2010年1月26日火曜日

*Magazine Feb. 26th

*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司     2月   26日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page027.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人生の正午
________________________________________

満40歳前後を、「人生の正午」と呼ぶ。このころから、人は、老後の準備を始める。つ
まり「死」という限界状況の中で、自分のすべきことを模索するようになる。(したいこ
と)ではない。(すべきこと)を、だ。その準備を怠ると、その人の老後は、あわれで、
みじめなものになる。孫の世話、庭木の手入れ、旅行ざんまいの生活が、けっしてあるべ
き(老後の生活)ではない。

●「だから、それがどうしたの?」
________________________________________

(したいこと)と、(すべきこと)の間には、大きな距離がある。それがわからなければ、
自分にこう問うてみればよい。何か、おいしいものを食べた……だから、それがどうした
の?、と。あるいは何か、ぜいたくなものを買った……だから、それがどうしたの?、と。
(したいこと)をしても、その答は返ってこない。(すべきこと)をしたときのみ、その
答が返ってくる。

●子育ては、子離れ
________________________________________

心のどこかで子育てを意識したら、すかさず、子離れを考える。もっと言えば、いかに子
どもの親離れをじょうずにさせるかを、考える。でないと、未熟な親のまま、いつまでも
子離れできなくなってしまう。そのよい例が、野口英世の母である。外国で懸命に研究生
活をしている自分の息子に向かって、「帰ってきておくれ」は、ない。言うとしたら、「私
のことは心配しなくていい」「研究が終わるまで、帰ってくるな」である。未熟な親を、
けっして美化してはいけない。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●「釣りバカ日誌」論
________________________________________

浜ちゃんとスーさんは、いつもいっしょに釣りに行く。しかし自分の妻は連れていかない。
日本人には何でもない光景だが、欧米では、考えられない。会社の同僚たちとの飲み食い
(=パーティ)するときでも、夫婦同伴が原則。もし欧米で、男どうしが、2人でいそい
そと旅行に行こうものなら、同性愛者とまちがえられる。見なれた光景だが、日本の常識
は、けっして世界の常識ではない。

■子はかすがい論
________________________________________

たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよくある。夫婦のきずな
も、それで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならない。夫婦関係
がこわれかかっているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、子はまさ
に「足かせ」でしかない。日本には「子は三界の足かせ」という格言もある。

■親のうしろ姿
________________________________________

生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では「子は親のうしろ
姿を見て育つ」というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がいる。「親の
うしろ姿は見せろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見
せたくなくても、子どもは見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけ
ない。)恩着せがましい子育て、お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿
を見せようとする。

■親の威厳
________________________________________

「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場にいるものには、
居心地のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。その分だ
け上のものの前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというものは、
百害あって一利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の
権威」などというのは、封建時代の遺物と考えてよい。

■育自論
________________________________________

よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちがっては
いないが、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、
谷を越えている間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もち
ろん人間として、外の世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育
てとは関係のないこと。子育てにかこつける必要はない。

■親孝行論
________________________________________

安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的な「孝行」を子
どもに求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも子ども
の問題。子どもの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。たが
いにやさしい、思いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲
になるのも、子どもが親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。親子は、あくま
でも「尊敬する」「尊敬される」という関係をめざす。

■「産んでいただきました」論
________________________________________

● よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えてい
ただきました」と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そういうふうに思
わせてしまったその人の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして恩着せ
がましい子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもにそう思わせてしまう。いわゆる
依存型子育てというのが、それ。

■水戸黄門論
________________________________________

日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといって
も、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にど
っぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわか
らないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひ
れ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪
いことをしようとしたら、どんなことでもできる。ご注意!

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

■「釣りバカ日誌」論
________________________________________

男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、
「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこ
れこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パ
ーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすと
いうことは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が
生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●三つの失敗

 子育てには失敗はつきものとは言うが、その中でもこんな失敗。

ある母親が娘(高校1年)にこう言ったときのこと。その娘はこのところ、何かにつけて
母親を無視するようになった。「あんたはだれのおかげでピアノがひけるようになったか、
それがわかっているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、ピアノ教室へ連れていっ
てあげたからでしょ。それがわかっているの!」と。それに答えてその娘はこう叫んだ。
「いつ、だれがあんたにそんなことをしてくれと頼んだ!」と。これが失敗、その1。

 父親がリストラで仕事をなくし、ついで始めた事業も失敗。そこで高校3年生になった
娘に、父親が大学への進学をあきらめてほしいと言ったときのこと。その娘はこう言った。
「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、私の学費を用意してよ! 
私を大学へやるのは、あんたの役目でしょ」と。

そこで私に相談があったので、その娘を私の家に呼んだ。呼んで、「お父さんのことをわ
かってあげようよ」と言うと、その娘はこう言った。「私は小さいときから、さんざん勉
強しろ、勉強しろと言われつづけてきた。中学生になったときも、行きたくもないのに、
進学塾へ入れさせられた。そして点数は何点だった、偏差値はどうだった、順位はどうだ
ったとそんなことばかり。この状態は高校へ入ってからも変わらなかった。その私に、『も
う勉強しなくていい』って、どういうこと。そんなことを言うの許されるの!」と。これ
が失敗、その2。

 Yさん(女性40歳)には夢があった。長い間看護婦をしていたこともあり、息子を医
者にするのが、夢であり、子育ての目標だった。そこで息子が小さいときから、しっかり
とした設計図をもち、子どもの勉強を考えてきた。が、決して楽な道ではなかった。Yさ
んにしてみれば、明けても暮れても息子の勉強のことばかり。ときには、「勉強しろ」「う
るさい」の取っ組みあいもしたという。

が、やがて親子の間には会話がなくなった。しかしそういう状態になりながらも、Yさん
は息子に勉強を強いた。あとになってYさんはこう言う。「息子に嫌われているという思
いはどこかにありましたが、無事、目標の高校へ入ってくれれば、それで息子も私を許し
てくれると思っていました」と。

で、何とか息子は目的の進学高校に入った。しかしそこでバーントアウト。燃え尽きてし
まった。何とか学校へは行くものの、毎日ただぼんやりとした様子で過ごすだけ。私に「家
庭教師でも何でもしてほしい。このままでは大学へ行けなくなってしまう」と母親は泣い
て頼んだが、程度ですめばまだよいほうだ。これが失敗、その3。

 こうした失敗は、失敗してみて、それが失敗だったと気づく。その前の段階で、その失
敗、あるいは自分が失敗しつつあると気づく親は、まずいない。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●断絶とは

 「形」としての断絶は、たとえば会話をしない、意思の疎通がない、わかりあえないな
どがある。「家族」が家族として機能していない状態と考えればよい。家族には助け合い、
わかりあい、教えあい、守りあい、支えあうという5つの機能があるが、断絶状態になる
と、家族がその機能を果たさなくなる。

親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即
発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親
で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか! そして一度、こうい
う状態になると、あとは底なしの悪循環。親が修復を試みようとすればするほど、子ども
はそれに反発し、子どもは親が望む方向とは別の方向に行ってしまう。

 しかし教育的に「断絶」というときは、もっと根源的には、親と子が、人間として認め
あわない状態をいう。たとえば今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は5
5%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青
少年白書』平成10年)。

もっともほんの少し前までは、この日本でも、親の権威は絶対で、子どもが親に反論した
り、逆らうなどということは論外だった。今でも子どもに向かって「出て行け!」と叫ぶ
親は少なくないが、「家から追い出される」ということは、子どもにとっては恐怖以外の
何ものでもなかった。江戸時代には、「家」に属さないものは無宿と呼ばれ、つかまれば
そのまま佐渡の金山に送り込まれたという。その名残がごく最近まで生きていた。いや、
今でも、親の権威にしがみついている人は少なくない。

 日本人は世間体を重んじるあまり、「中身」よりも「外見」を重んじる傾向がある。た
とえば子どもの学歴や出世(この言葉は本当に不愉快だが)を誇る親は多いが、「いい家
族」を誇る親は少ない。中には、「私は嫌われてもかわまない。息子さえいい大学へ入っ
てくれれば」と、子どもの受験競争に狂奔する親すらいる。

価値観の違いと言えばそれまでだが、本来なら、外見よりも中身こそ、大切にすべきでは
ないのか。そしてそういう視点で考えるなら、「断絶」という状態は、まさに家庭教育の
大失敗ととらえてよい。言いかえると、家族が助け合い、わかりあい、教えあい、守りあ
い、支えあうことこそが、家庭教育の大目標であり、それができれば、あとの問題はすべ
てマイナーな問題ということになる。そういう意味でも、「親子の断絶」を軽く考えては
いけない。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●親子の断絶の三要素、(1)リズムの乱れ

 親子を断絶させる三つの要素に、(1)リズムの乱れ、(2)価値観の衝突、それに(3)
相互不信がある。

 まず(1)リズムの乱れ。子育てにはリズムがある。そしてそのリズムは、恐らく母親
が子どもを妊娠したときから始まる。中には胎児が望む前から(望むわけがないが)、お
なかにカセットレコーダーを押しつけて、英語だのクラシック音楽を聞かせる母親がいる。
さらに子どもが生まれると、今度は子どもが「ほしい」と求める前に、時計を見ながら、
ミルク瓶を無理やり子どもの口に押し込む親がいる。「もうすぐ3時間50分……おかし
いわ。どうしてうちの子、泣かないのかしら……。もう4時間なのに……」と。

 そしてさらに子どもが大きくなると、子どもの気持ちを確かめることなく、「ほら、英
語教室」「ほら、算数の教室」とやりだす。このタイプの母親は、「子どものことは私が
一番よく知っている」とばかり、何でもかんでも、母親が決めてしまう。いわゆる『ハズ
論』で子どもの心を考える。「こうすれば子どもは喜ぶハズ」「こうすれば子どもは感謝
するハズ」と。

このタイプの母親は、外から見ると、それがよくわかる。子どものリズムで生活している
母親は、子どもの横か、うしろを歩く。しかしこのタイプの母親は、子どもの前に立ち、
子どもの手をぐいぐいと引きながら歩く。あるいはこんな会話をする。

 私、子どもに向かって、「この前の日曜日、どこかへ行ってきたの?」、それを聞いた
母親、会話の中に割り込んできて、「おじいちゃんの家に行ってきたわよね。そうでしょ。
だったらそう言いなさい」、そこで私、再び子どもに向かって、「楽しかった?」と聞く
と、母親、また割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、楽しかっ
たと言いなさい」と。

 いつも母親のほうがワンテンポ早い。このリズムの乱れが、親子の間にキレツを入れる。
そしてそのキレツが、やがて断絶へとつながっていく。あんたはだれのおかげでピアノが
ひけるようになったか、それがわかっているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、
ピアノ教室へ連れていってあげたからでしょ。それがわかっているの!」「いつ、だれが
あんたにそんなことをしてくれと頼んだ!」と。

つまりこのタイプの親は、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談
があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小3男児)は毎日、通信
講座のプリントを3枚学習することにしていますが、2枚までなら何とかやります。が、
3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょう
か」と。

こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚するようになれば、親は、「四枚やらせたい」と
言うようになる。子どもは、それを知っている。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自分への怒り

++++++++++++++++++

少し前だが、学生時代の友人が、がんで
他界した。
その少し前のこと。
そのときすでに末期だったということになる。
街で偶然出会い、話しかけてみたが、会話が
まったくかみ合わなかった。
よそよそしいというか、上の空というか・・・。
「いっしょに店でも、回ってみるか?」と声も
かけた。
が、どこか迷惑そうな顔をしてみせた。

その様子からそのとき私は、「何かぼくは失礼な
ことでもしたのだろうか」と、何度も自問してみた。
が、思い当たることはなかった。

+++++++++++++++++

●自分への怒り

 何かの本で読んだことがある。
人は、自分の内部で勝手に増殖するがんのような病気にかかると、自分を怒る、と。
もちろん他人を責めても意味はない。
そこでその(怒り)は、自分自身へと向かう。

 が、そのときどういう心境になるかは、やはり、その人と同じ状況に立たされてみない
とわからない。
「やりきれないだろうな」というところまでなら、私にもわかる。
他人に蹴られたとか、殴られたのではない。
自分で、自分の中に、がん細胞を作る・・・。

●あるドラ娘

 あるところに、どうしようもないドラ娘がいた。
自分勝手でわがまま。
家事はいっさい、手伝わない。
ときどきボーフレンドを家に連れてきて、母親に食事の用意までさせていた。
その母親も、同じようなことを言っていた。

 「娘に対する怒りというより、そういう娘にしてしまった自分への怒りを覚えました」
と。

 さらに似たような話だが、ワイフの友人(女性、60歳くらい)が、ワイフにこう言っ
たという。
「ときどき息子が嫁さんを連れて、家に帰ってきますが、今どきの嫁さんは、家事をまっ
たく手伝ってくれません」と。
食事の世話から、寝支度の世話まで、すべてその友人がしているという。
「息子も、共働きなので、強くは言えないようです」と。
ワイフの友人も、自分に対する怒りを覚えていた。

●ニヒリズム

 他人を怒るのは、避けた方がよい。
避けられるものなら、避けた方がよい。
しかし自分に対して怒るのは、その人を強くする。
苦しい闘いだが、その(苦しさ)が、精神をたくましくする。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●無私の愛(Unconditional Love)

++++++++++++++++

無私の愛。
損得の勘定を捨てきった愛。
英語では、「unconditional love(無条件の愛)」という。
しかし無私の愛などというものは、それを求めようとして、
求められるものではない。
無私の愛などいうものは、裏切られ、さらに裏切られ、
その上さらに裏切られ、「どうにでもなれ」という状況
になってはじめて、それがそこにあることを知る。
あるいは苦しみや悲しみの果てでもよい。
苦しんで、苦しんで、悲しんで、悲しんで、
その果てに、それがそこにあることを知る。

が、あくまでも結果。
その結果として、「無私の愛」を知る。
「知る」というよりは、そういう状況に追い込まれる。
否応なしに、追い込まれる。
追い込まれたあと、「無私の愛」がそこにあることを知る。
そこに、最後の救いを見出す。
しがみつく。

+++++++++++++++++

●本能的な愛

 「私は子どもを愛しています」などと、平気で言う人がいる。
結構なことである。
すばらしいことである。
しかしその実、「愛」が何であるか、そういう人たちは、まったくわかっていない。
「愛」という言葉に酔っているだけ(失礼!)。

 というのも本能的な部分で、親は子どもを愛する(?)ようにできている。
一方、子どもは、本能的な部分で、親に愛されるようにできている。
最近の研究によれば、そうした心のメカニズムを、「mutual attachment(相互アタッチメ
ント)」という言葉を使って、説明する。
たとえばあの赤ん坊が、オギャーオギャーと泣いたとする。
が、そうして泣くのも、計算づく。
母性愛や父性愛をくすぐるために、赤ん坊は、自分の脳にインプットされた、プログラム
に従って泣く。
つまり赤ん坊が、親を操る。
親の心を操る。
それが別の形で現れるのが、「赤ちゃん返り」ということになる。

 下の子どもが生まれたりして、愛情飢餓の状態になると、子どもはもう一度、赤ちゃん
に戻り、親の関心を自分に引き寄せようとする。
おもらしをしたり、ネチネチした言い方をするなど。
本能的な部分で起こる現象のため、子どもを叱ったり、説教したりしても意味はない。
また、それでどうこうなるような問題ではない。

 こうした愛(?)を、私は、「本能的な愛」と呼んでいる。
もちろん先に書いた、「無私の愛」とは、まったく異質のものである。

●絶望感

 時として親は、子育てをしながら、はげしい絶望感を覚える。
挫折感、失望感・・・、何でもよい。
が、そこは自分の子ども。
自分の子どもから、逃れるわけにはいかない。
いかにはげしく葛藤しても、最終的には、受け入れるしかない。

 というのも人間の心というのは、不安定な状態には、たいへんもろい。
それから生まれる緊張感には、相当なものがある。
長くは持ちこたえられない。
そのため、一気に、どちらかの側にころぼうとする。
(拒絶)か、さもなければ(受容)か、と。
夫婦のばあいは、(拒絶)=(離婚)という方法もあるが、相手が自分の子どもでは、そう
はいかない。
親は、とことん、袋小路に追い詰められる。

 もっとも(拒絶)が、まったくないかというと、そうでもない。
本気で子どもを見捨ててしまう親も、少なくない。
家庭騒動、経済問題、夫婦不和などが、原因となることもある。
が、ごくふつうの家庭でも、(見た目には、まったくふつうの家庭でも)、(拒絶)が起こる
ことがある。

 援助交際を繰り返していた中学2年生の女子を、警察官が家の母親に電話をしたところ、
その母親は、こう言った。
「私には関係ないことですから、(娘を)勝手にしてください」と。
そして娘には、「2度と、家には帰ってこないでよ」(某テレビ局の突撃番組)と。
(中学2年生の娘に、だぞ!)
現実には、そういう家庭もある。

●受容

 が、一般的なケースでは、子どものできが悪ければ悪いほど、親は、自分を責める。
他人の子どもなら、「ハイ、さようなら!」と別れることもできる。
が、相手が自分の子どもでは、そうはいかない。
義務と責任、憎悪と愛情のはざまで、親は、もがく。
苦しむ。
が、それも頂点に達すると、親は究極の選択に迫られる。

「拒絶か、受容か」と。
その(受容)の先にあるのが、冒頭にあげた、「無私の愛」ということになる。
「もうどうにでもなれ!」と。

 しかしだからといって、子どもを捨てるわけではない。
あきらめるわけでもない。
子どもを自分の中に、完全に受け入れる。
それが「無私の愛」ということになる。 

 が、そこか実におおらかで、ゆったりとした世界。
何ものにも束縛されない、自由な世界。
しかしここで誤解してはいけないことがある。
だからといって、それで親子関係が正常になるとか、心豊かになるとか、そういうことで
はない。
親子関係は、そのまま。

もしあなたの子どもが、どうしようもないドラ息子や、ドラ娘であれば、そのまま。
無私の愛といっても、その中身は一方的なもの。
見返りさえ、ない。
つまりそのことまで、受け入れてしまう。
それが「無私の愛」ということになる。

●補足

 K国による拉致被害者にYTめぐみさんがいる。
その両親は、今の今も、めぐみさんの救済活動をつづけている。
その姿を、テレビなどでかいま見るたび、金xxへの怒りがこみあげてくる。
(拉致の首謀者は、まちがいなく、あの金xxだぞ!)
と、同時に、めぐみさんの両親には、神々しいほどまでの崇高さを感ずる。

それはもう「無私の愛」などという、生やさしいものではない。
私がここで説明した「無私の愛」などというものは、めぐみさんの両親には、ただの紙切
れのようなもの。
苦しんだり、悲しんだりするといっても、そこには限度というものがある。
めぐみさんの両親は、その限度を超えている。
K国に対する非難の攻撃を、けっしてゆるめてはいけない。
もうこれ以上、めぐみさんの両親を、苦しめてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 無私の愛 無条件の愛 親の愛)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親バカ論】

●就職率50%

 大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50~60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。
「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。
つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!

 浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
その浜松市でも、「50%」!

●親、貧乏盛り

 『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。
それについては、何度も書いてきた。

 で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2~3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える。
(月収だぞ!)

 一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのよ
うに軽い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらで
もある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。

 全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということにな
る。

●3人に1人が、高齢者

 3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。

 となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、ま
たあなたのめんどうをみない。
60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。

●親バカ

 こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってく
る。
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生にじゃ通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識で
ある。
むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている」
「どうして結婚の支度金を出してくれないのか」と。

保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわ
けにはいかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。

 どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たち
は、みな、つぎつぎと親バカになっていく。

●老後の用意

 しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。

 ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさ
い手伝わない。いつもお客様だよ」と。
別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ~イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。

 この話をワイフにすると、ワイフもこう言った。
「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎
週、実家へ子どもたちを連れて夕食を食べに来るんだってエ」と。

 で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たち
は、それで食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだ
けだそうよ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。

 私が「ヘエ~~」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」
と。

私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、と
きには、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。

●何かおかしい?

 何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは・・・」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を
説くようなもの。
意味はない。

 言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれる
かもしれない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。

●私のケース

 私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想
が、まったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。

「相手の親(=嫁の親)は、~~してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないの
か?」と。

 息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関
係)をいう。
目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。

●満62歳にして完成

 ・・・こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。

 というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解で
きないだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。

 が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。

 が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)

 少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」
と。

 私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
心底、自分に怒れた。
何日か眠れない日がつづいた。
が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、満62歳にして、子離れ完成、と。

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子離れ 親離れ 依存性 甘えの構造 甘え 子どもへの依存性 老
後 はやし浩司 親バカ論)

●親バカにならないための10か条

(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                      
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。