2010年3月29日月曜日

*Active Learning

【Active Learning & 考える教育】

●春休み

 春休みになって、ひとつ心がけていることがある。
「遊ぶ」こと。
思い立ったら、即、実行!

 ……ということで、昨日は、掛川にある「つま恋・リゾートセンター」で一泊した。
が、寝苦しかった。
夜中に何度も、目が覚めた。
このままだと、今日の昼までもたない。
家に帰ったら、そのまま昼寝。

●近況

 ……おととい、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)の原稿を書かせてもらった。
子育て相談に関する原稿。
そのあと、TK先生から、Active Learningについての資料がないか、
問い合わせのメールが入った。
Active Learning(アクティブ・ラーニング)。
はじめて聞く言葉だが、意味は、すぐわかった。
要するに「実体験を伴った教育」をいう。

YOUTUBEにひとつ、こんなパロディが載っていた。
子どもに「火」を教える。
そのとき子どもは、マッチを使い、何かを爆発させる。
子どもは火傷(やけど)を負う。
子どもは火(fire)の意味を知る。
「これがActive Learning」と。

 もちろんパロディである。
もちろん実際に、こんな教え方をしてはいけない。
が、これからの教育のひとつの方向性を示している。
具体的に、実体験をさせながら、ものごとを教えていく。
わかりやすく言えば、子どもを教室に閉じこめておくのではなく、教室から
子どもを外の世界へ連れ出し、そこでものを教えていく。

●考える教育

 ついでに、「考える教育」について。

 子どもによって、何か新しい問題を出したとき、大きく2つに分かれる。
ひとつは、自分の学習経験に照らし合わせて、「まだ習ってない」「できない」と逃げて
しまう子ども。
もうひとつは、「やってやる」「やらせて」と、食いついてくる子ども。
この(食いつき)を、私はそのまま「食いつき」と呼んでいる。

 「食いつき」のある子どもは、すばらしい。
「食いつきのない」子どもは、教えていても、つまらない。
学習態度が、万事、受動的。
つまりpassive(パッシブ)。
言われたことはやるが、そこまで。
発展性がない。
どこか自分勝手。
私は、そういう子どもを、「満腹児」と呼んでいる。
何もかも満たされているため、ガッツ(=野生味)がない。

 そこで重要なことは、いかにすれば、その「食いつきのある子ども」に
することができるかということ。
以前、「満腹児」について書いた原稿をさがしてみた。

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2006年の原稿より。

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●満腹児

 「こうであってほしい」と思う描く自分。しかしそこには、現実の自分がいる。この両
者のギャップが大きいとき、そこから「渇望感」が生まれる。

 この「渇望感」のでわかりやすいのが、性欲。フロイトも、リビドーという言葉を使っ
て、それを説明している。「性欲こそが、生きるためのすべてのエネルギーの根源である」
と。

 性欲が、ムラムラと起きてきたとき、そこに性のはけ口としての、相手がいれば、その
時点で、性欲は解消される。しかし相手がいないとき、相手をもとめられそうにないとき、
渇望感は、さらに強くなる。

 渇望感は、性欲だけには、かぎらない。しかしこの渇望感が、姿を変えて、外の世界に
向っては、「欲」となって現れる。

 名誉欲、金銭欲、支配欲、独占欲などなど。

 そういう意味で、「欲」があるからこそ、人は自分らしさを保つことができるのかもしれ
ない。食欲にたとえていうなら、空腹感という渇望感を満たす、食物のようなもの。欲が
あるから、人は生きられる。

 しかしこの渇望感を、悪と考えてはいけない。渇望感は、性欲にかぎらず、その人を動
かす原動力となる。子どもの世界にも、「満腹児」(この名称は、私がつけた)と呼ばれる
子どもがいる。

 あらゆる面で満たされているため、渇望感がない。そのため、いつも満足げで、おっと
しりしている。欲がないというというだけではなく、生活力もない。ハキもない。

 子どもをじょうずに伸ばすためには、子どものどこかに、この渇望感を用意するとよい。
実際、伸びる子どもというのは、あらゆる方向に触覚がのびていて、好奇心が旺盛である。

(はやし浩司 渇望感 欲 欲望 欲望 満腹児  Active Learning 食いつき 子どもの積極性 考える子ども 独立して考える) 

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●この日本では……

 この日本では、子どもを批判的に評価する方法は、一般化している。
つまり後ろ向き。
たとえばやる気を示さない子どもについては、「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」
「無気力児」などなど。
そういったいわゆる診断名らしきものをつけたあと、教育を考える。

 一方欧米では、ものの考え方が前向き。
言うなれば(できる子ども)を、さらに伸ばすには、どうしたらよいかという観点で
教育を組み立てる。
つまり「勉強ができない子どもがいてもよいではないか。
そういった子どもは、別の方面で、別の才能を伸ばせばよい。
それよりも、できる子どもを、さらに伸ばしてやろう」と。
そういう発想が強い。

 一方、この日本では、伝統的に、「落ちこぼれ」を嫌う。
たとえば子どもがズルをして、学校を休んだとする。
すると学校(幼稚園)の先生は、「後(おく)れる」という言葉を平気で使う。
後れる?
つまり一定のワクの中に、子どもを押し込もうとする。
(もちろん、出る釘も叩くが……。)

 で、こうしたちがいが、大きく現われているのが、Active Learning
ということになる。
「能動指導」とでも訳すのか。

 私もTK先生に教えてもらったばかりだから、中身はよくわからない。
これからしばらく、この問題について考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 アクティブ教育 能動教育 能動指導 active learning active education)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

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