2010年3月5日金曜日

*After the Sunset of the Life

●老後の統合性

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緊張感を失った老後ほど、みじめで
あわれなものはない。
毎日がだらだらと過ぎていくだけ。

明日も今日と同じ。
来年も今年と同じ、と。

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●自己否定

 定年退職をしたあとも、過去の経歴や肩書き、名誉にしがみついて生きている人は、多い。
その気持ちは、よくわかる。
痛いほど、よくわかる。
そういう人が、まちがっているというのではない。
人それぞれ
それぞれの人は、みな、何かにしがみついて生きている。

 もしここでその空しさを認めたら、それはそのまま自己否定につながってしまう。
「私は何だったのか?」と。
何が恐ろしいかといって、自己否定ほど、恐ろしいものはない。
もっとも、若いときは、まだよい。
人生も、やり直しがきく。
しかし定年退職後ともなると、やり直そうにも、やり直しようがない。
「これから一旗あげてやろう……」ということができない。

 そこで重要なのが、「統合性の確立」。
わかりやすい言葉で言えば、「第二の人生の設計図づくり」。
(人間としてやるべきこと)を見つけ、(現実にそれをする)。
「統合性」をわかりやすく説明すれば、そういうことになる。
その確立に失敗すると、老後も、みじめで、あわれなものになる。
またそういう老後を送っている人は、ゴマンといる。」

●虚勢

 しかしなぜ、人は虚勢を張るのか?
「私はなぜ虚勢を張るのか?」と、言い換えてもよい。
この問題を裏から考えると、こういうことにもなる。
「虚勢を張ることで、何を求めているのか?」
「何が、目的で、虚勢を張るのか?」と。

 私ほど、虚勢の塊(かたまり)のような人間は、そうはいない。
インターネットという、(無の世界)を相手にしていると、よけいにそれがよくわかる。
そこにあるのは、大きなモニターだけ。
無数に集まった光の点だけ。

 それはちょうど子どものする、電子ゲームのようなもの。
子どもは電子ゲームをしながら、点数が、ふえた、へったと、喜んだり、悲しんだりしている。
私も、そうだ。

 朝起きると、軽い運動をする。
そのあと書斎へ入って、パソコンを立ち上げる。
そのとき最初にチェックするのは、前日のアクセス数。
HPやBLOGへのアクセス数。

 その数字を見て、喜んだり、さみしく思ったりする。
書籍とちがい、そこに読者がいるという実感など、まったくない。
にもかかわらず、虚勢を張る。
いかにも私は大物ですという、フリをする。

●私を意識する

 そこでふと、考える。
「私はいったい、だれを意識しているのだろう?」と。
「だれを意識して、虚勢を張っているのだろう?」と。

 そこでおもしろいことに気づく。
私のばあい、実のところ、対象となる相手が、いない!
同窓生でもないし、仲間でもない。
親類の人たちでもない。
家族でもないし、またそういった仲間でもない。
むしろそういう人たちには、私のHPにせよ、BLOGにせよ、見てほしくない。

 私のばあい、私を相手にしている。
私の中の、「私」を強く、意識している。
たいへん奇妙なことだが、私は私に対して、虚勢を張っている。

●緊張感

 一方の私は、「生きているという実感がほしい」と、いつも願っている。
そのために、生きている。
そういう「私」のために、同じ「私」が、虚勢を張っている。
今ここで、今していることの空しさを認めたら、そのあとに待っているのは、底なしの敗北感。
自分を支えようにも、支えようがない。
そこで私は私に虚勢を張る。
「私のしていることは、すばらしいこと」と。

 が、実のところ、その先に何があるか、私にもわからない。
わからないまま、虚勢を張る。
言い方を替えると、虚勢を張ることによって、そこにある種の緊張感が生まれる。
その緊張感がなくなったら、それこそ心がだらけてしまう。

●ある夫婦

 運動をしながら、体を鍛える。
しかしそれにも、ある種の緊張感が必要。
たとえば私のばあい、大きな講演会をひかえたりすると、その1週間ほど前から、体の調整に入る。
その緊張感が、私を運動へと引っ張っていく。

 同じように、生きていくためには、ある種の緊張感が必要。
夢や希望、目的があれば、さらによい。
その緊張感があるからこそ、明日に向かって生きていくことができる。
が、その緊張感が消えたら……。

 今日も、昼食のとき、地下の食堂で、こんな夫婦を見かけた。
ともに、何をするでもなし、しないでもなしといったふうに、テーブルをはさんで、黙って座っていた。
夫のほうは、見るからに血栓性の脳梗塞を起こしているといったふう。
表情もなく、動作ものろかった。
妻のほうは、異様なまでの厚化粧をしていた。
夫は65歳くらい。
妻は50歳くらいだった。

 私はその夫婦を見ながら、「この人たちは、何のために生きているのだろう」と思った。
まるで伸びきったゴムのよう。
冷めた、うどんか、そばのよう。
雰囲気そのものが弛緩していて、緊張感が、どこにもなかった。

 が、それはそのまま、私自身の姿。
ここ2、3年はだいじょうぶでも、5年は無理。
5年は何とかもちこたえても、10年は、ぜったいに無理。
私も確実に、ああなる。

●結論

 虚勢を張ることを、まちがっていると、どうして言えるのか。
それとも、これは居直りなのか。
しかしだれしも、何らかの虚勢を張って生きている。
またそうでもしないと、生きていけない。

 ……ここまで書いて、思い出すのが、セルバンテスが書いた、『ドン・キホーテ』。
ドン・キホーテについては、何度も書いてきた。
つまり虚勢を張ることが悪いことではなく、大切なのは、虚勢の張り方ということになる。
ときにその虚勢が、私たちに緊張感を添えてくれる。
生きる目的を与え、生きる喜びを与えてくれる。

 つまり人間が生きながらも、もともと、たいしたことはできない。
そういう宿命を背負っている。
「たいしたことをしたい」と思いつつ、いつもその限界状況の中で、右往左往している。
それに気がつけば、仮にそれが虚勢であっても、それはそれでよいではないか。
……ということになる。

 で、ここまでの結論。

 私は私で、虚勢にしがみついて生きていく。
その先に何があるかわからないが、私からその虚勢を奪ったら、私はそれこそ「生きる屍(しかばね)」になってしまう。
どのみち、たいしたことはできない。
要するに高望みはしない。
ほどほどのところで満足しながら、日々に(やるべきこと)をやる。
そのあとの運命は、(時の流れ)に、任せればよい。


Hiroshi Hayashi+++++++March 2010++++++はやし浩司

【錯覚】

●ただの人

私も短い間だったが、サラリーマンを経験
したことがある。

そのあとも、どこかサラリーマン的な仕事を
したこともある。
しかし不思議なことに、サラリーマンという
職業は、あとに何も残さない。

もともと利潤追求のための、組織的団体に
すぎない。
一方、そういうサラリーマンとつきあう相手の
人にしても、その人個人とつきあうのでは
ない。
その人のもつ、名刺とつきあう。
だから「金の切れ目が、縁の切れ目」となる。
どんな立派な肩書きをもつ人も、まず、それに
気がついたらよい。

「会社を離れれば、ただの人」と。
……というのは、言いすぎということは、
よくわかっている。
今、サラリーマン社会の中で、懸命にがんばって
いる人たちに対して、失礼なことも、よく
知っている。

しかしそういう(現実)を知って、サラリーマン
をつづけるのと、そうでないのとでは、
あとあとの生き様が大きく変わってくる。

「あとあと」というのは、(人生の結論)を自ら
引き出すときのことをいう。
だれしも、そういうときを必ず迎える。

●同窓会

 先日、大学時代の同窓会に出てきた。
有意義なひとときだった。
そういうところで、友人に会うというのは、
何か不思議な雰囲気に包まれる。
みな、一様に年齢を取っているはずなのに、
その(老い)をまったく感じない。
「昔のまま」というほうが、正しい。

 大学の卒業を「社会への入り口」とするなら、
今はみな、「出口」に立ったことになる。
ところが、入ったはずの「社会という部屋」が、
どこにもない。

 社会という部屋に入ったはずなのに、入った
とたん、出口に出た感じ。
「タイムスリップ」という言葉があるが、
それとはちがう。
人生を「帯」にたとえるなら、その帯の途中を
切り取って、残った最初の部分と、終わりの
部分をつないだよう。
そんな感じ。

 そう、若いころ、「60歳の人」というと、
とんでもないほど老人に見えた。
私たちには無縁の、遠い未来のことのように
思えた。

 が、人生の出口に立ってみると、その逆の
実感がない。
まったくない。
同じように、若いころは、「遠い過去」の
はずなのに、それがすぐそこに見える。
同時に、みなは、「とんでもない老人」のはず
なのに、その実感がまったくない。
あのときのまま。
まったく、あのときのまま!

 私だけではないと思う。
自分のことを「老人」と思っている友人は、
ひとりもいないだろう。

●「社会という部屋」

 が、ひとつだけ、大きな変化に気づいた。
つまり、私たちには、過去はあっても、未来は
ないということ。

 みな、それぞれに、「社会という部屋」の中では、
それなりの仕事をし、名もあげ、業績も残した。
ほとんどが、「長」の名がつく役職を経験した。
が、それも終わった。

 リストラ、退職を経て、子会社へ回ったり、
天下り先へ回ったりしている。
つまりこれから先、もう一度、別の「社会という
部屋」へ入るということはない。
「入ったところで、それがどうした」という
ことになる。
さらにその先に待っているのは、「今と同じ
状態」ということになる。

●私たちの時代

 となると、「社会という部屋」は、いったい、
何だったのかということになる。

 友人のことを書くわけにはいかない。
私のことを書く。

 私たちが大学を卒業するころは、今と、
状況がかなり違っていた。
だれしも就職を考えたし、就職といえば、
大企業を考えた。
公務員になった友人も多いが、私は公務員は
考えなかった。
私は、それが私に与えられた道と考えた。
またそういう道を進むことに、何ら、
疑問を覚えなかった。

 私は商社を選んだ。
M物産という会社と、伊藤C商事という会社に
入社が内定したが、私は大きいほうがよいと、
M物産という会社を選んだ。

 しかし私はやめた。
やめたあとは、好き勝手なことをした。
しかし先にも書いたように、サラリーマン的な
仕事もしたことがある。

 いくつかの会社の社内報を書いたりした。
貿易の手伝いもいた。
そういう仕事を通して、先に書いたようなことを
知った。

「会社を離れれば、ただの人」と。

●当時の世相

 が、そのときはわからない。
たまたま日本が高度成長期に入っていた
こともある。
みな、「企業戦士」とか、「モーレツ社員」
とか言って、もてはやされた。
終戦まで、「お国のため」だったのが、
戦後は、「会社のため」となった。
その土壌は、じゅうぶん根付いていた。

 このことは、反対にオーストラリア
へ行ってみると、わかる。
オーストラリアでは、大企業を育たない
と言われている。
オーストラリア人というのは、独立精神が
旺盛すぎる。
そのため、企業のもつ「組織」になじめない。

 そういうオーストラリア人と比べてみると、
日本人が民族的にもつ(性質)というのが、
よくわかる。

 そういう点では、日本人は、「自由」という
ものを、本質的な意味で、理解していない。
……いなかった。
少なくとも私がオーストラリアへ渡って
知った「自由」は、日本人が考えていた
「自由」とは、まったく異質のもの
だった。
(今でも、そうかもしれないが……。)
わかりやすく言えば、私たちは、「仕事」
という名のもとで、それが人生の重要事と
錯覚してしまった。

 こうして「一社懸命」型の企業人間が
生まれた。

●お金論

 が、お金に(名前)がついているわけではない。
犯罪で稼いだお金は別として、正社員として
稼いだお金にも、アルバイトで稼いだお金にも、
ちがいはない。
同じ。

 にもかかわらず、正社員にみながこだわるのは、
意識の問題というよりは、制度の問題。
この日本では、正社員と非正社員とでは、
待遇の面において、天と地ほどの差がある。
つまり非正社員は、ぜったいに、損!

 一方、欧米では、そうした(差)は、
ほとんどない。
年功序列制度もない。
労働者たちは、ユニオンという組織でつながっている。
そのため企業に対する貢献心も、希薄。
日本風に言えば、「朝日新聞社の印刷工も、
町工場の印刷工も、印刷工という立場は同じ」。
「印刷工」という立場で、たがいを守り合っている。
それが「ユニオン」ということになる。

 が、日本では、江戸時代からの身分制度も
あって、「よい仕事」と、「よくない仕事」の
色分けをしっかりとする。
私が幼稚園の講師になったときも、すでに
M物産の社員よりも多くのお金を稼いで
いたにもかかわらず、母は、電話口の向こうで
泣き崩れてしまった。

「浩ちゃん(=私)、あんたは、道を誤ったア」と。

 どうしてM物産という会社をやめて、
幼稚園の講師になることが、道を誤った
ことになるのか。
しかしそれが当時の常識だった。
一般世間では、私のような生き方は、
理解されなかった。
それが、この国、日本の姿だった。

●錯覚

 要するに、私たちは、その時代々々の中で
作られた(常識)に、引きずり回されているだけ。
本来価値のないものを、価値あるものと
思いこまされる。
価値のあるものを、価値のないものと思い
こまされる。

 それが60歳という定年退職を過ぎてみると、
よくわかる。
「私たちは、何だったのか」と。

 しかしこと友人たちをみていると、だれも、
それを口にしない。
心のどこかで、それを思っているのかもしれないが、
だれも話題にしない。
話したところで、どうにもならない。
私も聞かない。
聞いたところで、どうにもならない。

 自由が何であるかを知っていると言う私でも、
それで幸福だったのかどうかということになると、
今でも、よくわからない。
この日本で、自由に生きることは、たいへん。
ほんとうに、たいへん。
何も好き好んで、自由の世界に生きることはない。
むしろサラリーマンの世界で、錯覚しながら
生きた方が、楽。
日本の制度そのものが、そうなっている。

 それを知っているから、よけいに口が重くなる。
私も含めて、みな、ただの人。
そうそう同窓会で、1人、私にこう言った
友人がいた。
そのときは気づかなかったが、あとでビデオ
(YOUTUBE )を観たら、入っていた。

「お前は、学生時代から変わっていたが、
今も変わらないなあ」と。
向こうの世界にいる人たちからみれば、
そうみえるらしい。
が、だからといって、やはり、人は人。
みな、錯覚の世界に生きながら、錯覚
しているとも気づかない。

かく言う私とて、錯覚しているだけ。
「私は本物の自由を知っている」と。
だからといって、それがどうしたというのか。

 どうであるにせよ、残りの人生は、少ない。
今さら、ああでもない、こうでもないと
論じたところで、意味はない。
 
 「みんな、懸命に生きてきたのだなあ」と
思いつつ、S君という同級生と、歩いて
ホテルまで帰った。


Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司

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