2010年1月12日火曜日

*Freedom to Think

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司


【最後にババを引く人】

●不気味な上昇

 中国の経済指標は、上海B株をみて判断する。
その上海B株。
一本調子に上昇しつづけている。
すでに2年(2008)前のリーマンショック以前の水準に、戻りつつある。
今年(2010)、中国の経済成長率も、10%前後と予想されている。
バブルである。
完全なバブルである。

 つまりその分だけ、アメリカや日本から資金が逃避しつつある。
逃避したお金は、・・・というより危険を察知した投資家たちが、その矛先を「金」に向け始めている。
そのため金価格が、ジワジワと上昇しつづけている。
現在、グラム3600円前後。

その様相は、リーマンショック以前の経済状況と、たいへんよく似ている。
あのときも、まず金価格が、じわじわと上昇し始めた。
半年くらいをかけて、グラム2000円前後から2600円前後にまで上昇した。
「アメリカがあぶない」と感じた投資家たちが、金を買い始めた。
またあのときはアメリカだったが、今度は、中国。
まるで洪水のように、世界中の資金が、中国市場になだれ込みつつある。

 中国経済があぶない・・・というよりは、中国のバブル経済がはじけたとき、世界は、リーマンショックをはるかにしのぐ衝撃に襲われる。
ドバイショック(2009)の比ではない。
規模がちがう。
一説によれば、ドバイショックの1000倍の威力があるという(韓国経済誌)。

●同じ失敗

 リーマンショックで、財産を失った人は多い。
私の知人の中には、1億円あった資産(株)を、100万円にしてしまった人もいる。
100分の1である。

加えて円高。
とくに外国債券に手を出した人の被害が、大きかった。
平均して、30~40%前後の損失を出したと言われている。
が、それからちょうど1年。
今度は、ドバイショック!
外国債券の損失額をみるかぎり、ドバイショックは、リーマンショックの10分の1程度とみてよい。

 これらの数字を並べてみると、仮に今度、中国でバブル経済が崩壊すれば、リーマンショックの約100倍の衝撃が、世界中を襲うことになる。
(100倍だぞ!)
名づけて「上海ショック」。

 そのとき日本経済も崩壊する。
が、何よりも恐ろしいのは、こうしたバブル経済の崩壊というのは、まったく予告なく、突然、始まるということ。
リーマンショックのときもそうだった、ドバイショックのときもそうだった。
日本のバブル経済崩壊のときも、そうだった。
「あぶないな?」と思っていた人は多かった。
しかしいつも突然だった。

●上海ショック

 リーマンショック、あるいはドバイショックで、財産を減らした人も多い。
しかしこの2~3か月、再び世界の株価は上昇しつづけている。
外国債券価格も、持ちなおしてきている。
だから中には、「何とか、損した部分だけも、取り返したい」と考えている人も多いはず。
「あとxか月持ちこたえてくれれば、何とかなる・・・」と。

 しかし(そのとき)があぶない。
というのも、そのとき、世界中の人たちが、(投資家ではなく、一般庶民が)、いっせいに、外国債券を売って、資金の回収に向かう。
そういう意味で、人間の心理には、共通性がある。
「同時行動性」といってもよい。
だから昔から、こう言う。
『そこらのオジちゃん、オバちゃんが、証券会社のロビーに並ぶようになったら、証券取引から手を引け』と。

 今がそのときかもしれない。
私もそのオジちゃんの1人だが、私が動くとき、世界中のオジちゃん、オバちゃんも動く。
何しろ数が多い。
そういう人たちが、いっせいに動く。
それがこわい。
・・・といっても、その前に、プロの投資家たちは逃げるから、最後にババを引くのは、結局は、オジちゃん、オバちゃんということになる。

●何が安全か?

 では、手持ちの資金は、どこへ逃避させたらよいのか?
もっとも好ましいのは、現物投資ということになる。
そのひとつが、金投資。
が、すでに金価格は上昇しきっている。
円安が進めば、グラム4000円台をねらうかもしれないが、そこまで円安に向かうかどうか、わからない。
 
 つぎにタンス預金がある。
インフレ、円安になった分だけ、目減りするが、(現金)には、それなりの力がある。
大切なことは、最後に、ババだけは引かないこと。
その一歩手前で、損切りも覚悟して、売り逃げること。
「あと少し」「まだいける」と欲を出したとたん、プロの投資家たちの餌食(えじき)になる。

●その(時)

 2010年は、何とも不安定な状況から始まった。
明日、上海ショックが起きてもおかしくない。
あるいはドバイショックがそうだったように、まったく予想外のところから、火の手があがるかもしれない。
たとえば日本のJALの法的整理。
そういったものが上海ショックの引き金を引く。
ドカーンと爆発する。

 ・・・以上、はやし浩司というド素人の意見。
あまり本気にしないでほしい。
無責任に思う人もいるかもしれないが、そのときは、こう考えたらよい。

 まじめにコツコツと働く人よりも、マネーゲームをしている人のほうが、儲かるというしくみそのものが、おかしい。
それが進んで、「まじめに働くのが、バカ臭い」と、みなが思うようになったら、おしまい。
そのとき、世界経済は、本当に崩壊する。
その(時)は、刻一刻と、しかし確実に近づきつつある。
(2010年1月11日夜記)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●自由 

みんな、(私も)、いつも何かにじっと耐えている。
耐えながら、生きている。
家族、地域、組織、国、そして仕事。
それから生まれる(糸)で、私たちの体はがんじがらめにされている。
自由に動き回ることさえ、できない。

出世、名誉、地位、権力、財産・・・。
これら、世俗の泥沼の中で、自分を見失っている人も多い。
が、ここからが、今日のテーマ。

(1) 自分がそうであると気がついている人は、少ない。
(2) 真の自由人であるためには、どうすればよいのか。

 「人間は社会的動物」とは、よく言われる。
しかしこの場合、「社会」とは、「社会的束縛」を意味する。
その「束縛」には、2種類、ある。

 ひとつは、外的束縛。
法律、規則、資格、認可、許可などなど。
社会的常識というのも、その中に含まれる。
作法、礼儀、しきたり、因習、慣習などなど。
その人を、外部から、束縛する。

 もうひとつは、内的束縛。
たいていは自分の欲望と結びついている。
「名誉がほしい」「地位がほしい」「お金がほしい」と。
その人自らを、内部から、束縛する。

●自由 

 人は、自由を失って、それまでの自分が自由であったことを知る。
同じように、人は、自由を得て、それまでの自分が、自由でなかったことを知る。
それまでは、わからない。
自由な人も、自由でない人も、自由とは、そこにある空気のようなもの。
自由な人にとっても、そうでない人にとっても、「自由」が、そこにあることに気づくことはない。

 たとえば日本でいう「会社人間」。
会社という組織に入り、その組織の一員として、その会社のために働く。
その会社人間のばあい、会社の肩書きはもちろんのこと、会社名を出して、ものを書くことは許されない。
名前を出すことさえ、むずかしい。
写真ならよいと考える人もいる。
しかし写真から、その会社とわかってしまうこともある。

 だから現実には、会社人間と呼ばれる人たちは、このネット時代にあっても、実名で、自分のBLOGさえ立ち上げることさえ、むずかしい。
実際には、できない。

 が、中には、私のように、(ものを書くこと)に生きがいを感じている人もいるはず。
仮に私なら、・・・つまり、私が会社人間で、会社という組織から、ものを書いて発表することを禁じられたら、私なら、どうするか。
仮に私なら、私はその会社をやめてしまうにちがいない。
「自由か、仕事か」ということになれば、私は「自由」を選ぶ。
仕事は、そのつぎ。
自由を確保した上で、その自由を侵害されない仕事をさがす。

●内的束縛

 外的束縛は、それによって防げる。
しかしもっと大きな問題は、内的束縛。
内的であるがゆえに、自発的、能動的にその人に作用していく。
そのためさらにそれに気がつくのが、むずかしい。
むずかしいばかりか、それがその人の、人生の目標、あるいは生きがいになっていることが多い。

 ある男性は、今年75歳前後になるが、今でも、定年前の地位(キャリア)を自慢にしている。
何10年も前の学歴を自慢にして生きている人となると、ゴマンといる。
若いときならまだしも、定年退職を過ぎてから、内的束縛に気がつくのは、恐ろしい。
ばあいによってはそれはそのまま、自己否定へとつながっていく。
「オレの人生は、何だったのか!」と。
自己否定による絶望感を味わうくらいなら、過去の甘い幻想にしがみついたほうが、楽。
だからますます懸命にしがみつく。

●会社という組織

 ためしに銀行のフロアをのぞいてみればよい。
みな、会社という限られた組織の中で、束縛されていることにも気づかず、せっこらせっこらと働いている。
していることは、(お金の管理)。
真理の探究でもなければ、哲学の追求でもない。
ただの(お金の管理)。
男たちはそれでよいとしても、私はあるとき、そういった姿を見ながら、こう思った。
「幼稚園の先生たちのほうが、よっぽど生き生きしている」と。
建物や服装にだまされてはいけない。
大切なのは、中身。
中身の追求。
それが「自由」ということになる。

●平均寿命まで15年
 
 もちろんだからといって、銀行の仕事が無意味とか、つまらないとか、言っているのではない。
人間が(社会)を形成する以上、それぞれの人がそれぞれの分野を負担する。
銀行でのお金の管理も、そのひとつ。
しかしそれがどんな仕事であれ、(心の自由)を見失ってはいけない。
あるいは私がここに書いたことを知っているだけでも、生き様は、変わってくるはず。
他人の評価の仕方も、変わってくるはず。
あるいはこのドロドロとした俗世間を、一歩、退いて見ることができるはず。

 ・・・かく言う私も、60歳を過ぎて、やっとそれに気づいた。
私自身も、外的束縛、内的束縛にがんじがらめになっていた。
つまらないものに対して、「つまらない」と反発する勇気さえなかった。
『長いものには巻かれろ』式に、いつも、どこかで、だれかに妥協しながら生きてきた。
それが今、深い悔恨の念となって、私を襲う・・・。

・・・が、まだ私の人生が、終わったわけではない。
平均寿命まで、まだ15年ある。
がんばろう!
がんばります!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 自由 自由論 真の自由 外的束縛 内的束縛)

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ついでに世界の賢人たちが、「自由」について
どのように考えているか、それを拾ってみた。

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The Shepherd drives the wolf from the sheep's throat, for which the sheep thanks the shephard as a liberator, while the wolf denounces him for the same act as a destroyer of liberty"
Abraham Lincoln
羊飼いは、羊がオオカミに喉をかみ切られないように、オオカミを追い払う。それについて羊は、解放者として、羊飼いに感謝する。一方、オオカミは、その同じ行為を、自由(解放)の破壊者として、羊飼いを非難する。(エイブラハム・リンカーン)


A society of sheep must in time beget a government of wolves.
Bertrand de Jouvenel
民が羊になったそのとき、オオカミの政府が生まれる。(Bertrand de Jouvenel)


To educate a man is to unfit him to be a slave
Fredrick Douglass
人を教育するということは、その人を奴隷にふさわしくない人にすることである。(フレドリック・ダグラス)


If liberty means anything at all, it means the right to tell people what they do not want to hear
- George Orwell
自由が何を意味するかと言えば、それはほかの人たちに、何を聞きたくないかを告げる権利ということになる。


Freedom is just another word for nothing left to lose.
Janis Joplin,"Me and Bobby McGee"
自由という言葉を言い換えると、失うものが何も残っていない状態、ということになる。(ジャニス・ジョプリン)


Whoever controls the media, controls the mind.
Jim Morrison
マスメディアを支配するものが、心を支配する。(ジム・モリソン)


Those who make peaceful revolution impossible will make violent revolution inevitable.
John F. Kennedy
平和的な革命を不可能にする者は、暴力的な革命を避けられないものにする。(J・F・ケネディ)


And this I believe: that the free, exploring mind of the individual human is the most valuable thing in all the world. And this I would fight for: the freedom of the mind to take any direction it wishes, undirected. And this I must fight against: any idea, religion, or government which limits or destroys the individual.
John Steinbeck, "East of Eden"
私はつぎのことを信ずる。つまり、個々の人間の心を探究するという自由は、世界でもっとも尊いものである。だれにも干渉されない、自由な思索。その自由のために、私は闘うだろう。私は個人を制限したり、破壊したりするどんな思想、宗教、政府とも戦わなければならない。(ジョン・スタインベック)


Censorship is telling a man he can't have a steak just because a baby can't chew it.
Mark Twain
検閲などというものは、赤ん坊がそれを飲み込むことができないからといって、人はステーキを食べられないというようなものだ。(マーク・ツエイン)


Give me Liberty, or give me death.
Patrick Henry
自由か、さもなければ、死を与えたまえ。(パトリック・ヘンリー)


Wherever a man comes, there comes revolution. The old is for slaves.
Ralph Waldo Emerson
人が来て、革命が起きる。そのとき老人たちは、奴隷になる。(R・W・エマーソン)


Most people do not really want freedom, because freedom involves responsibility, and most people are frightened of responsibility.
Sigmund Freud
ほとんどの人は、自由を望まない。なぜなら、自由は責任を伴う。そしてほとんどんの人は、その責任をを恐れる。(Sigmund Freud)


Man is free at the moment he wishes to be.
Voltaire
人は、そう願ったときだけ、自由である。(ボルテール)


Freedom is not worth having if it does not include the freedom to make mistakes.
Mahatma Gandhi, In Struggle/Mistakes
自由といっても、それがまちがいを犯すという自由も含まないなら、自由としての価値はない。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

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