2010年3月5日金曜日

*Magazine March 5th

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 3月 5日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子ども手当て(改)

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「子ども手当」が支給されるという。
当然のことである。
そんなことは世界の常識。
今さら、おおげさに騒ぐような手当てではない。

それに対して、鳩山首相は、「給食費
などの未納があるばあいには、相殺
できる仕組みを検討するという考えを
示した」(中日新聞・2010・1月31日)と。

ハア~~~?
とんでもない!
とんでもない(考え)である!
どうとんでもないかは、
私のエッセーを読んでもらえれば、
わかるはず。

++++++++++++++++

●給食費の未納問題

 給食費の未納問題については、たびたび書いてきた。
給食費を払えない、あるいは払わない家庭がふえている。
しかしそれはそれ。

 こういうケースのばあい、(給食費を払えるが、払わない家庭)を前提に考えてはいけな
い。
(本当に給食費を払えない家庭)を前提に考える。
給食費を払えるのに、払わないというのは、たしかにずるい。
そういう家庭を前提に考えるなら、子ども手当で相殺させるという方法もある。
しかし本当に給食費を払えない家庭もある。
払いたくても、払えない家庭もある。
そういう家庭にまで、子ども手当で給食費を相殺させるというのは、明らかにまちがって
いる。
貧しい人たちを、さらに貧しくする。
本当に助けを必要としている人たちを、見捨ててしまう。

●相殺

 子ども手当というのは、子どもをもつ家庭を助けるためのもの。
そういう趣旨で与えられる。
欧米では常識化している。
が、その子ども手当で、給食費を相殺させるなどという話は、聞いたことがない。
ないというより、非常識。
どうして給食費なのか?

 子どもを育てるには、それなりのお金が必要。
衣食費はもちろん、そのほかもろもろの費用が必要。
何も給食費だけが、費用ではない。
もろもろの費用の、ほんの一部でしかない。
もしこんな論理がまかり通るなら、子ども手当は、ほかのあらゆるものと相殺されること
になる。

 学校施設費と相殺する。
テキスト代と相殺する。
交通安全費と相殺する。
通学保険費と相殺する。
修学旅行費と相殺する、と。
「相殺」ということになれば、いくらでもそのワクを広めることができる。

●役人の人件費

 給食費を払えるのに、払わない家庭もある。
が、だからといって、払いたくても払えない家庭までいっしょくたにして、相殺するとい
うのは、先にも書いたように、まちがっている。
してはいけない。

 もしこんなことがさらに常識になってしまえば、今、給食費を払っている家庭まで、払
わなくなるかもしれない。
「子ども手当で相殺してください」と。

 そういうことにでもなれば、さらに事務手続きは煩雑になる。
その分だけ役人の仕事がふえる。
役人の数がふえる。
その分だけ、税金が無駄づかいになる。

 ドイツでは、一律、何の制約もなく、チャイルド・マネーを支給している。
最長、子どもが27歳前後になるまで支給している(「27歳」というのは、10ほど前の
データ)。
フランスでも、そうしている。
その方がわかりやすい。
事務も簡素化し、役人に与える人件費も安くつく。
で、子どもをもつ親が、そのお金をどう使おうが、それは親の勝手。
たかが1万3000円程度(初年度)の話ではないか。
そのお金で、「給食費と相殺する」だと?
バカげている!

●貧乏論
 
 貧乏人と金持ちのちがいは、ほんの紙一重。
貧乏な人は、働いても働いても、お金のほうから先に逃げていく。
一方、金持ちの人は、遊んでいても、向こうからお金が飛び込んでくる。
しかも桁(けた)がちがう。
2桁も3桁もちがう。

 で、金持ちの人たちは、「貧乏な人は、もっと働けばいい」と言うかもしれない。
しかしここにも書いたように、働いても働いても、どうにもならない。
すべてが空回りする。
空回りに振り回される。
一度、そういう状態になると、働く意欲さえ、消え失せる。
それが悪循環になって、貧乏な人は、ますます貧乏になっていく。
つまり貧乏というのは、その人の責任ではない。
「歯車」の問題。
今、この文章を読んでいるあなただって、いつなんどき、その歯車が狂うかもしれない。

 言うなれば、「給食費と相殺させる」というのは、貧乏が何であるかも知らない、どこか
のドラ息子の発想。
親から何十億円という小遣いをもらいながら、みじんも恥じない、どこかのドラ息子の発
想。
悲しいかな、鳩山首相は、貧乏というものが、どういうものか、まったくわかっていない。

●役人根性

 日本ほど子どもに対する社会保障費の低い国はない。
「アメリカと同程度」と反論する人もいるかもしれないが、アメリカでは、その分だけ、
奨学金制度が発達している。
大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通っている学生など、さがさなければならな
いほど、少ない。
つまりこの日本では、それすらも、親の負担。
『子、大学生、親、貧乏盛り』(はやし浩司)という。

 むしろ逆で、子どもをもつ親を、国はもっと保護、助成、補助すべきではないのか。
たった1万3000円程度の子ども手当を、おおげさに「手当」と言って騒ぐ。
騒ぐだけならまだしも、そのお金で給食費を相殺させる。
こんな残酷な話が、どこにある?
(給食費を払えるのに払わない家庭があること)を理由に、(払いたくても払えない家庭)
の人たちを、これ以上苦しめてはいけない。

 だいたいこうした発想そのものが、役人的。
一方で「払う」と言っておきながら、「取れるところからは、目一杯、取ってやろう」と。
だったら、せめて給食費くらい、全額無料にすればよい。
役人の数を、数パーセント減らせば、その人件費だけで、給食費は無料にできる。
(役人の人件費は、年間約38兆円。1%、役人を削減すれば、それだけで、3800億
円、浮かぶ。)

私が小学生だったころには、学校の給食だけが、(栄養源)だった。
ごちそうだった。
あのころの日本がもっていた(温もり)は、どこへ消えたのか?

●弱者にやさしい社会

 その社会の完成度は、弱者にいかにやさしいかで決まる。
弱者にやさしい社会を、豊かな社会といい、「国」という。
GDPではない。
モノの豊かさではない。
心。
(やさしさ)だ。

 今度の鳩山首相の発言には、その(やさしさ)がない。
がっかりしたというよりは、「なるほどなあ」と、へんに感心してしまう。

 いいか、鳩山首相、子ども手当など、いじってはいけない。
いわんやそれで相殺などと、考えてはいけない。
「どうぞ、お父さん、お母さん、自由に使ってください」と言って、親に渡す。
「子育てはたいへんですね。お金もかかることでしょう」と言って、親に渡す。
それが子ども手当。

 その趣旨を踏みはずしてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子ども手当 子供手当 手当て)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【息子に対するいじめ】

【OMさんより、はやし浩司へ】

++++++++++++++++++++

小学6年生の男児に対する、いじめについて
相談が届いています。
もうすぐ卒業式。
何とか笑って卒業できれば・・・と、
母親のOMさんは悩んでいます。

++++++++++++++++++++

はやし浩司さまへ

内容が具体的なので、くれぐれも住所・年齢・家族構成がわからないようにお願いします。

以前、娘のことで何度か相談しお世話になりましたN県N市の、OMです。
今回は、もうすぐ中学生になる息子のことで相談したく、パソコンを開きました。

これまで娘のこと(学校でおとなしい。自分が出せない・・・)で悩むことが多く、息子
に関しては、仲良しの友達もいて、先生からも誰とでも仲良くすると聞いていたので、全
く心配していませんでした。

最近、娘のほうは落ち着いてきて、相変わらずおとなしいけれど、自分なりに楽しく家で
も明るく学校の話をするようになり、ホッとしていました。
その矢先、今度は、息子が・・・

ある日、突然、
仲良しグループから仲間外れにあっていると、言い出したのです。

原因は何度考えてもわからない。
いつものように、休み時間に友達のところへ行くと、まるで息子が居ないかのように仲良
く話しをしたり、昼休みも息子を無視して外へ遊びに行ったり・・・。

掃除の時間は仲良しグループの子と一緒なのですが、息子と二人のときは普通に話すけれ
ど、終わると、また無視して、他ところへ行くそうです。

息子は初めのうちは何事もなかったように話しかけたりしていましたが、反応があまりに
も嫌われていると、わかるので今では自分からは話しかけていません。
たまにそのグループの子から「バイバイ」程度のことは言ってくれるようですが・・・。

最近、息子は1人が少し慣れたのか、休み時間は、1人で本を読んだりして過ごしていま
す。
登校を嫌がることは、今のところありません。

今のところ親友がいるので、心強いのですが、その親友の子にも共通の友達がいるので
いつか、親友にも無視されるのではないかと、息子は心配しています。

このまま、原因もわからず、仲間外れにされたままで、息子は大丈夫でしょうか?
グループの子になんで無視するの?、っと聞くと、余計にややこしくなったりするから聞
きたくない。どうせ、嫌われているならもう関わりたくないと、言っています。

もうすぐ卒業式。
笑って卒業できないことがくやしいです。

なんとか仲良くもとに戻ってほしいのですが・・・

息子は、少し人の気持ちを考えずに思ったことを話すところがあり、友達には「もし、悪
いところがあったら直したいから言ってよ」などと、仲良し子に対しては何でも話します。
でも、ちょっと苦手な子がくると、仲良しの子がいても、みんなで楽しく遊んだりできな
いタイプだと思います。

4月から中学になります。
違う地区からも、生徒がきます。
そこで新しく友達ができるといいのですが。

まとまりのない文章になってしまいましたが、今、息子に対して、家族としてしてあげる
ことはあるでしょうか?

【はやし浩司よりOMさんへ】

●加害意識と被害意識 

 加害意識と被害意識。
いじめを考えるときは、まずこの2つに着目しなければなりません。
むずかしい問題ですね。
「害を与えた者は、害を受けた者の心の痛みが理解できず、いつも害を過小評価する」。
あるいは「害を与えた者は、害を受けた者がそれをいつまでも覚えていることに気づかず、
すぐそれを忘れてしまう」。
わかりやすく言えば、いじめる側には、それだけの加害意識がないということ。
この意識のズレが、害を受けた人の心の傷を、さらに大きくします。
子どもの世界では、とくにそうです。

 私もよく(いじめの現場)を、直接見ることがあります。
しかしそういうとき、どこまでが(遊び)で、どこから(いじめ)なのか、よくわからな
いというのが、実情です。
私の目の前で、堂々と、それをしますから・・・。
しかもそのときは、双方が、むしろ笑いあいながら、それをしている・・・。

あとになって、親のほうから、「いじめられた」という報告をもらってはじめて、「ああ、
あのときがそうだったのか」と知ったりします。

 しかし(いじめる側)にとっては、(遊び)でも、(いじめられる側)にとっては、(遊び)
ではない。
そのつど(いじめられる側)は、大きく傷つきます。

●いじめ

 OMさんの息子さんが、そうだというのではありません。
しかし(いじめる側)と、(いじめられる側)は、いつも一方通行というわけでもありませ
ん。
べつの場面では、(いじめる側)が、いじめられ、一方、(いじめられる側)が、(いじめの
側)に回ったりします。
あるいはいじめられる前に、いじめのグループに入り、(いじめの側)に回ったりします。
子どもにとっての「仲間」というのは、そういうもので、仲間を作ることによって、自分
にとって居心地のよい世界を作ろうとします。
その仲間意識を維持するために、意味のない(いじめ)を繰り返すこともあります。
この時代の子どもたちを総称して、「ギャング・エイジ」と呼ぶのも、そういう理由からで
す。

 わかりやすく言えば、「善や道徳の通ずる世界」では、ないということです。
たとえば(いじめる側)は、その意識もないまま、面白半分で、それをしたりします。

つまり私たちおとなが考えるより、(いじめの問題)は、はるかに複雑ということです。
しかもどこか動物的。
もちろんだからといって、いじめを肯定しているのではありません。
どうか、誤解しないでください。

●では、どうするか?

 (いじめの問題)は、常に(いじめられる側)の立場で、(いじめられる子どもの心)の
救済だけを考えて対処する。
これは大原則です。
(いじめる側)が、いくら「いじめていない」と言い張っても、(いじめられた側)が、そ
れだけつらい思いをしているなら、(いじめ)があるという前提で対処します。
またそういう前提で、子どものいじめを考え、(いじめられる側)の救済にかかります。
もし(いじめる側)に、加害意識がないなら、それをわからせるまで、徹底的に指導しま
す。
これも大原則です。

 しかし実際には、指導の仕方をまちがえると、かえっていじめを陰湿化させてしまうこ
とにもなりかねません。
水面下にもぐらせてしまうこともあります。
嫉妬やひがみがからむと、さらにそうなります。
そこでもうひとつの大原則があります。

 大切なことは、子どもが楽しく通学すること。
そのためには、折れるところは折れ、妥協するところは、妥協する。
この世界には、『負けるが勝ち』という格言もあります。
ほかの世界とはちがって、子どもの世界は、不合理のかたまり。
先にも書いたように、もともと道理が通ずるような世界ではありません。

 ですから、結局は、つぎのような結論になってしまいます。

(4) その範囲のいじめなら、親としてつらいところかもしれませんが、子どもを慰め、
励ましながら、様子をみる。
(5) その範囲を超えたら、一に、担任の先生に相談です。仲のよい友だちがいたら、そ
の友だちの親に相談するのも大切なことです。
(6) さらにその範囲を超えたら、転校も視野に入れて、学校の先生に相談、です。

 ここでいう「その範囲」というのは、あくまでもその子どもの(心の状態)をみて、と
いう意味です。
いじめられることにタフな子どももいれば、そうでない子どももいるということです。

●列を作らない子どもたち

 話は変わりますが、今、この原稿を、沼津市のホテルの一室で書いています。
今朝は、市の医師会のほうで講演をすることになっています。
夕方、沼津市に着きましたが、駅での光景を見て、驚きました。

 一度新幹線で、JR三島まで来て、そこでローカル線に乗り換えて、沼津市へやってき
ました。
三島駅でのこと。
中学生や高校生たちで、ごったがえしていました。
が、驚いたことに、学生たちはそのあたりに、三々五々に集まっているといった雰囲気で、
列を作らないのです。

 私とワイフは、プラットフォームに書かれた数字を見ながら、そこへ並ぼうとするので
すが、どう並んだらよいか、かなり迷いました。
先回りして、割り込むこともできない。
かといって、どこが最後尾かもわからない・・・。

 「最近の若い人たちは、列を作らない」と、そんなことを知りました。
理由はいろいろ考えられます。

その第一、「急いで家に帰ろう」という意識が、希薄?
その第二、ルールを守らない。
その第三、立ち話を楽しんでいる。
その第四、早く乗って、座席に座ろうという意思がない(?)。

 どうであるにせよ、それでいて電車が到着し、ドアがあくと、ゾロゾロと車内へ入って
くる・・・。
ゾロゾロ、とです。
ダラダラ・・・かな?
もともと座席に座ろうという意識もないようで、席があいていても、そのまま立ち話を繰
り返しています。

 私たちの世代とはもちろん違いますが、おそらくOMさんたちの時代とも、違うのでは
ないでしょうか。
日本人が古来よりもっていた、(まじめさ)が、一本、抜けてしまったような印象をもちま
した。
つまり今、子どもたちが質的に変化しつつあります。
子どもたちというより、日本人が、です。

●暖かい無視

 さてOMさんの息子さんの件ですが、まだ(その範囲)にいて、(その範囲)でがんばっ
ているように感じます。
不登校ということでもないようですし、「関わりたくない」とがんばっています。
つまり(その範囲)で、息子さん自身が、懸命に処理しようとしているのが、文面からも
わかります。

 こういうときは、子どもの様子を見ながら、つまり暖かく見守りながら、「家庭は、そう
いう子どもの心を癒す場所」と考えて、無視するしかありません。
これを「暖かい無視」(野生動物愛護協会の言葉)といいます。
残念ながら、いじめのない世界はないし、いじめから逃げても、またつぎのいじめが、そ
こで待っています。
一方、子どもは、そういう世界を切り抜けることによって、たくましく成長していきます。
OMさんには、つらいことかもしれませんが、親のできることにも限界があるということ
です。
息子さんは、小学6年生ということですから、すでに思春期に入っています。
息子さんのほうは、とっくの昔に親離れしています。
そういうことも考えると、今、OMさんができることは、かなり限られてくると思います。

 そこで大切なことは、
(3) ここにも書いたように、家庭を(心を癒す場所)と考えて、思いっきり、ゆるめる。
(4) よき聞き役に回り、子どもの心を解放させる、です。

 生活態度がだらしなくなっても、「ああ、うちの子は、こうして心を休めているのだ」と
思い、それを許します。

 もちろん心の変化には、じゅうぶん、注意します。
とくに(その範囲)を超えそうなときには、注意します。

●シカト(無視)

 私も高校3年生のとき、今で言うシカトで、いやな思いをしました。
あるグループが、徒党を組んで、私を無視しました。
しかし私は、そんなヤワな人間ではありませんでした。
あるとき、その中の1人がもっていた、ギターをぶったたいて、壊してやりました。
相手は相手で、私をいじめていたという意識があったのかもしれません。
何も抵抗しなかったのを、覚えています。

 で、それから20年近くたったときのこと。
同窓会に出てみました。
で、そのグループが、当時のことを覚えているかなと、それなりに会話を交わしてみまし
た。
が、だれにもその意識がないことを知りました。
つまりまったく平気な顔をしていました。

 (いじめられた側)の私は、よく覚えていました。
今でも、よく覚えています。
しかし(いじめた側)は、何も覚えていない(?)。
それを知って、むしろ私のほうが、驚いたくらいです。

 言い換えると、私自身も、どこかで(いじめる側)で、だれかをいじめていたのかもし
れません。
気がついていないのは、私だけ、とです。

 だからメールでの様子からすると、息子さんをいじめているグループには、そういう意
識も希薄なまま、いじめているといった感じがします。
私があなたの息子さんなら、そういった連中は相手にしないで、マイペースで進むことだ
けを考えるかもしれません。

 その点、同じいじめでも、(もの隠し)や、(暴力)、(恐喝)とは、質がちがいます。
今は、様子を見られたほうがよいかもしれません。
「笑って卒業できない」、悔しさはよくわかりますが、別の見方をすれば、よい「転機」に
もなるのではないでしょうか。

 相手はただの子ども。
小学6年生。
そんな子どもを相手に、「悔しい」と思ってはいけません。
あなた自身の精神のレベルを下げてしまいます。

●小沢一郎の不起訴処分

 悔しいといえば、今の民主党。
反自民というよりは、反麻生の票が、どっと民主党へ流れ込んだ。
結果は、民主党のひとり勝ち。

 その結果が今。
結局、「秘書が勝手にやったことです」と言って、小沢一郎は、逃げてしまった。
検察側は、証拠不十分ということで、一連の小沢疑獄事件にはメスを入れないまま、不起
訴処分にしてしまった。

 悔しいといえば、悔しいですね。
最初から現場には、自分が出ないで、秘書たちを出させていた。
おそらくあとあとのことを考えて、そうしていたのでしょう。
つまり汚れ役は秘書たちにやらせて、自分は、奥から指示だけを出していた。
そして事件が発覚すると、「私は知りません」「秘書が勝手にやったことです」と。

 こういう事件が明るみになるたびに、政治家たちは、ますます巧妙になっていく。
やり方がズル賢くなっていく。

そこで「連座制」というのが生まれたわけですが、しかしこれは刑事訴訟法には、規定さ
れていない。
あくまでも政治家のモラルの問題というわけです。

 つまり私が言いたいのは、「上」がこのザマだから、どうしてその「下」がよくなるかと
いうことです。
いわんや、子どもの世界をや!

●OMさんへ

 話が脱線しましたが、あなたもそろそろ子離れを始めるときです。
「子離れ」というのには、2つの意味があります。

 ひとつは、あなた自身が、子どものことを忘れて、自分の人生を生きるという意味。
もうひとつは、あなたの子どもがじょうずに親離れできるように、子どもを仕向けるとい
う意味。

 さらに言えば、あなたがもっている(幻想)を、早く捨てること。
「私たちはすばらしい親子である」とか、「私は人一倍、愛情の深い親である」とかいう幻
想です。
こうした幻想は、かえって子どもの足かせになるだけで、子どもの自立ということを考え
るなら、好ましいことではありません。
子どもも、いつかそれを負担に思うようになるでしょう。
「お母さんは、お母さんで、勝手に生きてくれ」と。

 私もこの年齢になってはじめて気がついたことがあります。

 やっと子育てが終わって、ほっとしたとき、そこでドカッと待っていたのは、老後だっ
たということ。
老後の資金といっても、息子たちの学費で、使い果たしてしまっていますから、ほとんど
残っていません。
学費だけでは、ありません。
頼まれもしないのに、100万円単位のお金を、そのつど供出してきました。
が、息子たちには、感謝の「か」の字もない。
ないというより、その余裕がない(?)。
自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
というより、目一杯の生活をするから、余裕など、生まれるはずもない。
そんな感じです。

何というバカ親だったのかと、私もこの年齢になってやっと、思い知らされたというわけ
です。
いえ、息子たちを責めているのではありません。
「年老いた親を、どんなことをしてでも養う」と答えた若者は、28%しかいません(総
理府、2009年調査)。

イギリス人でさえ66%、アメリカ人でさえ、64%!
東南アジアの若者たちにいたっては、80~90%ですから、いかにこの数字が低いもの
か、わかっていただけると思います。

ここに書いた、「自分の人生を生きること」という言葉には、そういう意味も含まれていま
す。
ついでですが、どうか、参考にしてください。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●同窓会

++++++++++++++++++

近く、金沢市で、大学の同窓会がある。
ホテルの予約が取れ次第、「出席」の
ハガキを出す。

ビジネスホテルなら、いつでも予約できる。
しかしわざわざ金沢まで行って、ビジネス
ホテルはない。
ワイフも同行する。

++++++++++++++++++

●恨み

 金沢にも、(恨み)はある。
あるが、ほとんどが、食べ物の(恨み)。
食べたくても、食べられなかったものが、たくさんある。
貧乏学生だった私は、いつもこう思った。
「いつか、金沢へ来たら、それを食べてやろう!」と。

 その第一が、カニ料理。
ゴリ料理。
それにフグ料理、などなど。

 今度金沢へ行ったら、フグ料理を食べてやる!
昔からこう言う。
「食べ物のうらみは、大きい」と。

●ひもじさ

 今の若い人たちは、(貧乏)というより、(ひもじい)という言葉を知らない。
人生の底辺を知らない。
そこに(豊かさ)があるのが、当たり前と思いこんでいる。
しかしこんな(豊かさ)など、薄い氷の上の楼閣。
私たちの世代は、それをよく知っている。
だから生き様そのものが、謙虚。

1万円あれば、そのうちの5000円は横にのけ、残った5000円で生活する。
が、今の若い人たちは、私たちの世代とは、生き様そのものが、ちがう。
目一杯の生活をしてしまう。
さらに借金までして、2万円とか3万円の生活をしてしまう。

●自業自得 

 「ぼくたちは子どものころ、腹一杯、ご飯を食べることもできなかった」と言う。
すると今の若い人たちは、「そんなのは、あんたたちの問題だろ。勝手に戦争を始めて、負
けたのだから、しかたないだろ」と。

 若い人たちは、「自業自得」という言葉をよく使う。
私も何度か、そういう会話の中で、言われた。
息子たちにも、言われた。
今、そこにある(豊かさ)を見ながら、あたかも自分たちが作ったものであるかのように
錯覚している。

 しかし(あるのが当たり前)という生き様と、(ないのが当たり前)という生き様は、基
本的な部分で、ちがう。
たとえば息子たちの学費にしても、私は惜しみなく提供してきた。
それだけ経済的に余裕があったからではない。
働いた。
懸命に働いた。
その中から、自分たちの(身)を削って、提供してきた。

 私の息子たちは、ごくふつうの子どもたちである。
そんな息子たちでさえ、そうした苦労に、感謝の念をもってるかと言えば、残念ながら、
まったくない。
ついでに中学生や高校生にも、聞いてみた。
私の生徒たちである。
しかしみな、同じ。
最初から最後まで、「親が学費を出すのは、当たり前」と考えている。

 これも今の若い人たちに言わせれば、「自業自得」ということになるのか。

●2人ぼっち

 気がついてみたら、そこにいたのは、ワイフだけ。
ワイフにしても、そうで、ときどき、ふと、こう言う。
「2人ぼっちね」と。

 「お前は、さみしくないか?」と聞くと、ワイフはいつも決まってこう言う。
「私はこうなることは、ずっと昔からわかっていたから」と。

 そういう点では、私は親バカだった。
自分のしていることが、見えなかった。
視野が狭かった。

 ともかくも、ここで親バカ廃止宣言!
「これからの人生は、自分たちで楽しもう」と言うと、ワイフも、すんなりと同意してく
れた。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●おかしな投票(日本相撲協会の理事選挙)

+++++++++++++++++

相撲協会が、理事選挙を行った。
その結果を、まずよく見てほしい。

■理事選の各候補得票数

武蔵川 ・・・11票
北の湖 ・・・10票
出羽海 ・・・10票
放駒  ・・・11票
ニ所ノ関・・・11票
大島  ・・・ 8票(落選)
友綱  ・・・10票
陸奥  ・・・10票(新任)
鏡山  ・・・10票(新任)
九重  ・・・10票
貴乃花 ・・・10票(新任)

投票は、111人の評議員
(親方107人、力士2人、立行司2人)によって、
無記名で行われた。

++++++++++++++++

●まちがいさがし

 「まちがいさがし」という遊びがある。
2枚の絵を見比べながら、まちがいをさがす。
で、そのまちがいさがしをするような気持ちで、この投票結果をよく見てほしい。
何か、おかしい?
どこか、おかしい?

 投票は、無記名でなされたはず。
「投票」ということは、「投票」。
選挙である。
しかしこんな選挙があるか?
土建業者の談合でも、ここまではしない。

●インチキ選挙

 落選した大島は、8票。
が、残る1人は、全員、11票か10票!
きれいに、11票か10票!

 今回の選挙で注目されたのは、貴乃花。
当初、貴乃花を支持を表明したのは、親方6人だけと言われていた。
が、フタをあけてみたら、10票!
この票の動きも、どこか不自然。
もっと言えば、うさんくさい。

 あらかじめ支持を集めながら(?)、理事候補者たちが立候補した。
それはわかる。
しかし結果は、先に書いたとおり。

●闇の奥の日本相撲協会

 日本の相撲協会ほど、闇に包まれた協会はない。
巨額のお金が、その闇の奥で、乱舞している(?)。
ときどきその一端がマスコミに流れ、世間を騒がす。
それはそれとして、こういう選挙結果を見ると、相撲協会とは、いったい何なのか?
さらに踏み込んで言えば、国技とは何なのか?
そこまで考えてしまう。

 そこでさっそく、小学生を中心に、50人ほどの子どもたちに聞いてみた。
「相撲を見ている人?」と。
答は、ゼロ!
「相撲が好きな人?」と。
答は、ゼロ!

 にもかかわらず、NHKだけは、BS放送で、午後1時半前後から夕方6時前後まで、
いつも実況中継している。
NHKと相撲協会は、会長職でつながっている。

 「国技」ということは、わかる。
が、もちろんスポーツではない。
何も、ここまで保護しつづけなければならない理由などない。

 日本相撲協会の理事選挙の結果を見ながら、いろいろと考えさせられた。
つぎの選挙は、(今回が4期8年ぶりだったということを考えるなら)、8年後ということ
になる。
そのときは、もう少し自然な(?)、投票結果になるかもしれない。
こんなインチキ臭い選挙は、見たことがない。
聞いたこともない。
私が書いていることがおかしいと思うなら、もう一度、あなた自身の目で、「まちがいさが
し」をしてみてほしい。
もう一度、選挙結果を、よく見てほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 相撲協会 日本相撲協会 理事選挙)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●2月1日

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今日から2月。
とくに変ったことはない。
ないが、寒い。
また肌寒い冬に逆戻りしたよう。
霧のような小雨が、音もなく降りつづいている。

で、昨夜、『ラブリー・ボーン』という映画を、劇場で観てきた。
星は2つか3つの、★★。
残虐な殺人事件と、天国の美しさを対比させた映画だった。
その(落差)が激しすぎて、私はついていけなかった。
たとえて言うなら、高級レストランで料理を食べていたら、隣の酔っ払いが
ゲボを吐いた。
ゲーゲーと吐いた。
それをがまんしながら、料理を食べた。
そんな映画だった。

観ているうちに、気分が悪くなった。
頭の中がバラバラになってしまった。
だから星は、2つ。
天国の描写はすばらしかったが、その(すばらしさ)を、映画として
生かせなかったものか・・・?
たとえば殺人事件ではなく、主人公の少女が病気か何かで、他界する。
事故でもよい。
それを悲しむ家族とのやりとりを主題にする。
そういうストーリーも考えられたはず。
そういう意味では、残念・・・というより、
監督の理性を疑わせる映画だった。
つまり期待はずれ。

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●民主党の小沢一郎幹事長

 人間が本来的にもつ醜悪さを、凝縮したような政治家。
それが民主党の小沢一郎。
地位もある、名声もある、力もある。
しかし心は、ドロドロ。
ドロドロに腐っている。
ほかの世界に住んでいる人には、それがわからないかもしれない。
しかし私のように、(子どもの世界)に住んでいる者には、それがよくわかる。
(だからといって、私の心が清純というわけではない。誤解のないように。)

実際、あの時折表情に出す、不遜な笑みを見ていると、吐き気すら覚える。
あれを見て、小沢一郎が、善人と思う人は、まずいないだろう。
(悪人とはかぎらないが・・・。)
その小沢一郎が、「4億円は知人に借りたもの」と発言を変えた(10年2月1日)。
今までの説明では、つじつまが合わなくなったらしい。

つまり出所のわからないお金が、先に現れた。
銀行から4億円の融資を受けたのは、そのあと。
本人としては、うまくごまかしたつもりだったのかもしれない。
しかし4億円である。
動けば、かならず、足跡が残る。

で、その知人とやらは、今は亡くなっている、とも。
「死人に口なし」というわけ。

 ずるいぞ、小沢一郎!

●講演旅行

 この先、1週間の間に、3か所で講演をすることになっている。
1か所をのぞいて日帰りは無理なので、先方で一泊する。
ワイフが同行してくれる。
ワイフは、私の体を心配する。
一方、私はワイフのボケを心配する。
あちこちへ旅行することは、ボケ防止になるのだそうだ。

健康にもよい。
ワイフはいつも歩数計をもっていく。
それを見ながら、「今日は、1万2000歩も歩いたわ」と喜んでいる。

 今は、それが楽しい。
いつまでつづくかわからないが、・・・つづけられるかわからないが、今は、がんばる。
がんばるしかない。
先のことは考えない。
そのときは、そのとき。
今のこの時代を思い出して、「ああ、あのころは楽しかったね」と言えれば、それでよい。

●別居問題

 Dさんの夫は、歯科医師。
1人息子。
岐阜市で開業して、10年になる。
しかしDさん(嫁)は、Dさんの母親(姑)と、たいへん仲が悪い。
表立った喧嘩こそしなかったが、陰湿ないがみあいがつづいた。
Dさんは、私の遠い親類にあたる。

 Dさんは、「別居か、さもなければ離婚か」と、夫に迫った。
Dさんにとっても、限界だった。
精神状態も不安定になった。

Dさんの夫は、迷った。
というより、その板ばさみになった。
苦しんだ。
で、結論は、両親との別居。
不動産屋に相談。
で、その日のうちに、中古マンションを購入。

 こういうケースのばあい、Dさんの母親(姑)にしてみれば、「息子を取られた」
ということになる。
Dさんの夫にしてみれば、「親を捨てた」ということになる。
一方、Dさんだけは、ルンルン気分(?)。
その日のうちに、私に連絡があった。
メールだったが、それがわかった。
「その日」というのは、家を購入した日。

 若いころの私なら、全面的にDさんを支持しただろう。
しかしこの年齢になると、親(姑)の気持ちも、よくわかる。
親(姑)も、さぞかし、さみしい思いをするだろうな、と。
言い忘れたが、Dさんには、3人の子どもがいる。
上から小2(男児)、年長女児、そして2歳になる女児。
親(姑)にすれば、3人の孫ということになる。

「よかったですね」とDさんに言いつつも、別の心で、「この先、まだ問題は
つづくだろうな」と思った。

 で、ついでに一言。

嫁と親(姑)で、夫(息子)を取りあうようなケースでは、親(姑)には、
まず勝ち目はない。
夫がマザコンであるとか、どちらかに不倫問題のようなものがあれば話は別だが、
夫(息子)は、親を捨て、嫁(妻)を取る。
「捨てる」という言い方は適切ではないかもしれないが、親(姑)にすれば、「捨てる」
という言い方になる。
つまり「別居か、さもなければ離婚か」ということになれば、夫(息子)は、別居を選ぶ。

 だからこの文章を読んでいるあなたが、親なら、最初から息子には、期待しないこと。
そういう前提で、子育てを組み立てる。
 
●薄情

 昔は、「薄情」と言った。
今は、「ドライ」という。
そのドライが、日本人の心になってしまった。
みながみな、ドライになってしまったから、他人のドライさがわからない。
自分のドライさも、わからない。
ドライになりながら、それが「ふつう」と思い込んでいる。
世界の常識と思い込んでいる。

 こうしたドライさは、外国の人たち、とくにオーストラリア人と比べてみると、
よくわかる。
あるいは受験期前の子どもたちと比べてみると、よくわかる。
ときとして自分自身のドライさに、ア然とするときがある。
いつの間にか、私自身も、そうなってしまった。
いつも心のどこかで、損得の計算をしている。

 が、私にも言い分がある。

 私はもともと、お人好し。
いつも人に、裏切られてばかりいた。
そういう私を見て、ワイフは、こう言う。

「あなたはいつも、相手がそれを望んでいないのに、やりすぎるのよ」
「だからキズつくのよ」と。

 そう、私は若いころから、そういう人間だった。
今も、そうかもしれない。
そんなわけで、心はボロボロ。
この日本で生きていると、そうなる。
お人好しで生きれば生きるほど、そうなる。
人と人が、(金)だけでつながっている。
「金の切れ目が、縁の切れ目」?
たとえば被害者は私のほうなのに、加害者のほうから、逆恨みされる。
そういうこともある。

 こうなったら、あとは静かに生きるだけ。
どうせ人生も短い。
平均寿命まで、16年を切った。
健康寿命まで、6年を切った。

 ドライになるのもいや。
だったら、この日本から、一歩、退いて生きるしかない。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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