2010年1月27日水曜日

*Magazine Jan 27th 2010

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 27日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【常識の壁】

●思考のパターン化(思考回路の形成)

+++++++++++++++++++++++

同じことを繰り返す。
繰り返していると、やがて脳みそは、やがてそれを
パターン化する。
パターン化して、そのまま脳の中に叩きこむ。
これを「自動化」という。

たとえばコップを手に取り、お茶を飲む。
そのとき、手でどのようにコップを握るか、
それをいちいち考えてする人はいない。
手は自動的に動き、コップを手にし、それを
口に運ぶ。
これが自動化である。

もう少し複雑な自動化としては、タイピングがある。
パソコンに向かって、キーボードを打つときを、思い浮かべて
みればよい。

私もこうして文字をパソコンに向かって、キーボードを
打つとき、どこにどのキーがあるか、いちいち考えて打たない。
短い言葉なら、指がまとめて動く。
「まとめて」というのは、たとえば「言葉」と打つとき、
何も考えなくても、「KOTOBA」と、一気に指が動く。
「K」「O」「T」……というように、ひとつずつの
キーを意識して打つわけではない。

だからふつう、口で話すよりも速く、文字を打つことができる。
この自動化のおかげで、私は、能率よく、かつ無駄なく、自分の
仕事をこなすことができる。

++++++++++++++++++++

●思考回路

 ある作業を繰り返していると、脳はそのパターンを認識し、それを記憶する。
脳の中に、一定の回路をつくる。 
そうした回路のうち、作業に関する回路は、手続きが記憶されるという意味で、「手続き記
憶」とも呼ばれている。
わかりやすく言えば、頭が覚えるのではなく、体が覚える。
(本当は、頭が覚えるのだが……。)

 たとえばここに書いたタイピングにしても、最初は、一本の指だけでパチン、パチンと
打つ。
が、慣れてくると、カチカチと打てるようになる。
さらに練習を重ねていくと、キーボードを見なくても、文字が打てるようになる。

同じような現象が、「思考」についても、起きる。

 たとえば何かの問題にぶつかったとしよう。
そのとき私たちは自分のもつ思考回路に沿って、ものを考え、問題を解決しようとする。
たとえば暴力団の人は、(暴力)という手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。(多
分?)
お金や権力のある人は、お金や権力という手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。
(多分?)
私のばあいは、ものを書くのが好きだし、「ペン」の力を信じている。
だからものを書くという手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。

 人それぞれだが、さらに中身をみていくと、興味深い事実に気がつく。

●常識(?)

 それぞれの人には、それぞれの(糸)が無数にからんでいる。
過去の糸、生い立ちの糸、環境の糸、教育の糸、人間関係という糸、などなど。
そういう無数の糸にからまれながら、その人のものの考え方、つまり常識ができあがって
いく。

 アインシュタインは、「その人の常識は、18歳くらいまでに完成される」というような
ことを書き残している。
「18歳」という年齢にこだわる必要はないが、かなり早い時期に完成されることは事実
である。
そしてその常識は、一度形成されると、よほどのことがないかぎり、生涯に渡ってそのま
ま、その人のものの考え方の基本となる。

 たとえばY氏(67歳)は、ことあるごとに、「お前は、男だろが!」「お前は、長男だ
ろが!」「何と言っても、親は親だからな!」とか言う。
そういう言葉をよく使う。
何か問題が起こるたびに、そう言う。
それがY氏の常識ということになる。
そうした常識は、ルーツをたどっていくと、かなり若いころまで、さかのぼることができ
る。
Y氏は、若いころ、「親絶対教」として知られる、M倫理団体の青年部員として活躍してい
た。

●思考回路への挑戦

 私が自分のもつ思考回路を疑い始めたのは、オーストラリアに留学していたときだった。
もちろんそのときは、「思考回路」という言葉すら、知らなかった。
そのことを書いたのが、つぎの記事である(「世にも不思議な留学記」(中日新聞発表済み))。

 この中で、私は、私たちがもっている職業観ですら、環境の中で作られていくものだと
いうことを書きたかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。
許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「お
めでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕
事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。

彼は「ブタ」という言葉を使った。あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識
そのものが、日本人のそれとはまったくちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オー
ストラリア国内で、と考えていたようだ。

また別の日、フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊
に入るのか」と。「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本
五十六)の、伝統ある軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、
マルコス政権下。軍人になることイコール、出世を意味していた。マニラ郊外にマカティ
と呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進するだけで、家つき、運
転手つきの車があてがわれた。

またイソロクは、「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間
では英雄だった。これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各
国の植民地になったという暗い歴史がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそ
んなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあ
るごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言ってい
た。ほかに自慢するものがなかった。

が、国変われば、当然、価値観もちがう。私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえ
ば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選んだ。それが学生として、最良の道だと信じて
いた。しかしそういう価値観とて、国策の中でつくられたものだった。私は、それを思い
知らされた。時まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 で、帰国後、私は大阪に本社を置く、M物産(当時は、東京と大阪の2本社制を敷いて
いた)に勤めるようになった。
そこで私は、ある日、こんな実験をした。
今にして思えば、それが、私が意識的にした最初の、思考回路への挑戦だったと思う。
私は自分の思考回路を、変えてみたかった。

 それについて書いた原稿が、つぎのもの。
少し余計なことも書いているが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私の過去(心の実験)

 私はときどき心の実験をする。わざと、ふつうでないことをして、自分の心がどう変化
するのを、観察する。若いときは、そんなことばかりしていた。私の趣味のようなものだ
った。

たとえば東京の山手線に乗ったとき、東京から新橋へ行くのに、わざと反対回りに乗るな
ど。あるいは渋谷へいくとき、山手線を三周くらい回ってから行ったこともある。

一周回るごとに、自分の心がどう変化するかを知りたかった。しかし私の考え方を大きく
変えたのは、つぎのような実験をしたときのことだ。

 私はそのとき大阪の商社に勤めていた。帰るときは、いつも阪急電車を利用していた。
そのときのこと。あの阪急電車の梅田駅は、長い通路になっていた。その通路を歩いてい
ると、たいていいつも、電車の発車ベルが鳴った。するとみな、一斉に走り出した。私も
最初のころはみなと一緒に走り、長い階段をかけのぼって、電車に飛び乗った。

しかしある夜のこと、ふと「急いで帰って、それがどうなのか」と思った。寮は伊丹(い
たみ)にあったが、私を待つ人はだれもいなかった。そこで私は心の実験をした。

 ベルが鳴っても、わざとゆっくりと歩いた。それだけではない。プラットホームについ
てからも、横のほうに並べてあるイスに座って、一電車、二電車と、乗り過ごしてみた。

それはおもしろい実験だった。しばらくその実験をしていると、走って電車に飛び乗る人
が、どの人もバカ(失礼!)に見えてきた。当時はまだコンピュータはなかったが、乗車
率が、130~150%くらいになると電車を発車させるようにダイヤが組んであった。
そのため急いで飛び乗ったようなときには、イスにすわれないしくみになっていた。

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。「早く楽になろうと思ってがんばっ
ているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、愚かな生き方の代
名詞にもなっている格言である。

その電車に飛び乗る人がそうだった。みなは、早く楽になりたいと思って電車に飛び乗る。
が、しかし、そのためにかえって、よけいに疲れてしまう。

 ……それから35年あまり。私たちの世代は企業戦士とか何とかおだてられて、あの高
度成長期をがむしゃらに生きてきた。人生そのものが、毎日、発車ベルに追いたてられる
ような人生だった。どの人も、いつか楽になろうと思ってがんばってきた。

しかし今、多くの仲間や知人は、リストラの嵐の中で、つぎつぎと会社を追われている。
やっとヒマになったと思ったら、人生そのものが終わっていた……。そんな状態になって
いる。

私とて、そういう部分がないわけではない。こう書きながらも、休息を求めて疲れるよう
なことは、しばしばしてきた。しかしあのとき、あの心の実験をしなかったら、今ごろは
もっと後悔しているかもしれない。

そのあと間もなく、私は商社をやめた。今から思うと、あのときの心の実験が、商社をや
めるきっかけのひとつになったことは、まちがいない。

【補記2】

 やはり、「♪のんびり行こうよ……」は、いい歌です。私は何度も、この歌と歌詞に救わ
れました。小林亜星さん、そしてそのコマーシャルを流してくれたM石油さん、ありがと
う。

 そうそうそのM石油。一度、入社試験を受けたことがあるんですよ。学生時代の話です
が……。そのあとM物産に入社が内定したので、そのままになってしまいましたが……。
ごめん!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 話は前後するが、私はこんな経験もした。
私の思考回路に、強烈な刺激を与えた事件だった。
同じく『世にも不思議な留学記』の中で、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●たった一匹のネズミを求めて(そのネズミになる)

●牧場を襲った無数のネズミ

 私は休暇になると、決まって、アデレード市の近くにある友人の牧場へ行って、そこで
いつも一、二週間を過ごした。「近く」といっても、数百キロは、離れている。広大な牧場
で、彼の牧場だけでも浜松市の市街地より広い。その牧場でのこと。

ある朝起きてみると、牧場全体が、さざ波がさざめくように、波うっていた! 見ると、
おびただしい数のネズミ、またネズミ。……と言っても、畳一枚ぐらいの広さに、一匹い
るかいないかという程度。しかも、それぞれのネズミに個性があった。農機具の間で遊ん
でいるのもいたし、干し草の間を出入りしているのもいた。

あのパイドパイパーの物語に出てくるネズミは、一列に並んで、皆、一方向を向いている
が、そういうことはなかった。

 が、友人も彼の両親も、平然としたもの。私が「農薬で駆除したら」と提案すると、「そ
んなことをすれば、自然のライフサイクルをこわすことになるから……」と。農薬は羊の
健康にも悪い影響を与える。こういうときのために、オーストラリアでは州による手厚い
保障制度が発達している。

そこで私たちはネズミ退治をすることにした。方法は、こうだ。まずドラム缶の中に水を
入れ、その上に板切れを渡す。次に中央に腐ったチーズを置いておく。こうすると両側か
ら無数のネズミがやってきて、中央でぶつかり、そのままポトンポトンと、水の中に落ち
た。が、何と言っても数が多い。私と友人は、そのネズミの死骸をスコップで、それこそ
絶え間なく、すくい出さねばならなかった。

 が、三日目の朝。起きてみると、今度は、ネズミたちはすっかり姿を消していた。友人
に理由を聞くと、「土の中で眠っている間に伝染病で死んだか、あるいは集団で海へ向かっ
たかのどちらかだ」と。伝染病で死んだというのはわかるが、集団で移動したという話は、
即座には信じられなかった。移動したといっても、いつ誰が、そう命令したのか。ネズミ
には、どれも個性があった。

そこで私はスコップを取り出し、穴という穴を、次々と掘り返してみた。が、ネズミはお
ろか、その死骸もなかった。一匹ぐらい、いてもよさそうなものだと、あちこちをさがし
たが、一匹もいなかった。ネズミたちは、ある「力」によって、集団で移動していった。

●人間にも脳の同調作用?

 私の研究テーマの一つは、『戦前の日本人の法意識』。なぜに日本人は一億一丸となって、
戦争に向かったか。また向かってしまったのかというテーマだった。が、たまたまその研
究がデッドロックに乗りあげていた時期でもあった。あの全体主義は、心理学や社会学で
は説明できなかった。

そんな中、このネズミの事件は、私に大きな衝撃を与えた。そこで私は、人間にも、ネズ
ミに作用したような「力」が作用するのではないかと考えるようになった。わかりやすく
言えば、脳の同調作用のようなものだ。最近でもクローン技術で生まれた二頭の牛が、壁
で隔てられた別々の部屋で、同じような行動をすることが知られている。そういう「力」
があると考えると、戦前の日本人の、あの集団性が理解できる。……できた。

 この研究論文をまとめたとき、私の頭にもう一つの、考えが浮かんだ。それは私自身の
ことだが、「一匹のネズミになってやろう」という考えだった。「一匹ぐらい、まったくち
がった生き方をする人間がいてもよいではないか。皆が集団移動をしても、私だけ別の方
角に歩いてみる。私は、あえて、それになってやろう」と。

日本ではちょうどそのころ、三島由紀夫が割腹自殺をしていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思考回路 

 何度も書くが、思考回路そのものは、「悪」ではない。
思考回路があるからこそ、私たちは日常の生活の中で、ものごとをスムーズに作業し、も
のごとをスムーズに考えることができる。
手続き記憶を考えてみれば、それがわかる。

 しかしこの思考回路は、ときとして、新しいものの考え方に対して、壁となって立ちは
だかることがある。
新しいものの考え方を取り入れるのを、じゃまする。
それだけではない。
その返す刀で、新しいものの考え方を、「まちがっている」と排斥してしまうことがある。
ときにはそれがその人の全人格的な思考回路になっていることがある。
たとえば「義理・人情」とかいう言葉をよく使う人がいる。
そういう人は、何かにつけて、この言葉に固執する。

 そういう人がそれまでの思考回路を変更するということは、その人自身が自分の過去、
つまりそれまで生きてきた人生そのものを否定することに等しい。
その分だけ、衝撃が大きい。
だからよけいにはげしく、抵抗する。
「オレは、義理・人情に命をかける」と。

 ……というような経験は、日常生活の中でもよくする。

 そこで2つのことを提案したい。

(1)常に新しい思考回路が組み込めるように、心の中に余裕(ROOM)を作っておくこ
と。
(2)常に新しい思考回路をもった人と接する機会を、大切にすること。

 つまり自分がもつ常識は、絶対的なものでないと、いつもどこかでそれを疑う。
一度思考回路ができてしまうと、『類は友を呼ぶ』のことわざ通り、人は居心地のよい世界
を求めて、集まる傾向がある。
暴力団の人は、暴力団の人どうし。
ドクターの人は、ドクターの人どうし。
さらには老人の人は、老人の人どうし、と。
が、これは思考回路を固定化するという面で、危険なことでもある。

 私は個人的には、子どもと接するのがよいと思うが、みながみな、そういう機会がある
というわけではない。
子どもたちの思考回路は、いわば白紙の状態。
その(白紙)を見ながら、私たちは自分の思考回路に(色)がついていたり、あるいは(汚
れていることを知ったりする。

 ……ということで、思考回路について、考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 思考回路 手続き記憶 手続き的知識 常識の破壊 常識への挑戦)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●新しい日本の流れ(再考版)


++++++++++++++++++


古い原稿を、読み直している。
日付は、2007年となっているが、
実際には、もっと古いと思う。
記事の内容からして、2000~2001年
ごろ書いたものではないかと思う。


こうして古い原稿を読みなおしてみると、
古い原稿そのものが、私の一部になっているのが
わかる。


私は(過去)の上に立っている。
と、同時に、2つのことに気づく。


ひとつは、「その通りだ」と思う部分。
もうひとつは、「少し、おかしいぞ?」と
思う部分。
この10年の間に、世間の事情も大きく
変化した。
私自身も、変化した。


が、基本的には、私は(過去)の上に
立っている。


つっこみの甘いエッセーだが、「10年前に
は、こんなことを考えていたのか」と
思いながら、読んだ。
現状に合わない意見もあるが、それはそれとして
許してほしい。


が、その一方で、今、教育の世界が、私が予想
した通りに動きつつあるのを知るのは、
楽しい。


たとえば「学力」の見直しも進んでいる(09年)。
入試制度も、この10年のうちに、大きく
変わりつつある。


そんなことも考えながら、以下の原稿を読んで
いただければ、うれしい。


+++++++++++++++++

 
 日本の教育は、今、知識偏重の詰めこみ教育から、議論をしながら考える教育へと、そ
の転換期にある。
多くの学校で、今まで私たちが知らなかった試みが、なされている。


 今までは、知識詰め込み式の教育でよかったが、これからは、もう、そういう教育は、
通用しない。それはもう、だれの目にも、明らかである。
(しかしその亡霊は、社会や化学など、いたるところに残ってはいるが……。)


 と書いても、私に、何か、具体的な方法論があるわけではない。私は、こういうとき、
つまり、自分がどこか袋小路に入ったのを感じたようなときは、ネットサーフィンをしな
がら、あちこちで世界の賢者たちの言葉を読むことにしている。


 世界の賢者たちの言葉を、あちこちから拾って、訳をつけてみた。


+++++++++++++


★The important thing is not to stop questioning. ー Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることだ」(A・アインシュタイン)


★Those who educate children well are more to be honored than parents, for these gave
only life, those the art of living well. ー Aristotle
「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。なぜなら、両親は、命を与える
だけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるから」(アリストテレス)


★They were majoring in two subjects: physics and philosophy. Their choice amazed
everybody but me: modern thinkers considered it unnecessary to perceive reality, and
modern physicists considered it unnecessary to think. I knew better; what amazed me
was that these children knew it, too. ー Ayn Rand
「彼らは、物理学と哲学のふたつを専攻していた。その選択は、私をのぞいて、みなを驚
かせた。しかし近代の思想家は、現実を認知することを、不必要と考えた。そして近代の
物理学者は、思索することを、不必要と考えた。しかし私は、私を驚かせたことは、これ
らの子どもたちも、それを知っていたということを、よりよく知っていた」(A・ランド)


★"Most of all, perhaps, we need an intimate knowledge of the past. Not that the past
has anything magical about it, but we cannot study the future." ー C.S. Lewis
「私たちのほとんどは、たぶん、過去をよくしる必要がある。それは、過去が何か神秘的
であるからということではなく、過去を知らなければ未来を学ぶことができないからであ
る」(C・S・ルイス)


★Frederick Douglass taught that literacy is the path from slavery to freedom. There
are many kinds of slavery and many kinds of freedom. But reading is still the path. ー
Carl Sagan
「フレドリック・ダグラスは、読み書きの能力は、奴隷を解放する道だと教えた。いろい
ろな種類の奴隷制度があり、いろいろな種類の自由があるが、読書は、まさにその道であ
る」(C・サガン)


★I hear and I forget. I see and I remember. I do and I understand. ー Confucius
「私は聞いて、そして忘れる。私は見て、そして覚える。私は行動して、そして理解する」
(孔子)


★The true genius shudders at incompleteness ー and usually prefers silence to saying
something which is not everything it should be. ー Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを
語るよりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)


★To know what to leave out and what to put in; just where and just how, ah, THAT is to
have been educated in the knowledge of simplicity. ー Frank Lloyd Wright
「どこにどのように、何を捨て、何を取り入れるか……つまりそれが、単純な知識として、
教育されるべきことである」(F・L・ライト)


★You cannot teach a man anything; you can only help him find it within himself. ー
Galileo Galilei
「あなたは人に教えることなどできない。あなたはただ、人が彼の中にそれを見つけるの
を、助けることができるだけである」(G・ガリレイ)


★What office is there which involves more responsibility, which requires more
qualifications, and which ought, therefore, to be more honourable, than that of
teaching? ー Harriet Martineau
「教育の仕事以上に、責任があり、資格を必要とし、それゆえに、名誉ある仕事が、ほか
のどこにあるだろうか」(H・Martineau)


★A child's wisdom is also wisdom ー Jewish Proverb
「子どもの智慧も、これまた智慧である」(ユダヤの格言)


★The teacher, if indeed wise, does not bid you to enter the house of their wisdom, but
leads you to the threshold of your own mind. ー Kahlil Gibran
「本当に賢い教師というのは、あなたを決して彼らの智慧の家に入れとは命令しないもの。
しかし本当に賢い教師というのは、彼ら自身の心の入り口にあなたを導く」(K・ギブラン)


★We have to continually be jumping off cliffs and developing our wings on the way
down. ー Kurt Vonnegut
「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼を開発
する」(K・Vonnegut)


★Just as iron rusts from disuse, even so does inaction spoil the intellect. ー Leonardo Da
Vinci
「鉄がさびて使い物にならなくなるように、何もしなければ、才能をつぶす」(L・ダビン
チ)


★Truth is eternal. Knowledge is changeable. It is disastrous to confuse them. ー Madeleine L'Engle
「真実は永遠である。知識は、変化しうるもの。それらを混同するのは、たいへん危険な
ことである」(M・L'Engle)


★Never let school interfere with your education. ー Mark Twain
「学校を、決して、あなたの教育に介在させてはならない」(M・トウェイン)


★Education is an admirable thing, but it is well to remember from time to time that
nothing that is worth knowing can be taught. ー Oscar Wilde
「教育は、賞賛されるべきものだが、しかしときには、価値ある知識は教えられないとい
うことも、よく覚えておくべきである」(O・ワイルド)


★You must train the children to their studies in a playful manner, and without any air
of constraint, with the further object of discerning more readily the natural bent of their
respective characters. ー Plato「あなたは子どもを、遊びを中心とした方法で指導しなけれ
ばならない。強制的な雰囲気ではなく、彼らの好ましい性格の自然な適正を、さらに認め
る目的をもって、そうしなければならない」(プラト)


★In every man there is something wherein I may learn of him, and in that I am his
pupil. ー Ralph Waldo Emerson
「どんな人にも、彼らの中に、私が学ぶべき何かがある。そういう点では、私は生徒であ
る」(R・W・エマーソン)


★We, as we read, must become Greeks, Romans, Turks, priest and king, martyr and
executioner, that is, must fasten these images to some reality in our secret experience,
or we shall see nothing, learn nothing, keep nothing. ー Ralph Waldo Emerson
「読書することによって、私たちは、ギリシア人にも、ローマ人にも、トルコ人にも、王
にも、殉教者にも、死刑執行人にも、なることができる。つまり読書によって、こうした
人たちのイメージを、私たちの密かな経験として、現実味をもたせることができる。読書
をしなけば、何も見ることはないだろうし、何も学ぶことはないだろうし、何も保持する
ことはないだろう」(R・W・エマーソン)


★Education is a sexual disease, IT makes you unsuitable for a lot of jobs and then you
have the urge to pass it on. ー Terry Pratchett
「教育は、性病だ。つまり教育によって、ジョークがわからなくなり、そのためそれをつ
ぎつぎと、人にうつしてしまう」(T・プラシェ)


★I am always doing what I cannot do yet, in order to learn how to do it ー Vincent Van
Gogh
「私はいつも、まだ私ができないことをする。それをいかにすべきかを学ぶために」(V・
V・ゴッフォ)



【考察】


●これらの教育格言の中で、とくにハッと思ったのが、エドガー・アラン・ポーの「真の天
才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るより
も、沈黙をふつう、好む」という言葉である。


 わかりやすく言えば、「ものごとを知り尽くした天才は、自分の未熟さや、未完成さを熟
知している。だから未熟なことや、未完成なことを人に語るよりも、沈黙を守るほうを選
ぶ」と。私は天才ではないが、こうした経験は、日常的によくする。


 私のばあい、親と私の間に、どうしようもない「隔たり」を感じたときには、もう何も
言わない。たとえば先日も、こんなことを言ってきた母親がいた。


 「先祖を粗末にする親からは、立派な子どもは生まれません。教育者としても失格です」
と。


 30歳そこそこの若い母親が、こういう言葉を口にするから、恐ろしい。何をどこから
説明したらよいかと思い悩んでいると、そのうち私の脳の回路がショートしてしまった。
火花がバチバチと飛んでいるのがわかった。だから私は、「ハア~?」と言ったまま、おし
黙ってしまった。


 私自身は、先祖を否定したようなことは、一度もないのだが……。(念のため。)


●つぎに「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼
を開発する」と言った、K・Vonnegut。英語では、何と読むのだろうか。それは
ともかくも、これは私の持論でもある。以前私は、「人間の創意工夫は、絶壁に立たされて、
はじめて生まれる」と書いた。


 少し前だが、ある教育審議会のメンバーをしたこともあるF氏から、相談を受けた。「学
校教育に蔓延(まんえん)している沈滞感は、どうしたら克服できるか」と。


 それに対して私は、「教師を絶壁に立たせないと、ダメです」と。


 こう書くと学校の先生は、不愉快に思うかもしれないが、ここは怒らないで聞いてほし
い。


 学校の先生たちは、たしかに忙しい。同じ公務員でも、給料が20%増しという理由も、
そこにある。納得できる。しかしそれでも、一般世間の、つまりは民間企業に働く労働者
とは、待遇や職場環境が、基本的に違う。


 たとえば私立幼稚園にしても、今、少子化の波をもろにかぶり、どこも四苦八苦してい
る。経営のボーダーラインといわれている、200人(園児数)を割っている幼稚園は、
いくらでもある。
もっとも経営者自身は、それほど深刻ではない。すでにじゅうぶんすぎるほどの財力を蓄
えている。悲惨なのは、そこで働く保育士の先生たちである。安い給料の上、いつリスト
ラされるかと、ビクビクしている。中には、園児獲得のノルマを、先生たちに課している
幼稚園もある。(ほとんどの幼稚園が、そうではないか?)


 だから毎年、10月前後になると、先生たちは、案内書や簡単なみやげをもって、幼児
のいる家を、1軒ずつ回っている。「教える」だけではなく、生徒集めにまで、神経をつか
っている。しかも、その先は、まさに絶壁!


 こうした危機感があるから、当然のことながら、教えることについても、ある種の緊張
感が生まれる。その緊張感が、教育の質を高める。もし本当に、教育の質を高めようと思
うなら、こうした緊張感を、人為的につくるしかない。


 残念ながら、それから先の方法については、私もわからない。しかしこれだけは言える。
学校の先生たちも、勇気を出して、崖から飛び降りてみてほしい。翼、つまり創意工夫は、
飛び降りている間に生まれる。


●三つ目に、アリストテレスの、「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。
なぜなら、両親は、命を与えるだけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与
えるから」という言葉。


この訳は正確ではないと思う。思うのは、冒頭の「Those」を、「親」と訳すべきか、
「教師」と訳すべきかで、意味がまるで変わってくる。


「親」とみると、「だれでも子どもを産めば親になるが、生きる技術を与えて、親は、真の
親となる」と解釈できる。


 一方「教師」とみると、「生きる技術を与える教師は、親よりすばらしい」と訳せる。ど
ちらが正しいかわからないという意味で、「この訳は正確ではないと思う」と書いた。


 一般論として、欧米の教育の「柱」は、ここにある。どの人に会っても、彼らは、「教育
の目標は、「子どもに生きる技術を与えること」と言う。オーストラリアの友人(M大教授)
も、かつてこう教えてくれた。


 「教育の目標は、私たちのもつ知恵や経験を、子どもたちがつぎの世代を、よりよく生
きていくことができるように、それを教え伝えることだ」と。


 つまり「実用的なのが教育」ということになっている。しかしこの日本には、むしろ実
用的であってはならないという風潮すらある。日本の教育は、将来学者になるためには、
すぐれた体系をもっている。しかし、だ。みながみな、学者になるわけではない。あるい
は将来、学者になる子どもは、いったい何%、いるというのか。


 英語にしても、数学にしても、将来、英語の文法学者や、数学者になるには、すぐれた
体系をもっている。しかしそのため、おもしろくない。役にたたない。しかしこんなこと
は、30年前に、すでにわかっていたことではないか。最近になって、やっと「役にたつ」
という言葉が聞かれるようになったが、それにしても、30年とは!


 要するに、子どもを産むだけでは、親ではないということ(失礼!)。自分の生きザマを、
子どもに示してこそ、親は、親になる。そしてそれが親の役目ということになる。



+++++++++++++++++++

【新しい教育】


 教育を考えるときは、当然のことながら、年齢別、学年別に考えなければならないこと
は、言うまでもない。


 その中でも、とくに幼児教育の重要性については、私は、たびたび書いてきた。


 それはともかくも、今度は、子ども自身がもつ、方向性にあわせた教育を考えなければ
ならない。


 将来、すぐれた研究者になるための教育もあれば、その研究を利用した分野で活躍する
人材を育てるための教育もある。どちらが正しいとか、有用とかいうのではない。どちら
かの立場で、一方的に、相手に押しつけるのは、正しくないということ。


 そこで登場するのが、「教育の多様性の問題」である。アメリカの小学校を例にあげて考
えてみよう。



●アメリカの小学校


 アメリカでもオーストラリアでも、そしてカナダでも、学校を訪れてまず驚くのが、そ
の「楽しさ」。まるでおもちゃ箱の中にでも入ったかのような、錯覚を覚える。


たとえば、アメリカ中南部にある公立の小学校(アーカンソー州アーカデルフィア、ルイ
ザ・E・ペリット小学校。児童数370名)。教室の中に、動物の飼育小屋があったり、遊
具があったりする。


 アメリカでは、教育の自由化が、予想以上に進んでいる。


まずカリキュラムだが、州政府のガイダンスに従って、学校が独自で、親と相談して決め
ることができる。オクイン校長に、「ガイダンスはきびしいものですか」と聞くと、「たい
へんゆるやかなものです」と言って笑った。


もちろん日本でいう教科書はない。検定制度もない。たとえばこの小学校は、年長児と小
学一年生だけを教える。そのほか、プレ・キンダガーテンというクラスがある。四歳児(年
中児)を教えるクラスである。費用は朝食代と昼食代などで、週六〇ドルかかるが、その
分、学校券(バウチャ)などによって、親は補助されている。


驚いたのは4歳児から、コンピュータの授業をしていること。また欧米では、図書室での
教育を重要視している。この学校でも、図書室には専門の司書を置いて、子どもの読書指
導にあたっていた。


 授業は、1クラス16名前後。教師のほか、当番制で学校へやってくる母親、それに大
学から派遣されたインターンの学生の3人であたっている。アメリカというと、とかく荒
れた学校だけが日本で報道されがちだが、そういうのは、大都会の一部の学校とみてよい。
周辺の学校もいくつか回ってみたが、どの学校も、実にきめのこまかい、ていねいな指導
をしていた。


 教育の自由化は、世界の流れとみてよい。たとえば欧米の先進国の中で、いまだに教科
書の検定制度をもうけているのは、日本だけ。オーストラリアにも検定制度はあるが、そ
れは民間組織によるもの。しかも検定するのは、過激な暴力的表現と性描写のみ。「歴史的
事実については検定してはならない」(南豪州)ということになっている。


アメリカには、家庭で教えるホームスクール、親たちが教師を雇って開くチャータースク
ール、さらには学校券で運営するバウチャースクールなどもある。行き過ぎた自由化が、
問題になっている部分もあるが、こうした「自由さ」が、アメリカの教育をダイナミック
なものにしている。


 ドイツでは、中学生にしても、たいていは午前中だけで授業を終え、そのまま、それぞ
れのクラブに通っている。


 運動クラブだけではない。科学クラブもあれば、それぞれの趣味に合わせたクラブもあ
る。そしてそうした費用は、「チャイルドマネー」と呼ばれている補助金によって、まかな
われている。


【後書き】


内閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇
〇〇年)。九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。


 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。日本の教育改革は、三〇年は遅
れた。しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。そのころ世
界はどこまで進んでいることやら! 


日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くは
ない」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。今では分数の足
し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。


「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西
村和雄氏)(※2)だそうだ。


 あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL
(国際英語検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジア
で日本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)
だそうだ。


オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しか
し日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大でも、たったの二人。ちなみにアメリ
カだけでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏
指摘)。


 「構造改革(官僚主導型の政治手法からの脱却)」という言葉がよく聞かれる。しかし今、
この日本でもっとも構造改革が遅れ、もっとも構造改革が求められているのが、文部行政
である。私はその改革について、つぎのように提案する。


(1)中学校、高校では、無学年制の単位履修制度にする。(アメリカ)
(2)中学校、高校では、授業は原則として午前中で終了する。(ドイツ、イタリアなど)
(3)有料だが、低価格の、各種無数のクラブをたちあげる。(ドイツ、カナダ)
(4)クラブ費用の補助。(ドイツ……チャイルドマネー、アメリカ……バウチャ券)
(5)大学入学後の学部変更、学科変更、転籍を自由化する。(欧米各国)
(6)教科書の検定制度の廃止。(各国共通)
(7)官僚主導型の教育体制を是正し、権限を大幅に市町村レベルに委譲する。
(8)学校法人の設立を、許認可制度から、届け出制度にし、自由化をはかる。


 が、何よりも先決させるべき重大な課題は、日本の社会のすみずみにまではびこる、不
公平である。


この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は、まったくといってよ
いほど、受けない。わかりやすく言えば、官僚社会の是正。官僚社会そのものが、不公平
社会の温床になっている。この問題を放置すれば、これらの改革は、すべて水泡に帰す。
今の状態で教育を自由化すれば、一部の受験産業だけがその恩恵をこうむり、またぞろ復
活することになる。


 ざっと思いついたまま書いたので、細部では議論もあるかと思うが、ここまでしてはじ
めて「改革」と言うにふさわしい。



(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・99年)の調査によると、日本の中
学生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以
下、オーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、
台湾、シンガポールに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメ
リカ、マレーシア、と。


この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメント
を寄せている。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッ
セージを与えるのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。


ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」
と答えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉
強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレ
ビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。


で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公
表している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だ
そうだ。


この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小
学六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・
五%に低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混
合計算は、三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に
低下している(同じ問題で調査)、と。


 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判
した意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑
いようがない。


同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、
二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答え
た子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいない。原因はいろいろあるの
だろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。


少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」とい
うのは、もはや幻想でしかない。


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(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであった
という。


調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを
研究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点
で平均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学
部一年生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●The important thing is not to stop questioning. ー Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることをやめないことだ」(A・アインシュタイン)


 「考える教育」が、重要なことは言うまでもない。しかし「考える」という概念ほど、
これまた抽象的で、わかりにくい概念もない。


 そこでアインシュタインの言葉。


The important thing is not to stop questioning. 


 アインシュタインは、こう言っている。「重要なことは、問うことをやめないことである」
と。


 つまり子どもに向かって、「考えなさい」と言っても、あまり意味はない。しかし子ども
が何かのことで問うことにたいして、その問うことを、励まし、伸ばすことはできる。「ほ
ほう、それはおもしろい質問だね」「なかなか鋭いね」と。

 たったそれだけのことで、子どもを、より深く、考える子どもに誘導することができる。
つまり「より考える子どもにしたい」と考えたら、「より質問を繰りかえす子どもにするこ
と」を考えればよい。


 むずかしいことではない。


 子どもは、満4・5歳から5・5歳にかけて、「なぜ?」「どうして?」を繰りかえす時
期にさしかかる。乳幼児の思考的特徴(自己中心性、物活論、人工論など)からの脱却を、
はかる。そしてその結果として、子どもは、より分析的なものの考え方や、より論理的な
ものの考え方をすることができるようになる。


 この時期というのは、乳幼児から、少年、少女期への移行期にもあたる。


 この時期をうまくとらえれば、その「問う」という行為を、じょうずに引き出すことが
できる。が、そうでなければ、そうでない。


 私としては、その重要性というか、幼児教育の重要性が理解してもらえなくて、歯がゆ
くてならない。はっきり言えば、そのあとの、小中高、それに大学教育など、そのころで
きた方向性の、燃えカスのようなもの。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、
しかし、一度、この時期にできた方向性が、その子どもの将来を、決定づける。またこの
時期にできた方向性は、一度できると、それ以後、なかなか変えることはできない。


 昨今、小学校教育の場でも、「より考える深く子ども」が、大きなテーマになっている。
「総合的な学習」というのも、そういう視点から、取り入れられたものである。それはそ
れとして評価されなければならないが、もっと大切なことは、その(方向性づくり)であ
る。


 そのために、(問う)という姿勢を伸ばす。テーマは何でもよい。どんなささいなことで
もよい。


 日本では、「わかったか? では、つぎ」が、教育の基本になっている。しかしアメリカ
では、「君は、どう思う?」「それはすばらしい」が基本になっている(T先生、指摘)。そ
ういう部分から、つまりもっとベーシックな部分から、教育というより、子育てのあり方
そのものを考えなおす。


 それが結局は、日本の教育を変えていく、原動力になる。



【付録】


●ついでに、A・アインシュタインの語録を、集めてみた。(イギリス「Quote Ca
che」より)


It's not that I'm so smart, it's just that I stay with problems longer.
(私は頭がきれるのではない。私はただ、その問題に、より長くかかわっているだけだ。)


The physicist's greatest tool is his wastebasket.
(物理学者のもっともすばらしい道具は、ごみ箱である。)


There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The
other is as though everything is a miracle.
(人生を生きるためには、たった二つの方法しかない。一つは、奇跡など、どこにもない
と思う生き方。もう一つは、すべては奇跡だと思う生き方。)


It was, of course, a lie what you read about my religious convictions, a lie which is being
systematically repeated. I do not believe in a personal God and I have never denied this
but have expressed it clearly. If something is in me which can be called religious then it
is the unbounded admiration for the structure of the world so far as our science can
reveal it.
(私の宗教的な確信について、あなたが読んだことは、ウソである。つまり、意図的に繰
り返されてきたウソである。私は、個人的な神の存在を信じていないし、このことを否定
したことは一度もない。それについては、ここではっきりしておきたい。もし私の中に、
宗教的なものがあるとするなら、それは、科学が明らかにした部分について、世界の構造
について、無限の崇拝の念でしかない。


We should take care not to make the intellect our god. It has, of course, powerful
muscles, but no personality.
知性的な人を神にしないよう、注意しなければいけない。もちろん知性的な人には、筋肉
はあるが、人間性はない。


Fantasie ist wichtiger als Wissen.


If my theory of relativity is proven succesful, Germany will claim me as German and
France will declare that I am a citizen of the world. If my theory should prove to be
untrue, then France will say that I am a German, and Germany will say that I am a
Jew.
もし私の相対性理論が正しいと証明されるなら、ドイツ人とフランス人たちは、私が世界
市民であると宣言することについて、文句を言うだろう。もし私の理論がまちがっている
と証明されるなら、フランスは私をドイツ人と呼び、ドイツは、私をユダヤ人と呼ぶだろ
う。


Any fool can make things bigger, more complex, and more violent. It takes a touch of
geniusー
•and a lot of courageーーto move in the opposite direction.
バカが、ものごとを、誇大し、複雑にし、暴力的にする。その反対方向にものごとを進め
るためには、転載的なひらめきと、勇気が必要である。


Great spirits have always encountered violent opposition from mediocre minds.
偉大な精神というのは、いつも二流の精神からの猛烈な抵抗に出会うもの。


The human mind is not capable of grasping the Universe. We are like a little child
entereing a huge library. The walls are covered to the ceilings with books in many
different tongues. The child knows that someone must have written these books. It does
not know who or how. It does not understand the languages in which they are written.
But the child notes a definite plan in the arrangement of booksーーa mysterious order
which it does not comprehend, but only dimly suspects.
人間というのは、宇宙の構造を把握することはできない。それは小さな子どもが、巨大な
図書館に入ったようなもの。壁には、床から天井まで、異なった言語で書かれた本でおお
われている。子どもは、だれかがこれらの本を書いたことはわかる。しかしだれが、どう
やって書いたかまでは、わからない。それらが書かれた言語も理解できない。しかし子ど
もは、本の並び方の中に、一定の秩序があることに気がつく。つまり、神秘的な秩序だ。
はっきりとわかるわけではないが、おぼろげながら、疑うことはできる。


The important thing is not to stop questioning.
重要なことは、問うことをやめないことだ。


Few are those who can see with their own eyes and hear with their own hearts.
ほとんどの人は、自分の心で見て、聞くことができない。


The pioneers of a warless world are the youth that refuse military service.
戦争のない世界をつくるパイオニアたちは、軍務を拒否する若者たちだ。


Reality is merely an illusion, albeit a very persistant one
現実は、ただの幻想でしかない。が、研究は、とても忍耐を必要とするものだ。


It is not enough for a handful of experts to attempt the solution of a problem, to solve it
and then to apply it. The restriction of knowledge to an elite group destroys the spirit of
society and leads to its intellectual impoverishment.
一つの問題を解決し、それを応用するためには、一握りのエキスパートだけでは、じゅう
ぶんではない。一つのエリート集団に、知識を制限することは、社会の精神を破壊し、社
会を、知的な貧困へと導くことになる。


A country cannot simultaneously prepare and prevent war.
一つの国というのは、戦争を同時に、準備し、避けることはできない。


I am enough of an artist to draw freely upon my imagination. Imagination is more
important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world.
私はイマジネーションによって、自由に絵を描く画家と言ってもよい。イマジネーション
は、知識よりも重要である。知識には、限界がある。イマジネーションは、世界をかけ回
る。


True art is characterized by an irresistible urge in the creative artist.
真の芸術は、想像的な芸術家による、抵抗しがたい欲求によって、特徴づけられるもので
ある。


The most beautiful thing we can experience is the mysterious. It is the source of all true
art and science.
私たちが経験できるもっとも美しいものは、神秘である。それはすべての芸術と化学の源
泉である。


I do not believe in the immortality of the individual, and I consider ethics to be an
exclusively human concern without any superhuman authority behind it.
私は人間の不死を信じない。そして私は、その背後に超人的な権威のない、倫理こそが、
人間唯一の関心ごとであると考える。


Only two things are infinite, the universe and human stupidity, and I'm not sure about
the former.
たった二つのものだけが、永遠である。この宇宙と、人間の愚かさである。そして私は、
その前者である宇宙については、あまりよく知らない。


Life is a mystery, not a problem to be solved
人生(生命)は、神秘である。それは解かれねばならない問題ではない。


Nothing will benefit human health and increase the chances for survival of life on Earth
as much as the evolution to a vegetarian diet.
菜食主義ほど、人間の健康に恩恵をもたらし、命の存続をふやすものはない。


Creativity is contagious. Pass it on.
創造力は、伝染しやすい。ままにさせておけ。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●Sさんの死


 いろいろ世話になった、土建業者のSさん(男性)が、おととい亡くなった。
ここ数年、人工透析を受けていたというから、そのつど心配はしていたが、まさかこんな
に早く亡くなるとは思っていなかった。
年齢は確かではないが、いつだったか、私より、5~6歳若いということを知った。
それによれば、享年、52~3歳ということになる。


 暴飲暴食、それにヘビースモーカー。
最後に世話になったとき、Sさんは、緑内障か何かで、左目が見えなかったのではないか。
小路から大通りに右折して出るとき、左側から来た車と、あやうく衝突にしそうになった
ことがある。
以来、あれこれ理由をこじつけ、Sさんの運転する車には、乗らないようにしていた。
が、亡くなってみると、それもよい思い出。


私の代わりに、息子に、今日は葬儀に行ってもらった。


●アルツハイマー病の、初期の初期症状


 アルツハイマー病の初期の、そのまた初期症状があるという話は、よく聞く。
医学書にも、そういう症状が載っている。
そのひとつが、心の余裕がなくなってくること。


 ふつうなら笑ってすますようなころでも、このタイプの人にはそれができない。
こんなことがあった。


 ワイフがXさん(当時64歳、女性)に、何かのことで、3桁の番号を話したときのこ
と。
ワイフは、「347」と言った。
そのときXさんは、「347……ね」と言いながら、自分の手帳にメモを取った。
が、ワイフが見ると、それに、「473……」と書こうとしていた。
そこでワイフが、Xさんに、「473ではないですよ。347……」と言いかけたところで、
Xさんは、激怒。
血相を変えて、こう怒鳴ったという。


「わかっています。今、3と書こうとしていたところです!」と。


 アルツハイマー病の初期の人が、取り繕(つくろ)いや、つじつま合わせがうまくなる
というのは、よく知られている。
しかしその前の段階として、怒りっぽくなるということは、あまり知られていない。
怒りっぽくなるというよりは、心の余裕がなくなり、ささいなミスを指摘されただけで、
おおげさに激怒したりする。


 ふつうなら、(「ふつう」という言葉は適切ではないかもしれないが)、笑ってすます。
「ハハハ、3でしたね。ハハハ」と。


 この「ハハハ」と笑ってすます部分が少なくなってくる。
言い換えると、心の余裕をもつということによって、認知症になるのを防げるのではない
か。
たとえばジョーク。
ジョークの通ずる人は、それだけ心が広い人ということになる。
同時に、少なくとも、アルツハイマー病の心配はない人ということになる。


 今日、車の中で、ワイフとそんな会話をした。


●気候


 冬になるたびに、こう思う。
「浜松に住むようになって、よかった」と。


 浜松、とくに浜名湖周辺は、日本でも鹿児島県につぐ、気候の温暖な地域として知られ
ている。
真冬でも、緑の木々が美しい。
種類も豊富。


 が、その一方で、地球温暖化(Global Warming)が、問題になっている。
この浜松も、温暖な気候が、ますます温暖化している。
ときどき喜んでいていいのかなあと、迷う。


 しかしここは楽天的にとらえるしかない。
心配しても、しかたない。
暖かい冬、おおいに結構、と。
(無責任な発言で、ごめん!)。


 そんなこともあって、今日、ワイフと西区引佐町にある、城山公園に登ってみた。
12月16日。
今ごろ、この浜松では、紅葉が、もっとも美しくなる。
全国的にみれば、もっとも遅い秋。
マガジンに載せる写真を、30枚近く撮った。


●どこかのバカ


 どこかのバカ知事が、こう言ったそうだ。
「(現在の)福祉制度は、障害者を生き延びさせるだけだ」と。


 こういうバカがいるから、日本はよくならない。
またこういうバカを選ぶ選挙民がいるから、日本はよくならない。
この発言を裏から読むと、「障害者は、早く死ね」という意味になる。
小学生だって、わかる。
小学生だって、こんなバカなことは言わない。


 が、当の知事は、「辞任しない」と、がんばっているという。


●天皇の政治利用


 一方、中央では、天皇の政治利用が問題になっている。
民主党のOZ氏の要請で、天皇が急きょ、中国の副首相と会うことになった。
それについて、宮内庁の長官が、苦言を呈した。
これにOZ氏が反発。
右翼も、反対の立場で、反発。
自民党も反発。
何だか、三つ巴(どもえ)、四つ巴の混乱を呈してきた。


 しかし肝心の天皇の意思が見えてこない。
つまりこのあたりに、日本の天皇制度の最大の問題が隠されている。


 私たちは一度だって、天皇の意思を確かめたことがない。
本当の気持ちを聞いたことがない。
「天皇という、日本国にあって最高の要職を務めていただけますか?」と。
そういうことを一度もしないでおいて、「天皇は幸福なはずだ」と決めつけてかかるのも、
どうか?


 「政治的利用」とは言うが、天皇だって1人の人間。
いろいろな思いもあるだろう。
意見もあるだろう。
政治的な意見も、当然、それに含まれる。


 言論の自由とはいうが、天皇には、言論の自由すらない。
それがいかに窮屈なものであるかは、私にはわかる。
わかるから、もし私なら、「天皇か、それとも自由か」と問われれば、迷わず、「自由」を
選ぶ。
そのことは、以前、『世にも不思議な留学記』の中でも書いた。


 会いたければ会えばよい。
会いたくなければ、会わなくてもよい。
「1時間くらいなら、何とか……」ということになるかもしれない。
「このところ、体の調子がよくありませんから……」ということになるかもしれない。
天皇がどういう判断をしても、私たちは天皇を支持する。

 それが民主主義の精神ではないのか。


++++++++++++++++++


『世にも不思議な留学記』より


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王子、皇太子の中で【27】


●VIPとして


 夏休みが近づくと、王子や皇太子たちは、つぎつぎと母国へ帰っていった。もともと彼
らは、勉強に来たのではない。研究に来たのでもない。目的はよくわからないが、いわゆ
るハクづけ。


 ある国の王子の履歴書(公式の紹介パンフ)を見せてもらったことがある。当時は、海
外へ旅行するだけでも、その国では重大事であったらしい。それには旅行の内容まで書い
てあった。「○○年X月、イギリスを親善訪問」とか。


 一方、オーストラリア政府は、こうしたVIPを手厚く接待することにより、親豪派の
人間にしようとしていた。そういうおもわくは、随所に見えた。いわば、先行投資のよう
なもの。一〇年先、二〇年先には、大きな利益となって帰ってくる。


 私のばあいも、ライオンズクラブのメンバーが二人つき、そのつど交互にあちこちを案
内してくれたり、食事に誘ってくれたりした。おかげで生まれてはじめて、競馬なるもの
も見た。生まれてはじめて、ゴルフコースにも立った。生まれてはじめて、フランス料理
も食べた。


●帝王学の違い?


 私たち日本人は、王子だ、皇太子だというと、特別の目で見る。そういうふうに洗脳さ
れている。しかしオーストラリア人は、違う。イギリスにも王室はあるが、それでも違う。
少なくとも「おそれ多い」という見方はしない。


 このことは反対に、イスラム教国からやってきた留学生を見ればわかる。王子や皇太子
を前にすると、「おそれ多い」というよりは、まさに王と奴隷の関係になる。頭をさげたま
ま、視線すら合わせようとしない。その極端さが、ときには、こっけいに見えるときもあ
る(失礼!)。


 で、こうした王子や皇太子には、二つのタイプがある。いつかオーストラリア人のR君
がそう言っていた。ひとつは、そういう立場を嫌い、フレンドリーになるタイプ。もうひ
とつは、オーストラリア人にも頭をさげるように迫るタイプ。アジア系は概して前者。ア
ラブ系は概して後者、と。


 しかしこれは民族の違いというよりは、それまでにどんな教育を受けたかの違いによる
ものではないか。いわゆる帝王学というのである。たとえば同じ王子でも、M国のD君は、
ハウスの外ではまったく目立たない、ふつうのズボンをはいて歩いていた。かたやS国の
M君は、必ずスリーピースのスーツを身につけ、いつも取り巻きを数人連れて歩いていた。
(あとでその国の護衛官だったと知ったが、当時は、友人だと思っていた。)


●王族たちの苦しみ


 私は複雑な心境にあった。「皇室は絶対」という意識。「身分差別はくだらない」という
意識。この二つがそのつど同時に現れては消え、私を迷わせた。


 私も子どものとき、「天皇」と言っただけで、父親に殴られたことがある。「陛下と言え!」
と。だから今でも、つまり五六歳になった今でも、こうして皇室について書くときは、ツ
ンとした緊張感が走る。が、それと同時に、なぜ王子や皇太子が存在するのかという疑問
もないわけではない。ただこういうことは言える。


 どんな帝王学を身につけたかの違いにもよるが、「王子や皇太子がそれを望んでいるか」
という問題である。私たち庶民は、ワーワーとたたえれば、王子や皇太子は喜ぶハズとい
う「ハズ論」でものを考える。しかしそのハズ論が、かえって王子や皇太子を苦しめるこ
ともある。


 それは想像を絶する苦痛と言ってもよい。言いたいことも言えない。したいこともでき
ない。一瞬一秒ですら、人の目から逃れることができない……。本人だけではない。まわ
りの人も、決して本心を見せない。そこはまさに仮面と虚偽の世界。私はいつしかこう思
うようになった。


 「王子や皇太子にならなくて、よかった」と。これは負け惜しみでも何でもない。一人
の人間がもつ「自由」には、あらゆる身分や立場を超え、それでもあまりあるほどの価値
がある。「王子か、自由か」と問われれば、私は迷わず自由をとる。

 私はガランとしたハウスの食堂で、ひとりで食事をしながら、そんなことを考えていた。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●『THE FOURTH KIND』(映画)

+++++++++++++++++++

今日は北区の劇場まで行って、『フォース・カインド』という
映画を観てきた。
久々のUFO映画。
「信ずるか信じないかは、あなた次第」という映画。
だから・・・というわけでもないが、映画は訳のわからないまま始まり、
訳がわからないまま終わってしまった。
「何とも中途半端な映画」というのが、私の感想。
星は2つか3つの、★★。

UFOファン(?)には、星4つかな。

+++++++++++++++++++

●シュメール文明

 「シュメール」については、若いころから興味があった。
東洋医学の本を書いているころからだった。
そのいきさつについては、『目で見る漢方診断』(飛鳥新社・はやし浩司著)にも書いた。
映画『フォース・カインド』の中で、そのシュメールの古代シュメール語(?)が出てく
る。
シュメール語自体は楔形文字だが、ロゼッタ石の発見で、発音とか意味が、解読されてい
る。
シュメール文明というのは、不思議な文明で、周囲の文明とはかけ離れて高度な文明を築
いていた。
一説によれば、乾電池やメッキ技術ももっていたという。
中国の黄河文明が生まれるのと同時期、紀元前3500年ごろ。
今から5500年前のことである。
そのころ、伝説どおりとするなら、東洋医学のバイブルとも言われる『黄帝内経(こうて
いだいけい)素問(そもん)』が、生まれた。
「黄帝」というのは、司馬遷の『史記』の大1頁目を飾る帝王である。

●シュメール語?

 『フォース・カイド』の中に出てくる宇宙人(?)は、そのシュメール語を話す。

古代メソポタミア文明を築いたという、あのシュメール人のシュメール語。
もう少し補足すると。紀元前3500年ごろ、今から5500年前ごろに栄えた文明であ
る。
テープレコーダーの中に、それがたまたま録音されていた。
しかしここが、おかしい。
シュメール語は、かなりの部分まで、発音、意味が解読されている。
たとえば「神」は、「dingir」と発音する。
「ディンギル」と発音する。

(詳しくは、はやし浩司著『漢方のロマン』へ。
http://shizuoka.cool.ne.jp/bwhayashi/page055.html)

しかし実際の発音は、それに近いというだけで、5500年も経た現在、正しく発音でき
る人はいない。
また正しい発音を聞いたとき、発音だけで、それがシュメール語とわかる人はいない。

 たとえば私も学生時代、アメリカ人が、「golf」と言ったのを、聞き取れなかった。
「グォールフ」と発音したからだ。
つまりいくら「ゴルフ」と口で発音していても、実際の英語の発音は、まったくちがう。
日本語で「ゴルフ」と言うのと、英語で「golf」と言うのとは、まったくちがう。
反対に、アメリカ人に、日本語で「ゴルフ」と言ってみたらよい。
彼らは、ぜったいに、それがわからない。

 だから……。
宇宙人らしき生物が、シュメール語(映画の中では、「古代シュメール語」と言っていた)
を話したというのは、ウソと考えてよい。

●宇宙人「グレイ」

 ただ「フクロウ」というのは、気になる。
被害者たち(?)は、みな、一様に、「窓の外にフクロウを見た」と証言している。
小型のグレイ型宇宙人なら、目も大きく、見方によっては、フクロウに見えるかもしれな
い。
「グレイ」というのは、アーモンド型の大きな目をした、灰色(グレイ)の宇宙人である。
そのグレイ型宇宙人が、窓の外から見ていた……。

 ただこの事件、つまりアラスカのノームで起きた一連の事件については、UFO研究家
の間で、以前から議論されている。
否定的な意見としては、あの地方には大酒飲みが多く、酒による幻覚を見たのではないか
というのがある。
そのあたりのことは、あちこちのサイトに書いてあるので、興味のある人は、そちらを読
んだらよい。
私はその映画を見ながら、映画『ロズウェル』を思い浮かべていた。
実によくできた映画で、最初に観たときには、実録なのか、映画なのか、観終わったあと
でも判断できなかった。
結果的に、映画だったということはわかったが……。

 それと比べると、今度の『フォース・カインド』は、さらに本物ぽい?
宇宙人による(?)拉致の仕方も、あちこちで報告されている方法と同じ。
退行催眠によって、その「時」になると、被験者がパニック状態になる話も、よく聞く。
となると、またここで疑問。

 どうして宇宙人は、麻酔薬を使わないのか?
人間が野生動物をつかまえるときは、麻酔銃などを使ったりする。
映画のとおりだとするなら、宇宙人は強烈な恐怖心を与えながら、人間を拉致しているこ
とになる。
私なら、人間を眠らせた状態で、何かの手を加える。
それが何であれ、それくらいの思いやりはある。
が、宇宙人には、それがない(?)。

 よく言われるが、グレイというのは、爬虫類を遺伝子操作によって、ロボットに仕立て
た生物と言われている。
つまり感情がない。
冷酷。
残忍。
だからそういうことが、平気でできる(?)。

 ワイフは、久々にUFO映画を観ることができたと喜んでいた。


Hiroshi Hayashi+++++林 浩司+++++はやし浩司

●映画『アバター(AVATAR・3D)』

++++++++++++++++++

昨夜、仕事の帰りに、『アバター』を観てきた。
文句なしの、星は5つ。
★★★★★+。
今年観た映画の中で、最高の映画。

++++++++++++++++++

●ジェームズ・キャメロン

 観終わってからわかった。
あの映画の中には、強烈な反戦メッセージが隠されている。
ジェームズ・キャメロンのメッセージである。

利権を確保するために、強力な機械軍団を送り込む、地球軍。
それと戦う、原住民。
その原住民の中に、遺伝子操作でできた、アバター数体が送り込まれる。
言うなれば、スパイ。
工作活動部員。
物語は、ここから始まる……。

 あとは映画を観てからのお楽しみ。
また観るなら、劇場の3D画面で観たほうがよい。
迫力がちがう。
(我が家にも、42インチのフルHDテレビはあるが……。)

 何というか、その映画を観て、2つのことを感じた。
「とうとう映画も、ここまで来たか!」という驚き。
もうひとつは、「これでまた日本映画は、さらに後れた!」という悔しさ。
マラソンにたとえるなら、ダントツのトップを走るアメリカ映画。
この映画で、アメリカはさらに数百メートル、先にぬき出た。
そのトップをはるか前方に見ながら、あえぎながら走る2番集団。
そのあとにつづく3番集団。
その3番集団から日本映画は、さらに後れて、4番集団に入った。

 「まあ、すごい!」の一言。
どうすごいかは、『アバター』を観ればわかる。
娯楽映画のもつすべてを盛り込んだような超大作。
3時間という上映時間は、あっという間に過ぎた。
 

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