2010年3月10日水曜日

*The Identity of Myself

●自分探し

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若い人は(自分探し)に苦労する。
同じように、老いた人も、(自分探し)に苦労する。
同じ(自分探し)だが、老いた人が(自分探し)を
するのは、たいへん。
どちらがたいへんかといえば、老いた人の
ほうが、はるかにたいへん。
若い人には、どう転んだところで、未来がある。
しかし老いた人には、未来がない。
その(未来がない)という部分と、闘わねば
ならない。
まさに「負け戦」。
「消耗戦」。
そういう中での(自分探し)ということになる。

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●どうやって死ぬか

 どうやって生きるかではない。
どうやって「死」を迎えるか、である。
悲観的な見方だが、そういう問題が、(老い)を考えるときは、
いつもついて回る。
そういう中で、自分なりの生きがいを見出さなければならない。
ただじっと、死を待つわけではない。
またそんなことは、不可能。
そんな日々がつづいたら、それこそ、気が変になってしまう。

●死の待合室

 が、いつか「死の待合室」に入る。
それはしかたのないこと。
そこでひとつの方法として、その待合室に入る時期を、できるだけ遅くする。
そのためには、健康を維持し、仕事をつづける。
「生涯、現役」をめざす。
が、それができる人は、きわめて恵まれた人。
それに稀。
たいていの人は、職場を追われ、職を失う。
運が悪ければ、ボケ症状も出てくる。
体も動かなくなる。

●積み重ね

 そういう状況の中で、いかに(自分探し)をするか。
「第二の人生設計」という言葉もあるが、そんな甘いものではない。
また「定年退職をしました。明日から、ゴビの砂漠で、植林でもしてきます」
というわけにもいかない。
そんな取ってつけたようなことをしても、空しいだけ。
長つづきしない。

 (すべきこと)には、哲学的な裏づけがなければならない。
わかりやすく言えば、主義、主張。
長い時間をかけた、(積み重ね)。
(やるべきこと)イコール、(人生の結論)と考えてよい。

●会社人間

 ところで先日、義兄に会ったら、こう断言した。
「サラリーマン社会では、友情は育たない」と。
義兄は、日本でも最大手の楽器メーカーに勤め、付属の音楽学校の
校長まで努めている。
その義兄が、そう言った。

 「会社には、役職退職というのもあってね……。首切りや、リストラ
という段階で、それまでの友情などあっても、粉々に破壊されるよ」と。

 友情すら、育たないという。
いわんや、生きがいをや、ということか。

●無私、無欲

 仕事にもよるが、要するに、(稼ぎのためにした仕事)というのは、
老後の(生きがい)には、つながらないということ。
そう断言するのは危険なことかもしれないが、幻想をもつことは禁物。
わかりやすく言えば、(生きがい)は、個人として、長い時間をかけて、
作りあげていくもの。
しかも無私、無欲でなければならない。
功利、打算が入ったとたん、(生きがい)は霧散する。

 もちろん地位や名誉のためであってはいけない。。
仮にそれがあるとしても、地位や名誉は、あとからついてくるもの。

●偽善

 偽善で身を飾る人は、少なくない。
たいていどこかのボランティア団体に属し、肩書きを並べる。
そしてことあるごとに、それを他人に吹聴する。
「今度、○×NPOの、理事になりましてね」と。

 しかし本気でボランティア活動をしている人は、静か。
私財を投げ打ちながらも、それを人に語ることもない。
私は生涯において、そういう人に、何人か出会っている。
一方、こんな女性(当時、60歳くらい)もいた。

●インチキ

 その女性は、こう言った。
「近所に独居老人がいて、私、見るに見かねて、そういう老人たちを
週に1度、家庭訪問しています」と。
ときには、そういった老人のために、終日、車を走らせることも
あるという。

 私は、感心した。
しかしその女性が、自分の実母の介護をすることになった。
そのとたん、化けの皮がはがれた。
どうはがれたかは、今さらここに書くまでもない。
よくあるケースである。

●悪人

 ボランティア活動に生きがいを見出す人は、多い。
しかしそういう人には、歴史というものがある。
そこにいたる、実績というものがある。
ホームレスの世話をしたとか、孤児のめんどうをみたとか。
そういう実績もないまま、いきなり王手をかけてくる。
そういう人は、偽善者とみてよい。

 中に、「何もしない人より、まし」と思う人がいるかもしれない。
しかし偽善者は、何もしない人より、悪人。
タチが悪い。
弱者を食い物にするという点で、タチが悪い。

●とにかく……!

 話が脱線したが、老いた人が、(自分探し)をするのは、
本当にたいへん。
今、それを実感しつつある。
こんなにたいへんなものだとは、予想さえしていなかった。
毎日、どう生きるか、それを考えるだけで精一杯。
「何かをしなければならない」というところまではわかるが、
その先が見えてこない。
だから結局、毎日が、毎日の繰り返しになってしまう。

 今、ふと、若いころ、シドニーのキングスクロスで見た、
ミュージカル『ヘアー』を思い出した。
それについて書いた原稿を、ここに載せる。
それを載せて、この話は、おしまい。
とにかく、私は、がんばるしかない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもに生きざまを教える法(懸命に生きてみせろ!)

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。

 たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

 それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。

 『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

 言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。

 あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 キングスクロス ヘアー ミュージカル) 

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