2010年1月20日水曜日

*Magazine Jan 20th

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 20日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「子どもは必要ない」(追記)

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先日、「子どもは必要ない」と考えている若い人たちへの
意見を書いた。
今では、50~60%の若い人たちが、20~30代の
人たちを中心に、「子どもは必要ない」と考えているという(内閣府)。

いろいろな意味に解釈できる。
「結婚しても、子どもは必要ない」と考えている。
「結婚そのものも、しない」と考えている。

後者の中には、「結婚しなくても、子どもだけほしい」という人も含まれる。
そうして生まれた子どもを「婚外子」というのに対して、「嫡出子」という。

ともかくも、私は、「子どもは必要ない」と考えるのは、おかしいと自分のBLOGに
書いた。
が、それに対して、いろいろな書き込みがあった。

「生き方の問題ではなく、現実に、結婚したい相手が見つからない」
「地球温暖化など、子どもの将来に不安を感ずるから」
「出産と同時に、70%の女性が職場を余儀なく、離れさせられている」など。
つまり私が考えているほど、単純な問題ではない、と。

「年収が200万円以下の男性は、結婚する率が、極端に低くなる」という
説もある。

+++++++++++++++++++++

●山鳩の世界

 今年の春から、一羽の山鳩が、私の家の庭に住みついた。
たぶん雄だと思う。
ときどきやってくる別の山鳩に、ちょっかいを出すのだが、相手にされなかった。
理由はわからない。
山鳩には、山鳩なりの見方、考え方があるらしい。

で、その山鳩は、ずっとチョンガ(=独身)だった。
ときどき2羽でやってくる山鳩がいた。
その奥さんのほうに手を出そうとしたこともある。
しかしやはり相手にされなかった。
(山鳩というのは、想像以上に夫婦の絆が強い。)

その山鳩は、12月に入った今も、チョンガ。
そういう世界を見ていると、山鳩の世界も、人間の世界と同じだなあと思う。
あるいは、その反対でもよい。

●現実論

 つまり結婚したくても、相手がいなければ、どうしようもない。
子どもを作るとなると、なおさらである。
そういう相手が見つからない人たちが、「子どもは必要ない」と考えるようになったところ
で、何もおかしくない。

 生き方の多様性の問題というよりは、「現実論」の問題ということになる。
つまり現実を冷静にみていくと、必然的結果として、(結婚できない)。
そのため(子どもをつくることができない)。
それを合理化するために、「子どもは必要ない」と考える。

 またこうした傾向は、何も日本だけにあるわけではない。
世界的にみても、(1)晩婚化、(2)女性の社会への進出、(3)婚外子の増加は進んでい
る。

 そこでここでは話を一歩進めてみる。
というのも、この問題は、多くの人たちがすでに論じているし、雑誌などでもたびたび取
り上げられている。
何を書いても、私のばあい、二番煎じになってしまう。

●「孫は必要ない」

 「子どもは必要ない」の先にあるのが、「孫は必要ない」である。
これについてなら、私にも書ける。
二番煎じでもない。

 で、祖父母の立場で言うなら、ほとんどの人は、「子育ては一度で、こりごり」と考えて
いる。
祖父母の世界には、『来て、うれし。帰って、うれし』という格言すら、ある。
「孫が来てくれると、うれしいが、そこまで。
帰ってくれると、ほっとして、それもうれしい」と。

中には、孫を目の中に入れても痛くないという人もいるが、これは当初から同居している
ばあい。
しかしそうでなければ、そうでない。
つまりこれが祖父母の本音ではないか。

 子育てというのはぞれ自体、重労働である。
で、やっとその重労働から解放されたと思ったら、そこに孫がいる。
若い人たちは、「ジーチャン、バーチャンは、孫をかわいいはず」と思い込んでいる。
私もそうだった。
しかし孫といえども、人間関係。
ある日いきなり孫を押しつけられ、「かわいいだろ」と言われても困る。
私のばあいが、そうだった。

 私が自分の孫を「かわいい」と感じたのは、孫に会ってから、1週間目のことだった。
それまでは、「どうしてこんな孫がかわいいのか?」と、何度も自問した。

●「孫は必要かどうか」

 そこでこんなふうに考えてみる。
「孫は必要かどうか」と。

 私のばあい、たぶん不幸なことに、最初の2人の孫は、現在、アメリカに住んでいる。
会えるといっても、1~2年に1回。
息子のBLOGには、こうあった。
「高い旅費を払ってまで、日本へ帰る必要はあるのか?」と。
それを読んだとき、正直言って、私はがく然とした。
それを読んで以来、私は「日本へおいで」とは、言えなくなってしまった。

 もちろん孫たちに会いたいという気持ちは、強い。
しかしその気持ちを支えるの、これまたたいへん。
いろいろ努力はしているが、『去るもの、日々に疎(うと)し』という格言もある。
孫への気持ちが、年々、薄らいでいくのが、自分でもよくわかる。
恐らくあと数年もすれば、上の孫にしても、親離れを始めるだろう。
そうなれば、当然、私の姿も、孫の中から消える。

●私のばあい

 そのかわり……というと語弊があるかもしれない。
しかし私のばあい、そのかわり、生徒たちがいる。
年齢的には、4歳前後から高校生まで。
最近は、そうした子どもで、孫への思いを代償的に消化している。
たまらないほどの、「いとおしさ」を感ずることもある。

 これは若いころ経験しなかった感情である。
だからもし、私が今の仕事から、身を引いてしまったら、仕事から去るという(さみしさ)
のほかに、それこそ身を引きちぎられるような(さみしさ)も覚えるにちがいない。

 一方、孫たちのほうは、どうか。

 少し前だが、こんな調査をしてみたことがある。

 私の教室に通っている、幼児、小学生の子どもたちに、こう聞いてみた。
「おじいちゃん、おばあちゃんが死んで、悲しく思った人はいるか?」と。
すると、ほぼ全員、こう答えた。
「何ともなかった」と。
1人だけ、「悲しかった」と答えた子どもがいたが、彼は(おじいちゃん子)で、しかも小
学6年生だった。

 子どもたちは、老人の私たちを、「死にゆく者」と考えている。
「死んで当然」とまではいかないにしても、それに近い。
そういうふうに考えている。

●問題は別のところに

 こう考えていくと、「子どもは必要ない」と考える若い人たちを、一概に、まちがってい
るとも言えなくなる。
つまりその結果、子育てのもつすばらしさがわからなくても、また最終的に人類が滅亡す
ることになっても、それはそれ。
しかたのないこと。
それについて、とやかく言う方が、おかしい(?)。
それぞれの人は、それぞれの考えに基づいて、人生を選択している。
言うなれば、あとは多数決の問題ということになる。

 ただ、これだけはまちがえないでほしい。

 だからといって、この日本や社会がかかえる問題を、放置しておいてよいということで
はない。
この日本では、子育てが、ますますしにくくなってきている。
少子化の問題も、その(結果)でしかない。
そういった問題については、積極的に考えていかなければならない。
それはそれ。

 ……ということで、この問題は、またの機会に、もう少し頭を冷やしてから考えてみた
い。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 少子化 婚外子 嫡出子 子どもは必要ない 内閣府)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【統領様が、やって来た!】

●とある工場で……

 第一報が入ったのは、その3日前のことだった。
その工場長の工場に、何と、あの統領様が視察にやってくるという。
どういうわけか、そういうことになった。
軍の地方幹部からその第一報が届いたとき、工場長は気を失った。
椅子からころげ落ちた。
何しろ、この数日間、食べたものと言えば、トウモロコシの入ったお粥だけ。
それも全部で、4杯。

 工場長はそれでも気を取り直すと、工員たちに総動員をかけた。
工場長といっても、名ばかり。
「工場」というのも、これまた、名ばかり。
手で運べるような工具や工作機械は、とっくの昔に消えてなくなっていた。
残った工員にしても、ほかに何もできないから、そこにいるだけ。
つまりどうしようもない工員たち。
そういう工員が数人。
それなりに力のある工員たちは、みな、闇市での商売や行商に精を出していた。

●製品?

 工場長は、その少し前、「工場の自社製品」と偽って、ピルピル市(首都のある町)へ、ステンレス製の鍋や食器を送っていた。
隣の中京国から仕入れたものだった。
何も出すものがなかったから、そうした。
軍の幹部から、「100日闘争の成果を見せろ」と迫られたから、そうした。
で、そのときはそれで、何とか、その場をやり過ごした。
しかし先にも書いたように、工場とは名ばかり。
残ったのは作業台と、それを取り囲むようにして残った、大型機械だけ。
もともとは、プレス加工の工場。
軍用トラックのボンネットなどを作っていた。

 が、それでも「統領様が来る」というニュースに驚いたのか、その日の午後までには、
工員たちがほぼ全員、集まった。
サボタージュしているとわかったら、それこそ家族もろとも、公開処刑。
命がけ。

●体裁

 工場長は、それらしい体裁だけは整えようと、みなに提案した。
異議を唱えるものは、いなかった。
その日のうちに、新たにいくつかの台が並べられた。
それらしい部品もいくつか、並べられた。
つかなくなった電球は、別の工場からもってきたものと取り替えられた。
が、肝心の製品がない。

 そこで工場長はありったけの金を集めると、工員の2人に、中京国国境まで行って、か
ってくるように命じた。
工場には、古いトラックが1台あった。
が、このところ仕事もなく、死んだ人を運ぶ霊柩車として使っていた。
葬式だけは、派手にやる国である。

 幸い中京国国境までは、トラックで、2時間あまり。
朝早く出発すれば、午前の検問時刻には間に合う。
その時間帯をのがすと、つぎの検問時刻は、昼からになる。
ということで、みなの期待を一身に背負いながら、運転手は、トラックを国境に向けて走
らせた。

●水洗トイレ

 問題はトイレ。
工場には、2つのトイレがあった。
が、2つとも汚れて、使い物にならなかった。
そのあたりでは、ボットン便所が当たり前。
座式の水洗トイレは、隣町の駅の中にしかない。
しかもそのトイレというのは、政府高官用。

 工場長は何とか頼み込んで、そのトイレを1日だけ、借りることに成功した。
そして工場長の隣にある、小さな物置部屋を、トイレに改装することにした。
工員たちは汗を流しながら、その日だけは、懸命に仕事をした。

壁に板を打ち付ける者。
床に、タイルを敷く者。
壊れた窓枠を、直す者、などなど。

便器は台の支柱ごと、土の中に埋められた。
そのまわりを、大きな石で囲んだ。
最後に床の上に板を敷き、ジュータンでそれを隠した。
また道路から玄関先までは、木が植えられた。

 人手だけは、たくさんある。
困らない。
工場内は、足の踏み場もないほど、人でごったがえした。

 さらにあちこちの家を回って、家具をもってきた。
それを工場の中に並べた。
町にひとつしかない電話機も、並べられた。
が、そのとき1人の工員が、工場長にこう言った。
「水はどうしますか?」と。

 水洗トイレである以上、水が流れなければ意味がない。
が、そこで議論が始まった。
「統領様は、トイレを使わない」
「いや、使うかもしれない」
「見るだけだ」
「いや、大便だったら、どうする?」と。

●問題は水

 つぎの日の午後、隣町の駅から、便座式のトイレが届いた。
工員の妻たちが、それをていねいに手で洗った。
その一方で、男たちは穴を掘り、排水用の土管を通した。
土管を通しただけで、その先は、ボットン。
みな、穴掘りだけは、得意だった。

 が、やはり問題は、水だった。
以前、製品を洗浄するための水道管をとりつけたが、それは15センチもある大口径のも
の。
しかし迷っている暇はない。
その水道管をトイレに取り付けた。
そのころ、中京国国境から、トラックが戻ってきた。

●メイド・イン・チュウキョー

 工場長は玄関先の陳列ケースに、(これは近くの中学校から持ち出したものだが)、それ
に食器を10点ほど、並べた。
「Made in Chukyo」と刻印が押してあるところには、紙テープを張った。
あの中京国という国は、それこそ箸一本にも、「Made in Chukyo」と書く。
工場長は、それをうらめしく思った。

 が、予算が足りなくて、鍋は、60個あまり、食器は大小さまざまなものが、100個
あまりしか買えなかった。
「とりあえず」ということで、工場長は、それらの製品を台の上に並べた。
いくつかは茶色い紙でくるんだあと、小さな箱の中につめた。
ほかにも箱だけはたくさんあったが、もちろん中はカラ。

●再びトイレ

 再び問題は、トイレということになった。
もし統領様がトイレを使い、コックをひねったら、どうするか。
そこで工場長は、一案を思いついた。
コックの軸の先を壁の外に出す。
外でそのコックが動くのをみたら、別の工員が、水道管のコックをゆるめて水を流す。
しばらく流したあと、またコックを閉じればよい。

 そのために1人の若い男が、トイレの水係りとして選ばれた。

で、何とか夜中までには、リハーサルまでできるようになった。
徴兵前の、まだ17歳の若い工員だった。
 工場長が「大」のほうへコックをひねると、それを見て、外の若い工員が、水道管のコ
ックをひねって、水を送る。
そして元に戻す。
「小」のほうへコックをひねると、やや少なめに、水を送る。
若い工員は、その手順を懸命に頭の中に、叩き込んだ。

 が、工場長は、その夜は一睡もできなかった。

●緊張感

 統領様の到着時刻は、その前日の夜にならないとわからない。
遠くの通りを見ると、兵隊たちが忙しそうに動き回っているのが見えた。
ときどき怒号と悲鳴も聞こえる、何とも訳の分からない声も聞こえた。
殺気立った兵隊たちが、住民に命令して、徹夜で道路の清掃作業をさせていた。

統領様がいるところから、半径1キロ以内にある銃器からは、すべて弾を抜かれる。
半径2キロ以内にある大口径の銃器は、銃口が反対側に向けられ、鉄線ですべて固定され
る。
町中が、その町はじまって以来の、大騒動となった。

工場長はそれを見ながら、ピルピル市に、鍋や食器を送ったことを、後悔した。
心底、後悔した。
「家族もろとも銃殺刑!」。
そんな言葉が、聞こえてきそうだった。

●やって来た!

 その日はやってきた。
到着の前日の午後に、連絡が入った。
そしてその朝。
兵隊たちが、線路脇に、ズラリと並んだ。
時刻は午前7時。
ふつうの人には、早朝だが、統領様にとっては、就寝前。
生活時間がちょうど10時間ほど、ずれていた。

で、統領様は、専用列車でやってきた。
豪華な専用列車だった。
町中が緊張感で包まれた。
住民たちは一着しかない民族服を着て、懸命に旗を振った。
その笑顔で忠誠度が調べられる。
笑顔を作るのも必死。
旗を振るのも、これまた必死。
保安員ににらまれたら最後。
そのまま収容所送り。

 統領様は駅で車に乗り換えると、そのまま工場のほうに向かってやってきた。
その様子は、通りに立っていてもよくわかった。
駅のほうから歓声があがった。
その歓声がだんだんと、工場のほうに近づいてきた。
工場長は、生きた心地がしなかった。

●世界の水準

 幸い(?)、統領様は、立っても20メートルほどしか、歩けなかった。
持病の糖尿病が悪化し、足の末端部は、紫色に腫れ上がっていた。
車から出るところから、統領様は大きな車輪付きの椅子に座った。
「車椅子」ではない。
彫刻をほどこした、金ピカの木製の椅子である。
それに4個の車輪がくっつけてあった。
それを3人の女官が動かしていた。

 統領様が立つのは、写真撮影のときだけ。
それ以外のときは、その椅子に座ったまま。
で、玄関のところで統領様はこう言った。

 「この工場の製品は、世界の水準に達している」と。

 それを聞いて、工場長は、あふれんばかりの涙を流した。
もちろん喜びの涙ではない。
恐怖の涙である。

●視察

 視察は、数分ほどで終わった。
終わったというより、終わらざるをえない状況になった。

その間、駆り出された工員たちは、統領様の前で、忙しそうに動き回って見せた。
鍋を磨きながら箱につめる工員。
その裏で、箱から鍋を取り出し、また作業台に並べる工員。
裏のほうから、食器を運んでくる工員。
その食器を再び、裏へ運んでいく工員。
食器だけが、ぐるぐると工場の中を回っていた。

 工場長は、統領様の気を引こうと、わざと大泣きをしてみせたり、反対に統領様の一言
一句に、大笑いをしてみせたりした。
が、つぎの一言で、工場長は、あやうく気を失うところだった。

「トイレを使いたい」と。

●大洪水

 外で待機していた若い工員に、即座に、合図でそれが伝えられた。
若い工員は、トイレの外で待機していた。
その国の冬は早い。
若い工員は、カチカチになった手で、水道管のコックを握った。
「大」のほうにコックが回れば、水道管を大きく開いて、パッと水を止める。
「小」のほうにコックが回れば、それよりは、小さく開いて、パッと水を止める。

 電気もガスもない国だが、水だけは、豊富にある。
豊富にあるといっても、冬場だけだが……。

 若い工員はその瞬間を待った。
1秒、2秒、3秒……、と。
それが若い工員には、気が遠くなるほど、長い時間に思えた。
「まだか……」「まだか……」と。
若い工員は、コックが回るのを待った。
じっとそこを見つめた。
まばたきもしないで、そこを見つめた。

 が、その瞬間は、意外と早く来た。
コックが、一度、大きく「大」のほうへ振れた。
若い工員は、水道管のコックを大きく開いたあと、すぐさまコックを閉めた。
壁の向こうで、ザーッと、勢いよく水が流れる音がした。
「ホーッ」と息をついだつぎの瞬間、今度は、コックが左右に、カチャカチャと動いた。
「大なのか、小なのか……?」と。
何しろその若い工員は、生まれてこの方、水洗トイレというのを使ったことがない。
見たこともない。
「大なのか、小なのか……?」と。

 若い工員はあわてた。
コックは左右にまた揺れた。
中で統領様がコックを、カチャカチャと動かしている……。
そこで若い工員は、思いっきり水道管のコックを大きく開けた。
とたん、中から、ワーッという悲鳴が聞こえた。

 そのときトイレの中では、便器から洪水のように水が溢れ出し、大便もろとも、統領様
の下半身全体をドドーッと濡らしていた。

●土下座

 みな、公開処刑を覚悟した。
その町でも、1~2か月ごとに、墓場の横にある空き地で、公開処刑がなされていた。
相手が統領様では、弁解の余地はない。
みな、その場で土下座した。
額を地面にこすりつけた。

 が、同時に統領様は気分屋としても、よく知られている。
そのときの気分で、判断が、180度変わることも、珍しくなかった。

あいさつの仕方をまちがえて、処刑になった兵士もいる。
しかしまちがえたあと、統領様の靴に、顔をすりつけて泣いた兵士もいた。
その兵士のばあいは、そのあと反対に、昇進している。

トイレから出てくるときには、付き添いの女官たちが、すでに統領様の衣服を取り替え、
もとどおりのピカピカの防寒服になっていた。
そしてガタガタと震えながら土下座している工場長を見ると、こう言った。

「気にしなくてもよい。
トイレの故障は、今度来るときまでに、直しておくように」と。

また別れ際、こうも言った。
「お前の工場の製品は、ピンピン市でも、特設売り場を作って売るようにしてやる」と。

●みやげ

 こうして統領様の視察は終わった。
トイレでのハプニングのおかげで、視察も、最初の数分足らずで終わった。
鍋や食器などの製品については、地方軍部も事情をよく知っていた。
だから、お咎(とが)めなし。

 で、今でも、その工場は、開店休業状態。
工場長と数人の、どうしようもない工員たちが、ひまそうにタバコを吸っている。

 で、あの鍋や食器は、どうなったかって?

 鍋や食器は、みんな、軍の幹部たちが、みやげものとして、持ち帰っていった。
そのあとに残ったのは、「Made in Chukyo」と書かれた、カラ箱だけ。
それを横目で見ながら工場長は、何度も何度も、あくびを繰り返していた。

(以上の話は、すべてフィクションです。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今、K国では……】

●餓死者

 K国では餓死者が出始めているという。
餓死者だぞ!
が、それはまさに氷山の一角。
その直前で、がんばっている人も多い。
その数10倍の人、あるいはそれ以上が、餓死寸前の状態にあるとみてよい。
あのピョンヤンの小学校でも、1クラス40人のうち、10人前後が、「欠食」で学校を休
んでいるという(韓国紙)。

「欠食」?

「欠食」という言葉は、はじめて知った。
つまり食事をとっていないから、登校できないということらしい。

●そこは地獄

 世界でも1、2を争う最貧国。
それがK国。
で、そういう国がどういう状況になっているかは、同じく1、2を争っているアフリカの
国々を見ればわかる。
表向きはどうであれ、その内部では、私たちの想像を絶するような地獄絵図が繰り広げら
れているにちがいない。
漏れ伝わってきた情報によると、「旧紙幣で払う」「受け取らない」で、殴り合いの喧嘩に
なり、死んだ人もいるとか。
さらに「もう生活できない」と言って、自殺していく人も多いという報道もある。
少し前に読んだ記事には、人肉まで、売買されているというのもあった。

 人肉だぞ!

 暴力、略奪、窃盗、強盗、殺人……。
「悪」として思いつくことすべてが、あの国の闇の部分で繰り広げられている。

●後遺症

 しかし本当にこわいのは、人心の荒廃。
一度壊れた心は、元には戻らない。
幼児期、少年少女期の子どもほどそうで、後遺症は世代連鎖を経て、そのあと何世代にも
渡ってつづく。
そうした禍根を作りつつある現政権、つまり金xxの罪は重い。

 が、これはK国だけの問題ではない。
金xx政権はやがて崩壊するとしても、私たち日本人は、そのあと何10年も、そういう
人たちと、付きあっていかねばならない。
現在の日本と韓国、あるいは日本と中国の関係を見れば、おおかたの予想はできる。
教育によって徹底的に植え込まれた反日意識、反日感情というのは、それこそこの先、何
10年もつづく。

●戦後補償

 で、この時点で、改めて念を押しておきたいことがある。

 日本は戦後、中国、韓国をはじめとして、東南アジアの国々に、莫大な戦後補償を払っ
てきた。
とくに韓国には、日本の屋台骨を何本も抜くほどの補償をしてきた。
しかしお金では、心は買えない。
買えないばかりか、札束で相手の頬を払うようなことをすれば、さらに深い反感を買って
しまう。
戦後補償をするとしても、一般民衆にわかる形で、かつ一般民衆に感謝される形でしなけ
ればならない。

 さらに一度、(保護)(依存)の関係ができてしまうと、依存する側は、「助けてもらって
当然」というような考え方をするようになる。
そうなると、いくら援助しても、それこそ乾いた砂漠に、水をまくようなことになってし
まう。

 私が韓国にいたときも、日本は、日本のお金でどこかにダムを建設した(1967)。
そのときもダムの前に、「このダムは日本の援助で建設されました」というようなプレート
を立てる約束だった。
にもかかわらず、韓国政府は、それ立てなかった。
たまたまその式典から帰ってきた日本政府の高官が、その話をしながら、かなり怒ってい
た。

 この先、そういう話は、山のようにつづく。
今から覚悟して、対処する。

●人間性

 『衣食足りて、礼節を知る』※という。
それは事実だが、一時的なものであってはいけない。
また一時的なもので、礼節は身につかない。
現在私たちが人間性、文化性と呼んでいるものはそうで、それを培(つちか)うには、何
世代にも渡る(努力)と(時間)が必要である。

 一度壊れた心を元に戻すには、さらに長い(努力)と(時間)が必要となる。
そのことは、戦後生まれの私たちの世代なら、みな、知っている。
私たちはあのドサクサの中で、まさにその人心の荒廃を、身をもって体験している。
ただ幸いなことに、その期間が短かった。
5年とか10年。
その間に日本は経済を立て直し、今に見る繁栄を築きあげた。

 もしあんな状態が、半世紀もつづいていたら……。
日本も恐らく、現在のK国のようになっていたにちがいない。

(注※)原文……『倉廩(そうりん)実ちて 則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足りて則ち
栄辱(えいじょく)を知る』(管仲著「管子」)。


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