2010年3月10日水曜日

*Magazine (March 10th)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 3月 10日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【福音(神の国)の世界】

●選択

+++++++++++++++++++

私たちはそのつど、自分の人生を
選択しながら、生きている。
「あっちへ行くか?」「こっちへ行くか?」と。
映画『DR. ペルナサスの鏡』の中に出てくる
台詞(せりふ)である。
で、地獄に落ちたDR.ペルナサスは、
地獄をさまよい歩きながら、最後にこう叫ぶ。
「もう選択はいやだ!」と。
とたん、彼は地獄から解放され、現実の世界へと
引き戻される・・・。

+++++++++++++++++++

●人生論

 「私」のまま、私の人生を生きている人は、いったい、どれだけいるだろうか。
「これが私の道」と、その道だけを信じて、まっすぐ進んでいる人は、いったい、
どれだけいるだろうか。

 たいていの人は、私も含めて、そのつど角にぶつかり、選択をしながら、生きている。
「あっちの道へ行こうか、こっちの道へ行こうか?」と。
毎日が、その連続といってもよい。
そしていつの間にか、自分の意思とは無関係に、まったく別の道に入ってしまう。
そういう意味では、善人も悪人も、紙一重。
成功者も失敗者も、紙一重。
大きくちがうようで、どこもちがわない。
それが人生。
私やあなたの人生。

●運命

 私たちの心と体には、無数の糸が、からみついている。
過去の糸、生い立ちの糸、社会の糸、仕事の糸、血縁の糸、そして家族の糸などなど。
「糸」が悪いというのではない。
ときに、その糸に励まされ、生きる目的を与えられる。
心の安らぎを得ることもある。

 しかしその糸が、これまたときとして、私やあなたの体にからみつき、
私やあなたを、まったく別の世界に、導いてしまうことがある。
ばあいによっては、糸の奴隷となってしまうこともある。
それを「運命」と呼ぶなら、運命というのは、たしかにある。
「右へ行きたい」と思っていても、心と体は、左へと引っ張られてしまう。
運命というのは複雑な方程式のようなもの。
(今の私)が、その答ということになる。

●自由

 キリスト教というと、「愛の宗教」と考える人は多い。
しかしキリストは愛だけを説いたわけではない。
もうひとつ、「自由」を説いた。
「愛」を横軸とするなら、縦軸にあるのが、「自由」ということになる。
英語では、「liberation(解放)」という。
つまり魂の解放をいう。

 その解放とは何かということになれば、「選択と運命からの解放」ということになる。
私は、キリスト教の信仰者ではない。
これ以上のことはわからない。
が、キリストの説いた哲学は、まさに核心をついている。
なぜ私たちは生きているか。
なぜ私たちはここにいるか。
その答を示している。

つまり愛を横軸、自由を縦軸にして生きる。
それこそまさにキリスト教でいう、「福音の世界」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 自由 愛 愛と自由 魂の解放 福音の世界)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●兄の泣き声(改) 

+++++++++++++++++

今でも、ときどき兄の泣き声が聞こえてくる。
今日も聞こえた。
少し前も聞こえた。
兄は、父や母に叱られると、決まって二階の
一番奥の部屋にやってきて、そこで泣いた。

私とは9歳ちがうから、そのとき兄は、
20歳前後ではなかったか。
私が小学生のころである。

兄は手のひらで自分の鼻を下から、すくいあげる
ようにして泣いていた。
オーオー、オーオー、と。

「準ちゃん、何が悲しいのか?」と声をかけても、
兄は、ただ泣くばかり。
鼻水をたらたらと流しながら、ただ泣くばかり。

それは私にとっては、過去ではない。
遠い昔の話でもない。
今でも、兄は、そこにいて、泣いている。
今でも、その声が聞こえてくる。

それはつまり私の心の傷。
傷の声。
傷の泣き声。
オーオー、オーオー、と。

++++++++++++++++++

●心の傷

 私の心の傷は、いやされるのか?
それとも死ぬまで、その傷に苦しむのか?
一生、私は、それを背負って生きていかねばならないのか?
いつかは忘れることができるだろうと思っていた。
いつかは解放されるだろうと思っていた。
しかし心の傷は、そんな生やさしいものではない。
いつもそこにあって、ジワジワと私の心をむしばむ。
いつ晴れるともなく、心の壁に張りついている。

 言いようのない孤立感と焦燥感。
毎晩のように見る、悪夢。
いつも何かに追い立てられている・・・。

 だれに話すこともない、私の過去。
暗くて、ジメジメした、私の過去。
その過去が、今も、そこにあって、私を苦しめる。
今夜も、またワイフに言ってしまった。
「離婚してあげようか?」と。
ワイフはさみしそうな声で、こう答えた。
「本当に、そうしたいの?」と。

 本当は離婚など、したくない。
別れたくない。
しかし私は、自分の心をどうすることもできない。

だれにも心を許さない。
心を開かない。
そういう私で、さみしい思いをしているのは、ワイフ。
そのワイフを、私がからませている鎖から、解放してやりたい。
私がいなければ、ワイフが幸福になれる。
そんな思いから、私自身も私を解放することができない。

 心の傷というのは、そういうもの。
いつも私の中にいて、私を、裏から操る。
操りながら、私をあざ笑う。

 ああ、今日も聞こえる、兄の泣き声。
オーオー、オーオー、と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の傷 トラウマ 兄の泣き声)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●セキュリティーソフト

+++++++++++++++++++

パソコンに、セキュリティーソフトは、必需品。
そのセキュリティーソフト。
いろいろな製品が発売になっている。

以下、「Mr.PC」(vol.1、P121)に出ていた
記事を、そのまま掲載させてもらう。

+++++++++++++++++++

G DATA  ・・・99・80%(99・80%)・・・1時間に1回以上更新
avast   ・・・99・30%(98・30%)
F-Secure・・・99・20%(99・60%)
Norton  ・・・98・70%(95・40%)・・・15分おきに更新
・・・
McAfee  ・・・93・60%(94・50%)

SourcenextウィルスセキュリティーZERO・・・92・10%(94・0
0%)・・・週に6回更新

数値は、「マルウェアの検出率」、(かっこ)内は、アドウェア・スパイウェアの検出率。

++++++++++++++++++

 こうして並べてみると、一目瞭然。
しかも更新頻度にいたっては、メーカーによって、大きな差がある。
で、こう書くと、「Sourcenext社のウィルスセキュリティーZERO」の悪口に
なってしまうが、私は、7~8台のパソコンすべてに、同社の製品をインストールしてき
た。
が、あまりの低品質に驚いた。
(原稿の責任は、Mr.PCにとってもらう。)

現在12社から発売しているウィルスセキュリティーソフトの中でも、下から2番目。
しかも無料のウィルスセキュリティーソフトよりも、検出精度が低い(?)。
また「更新頻度は、無料のセキュリティーと同じ」(同誌)とか!

 この記事を読んだとき、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
「それなりにいいソフト」と思い込んでいた。
しかし検出度が、1%さがると、約10000のウィルスを見逃すことになるという。
もちろん99・99%だからといって、安心できるわけではない。
しかしそれにしても・・・。
「ZERO」の更新が、週に6回程度だったとは知らなかった。

 「更新料がいくらZERO」でも、これではZEROの意味がない。
ということで、今日、さっそく、パソコンのウィルスセキュリティーソフトを、購入。
すべて「G DATA」に乗り換えた。
かなりの出費と損失だったが、パソコンの健康には、代えられない。

●安全対策

 私のばあい、つぎのようにして、ウィルス(ボット)から、パソコンを守っている。

(1)仕事によって、パソコンを使い分けている。
(2)プロバイダーの、ウィルスチェック(有料版)を経由している。
(3)パソコン内部に、今回、「G DATA」を導入。
(4)あやしげなメールは即、削除。あやしげなサイトには、近づかない。

 とくに注意しているのが、私のウエブサイト(=ホームページ)。
ここにウィルスが仕込まれると、多くの読者に迷惑をかけることになる。
当然のことながら、頻繁に、ウィルスチェックを実行している。

 この世界でまずいのは、(知ったかぶり)。
パソコンの使い方に少し慣れてくると、あちこちに手を出す。
おかしなファイルをダウンロードしてみたり、動画サイトをのぞいてみたりする。
そのとき、つまり手を出したときに、ウィルスに感染する。
知らないなら知らないで、静かに、電気製品のひとつくらいに考えて、使う。
そうすれば、ウィルスに感染することはない。
私のワイフがそうだ。

 パソコンを立ち上げても、見るのはメールと、私や息子たちのサイト程度。
一通りみたら、そのままシャットダウン。
それでいつも、おしまい。
要するに、『触(さわ)らぬ神にたたりなし』。

●ウィルスへの認識

 実は、私も過去において、2度、ウィルスの侵入を許したことがある。
その人のパソコンにウィルスが侵入していて、ファイルを開いたとたん、こちらの
パソコンに感染してしまった。

 そのときのこと。

 Aさんは、私が電話でそれを報告すると、パニック状態になってしまった。
即座にパソコンを閉鎖し、パソコン自体をリカバリーした。

 Bさんは、やはり電話で連絡したのだが、まったく平気な様子だった。
罪の意識がないというか、「ぼくも被害者です」と言って、ヘラヘラと笑っていた。

 が、けっして笑ってすませられるような話ではない。
私はそのあと、1日かけて、パソコンをリカバリー(再セットアップ)した。
リカバリーが、いかにたいへんな作業であるかは、経験したことのある人なら、
みな知っている。
私はそのとき、つまりウィルスの侵入を知ったとき、体中に戦りつを覚えた。
ハラハラ、ドキドキしながら、リカバリーをした。

 ・・・ということで、ウィルス対策には、万全を期している。
先にも書いたように、パソコンの使い分けはもちろん、データ、ファイルは、そのつど、
コピーを取って保存している。
最悪のばあいをいつも想定し、いつでもリカバリーできる状態にしている。
ソフトを使って、ウィルス駆除という方法もあるが、私はこの方法を、信頼していない。
リカバリーが最善ということになる。
 
 要するに「安いからいい」と思って、値段の安いソフトを使ってはいけない。
(一方、値段が高いから安心ということでもない。
ちなみに、検出度1位の「G DATA」は、1年(1台分)で、4000円弱。
中には1万円以上もするソフトもある。

 「Mr.PC」誌は、こう書いている。
「結局な話、現時点での最強ソフトは、G DATA」(P122)と。
G DATAは、2本分のソフトの能力をもっている。
つまりソフト2本で、独立して、ウィルスをチェックする。
で、その乗り換え作業が先ほど、終了したところ。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●壊れる日本語

 今日、ある店で、たいやきを2枚買った。
1枚は、あずき。
これは私用。
もう1枚は、カスタード。
これはワイフ用。
そのときのこと、店の若い女性が、袋の詰めながら、こう言った。
「シタアンです」と。

 私は2度も聞き返した。
「シタアン?」
「どういう意味ですか?」と。
瞬間、ポルトガル語かとも思った。

 つまり「2枚重なっているが、下のたいやきが、あずきです」と。
私はそれを知ったとき、日本語そのものが、携端末機化していると感じた。
もちろん文章になっていない。
そればかりか、省略につづく省略。
つまりメチャメチャ。

 しかしこれも時の流れか?
携帯端末機世代がつぎの日本を背負うようになると、私がここに書いているような
文章は、消えてなくなるかもしれない。
たとえば、こうなる。

「・・・夕食まだ。おかず焼きそば。腹へった。油少し願う。ワイフ同意。私待つ」と。

 「それでいいのかなあ・・・?」と、かなり強い疑問を感じながら、たいやきを食べた。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日の講演(歴史の生き証人)

+++++++++++++++++++

これからN市の保険医師会主催の、講演会で
講師をすることになっている。

ドクターたちの集まりだから、その道の
専門家も多い。
だからというわけでもないが、今、ひとつの
ことを考えている。

この21世紀に入ってから、教育の世界が
大きく変わってきたということ。
「変わった」といっても、制度的な変化を
いうのではない。

現在、(教育)と(心理学)と(大脳生理学)の、
この3つの分野が、融合されつつあるということ。
私たちは今、たいへんおもしろい時代に、
遭遇しつつある。

今はまだわからないかもしれない。
しかしこのあと、20年とか、30年とか過ぎたあと、
「あの時代に、この3つの分野が融合した」という
ことが、わかるはず。

たとえば子どものやる気にしても、教育の世界では、
(弱化の原理)(強化の原理)という言葉を使う。
しかし大脳生理学の世界では、辺縁系にある帯状回という
組織が、どうやらそのやる気を司っていることが
わかってきた。
さらにカテコールアミンというホルモンが、やる気に
関係していることもわかってきた。

さらに言えば、フロイトが説いた「性的エネルギー」についても、
根源は、どうやら視床下部あたりが、それを司って
いることもわかってきた。
そこから発せられる信号が、ドーパミンの分泌を促し、
もろもろの欲望も、そこから生まれる。

さらに善悪感覚にしても、ホルモンの作用によるという
ことまでわかってきた。

「悪」については、まだ未解明な部分も多いが、
「善」については、同じく辺縁系にある、扁桃核が
司っている。

何かよいことをすると、大脳の皮質部のほうから
信号が送られ、それに反応して、扁桃核が
モルヒネ様のホルモンを分泌する。
エンケファリン系、エンドロフィン系のホルモンである。
それが大脳全体を、甘い陶酔感で満たす。

「いいことをすると、気持ちよい」というのは、
そういう原理による。
先にも書いたように、やる気については、カテコールアミン
というホルモンが関係している。
もっとも私自身は、それがどういうホルモンであるかは
知らない。
知らないが、生き生きと活動している子どもは、
表情も輝いている。
その(輝き)こそが、カテコールアミンと、考えてよい。
私は勝手にそう解釈している。

さらに近年の大脳生理学の発達には、驚くべきものがある。
最近になって、「敏感期」「臨界期」という言葉を
よく聞くようになった。

人間の基本中の基本は、実は、0歳から7か月前後までの
間に決定されるという考え方である。
従来、「乳幼児には記憶がない」と考えられていた。
しかしこれもとんでもないまちがいであることがわかってきた。
今から10年ほど前、ワシントン大学のメルツォフ教授がそれを発表した。
むしろこの時期、怒涛のごとく、記憶が蓄積されていることがわかった。

まだある。
今度は、それまで愛着行動は、親の側からの一方的なものと
考えられていた。
しかしこれについても、実は、乳幼児のほうからも、愛着行動が
発せられていることがわかってきた。
もちろん無意識のうち・・・というか、本能的なものだが、
あの乳幼児が育ててもらえるよう、自ら親に向かって働きかけを
している。
親に向かって、(赤ちゃんらしいかわいさ)を、子どものほうからも
発信する。
それを受けて、母親は、子どもに乳をくれる。

相互に愛着行動を繰り返すので、「ミューチュアル・アタッチメント(相互愛着)」
という。

さらに、たとえば(人間性)にしても、この時期に、その基礎が
形成される。
反対にこの時期をのがすと、人間性の基礎もままならなくなる。

野生児をその例にあげるまでもない。

また人間にも、ある種の鳥類に似た、「刷り込み」が
あることがわかってきた。
この時期を、「敏感期」と、心理学の世界では呼んでいる。

一方、大脳生理学の分野では、重に、脳の神経細胞の
研究の分野から、この時期の(刺激)が、重要な意味を
もつことがわかってきた。

これはモルモットでの実験だが、(というのも、人体で
人体実験をすることはできないので)、たとえば生後
直後から、モルモットの片目を何かで塞いでしまうと、
そのモルモットの視覚を司る神経細胞は、機能を停止
してしまうという。
停止するばかりか、その塞いだものを取り除いても、
神経細胞が再生するということはない。
(一部、輪郭だけは見えるようになるという説もあるが・・・。)

神経細胞の完成しているおとなであれば、一時的に
目を塞いだからといって、目が見えなくなるということはない。
しばらくすると、機能は回復してくる。

こうした事実から、乳幼児期における早期教育の重要性を、
説く人も多い。
この時期に適切な刺激を与えることによって、子どもが
本来的にもつ「力」を、外に引き出すことができる。
そうでなければ、ここに書いたように、脳の神経細胞そのものが、
そのまま退化(「退化」という言い方が適切かどうかは
知らないが・・・)してしまう。

この時期に音楽的な刺激を受けた子どもは、音感にすぐれた
才能を発揮するようになる。
そうでなければ、神経細胞そのものが、退化してしまう(?)。

こうした現象がもっとも顕著に現れたのが、「野生児」である。
インドで見つかったオオカミ少女を、今さら例にあげるまでもない。
その後、2人の少女は、死ぬまでインド政府によって手厚く
保護され、教育を受けたが、最後まで人間らしい心を
取り戻すことはなかった。

腹が減ったときだけ、動物的な声を張り上げて、「怒った」と
いうような記録は残っている。

大脳生理学の分野では、この時期を、「臨界期」と
呼んでいる。
教育の世界でいう「敏感期」と同じに考えてよいのでは
ないだろうか。

こうして(教育)と、(心理学)と、(大脳生理学)が、
今、三つ巴になって融合し始めている。

考えてみれば、これはものすごいことではないか。
それぞれの分野で、未解明だったり、経験的にわかって
いたにすぎなかったことが、今、解明されようとして
いる。
私たちはその歴史の生き証人として、まさにその
時代の中で、それを目撃していることになる。

+++++++++++++++++++++++

●乳幼児期に作られる「私」。

 私たちは例外なく、乳幼児期に「私」が作られる。
「私は私」と思っている人は多い。
しかしそれでも、その「私」は、乳幼児期に作られる。
さらに言えば、今の私は、そのころできたレールの上に乗っているだけ。
けっして大げさなことを言っているのではない。
「私」のことがわかればわかるほど、そのことがわかってくる。

 言いかえると、それまでに作られる「私」がいかに重要かが、わかる。
さらに言いかえると、それまでの(子育て)が、いかに重要かが、わかる。

 「私」を知ることは、それほどまでにむずかしいということにもなる。
あるいは、「おもしろい」ということにもなる。

●過去をのぞく

 しかしここで誤解しないでほしい。
自分の過去をのぞいてみたとき、その過去が、仮に悲惨なものであっても、
それはそれ。
ほとんどの人は、多かれ少なかれ、そうした過去を背負っている。
恵まれた環境で、何一つ不自由なく、親の豊かな愛情に包まれて育った人の
ほうが、少ない。

 たいていの人は何らかの問題をもっている。
家庭騒動、両親の不和、経済問題などなど。
問題はそういう問題があったということではなく、そういう問題があったことに
気づかず、同じ失敗を繰り返すこと。
とくに自分の子育てで、どこかにぎこちなさを感じている人は、一度、自分の
過去を静かにのぞいてみてほしい。
子どもに対して極端に甘い親、反対に、極端にきびしい親など。
のぞくだけでよい。
あとは、時間が解決してくれる。
5年とか10年とか、時間はかかるが、時間が解決してくれる。


Hiroshi Hayashi++++++Feb.2010++++++はやし浩司

●意識(改作)

++++++++++++++++++

織田信長は、本能寺で焼け死んでいる。
それについて、ある子どもがBLOGにこう書いた。
年齢はわからないが、漢字の使い方からして、
中学生くらいではないか。

「どうして消防自動車を呼ばなかったか」と。

それに答えて別の子どもが、「電話線も切られて
いたんじゃない?」と。
そこで先の子どもが、反論した。

「携帯電話はもっていなかったのか」と。

それについても、「電池が切れていたのかも」と。

会話がつづいた。

A「信長だろ、消防自動車くらいは、呼べたはず」
B「家が木造だったから、火の回りが早かったかも」
A「消火器はなかったのか」
B「なかったかも」と。

この2人のやり取りを読んだ別の子どもが、こう書いた。

C「お前ら、ちゃんと勉強したのか。
信長は、赤ん坊を助けるため、火の中に飛び込んだんだぞ。
それで焼け死んだんだぞ」と。

(以上、参考、「週刊アスキー」に載っていた記事より。)

++++++++++++++++++++

●「学校は、どうしているの?」

 こういう記事を読むと、常識のある人なら、だれでも笑う。
あまりにも非常識というか、バカげている。
が、笑ってばかりは、いられない。
同じような無知、無理解は、いたるところで経験する。

 先日も、BS放送(NHK)を見ていたら、こんなシーンがあった。

 タイのチェンマイにある、屋台を紹介していた。
その屋台を、2人の子どもたちが、手伝っていた。
それを見たレポーターが、こう問いかけた。
「学校は、どうしているの?」と。

 子どもを見かけると、すぐ「学校」「学校」と問いかける。
日本人の悪いクセである。
10年ほど前には、こんなシーンもあった。
同じくNHKの番組だった。
戦禍のサラエボで、逃げ回る子どもに向かって、「学校は、どうしているの?」と。

●仕送り

 恐らく今の若い人たちに向かって、こう言っても、理解できないだろう。
「私は結婚前から、収入の約半分を、実家に送っていた」と。
私の親類の中には、無神経な人がいて、「そんなはずはない」と言った人もいる。
「そのお金は、どこに消えたのか」と。

 私が送ったお金のたいはんは、母が貯金していた。
また別のたいはんは、母から、さらに母の実家を守る伯父に渡っていた。
伯父は定職にもついていなかった。
ほかにも、いろいろある。

 が、私が書きたいのは、このことではない。
私の生まれ育った時代には、それが当たり前のことだった。
珍しくも、何ともなかった。
収入の何割かを、毎月実家へ仕送りしていた人は、いくらでもいた。

 で、ここにも書いたように、そういう話をしても、今の若い人たちには理解できない。
いつも「現在」を基準にして、ものを考える。
話の内容こそ正反対だが、織田信長の時代に、携帯電話があったと思うのと、どこも
ちがわない。

●「学校」意識

 織田信長の時代に携帯電話という話は例外としても、こうして並べて考えてみると、
「歴史とは何か」。
そこまで考えてしまう。

 「学校」にしても、日本人がもつ「学校」意識は、明治以後の国策のひとつとして、
作られたもの。
富国強兵策のひとつとして利用された。
そういう歴史的背景があって、日本人は、子どもを見れば、「学校」「学校」というように
なった。

 もちろんこうした意識は、国によってもちがう。
隣の韓国は、世界に名だたる受験国家として知られている。
その影響もあって、韓国の新聞各紙を読んでいると、「順位」が話題にならない日はない。

「韓国は、世界~位になった」「~位にさがった」と。
とくに相手が日本のときは、日本の順位と並んで、「日本に勝った」「負けた」の記事が
並ぶ。
今度のTOYOTA自動車のリコール問題についても、韓国内では連日、大々的に
報道されている。
「日本車の信頼は、地に落ちた」という記事まで載った。

●意識

 私たちは、つねに自分の意識を疑う。
言いかえると、私たちがもっている意識ほど、あてにならないものはない。
ときにその意識が、そこにある(真実)を、覆い隠してしまうこともある。
とくに、作られた意識には、警戒したほうがよい。

 コンビニで買ってきた本に、こんな話が載っていた。
2つの話を並べてみる。
みなさんは、この2つの話の共通点がわかるだろうか。
内容は、少し私のほうで変えさせてもらった。

(日本の中学校で・・・)

【問】「織田信長は、本能寺で、家来の(     )に、殺害された」
「また織田信長は、壮大な(     )を、作り上げた」

(K国の学校で・・・)

【問】「我が国の偉大かつ輝ける指導者である金xx様による賢明な指導により、
建設された、P市大通りに面したところにある、音楽室の面積は、60平方メートル
である。縦の長さは、横の長さより、4メートル長い。縦と横の長さを求めよ」

その本の中で、ある中学生は、こう書いた。

【答】「織田信長は、本能寺で、家来の(宴会中)に、殺害された」
「また織田信長は、壮大な(ロマン)を、作り上げた」

 思わず笑ってしまったが、よくよく考えてみれば、この中学生の書いた答のほうが、
正しいのかもしれない。
正解は、(明智光秀)(安土城)ということになるが、どうして(明智光秀)(安土城)で
なければならないのか。
もしそうなら、ついでに、そのとき火を放った、ほかの家来たちの名前もいっしょに、
出題したらよい。
それともこの問題を出した教師は、その名前を知っているのだろうか。

 またK国の数学の問題にしても、しかり。
こんな問題なら、何も長々と、金xxをたたえた文章を、前置きとして書かなくても、「3
行ですむ」
(同書)。

 ともに無駄なことを教え、それを「教育」と錯覚している。
つまりこれが共通点でである。
そしてその中で、私たちの意識は作られていく。

 まとまりのない話になってしまったが、織田信長と携帯電話の話は、おかしい。
同じように、答に「明智光秀」と書かせるのも、これまたおかしい。
そのおかしさをわかってもらいたくて、このエッセーを書いてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【追記】

●織田信長

++++++++++++++++++++++++++

織田信長は、なぜ、消防自動車を呼ばなかったのか?
「織田信長は、家来の(宴会中)に殺された」では、なぜまちがっているのか?

++++++++++++++++++++++++++

●珍回答

 「織田信長は、本能寺で、なぜ消防自動車を呼ばなかったのか?」と聞いた、子どもが
いた。
子どもといっても、中学生(?)である。
年齢はわからないが、漢字をそこそこに使えるところをみると、それくらいの年齢である。

 一方、「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」と、歴史のテストで答えた子どど
もいた。
こちらも、中学生(?)である。
年齢はわからないが、ともに小学校の高学年児かもしれない。
あるいはひょっとしたら、高校生かもしれない。
「高校生」とは名ばかり。
歴史の知識にかぎらず、その程度の常識しかない高校生は、いくらでもいる。

●バカげた歴史教育

 そこそこに歴史の知識のある人は、こうした子どもたちの疑問や、回答を笑う。
かれらがもっている常識でもよい。
その常識を笑う。
織田信長の時代には、消防自動車は、なかった。
また織田信長は、家来の(明智光秀)に殺された。

 が、ここで私は、ハタと考えてしまう。
私たち自身だって、一応常識的な人間と思っているが、その一方で、非常識な情報に、そ
のつど振り回されている。

 織田信長にしても、日本では歴史上の人物となっている。
しかし(ほめたたえるべき人物)であったかどうかということになると、それはどうか?
見方をほんの少し変えると、織田信長は、ただの殺戮(さつりく)者。
それを本能寺で討ち殺した明智光秀も、これまたただの殺戮者。
言うなれば、本能寺での異変は、ただ単なる、殺戮劇!

 権力の座についたというだけで、この日本では、「歴史上の人物」ということになる。
名を残すことになる。
事件があった年まで、記録され、今になっても、子どもたちは、それを暗記させられる。
どうしてそんなことが
必要なのか。
重要なのか。
さらに一歩、踏み込めば、このバカげた歴史教育に、なぜ、私たち日本人は、気がつかな
いのか?

 たとえばあなたの近所で、親の遺産を取り合って殺人があったとする。
そうした殺人と、織田信長や明智光秀がした殺人と、どこがどうちがうというのか。
あなたはその(ちがい)を説明できるだろうか。

 「戦国時代の昔、いろいろな武将がいて、国を取り合った。
その中に、頭のおかしい武将もいて、家来に殺されることもあった」と。
その程度の知識で、じゅうぶんではないのか。
またどうしてそれではいけないのか。
年号を正確に言えたからといって、それがどうしたというのか?
必要であれば、そのつど、調べて、それを書けばよい。
ちなみに私は「本能寺の変」という言葉は知っているが、何年にそれが起きたか、知らな
い。

 大切なのは、中身。
今に残る、中身。
つまりなぜ私たちが歴史を学ぶかと言えば、過去の人たちのなした経験を、「今」に生かす
ため。
失敗でもよい。
そういうことをしないで、一方的に織田信長を美化するから、いまだに「国盗り物語」よ
ろしく、政治家の中には、権力闘争に明け暮れる人がいる。
またそういう人が、いつまでたっても、後を絶たない。

●大切なのは中身

 もし本能寺での異変が重要な歴史的事実であるとするなら、なぜそういう事件が起きた
か。
その背景を教える。
そこに至る経緯を教える。
ついでに権力闘争の醜さや、無意味さを教える。
それが歴史教育だと、私は思う。

 だからテストの内容も、こう変えればよい。

【問】

 「織田信長という独裁者が、本能寺という寺で、家来の明智光秀という人に殺された。
なぜ、明智光秀は、織田信長を殺したか。またあなたはこうした権力闘争を、どう思うか」。

 ともかくも日本の歴史教育は、暗記一辺倒。
暗記に始まって、暗記に終わる。
この教育姿勢は、明治の昔からまったく、変わっていない。
ウソだと思うなら、大学の受験生たちがもっている歴史の参考書を見てみればよい。
センター試験の問題を見てみればよい。

 重箱の隅の、そのまた隅をほじくり返したような問題ばかり。
教える側も、それを教えるのが歴史教育と錯覚している。
教わる側も、それを暗記するのが歴史教育と錯覚している。

 ちなみにこうしたバカげた歴史教育をしているのは、この日本だけ。
欧米では、教師が生徒にテーマだけを与えて、そのテーマに沿ってレポートをまとめるの
が、歴史教育の(柱)になっている。

「あなたはトラガルファーの戦いについて、1年をかけて、調べなさい」
「あなたはフランス革命について、1年をかけて、調べなさい」と。

 そして年度の終わりに、自分の勉強したことを、調べたことを、みなの前で発表する。
そういう教育を、小学生のときからしている。
小学生のときから、受けている。

●知識は無価値

 暗記ということになるなら、ついでに明智光秀のほかの家来たちの名前も暗記したらよ
い。
ついでにそれぞれが、どのような作業を分担したか、それも暗記したらよい。
本能寺にいた織田信長の家来たちの名前も、暗記したらよい。
本能寺の住所も暗記したらよい。

 が、今では、こうした知識は、インターネットを使えば瞬時に手にすることができる。
詳しい内容を知りたければ、パソコンを使って調べればよい。
大切なのは、その上で、どう考え、どう判断するか、である。
そしてそれをどう「今」に生かしていくかである。

 私たちもそろそろ気がつくべきときにきている。
「暗記は無価値」と。
暗記といっても、このばあい、暗記のための暗記を重ねるような暗記をいう。
地理にしても、無罪とは言えない。

 この話で思い出すのは、5、6年ほど前に、つぎのようなことを暗記していた中学生で
ある。
その中学生は、こう復唱していた。
「長野の高原野菜、富山のチューリップ・・・」と。
そこで私がその中学生に、「高原野菜って何?」と聞くと、その中学生はあっさりと、こう
答えた。
「知らない・・・」と。

 で、私はこう言った。
「浜名湖のうなぎと、教科書には書いてあるけど、今ではうなぎを養殖している業者は、
ほとんどいないよ」と。

●新しい教育

 「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」でも、よいではないか。
そのとき本当に宴会をしていたのかもしれない。
ひょっとしたら織田信長の家来たちは宴会でもして、油断していたのかもしれない。
それをまちがっていると証明できる人は、だれもいない。
百歩譲って、どうして「明智光秀」という名前を、書かねばならないのか。
またどうしてそれが重要なことなのか。

 さらに百歩譲って、それが重要なことというのなら、それこそ重箱の底をほじくり返す
ような知識を、生徒たちに暗記させたらよい。
暗記程度に応じて、成績をつけたらよい。
が、それは先にも書いたように、バカげている。
つまりこういうバカげた教育を教育と思い込んでいるから、その一方で、「なぜ消防自動車
を呼ばなかったのか?」という子どもが出てくる。
思考力そのものが欠落したような子どもである。

 が、これでは、いつまでたっても、日本人は変わらない。
進歩しない。
愚劣な失敗を、いつまでも繰り返す。

 たとえば私は、もう40年も前のことだが、北欧のどこかの国の首相が、議会まで自転
車通勤をしているのを知って、本当に驚いたことがある。
当時の常識(?)に凝り固まっていた私には、信じられないような話だった。
「首相が、自転車で通勤?」と。

 ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛
庁の長官に就任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった。

 悲しいことに、現在の日本は、まだその延長線上にある。
その責任の大きな部分は、日本のゆがんだ歴史教育にある。
・・・と言うのは書き過ぎかもしれない。
しかしそれくらいの緊張感をもって、この問題を考えないと、今の日本の歴史教育を変え
ることはできない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 日本の歴史教育 暗記教育 暗記のための暗記 ゆがんだ歴史教育 
暗記教育)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不良老人

++++++++++++++++++++

昨夜は、映画『Dr.パルナサスの鏡』を観てきた。
家に帰ったのは、午前0時過ぎ。
寝るとき枕元の時計を見たら、午前1時だった。

星は4つの★★★★。

奇想天外というか、よくもまあここまで空想力、想像力
が働くものだと、そういうことに感心しながら観た。
おもしろかった。

数日前には、『オーシャンズ』を観たが、こちらは
説教ぽい映画で、星は2つの★★。
海洋生物の多様性には改めて驚いたが、もちろん
ストーリー性はない。
頭から「お前ら、バカか!」と言われているような
気がして、あまり楽しめなかった。

夜の道を歩きながら、ワイフとこう言い合った。
「ぼくら、不良老人だね」と。

世間では、「老人は規則正しい生活をするもの」とか、
「早寝、早起きが理想」とか、言う。
が、私たちは、不規則を旨として生きている。
若いときから、そうしている。
昨日も、映画を観るため、夕方1~2時間ほど、
仮眠した。

今週をのがしたら、『Dr.パルナサスの鏡』は、
打ち切りになる。
それでそうした。

つぎに観たいのは、『インビクタス』と『トイ・ストーリー・
3D版』。
何とか時間を作って、今週中に2本とも観る。
来週になると、また新作がいくつか公開される。

+++++++++++++++++++

●買い物

 買ってよかったと思うものに、3つある。
ひとつは、布団乾燥機。
ひとつは、ウォーキング・マシン。
もうひとつは、ビデオカメラ。

 布団乾燥機は、布団の暖房用として使っている。
羽布団の下、毛布との間に、サンドイッチにして使っている。
おかげで寝るときはいつも、温泉につかっているような気分。

 いくつかコツがある。

 布団は、軽い羽毛布団にすること。
重い布団だと、暖気がふとんをもちあげることができない。
タイマーが切れたら、それ自体は、ふとんの外に出すとよい。
切れたとたん、布団の通気性を悪くする。

 昨夜のように、寒い夜は、ありがたい。
どうありがたいかは、一度使ってみるとわかる。
(M社から、同じようなしくみの暖房機器が売りに出されて
いるとか。
生徒の母親から、そんな話を聞いた。
ただし価格は20万円以上とか。)

 もうひとつは、ウォーキングマシン。
朝起きると、すぐそれを使って運動する。
10分もすれば、体が温まる。
20分もすれば、ジワーッと汗が出てくる。
頭の働きもよくなる。
もちろん健康にもよい。
食事の前とか後、ちょっとした時間を利用して
運動できるのがよい。
ときどきビデオを観ながら、使うこともある。
こういうのを一石二鳥という。

ハハハ!

 で、3つめが、ビデオカメラ。
2009年度、もっとも活躍したのが、ビデオカメラ。
そのカメラを使って、私の幼児教室を、ほぼすべて
ビデオに収めた。
YOUTUBEで見られるようにした。
カメラは、VICTORのEverio。
一度も故障することなく、よく働いてくれた。
かなり荒っぽい使い方をした。
今度買うときも、VICTOR社のものにする。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●TOYOTA車

 TOYOTA車のリコール問題について。
今では車といっても、電子機器のかたまり。
大きなパソコンのようなもの。

 パソコンを仕事で使っている人なら、みな知っている。
パソコンにトラブルは、つきもの。
私も昨年の12月(今月で3か月目)に、最先端の
パソコンを購入した。
あれこれとオプションをつけたら、軽く20万円を超えた。
(モニターは別。)

 そのパソコン、最初からトラブルつづき。
原因がわからないまま、毎日のようにメーカーに
相談した。
で、最終的に、原因がハードディスクそのものに
あることがわかった。
修復不能の不良セクターが、84Kか所もあった。

(ふつうは修復をかければ、不良セクターはゼロになる。
が、数回、修復をかけてみたが、それでも84Kか所も
残った。)

全体では、1000GBのハードディスクだから、
84K(=84000)程度など、微々たるものかも
しれない。
その84Kの部分で、いろいろな症状が出た。
突然、パソコンがフリーズするなど。
ハードディスクの丸コピーもできなかった。

 そういうことを知っているから、TOYOTAも
たいへんだなあと思う。
何しろ車である。
乗る人の乗り方によっても、影響を受ける。
たとえばオーストラリア人のばあい、日本人の私たちには
想像もつかないような、乱暴な乗り方をする。
荒れ地(アウトバック)で、大きな石を蹴散らしながら
走る。
アメリカ人も、そうだ。
しかも今年あたり、オーストラリアでは、
連日45度を超える日々がつづいた(南オーストラリア州)。

 そういうところで、それがパソコンだったら、
故障しないほうが、おかしい。

 それにしても頭にくるのが韓国。
自国のメーカーでもない。
自国では、数えるほどしか走っていない。
にもかかわらず、連日、TOYOTA車の欠陥問題を、
新聞の一面で報じている。
日本の(つまづき)が、よほど、うれしいと見える。
本当に、イヤ~~~ナ国!

●電子ブック(後手後手に回る、日本の電子産業)

 その韓国。
近く、子どもたちが学校で使う教科書を、すべて電子ブック化するそうだ。
韓国政府が、そう発表した。
いいか、日本!
どうして日本は、そういうことをしないのか!

 文科省と教科書会社との癒着構造は、以前から問題になっている。
裏ではいろいろあるらしい。
だから今、日本の文科省が、「日本も電子ブック化します」などと言おうものなら、
天下り先になっている各種団体から、猛烈な抵抗を受けるだろう。
しかしこうした癒着構造が、日本の教育を、硬直化させている。
こんなことがあった。

 もう25年以上も前のこと。
「学校でパソコン教育」という声が高まったとき、それに真っ先に反対したのが、
あろうことか当時の文部省。
通産省はかなり本気で、パソコン教育を推進しようとしていた。
が、文部省は、「教師がいない」だの、「教員免許はどうする」だの、
「学部で教授を育てるまでに、20年はかかる」だのとか言って、
結局、パソコン教育を、クラブ活動程度に、抑え込んでしまった。
(今でも、その状態のままだが・・・。)

 教師などは、工学部の学生をあてればよい。
教員免許など、学士号があれば、じゅうぶん。
現に欧米では、そうしている。
教育学部で、電子学科を新設し、そこで教授を育てようとする発想そのものが、古い。

 こうして日本は、電子立国の地位を、韓国に明け渡してしまった。
で、さらに今度は、電子ブック。
こういう分野でこそ、日本は、率先して改革を進めるべきではないのか。
「2012年度から、子どもたちの教科書をすべて、電子ブック化します」と。

 こうしたダイナミズムが、日本の電子産業を活性化させる。
が、なぜか、日本の教育は、何かにつけて後手後手。
たとえばいまだに携帯電話の是非論が、問題になっている。
「子どもに携帯電話は是か非か」と。

 だったら、あの携帯電話を利用して、大型の電子ブックを作ればよい。
アナログ放送も受信できるようにして、教科書の内容をそのまま配信すればよい。
もちろん電話、端末機としての機能ももつ。
パソコン機能もつければ、もっと視覚的な指導も可能になる。
方法は、頭を使えば、いくらでもある。

 さらに言えば、あの黒板だって、電子モニター化できるはず。
パソコンとつなげれば、もっと視覚的な授業が展開できるはず。

 が、なぜか、日本は、それをしない。
日本の文科省は、それをしない。
どうしてか?
ひとつだけはっきりしていることがある。

またまた日本は、韓国に10年は後れる。
悔しいが、そうなる。

(参考、産経新聞より)

 『・・・サムスン電子とアイリバーは大型書店「教保文庫」と提携し、書籍の6割程度
の価格の電子書籍を提供している。教保文庫によると電子書籍に依然として抵抗感を持つ
出版社も多く、ベストセラーや新刊の提供が難しいなど、コンテンツ不足は否めないとい
う。

 端末機の開発・製造だけでなく、ネオラックスの場合、コンテンツの提供も始めている。
書籍のほか、韓国紙「朝鮮日報」や「毎日経済」などと提携し、契約者に新聞購読料の半
額程度で朝6時にニュースを配信している。新たに2紙が参入する予定だ。

 「低炭素・グリーン成長」政策を掲げる李明博政権は、韓国政府の環境対策のひとつと
して、紙の出ない電子書籍や電子ペーパー事業を後押ししている。来年から小・中・高校
に「電子教科書」が導入される見通しで、電子書籍の端末機やコンテンツ関連の企業の株
価の急騰に弾みをつけている』と。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●老後問題(意識と制度)

+++++++++++++++++

いくら意識はそうであっても、制度が
それに伴わないときは、意識にブレーキを
かける。
あるいは制度を、変えていく。
当然のことではないか。

昨日も渋滞で車が止まったとき、ふと
横を見ると、一組の家族がみなで、塀の柵を
なおしていた。
父親と思われる、70歳前後の男性が、小さな
斧で、柵を壊していた。
その横に、その息子夫婦と思われる男女が、
新しい材木を並べ、寸法を測っていた。

「いい光景だなあ」と私は、思った。
昔は、こうした光景はどこでも見られた。
当たり前の光景だった。
しかし今は、珍しい。

つまり老人は、家族とともに暮らし、その
家族に守られて生活していた。
とくに介護施設などなくても、何も問題は
なかった。
もちろん家族はそれなりにたいへんだった
だろう。
が、しかしこうした生活の延長線上に、
老人たちの老後があった。
老人たちは動けなくなるまで、家族の
ために働いた。
そういう姿を家族も見ているから、
親が動けなくなったからといって、
冷たくあしらうということは、なかった。

私の生まれ育った家族も、そうだった。

が、日本人のばあい、意識だけが変わってしまった。
欧米化したということになるが、逆に
欧米化していない部分を、否定するように
なってしまった。
「老人がさみしい思いをするのは、自業自得」と。

家族はバラバラになり、老人たちだけが取り残されてしまった。
この先、じゅうぶんな介護も受けられないまま、
独居老人になる人は多い。
孤独死ということにも、なりかねない。
私がそうなるかもしれない。
私のワイフがそうなるかもしれない。

そういう現実を目の前にすると、今までの教育は
これでよかったのかと、改めて考えなおしてしまう。

++++++++++++++++++

●制度の改革

 現在の介護制度は、おかしい。
たしかにおかしい。
本当にそれを必要とする人は、その恩恵をほとんど受けられないでいる。
その一方で、それほど必要としないと思われる人が、過分な恩恵を受けている。

 私の知人に、こんな夫婦がいる。
夫は長く、医療機関で事務長をしていた。
妻は、公的機関で、「長」のつく仕事をしていた。
だからこそそれができるのだろうが、現在、2人は、有料の老人ホームへ入居している。
高級マンションのような住居で、もちろん3食つき。
医療介護つき。
月額、2人で、35万円前後の生活費(部屋代が5万円、食事代が15万円x2)
だそうだ。

 もちろん自宅はある。
その自宅へ、週2回ほど、帰ってくる。
その日に合わせて、訪問介護の人がやってきて、掃除や洗濯をしてくれる。
夏の暑いときや、冬の寒いときは、老人ホームで寝泊まりする。
しかし春や秋の、過ごしやすい季節のときは、老人ホームを出て、自宅で寝泊まりする。

 現在、ともに84歳。
すでに30年近く、年金生活をしていることになる。
(30年だぞ!)
夫のほうは、歩くのが少し難儀になってきたようだが、妻のほうは、まだ自動車を
運転している。
あとは毎日、趣味三昧。

 この夫婦のばあい、死ぬまで、「豊かな生活」が保証されている。
その有料施設の横に、特別養護老人ホームが併設されている。
いよいよというときは、そのままその特養へ、移動できることになっている。
言い忘れたが、子どもはいない。

そういう人たちがいるのを知ると、「介護制度とは何か」と、またまた考えてしまう。
もちろんそういう人たちが、悪いというのではない。
「制度がおかしい」と、私は言っている。

●独居老人

 『平成18年度の数字を見てみると、「高齢者世帯数」が約840万世帯で、全世帯の約
17・8%を占めるようになった』という(厚生労働省の平成18年度国民生活基礎調査・
現実にある出来事HPより)。
その数は、1986年の、約3倍!
そのうちの何割かが、独居老人ということになるが、同時にそれと並行して、いわゆる「孤
独死」の問題があることを忘れてはならない。
死後、2週間前後で発見される人が多いという。

 こう書くと、「私はだいじょうぶ」と考える人がいるかもしれない。
しかし現在、40代の人が高齢者になるころには、3人に約1人が、その高齢者になる。
つまり1人の高齢者を、2人の若い人たちが支えることになる。
が、それは無理というより、不可能。
特養に入居している老人たちにしても、現在、1人あたり、月額30数万円の税金が、
投入されている。
今後、独居老人はふえる。
同時に、孤独死を迎える老人もふえる。
が、それはあなた自身の未来像に、ほかならない。

●では、どうするか

 2つの方法が考えられる。
ひとつは、家族を、いつも呼び寄せられる範囲に置くという方法。
そういう環境にある老人を、「呼び寄せ老人」というらしい(同HP)。

 もうひとつは、『・・・福祉先進国と呼ばれているスウェーデン。スウェーデンには「呼
び寄せ老人」に該当する言葉はないそうで、この国ではどんな過疎地でもホームヘルパー
が活躍しており、年老いても独り暮らしができる環境が整っているそうです』(同HP)と
いう方法。

 つまりホームペルパー制度の充実ということになる。
現在この日本でも、独居老人を定期的に巡回訪問している自治体がある。
マンション単位で、住人が話し合って、巡回訪問しているところもある。
いろいろな方法があるが、大切なことは、「独居老人」を、「独居」にしないこと。
週に2回、「こんにちは!」と声をかけてくれる人がいるだけでも、老人は、救われる。
孤独をいやすことができる。

 どうであるにせよ、私たちの未来は、暗い。
だから私は、「いい光景だなあ」と思った。
昔は、どこにでも見られた光景である。
「昔」といっても、ほんの一世代前。
その一世代だけで、日本は、こうまで変わってしまった。
「日本」といっても、日本人が変わってしまった。

 現在(09年)、「将来、どうしても親のめんどうをみる」と考えている若者は
30%もいない(内閣府調査)。
残りの多くは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
もちろん「親のめんどうなど、みない」と考えている若者も多い。
つまり制度がともなわないまま、日本人の意識だけが先行して変わってしまった。
が、それでは困る。
「ブレーキをかける」と冒頭で書いたのは、そういう意味である。

●終わりに・・・ 

 あなたの息子や娘は、こう言うにちがいない。
「私という息子や娘が幸福になるというのに、親に、何が文句があるの?」と。
「親というのは、息子や娘が幸福になることだけを考えればいい」とも。

 もう10年近くも前のこと。
同じような意見を私がエッセーに書いたら、恩師のTK先生は、その返事として、こう
書いてきた。
「老人向きの意見ではありませんね」と。

 そのときは、私は、その意味がよくわからなかった。
「老人であろうと、親は親」と考えていた。
が、今は、その意味がよくわかる。
同時に、強烈な不公平感を覚える。

 何度も書くが、私は、結婚前から、収入の約半分を、実家へ仕送りしていた。
私だけが特別というわけではない。
それ以前の、つまりもう一世代前の若い人たちは、みな、そうしていた。
が、今は、逆。
ほとんどの親たちは、子どもの学費で貯金を使い果たしてしまっている。
老後の資金など、さがしても、ない。
どこにも、ない。
だから私たちの世代を、「両取られの世代」という。
親から取られ、子どもたちから取られる。

良好な人間関係があれば、まだ救われる。
しかしそんな関係を築いている親子など、これまたさがさなければならないほど、
少ない。
親というより、子どもたちのほうに、その意識がない。
ささいなトラブルを理由に、「私は親とは縁を切りました」などということを、平気で
口にする。

 家庭教育とは何か?
私たちはもう一度、原点に立ち返って、この問題を考えなおしてみる必要がある。
さて、あなたはだいじょうぶか?


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●ゲーム脳

+++++++++++++++++

「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。

結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++

【産経新聞・10-02-08】

『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、240
0万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。
中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。 

 中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6~29歳の
青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は200
7年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは40
0万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒
者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。

 中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしている
か?」との問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽の
ダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引
き離した。

 中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基
準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたし
た状態」と定義付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他
人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。

 国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といった精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。

+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++

●韓国→中国→日本?

 韓国で、ゲーム中毒の子ども(若者)が問題になりはじめて、すでに10年近く
になる。
中国の現状については、ここに産経新聞が取り上げているとおり。

 では、この日本ではどうか?
この日本での現状は、どうなのか?
が、不思議なことに、この日本では、ほとんど問題になっていない。
話題にすら、ならない。
韓国や中国では問題になっている。
が、この日本では、ほとんど話題にすら、ならない。
????

 実は、この日本では、ゲームを批判すると、猛烈な抗議の嵐にさらされる。
10年ほど前、私が『ポケモン・カルト』(三一書房)という本を書いたときも、
そうだった。
出版社だけではない。
私のところにも、電話や手紙、ハガキが殺到した。
名古屋のCラジオ局では、1週間にわたって、賛否の討論がなされたという。
(そういう番組があったことは、あとになって知った。)

 ゲーム脳という言葉を使った、M教授のところでも、同じようなことが起きたという。
つまりこうした(現象)は、それが話題になる前に、カルト化した信者たちによって
封殺されてしまう。
マスコミ自体が、どこかでゲーム産業と関係している。
あの『ポケモン』にしても、(テレビ)(雑誌)(玩具)の3つの分野の世界が、まさに
三位一体となって、生まれた。
批判どころか、「これがマルチ・メディアの成功例」と、もてはやされた。

 しかしゲーム脳はさておき、現象としての「ゲーム中毒」の子ども(若者)たちは、
この日本にもいると考えるのが自然。
「精神障害をきたしている」(産経新聞)子ども(若者)たちはも、多いはず。
そういう(現象)をみれば、「ゲーム脳などいうのは、学問的に証明された脳ではあり
ません」と説くほうが、おかしい。
学問的に証明されるのを待っていたら、それこそ、日本中の子ども(若者)たちの脳が
おかしくなってしまう。

 私がここに書いたことがおかしいと思うなら、もう一度、この産経新聞の記事を、
じっくりと読み返してみたらよい。
あの中国においても、その(現象)が起きている。


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