こんな青年にも、やがてくる老年期があった」と。

 もちろん青年期には、それはわからない。
老齢期という未来は、まだ存在しない未知の世界。
しかし実際には、どんな青年にも、すでに老齢期はある。
あって、どこかに潜んでいる。

 このことは、幼児たちを見ているとわかる。
年中児(4歳児)から、高校3年生まで。
そういった子どもを毎年繰り返し見ていると、やがて幼児を見ただけで、その子どもがそのあとどうなっていくか、おおかたの輪郭がわかるようになる。
幼児の中に、中学生になったときの様子、高校生になったときの様子がわかるようになる。
同じように・・・というわけでもないが、1970年のホウイ兄弟の写真を見ていると、見た目には青年かもしれないが、その中に、現在のホウイ兄弟を見てしまう。

 どちらが先で、どちらが後ということではない。
その人たちの中で、人生がひとかたまりになっている。
だから私は、1970年の写真を見ながら、こう思う。

「この人たちにも、今のような老齢期があったのだ」と。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●春休み

 私にも春休みがある。
10日間ほどある。
いろいろ計画している。
が、こうした計画というのは、浅瀬にわく、泡のようなもの。
ポッポッと現れては、その一方で、ポッポッと消えていく。
若いころなら、「本を1冊、書いてやる」などと思ったもの。
しかし今の私は、「本を書くこと」には、まったく興味がない。
書いたものを本にしたいという意欲さえ、わいてこない。
今は、インターネットの時代。
これからはインターネットの時代。

 ひとつの例だが、10年ほど前までは、パソコン関連のソフトが、たくさん店に並んでいた。
ゲームソフトはもちろん、画像編集ソフト、ビデオ編集ソフト、宛名書きソフト、家計簿ソフトなどなど。
20年前には、もっとたくさんあった。
しかし今は、そのほとんどが、無料ソフトに置き換わった。
画像加工ソフトにしても、無料加工ソフトのほうが、内容が濃い。
使い勝手もよい。

 同じように、(情報)にしても、少し前までは、「安かろう、悪かろう」という思いが、まだ残っていた。
ニュースにしてもそうだ。
今ではインターネットで配信される(情報)のほうが、はるかに質が高い。
(もちろん低いものもあるが・・・。しかしこれは選択の問題。)
何よりも瞬時、瞬時・・・というところがすごい。
朝に記事を配信すれば、昼を待たずして、反応が入ってくる。
(実際には、BLOGに書き込むと同時に、検索されるようになる。)

 どうしてこういう時代に、「本」なのか?
収入にはならないかもしれないが、私には、そのほうが楽しい。
つまりインターネットを利用して、好き勝手なことを書いているほうが、楽しい。
ということで、新年度からの新しい企画に挑戦したい。
(2009-2010年度は、「BW公開教室」に力を入れた。)


●同性愛

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数日前、浜松市の男性教師が、児童買春で
逮捕された。
東京で、逮捕された。
相手は女の子かと思ったが、男の子だった。
つまりその教師は、同性愛者であった。
別の同性愛者に段取りをつけてもらい、
東京まで出かけていって、売春行為を
していたらしい。

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●「濃い男」

 「濃い男」「薄い男」という言葉は、私が最初に考えた。
今では広く、あちこちで使われている。
「肉食系」「草食系」と同じような意味で使われているが、私が使い
はじめたときには、すこし違った。
まったく女性にしか興味を示さない男を、「濃い男」という。
同性でもか構わないという男を、「薄い男」という。
私は、その中でも、「たいへん濃い男」。
同性の男に、肌をさわれただけで、ゾッとする。
一方、女性なら、だれでも構わない。
歯医者などに行って、女性の看護士に肌をさわられただけで、うっとりする。

 だから、こういうニュースを聞くたびに、「ヘエ~~?」と思ってしまう。
そんなに同性に興味があるなら、温泉か、大浴場へ行けばよい、と。
(あるいはそういうところは、飽きてしまったのか?)

●同性愛

 同性愛がどうこう言うのではない。
好ましくないとか、そういうことを言っているのでもない。
そういうことを言うと、今では「偏見」と考えられ、評論すること自体、許されない。
(今まで、一度もしたことはないが・・・。)
しかし「東京まで行って・・・」というところに、私は別の何かを感じてしまう。
当人も何かしらの(うしろめたさ)を感じていたのだろう。

 それについてワイフは、「地元じゃあ、バレるからじゃない」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
年齢は53歳というから、あちこちの学校で教壇に立っていたはず。
現在の学校に移る前は、市内のN中学校で、教壇に立っていたという。
顔も広く知られている。
「だから東京で・・・」ということになった(?)。

 しかし考えてみれば、不思議な世界と思う。
人間の世界にも、(男)と(女)がいて、さまざまな人間模様を繰り広げている。
ときにそれが(男)と(男)になり、(女)と(女)になったりする。
どうでもよい世界だが、そこに子どもを巻き込む。
それはいけない。

この浜松市でも、毎年教師によるハレンチ事件が、1~2件はある。
親レベル、学校レベルでもみ消される事件まで入れたら、もっと多い。
当人どうしだけの秘密のままですまされるケースを含めると、さらに多い。
つまりこうした事件は、氷山の、そのまた氷山の一角。

 バレたら、教師生命どころか、世俗的な名誉、地位すべてを失う。
それほどまでの危険を感じたら、ふつうの良識のある人は手を引く。
「教職」という立場にあるなら、なおさらである。
そう言えば、どこかの小学校の校長が、校長室で、児童の母親と密会を重ねていたという事件もあった。
これもつい先日のできごとである。
が、人間のもつ欲望のパワーは、それをはるかにしのふほど、強い。
逮捕された教師も、こう言ったという。
「自分を抑えきれませんでした」と。

 ・・・こういう事件は、モグラ叩きのモグラのようなもの。
人間がそこにいるかぎり、なくなることはない。
これからも頻繁に起こるだろう。
止めようとして、止められるものではない。
が、一言。

 私には、同性愛者の気持ちが、どうしても理解できない。
頭の中を、180度ひっくり返してみるのだが、それでも理解できない。
「どうして男が、男に、性的な関心をもつのだろう」と考えたところで、思考が停止してしまう。
だからこそ、不思議な世界と思う。
同じ人間であり、同じ男なのに、これだけは、私の理解の範囲を超えている。


Hiroshi Hayashi++++++MARCH.2010++++++はやし浩司

●今日、あれこれ(3月27日)

●経済問題

 ひとつだけはっきりしていること。
このまま進めば、日本経済は、やがてにっちもさっちもいかなくなるということ。
国の借金は、雪だるま式にふえつづける。
その一方で、大量の円を市中にばらまきつづける。
へたをすれば、デフレ状態のまま、ハイパーインフレを迎える。
そうなれば円の大暴落。
札も国債も、紙くずと化す。
(もともと「紙」だから、私は驚かないが・・・。)

●中国の干ばつ
 
 中国南部と、ベトナム北部が、大干ばつに見舞われている。
原因は、地球の温暖化。
が、本当の問題は、これから。
この先、世界各地で、「水戦争」が起きるようになる。
1960年代に始まった、インド・パキスタン紛争(印パ紛争)も、
もとはと言えば、水の奪い合いだった。
そうした「火種」ならぬ、「水種」は、世界各地に散らばっている。
すでに中国とベトナムの関係が、ぎくしゃくし始めている。

農耕地が被害を受ければ、そのまま食料不足につながる。
そうなれば影響は、この日本にも及ぶ。
遠い海の向こうの話では、すまされなくなる。

●民主党政権

 「日本は左傾化し、中国に接近しつつある」と。
私はそうは思っていないが、アメリカ人も、オーストラリア人も、
そう思っている。
今の民主党政権になって、日本は、かなり誤解されているようだ。
前回の衆議院議員選挙では、多くの日本人は、反麻生、反自民に
傾いた。
しかしだれも民主党が、左派政権とは、思っていなかった。
左派政権を求めて、民主党に一票を入れたわけではない。
社民党などと連携がわかってはじめて、「?」と思い始めた。
(これはあとの祭り!)

 が、何よりも失望したのは、小沢一郎幹事長。
小沢一郎幹事長が臭わす醜悪さは、麻生前総理大臣の比ではない。
そればかりか、やがてマスコミ各誌は、民主党をさして、「小沢独裁政権」
と揶揄(やゆ)するようになった。
まさに独裁政権。
派閥政治にもいろいろと問題はあるが、自民党の派閥政治のほうが、民主的(?)。
そんな印象をもってしまった。

 が、小沢一郎幹事長は、この場に及んでも、まだ強気。
夏の参議院議員選挙では、民主党の選挙参謀を務めるとか。
その姿勢は、麻生前総理と、同じ。
まるで自分の姿が見えていない。
「どうぞ、ご勝手に!」。

Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

●「私」さがし

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だれでも、「私のことは、私がいちばんよく
知っている」と思っている。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
しかし、「私」を知ることは、むずかしい。
本当にむずかしい。
あのソクラテスも、そう言っている。
「私は私のことを、何も知らなかった」と。
『無知の知』というあのよく知られた言葉も、
そこから生まれた。

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 「私」をさがす。
それはつまりところ、「自分の乳幼児期」を見ること。
「私」という人間の「核(コア)」は、そのほとんどが、乳幼児期に作られる。

 たとえばあなたが、さみしがり屋で、心の開けない人だったとしよう。
たとえばあなたが、冷たく、嫉妬深い人だったとしよう。
あるいはたとえばあなたが、ものごとにこだわりやすく、うつ的であったとしよう。
しかしそれは(あなた)の責任ではない。
あなたが求めて、そういう(あなた)になったのではない。
(あなた)という人は、乳幼児期の環境の中で、そういう(あなた)になっていった。

(1) たとえば発達心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
わかりやすく言えば、「心を開いて、相手を信じること」をいう。
その基本的信頼関係は、豊かな母子関係の中で、はぐくまれる。
(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
その上に、基本的信頼関係が築かれる。
が、たとえば親の育児拒否、家庭内騒動、無視、冷淡、虐待などがあると、子どもはその基本的信頼関係を築けなくなる。
そのため他人に対して、心を開けなくなる。
「基底不安」もそこから生まれる。
「いつ、どこで、何をしていても、不安」と。

(2) また子どもの発育には段階があることがわかっている。
そしてその段階ごとに「臨界期」があることもわかっている。
その臨界期をのがすと、脳細胞そのものが発達を停止してしまう。
こうして人間性そのものも、乳幼児期に決まる。
「決まる」と断言してよい。
そのよい例が、1920年代にインドで見つかった野生児。
「オオカミ姉妹」ともいう。
発見されたあと、2人の姉妹は、インド政府によって手厚く保護され、教育
を受けたが、最後まで人間性を取り戻すことはなかったという。
その人間性についても、最近では、「マターナル・デプリベイション(母性欠落)」という
言葉を使って、説明される。
乳幼児期に心豊かな母子関係に恵まれた人は、大きくなったときも、心の温かい、やさしい人になる。
そうでなければ、そうでない。
他人との共鳴性を失い、心の冷たい人になる。
仲間をいじめても、心が痛まなくなる。

(3)さらに最近の研究によれば、うつ病の「種」も、乳幼児期にできることがわかってきた。

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●うつ病の原因

引きこもりも含めて、うつ病の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学者がふえている。

たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、「母親から保護される価値のない、自信のない自己像」(九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)を形成すると説く。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

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 こうして(あなた)という人は、できあがった。
その結果が(今のあなた)ということになる。
つまり「私」をさがすということは、自分の過去、かなんずく、自分の乳幼児期の環境を
知るということになる。
あなたは、乳幼児期に、心豊かで、両親の暖かい愛情に恵まれ、穏やかな環境の中で
育っただろうか。
もしそうなら、それでよし。
が、もしそうでないなら、まず、それに気づくこと。

 というのも、恵まれた環境の中で、何一つ問題なく育った人など、ほとんどいない。
多かれ少なかれ、みな、何かの問題をもった家庭に生まれ育っている。
言い換えると、心に問題をもっていない人は、いない。
心に傷をもった人だって多い。
ただまずいのは、そういう過去があることに気づかず、私の中の「私」に振り間ウェアされること。
同じ失敗を繰り返すこと。
さらにこの種の問題は、親から子へと、世代連鎖しやすい。
もしあなたの過去に問題があったとしても、またその結果、現在の(あなた)に問題が
あったとしても、それをつぎの世代に伝えてはいけない。
あなたの代で、それを断ち切る。
そのための努力はしなければいけない。
そのためにも、まず「私」を知る。

 あとは、時間が解決してくれる。
10年とか20年はかかるかもしれない。
しかし時間が解決してくれる。
それもまた人生。
(あなた)の人生。
そう思って、そういう(あなた)自身と、仲よくつきあう。

 つまるところ、生きるということは、最後の最後まで、「自分探し」ということに
なる。
それくらい「私」を知ることは、むずかしい。
私はなぜ「私」なのか。
私がなぜ「私」なのか。
それを知ることは、本当にむずかしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 私探し 私さがし 私とは 私の中の私 自分探し 自分さがし 乳幼児期 うつ病の原因 九州大学 吉田 母子保健情報)


Hiroshi Hayashi++++++March .2010++++++はやし浩司

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