2010年3月1日月曜日

Individualism in the Mass

【集団性と個人性】

●ライブ

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某国、某所でのライブ会場。
よくあるライブ。
が、ひとつだけ、ほかのライブ会場とはちがった。
異様な雰囲気。
それもそのはず。
よく見ると、ファンたちが、みな、何かをかぶっている。
色は様々だが、白が多い。
パンティである。
女性用のパンティである。
そのパンティを頭からかぶり、両目を、足の部分から出している。
中央部は上から下へと、鼻から口を覆っている。
写真で見る限り、女性が多い。
中には、男性らしき人もいるが、ほとんどが、女性。
若い女性。
そういう女性が、みな、パンティを頭からかぶっている!

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●後追い自殺

 以前、後追い自殺について書いた。
ある有名なロックバンドのメンバーが自殺した。
それにつづいて、何人かの若いファンが、後追い自殺をした。
実際には、親族たちによって闇から闇へと葬られるケースもあるから、もっと数が多いはず。

 それについて、7、8年ほど前、批判記事を書いた。
それについて、数は数件程度だったが、はげしい文句を並べた抗議のメールが届いた。
内容は忘れたが、はげしい文句だった。
私はそれを読んで、「この世界も、カルト化している」と感じた。

●麻薬性

 音楽は、読んで字の通り、「音を楽しむ」ことをいう。
私も、毎日、いろいろな音楽を聴いている。
しかしそこには、限度(?)がある。
あくまでも「楽しむため」。

 脳の中には、そういう受容体があるらしい。
聴覚を通して音楽を聴いていると、脳内はやがてモルヒネ様のホルモンで満たされる。
それが甘い陶酔感を引き起こす。
その陶酔感があるから、人は、音楽を聴く。

 そのため音楽にも、習慣性、つまり麻薬性がある。
メカニズムは、ニコチン中毒、あるいはアルコール中毒と同じに考えてよい。
中には、1日中、音楽を聴いていないと、落ち着かないという人もいる。

●パンティ

 が、音楽を聴くというだけなら、だれにも迷惑をかけない。
だれしも、それを、その人の趣味と理解するだろう。
仮にあなたの子どもが、1日中、耳にヘッドフォンをあてていたところで、あなたはそれを、とがめることはない。

 しかし危険性がないわけではない。
それが冒頭にあげた例である。
(そのときのライブの写真で載せておく。)
若い女性たちが、みな、頭からパンティをかぶっている!
よく見ると、似たようなパンティが多いので、会場で配られたものかもしれない。
あるいはあらかじめ、そういうパンティをもってくるように指示されたのかもしれない。
しかしふつうの常識のある人なら、こんな奇天烈(きてれつ)な格好はしない。

 仮にあなたの子どもが、頭から女性用のパンティをかぶって歩いたら、あなたはそれをどう思うだろうか。
「若者のバカ騒ぎ」と、簡単にかたづけることができるだろうか。

img043

●集団洗脳

 それ以上の情報はわからない。
私は、1枚の写真しか見ていない。
が、その写真には、こんなコメントが添えられていた。
「ファンの娘が、一斉に(パンティを)装着。ステージから見る変態度たるや、ハンパじゃない。(これでは)男は誰しもミュージシャンに一度は、憧れるわけだ」(「B誌」)と。

 私はその写真を見たとき、即座に、カルト教団による集団洗脳会場を思い浮かべた。
どこのカルト教団とは言わない。
この日本には、届けられた宗教法人だけで、20数万団体もある。
その中には、似たような方法で、信者を獲得したり、洗脳したり、再教育しているところがある。

 一斉に読経したり、あるいは指導者の名前を連呼する、など。

 中には「宗教と音楽はちがう」と考える人もいるかもしれない。
しかし中身は、同じ。
どこがどうちがうというのか?

●魔力

 集団への帰属性と、個人的な思考性は、常に対立関係にある。
その人の集団への帰属性が強くなればなるほど、その人のもつ個人的な思考性は、犠牲になる。
カルト教団では、個人的な思考性は、徹底的に排除される。
へたに個人的な主張をしようものなら、即座にその教団からはじき飛ばされるか、「あなたの信仰心は不十分」とか言われて、のけものにされる。

 が、ここで誤解してはいけないことがある。
カルト教団があるから、信者がいるのではない。
それを求める信者がいるから、カルト教団がある。

 それぞれの人は、何らかの悩みや苦しみをもち、それから救われたいために、カルト教団に身を寄せる。
つまりはじめから個人的な思考性を捨てている。
だからそのまま洗脳されてしまう。
洗脳されていると気づかず、洗脳されてしまう。

 そこは実に心地よい世界でもある。
信者どうしが、親子以上の親子、兄弟以上の兄弟になることもある。
甘くて、心もとろけるような世界。
だから人は、そのままその世界に陶酔するようになる。

 カルトにかぎらず、集団への帰属には、そういう魅力というか、魔力がある。

●トンデモ本

 が、それはカルト教団の話。
私が見たのは、どこかのライブ会場での写真。
若い人たちといっても、それなりの教育を受けている人たちである。
またそれほど苦しみや悲しみがあるとも、思われない。
そういう若い人たちが、頭からパンティをかぶっている。
パンティをかぶって、ライブに夢中になっている!

 私はこの「集団性」こそが、問題と言っている。
またそのような本も書いたことがある。
『ポケモン・カルト』(三一書房)というのが、その本である。

 私はポケモンを攻撃したのではない。
あくまでもポケモン現象を通して見た「集団性」、さらには「カルト性」を問題にした。
が、その本は、その世界の人たちから、「トンデモ本」として、攻撃されつづけている。
(どこかの検索エンジンを使って、検索してみてほしい。
ついでにどういう人たちが、攻撃しているかも知ってほしい。)

 「人間は、ここまでバカになれる」。
言い方を変えると、「人間を指導すれば、ここまでバカにすることができる」。
その恐ろしさは、この1枚の写真を見ただけでもわかる。

 繰り返すが、「ライブだからいい。カルトは悪い」という論法は、通用しない。
(ライブ)と(カルト)。
その差は、紙一重もない。
こうした(集団性)が、いつなんどき、(カルト)に向かわないとは、だれにも言えない。

●個人的な思考性

 集団の中で、いかに個人的な思考性を守るか。
あるいはそれを育てていくか。
これは民主主義教育の根幹でもある。
戦前のあの、全体主義教育を例にあげるまでもない。

 が、実のところ、私は、日本人の集団性が、ここまで進んでいるとは思っていなかった。
集団性というより、「愚民化」と書くべきかもしれない。
最近読んだ雑誌の中には、それを特集しているのもあった。
若い人たちには辛辣(しんらつ)な意見に聞こえるかもしれない。
が、私もそう思う。
「日本の若者たちは、たしかにバカになりつつある」。

 その原因の第一が、自分の頭を使って、自分で考えないこと。
考えることそのものを放棄してしまっている若者も多い。
が、それがいかに危険なものであるかは、やはり戦前、もしくは戦時中の日本を見ればわかるはず。

 たった1枚の写真だが、その写真を見て、いろいろと考えさせられた。
あるいは、あなたなら、この写真を見て、どう思うだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 集団性 個人的な思考性 思考能力 カルト)


Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司

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