2010年1月2日土曜日

*Short Advices by Hiroshi Hayashi

●ウソは、ていねいにつぶす
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子どもの虚言にも、いろいろある。頭の中で架空の世界をつくりあげてしまう空想的虚言、ありもしないことを信じてしまう妄想など。イギリスの教育格言にも、『子どもが空中の楼閣に住まわせてはならない』というのがある。過関心、過干渉などが原因で、子どもは、こうした妄想をもちやすくなる。子どもがウソをついたら、叱っても意味はない。ますますウソがうまくなる。子どもがウソをついたら、あれこれ問いかけながら、静かに、ていねいに、それをつぶす。そして言うべきことは言っても、あとは、無視する

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●本物を与える
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子どもに見せたり、聞かせたり、与えたりするものは、いつも、本物にこころがける。絵でも、音楽でも、食べ物でも、である。今、絵といえば、たいはんの子どもたちは、アニメの主人公のキャラクターを描く。歌といっても、わざと、どこか音のずれた歌を歌う。食べ物にしても、母親が作った料理より、ファミリーレストランの料理のほうが、おいしいと言う。こういう環境で育つと、人間性まで、ニセモノになってしまう(?)。今、外からの見栄えばかり気にする子どもがふえているので、ご注意!

●ほめるのは、努力とやさしさ
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子どもは、ほめて伸ばす。それはそのとおりだが、ほめるのは、子どもが努力したときと、子どもがやさしさを見せたとき。顔やスタイルは、ほめないほうがよい。幼いときから、そればかりをほめると、関心が、そちらに向いてしまう。また「頭」については、慎重に。「頭がいい」とほめすぎるのも、またまったくほめないのも、よくない。ときと場所をよく考えて、慎重に!

●親が前向きに生きる
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親自身に、生きる目的、方向性、夢、希望があれば、よし。そういう姿を見て、子どももまた、前向きに伸びていく。親が、生きる目的もない。毎日、ただ何となく生きているという状態では、子どももまた、その目標を見失う。それだけではない。進むべき目的をもたない子どもは、悪の誘惑に対して抵抗力を失う。子育てをするということは、生きる見本を、親が見せることをいう。生きザマの見本を、親が見せることをいう。

●機嫌はとらない
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子どもに嫌われるのを恐れる親は、多い。依存性の強い、つまりは精神的に未熟な親とみる。そして(子どもにいい思いをさせること)イコール、(子どもをかわいがること)と誤解する。子どもがほしがりそうなものを買い与え、それで親子のキズナは太くなったはずと考えたりする。が、実際には、逆効果。親は親として……というより、一人の人間として、き然と生きる。子どもは、そういう親の姿を見て、親を尊敬する。親子のキズナも、それで太くなる。

●うしろ姿の押し売りはしない
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生活で苦労している姿……それを日本では、「親のうしろ姿」という。そのうしろ姿を、親は見せたくなくても、見せてしまうものだが、しかしそのうしろ姿を、子どもに押し売りしてはいけない。つまり恩着せがましい子育てはしない。「産んでやった」「育ててやった」「お前を大きくするために、私は犠牲になった」と。うしろ姿の押し売りは、やがて親子関係を、破壊する。

●親孝行は美徳にあらず
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日本では、親孝行を当然の美徳とするが、本当にそうか? 「お前の人生は、お前のもの。私たちのことは心配しなくていいから、思う存分、この世界をはばたいてみろ」と、一度は、子どもの背中をたたいてあげてこそ、親は、親としての責任を果たしたことになる。もちろんそのあと、子どもが自分で考えて、親孝行するというのであれば、それはそれ。しかし親孝行は美徳でも何でもない。子どもにそれを強要したり、求めたりしてはいけない

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●「偉い」を廃語に!
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「偉い」という言葉を、廃語にしよう。日本では、地位の高い人や、何かの賞をとった人を、「偉い人」という。しかし英語国では、日本人が、「偉い人」と言いそうなとき、「リスペクティド・マン」という。「尊敬される人」という意味である。リスペクティド・マンというときは、地位や、名誉には関係ない。その人自身の中身を見て、そう判断する。あなたの子どもには、「偉い人になれ」と言うのではなく、「尊敬される人になれ」と言おう。

●家族を大切に
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『オズの魔法使い』という、小説がある。あの中で、ドロシーという女の子は、幸福を求めて、虹の向こうにあるというエメラルドタウンを冒険する。しかし何のことはない。やがてドロシーは、真の幸福は、すぐそばの家庭の中にあることを知る。今、「家族が一番大切」と考える人が、80~90%になっている。99年の文部省の調査では、40%前後でしかなかったから、これはまさにサイレント革命というにふさわしい。あなたも自信をもって、子どもには、こう言おう。「この世界で、一番大切なものは、家族です」と。

●迷信を否定しよう
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子どもたちの世界では、今、占い、まじない、予言、超能力などが、大流行。努力して、自ら立ちあがるという姿勢が、ますます薄らいできている。中には、その日の運勢に合わせて行動し、あとで、「運勢が当たった」と言う子どもさえいる。(自分で、そうしただけなのだが……。)子どもが迷信らしいことを口にしたら、すかさず、「そんなのはウソ」と言ってやろう。迷信は、まさに合理の敵。迷信を信ずるようになればなるほど、子どもは、ものごとを合理的に考える力を失う。

●死は厳粛に
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ペットでも何でも、死んだら、その死は厳粛にあつかう。そういう姿を見て、子どもは、「死」を学び、ついで、「生」を学ぶ。まずいのは、紙か何かに包んで、ゴミ箱に捨てるような行為。決して遊んだり、茶化したりしてはいけない。子どもはやがて、生きることそのものを、粗末にするようになるかもしれない。なぜ、ほとんどの宗教で、葬儀を重要な儀式と位置づけているかと言えば、それは死を弔(とむら)うことで、生きることを大切にするためである。生き物の死は、厳粛に。どこまでも厳粛に。

●悪玉親意識
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「私は親だ」というのが、親意識。この親意識にも、二種類をある。善玉親意識と、悪玉親意識である。「私は親らしく、子どもの見本になろう」「子どもをしっかりと育てて、親の責任をはたそう」というのが、善玉親意識。一方、「親に向かって何よ!」と、子どもに対して怒鳴り散らすのが、悪玉親意識。いわゆる『親風を吹かす』ことをいう。なお親は絶対と考えるのを、「親・絶対教」という。

●達成感が子どもを伸ばす
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「ヤッター!」という達成感が、子どもを伸ばす。そんなわけで子どもが幼児のうちは、(できる・できない)という視点ではなく、(がんばってやった・やらない)という視点で子どもを見る。たとえまちがっていても、あるいは不十分であっても、子どもががんばってしたようなら、「よくやったわね」とほめて終わる。こまごまとした神経質な指導は、子どもをつぶす。

●子どもは、下から見る
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子育てで行きづまったら、子どもは、下から見る。「下を見ろ」ではない。「下から見る」。今、ここに生きているという原点から見る。そうすると、すべての問題が解決する。昔の人は、こう言った。『上見て、キリなし。下見て、キリなし』と。つまり上ばかり見ていると、人間の欲望には、際限がなく、いつまでたっても、安穏とした世界はやってこない。しかし生きているという原点から見ると、とたんに、すべての世界が平和になる。子育ても、また同じ

●失敗にめげず、前に進む
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「宝島」という本を書いたのが、スティーブンソン。そのスティーブンソンがこんな言葉を残している。『我らが目的は、成功することではない。我らが目的は、失敗にめげず、前に進むことである』と。もしあなたの子どもが何かのことでつまずいて、苦しんでいたら、そっとそう言ってみてほしい。「あなたの目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むことですよ」と。

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●すばらしいと言え、親の仕事
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親の仕事は、すばらしいと言う。それを口ぐせにする。どんな仕事でも、だ。仕事に上下はない。あるはずもない。しかしこの日本には、封建時代の身分制度の名残というか、いまだに、職業によって相手を判断するという風潮が、根強く残っている。が、それだけではない。生き生きと仕事をしている親の姿は、子どもに、大きな安心感を与える。その安心感が、子どもの心を豊かに育てる。

●逃げ場を大切に
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どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。その逃げ場に逃げこむことによって、身の安全をはかり、心をいやす。子どもも、またしかり。子どもがその逃げ場へ入ったら、親は、そこを神聖不可侵の場と心得て、そこを荒らすようなことをしてはいけない。たいていは子ども部屋ということになるが、その子ども部屋を踏み荒らすようなことをすると、今度は、「家出」ということにもなりかねない

●代償的過保護に注意
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過保護というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。しかし代償的過保護には、それがない。子どもを親の支配下において、親の思いどおりにしたいというのを代償的過保護という。いわば親自身の心のスキマを埋めるための、親の身勝手な過保護をいう。子どもの受験競争に狂奔している親が、それにあたる。「子どものため」と言いながら、子どものことなど、まったく考えていない。ストーカーが、好きな相手を追いかけまわすようなもの。私は「ストーカー的愛」と呼んでいる。

●同居は、出産前から
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夫(妻)の両親との同居を考えるなら、子どもの出産前からするとよい。私の調査でも、出産前からの同居は、たいていうまくいく(90%)。しかしある程度、子どもが大きくなってからの同居は、たいてい失敗する。同居するとき、母親が苦情の一番にあげるのが、「祖父母が、子どもの教育に介入する」。同居するにしても、祖父母は、孫の子育てについては、控えめに。それが同居を成功させる、秘訣のようである。

●無能な親ほど規則を好む
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イギリスの教育格言に、『無能な教師ほど、規則を好む』というのがある。家庭でも、同じ。『無能な親ほど、規則を好む』。ある程度の約束ごとは、必要かもしれない。しかし最小限に。また規則というのは、破られるためにある。そのつど、臨機応変に考えるのが、コツ。たとえば門限にしても、子どもが破ったら、そのつど、現状に合わせて調整していく。「規則を破ったから、お前はダメ人間だ」式の、人格攻撃をしてはいけない。

●プレゼントは、買ったものは、ダメ
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できれば……、今さら、手遅れかもしれないが、誕生日にせよ、クリスマスにせよ、「家族どうしのプレゼントは、買ったものはダメ」というハウス・ルールを作っておくとよい。戦後の高度成長期の悪弊というか、この日本でも、より高価であればあるほど、いいプレゼントということになっている。しかしそれは誤解。誤解というより、逆効果。家族のキズナを深めたかったら、心のこもったプレゼントを交換する。そのためにも、「買ったものは、ダメ」と。

●子育ては、質素に
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子育ての基本は、「質素」。ときに親は、ぜいたくをすることがあるかもしれない。しかし、そういうぜいたくは、子どもの見えない世界ですること。一度、ぜいたくになれてしまうと、子どもは、あともどりができなくなってしまう。そのままの生活が、おとなになってからも維持できればよし。そうでなければ、苦しむのは、結局は子ども自身ということになる。

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●ズル休みも、ゆとりのうち
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子どもが不登校を起こしたりすると、たいていの親は、狂乱状態になる。そのときのためというわけでもないが、自分の中に潜む、学歴信仰や学校神話とは、今から戦っていく。その一つの方法が、「ズル休み」。ときには、園や学校をズル休みさせて、親子で、旅行に行く。平日に行けば、動物園でも遊園地でも、ガラガラ。あなたは、言いようのない解放感を味わうはず。「そんなことできない!」と思っている人ほど、一度、試してみるとよい。

●ふつうこそ、最善
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ふつうであることには、すばらしい価値がある。しかし、親たちには、それがわからない。「もっと……」「もう少し……」と思っている間に、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。よい例が、過干渉であり、過関心である。さらに親の過剰期待や、子どもへの過負担もある。賢い親は、そのふつうの価値に、それをなくす前に気づき、そうでない親は、それをなくしてから気づく。

●限界を知る
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子育てには、限界はつきもの。いつも、それとの戦いであると言ってもよい。子どもというのは不思議なもので、親が、「まだ、何とかなる」「こんなはずではない」「うちの子は、やればできるはず」と思っている間は、伸びない。しかし親が、「まあ、うちの子は、こんなもの」「よくがんばっている」と、その限界を認めたとたん、伸び始める。皮肉なことに、親がそばにいるだけで、萎縮してしまう子どもも、少なくない。

●ほどよい親
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子どもには、いつも、ほどよい親であること。あるいは「求めてきたときが、与えどき」と覚えておくとよい。とくに、子どもが何らかの(愛の確認行為)をしてきたときは、すかさず、いとわず。ていねいに、それに応じてあげる。ベタベタの親子関係がよくないことは、言うまでもない。

●子どもの世界は、社会の縮図
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子どもの世界だけを見て、子どもの世界だけを何とかしようと考えても、意味はない。子どもの世界は、まさに社会の縮図。社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4割の悪がある。つまり私たちは子育てをしながらも、同時に、社会にも目を向けなければならない。子どもがはじめて覚えたカタカナが、「ホテル」であったり、「セックス」であったりする。そういう社会をまず、改める。子どもの教育は、そこから始まる。

●よき家庭人
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日本では、「立派な社会人」「社会に役立つ人」が、教育の柱になっていた。しかし欧米では、伝統的に、「よき家庭人(Good family man )」を育てるのが、教育の柱になっている。そのため学習内容も、実用的なものが多い。たとえば中学校で、小切手の切り方(アメリカ)などを教える。ところで隣の中国では、「立派な国民」という言葉がもてはやされている。どこか戦後直後の日本を思い出させる言葉である。

●読書が教育の要
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アメリカには、「ライブラリー」という時間がある。週1回は、たいていどこの学校にもある。つまり、読書指導の時間である。ふつうの教科は、学士資格で教壇に立つことができるが、ライブラリーの教師だけは、修士号以上の資格が必要である。ライブラリーの教師は、毎週、その子どもにあった本を選び、指導する。日本でも、最近、読書の重要性が見なおされてきている。読書は、教育の要である。

●教師言葉に注意
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教師というのは、子どもをほめるときは、本音でほめる。だから学校の先生に、ほめられたら、額面どおり受け取ってよい。しかしその反対に、何か問題のある子どもには、教師言葉を使う。たとえば学習面で問題のある子どもに対しては、「運動面では問題ないですが……」「私の指導力が足りないようです」「この子には、可能性があるのですが、今は、まだその力を出し切っていませんね」というような言い方をする。

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●先取り教育は、幼児教育にあらず
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幼児教育というと、小学校でする勉強を先取りしてする教育だとか、あるいは小学校の入学準備のための教育と考えている人は多い。そのため漢字を教えたり、掛け算の九九を教えたりするのが、幼児教育と思っている人も多い。しかしこれは、まったくの誤解。幼児期には幼児期で、しておくべきことが、山のようにある。子どもの方向性も、このころ決まる。その方向性を決めるのが、幼児教育である。

●でき愛は愛にあらず
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でき愛を、「愛」と誤解している人は多い。しかしでき愛は、愛ではない。親の心のスキマをうめるための、親の身勝手な愛。それをでき愛という。いわばストーカーがよく見せる「愛?」とよく似ている。たとえば子どもの受験勉強に狂奔している親も、それにあたる。「子どものことを心配している」とは言うが、本当は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子どもを利用しているだけ。そしてベタベタの親子関係をつづけながら、かえって子どもの自立をzちゃましてしまう。

●悪玉家族意識
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家族のもつの重要性は、いまさら説明するまでもない。しかしその家族が、反対に、独特の束縛性(家族自我群)をもつことがある。そしてその家族に束縛されて、かえってその家族が、自立できなくなってしまうことがある。あるいは反対に、「親を捨てた」という自責の念から、自己否定してしまう人も少なくない。家族は大切なものだが、しかし安易な論理で、子どもをしばってはいけない。

●伸びたバネは縮む
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受験期にさしかかると、猛烈な受験勉強を強いる親がいる。塾に、家庭教師に、日曜特訓など。毎週、近くの公園で、運動の特訓をしていた父親さえいた。しかしこうした(無理)は、一事的な効果はあっても、そのあと、その反動で、かえって子どもの成績はさがる。「伸びたバネはちぢむ」と覚えておくとよい。イギリスの教育格言にも、『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』というのがある。その格言の意味を、もう一度、考えてみてほしい。

●利他度でわかる人格の完成度
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あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのとき、「ママ、もってあげる!」と走りよってくればよし。反対に、知らぬ顔をして、テレビゲームなどに夢中になってれば、あなたの子どもは、かなりのどら息子と考えてよい。子どもの人格(おとなも!)、いかに利他的であるかによって、知ることができる。つまりドラ息子は、それだけ人格の完成度の低い子どもとみる。勉強のできるできないは、関係ない。

●見栄、体裁、世間体
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私らしく生きるその生き方の反対にあるのが、世間体意識。この世間体に毒されると、子どもの姿はもちろんのこと、自分の姿さえも、見失ってしまう。そしてその幸福感も、「となりの人より、いい生活をしているから、私は幸福」「となりの人より悪い生活をしているから、私は不幸」と、総体的なものになりやすい。もちろん子育ても、大きな影響を受ける。子どもの学歴について、ブランド志向の強い親は、ここで一度、反省してみてほしい。あなたは自分の人生を、自分のものとして、生きているか、と。

●私を知る
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子育ては、本能ではなく、学習である。つまり今、あなたがしている子育ては、あなたが親から学習したものである。だから、ほとんどの親は、こう言う。「頭の中ではわかっているんどえすが、ついその場になると、カッとして……」と。そこで大切なことは、あなた自身の中の「私」を知ること。一見簡単そうだが、これがむずかしい。スパルタのキロンもこう言っている。「汝自身を、知れ」と。哲学の究極の目標にも、なっている。

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