2010年1月29日金曜日

*Magazine Jan 29th

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 29日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●認知症と激怒(認知症の前駆的初期症状)

+++++++++++++++++++++++++

認知症になりかけた人は、どうして怒るのか?
まちがいを指摘したりすると、パニック状態になる。
ささいなことで、激怒する。
まちがえたら、まちがえましたですむ話。
しかし認知症になりかけた人は、それができない。
心の余裕を失う。
認知症を意識するあまり、それが激怒に変わる。
あるいは自分がそういう状態になっていることを、
人に知られるのを、たいへん恐れる(?)。

+++++++++++++++++++++++++

●認知症

 「もしかしたら……」と思うことは、恐怖以外の何ものでもない。
たしかに恐怖。
私も、最近、よくその恐怖を味わう。
もの忘れというのは、若いときからよくした。
今も、若いときとそれほど状態は変わってしない。
しかし若いときは、「忘れた」ですむ。
が、私の年齢になると、それが「もしかしたら……」となる。
あるいは「もしかしたら……」に、結びつけてしまう。

 たとえば同時に、2つ、3つの用事を予定したとする。
デジカメに充電し、めがねを取り出し、戸棚に本をしまう……と。
そこへ電話がかかってきたりすると、電話で話している間に、用事を忘れてしまう。
そのまま書斎に入ってしまったりする。
そこでどっかりと腰をすえたとき、「あっ、忘れた!」となる。

 注意力は、確かに散漫になってきた。
それは認める。
それに若いときは、触角が四方八方に向いている。
が、今は、その範囲が狭くなった。
ひとつの用事をこなしていると、ほかの用事を忘れてしまう。

●脳の乱舞

 が、まだ(恐怖)という段階ではない。
しかしそれがある一定限度を超えると、自分自身が信じられなくなる。
私も一度、チョコレートを食べ過ぎて、幻覚(?)を見たことがある。
幻覚というよりは、脳みそが勝手に乱舞してしまった。
あのとき覚えた恐怖感は、今でも忘れない。

 認知症になりかけのころは、こうした恐怖感が、日常的にその人を襲う(?)。
これはあくまでも私の想像だが、その恐怖感が緊張感となり、そこへ心配や不安が
入り込むと、一気に情緒が不安定になる。
それが多くのばあい、(怒り)に変わる。

●T氏(75歳)のケース

 T氏に会ったのは、10年ぶりだった。
私とワイフが山荘を造成しているころには、ときどきやってきて、私たちを手伝ってくれ
た。
T氏は、山荘の近くで、製剤工場を経営していた。

 そのT氏は、私たちのことを忘れていた?
「お世話になりました。あのときの林(=私)です」と、あいさつしたのだが、覚えてい
ないといったふうだった。

 T氏は、そのつど、いろいろな材木を届けてくれた。
その材木を使って、私は、テラスを作ったり、椅子やテーブルを作ったりした。
で、今回は、座卓の柱を切ってもらうことにした。
長さを、何ども「36センチ」と念を押したのに、家に帰って寸法を測ってみると、30
センチしかなかった。
ワイフも、「あれだけ言ったのに……」と、残念そうだった。
夜になっていたこともあり、その日はそのままにした。

 で、翌朝、電話をした。
が、私がミスを指摘したとたん、Tさんの様子が急変した。
私はていねいな言い方をしたつもりだったが、Tさんは、怒ったような雰囲気だった。

「紙に書いてくれればよかった」と、私をなじった。
そうかもしれない。
そのときも、心のどこかで「あぶないな」と感じた。
だからこそ、何度も念を押した。
「36センチですよ」と。

●恥

 Tさんは、こう言った。

「私のミスだから、作り直す」
「作り直して、お宅まで、届ける」
「会社のほうへ、取りに来てくれるな」
「家族には、ミスしたことを話さないでくれ」
「私の恥だ!」と。

 私が「作り直しておいてくれれば、受け取りに行く」と言ったのだが、そのあたりから、
声の調子が大きく変わった。
Tさんは、「恥」という言葉を使った。

 ふつうなら、こういうとき、「ハハハ、こちらのミスです。作り直します」という程度の
会話で終わる。
が、Tさんは、そうではなかった。
ミスをした自分が許せないといったふうだった。
そういう自分に怒っている。
私はそう感じた。

 その話をすると、ワイフは、こう言った。

「きっと、家の中でもいろいろミスをしているのよ。
それでそれをみんなに知られるのを、恐れているのよ」と。

 Tさんが認知症になっているかどうかは、わからない。
年齢的には、認知症になっていても、おかしくない。
が、認知症の初期の人が、怒りっぽくなるという話はよく聞く。
先にも書いたように、心の余裕を失う。
そのためささいなことで、激怒する。

●段階論

 私なりに、認知症の初期症状を段階論的にまとめてみる。

(1)疑惑期……「ひょっとしたら……」と、不安、心配になる。
(2)確認期……「たしかにおかしい?」と、自分でもそれがわかるようになる。
(3)隠蔽期……おかしくなりつつある自分を隠そうとする。
(4)否認期……とりつくろい、つじつま合わせがうまくなる。
(5)混乱期……だれかにミスを指摘されたりすると、激怒したりする。
(6)拒絶期……まわりの人たちが、診断を勧めたりすると、それをはげしく拒否する。
(7)治療期……認知症と診断され、治療期へと入っていく。

 上記、混乱期の特徴は、ささいなことで、パニック状態になること。
いわゆるヒステリー症状を示す。
ギャーギャーと泣きわめきながら抵抗したり、反論したりする。
まわりの人が、「わかった、わかった」となだめても、効果はない。
手がつけられないといった状態になる。

 Tさんについて言えば、あくまでもこれは私の印象だが、(3)の隠蔽期から(4)の否
認期に向かいつつあるのではないか。
心の緊張状態がつづき、やがて心の余裕を失っていく。

 先にも書いたが、75歳という年齢からして、今、そういう状態にあってもおかしくな
いし、またそういう状態にあることは、じゅうぶん、疑われる。
今回会ったときも、Tさんは、メモ帳を片時も離さないでもっていた。
TさんはTさんなりのやり方で、自分の年齢と懸命に闘っているようにも見えた。

以上、あくまでも私の勝手な判断によるものだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 認知症の初期症状 痴呆症の初期症状 初期の初
期 認知症段階論)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●「濃い男」

++++++++++++++++++

「濃い男」「薄い男」という言い方は、
私が考えた。
もう20年以上も前のことである。
そのころ書いた本の中で、この言葉を
使った。

濃い男というのは、性的な意味で、
女性にしか興味を示さない男性をいう。
女性の肉体には強い関心をもつが、反対に
男性には手を触れられただけで、ぞっとする
ような嫌悪感を覚える。
つまり性的な意味で、男性にはまったく
興味を示さない男性をいう。

一方、薄い男というのは、性的な意味で、「女性
でもいいが、男性もいい」と考える男性をいう。
同性愛者は、そういう意味では、たいへん「薄い男性」
ということになる。

+++++++++++++++++

●文化

 先日、テレビを見ていたら、この言葉を使った人がいた。
「ぼくは、濃い男ですから……」と。
驚いた。
もっともその人は、最近流行している、「草食系男性」「肉食系男性」という
意味にからめて、そう言った。
要するに性的な意味において、つまり女性に対して、より能動的、かつ攻撃的な
男性という意味で、そう言った。

 で、しばらくして、こう考えた。

 こうして断片的ではあるにせよ、無数の人たちの文化が、無数にまざりあって、
つぎの世代の文化を創りあげていく、と。
私も、その一部でしかない。

「草食系」「肉食系」という言葉にしても、今ではだれが使い始めたかさえわからない。
しかし言葉として、私たちの文化の中に、定着している。
私自身も、だれが使い始めた言葉かを知らないまま、その言葉を使っている。
同じように、「濃い男」「薄い男」という言葉にしても、今、ここで私が、「もともとは
私が使い始めた言葉だ」と叫んでも意味はない。
すでにこの言葉は、ひとり歩きしている。
しかも意味が、私が考えた意味とは、少しちがう意味で使われている。

●オリジナル

 こうして私がオリジナルで考え、そののち、広く一般に使われているのが、
たくさんある。

 時計のお絵かき歌というのもある。
「♪丸描いて、チョン、上、下、横、横……」という歌である。
その歌が、ある幼児教育雑誌に、紹介されていた。
楽譜も載っていたが、「似ている」という程度だった。
もともとの私の歌い方とはちがう。
が、その歌詞について、何と、「作者不詳」となっていたのには、やはり驚いた。

 ほかにも、「道づくりゲーム」がある。
正方形のカードに、(直線道路)(三叉路)(十字路)(曲がった道)が描いてあり、
それをつなげて遊ぶというものである。
このゲームは、私は20代のころ、学研の「幼児の学習」という雑誌で発表した。
たいへん好評で、その1、2年後、同じ付録が、復刻版で出た。
たしか当時、学研で、実用新案として申請、登録されたと思う。
(発案者には、権利はない。
申請者に、権利が残る。
発案者は、「はやし浩司」、申請者は、「学研」だったと思う。)

 そのあと、そのゲームは、「ヘビ・ゲーム」とか、「水道管ゲーム」に変形され、
市販化された。
が、今では、このゲームは、あちこちで無断で(?)、使われている。

 ほかにもある。

 東京の私立小学校で使われている入試問題の何割かが、私が考えたものである。
ウソだと思う人がいたら、「主婦と生活」(1975年11月号の巻末付録)を見て
ほしい。
ちょうど35年前である。
それを見た人は、こう思うだろう。
「私立小学校の入試問題と同じ」と。
(そのときの私のHPに、収録しておく。)
 
 それ以前に、どこかの小学校の入試に、似たような問題が使われていたとしたら、
私がまねて、雑誌に発表したことになる。
が、そういうことは、ない。

 ……ということで、いろいろ書きたいことはあるが、ここまで。
書けば、どうしてもグチになる。

●文化

 私だけではない。
いろいろな人が、いろいろな立場で、無数の文化を創りあげている。
それが積み重なって、また別の文化を創りあげている。
そのときには、もう「私」はいない。

 あのお絵描き歌にしても、「道作りゲーム」にしても、入試問題にしても、
はやし浩司の痕跡は、どこにもない。
考えてみれば、さみしく思わないわけではないが、その一方で、私は無数の人たちの、
これまた無数の文化を継承している。
「団塊の世代」という言葉にしても、もとは、ある評論家の考え出した言葉である。
そういう言葉を使いながら、それがだれの考えた言葉かは、いちいち考えない。
それが「文化」ということになる。
  
 大切なのは、そのときは意識しないかもしれないが、常に前向きに創りあげていく
ということ。
どんなことでもよい。
何でもよい。
その積極性が、人間の文化を前へ前へと、進歩させる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 文化 文化論 道作りゲーム 道づくりゲーム 時計のお絵描き
歌 はやし浩司 濃い男 薄い男)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心の壊れた人たち

++++++++++++++++++

他人の不幸を、楽しんでいる人がいる。
さも同情しているかのような顔をして聞き、
内心では笑う。
心が壊れた人というのは、そういう人をいう。

自己中心性が肥大化すると、自己愛につながる。
自己愛に陥った人を、「自己愛者」という。
「自分を大切にする人」という意味ではない。
「自分のことしか考えない、愚かで、あわれな人」
という意味である。

このタイプの人のやっかいな点は、演技がうまいこと。
さも同情したフリをして、他人の不幸話を聞き出す。
誘導の仕方が、うまい!
聞き出し、それを酒の肴(さかな)にして、楽しむ。
うわさ話をしながら、「あいつはダメだ」とか、「こいつは
バカだ」とか言って、笑う。

あるいは自分は人格者であるかのように振る舞う
こともある。
むしろほかの人よりも、高邁で立派な人に見える。
が、年季が入っているから、ちょっとやそっとでは
見抜けない。
10年くらいつきあって、「?」と思う。
20年くらいつきあって、やっと、そういう人とわかる。

そんなわけで、価値観、幸福感も相対的。
他人が自分より不幸であれば、「私は幸福」と
喜ぶ。
笑う。
他人が自分より幸福であれば、「私は不幸」と
嘆く。
ねたむ。

++++++++++++++++++

●「私はふつう」

 一度壊れた心は、生涯、なおらない。
そう思って、ほぼまちがいない。
心というのは、そういうもの。
作るのは、むずかしい。
壊すのは簡単。
ほんの1、2年、はげしい受験勉強を経験させるだけで、壊れる。
あるいは、不幸にして不幸な家庭に育った子どもも、そうだ。
愛情飢餓、虐待、無視、冷淡、さらに嫉妬や日常的な欲求不満を経験すると、子どもの心
は壊れる。

 が、ここから先が、心の恐ろしいところ。
壊れた心をもちながら、壊れていることに気づく人は、まず、いない。
自分では、「ふつう」と思い込んでいる。
あるいは「他人も、自分と同じ」と思い込んでいる。
その一方で、心の暖かい人が理解できない。
そういう人が近くにいても、その人を信ずることができない。
何かのことで親切にされても、それを素直に、受け入れることができない。
どこまでも心のさみしい、かわいそうな人ということになる。
が、それも、このタイプの人には、わからない。

●不信

 こういう心の状態を、心理学では、「基本的不信関係」という言葉を使って説明する。
多くは、乳児期の母子関係の不全によって、そうなる。
わかりやすく言えば、相手に対して、心を開けない。
心を許さない。
疑い深く、嫉妬深い。
心のクッションが薄いから、ささいなことで激怒したり、相手を必要以上に嫌ったり、避
けたりする。

 が、「不信」である分だけ、「孤独」。
だから勢い、たとえば、「信じられるのは、お金だけ」となる。
名誉や財産、地位や学歴にしがみつく。
ときに孤独に耐えかねて、集団の中に入る。
大判振る舞いをする。
しかし気が抜けない。
疲れる。
そういう生きざまになる。
言い換えると、そういう生きざまの人は、すでに何らかの形で、心が壊れている人と考え
てよい。

●受験競争

 ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなた自身も、その(心の壊れた人)かもしれ
ない。
程度の差はあるだろうが、私たちの生活は、何らかの形で、お金に毒されている。
「私は、そんなまちがったことできません」などと言おうものなら、社会そのものからは
じき飛ばされてしまう。
子どもの受験勉強にしても、そうだ。
あんな子どもが、点数だの、成績だの、順位だので追いまくられて、まともに育つはずが
ない。
ないことは、子どもを年中児から高校3年生まで教えてみるとわかる。

 子どもによっては、夏休みの間、どこかの受験塾が主催する夏期講習に入っただけで、
激変する。
親は、そういう子どもを見て、「やっとうちの子も、(受験を)自覚できるようになりまし
た」と喜んでいるが、とんでもない誤解。
あるいは親自身も、心が壊れているから、それに気づかない。
心の壊れた親が、自ら、自分の子どもの心を壊している。
受験塾の講師にしても、そうだ。
ああいった指導(教育ではないぞ!)が、平気でできる人というのは、そのレベルの人と
考えてよい。
まともな心の持ち主なら、ぜったいにできない。

 人間が人間に点数をつけ、順位をつけ、進学指導の指導(?)をする。
もちろん金儲けのため。
しかもそんな汚い仕事を、20代とか30代の、人生が何であるかもわからないような若
い講師がする。
まずもって、その異常さに、みなが気がついたらよい。

 まわりくどい言い方をしたが、受験競争の弊害を、心という面から、考えてなおしてみ
た。
さらに一言付記するなら、そうした受験競争をうまくくぐり抜けた人ほど、社会のリーダ
ーとなっていくのは、まさに悲劇としか、言いようがない。
現在のこの日本が、まさにそうであると断言してよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 受験競争の弊害)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

【Boys, be ambitious】

●大卒の就職内定率

+++++++++++++++++

大卒の就職内定率が、60%前後という。
浜松市内で、リクルートの会社を経営している
N氏は、こう言った。
「現状(09年12月現在)は、50%前後では
ないでしょうか」と。

わかりやすく言えば、大卒のうち、2人に1人しか
就職が決まっていないということ。

+++++++++++++++++

●仕事は自分で作るもの

 「就職」という考え方にこだわるかぎり、「50%」というのは、深刻な数字ということ
になる。
18年間も勉強してきた……というよりは、親の立場で言うなら、18年間も、学費を負
担してきた。
その結果として、息子や娘たちの就職さえも、ままならない。
見返りを求めるわけではないが、こうなってみると、何のための学費だったかということ
になる。

 が、ここで早合点してはいけない。
就職できないことイコール、(失敗)ではない。
またそんなことで、へこたれてはいけない。
日本人は、江戸時代の昔から、「仕事は与えられるものという意識」を強くもっている。
「会社に仕えるものという意識」という意識と、言い換えてもよい。
しかし(仕事)は、もらうものではない。
与えられるものでもない。
自分で作るもの。
仕事がなければ、自分で作ればよい。
それこそ「リヤカーを引いて」でも、自分で作ればよい。

 こんなことを書くと、「何をバカなことを!」と思う人も多いかもしれない。
しかし私は、若いころ、そう考えたし、そうしてきた。
浜松に住み始めたころのこと。
画家の男と手を組み、その画家の父親の絵をリヤカーに積み、住宅街を売って回ったこと
もある。

 そういう(たくましさ)を、今の若い人は失ってしまった。
失ったというより、知らない。
また皮肉なことに、そういう(たくましさ)のある大学生ほど、就職内定率50%といい
ながら、就職できる。

●日本人の集団性

 日本人の集団性は、外国へ出てみると、よくわかる。
集団の中の一員としては、行動できる。
1人になると、何もできない。
……というのは、言い過ぎかもしれない。
中には、1人で、がんばっている人もいる。
しかし全体としてみると、きわめて少ない。

 一方、オーストラリア人などは、独立心が旺盛で、かえってそれが弊害となって現れて
いる。
オーストラリアの友人はこう言った。
「オーストラリアでは、大企業が育たない」と。
彼らは、高校や大学を卒業すると、車1台と電話1本で、開業する。
集団性がない分だけ、組織が育たない。
大企業が育たない。
あるといっても、鉱山会社のような大企業だけ。
友人は、それを言った。

 で、ここでふと考えてみる。
「どうして日本人は、こうまで就職を深刻に考えるのか」と。
言い換えると、どこかの組織に属していると、本人も安心する。
まわりの人たちも、安心する。
そうでないとそうでない。
銀行ですら、相手にしてくれない。

 江戸時代の昔から、(組織)あっての(個人)。
組織から離れて生きることさえ、難しかった。
実際には、「無頼(ぶらい)」とか、「無宿者」とか呼ばれて、見つかればそのまま佐渡の金
山などへ送られた。

 あの武士道にしても、徹底した主従関係で成り立っている。
保護と依存、命令と服従の関係。
「主君に仕える」が、のちの「会社一社懸命」(友人のM君)という、あの精神につながっ
た。
で、この精神は明治政府へとそのまま引き継がれ、一般民衆は、「もの言わぬ従順な民」へ
と育てられていった。
そういう民衆を作りあげたのは、言うまでもなく、(教育)である。
学校神話や学歴信仰、さらには「まともな仕事論」などは、そうした(流れ)の中ででき
た、副産物ということになる。

●まともな仕事論

 この世界に入ってから、「まともな仕事論」というので、私はどれほど痛めつけられたか
わからない。
私の母ですら、M物産という商社をやめて、幼稚園の講師になったときのこと。
「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と、電話口の向こうで泣き崩れてしまった。
あるいは私に面と向かって、こう言った男(当時、50歳くらい)がいた。

 「お前は学生運動か何かをしていて、ロクな就職ができなかったのだろう」と。

 こうした常識というか、偏見は、かなり若い時期にできるものらしい。
アインシュタインは、「18歳前後」にそれができるというようなことを書き残している。
が、日本人のばあい、江戸時代の昔から骨のズイまで、そうした偏見が叩き込まれている。
身分意識という偏見である。
その常識を打ち破るのは、簡単なことではない。
またその常識と闘いながら生きるのは、簡単なことではない。

 ある新聞社で記者をしていた人が、ある日、私にこう言った。

「林さん(=私)、あなたのような生き方をしている人が、成功すると、私たちは困るので
す。
あなたのような人が成功すると、では私たちのようなサラリーマンが、いったい何なのか
ということになってしまいますから」と。

 が、実際には、20代のころ、私と同じような立場にいた人は、まわりに10人ほどい
た。
しかしうち生き残ったのは、私1人だけ。
どこかへ消えてしまった人もいるが、大半は、再びサラリーマンの世界へと戻っていった。

●少年よ……

 あのクラーク博士は、札幌の農学校去るとき、『少年よ、大志を抱け!』と言ったとか。
しかしこれはおかしい。
「Boys, be ambitious」と言ったのを、当時の貧弱な英語力で翻訳したから、そういう訳が
生まれた。
クラーク博士は、「あのなあ、お前たち、チマチマした生き方をしないで、もっと野心的に
生きろ!」と言った。
そのことは、アメリカ人の視点に、当時の日本の大学生を置いてみればわかる。
最近の大学生でもよい。
私に言わせれば、「就職、就職って、バカみたい」(失礼!)ということになる。
繰り返すが、「仕事というのは、もらうもの」という発想が基本にあるから、「就職、就職」
と騒ぐ。

「少年よ、大志を抱け」については、以前、こんな原稿を書いたことがある。
日付は2003年になっている。
青年というよりは、私たち老人に向けて書いた原稿である。
 
+++++++++++++++++++

●Ambitious Japan

●『ただの人(Das Mann)』

+++++++++++++++++++++++++

「(ハイデッガーは)、自分の未来に不安をもたず、
自己を見失って、だらだらと生きる堕落人間を、
ひと(das Mann)と呼びました」(「哲学」宇都宮輝夫・
PHP)と。

+++++++++++++++++++++++++

●堕落人間

 堕落人間(ハイデッガー)は、いくらでもいる。
ここにも、そこにも、あそこにも……。
年齢が若いならともかくも、60歳代ともなると、言い訳は通用しない。
いまだに「老後は孫の世話と、庭いじり」と言っている人が多いのには、驚かされる。
「晴耕雨読」というのも、そうだ。
そういうバカげた老人像を、いつ、だれが作り上げた?

 私の知人に、公的機関の副長職を、満55歳で定年退職したあと、以後、30年近く、
庭いじりだけをして過ごしている人がいる。
30年だぞ!
年金だけで、毎月30数万円。
妻も公的な機関で働いていたから、2人の年金を合わせると、相当な額になる。

 ここで「庭いじりだけ」と書いたが、本当に庭いじりだけ。
子どもはいない。
孫もいない。
近所づきあいもしない。
まったく、しない。
もともと農家出身だったらしく、裏には、100坪前後の畑ももっている。
そのくせ周囲の家にはうるさく、隣の家にある木の葉が落ちてきただけで、樋(とい)が
つまると、その家に苦情の電話を入れたりする。

 最近、私はそういう老人がいるのを知ると、腹の底から怒りがこみあげてくるように
なった。
加齢とともに、その怒りは、ますます大きくなってきた。
ねたみとか、ひがみとか、そういう低次元な怒りではない。
人気として許せないというか、そういう次元の怒りである。
が、そういう私の気持ちを、あのハイデッガーは、みごとに一言で表現してくれた。
『ただの人(das Mann)』と。

●生きがい

 世の中には、恵まれない老人はいる。
が、その一方で、恵まれすぎている老人もいる。
その知人にしても、介護保険制度が始まって以来、週に2回、在宅介護を受けている。
……といっても、どこか具合が悪いということでもない。
ときどき見かけるが、夫婦で庭の中を、歩き回っている。
元役人ということで、そういう制度の使い方は、よく心得ているらしい。

 その知人をよく知る、同年齢のX氏は、こう皮肉る。
「あれじゃあ、まるで、毎月30数万円の税金を投入して、庭の管理をしてもらって
いるようなものですナ」と。

 が、うらやましがるのは、ちょっと待ってほしい。
いくら年金がそれだけあるといっても、また庭いじりができるといっても、私なら、
そんな生活など、数か月も耐えられないだろう。
何が「晴耕雨読」だ。
自分がその年齢になってみてはじめてわかったことがある。
それがこれ。
「老人をバカにするにも、ほどがある!」と。

 私たち老人が求めるものは、「生きがい」。
わかりやすく言えば、「自分を燃焼させることができる仕事」。
晴れの日に、畑を耕して、それがどうだというのか?
雨の日に、本を読んで、それがどうだというのか?
「だから、それがどうしたの?」という質問に、答のない生活など、いくらつづけても
意味はない。
ムダ。
そういう生活をさして、「自己を見失って、だらだらと生きる」という。

 私はその知人に、こう言いたい。
「お前らのような老人がいるから、ぼくたちは肩身の狭い思いをしているのだ」と。
若い人たちは、そういう老人を見て、老人像を作ってしまう。
誤解とまでは言えないが、しかし懸命に生きている老人まで、同じ目で見てしまう。
だから腹が立つ。

 いいか、老人たちよ、よく聞け。
あのクラーク博士はこう言った。
『少年よ、野心的であれ!』と。
本当は少しちがった意味で、「Boys, be ambitious」と言ったのだが、同じ言葉を、
私はそうした老人たちに言いたい。

『老人よ、野心的であれ!』と。
この意見は、少し過激すぎるだろうか?

(付記)

「少年よ、大志を抱け」で検索してみたら、6年前に書いた原稿が見つかった。
そのまま掲載する。

+++++++++++++++++++++

●納得道(なっとくどう)と地図

●納得道

 人生には、王道もなければ、正道もない。大切なのは、その人自身が、その人生に納得
しているかどうか、だ。あえて言うなら、納得道。納得道というのなら、ある。

 納得していれば、失敗も、また楽しい。それを乗り越えて、前に進むことができる。そ
うでなければ、そうでない。仮にうまく(?)いっているように見えても、悶々とした気
分の中で、「何かをし残した」と思いながら生きていくことぐらい、みじめなことはない。
だから、人は、いつも自分のしたいことをすればよい。ただし、それには条件がある。

 こんなテレビ番組があった。親の要請を受けて、息子や娘の説得にあたるという番組で
ある。もともと興味本位の番組だから、それほど期待していなかったが、それでも結構、
おもしろかった。私が見たのは、こんな内容だった(〇二年末)。

 一人の女性(二〇歳)が、アダルトビデオに出演したいというのだ。そこで母親が反対。
その番組に相談した。その女性の説得に当たったのは、俳優のT氏だった。

 「あなたが思っているような世界ではない」「体を売るということが、どういうことかわ
かっているの?」「ほかにしたいことがないの?」「そんなにセックスがしたいの?」と。

 結論は、結局は、説得に失敗。その女性は、こう言った。「私はアダルトビデオに出る。
失敗してもともと。出ないで、後悔するよりも、出てみて、失敗したほうがいい」と。

 この若い女性の理屈には、一理ある。しかし私は一人の視聴者として、その番組を見な
がら、「この女性は何と狭い世界に住んでいることよ」と驚いた。情報源も、情報も、す
べて、だれにでも手に入るような身のまわりにあるものに過ぎない。あえて言うなら、あ
まりにも通俗的。「したいことをしないで、あとで後悔したくない」というセリフにしても、
どこか受け売り的。そのとき私は、ふと、「この女性には、地図がない」と感じた。

 納得道を歩むには、地図が必要。地図がないと、かえって道に迷ってしまう。しなくて
もよいような経験をしながら、それが大切な経験だと、思いこんでしまう。私がここで「条
件がある」というには、それ。納得道を歩むなら歩むで、地図をもたなければならない。
これには若いも、老いもない。地図がないまま好き勝手なことをすれば、かえって泥沼に
落ちてしまう。

●地図 

 人生の地図は、三次元で、できている。(たて)は、その人の住んでいる世界の広さ。(横)
は、その人の人間的なハバ。(深さ)は、その人の考える力。この三つが、あいまって、人
生の地図ができる。

 (たて)、つまり住んでいる世界の広さは、視点の高さで決まる。自分の姿を、できるだ
け高い視点から見ればみるほど、まわりの世界がよく見えてくる。そしてそこには、知性
の世界もあれば、理性の世界もある。それをいかに広く見るかで、(たて)の長さが決まる。

(横)、つまり人間的なハバは、無数の経験と苦労で決まる。いろいろな経験をし、その中
で苦労をすればするほど、この人間的なハバは広くなる。そういう意味で、人間は、子ど
ものときから、もっと言えば、幼児のときから、いろいろな経験をしたほうがよい。

 が、だからといって、人生の地図ができるわけではない。三つ目に、(深さ)、つまりそ
の人の考える力が必要である。考える力が弱いと、ここにあげた女性のように、結局は、
低俗な情報に振りまわされるだけということになりかねない。

 で、もう一度、その女性について、考えてみる。「アダルトビデオに出演する」というこ
とがどういうことであるかは別にして、……というのも、それが悪いことだと決めてかか
ることもできない。あるいはあなたなら、「どうしてそれが悪いことなのか」と聞かれたら、
何と答えるだろうか。この問題は、また別のところで考えるとして、まず(たて)が、あ
まりにも狭い。おそらくその女性は、子どもときから低俗文化の世界しか知らなかったの
だろう。テレビを通してみる、あのバラエティ番組の世界だ。

 つぎのこの女性は、典型的なドラ娘。親の庇護(ひご)のもと、それこそ好き勝手なこ
とをしてきた。ここでいう(横の世界)を、ほとんど経験していない。そう決めてかかる
のは失礼なことかもしれないが、テレビに映し出された表情からは、そう見えた。ケバケ
バしい化粧に、ふてぶてしい態度。俳優のT氏が何を言っても、聞く耳すらもっていなか
った。

 三つ目に、(深さ)については、もう言うまでもない。その女性は、脳の表層部分に飛来
する情報を、そのまま口にしているといったふう。ペラペラとよくしゃべるが、何も考え
ていない? 考えるということがどういうことなのかさえ、わかっていないといった様子
だった。いっぱしのことは言うが、中身がない。

 これでは、その女性が、道に迷って、当たり前。その女性が言うところの「納得」とい
うのは、「狭い世界で、享楽的に、したいことだけをしているだけ」ということになる。

●苦労

 納得道を歩むのは、実のところ、たいへんな道でもある。決して楽な道ではない。楽し
いことよりも、苦労のほうが多い。いくら納得したからといって、また前に別の道が見え
てくると、そこで悩んだり、迷ったり、ときにはあと戻りすることもある。あえていうな
ら、この日本では、コースというものがあるから、そのコースに乗って、言われるまま、
おとなしくそのコースを進んだほうが得。楽。無難。安心。納得道を行くということは、
そのコースに背を向けるということにもなる。

 それに成功するか、失敗するかということになると、納得道を行く人のほうが、失敗す
る確率のほうが、はるかに高い。危険か危険でないかということになれば、納得道のほう
が、はるかに危険。だから私は、人には、納得道を勧めない。その人はその人の道を行け
ばよい。私のようなものが、あえて干渉すること自体、おかしい。

 が、若い人はどうなのか。私はこうした納得道を歩むというのは、若い人の特権だと思
う。健康だし、気力も勇気もある。それに自由だ。結婚には結婚のすばらしさがあるが、
しかし結婚には、大きな束縛と責任がともなう。結婚してから、納得道を歩むというのは、
実際問題として、無理。だから納得道を歩むのは、若いときしかない。その若いときに、
徹底して、人生の地図を広げ、自分の行きたい道を進む。昔、クラーク博士という人が、
北海道を去るとき、教え子たちに、『少年よ、野心的であれ(Boys, be ambitious!)』と言
ったというが、それはそういう意味である。

 私も若いときには、それなりに納得道を歩んだ。しかしそのあとの私は、まさにその燃
えカスをひとつずつ、拾い集めながら生きているようなもの。それを思うと、私はよけい
に、子どもたちにこう言いたくなる。「人生は、一度しかないのだよ。思う存分、羽をのば
して、この広い世界を、羽ばたいてみろ」と。つまるところ、結論は、いつもここにもど
る。

 この「納得道」という言い方は、私のオリジナルの考え方だが、もう少し別の機会に、
掘りさげて考えてみたい。今日は、ここまでしか頭が働かない。
(03ー1ー10)

+++++++++++++++++++

●氷河期とは言うが……

 今さら野心的に生きろと言っても、今の若い人たちには、無理。
社会制度そのものが、資格と法律で、がんじがらめになっている。
今では、地方の田舎町でガイドをすることにさえ、資格がいる。
野心的になりたくても、なりようがない。

 ……と言っても、若い人たちには、理解できないかもしれない。
が、現実に、私は、浜松へ来たころ、ワイフと2人で、電柱に張り紙をして歩いた。
「翻訳します」と。

 当時は資格など、必要なかった。
浜松市の商工会議所に、翻訳家として登録していたのは、私を含めて2人だけ。
仕事はいくらでもあった。
お金にもなった。

 仕事がなかったら、リヤカーを引けばよい。
電柱に張り紙をすればよい。
(そう言えば、今では電柱に張り紙をすることさえ禁止になっている。
リヤカーなど、どこにも売っていない。)

 ……という原点に、私たちは一度、戻ってみる必要がある。
つまりその(たくましさ)がないと、この先この日本は、このアジアの中でさえ、生きて
いくのさえ難しい。
理由は簡単。
中国人にせよ、インド人にせよ、かつての日本人のように、たくましい。
中国人やインド人を猛獣にたとえるなら、現在の日本人は、ニワトリのようなもの。
まともに戦ったら、勝ち目は、ない。
ぜったいに、ない。

●補記

 10年ほど前、「フリーター撲滅論」を展開した、どこかの高校の校長がいた。
「撲滅」というのは、「棒か何かで、叩きつぶす」という意味である。
ほかのだれかが言ったのなら、まだ許せる。
校長だから、許せない。
しかも自分は、権利の王国に住みながら、そういうことを言うから、許せない。
何が、撲滅だ!

 言い換えると、日本人が、こうまでキバを抜かれてしまったのは、現在の教育制度に問
題があるというよりは、教師自身の生き様に原因がある。
よほどのヘマをしないかぎり、クビになることはない。
生活に困ることもない。
そのため教師自身から(たくましさ)が消えた。
その結果として、子どもたちから、(たくましさ)が消えた。

 では、どうするか?

 ひとつには、この(完成されすぎた社会のしくみ)を、ゆるめる。
わかりやすく言えば、行過ぎた官僚制度を、一度、解体する。
「制度」というより、そうした制度の中で、がんじがらめになった「心」を解体する。
若い人たちは、「これが社会」と思っているかもしれないが、それこそ、世界の非常識。
がんじがらめにされていることにさえ、気がついていない。

 だからこそ、クラーク博士は、こう言ったのだ。
「Boys, be ambitious!」と。
「大志」ではないぞ。
どこか出世主義の臭いがする、「大志」という意味ではないぞ。
「野心的」だぞ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 boys be ambitious 野心的であれ 大志)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

☆●移りゆくネットの世界


++++++++++++++++++++


来年(2010年)早々、BIGLOBEの電子マガジンサービスが、
廃止されることになった。


理由は、「スパムメールと誤解され、また各プロバイダー(サーバー)の
ほうで、スパムメールとして処理されることが多くなったため」とか。


電子マガジンを利用して、スパムメールを流している人も多い。
勝手にアドレスを代理登録して、1日に、何十通も流すというやり方である。
そういうトラブルが跡を絶たない。


この世界は、変化がはげしい。
新しいサービスがつぎつぎと生まれ、古いサービスがつぎつぎと姿を消していく。
私のように(?)、まじめに電子マガジンサービスを利用している人も多いはず。
そういう人たちが、そうでない人たちの心ない利用の仕方によって、影響を受ける。
とても残念。


その代わり、今は、BLOGが全盛期。
BLOGだけでも、毎日、3000~4000件のアクセスがある。
ほんの一部だけを読んで、「バ~~イ」という人も含まれるので、3000~4000件、
イコール、読者数ということではない。
それはよくわかっている。


さらに今では、TWITTERや、FACEBOOKというサービスも生まれた。
急速に利用者がふえている。
また個人のHPよりは、ポータルサイトのほうが、勢力を伸ばしつつある。
どうであれ、この世界は、今、どんどんと変化しつつある。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●私は私

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Aさんは、Xさんを、「すばらしい人」と評価する。
しかし同じXさんを、Bさんは、「下衆(げす)」と評価する。
こうした場面には、よく出会う。

++++++++++++++++++++++++++++

●印象の種

 人の印象は、第一印象で、そのほとんどが決まる。
一度できた印象は、そのあと、よほどのことがないかぎり、変わらない。
で、最初の印象を「種」とするなら、人はその種を育てるようにして、その人の
人物像をつくりあげていく。
よい点だけを見て、ますますその人をよい人と思うようになる。

 が、最初の第一印象が悪かったら、どうなるか。
今度は逆の現象が起きる。
悪い点ばかりが気になり、ますますその人を悪い人と思うようになる。

●鬼みたいな人

 もう7、8年前になるが、近所の女性が亡くなった。
そのとき88歳くらいではなかったか。
穏やかでやさしい人だった。
いつも歩行器を押しながらやってきて、ちょうど私の家の前で反転し、
自分の家に戻っていった。

 で、亡くなってからしばらくしたときのこと。
その女性の隣に住む男性と、立ち話になった。
私が「あの方は、仏様のような方でしたね」と言ったら、その男性は、顔色を変えて
こう言った。
掃き捨てるような言い方だった。

「とんでもない! あの人は、若いころは、鬼みたいな人でした!」と。

私はその落差というか、印象のあまりのちがいに驚いた。

●長電話

 実は、昨夜、長電話の最長記録を作った。
ある従姉(いとこ)と、1時間55分も、話した。
従姉だから、伯父、伯母の話になった。
私には母方だけで、13人の伯父、伯母がいた。
そのうちの10人は亡くなったが、現在、3人の伯父、伯母がまだ生きている。
いとこにしても、母方だけで、正確に数えたことはないが、40人以上もいる。
父方も含めると、63、4人になる。
話の種は尽きない。

 長電話の中で、伯父や伯母、いとこたちに対する印象が、ときどき、まったく正反対
なのを知って驚いた。
その人がよい人と言うときも、そうでないと言うときも、電話の向こうの従姉は、そのつど理由を言った。
一方、私はいちこたちとの交際が希薄なこともあって、驚くばかり。
「浩司君(=私)、知らなかったの?」と言うから、そのつど「ヘエ~、知りませんでした」
と答えるだけ。

●決め手

 話の内容は、ここでは重要ではない。
またそんなことを書いても、意味はない。
私はいとこの話を聞きながら、同じ人なのに、どうしてたがいがもつ印象がこうまで
ちがうのか、それが不思議でならなかった。

 あえてその理由を並べてみる。

(1)金銭問題が、ひとつの決め手になる。
(2)たがいの連絡の親密度が、ひとつの決め手になる。
(3)が、何よりも重要なのは、第一印象、と。

 私も従姉も、金銭問題で悪い経験をもった人には、悪い印象をもった。
疎遠になればなるほど、よい印象でも悪い印象でも、熟成される。
よい印象をもった人は、さらにその人に対して、よい印象をもつようになる。
そうでなければ、そうでない。
そうした印象の基盤は、第一印象で決まる、と。

 が、その人の印象というのは、離れて住んでみないとわからない。
さらに(時の流れ)の中に置いてみないと、わからない。
その上で、「あの人は、すばらしい人」ということになる。
「あの人は、悪い人」ということになる。

●みなによい顔はできない

 私のばあい、いとこたちの間で、どう思われているか、知らない。
知りたくもない。
私は私だし、それがよいものであっても、悪いものであっても、私の知ったことではない。
見方によって、私は善人にもなるし、悪人にもなる。
相手の見方しだい。
それを知っているから、「どうでもいい」となる。

 同じように、私がだれか1人の人を、「いい人」と思ったところで、それは私だけの
印象。
その印象を、他人に植えつけようとは思わない。
反対にばあいも、そうだ。
私は私、人は人。

●決め手は親密度

 ……ということで、1時間55分になった。
で、その結論。

 誠実な人は、よい印象をもたれる。
不誠実な人は、悪い印象をもたれる。
長い時間をかけて、そうなる。

 ……とは言っても、他人の目など気にしてはいけない。
その必要もない。
どんなに誠実に生きても、みなによい顔はできない。
とくに親戚関係というのは、一方的な意見だけを聞いて、その人の人物像を作りあげる。
そういうことが多い。
その点、密度、つまり親密度がものを言う。
悪人どうしが近くでワーワーと騒げば、どんな誠実な人でも、悪人に仕立てられる。
(だからといって、親類に悪人がいるということではない。誤解のないように!)

 仮に悪く言われていても、遠くに住んでいると、反論することもできない。
だから「私は私、人は人」となる。

 1時間55分の長電話で、私は、それを学んだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec.09+++++++++はやし浩司

●山のあなた

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
ああ、われひとと尋めゆきて
涙さしぐみ、かへりきぬ
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。

あなた=かなた
尋(と)めゆきて=たずねて行って
涙さしぐみ=涙ぐんで

(カール・ブッセ)(上田敏訳)

+++++++++++++++

 小学5年生が使うワークブックに、カール・ブッセの詩が載っていた。
何度か読んでいるうちに、切なくなってきた。
意味はよくわからないが、切なくなってきた。
解釈の仕方はいろいろある。
読む人によって、思いもちがう。
ただ「幸せ」というのは、そういうものかもしれない。
ここでいう「幸せ」というのは、「亡くなった人」とも解釈できる。
「あなた」が、「遠くに」と、「あなた」の掛詞(かけことば)になっているようにも
思う。
愛する人が亡くなった。
そのさみしさに耐えかね、幸せを求め、遠くまでやってきた。
しかし幸せは、さらに遠くにあって、手が届かなかった。
私には、そんな情景が浮かんでくる。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●正常と異常

++++++++++++++++

何をもって「正常」といい、何をもって
「異常」というか?
実のところ、正常には基準はない。
異常にも、基準はない。
たとえば精神医学の世界では、「正常」という
概念はない。
わかりやすく言えば、この世界には、
「正常な人」というのは、いない。

また「異常気象」とはいうが、気象学の
世界では、「異常」という概念はない。
その定義すら、ない。

その気象。
09年を振り返ってみて、特異だったのは、
長梅雨。
そのため日本各地で、記録的な日照不足が
起きた。
正確には、「観測史上初の短さ」ということに
なる。
が、だからといって、「異常」とは言わない。

+++++++++++++++++

●異常気象

 いくら「おかしい」と思っても、そこには原因がある。
原因がある以上、いきなり「異常」という言葉で片づけることはできない。

たとえば09年の日照不足にしても、その原因は、長梅雨。
さらに長梅雨の原因はといえば、「エルニーニョ現象」。
太平洋東部(南米沖)の海水温があがると、相対的に、日本の南の海水温がさがる。
簡単に言えば、太平洋という海をはさんで、東部と西部が、シーソーをしているようなも
の。
太平洋東部の海水温があがれば、「エルニーニョ現象」。
太平洋西部(日本の南部)の海水温があがれば、「ラニャーナ現象」。
09年は、エルニーニョ現象のため、相対的に、西部の海水温がさがった。
そのため日本に張り出す太平洋高気圧が弱くなり、夏らしい夏がこなかった。
そのため長梅雨になり、日照不足が各地で観測された。

 こうした現象を、「異常」とは言わない。
しかし「異常気象」という言葉だけが、今、ひとり歩きしている。
言うなれば、「異常」という言葉を使うことによって、思考することをやめてしまっている。

●子どもの世界

 子どもの世界でも、(もちろん)、「正常」「異常」という言葉は、存在しない。
その概念もなければ、定義もない。
あるはずもないし、またあってはならない。

 「問題のある子ども」というのはいるが、しかし仮にそうであるとしても、そこには原
因がある。
理由もある。
ほとんどは子ども自身の問題というよりは、子ども自身には責任のない問題である。
また「問題」といっても、それは固定された視点から見て、「そうだ」と言うにすぎない。
別の視点から見れば、問題が問題でなくなってしまう。
言い換えると、「問題」というのは、その子どもを見る「視点の問題」ということになる。
さらに言えば、「問題のある子ども」というのは、存在しない。

 たとえば不登校にせよ、学習障害児にせよ、AD・HD児にせよ、「学校教育」という枠
(わく)の中で、「問題のある子ども」と言うにすぎない。
学校教育という枠をはずれれば、何でもない。
むしろ別のすばらしい才能を発揮することもある。

 言い換えると、「正常」「異常」、さらには、「問題」にせよ、これらはすべて人間が勝手
に作りだした言葉にすぎないということ。

●まず、認める

 そこで重要なことは、たとえば現在の気象状態を見ながら、「異常」「異常」と騒ぐこと
ではなく、冷静に原因と理由を見つめていくということ。
この世界では、思考力のない人ほど、「異常」「異常」と騒ぎやすい。
またそういう言葉を使うことによって、自らの思考力を停止してしまう。

 子どもの世界も、またしかり。
そこにそういう子どもがいるなら、そういう子どもと認めた上で、その子どもに合った指
導をする。
すべてはそこから始まり、そこで終わる。
とくに教育者は、ドクターとは立場が異なる。
診断名をつけて、治療するなどということは、ドクターに任せておけばよい。
もちろんその知識をもつことは重要なことだが、だからといって、私たちには、どうする
こともできない。
その子どもを、そこを原点として、前向きに伸ばしていく。

 実際、私の経験からしても、問題のない子どもはいない。
どんな子どもにも、それぞれ何かの問題がある。
だから「問題がある」という前提で子どもを見るのではなく、「その子はそういう子どもで
ある」と認める。
へたに「なおしてやろう」と考えると、教えるのもたいへんだが、子どもも疲れる。
指導法をまちがえると、子どもをかえって悪い方向に、追いやってしまう。
だから、「あるがまま」。

●一言

 これは、私たち自身の問題と直結している。
つまり私たちは、常に自分に問いかける。
「私は正常」と思い込んでいる人ほど、あぶない。
「私はだいじょうぶ」と思い込んでいる人も、あぶない。
たいへん興味深いことは、認知症の初期段階では、「自分はおかしい?」と思うこともある
らしいが、さらに進んでくると、それもわからなくなるらしい。
(認知症の種類にもよるが……。)

 私もこんな経験をしたことがある。
どこか認知症ぽい女性(当時、63歳くらい)に、こう言ったときのこと。
その女性のまわりくどい言い方に閉口していた。
「私は、そんなバカではないと思いますが……」と。

 するとその女性は、何をどう誤解したのかはわからないが、「私だって、そんなバカでは
ない!」と言って、叫んだ。
私はそのとき、「この女性は、本物のバカだ」(失礼!)と思った。……思ってしまった。

 「私」を知るためには、常に私を疑う。
こと「私」について言えば、「私はおかしい」という前提で考えるのがよい。
「私はまちがっている」でもよい。
ばあいによっては、「私は異常かもしれない」でもよい。
つまりそうした謙虚な姿勢が、「私」の発見につながっていく。

 「正常」「異常」という言葉が、あまりにも安易に使われているような気がしたので、(私
自身も、使っているが……)、ここでそれについて考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 正常 異常 正常論 異常論 異常気象論 異常気象)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●i7、64ビット・パソコン

++++++++++++++++++

昨日、待望の(i7、64ビット)パソコンが
届いた。
注文してから、2週間も待たされた。
もちろんOSは、WINDOW7・プロフェッショナル。

すごい!
パフォーマンス評価をしてみたら、ハードディスクの
転送速度以外は、何とスコアは、7・5~7・7!
(7・9が満点とか。)
今までのビスタパソコンは、5・5~5・9だった。
ワクワク、ドキドキ・・・。
そんなわけで、今朝は午前5時に起き。
6時間かけて、設定をすませた。
6時間だぞ!

「プロフェッショナル」にしたのには、理由がある。

WINDOW7・プロフェッショナルでは、
仮想(バーチャル)XPというのが使える。
それを使えば、ビスタで使えなくなったソフトを、
再び生き返らせることができる。
今までビスタ上で、だましだまし使っていたソフトを、
WINDOW7上で、堂々と使える。

が、ひとつ大きな問題が発生した。
Adobe(アドビ)が、64ビットパソコンに
対応していない。
そのため、YOUTUBEなどの動画が、見られない。
FLASH画像も(×)が出て、表示されない。
そこでAdobeベータ版(試作版)をダウンロード。
が、それでも動画を見ることができない。

?????の連続。

あれこれ原因をさぐったり、いじったり……。
削除したり、再インストールしたり……。
1時間ほど、回り道をした。
それが楽しかった。

【解決法:表示されない画面の状態で、
(スタート)→(すべてのプログラム)→
(Internet Explorerを右クリック)→
(管理者として実行)を順にクリック。】

終わったときには、むずかしい数学の問題を解いたような
満足感を覚えた。
ほっとした。
気持ちよかった。
そのあと少し横になったが、頭が冴えて、眠れなかった。

あとは時間をみて、ファイルを、古いパソコンから
新しいパソコンへ、ゆっくりと移すだけ。

(実際には、Dディスクにコピーして、ディスクごと、
新しいパソコンに移動する。
作業は、簡単。
それはこの正月の楽しみ。)

この原稿は、そのパソコンを使って書いた、はじめての原稿。
記念すべき原稿。

時は2009年12月23日。

晃子へ、

こんな道楽を、好き勝手にやらせてくれて、ありがとう!
プラス、パソコンの世界は、それを専門にしている人は
別として、私たちには、少し荷が重すぎる。
どんどん進歩していく。
変化していく。
ついていくだけで、たいへん。

++++++++++++++++++++

●うれしいメール

 幼児クラスで教えたことのある、Dさん(小3・女児)が、数か月前、私の教室に戻っ
てきた。
お母さんの話では、いろいろあった。
それについてはここに書けないが、ともかくも、いろいろあって、Dさんは、元気をなく
してしまった。
そこで私のところに相談があった。
お母さんが、「娘が、BWのHPを、なつかしそうに見ていました」「それで、BWへもう
一度、通ってみる?、と声をかけたら、そのとき、はじめてニコリと笑いました」と。
BWというのは、私の教室をいう。

 私はDさんを迎えるため、1か月かけて準備をした。
とくに心の暖かい子どもだけを3~4人集め、お母さんの仕事時間に合わせて、新しいク
ラスを作った。
『子どもの先生は、子ども』。
子どもは子どもの影響を受けて、変わる。
それに、私の教室で幼児期を過ごした子どもは、(心の基礎)が、しっかりとできている。
ちょっとやそっとでは、崩れない。
私はそれを信じている。

 で、Dさんは、やってきた。
ほかの生徒たちには、それとなくDさんのことを話しておいた。
みな、快く協力を申し出てくれた。
「私が抱っこして教えてあげる」と言ってくれた中学生もいた。

 ……それからちょうど3か月。
Dさんのお母さんからメールが届いた。
それを読んで、思わず涙が出た。
うれしかった。
そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

>『はやし先生へ
>
> こんばんは。いつもDがお世話になっております。
>
> 林先生に再びお世話になるようになってから、Dの様子が変わって来ました。
>
> あれだけ無表情でやる気の無かったDが、このところテストで90点や100点を取っ
て来るようになり、話しかけても返事もしなかったのに、この頃は呼ぶと「ハイ!!」と
大きな声で返事をし、にこにこと元気があふれる表情に変って来ました。
>
> しかも、ビックリしたのが、「負けるのが嫌だからスポーツはやらない。」と言っていた
のに、自分から「バスケットボールやりたい。」と言い出し、半信半疑で体験させたところ、
「楽しい!頑張る!」と言い、練習日には自分で仕度をして元気に出かけて行きます。
>
> 今日、持久走大会があり、48人中17位になったと嬉しそうに報告してくれました。
>
>
> 以前のDに戻ってくれたと、私は感激で胸がいっぱいになりました。
>
> やっぱり、はやし先生にお願いして良かったと心から感謝しています。あまりの変わり
ように、魔法にかかったような信じられない気持です。
>
> どうしても、先生にお礼と報告がしたくて、メールさせていただきました。
> ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
>
> 急に寒くなりました。お体に気をつけてください。
>
> (Dの母より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 どうかBW教室の宣伝と、とらえないでほしい。
私には、もうそういう気持ちはない。
ただ、うれしかった。
それだけ。

 そうそう、昨日、先日講演をした、秋田県の横田市のみなさんから、講演の感想が届い
ていた。
みなさん、ほんとうに暖かく、迎えてくれた。
それが私は、うれしかった。
片道7時間前後の長旅だったが、疲れはまったく感じなかった。
その感想の一部を、ここに抜きださせてもらう。
(原稿は、EXCEL版なので、そのまま転載できないので……。)

SKさん、ありがとうございました!!!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●とてもすばらしいお話でした。自分自身を見つめ直す機会にもなりました。ありがとう
ございました。

●非常に良い講演でした。今日は、参加できなかった妻にも聞かせたかった。

●分かりやすく明快な講演でした。来年も是非企画してください。

●友達に誘われてきましたが、来て良かったと思います。子育てに対する情熱を感じまし
た。また子育てという視点だけでなく、自分自身を見つめる機会になりました。一番最後
の「私の○○、私の××、というものがあるから死に対して臆病になる。だったらそれを
捨てればいい」という部分が印象的でした。なかなか自分のしがらみというか、防御する
心は捨てられないし、舞い戻ってしまうけれど、「やっていこう!」と行動をおこすことが大切だと思いました。HPを見てみたいと思います。

●とてもいい講演でした。手帳にたくさんメモしました。最後のお子さんの話には、とて
も感動しました。いつか将来私の心にも子育てをやりとげたとおいう風が吹く日が来たら
幸せだろうなあと思いました。

●普段の自分の子どもへの接し方を改めて考えさせられました。親も余裕をもって接した
いなあと思いました。ありがとうございました。

●色々な深い話を聞けて大変参考になりました。遠くからどうもありがとうございました。

●とても心にしみるお話でした。子育てはもちろん、いろいろ考えさせられ、とてもよい
お話でした。ぜひHPも見たいと思います。

●とてもいいお話を聞きました。HP絶対見ます。ありがとうございました。働いている
と情報が遠いような気がします。こういった会の開催など、簡単に確実に情報を得たい。

●とても充実した時間を過ごすことができました。

●お話がおもしろくて楽しかった。子育てにはユーモアが大切なのだな~と実感しました。
あ~でも私は、子供をあたたかく見守ることができるのかな~なんて思ってしまいました。

●大変すばらしい講演会でした。ありがとうございます。

●参加して大変よかったです。先生の体験談、特に息子さんのお話に深く感銘し感動しま
した。悩みながらの子育て中ですが、参加したことが、私にとって大きな改心の第一歩に
なると思います。素晴らしいお話をありがとうございました。

●今日のお話の中にあった「東洋医学的な抵抗力を育てる」ことが、実は秋田県や横手市
の子育て支援にも大切なことだと思った。子育て中のお母さんたちを本当の意味で支援す
ること、お母さんたちの自立を促すような内容をみんなで考えていけたらいいですね。講
師の先生、すばらしかったです。実行委員の皆様お疲れ様でした。

●HPも見ておりましたが、実際に聞いて、とても感動しました。これからの子育て孫育
てに役立てたいと思います。

●自分は64歳ですが、先生のお話に大いに共感いたしました。ありがとうございました。

○チラシをコンビニなど手に取りやすい所に置いてほしい。
○資料の隅でもいいので、メモが少しあったら嬉しかったです。
○講演の内容はすばらしく、聞きやすかったです。
○講演内容からすれば、より来場者があってもいいはずで、PRの方法を、様々な団体検証した方がいいと思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【横手市のみなさんへ】

 またいつか、おうかがいしますよ!
ワイフも、たいへん喜んでいました。
SKさんにいただいた、ぜんまい、たいへん、おいしかったです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

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