2010年1月25日月曜日

*Jan 25th 2009 E-Magazine

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 25日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●クリスマス+正月

 最近、いろいろな従兄弟(いとこ)たちと、電話でよく話す。
「いろいろ」というのは、私には、60数人もの従兄弟がいる。
みんな、それぞれに年を取った。
話しながら、しみじみとそれを感ずる。
みんあ、がんばっているなあ、と。

 そういう従兄弟たちを思いやりながら、また1歳、年を取るのかと、ため息をつく。
新しい年を迎えるたびに、「1年、無事に生きられてよかった」という思い。
「また、1年、過ぎてしまった」という思い。
新年を迎えるたびに、いつもこの2つが、複雑に心の中で交錯する。
私としては、「今年は、さらに充実した年にしたい」と思いたいが、自信が半分。
不安が半分。

 で、今日は12月24日。
クリスマス・イブ。
ワイフはケーキを作るとはりきっている。
私は朝から、新パソコンの設定にかかりっきり。
のどかな朝。
庭では、スズメたちが餌をついばんでいる。

 ワイフへのプレゼントは何にしよう……?
まだ考えてなかった。

 ……私もがんばろう。
どこまでできるか、わからないが、やるしかない。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●頭のキレる子ども(Smart Kids)

+++++++++++++++++++++++

頭のキレる子どもと、そうでない子どもがいる。
どこがどうちがうか。
ひとつには、頭のキレる子どもは、スパスパと、
まるでかみそりで、ものを切るかのように、
ものを考える。
考えるというよりは、何かテーマを与えると、それに
食いついてくる。
切り込んでくる。

反応も早いが、反応の仕方も、的確。
無駄がない。

一方、そうでない子どもは、反応が鈍い。
頭の中で、思考が回り道をしているような感じになる。
モタモタしている。
テーマを与えても、「どうでもいい」といったふうに、
逃げてしまう。
先天的なちがい、つまり遺伝子のちがいによる部分もないとは
言わない。
それはある。
しかし結果としてみると、頭のキレる子どもは、
良循環の中で、ますます頭がキレるようになる。
そうでない子どもは、悪循環の中で、ますますそうでなくなる。

+++++++++++++++++++++++

●特徴

 頭のキレる子どもの特徴を並べてみる。
たまたま私の目の前に、何人かの恵まれた子どもたち(小学生)がいる。
今日は、ワークブックの日。
月に1回は、ワークブックの日と定めて、学校の教科書に沿った勉強をしている。
しかしどの子どもも、1~2年分、飛び級をして、勉強している。

 まず気がつくことは、(1)目つきが鋭いということ。
眼球は、その子どもの脳の中をのぞく、窓と考えてよい。
眼球の中をのぞけば、その子どもが頭のキレる子どもかどうかが、わかる。
動きに無駄がない。
時折、視線がキラッキラッと動くことがあるが、そのつどちゃんとした目的がある。

 一方、そうでない子どもは、目つきそのものが、どんよりとした感じになる。
無目的に視線を動かす。
フワフワしている。

 つぎに気がつくことは、(2)的確性。
頭のキレる子どもは、目的に向かって、まっすぐと切り込んでくる。
言い換えると、「集中力」ということになる。
その集中力がある。
同じ(10)の力をもっていても、(10)の力すべてを、一点に集中させる。
そうでない子どもは、力を拡散させてしまう。
つまり頭がキレるかどうかは、集中力で決まる。
さらに鋭い子どもになると、スキがない。
ツンとした緊張感に包まれる。

 が、何よりも重要なのは、(3)切り込みということになる。
だから「キレる」という言葉を使うようになったのかどうかは知らないが、あたまのよい
子どもは、どんどんと切り込んでくる。
「AだからB……BだからC……CだからD……」と。
ちょうどドミノ倒しのドミノのように、ちょっとしたきっかけを与えるだけで、「ハイハイ、
わかりました!」と言って、自分で理解してしまう。

 たとえばたまたま今、目の前の子ども(小3)が、こんな問題を解いている。

「体□、□草の□に入る漢字を書け」(小5国語ワークブック)と。

 答は、「質」。
だから「体(質)、(質)草」。

 しかし小学生が、「質草」という言葉を知っているわけがない。
で、私が「質だよ」と教えると、「質草って何?」と聞き返してくる。
そこで「お金を借りるとき、時計とかカメラを相手に渡すときがある。
それを質草というんだよ」と教えると、すかさず、「お金が返せなかったら、
取られてしまうの?」と。 

私「お金が返せなかったら、時計とかカメラは、取られてしまうよ」
子「だったら、損だ。だれかにカメラを売ったほうがいい」
私「でも、お金を返せば、カメラは戻ってくる」
子「古いカメラでもいいの?」
私「もちろん価値のあるカメラでないといけないよ。
相手の人は、お金を返してもらえないときは、そのカメラをだれかに売って、お金を取り
戻すよ」
子「高く売れたら、残りは、返してもらえるの?」
私「それはない」
子「だったら、やっぱり、損だ」と。

 こういう会話が、ポンポンとつづく。

●習慣の問題

 先にも書いたように、(遺伝子のちがい)は、否定できない。
「頭のよい親の子どもは、頭がよい」。
しかしそれとて、こうも考えられなくもない。
つまり子どもは、日常的に頭のよい親に接している。
親の影響を受ける。
そのため思考するという習慣を、自然と身につける。

 たとえばこんなことがある。

 私は小学生の高学年になると、中学生のクラスなどにその子どもを置いて指導する。
上級生の(勉強ぐせ)を、もらうためである。
この方法は、きわめて効果的である。
イギリスでも、カレッジ制度の中で、それが応用されている。
……というより、イギリスのカレッジ制度を、私は、まねさせてもらっている。

 とくに頭のキレる中学生の間に置いたりすると、効果的である。
半年もすると、その上級生の勉強ぐせのみならず、思考力というか、思考回路そのものを
身につけてしまう。
つまり頭がキレるようになる。

 このばあい、脳の神経細胞(シナプス)が発達したというよりは、頭の中に新しい回路
(ニューロン)ができたと考えるほうが、自然である。
つまり神経細胞は、生まれながらにして数が決まっているが、回路(ニューロン)は、環
境によって、できる。
環境の中で、子どもは自ら、それを脳の中に作っていく。

 私の書きたいことが、もうわかってもらえたと思う。
頭のよい子どもは、環境の中で、そうなっていく。
それが(考えるという習慣)につながり、さらにそれが良循環となって、頭のキレる子ど
もになっていく。

 たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、親がボケーッとした生活を、日常的にし
ていて、どうして子どもが頭のキレる子どもになるというのか。
子どもは日ごろの、何でもないような会話を通してでも、自らの思考回路を作っていく。
その逆の、極端な例が、野生児ということになる。
オオカミに育てられれば、オオカミ程度の思考力しかない子どもになる。
(野生児については、何度も書いてきたので、ここでは省略する。)

 簡単に言えば、子どもは、頭のキレる人に接すれば、頭のキレる子どもになる。
そうでなければ、そうでない。
その責任の第一は、親ということになる。
が、親だけではない。
もちろん教師も、その中に含まれる。
頭のキレる教師に接すれば、子どもは、頭のキレる子どもになる。
そうでなければ、そうでない。
(教師だからといって、みながみな、頭のキレる人ばかりではないぞ!)

 そういう意味では、「教育」というのは、ものを教えるだけが教育ではないということ。
むしろ(教えずして教える部分)のほうが、重要。
またそれから受ける影響力のほうが、子どもにとっては、大きい。
アインシュタインもこう書いている。

 『教育とは、学校で習ったことをすべて忘れてしまったあとに、残っているもの』と。

 ……ということで、頭のキレる子どもについて、書いてみた。
が、誤解しないでほしい。
教える立場のものが、いつも教えるのではない。
その点、年齢は、あまり関係ない。
私のばあい、頭のキレる子どもに接すると、反対に、私のほうが大きな刺激を受けること
がある。
相手は子どもだから、知識や経験こそ少ないが、こと頭のキレについては、上下はない。
実のところ、私自身は、頭のキレる子どもと接しているのが、楽しい。
教えていても、おもしろい。
ときに教える立場であることを忘れて、子どもとのやりとりに夢中になることがある。

 ついでに……。
だからといって、私がどうと言うのではない。
しかしこういうことも言える。
「頭のキレる人には、頭のキレる人がわかる。
しかしそうでない人には、そうでない」と。
もっとわかりやすく言えば、「頭のよい人には、頭のよい人がわかる。
しかしそうでない人には、それがわからない」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 頭のよい子ども 頭のよい子供 頭のキレる子供 
鋭い子供 子供の集中力)

【補記】

『バカな人には、利口な人がわからない。利口な人からは、バカな人がよくわかる』
『愚かな人には、賢い人がわからない。賢い人からは、愚かな人がよくわかる』
さらに、
『自分がより利口になってはじめて、それまでの自分がバカだったことを知る』
『自分がより賢くなってはじめて、それまでの自分が愚かだったことを知る』
また、逆にこうも言える。
『バカな人は、自分がバカということがわからない。利口な人は、自分がバカということ
がわかる』
『愚かな人は、自分が愚かということがわからない。賢い人は、自分が愚かということが
わかる』

 こうして考えていくと、いかに自分のことを知るのがむずかしいかがわかる。
私はこのことを、どこか認知症ぽい女性(60歳くらい)と話していて気がついた。
バカでもわかるようなくだらない話を(失礼!)、その女性は、私にくどくどと説明した。
そこで私が、「私は、そんなバカではないと思いますが……」と言うと、突然、大声で私に
こう言った。
「私だって、バカじゃ、ありません!」と。

 私は、「あなたが思っているようなバカではない」と言ったつもりだった。
またその女性を、バカと言ったわけではない。
が、その女性は「バカ」という言葉に、過剰に反応した。
自分がバカと言われたと、勘違いした。

 私も、母を見舞うついでに、老人ホームにいる老人たちを観察させてもらったことがあ
る。
そのとき気がついたが、ああいった施設にいる老人で、自分をバカと思っている老人はい
ないということ。
一日中、「飯はまだかア!」と、叫んでいる女性(90歳くらい)もいた。
食事がすんだ直後でも、そう言って叫んでいた。

 そういう女性を、バカというのも、失礼なこと。
それは、よくわかっている。
しかしその女性は、私自身の近未来像。
私もやがて、その女性と同じようなバカになる。
まちがいなく、そうなる。

だから最後に、こうも言える。

『自分がバカになりつつあるときは、だれもそれに気がつかない』
『自分が愚かになりつつあるときは、だれもそれに気がつかない』と。

老後の恐ろしさは、まさに、ここにある。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●12月16日(水曜日)

今朝は、ふとんに入りこむ冷気で目が覚めた。
あわててワイフにしがみつく。
が、時計を見ると、6時。
自分に号令をかけて、ふとんから出る。

トイレから出ると、すぐウォーキング・マシーンに。
10分も歩くと、体がポカポカしてきた。
そのまま服に着替えて、書斎へ。

あとはいつものルーティーン。
自分で書いた『老後論』(12月16日マガジン)を
読んで、「そうだ」「そうだ」と、何度も納得する。
当然のことながら、自分で書いた原稿を読むのは
気持ちがよい。
スーッと頭の中に、思想がしみ込んでいく。
(当然のことだが……。)
さあ、今日も始まった。

●暖気

あまり寒いのもよくないが、暖かいのもよくない。
ものを書くには、ある程度の(きびしさ)が必要。
その(きびしさ)がないと、脳みそそのものが、眠ってしまう。
だらけた体では、仕事はできない。
同じように、なまけた頭では、文章は書けない。

が、今朝の寒さは、格別。
足の先、手の先が、ツンと冷える。

ところでおとといの夜、映画『パブリック・エネミー』という映画を観てきた。
あんな凶悪犯人でも、仕立て方によって、ヒーローになってしまう。
昔観た、『ゴッド・ファーザー』もそうだった。
よくできた映画だった。
星は4つの、★★★★。
少し採点が甘いかな?

ガタガタ……。
先ほどワイフが、朝のお茶を届けてくれた。
「ヒーターをつけたら?」と言ってくれた。
しかしヒーターをつけたとたん、眠くなってしまう。
「あとで居間へ行くよ」と言った。

それにしても今朝は、寒い。
今、動画のアプロードをしている。
それがすんだら、居間へ行くつもり。
おなかもすいた。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●内面対話法(内的対話法)(自分を知るために)


++++++++++++++++++++


自分を知る……つまり「私」の中の深層部(=深層心理)を
知るためのひとつの方法として、「内面対話法」というのがある。
(この名称と方法は、私が考えた。)


簡単に言えば、頭の中に、別のだれか(=自分)を思い浮かべ、
その人と対話をすることによって、自分の心の
奥深くに潜む「私」を知るという方法である。


++++++++++++++++++++


【方法】


 静かな場所を選ぶ。
周囲は、暗いか、薄暗いところがよい。
目は閉じる。


 閉じると、あたりはぼんやりとした暗闇に包まれる。
その闇の向こうに、問いかける相手を想像する。
ぼんやりとした輪郭(りんかく)程度でよい。
その相手というのは、あなた自身でもよいし、別のだれかでもよい。
その相手に向かって、いろいろ、問いかけてみる。
問いかけながら、その答の中から、自分で気がつかなかったものを見つけていく。


●対話


 問いかける内容は、何でもよい。
何か、あなたが今、悩んだり、苦しんだりしていることがあれば、それについて問いかけ
るのがよい。


問:あなたはだれか?
問:あなたは何をしているか?
問:あなたは何をしたいか?
問:あなたの心をふさいでいるものは、何か?
問:どうして悩んでいるか?
問:どうすればよいと思っているか?
問:何かよい方法を、あなたは知っているか?
問:あなたはどこに原因があると思うか?


 頭の中で、その相手がどう答えるかについては、何も考えてはいけない。
相手がだまっていたら、そのままにしておく。


 こうして自分に問いかけながら、その中から自分を発見していく。


●私のばあい


 いきなりやっても、ザワザワとした感じになってしまう。
就寝前、あるいは寝起き後がよい。
で、私は、この方法を、いろいろな場所で試している。
「私の中の私」に、いろいろ質問している。
いつの間にか、そういう習慣が、身についてしまった。


「そこにいる君は、だれか?」……(ぼんやりとした黒い影、無言)
「君は、なぜ、そこにいるのか?」……(無言)
「気分は、どうだ?」(何度も問う)……「ぼくは何ともない。お前はどうだ?」
「君は、暗いな」……「見た感じで、決めつけるな」
「何か、しゃべれ」……(無言)
「会話は嫌いか?」……「わずらわしい」と。


●本当の私


 子どものころから、私は快活な子ということになっていた。
しかし本当の私は、混雑した場所が嫌い。
集団の中に入ると、すぐ神経疲れを起こす。
旅行でも、集団で行くよりは、少人数、
あるいはひとり旅のほうを、好む。


 そういう(私)が、こうした内面対話法の中でも、顔を出す。
私は、自分では騒々しい人間だと思うが、しかし騒々しいところが嫌い。
とくにあの女性たちがする、おしゃべりが、苦手。
これには私の母や姉が、たいへんなおしゃべりで、口うるさかったことが関係している。


●自己暗示


 内面対話法は、自己暗示法としても、応用できる。
暗闇の中の自分に語りかけることによって、深い、無意識の世界にいる自分を、作り変え
ることもできる(?)。
そういう論文は見たことはないが、理論的には、可能なはず。


「お前なア、取り越し苦労ばかりしているが、もう少し、他人を信用しろ」……(無言)
「このところ運動量が減っている。もっと運動しろ」……「そうだな」
「どういう運動が必要と考えているんだ?」……「上半身の運動かな」
「グチを言うなよ。見苦しいぞ」……「うん」
「何でも、先手、先手で、やるんだ」……(無言)
「Aさんには、親切にしてやれ。さみしがっているぞ」……(わかった)と。


 応用の仕方は、いろいろある。


 ほかにいくつか気がついた点をメモしておく。


●もう1人の私


意識している私を、「私A」とする。
内面対話法による私を、「私B」とする。
この私Aと、私Bは、明らかに価値観がちがう。
性質も性格も、ちがう。


 私Aは、ひょうきんで、冗談が好き。
おしゃべりで、社交的。
正義感が強く、議論好き。


一方、私Bは、あまり冗談を言わない。
カタブツで、まじめ。
冷静で、それでいて、面倒くさがり屋。


 恐らく人によって、私Aと私Bは、ちがう。
で、これはあくまでも私のばあいだが、私は基本的には、私Bのほうが、本当の私ではな
いかと思う。
しかし長い人生の間に、生きる技術として、私Aを身につけてきた。
またそういう環境で、生まれ育ってきた。


 ともあれ、だからといって、深刻に考える必要はない。
内面対話法といっても、心の遊びのようなもの。
適当にやって、適当に楽しめばよい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 内面対話法 内的対話法 心の対話法 はやし浩司 深層心理 
私の中の私 内面会話法 内的会話法)


●(補記)信仰的連帯性


+++++++++++++++++++


この内面対話法というのは、信仰者と
言われる人たちは、日常的に経験している。
とくに仏教では、「心仏」という言葉を使う。
「仏は心の中にいる」と説く。


(本当は「いる」のではなく、「いると思っている」だけ
なのだが……。)


あるいはキリスト教徒も、同じようなことを言う。
ともに内面対話法を使い、自分の心の中の、仏や神と対話する。


+++++++++++++++++++++


 仏教の世界には、「異体同心」という言葉がある。
「体は別々でも、心はひとつ」という意味である。
何かの対象物に向かって祈ったり、唱題していると、あたかもみなの心が、仏(神)の小
心と融合し、一体化したかのように感ずることがある。
信仰の世界だけではない。
スポーツの世界でも、音楽の世界でもよい。
みなでひとつのチームを応援したり、コンサートで熱狂しているようなときを想像してみ
ればよい。


こうして信仰者たちは、連帯性を感ずる。
が、この連帯性こそが、こうした信仰の最大の魅力ということになる。
こうした連帯性があるからこそ、信者どうしは、ときには親子以上、兄弟以上の関係を結
ぶことができる。
連帯性を感じたとたん、孤独が癒される。
この魅力は、何ものにも代えがたい。


一方、教団側は、それを熟知しているから、それを利用して信者を教団に縛る。
「この教団から離れたら、地獄へ落ちますよ」と。
(実際、教団から離れた直後というのは、地獄へ落ちたかのような孤独を覚えることが多
いが……。)


●宗教戦争


 ここにも書いたように、信仰的連帯性は、きわめて強固なものである。
その世界を知らない人には、想像もつかないような世界と言ってもよい。
古今東西、「宗教戦争」と言われるものが、どういうものであったかを知れば、それがわか
るはず。
信者たちは、命をかける。
現在のイラク、アフガニスタンを例にあげるまでもない。
とても残念なことだが、アメリカ軍には、それがわかっていない。
つまりどれほど長く戦ったところで、アメリカ軍に勝ち目はない。
信仰的連帯性というのは、そういうもの。


●問題点


 思想は大脳の皮質部(連合野)を支配する。
しかし信仰は、その何10万倍もあるとされる、深層心理部を支配する。
信仰は理屈ではない。
信仰を理屈で考えても、意味はない。
そこで内面対話法ということになるが、信仰者のばあい、内在する(相手)というのは、
彼らが信仰する神(仏)ということになる。


 ある男性(40歳くらい、当時)は、こう言った。
「古い寺で、徹夜で読経していたときのこと。
自分の周りで、何10人もの人たち(=死者たち)がいっしょに唱和してくれた」と。


 また別の女性(40歳くらい、当時)は、こう言った。
「私は目を閉じれば、そこにいつも神の存在を感じます」と。


 それぞれの人は、それぞれの思いをもって信仰の世界に入る。
両親の死や病気、家族や経済的な問題など。
だからそういう信仰を否定してはいけない。
そっとしておいてやることこそ、大切。


 問題という問題ではないかもしれないが、しかしときとして、人はそれを神や仏と錯覚
することもある。
内面対話法には、そんな問題も隠されている。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 内面対話法 内面的対話法 私の中の私 私論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●表の顔vs裏の顔

++++++++++++++++++

タイガーウッズ選手が不倫した。
アメリカ社会に大きな衝撃を与えた。
見本となるべき人物が、複数の愛人と、
交際をしていたという。
それはわかる
わかるというより、よくある話。
あったところで、驚かない、
しかし……。

だれにも、「表の顔」と「裏の顔」がある。
私にもあるし、あなたにもある。
ふだんは表の顔で仕事をし、家庭の奥では
裏の顔に戻る。
「戻る」と書くのは、それが「本来の姿」だから。
裏の顔があるのが、悪いというのではない。

タイガーウッズ選手にしても、裏の顔がある。
裏の顔で、金と名声を利用して、不倫を重ねていた。
しかし、それがどうして悪いことなのか。
金もある。
名声もある。
それに群がる「女」たちもいる。
妻の信頼を裏切ったとはいうが、それはあくまでも、
タイガーウッズ選手と妻の問題。
個人的な問題。
妻が怒るのはわかるが、何も、社会までいっしょになって、
タイガーウッズ選手を責めるような話ではない。
念のために申し添えるなら、不倫は、犯罪ではない。

タイガーウッズ選手は、いくつかのコマーシャルからはずされた。
名誉職からもはずされた。
本人も、「ツアーを、無期中止」と。

が、それもおかしい。

もともとタイガーウッズ選手の名声にぶらさがったのは、
(相手)のほうではないのか。
聞くところによると、妻への慰謝料だけでも、9億円を払ったという。
離婚ということになれば、慰謝料は「愛人3人分で、17億x3=51億円」
(某雑誌)になるとか。

ゴルフ?

たかが棒でボールを叩くゲームではないか(失礼!)。
そんな選手に、これだけの財産があること自体、信じられない。
異常。
私などは、タイガーウッズ選手の不倫問題より、むしろ
そちらのほうに驚いた。

話を戻す。
つまり表では、「名選手」。
裏では「大金持ち」。
やりたい放題のことをしている。
それだけのこと。

『声明で、ウッズ選手は、「家族のプライバシーを尊重してほしい」と訴えた上で、「より
良い夫、父親、そして人間であろうと努力する必要がある」との理由を明らかにしました』
(TBS・Newsーiより)

+++++++++++++++++++

●裏の顔

 表の顔と裏の顔があるとしても、この両者は、近ければ近いほどよい。
「あるがままに生きる」というのは、そういう生き方をいう。
が、この両者は、離れていればいるほど、人格そのものが、バラバラになってしまう。
さらにひどくなると、表の顔だけが遊離してしまう。
心理学の世界でも、そういう顔を、ペルソナ(仮面)という。
そのときでも、ペルソナをかぶっていることに気づいていればよい。
そしてその場を離れたら、ペルソナを脱ぐ。

が、中には、表の顔だけが自分の顔と思い込んでしまう人もいる。
外国では、聖職者や教職者に、そういう人が多いと言われている。。

●不倫の相手に、不倫話

 こんな話を聞いた。
不倫の話というのは、当然のことながら、妻や夫には、言わない。
言えば、騒動になってしまう。
トップ・シークレット。

それはそうだが、不倫相手には、別の不倫話は、するそうだ。
「お前は、ぼくの4人目の不倫相手だよ。今も、もう1人、別の女とつきあって
いる」とか、など。
女性のばあいは、夫にも話したことのないような、初体験の話をすることもあるそうだ。
「私は、中学2年生のとき、初体験をすませたわ。夫は、結婚のときまで、私の
ことを処女だったと思っていたけどね」と。

●罪の共有

どこまで自己開示をするか。
その度合いによって、親密度が決まる。
あたりさわりのない世間話をするレベルから、自分の過去や犯罪歴を告白するレベル
まである。

(「はやし浩司 自己開示」で検索してみてほしい。)

言い換えると、相手がどの程度までの話をするかによって、その相手が、どの程度の
新密度を自分に抱いているかがわかる。
あるいはどこまで親密になりたがっているかが、わかる。

が、この現象が、逆に進むことがある。
これを「罪の共有」という。
わかりやすく言えば、「罪」を共有することで、互いの親密度が急速に進むことがある。
それが先に書いたような、さらに深い自己開示へと進む。

「こんな話は、妻には言えないが、お前の体のほうが、すてきだよ」と。
あるいは女のほうは、こう言うかもしれない。
「夫は、私のタイプじゃないわ。もうここ1年、本気で感じたことはないわ」と。
不倫という(罪の意識)を共有しているから、一気に自己開示が進む。
 
●自己開示

 夫婦でも罪の共有をすることはある。
夫婦で銀行強盗をするとか、保険金詐欺を企てるとか。
そういう話は、よく映画にもなる。
私はそういう映画を観るたびに、別の心で、「いい夫婦だなあ」と思ってしまう。
行為そのものは犯罪であり、許されない。
しかし夫婦が2人で、ヒソヒソと何やら相談している光景を思い浮かべてみればよい。
これにまさる(?)、自己開示はない。

●タイガーウッズ選手のばあい

 タイガーウッズ選手は、どうして自分の不倫の話を、妻に話さなかったか?
……という質問ほど、ヤボなものはない。

 自分の不倫の話を妻に話すバカはいない(失礼!)。
しかしともかくも、結果として、それが妻にバレてしまった。
が、週刊誌などの記事によると、妻側には離婚の意思はどうもないようだ。
となると今ごろ、タイガーウッズ選手は妻に許しを乞いながら、過去の不倫を洗いざらい
話しているかもしれない。

 しかしそれこそ自己開示。
すばらしい(?)、自己開示。
妻が、自分への裏切りをどう消化するかにもよるが、もし2人でこの問題を克服できれば、
タイガーウッズ夫婦は、親密度という点では、つぎのステージへ上ることができる。

 もっともこうした不倫は、脳の線条体がからんでいるだけに、常習化しやすい。
美しい女性を見たとたん、ドーパミンが分泌され、条件反射反応を起こす。
タイガーウッズ選手が、それで不倫をやめるようになるとは、私は思っていない。
ヘビースモーカーがタバコをやめたり、アルコール中毒の人が、酒をやめるのと
同じくらい、むずかしい。
これは余計なことだが……。

●踊らされる民衆

 マスコミの世界では、こうした痴話話も、かえってハク付けになる。
やがてしばらくすると、不倫話も消え、タイガーウッズ選手は、再びマスコミの表世界で
活躍するようになる。
クリントン元大統領の、女子学生との不倫話を例にあげるまでもない。

 つまりこうして私たち一般民衆だけが、踊らされる。
タイガーウッズ選手が飲む飲料水を飲み、タイガーウッズ選手が着るシャツを着る。
それが回りまわって、莫大な利益が、タイガーウッズ選手に入ってくる。
それが「慰謝料だけでも9億円!」となる。
 
●ひがみ?

 こういうエッセーを書くこと自体、私の(ひがみ)に誤解されるようで、おもしろく
ない。
ひがみかもしれない。
ひがみでないかもしれない。
持てる人は、何もかも持つ。
持てない人は、何も持たない。
やっぱり、ひがみ?

しかしこのところそういう(ひがみ)からも、私は急速に卒業しつつある。
どうでもよくなってしまった。
ゴルフ・ファンの方たちには、たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、
ゴルフはゴルフ。
所詮、ゴルフ。
楽しむなら、その範囲で楽しめばよい。
私は、そうしている。
タイガーウッズ選手は、すばらしい選手だが、それは表の顔。
だったら、私たちは表の顔だけを見て、それで終わればよい。
それで忘れればよい。

 不倫しようが、しまいが、それは裏の顔。
だれにだって裏の顔はある。
それがどんなものであれ、その人はその人。
そっとしておいてやることこそ、大切。
繰り返すが、不倫は、犯罪ではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 表の顔 裏の顔 自己開示 タイガーウッズ ゴルフ)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●天才たちの病跡学(パトグラフィー)

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世に知られた天才たちには、それぞれ
独特の病跡がある。
その研究をするのが、病跡学(パトグラフィー)。

たとえば、ニュートンやアインシュタインは、
「分裂病圏の学者」、
ダーウィンやボーアは、「躁鬱病圏の学者」、
あのフロイトは、「神経症圏の学者」と
言われている(「心理学とは何だろうか」より・
無藤隆・新曜社)。

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●ニュートンとアインシュタイン

 「心理学とは何だろうか」によれば、ニュートンやアインシュタインの仕事には、つぎ
のような特徴があったという。

「経験的、感覚的、伝統的思考的、斬新的」(同書)。

そして彼らには一定の危機的環境があったという。

「思春期における性的同一性や、青年期における社会的同一性の動揺を契機とすることが
多い。
その後も対人的距離の喪失、たとえば批判にさらされることや、有名になることが危機を
招く」(同書)と。

 そういった危機的環境の中で、ニュートンやアインシュタインは、今に見る業績を残す。

「創造性は自己や世界の危機に触発されるが、仕事の完成には、適当な対人的距離、現実
との介在者、保護者が必要」(同書、飯田・中井・1972)と。

●インチキ番組

 すこしわかりにくい話がつづいたので、簡単に説明する。

つまりそれぞれの学者には、それぞれの個人的背景があったということ。
そしてそれぞれの学者は、その背景の中で作られた問題をかかえていたということ。

 が、ここで注意しなければならないことがひとつある。

 先日(09年12月)も東京のXテレビ局から、こんな依頼があった。
何でも東大生を調べたら、約80%の学生が子どものころ、水泳とピアノをしていたとい
う。
そこで「林先生(=私)に、それを裏付けるような発言をしてほしい」と。
つまり私に、「水泳やピアノは天才児をつくると、テレビの中で、発言してほしい」と。

 どう話せばよいかを聞くと、「指先の刺激は、脳によい刺激を与える。それが結果として、頭のいい子どもを育てる」と。

 しかし……。
この話は、おかしい。
完全に、おかしい。
「非行に走る子どもを調べたら、50%が女子だった。
だから女子は非行に走りやすい」と言うのと同じ。
(子どもの50%は、女子だぞ!)

 この浜松市あたりでも、幼児期に、80%以上の子どもたちが、水泳やピアノをしてい
る。
もっと多いかもしれない。
つまりXテレビ局の説は、まったくのナンセンス。

 私がそれを指摘すると、それきり連絡は途絶えた。
ついでながら、どうして私に、そういう依頼が来たか?
恐らく、こういう事情ではないか。

 Xテレビ局は、そういう珍説を組み立てて番組を作った。
しかしそんな珍説、まともな学者なら、だれも相手にしない。
が、地方に住む、彼らにすれば、私のようなザコ評論家なら、それに応じてくれるのでは
ないか、と。
そう考えて、私に連絡してきた。

 つまり私が言いたいのは、ニュートンやアインシュタインの過去がどうであれ、またど
ういう心の病気をかかえたにせよ、では同じような環境にあれば、みな、同じような天才
になるとはかぎらないということ。

●ダーウィンやボーア

 しかし、それでも興味深い。
「病跡学」というのは、そういう学問をいう。

 ほかにも、ダーウィンやボーアについては、こうある。
危機的状況として、「住みなれた空間の喪失、たとえば故郷・友人からの別離、権威的人間
の圧迫、板挟み状況」(同書)と。

 その結果として、「創造性は社会的自立を契機として解放されるが、仕事の完成には、庇
護的な空間、仕事を是認し、価値づけてくれる人、苦手な面を引き受けてくれる人の存在
が必要」(同書)と。

 ここまで読んだとき、ダーウィンやボーアの境遇が、私のそれと、たいへんよく似てい
ることに気がついた。
とくに「住みなれた空間の喪失、たとえば故郷・友人からの別離、権威的人間の圧迫、板
挟み状況」という部分。

多少ちがうといえば、「喪失」したというよりは、私のばあい、「逃避」した、
故郷の友人たちと、別離したわけではないという点。
「権威主義的人間の圧迫」「板挟み状況」という2つの点については、酷似している。
言い換えると、それがどういうものであるか、私には、たいへんよく理解できる。

 私の生まれ育った地方では、みな、たいへん権威主義的なものの考え方をする。
たった数歳年上というだけで、どの人も、兄貴風、親分風を吹かす。
年長の叔父、叔母となると、さらにそうで、自分では介護の「か」の字もしたことがない
ような叔父が、こう言ったりする。
「悔いのないように、親の介護しろよ」と。

 もちろん何かにつけて、『ダカラ論』が、ハバをきかす。
「親だから……」「子だから……」と。

●ソクラテス

 「私は私」と思っている人でも、その「私」は、まさに環境の産物。
よく知られた言葉に、こんなのもある。

『悪妻をもてば、夫は哲学者になる』と。

 ソクラテスの残した言葉と言われている。
悪妻との葛藤がつづくと、それから生まれる悩みや苦しみを、夫は、哲学に昇華するとい
う意味に、解釈されている。
つまりソクラテスの妻は、よほどの悪妻だったらしい。
……という話は別として、イギリスには、こういう格言もある。

『空の飛び方は、崖から飛び降りてから学べ』と。

 要するに人は、どういう形であれ、追いつめられないと、真の力を発揮できないという
こと。
「危機的状況」というのは、それをいう。

私も親や兄の介護問題で、さまざまな面で、板挟み状態になったことがある。
悶々とした気分が毎日のようにつづいた。
が、そういう危機的状況があったからこそ、当時の私は、猛烈な勢いで文章を書いた。

 同じく、「心理学とは何だろうか」の中に、フロイトやウィーナーについては、こう書い
てある。

「学問を自己抑圧の手段として出発することが多いが、重大な葛藤状況を契機に、学問が自己解放の手段に転化し、そこで真の自己の主題を発見することが多い」(同書)と。

 「悪妻をもつ」ということは、まさに「重大な葛藤状況」ということになる。
そこでソクラテスは、追いつめられ、自己解放の手段として哲学者になっていった(?)。
そういうふうにも考えられる。

●職歴学

 病跡学というのがあるなら、「職跡学」というのがあっても、おかしくない。
「学歴学」でもよいし、「環境学」でもよい。
親子関係もその人の人格形成に大きな影響を与える。
そうなると「家族学」でもよい。
つまりその人の生まれ育った環境は、その人の考え方や思想のみならず、性格や性質にま
で大きな影響を与える。
言い換えると、「私は私」と思っている部分についても、本当は「私」と言える部分は少な
く、大半は、「私であって私でない部分」ということになる。

 そういう「私であって私でない部分」に操られていくうちに、ときとして、自分の望む
のとは別の方向へ進んでしまう。
気がついてみたら、そうなっていた……ということは多い。
私は、それを「運命」と呼んでいる。

 もちろんオカルト的、つまり神秘主義に基づく運命を言うのではない。

●強迫神経症

 たとえば私には、強迫神経症的な部分がある。
若いときから、いつも何かに追い立てられているような気分が抜けない。
乳幼児期の不幸な母子関係が、私をして、そういう私にした。
基本的信頼関係の構築に失敗した。
だから基本的に、人間不信の状態にある。
つまり他人との信頼関係の構築が苦手。

 しかしこれは私の責任というよりは、私の母や家族の責任である。
私はそういう母をもち、そういう家庭で生まれ育った。
だから今でも、いつも何かをしていないと、落ち着かない。
こうした特異性は、オーストラリアの友人たちと比較してみると、よくわかる。
彼らはときどき日本へやってきて、1~2か月のバカンスを、のんびりと過ごす。
旅行先で気に入った旅館や温泉を見つけると、同じところに何泊もして、過ごす。
私というより、日本人には考えられない休暇の過ごし方である。

 逆に、オーストラリアの友人たちには、私の休暇の過ごし方が理解できない。
4泊5日くらいでオーストラリアへ行ったりすると、いつもこう言う。
「ヒロシは、どうしてそんなに忙しいのか?」と。

 忙しくはないが、オーストラリア流のバカンスの過ごし方が、身についていない。
何もしないで、ボケーッとして過ごすことができない。
その(できない)理由が、実は、私自身の中にある。
「ある」というよりは、作られた。
それが先に書いた、強迫神経症ということになる。

●作られた私
 
 で、私はいつも何かの仕事をしている。
仕事をしていないと落ち着かないし、くだらないことで時間を無駄にしたりすると、「しま
った!」と思う。
が、よくよくみなの話を聞いてみると、そういうふうになる人は、私だけではないようだ。
私の世代、つまり団塊の世代には、私のようなタイプの人が多い。
ワーカホリック、つまり働き中毒の人間である。

 で、そういう自分を客観的にながめてみると、「私であって、私でない部分」がたくさん
あるのがわかる。
私は、私を離れたところにある、もっと別の私に操られている。
そしてその(別の私)というのは、「私」というよりは、(作られた私)ということがわか
る。
仮に私が後世に残るような業績を成し遂げたとしても、(そういうことはありえないが…
…)、それは(操られた結果)としてそうなっただけということになる。

●不幸な過去

 では、ニュートンやアインシュタインは、どうだったのか?
病跡学によれば、不幸な過去が、こうした偉人たちの業績に、大きな影響を与えたのがわ
かる。
もしこれらの人が、平和でのどかな時代に生まれ、家族の愛に包まれて育ったなら、ニュ
ートンやアインシュタインは、今で言う、ニュートンやアインシュタインにはならなかっ
たかもしれない。
そこそこの人物にはなったかもしれないが、毎年、数か月単位で、どこかの保養地でのん
びりと休暇を過ごしていたかもしれない。

●やはり、私は私 

 しかしやはり、「私は私」。
言うなれば、歩きつづける旅人。
そうでない人たちから見れば、「かわいそうな男」ということになる。
しかし私自身は、歩きつづけていることが、楽しい。
追い立てられているというよりは、その先に何があるか、それを知りたい。
また知るのが、楽しい。

 (歩きつづける部分)が、強迫神経症によるものだとしても、(楽しいと思う部分)は、
「私」である。
(あるいは楽しいと思う部分まで、作られた私なのだろうか……?)

 今の今も、来週あたり届けられる高性能のパソコンで、頭の中はいっぱい。
どうやってファイルを移動させるか、……これが大問題だが、そんなことなかりを考えて
いる。
プリンターも新調するつもり。
MSのパブリシャーなども使っているが、WINDOW7で、はたしてそのまま使えるだ
ろうか。
使えないときは、どうしたらよいだろうか。
「XP」も使えるようにと、OSは、WINDOW7の、プロフェッショナル版にした。
プロフェッショナル版なら、仮想XPを、WINDOW7上で、動かすことができる。
……つまりこうして考えているのが、正しい。

●性質

 要するに、「偉人」と呼ばれる人には、それぞれふつうでない過去があったということか。
あるいはふつうでない特殊な環境に生まれ育った。
それがバネとなって、ニュートンをニュートンにし、アインシュタインをアインシュタイ
ンにした。

 が、ここでひとつ重要な要素を忘れているのに、気づく。
ニュートンもそうでなかったかと言われているが、アインシュタインについては、子ども
のころ、今で言うAD・HD児だったと言われている。
モーツアルトもそうだったし、チャーチルもそうだった。
エジソンも、そうだったと言われている。

 こうした生来の性質は、どう計算の中に組み込んだらよいのか。
AD・HD児特有の無鉄砲さが、加齢とともに、よい方向に向くということはよくある。
もともと行動力があり、好奇心も旺盛である。
それがある年齢を超えると、その人を前向きにぐんぐんと引っ張り始める。

●運命論

 病跡学は、そういう意味では、運命論と似ている。
科学的な運命論ということになる。
それぞれの人には、無数の(糸)がからんでいる。
その糸が、ときとして、その人の進むべき道を決めてしまう。
そのときどきは、自分の意思でそうしていると思っていても、結果として、その糸に操ら
れてしまう。

 で、その運命と闘う方法もある。
その第一が、自分を知るということ。
そのためには、病跡学というのは、たいへん興味深い。
自分を知れば知るほど、運命をコントロールできる。
そう考えてもよい。

 同書には、つぎのようにある。

『病跡学(パトグラフィー)……文学研究・歴史研究と精神病理学・臨床心理学の境界領
域の学問である。著名な人物、とくに「天才」の精神病理を分析し、その人間の創造的な
行動や業績・作品の、より深い理解に役立てる。
伝記的事実や作品を資料として、その人間の精神病理を描き出す』(同書、P149)と。

 「ああ、だからあの人は、ああなったのだ」と考えることによって、その先に、「ああ、
だから私は、こうなったのだ」とわかってくる。
それが病跡学ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 運命 運命論 病跡学 パトグラフィー はやし浩司 アインシュタ
イン ニュートン)


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