2009年8月12日水曜日

*What is the Religious Punishment?



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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   12日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの虚言癖

++++++++++++++++++

「子どもは家族の代表」という考え方が、
現在では、主流的な考え方です。
というより、今では、常識。

子どもに何か問題が起きたときは、
それを「家族全体の問題」として考えます。
子どもだけを見て、「直そう」と考えては
いけません。

E県のESさん(母親)から、子どもの
虚言癖について、メールが届いています。
この問題を、いっしょに考えてみたいと
思います。

++++++++++++++++++

【ESさんより、はやし浩司へ】

小学校6年生の息子のことでご相談させてください。

先日、息子の通学用のかばんから危ないものが出てきました(料理用の小型ナイフ)。
その前に、台所で何かに興味を示していたので、息子が自分でかばんに入れて
学校に持って行ったものと思い、
「危ないから、そんなものはもって行ってはいけない」と注意すると、
絶対自分はかばんに入れていない、自分ではない、と強く反論しました。

それでも内心嘘をついていると思いながらもあまり問い詰めず、そのままになりました。

翌朝、もう一度、もって行ったことはともかく、嘘をついたことが気になり、
学校に登校する前に「本当は持って行ったんじゃないの」と聞きましたが、
泣きながら、絶対に自分は知らない、と反論しました。

それですっかり怖くなってしまったのですが、
嘘をついているなら、まだましで、本人の記憶が飛んでいるのではないかと
思うほど、自分でも「もって言っていない」と、信じ込んでいる様子なのです。

普段から生活態度がだらしなく、細かいことまで沢山注意したり叱ったりすることも多く、
バイオリンを小さい頃から習っていて、その練習でも親子喧嘩が絶えず、
ストレスがたまった結果、こんなことになったのか、と悩んでいます。

子供はこうやって都合の悪いことを、本当に忘れたりすることがあるのでしょうか。
それともやはり分かっていて嘘をついているのでしょうか。

病的行動との心配があるならどう対処したら良いのでしょうか。

どうしてよいか分からず、悩んでいます。

【はやし浩司より、ESさんへ】

 いくつかの点で、気になることがあります。

(1)「かばんから……」という部分
(2)「泣きながら……」という部分
(3)「親子喧嘩が絶えず……」という部分
(4)「すっかりこわくなって……」という部分
 
 子どもの虚言で注意しなければならないのは、「空想的虚言(妄想)」です。
それについては、たびたび書いてきましたので、一度、「はやし浩司 空想的虚言」で
検索してみてください。
(私のHPのトップページ、子育てあいうえおを参考にしてください。)

 SEさんのお子さんのばあいも、その空想的虚言が疑われます。
心の中に別室を作り、その中に、いやなことや、思い出したくないことを、
閉じ込めてしまいます。
心理学的には、「抑圧」という言葉を使って説明されます。
自分の心を守るために、いやなことを閉じ込めるという防衛機制をいいます。
この抑圧についても、たびたび書いてきました。

 一般的には、気の抜けない、強圧的な過干渉が慢性化すると、子どもは自分の心を防衛
するために、いわゆるシャーシャーとウソをつくようになります。
そしてひとつのウソがバレると、また新たなウソをつきます。
それがひどくなると、先に書いた、空想的虚言となるわけです。
(たった一度の、衝撃的な事件がきっかけで、空想的虚言をつくようになる子どももいま
す。)

 で、この抑圧で怖いのは、ふだんは何ともなくても、時と機会をとらえて、突発的に
爆発するということです。
俗に言う「キレる」原因の一つになることもあります。
「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と、です。
古い、とっくの昔に忘れたはずのできごとを、つい昨日のできごとのように思い出して、
キレるのが、特徴です。
(30歳になっても、40歳になっても、子どものころのことを、つい昨日のできごとの
ように思い出して、錯乱的に怒ったりすることもあります。
心の別室の中では、時間は止まったままになります。)
が、抑圧イコール、空想的虚言ということではありません。
子どもの心理は、もう少し複雑です。

 で、それについて書く前に、気になった点を並べてみます。

(1)「かばんから……」……私は、生徒はもちろん、ワイフのかばんすら、中をのぞいた
ことがありません。いわんや息子たちのかばんをのぞいたことは、ただの一度もありませ
ん。そういう私ですから、それが許されることなのか、許されないことなのかという議論
はさておき、ESさんの行為が、私には、理解できません。

(2)「泣きながら……」……ふつうは、(「ふつう」という言葉は、あまり使いたくありま
せんが)、この程度のことで、子どもは泣かないものです。どうしてそこまでたがいに感情
的になってしまうのでしょうか。責める側(=ESさん)にも、子どもの側にも、心の余
裕が感じられないのが、気になります。

(3)「親子喧嘩が絶えず……」……私も小学生のとき、バイオリンをやらせられ、たいへ
んいやな思いをした経験があります。結果、大の音楽嫌いになってしまいました。小学生
のころ、「音楽」という言葉を聞いただけで、ゾーッとしたのを、覚えています。

(4)「すっかりこわくなって……」……お子さんが小3であることを考えるなら、親子関
係はすでに、かなり危険な状態に入っているとみますが、いかがでしょうか。

●過去の事例から

 似たような事件で、印象に残っているのが、2つあります。
ひとつは、月謝袋をバスの中で落としたと言い張った女の子(小4)。
落としたときの様子を、ことこまかに説明したので、私はウソと判断しました。

 もう1人は、私の教室でおしっこを漏らしたと母親に告げた男の子(年長児)。
「林先生(=私)が、床を拭いてくれた」と母親に言いましたが、私には覚えがありませ
ん。
それで母親が問い詰めると、今度は、「園バスの中でもらした」と。
が、バスの運転手さんや、同乗の先生に聞いても、「知らない」と。
結局、その子どもは、バスをおりてから、家に帰るまでの間にもらしたということになり
ました。
「どうしてママに言えなかったの!」と叱られるのがいやで、そういうウソをついたので
しょう。

●二番底、三番底

 この種のケースで注意しなければならないのは、二番底、三番底です。
けっして「今が最悪」と考えてはいけません。
「子どもを直そう」と考えるのも、危険です。
(簡単には、直りませんから……。)

 対処の仕方をまちがえると、「まだ以前のほうが症状は軽かった……」ということを繰り
返しながら、さらに症状はこじれます。
もっと大きな問題を引き起こすようになります。
まだ小3ですから、まにあいます。
今は、「これ以上、問題(=子どもの心)を、こじらせないこと」だけを考えて、対処して
ください。

 大切なことは、ESさんの、育児姿勢、態度を、改めることです。
子どもだけを見て、ESさんは、自分の姿を見ていません。
冒頭に書いたように、子どもは、家族の「代表」にすぎないのです。
そういう視点で、率直に反省すべきことは反省します。

●気になる不信感

 ESさんの子育てを総合的に判断すると、いわゆる「不信型の子育て」ということにな
ります。
「信じられない」という不安感が、過干渉の原因になっています。
が、この問題は、「根」が深いです。
時期的には、0~2歳までさかのぼります(エリクソン・心理社会発達理論)。
母子の間の、基本的信頼関係の構築に失敗したとみます。

 ESさんのほうが、お子さんを全幅に許してこなかった。
その結果、ESさんがお書きになっているように、「普段から生活態度がだらしなく、細か
いことまで沢山注意したり叱ったりすることも多く……」ということになったと考えられ
ます。

 「だらしない」という基準は、どこにあるのでしょうか。
どこの子どもも、だらしないものですよ。
だらしなくない子どもなど、いないと考えてください。
ESさんの思い通りにならないからといって、「だらしない」と決めつけてはいけません。
むしろ逆で、子どもは学校という職場で、疲れきって帰ってきます。
家の中で、ぞんざいになっても、それはそれでしかたのないことです。
(とくにESさんのお子さんは、そうではないでしょうか。)
むしろ家の中では、したいようにさせ、羽を伸ばさせてやる。
それが「家庭」の基本です。

 私があなたの子どもなら、こう言うでしょうね。
「うるさい、放っておいてくれ!」と。

●では、どうするか?

 何よりも大切なことは、ESさん自身が子どもを信ずることです。
このままでは、(互いの不信感)→(親子のキレツを深める)→(ますます互いに不信感を
もつ)の悪循環の中で、やがて親子の断絶……ということになります。
(すでに今、その入口に立っていると考えてください。
さらに症状が悪化すると、あいさつ程度の会話もできなくなりますよ。)

 といっても、この問題は先ほども書いたように「根」が深く、簡単には解決できません。
ESさんが、「では、今日から、私は子どもを信じます」と言ったところで、そうはいかな
いということです。

 仮にそれができたところで、今度は、子どもの固まった心を溶かすには、さらに時間が
かかります。
それについては、とても残念なことですが、すでに手遅れかもしれません。
小3という時期は、そういう時期です。
年齢的には、思春期前夜に入るころです。
親離れを始める時期と考えてください。
ESさんのお子さんがもっている、ESさんへの印象を、ここで変えることはできません。

 では、どうするか?

 あきらめて、それを受け入れる、です。
勇気を出して、あきらめなさい。
『あきらめは、悟りの境地』と考えてください。
押してだめなら、思い切って引くのです。
親のほうがバカになって、頭をさげるのです。

 どこの家庭も、ESさんのような問題をかかえています。
うまくいっている家庭など、100に1つもないと考えてください。
そして一方で、裏切られても、裏切られても、『許して、忘れる』を繰り返してください。
その度量の深さで、あなたのお子さんに対する愛の深さが試されます。

 メールを読んだ範囲では、あなたの子育ては、「取り越し苦労」と「ヌカ喜び」の繰り返
しといった印象を受けます。
カバンの中にナイフ……というのは、ふつうではないと思いますが、しかしそれを見てパ
ニックになってしまう。

 いいですか、「心配だ」「心配だ」と思っていると、本当に、(あるいはさらに)、心配な
子どもになってしまいますよ。
こういうのを「行為の返報性」といいます。
(これも、「はやし浩司 行為の返報性」で検索してみてください。
参考になると思います。)

 そこで私が今できるアドバイス……

☆「あなたはいい子」「すばらしい」を、口癖にして、あなた自身の心をだまし、作り変え
ること。

☆子どものほうに目が行き過ぎていませんか。もしそうなら、子どものことは構わず、あ
なたはあなたで、したいことを、外の世界ですること。
母親でもなく、妻でもなく、女でもなく、ひとりの人間として、です。

☆「子どもに好かれよう」とか、「いい母親でいよう」とか、「いい親子関係を作ろう」と
いう幻想は、もうあきらめて、捨てること。またそういう気負いは、あなたを疲れさせる
だけです。
とくに「おとなの優位性」を捨てること。

☆「今の状態をこれ以上悪くさせないこと」だけを考えて、あとはもう少し長い時間的ス
パンで、ものを考えてください。1年とか、2年です。あとは時間が解決してくれます。
あせればあせるほど、逆効果。それこそ二番底、三番底に進んでしまいますよ。

●ESさんへ、

 かなりきびしいことを書きましたが、あなたのお子さんの問題は、実は、あなた自身の
問題ということに気がついてくだされば、うれしいです。
「なぜ、子どもがウソをつくのか」「ウソをつかねばならないのか」、そのあたりから考え
直してみてください。

 それを「病的」と、子どもの責任にしてしまうのは、あまりにも酷というものです。
ひょっとしたら、あなた自身が、自分が子どものころ、全幅に親に甘えられなかったのか
もしれません。
あなたの親に対して、心を開くことができなかった。
あるいは結婚当初の何らかのつまずきが、そのあとの(心配の種)になってしまったこと
も考えられます。

 そんなわけで私があなたのお子さんなら、あなたにこう言うでしょう。

「ママ、もっと心を開いて、ぼくを信じて!」と。

あなたのお子さんがあなたに求めているのは、ガミガミ、キリキリと、やりたくもない
音楽の練習ではなく、「友」です。
親意識が強く、支配的に上に君臨する女帝ではなく、「友」です。

 さあ、あなたも、一度子どもの世界に身を落として、友として、お子さんの横に立って
みてください。
時間はかかりますが、やがて少しずつ、あなたのお子さんは、あなたに対して心を開くよ
うになるでしょう。
それがあなたにも、わかるようになるはずです。
と、同時に、あなたはお子さんといっしょに、第二の人生を楽しむことができるようにな
ります。
そう、「楽しむ」のです。

 子育ては、本来、楽しいものですよ!

 最後に一言。
『許して、忘れる』です。
(「はやし浩司 許して忘れる」を検索してみてください。)

 では、今日は、これで失礼します。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 子どもの虚言癖 虚言 空想的虚言 親子断絶)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●罰(ばち)

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不可思議なパワーによる「罰(ばち)」というのは
認めない。
しかし「罰(ばち)」というのは、たしかにある。
あるが、それは不可思議なパワーによるものではなく、
その人自身の運命が、自ら、つくりあげていくものである。

+++++++++++++++++++

●運命

 「運命論」については、たびたび、書いてきた。
書いてきたので、ここでは簡単に触れるだけにする。
つまり私たちには、私たちの行き先を決める、無数の「糸」が
からみついている。
家族の糸、仕事の糸、環境の糸、才能の糸、などなど。
過去の糸もあるし、遺伝子の糸もある。
そういった無数の糸が、ときとして、自分の望むのとは
別の方向に、自分を連れ去ってしまうことがある。
それを「運命」という。

 ただし運命というのは、その時点では、わからない。
自分の過去を振り返ってみたときに、それがわかる。
「ああ、私には私の運命があったのだ」と。

●罰(ばち)

 私自身は、罰(ばち)(以下、「罰」とだけ表記)という言葉は
好きではない。
どこか宗教じみている。
宗教の中でも、カルトじみている。
しかしときとして、運命は、その人を、罰と言えるほど、悪い状況
に追いやってしまうことがある。
 それを私は罰という。

 が、先にも書いたように、どこか別の世界に、たとえば霊的な存在
があって、その人を、悪い状況に追いやるわけではない。
その人の運命が、自ら、作りあげていくものである。

●緑内障

 最近、緑内障になって、視力をほとんど失ってしまった女性(65
歳)がいる。
 ただし、誤解のないように言っておくが、緑内障になったからといって、
罰が当たったということではない。
緑内障といっても、病気のひとつ。
だれでもなりうる病気である。
よい行いとしたから、ならないという病気ではない。
悪い行いをしたから、なるという病気でもない。
ただその女性自身が、「罰が当たった」と騒いでいるから、罰ということに
なる。
こういうことだ。

●小ずるい女性

 「一事が万事」という。
「万事が一事」ともいう。
その女性は、何かにつけて、ずるい女性だった。
ずる賢いと言ったほうが、よいかもしれない。
口がうまい分だけ、人をだますのも、うまかった。

 今でこそ、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉が、ポピュラーに
なった。
その人を介護するフリをしながら、一方で、その人を虐待するという、
あれである。
ごく最近も、どこかの母親が、自分の子どもに、汚れた水を点滴しながら、
その一方で、よくできた母親を演じていた女性がいた(岐阜県S市)。

 介護する相手は、自分の子どもであることが多いが、実の両親や、義理の
両親に対して、それをする女性もいる。
他人が見ているときは、ベッドの上で、その人の背中をやさしくさすって
見せたりする。
その女性もそうだった。
義理の母親だったが、食事を与えない。
便の始末をしない。
冬の寒い日でも、暖房器具は使わず、そのままにしておいた、などなど。

 が、他人の目を感じたとたん、「よくできた嫁」に変身する。
言葉の使い方はもちろん、口調まで変えた。
だからその女性をよく知らない人たちは、その女性のことを、ことさら
高く評価した。
が、それこそ、その女性の望むところ。
他人をして、そう思わせることによって、自分の立場を維持していた。

●シャドウ論(ユング)

 が、その女性の長男が、傷害事件を起こした。
警察に逮捕された。
その少し前、二男も、交通事故を起こしている。
横断歩道で、自転車通行中の高校生をはね、そのまま逃げてしまった。
義理の母親が、老衰で亡くなってから、ともに数か月後のことだった。

 近所の人たちはみな、首をかしげた。
「あれほどまでによくできた母親なのに、どうして息子たちは、そうなって
しまったのか」と。

 しかしユングのシャドウ論をあてはめて考えれば、謎でも何でもない。
母親がその内に隠しもっていたシャドウ(=邪悪な影)を、2人の息子たちは
そのまま引き継いだ。
よくある話で、何でもない。
が、その女性には、それが理解できなかった。
しかもその女性は、人一倍、世間体を気にした。
小さな町で、その話は、みなに伝わってしまった。

●強度のストレス

 その女性が緑内障になったのは、長男が逮捕されたその翌日のことだった。
朝起きてみたら、視野が極端に狭くなっているのを知った。
いつもならそこに見えるはずの目覚まし時計すら、見えなかった。
トイレに起きたとき、廊下の柱に顔をぶつけた。

 異変に気づいたその女性は、夫にそれを話し、地元の救急病院へと
そのまま直行した。
医師は「強度のストレスが、緑内障を引き起こした」と診断した。
が、その女性は、それを罰(ばち)ととらえた。
いや、実際には、それを先に罰ととらえたのは、夫のほうだった。
夫は、その女性の虚像を、結婚当初から見抜いていた。
義理の母親(夫にとっては、実父)に対する虐待についても、
薄々、感じ取っていた。
だから夫は、すかさず、こう言った。
「お前は、罰が当たった」と。

 それを聞いてその女性は錯乱状態になった。
ギャーと叫んだあと、体中をばたつかせて、泣いた。

●自業自得

 この話は、最近、ワイフがどこかで聞いてきた話を、私なりに
アレンジしたものである。
実際にあったケースではない。
しかしこれに似たような話は、どこにでもある。
「似たような」というのは、病気の原因を自ら作りながら、それに
気がつかないまま、(病気という結果)を、罰ととらえるケースである。
俗に言う、「自業自得」。
さらに言えば、「自ら墓穴を掘る」、である。

 が、少し冷静に考えれば、こんなのは罰でも何でもない。
医師も言っているように、「強度のストレス」が、緑内障を引き起こした。
そしてそのストレスは、長男の逮捕によってもたらされた。
が、このとき、その女性が悩んだのは、長男の逮捕ではない。
世間体である。
もしその時点で、世間体を処理できれば、ストレスはストレスにならなかった
かもしれない。

 さらに2人の息子がともに事件を起こしたのは、元はと言えば、その原因は、
その女性自身にある。
もともとは邪悪な性格の女性と考えてよい。
その邪悪な部分を、2人の息子は、うしろから見ながら、それを引き継いで
しまった。
聞くところによると、その女性は、かなりわがままな人だったらしい。
息子たちに対しても、いつも命令するだけの人だった。

 親子らしい親子の会話もなかった。
それが子どもたちから、静かに考えるという習慣を奪い、それが2つの
事件へとつながっていった(?)。
そういうふうにも考えることもできる。

●罰とは?

 昔の人は、こうした(原因)と(結果)をつなげて、こう言った。
「親の因果、子にたたり」と。
しかし冒頭にも書いたように、私は、不可思議なパワーによる罰という
ものを認めない。
またあるはずもない。
もしそれを「不可思議なパワーによるものだ」と考えるなら、それは、
その人の無知と無理解、無教養によるものである。

 言い換えると、運命というのは、その時点、時点において、その人の
努力によって修正することができるもの、ということ。
それを支えるのが、日ごろの生き方、教養、それに文化性ということになる。
 
 もしその女性が、正直に生きていたら・・・。
世間体というものを気にしていなかったら・・・。
息子たちの悩みや苦しみを分かち合っていたら・・・。
その女性は、緑内障という運命を、避けることができたかもしれない。

 というわけで、そういう意味での罰(ばち)というのはたしかにある。
またそういうのを「罰(ばち)」という。
つまり、「罰(ばち)」というのは、その人自らが、つくりだすものという
こと。
それをここに書きたかった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●消息たずね(身勝手な好奇心)

++++++++++++++++++++

どうしてこんな、おかしな夢を見るのか?
ときどき、見る。
で、今朝は、起きがけに、高校時代の友人の
AK君の夢を見た。
AK君の実兄が、10年ほど前、自ら命を絶った。
そういう話は聞いていた。
そのAK君も、重い精神疾患を、患うようになったという。
私はその話を、2年前、中学の同窓会で
聞いた。

ところが、今朝、そのAK君が夢に出てきた。
その10年くらい前までは、年に1、2度、
我が家へ遊びに来てくれていた。
奥さんとも電話でよく話した。
が、そのころ、音信がプツリと切れた。

夢の中で、AK君が、こう言った。
「ぼくも、今度兄貴と同じように、自殺したよ」と。

+++++++++++++++++++++

●電話

 何があってもおかしくない。
私もそういう年齢になった。
だからというわけでもないが、何を聞いても、このところ驚かなくなった。
知人が亡くなったとか、そういう話でも、淡々と聞き流せるようになった。
知人の大病についても、そうだ。
「つぎはぼくかなあ……」と。

 しかしこういう夢は気になる。
死んだ人が、わざわざ夢を借りてあいさつに来たような感じがする。

もちろん私自身はスピリチュアル(霊)的な力といものを、信じていない。
またそんな力が、私にあるなどとは思っていない。
夢というのは、脳の奥深くに潜む潜在意識、さらにその下の無意識が具現化したもの。
そこにある(意識できない意識)が、勝手な想像をする。
今朝見た夢も、そうだ。
しかし気になる。……気になった。

 が、こういう話は、自分で確かめておく必要がある。
しっかりと自分なりに結論を出しておく必要がある。
一度は、それをしておかねばならない。

 AK君の実家は、もう一人の兄が引き継いでいる。
名前も知っている。
さっそく(104)に電話をかけ、電話番号を確かめる。
つづいて、AK君の実家に電話を入れる。

 AK君自身も、実は、数年前から、重い精神病を患い、現在は、名古屋市の
そうした病院に入院している。
数年前に一度、見舞いに行ったきりになっている。

 電話には、AK君の妹氏が出た。
私は自分の名前と立場、それにたがいの関係をしっかりと話したあと、妹氏に聞いた。

私「AK君は、元気ですか?」
妹「……まだ名古屋の病院に入ったままです……」と。

●思いすごし

 やはり私の思いすごしだった。
AK君は、自殺など、していなかった。
よかった。
先日も、同じような夢を見たとき、ワイフがこう言った。
「あなたには、そういう超能力があるのかもしれないわ」と。
私は、笑って、吐き捨てた。
「バカなこと言うな」と。

 こういう話は、映画の世界ではおもしろい。
映画の世界でなら、ありえる。
死んだ人が、その能力のある人のところへやってきて、挨拶をする……。
しかしこれは現実の世界の話ではない。
現実の世界では、ありえない。
それを今回、確かめてみた。……みたかった。

結果、つまり消息をたずねてみた結果、私の思いすごしだった。
……ということがわかった。
やはり夢は夢。
夢だった。
脳みその、ただのいたずら。
脳の、奥深くに住む意識が、勝手に想像した。
それを知って、安心した。

私「お元気なら、それでいいです」
妹「何か、伝言があれば、伝えておきますが……」
私「いいです。今朝、AK君の夢を見たので、それで気になって電話をしただけですから」
妹「ご心配かけて、すみません」と。

 妹氏の話は、AK君からよく聞いていたが、声を聞いたのは、今朝がはじめてだった。
しかし……。
こうして私のまわりから、1人、2人……と、人が消えていく。
この淡々とした静けさこそが、不気味。
それを傍観しながら、どうして私はこんなにも冷静でいられるのか?
私はそれほどまでに、心の冷たい人間になってしまったのか?
こうした現象は、私だけに起きているものなのか?
それとも、ある一定以上の年齢になると、みな、そう考えるようになるのか?

 加えて、何というニヒリズム。
……私がAK君の実家に電話をしたのも、AK君を心配したからではない。
ただ単なる好奇心。
イヤ~ナ好奇心。
それも自分の(思い込み)を確かめるための電話。
もっと言えば、ときどき見るおかしな夢を、自ら、否定するため。
わかりやすく言えば、自分のエゴ。
が、どうして私は、こんな残酷なことができるのか。

 ……このところ私の精神状態は、あまりよくない。
だから、こんな夢を見る。
そして意味のない電話をしてしまう。

そうそう気分を入れ替えるため、今日は、ワイフと近くの温泉風呂に行ってくる
つまり。
夜9時まで入れば、11時まで、入浴できるという。
中で、軽い食事もできるという。
一度、そこで心をリフレッシュしてくる。

(付記)
 世の中には、他人の不幸をのぞいては、それを楽しむ人たちがいる。
そういう低レベルな人たちがいる。
それをするのは、その人の勝手だが、されたほうは、たまらない。
そうした行為は、グサリと胸に突き刺さる。
胸をえぐられるような悲しみと言ってもよい。

 だから……。

 他人の不幸は、のぞいてはいけない。
世の中には、知らなくてもよいことは、山のようにある。
(一方、知らなければならないことも、山のようにあるが……。)
のぞけばのぞくほど、自分の品位をさげる。
よい例が、モーニングショー(テレビ)のゴシップ番組。

見るからに低俗なレポーターが、さも知ったかぶりをして、タレントたちのゴシップを
追いかけている。
ああいうことばかりしていると、ああいう人間になる。……なってしまう。

 そういう意味でも、ある一定の年齢になったら、つきあう人を選ぶ。
「選ぶ」といっても、勇気のいることだが、その勇気がないと、いつの間にか、
自分自身も低俗になってしまう。
が、それこそ、時間のムダ。
人生のムダ。

(付記2)

そこに不幸な人がいるなら、静かに、そっとしておいてやろう。
相手から何かを求めてきたら、すかさずそれに応じてやればいい。
しかしそれまで、静かに、そっとしておいてやろう。
まちがっても、人の不幸をのぞいてはいけない。
確かめてはいけない。

今朝の反省より。


Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●親類づきあいと、縄張り意識(Sectionalism, or Territorial Fight of the Families)

++++++++++++++++++++++

親類づきあいというのは、人間が本来的にもっている
縄張り意識と、深く関係している。

「?」と思う前に、こんな事例があるので、読んで
ほしい。
少し、話が入り組んでいるので、かみくだいて説明する。

++++++++++++++++++++++

●意地で参列した葬式


Aさん夫婦(72歳と70歳)は、Bさん夫婦(67歳と60歳)とは、断絶していた。
Aさんの夫と、Bさんの妻は、兄と妹の関係。
数年前、実母が他界した。
その直後から、遺産相続問題が起きた。
毎週のように、実家で、怒鳴りあいの喧嘩を繰り返した。
それが発端となって、今は、行き来なし。
まったく、なし。

 で、A氏(兄)が、1億円近い現金をBさん(妹)に渡し、それで遺産相続問題は
解決した。
が、同時に、たがいに縁を切った。
切ったが、Aさん夫婦と、Bさん夫婦には、共通の親類や友人が、たくさんいた。
縁を切ったといっても、それぞれの人間関係が、複雑にからんでいる。
そうした人間関係まで、たがいに切ることはできない。

 そんなとき、Bさん夫婦の親(Bさんにとっては、義父)が、他界した。
Aさん夫婦は、新聞の死亡欄で、それを知った。
そこでAさん夫婦は、葬儀に出るべきかどうかで悩んだ。
迷った。

 縁を切っているから、(といっても、公に切ったわけではないが)、Aさんは
葬儀には出たくなかった。
それにBさん夫婦からは、何も連絡はなかった。
本来なら、Aさん夫婦は、Bさん家の葬儀には出なくてもよかった。

 しかし、Aさんは、こう考えた。
言い忘れたが、Aさん夫婦とBさん夫婦には、合わせて10人近い兄弟がいる。
それぞれが、何らかの形で、Bさん夫婦と関係をもっている。
「もし、葬儀に出なければ、みなに何と言われるかわからない」と。

●義理を欠く

 こうした世界には、恐ろしい言葉がある。
「義理を欠く」という言葉である。
こうした世界では、一度、親戚に「義理を欠いた」というレッテルを張られると、
以後、村八分にされる。

 「今どき、そんなことがあるのか?」と思う人も多いだろう。
しかし現実には、ある。
遠い山の中の、田舎の話ではない。
HONDAやSUZUKIの工場がある、この浜松市での話である。

 もしAさん夫婦が、その葬儀に出なかったら、Bさん夫婦以外の人たちは、「Aさんは
義理を欠いた」と判断する。
そして一度、そういうレッテルを張られると、Aさんは、親戚一同の中で、
自分の立場を失う。
そこでAさん夫婦は、葬儀に参列することにした。……参列した。

 あとでAさん夫婦は、こう話してくれた。
「葬儀の席では、Bさん夫婦とは、一言も言葉を交わしませんでした」と。

●たかが葬儀

 親にも、いろいろある。
兄弟姉妹にも、いろいろある。
人間関係は、みな、ちがう。
「自分がそうだから」という理由だけで、「相手もそうだろう」とか、「そうあるべき」
と考えてはいけない。

 葬儀についても、そうだ。
葬儀を一生の一大事に考える人もいる。
しかし「たかが葬儀」と考える人もいる。
そこには、その人の死生観のみならず、人生観、哲学、思想が凝縮される。
「儀式はあくまでも儀式」。
「大切なのは、中身」。

……私などは、むしろそう考えるほうなので、「葬儀など、出たい人は出ればいい。
出たくなければ、出なくてもいい。義理に縛られることはない」と考える。
しかしこの考え方は、一般的ではない。
だから、妥協するところは妥協しながら、適当に参列したりしている。

 が、Aさん夫婦も、Bさん夫婦も、そうではなかった。
親戚の人たちも、そうではなかった。
それをよく知っていたから、Aさん夫婦は、Bさん夫婦の葬儀に参列した。

●縄張り意識

 こうした人間の行動性の原点にあるものは、何か?
それを一言で表現すれば、「縄張り意識」ということになる。
原始の昔から、人間が本来的にもっている縄張り意識である。

 少しでも支配的立場に自分を置いて、自分にとって居心地のよい世界を作る。
その上で、優越性を確保する。
ついで、上下関係を維持で、命令と服従とでなる権力関係も作りあげる。

 こうした縄張り意識は、人間だけの特有のものではない。
ほとんどの哺乳動物が、同じような意識をもっている。
逆に、そうした動物たちの縄張り意識を観察してみると、人間がもつ縄張り意識を
理解できることがある。
わかりやすい例でいえば、サルの世界がある。
イヌの世界も、そうである。

 そこでこの縄張り意識を、さらに解剖していると、そこに強烈な相互依存関係が
あるのがわかる。
「群れ意識」と言ってもよい。
とくにアジア系の民族は、この群れ意識が強い。
群れから離れることを恐れる。
それが強烈な相互依存関係となって、人間どうしを、縛る。
それが縄張り意識となり、さらに親戚づきあいとなる。

 だから親戚づきあいをやめるということは、それ自体が、恐怖心となって、
はねかえってくる。
相当の神経の持ち主でも、親戚づきあいを断ち切るということについては、
かなりの抵抗感を覚える。
言うなれば、親戚づきあいをやめるということは、自ら、「根」を切ることを
意味する。

●崩れる意識

 が、悪いことばかりではない。
日本は今、第二、第三の意識革命の波にさらされている。
日本人の意識が、そのつど大きく変化しつつある。

 葬儀にしても、葬儀すらしない人もふえている。
僧侶なしで、家族だけで、葬儀をすます人もふえている。
都会地域では、直葬方式で葬儀をすます人が、30%(中日新聞)にもなっている。
このあたりの地方でも、初盆、さらには一周忌の法要すらしない人も多い。
またそういう人たちが、過半数を超え、大勢をつくりつつある。

 親類づきあいにしても、田舎の農村地域は別として、ますます希薄になってきている。
それが悪いというのではない。
新しい形での(つきあい方)が始まっている。
さらに言えば、「おかしいものは、おかしい」と、声をあげる人もふえている。
そう、たしかにおかしい。
義理にしばられ、自分の主義主張をねじまげる。
どうしてそこまでして、葬儀に出なければならないのか?

●他人以上の他人

 言うまでもなく、(依存)と(自立)は、反比例の関係にある。
依存性の強い人は、それだけ、自立していないということになる。
自立している人は、それだけ、依存性が弱いということになる。
が、今、日本人も、ゆっくりだが、しかし確実に、欧米並みに、自立の道を
模索し始めた。

 私のばあいも、濃厚な親戚づきあいのある世界で、生まれ育った。
しかし振り返ってみて、その親戚が、何をしてくれたかというと、実のところ、
何もない。
父親系、母親系で、「おじ」「おば」と呼んだ人は、12世帯あったが、一泊でも
泊めてくれた人は、1人しかしない。
私の家が実家ということもあって、みな、平気で寝泊りをしていったが、その逆は
数えるほどしかない。

 兄弟姉妹ですら、付きあい方によっては、他人以上の他人になる。
Aさん夫婦、Bさん夫婦の例をあげるまでもない。
いわんや親類をや!

 私たちは私たちで、生きていく。
自立していく。
こうした生きざまは、そのまま国の生きざまとして反映されることもある。
が、それはともかくも、これを「後退」ととらえてはいけない。
私たちは、その一方で、新しい生きざま、人間関係を模索し、構築しつつある。
兄弟姉妹関係についても、表面的な義理ではなく、中身を見ながら構築しつつある。
またこの先、日本は、そういう方向に向かって進んでいく。

 恐れることはない。
心配することもない。
私たちは、自信をもって、前に進めばよい。
なぜなら、それが世界の常識。

 「義理を欠いた」と、排斥するようなら、排斥させておけばよい。
どうせ相手は、その程度の人間。
サルかイヌに近い意識しかない。
所詮、親戚づきあいというのは、その程度のもの。
繰り返すが、動物のもつ縄張り意識が変化したもの。
それ以上の意味は、ない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW BW教室 縄張り意識 親戚づきあい はやし浩司
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