2009年8月24日月曜日

*Aug 25th 2009

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   24日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(355)

●女性は家の家具?

 いまだに女性、なかんずく「妻」を、「内助」程度にしか考えていない男性が多いのは、
驚きでしかない。いや、男性ばかりではない。女性自身でも、「それでいい」と考えている
人が、二割近くもいる。たとえば国立社会保障人口問題研究所の調査(2000年)によ
ると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくしない」と答えた夫は、いずれも50%以上。
「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、76・7%いる。が、その反
面、「反対だ」と答えた女性も23・3%もいる。

 ここで「平等に負担」の内容だが、外で仕事をしている夫が、時間的に「平等に」家事
を負担することは、不可能である。それは当然だが、しかしこれは意識の問題。夫が「家
事を平等に負担すべき」と考えながら、妻の仕事をみるのと、夫が、「男は仕事さえしてい
ればそれでいい」と考えながら、妻の仕事をみるのとでは、その見方はまるで変わってく
る。

今の日本の現状は、男性たちが、あまりにも世の通俗的な常識に甘え、それをよいことに
居なおりすぎている。中には、「女房や子どもを食わせてやっている」とか、「男は家庭の
中でデーンと座っていればいい」とか言う人もいる。仕事第一主義が悪いわけではないが、
その仕事第一主義におぼれるあまり、家庭そのものをまったくかえりみない人も多い。

 ……というようなことを、先日、ある講演会で話したら、その担当者(男性)が講演の
あと、私にこう言った。「このあたりは三世代同居が多いのです。そういうことを先生(私)
が言うと、家族がバラバラになってしまいます。嫁は嫁として、家の中でおとなしくして
いてくれなければ、困るのです」と。

男性の仕事第一主義についても、「農業で疲れきった男が、どうして家事ができますか」と
も。私があきれていると、(黙って聞いていたので、納得したと誤解されたらしい)、こう
も言った。「このあたりの若い母親たちは、家から出て、こうした講演会へ息抜きにきてい
るのです。むずかしい話よりも、はははと笑えるような話をしてください」と。

 これには正直言って、あきれた。その男性というのは、まだ30歳そこそこの男性。今
の日本の「流れ」をまったく理解していないばかりか、女性の人権や人格をまったく認め
ていない。その男性は「このあたりは後進国ですから」とさかんに言っていたが、彼自身
の考え方のほうが、よっぽど後進国的だ。

それはともかくも、こんな現状に、世の女性たちが満足するはずがない。夫に不満をもつ
妻もふえている。厚生省の国立問題研究所が発表した「第2回、全国家庭動向調査」(19
98年)によると、「家事、育児で夫に満足している」と答えた妻は、51・7%しかいな
い。この数値は、前回1993年のときよりも、約10ポイントも低くなっている(93
年度は、60・6%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻も、5
2・5%もいた。当然だ。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(356)

●わだかまり論

 ほとんどの人は、自分の意思で考え、決断し、そして行動していると思っている。しか
し実際には、人は意識として活動する脳の表層部分の、その約20万倍※もの潜在意識に
よって「動かされている」。こんなことがあった。

 J君(小3)と父親は、「とにかく仲が悪い」という。母親はこう話してくれた。「日曜
日にいっしょに釣りに行ったとしても、でかけたと思ったら、その行く途中で親子げんか
が始まってしまうのです。風呂にもときどきいっしょに入るのですが、しばらくすると、
まず息子がワーツと泣き声をあげて風呂から出てくる。そのあと夫の『バカヤロー』とい
う声が聞こえてくるのです」と。

 そこでJ君を私のところへ呼んで話を聞くと、J君はこう言った。「パパはぼくが何も悪
いことをしていないのに、すぐ怒る」と。そこで別の日、今度は父親に来てもらい話を聞
くと、父親は父親でこう言った。「息子の生意気な態度が許せない」と。父親の話では、J
君が人をバカにしたような目つきで、父親を見るというのだ。それを父親は「許せない」
と。

 そこであれこれ話を聞いても、原因がよくわからなかった。が、それから一時間ほど雑
談していると、J君の父親はこんなことを言い出した。「そう言えば、私は中学生のとき、
いじめにあっていた。そのいじめのグループの中心にいた男の目つきが、あの目つきだっ
た」と。J君の父親は、J君が流し目で父親を見たとき、(それはJ君のクセでもあったの
だが)、J君の父親は、無意識のうちにも自分をいじめた男のめつきを、J君の目つきの中
に感じていた。そしてそれがこれまた無意識のうちに、父親を激怒させていた。

 こういうのを日本では、昔から「わだかまり」という。「心のしこり」と言う人もいる。
わだかまりにせよ、しこりにせよ、たいていは無意識の領域に潜み、人をその裏からあや
つる。子育てもまさにそうで、私たちは自分で考え、決断し、そして子育てをしていると
思い込んでいるが、結局は自分が受けた子育てを繰り返しているにすぎない。

問題は繰り返すことではなく、その中でも、ここに書いたようなわだかまりが、何らかの
形で、子育てに悪い影響を与えることである。が、これも本当の問題ではない。だれだっ
て、無数のわだかまりをかかえている。わだかまりのない人など、いない。そこで本当の
問題は、そういうわだかまりがあることに気づかず、そのわだかまりに振りまわされるま
ま、同じ失敗を繰り返すことである。

 そこであなたの子育て。もしあなたが自分の子育てで、いつも同じパターンで、同じよ
うに失敗するというのであれば、一度自分の心の中の「わだかまり」を探ってみるとよい。
何かあるはずである。この問題は、まずそのわだかまりに気がつくこと。あとは少し時間
がかかるが、それで問題は解決する。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(357)

●お人よしは、命取り?

このところ毎日のように、ウィルス入りのメールが届く。私のばあい、まずプロバイダ
ーが、ウィルス検査をしてくれる。この段階でウィルスが入っていると、そのメールを
削除したり修復したりしてくれる。(たいていはそのまま削除され、「削除しました」と
いう連絡だけが私に届く。)が、それでもすり抜けてくるメールがある。

それについては、今度は私のパソコン自体で検査する。この段階で、ウィルスが混入して
いれば、同じように削除する。で、それでも安心できない。私はさらにパソコンを使い分
ける。あるいはプレウィンドウ画面に表示する前に、(?)と思われるメールは削除すると
いう方法で対処している。が、だ。それでもすり抜けてくるメールがある。

私はメールアドレスを公開しているため、(ふつうは、こういう公開はしてはいけない)、
悪意をもった人からの攻撃を受けることがある。つい先日もその攻撃を受けた。あたか
も読者からの質問のような体裁を整えたメールだった。「うむ……?」と迷ったが、うか
つにも開いてしまった。恐らく市販のウィルス検査ソフトにひかからないように、自分
で改変したウィルスだったのだろう。とたんパソコンの動きがおかしくなった。もっと
もそれほど悪質なウィルスではなかったようで(?)、簡単な操作で修復できたが、ウィ
ルスによってはシステム全体を破壊されることもある。

インターネットの世界では、お人よしは命取りになる。「あやしい」と思ったら、即、削
除、また削除。これしかない。しかし、それは口で言うほど、簡単なことではない。自
分の中に本来的にある、「人格」、つまり私のばあい、「お人よし」との戦いでもある。「ひ
ょっとしたら子育てで困っている人からのメールかもしれない」「少し(件名)がおかし
いが、まだパソコンになれていない人からのものかもしれない」と思ってしまう。

そのメールを開いたときもそうだ。そう思って開くと、わけのわからない相談内容。一応
子育ての相談ということになっていたが、どこかトンチンカンな内容だった。「しまった!」
と思ったときには、もう遅かった。

私は改めて、こんなメモをパソコンの上に張りつけた。「あやしげなメールは、即、削除。
お人よしは命取り」と。しかしそれを張りつけたとき、別のところで、自分の人格がま
た一つ削られたような気がした。「私はもともとそんなクールな人間ではないのになあ」
と。しかしそうであるからこそ、また心に誓う。「あやしげなメールは、即、削除」と。
そういうことを誓わねばならないところに、インターネットの問題点が隠されている。 





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(358)

●子どもの表情

 昔から、『子どもの表情は親がつくる』という。事実そのとおりで、表情豊かな親の子ど
もは、やはり表情が豊かだ。うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには
悲しそうな顔をする。(ただし親が無表情だからといって、子どもも無表情になるとはかぎ
らない。)しかしこの「表情」には、いろいろな問題が隠されている。

 その一。今、表情のない子どもがふえている。「幼稚園児でも表情のとぼしい子どもは、
全体の二割前後はいる」と、大阪市にあるI幼稚園のS氏が話してくれた。程度の問題も
あり、一概に何割とは言えないが、多いのは事実。私の実感でも二割という数字は、ほぼ
的確ではないかと思っている。ほかの子どもたちがドッと笑うようなときでも、表情を変
えない。うれしいときも悲しいときも、無表情のまま行動する、など。

(最近では、サイレントベービー論を否定する説が優勢になってきた。生まれつきという
よりは、親の拒否的育児姿勢によってそうなると考えるのが常識的になってきた。200
9年7月。)

 原因のひとつに、乳幼児期からのテレビ漬けの生活が考えられる。そのことはテレビを
じっと見入っている幼児を観察すればわかる。おもしろがっているはずだというときでも、
またこわがっているはずだというときでも、ほとんど表情を変えない。保育園や幼稚園へ
入ってからもそうで、先生が何かおもしろい話をしても、ほとんど反応を示さない。あた
かもテレビでも見ているかのような感じで先生の方をじっと見ている。

このタイプの子どもは、ほかに、吐き出す息が弱く、母音だけで言葉を話すなどの特徴も
ある。「私は林です」を、「ああいあ、ああいえう」というような話し方をする。こうした
症状が見られたら、私は親に、「小さいときからテレビばかり見ていましたね」と言うこと
がある。親は親で、「どうしてそんなことがわかるのですか?」と驚くが、タネを明かせば、
何でもない。が、この問題はそれほど深刻に考える必要はない。やがて園や学校生活にな
れてくると、表情もそれなりに豊かになってくる。

 その二。子どものばあい、とくに警戒しなければならないのは、心(情意)と表情の遊
離である。悲しいときにニコニコと笑みを浮かべる、あるいは怒っているはずなのに、無
表情のままである、など。心(情緒)に何か問題のある子どもは、この遊離現象が現れる
ことが多い。たとえばかん黙児や自閉症児と呼ばれる子どもは、柔和な表情を浮かべたま
ま、心の中ではまったく別のことを考えていたりする。そんなわけで逆に、この遊離が現
れたら、かなり深刻な問題として、子どもの心を考える。

とくに教育の世界では、心と表情の一致する子どもを、「すなおな子ども」という。いや
だったら「いや」と言う。したかったら、「したい」と言う。外から見ても、心のつかみ
やすい子どもをすなおな子どもという。表情は、それを見分ける大切な手段ということ
になる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(359)

●親しみのもてる子ども

 こちらが親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、その親切や、やさしさがそのま
ま、スーッと心の奥深くまで染み込んでいくのがわかる子どもがいる。そういう子どもを、
一般に、「親しみのもてる子ども」という。

一方、そういう親切や、やさしさがどこかではね返されてしまうのを感ずる子どももいる。
ものの考え方が、ひねくれていたりする。私「今日は、いい天気だね」、子「今日は、いい
天気ではない。あそこに雲がある」、私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるか
ら、いい天気ではない」と。

 親しみのもてる子どもとそうでない子どもの違いは、要するに心が開いているかどうか
ということ。心が開いている子どもは、当然のことながら、心の交流ができる。その心の
交流が、互いの親近感をます。そうでなければそうでない。

 そこであなたとあなたの子どもの関係はどうだろうか。あなたは自分の子どものことを、
親しみのもてる子どもと思っているだろうか。それともどこかわけのわからない子どもと
思っているだろうか。こんなチェックテストを用意してみた。

(1) あなたの子どもは、あなたの前で、したいことについて、「したい」と言い、したく
ないことについては、「いやだ」と、いつもはっきりと言う。言うことができる。

(2) あなたの子どもはあなたに対して、子どもらしい自然な形で、スキンシップを求め
てきたり、甘えるときも、子どもらしい甘え方をしている。甘えることができる。

(3) あなたの子どもが何かを失敗し、それをあなたが注意したり叱ったとき、子どもが
なごやかな言い方で、「ごめんなさい」と言う。またすなおに自分の失敗を認める。

 この三つのテストで、「そうだ」と言える子どもは、あなたに対して心が開いているとい
うことになる。そうであれば問題はないが、そうでなければ、あなたの子どもへの接し方
を反省する。「私は親だ」式の権威主義、ガミガミと価値観を押しつける過干渉、いつもピ
リピリと子どもを監視する過関心など。さらに深刻な問題として、あなた自身が子どもに
対して心を開いていないばあいがある。

子どものことで、見え、メンツ、世間体を気にしているようであれば、かなり危険な状態
であるとみてよい。さらに子どもに対して、ウソをつく、心をごまかす、かっこうをつけ
るなどの様子があれば、さらに危険な状態であるとみてよい。あなたという親が子どもに
心を開かないで、どうして子どもに心を開けということができるのか。

 子どもの心が見えなくなったら、子どもの心が閉じていると考える。「うちの子は何を考
えているかわからない」「何をしたいのかわからない」「何かを聞いてもグズグズしている
だけで、はっきりしない」など。この状態が長く続くと、親子の関係は必ず断絶する。も
しそうなればなったで、それこそ、子育ては大失敗というもの。親しみのもてる子どもを
考えるときには、そういう問題も含まれる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(360)

●被害妄想(心配過剰)

 こんな話を聞いたら、あなたはどう思うだろうか。「Aさん(32歳女性)が、子ども(4
歳)と道路を歩いていたときのこと。うしろからきた自転車に、その子どもがはねられて
しまった。子どもはひどく頭を打ち、救急車がくるまで意識がなかった。幸いけがは少な
くてすんだが、やがて深刻な後遺症があらわれた。

子どもから集中力がなくなり、こまかい作業ができなくなってしまった。事故のとき、脳
のある部分が酸欠状態になり、それで脳にダメージを与えたらしい。で、その事故から5、
6年になるが、その状態はほとんどかわっていない」と。

 こういう話を耳にすると、母親たちの反応はいろいろに分かれる。(1)他人の話は他人
の話として、自分の子どもとは切り離すことができるタイプ。(2)「自分の子どもでなく
てよかった」と思い、「自分の子どもだったら、どうしよう」と、あれこれ考えるタイプ。

ふつうは(「ふつう」はという言い方は、適切でないかもしれないが)、(1)のように考え
る。しかし心配性の人は、(2)のように考える。考えながら、その心配を、かぎりなく広
げていく。「歩道といっても安全ではない」「うちの子もフラフラと歩くタイプだから心配
だ」「道路を歩くときは、うしろも見なくてはいけない」など。

 もしあなたがここでいう(2)のタイプなら、子育て全体が、心配過剰になっていない
かを反省する。こうした心配過剰は、えてして妄想性をもちやすく、それが子育てそのも
のをゆがめることが多い。過保護もそのひとつだが、過干渉、過関心へと進むこともある。

ある母親は、子ども(小四女児)が遠足に行った日、日焼け止めクリームを渡すのを忘れ
た。そこで心配になり、そのクリームをわざわざ遠足先まで届けたという。「紫外線に多く
あたると、おとなになってから皮膚ガンになるから」と。また別の母親は、息子(小6)
が修学旅行に行っている間、心配で一睡もできなかったという。「どうして?」と私が聞く
と、「あの子が皆にいじめられているのではないかと心配でなりませんでした」と。

 もっともこうした妄想性が自分の範囲でとどまっているなら、まだよい。しかしその妄
想性が他人に向けられると、大きなトラブルの原因となる。ある母親は、自分の息子(中
1) が不登校児になったのは、同級生のB男のせいだと思い込んでいた。そこで毎晩
のようにB男の母親に電話をしていた。いや、電話といっても、ふつうの電話ではな
い。夜中の2時とか3時。しかもその電話が、ときには1時間とか2時間も続いたと
いう。

 こうした妄想性は、いわばクセのようなもの。一度クセになると、いつも同じようなパ
ターンで考えるようになる。どこかでその妄想性を感じたら、できるだけ軽い段階でそれ
に気づき、そこでブレーキをかけるようにする。たとえば冒頭の話で、あなたが(2)の
ように考える傾向があれば、「そういうふうに考えるのはふつうでない」とブレーキをかけ
る。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●実家を売る(2)

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実家を売ることにした。
買い主の言い値で、売ることにした。
現在、その相手と交渉を進めている。
「損」とか「得」とかは、考えない。
そういうのではない。
私は早く、あの実家とは縁を切りたい。
ついでに郷里とも、縁を切りたい。
それが目的だから、価格など、関係ない。
どうでもよい。

+++++++++++++++++++

●故郷

 一抹のさみしさは、ある。
ないとは言わない。
しかしそれ以上に、うれしい。
「うれしい」というよりは、気持ちが軽い。
心に張り付いた、重荷がこれでやっと、はずせる。
私にとって、「実家」というのは、そういうもの。
「故郷」というのは、そういうもの。
それがやっと、はずせる。

●縁を切る

 同時に法事の問題もある。
実兄と実母の一周忌がつづく。
墓の問題もある。
しかしあとは、成り行き。
成り行きに任せる。
なるようになる。

 そのときは、そのとき。
陰でいろいろ言っている人もいるようだ。
だれかがひとりで、騒いでいる。
が、言わせておけばよい。
気にしない。
「故郷と縁を切る」ということには、そういう意味も含まれる。

●相続

 昨日、20年来の友人(SGさん、男性、64歳)と、話した。
その友人は、8人兄弟の長男。
広い農地をもっている。
それでこう言った。
「ご先祖様には、感謝しなくちゃア」と。

 実父が死んだときのこと。
遺産相続でもめないようにということで、
葬儀の席で、現金を兄弟たちに分配したという。
その額、1人あたり、1000万円。
それを条件に遺産相続を、放棄してもらった。
「たいへんでしたね」と私が言うと、
「(兄弟どうしで)もめるのは、いやだからねエ」と。

●人それぞれ

 SGさんの親のように、多額の遺産を残す親もいれば、その一方で、
借金を残す親もいる。
借金どころか、隠し子を残す親さえいる。
遺族たちは、葬儀の席でそれを、はじめて知ったりする。

 私のばあいは、そうした問題は、とくになかった。
遺産といっても、60坪と33坪の土地だけ。
(それだけでもありがたいが……。)

が、それ以上に、母が死んだとき、同時にあの重圧感から解放されたのが、うれしかった。
ほっとした。
葬儀のあと、ぼんやりとした気分がつづいたが、それは母を失ったさみしさというよりは、
自分の過去の一部が切り取られたようなさみしさだった。
ポッカリと穴があいたような気分だった。
今度も実家を売ることになって、似たようなさみしさを感じている。

 二度とあの時代は戻ってこない。
あの時代に帰ることもない。

●SGさん

 SGさんのばあいは、地目がまだ農業用地のとき、父親名義から自分名義に
書き換えておいたという。
その直後、都市計画法による大規模開発の計画地に組み込まれ、多額の現金が手に入った。
それでそういうこと、つまり兄弟たちに現金を渡し、遺産相続を放棄させることができた。
SGさんが、「ご先祖様」と、「ご」と「様」をつける理由は、そこにある。
しかし私のばあいは、逆さまに吊るされても、そういう言葉は出てこない。

 私が親不孝者なのか。
できそこないなのか。
それとも、こういう私にしたのも、親の責任なのか。

●私の父

 私の母は、住職の妻とまちがえられるほど、寺に入りびたりだった。
そのことで父と母は、いつも言い争っていた。

 一方、父は、私が知るかぎり、ただの一度も墓参りなるものをしていない。
父が墓参りして、手を合わせている姿を、見たことがない。
祖父にしても、そうだ。
そう言えば、父や祖父が、家の中の仏壇に手を合わせている姿さえ、私の記憶の中には
ない。
私は、そういう祖父や父の死生観を、しっかりと、受け継いでしまった(?)。

●一周忌

 郷里に住む知人にたずねたところ、盆供養にせよ、一周忌にせよ、それをするか
しないかは、喪主が決めればよいとのこと。
実際には、しない人もふえているという。

 「しなくてもいいものですか?」と、私が驚いていると、「しなくても、寺は何も
言ってきませんよ」と。

私「しかしお墓があります……」
知「寺のほうで管理してくれていますか」
私「寺とは離れた場所にありますから……」
知「それなら、放っておけばいいでしょう」
私「……そういうものですか。知りませんでした」と。

●心の問題

 形だけやればよいという問題ではない。
若いころならともかくも、今さら自分の哲学をねじまげるもの、難儀なこと。
「妥協」という言葉もあるが、妥協するのも疲れた。
私の生まれ故郷は、冠婚葬祭だけは、派手にする地域である。
そのたびに、莫大な費用がかかる。

 だからやはり、ここは心の問題ということになる。
心が通じていれば、お金の問題など、何でもない。
たとえば私の息子たちは、結局は3つずつ、大学を出た。
長男は、キャxx大学、メルxx工科大学、東海xx学校。
二男は、ワチxx大学、ヘンダxxx大学、インxxxx大学。
三男は、横xx大、フリxxx大学、航x大学。

 しかし一度だって、学費を惜しんだことはない。
心が通じ合っているときというのは、そういうもの。
心が通じていないときは、たとえ1万円でも、惜しい!

●さて、どうするか?

 「実家」で、私は、60年間、苦しんだ。
残りの人生がどれだけあるか私にはわからない。
が、せめて残りの人生くらいは、実家を考えないで、過ごしたい。
この解放感を大切にしたい。
10年か、20年か?

 世の中には、『子はかすがい』という諺(ことわざ)がある。
同時に『子は、三界の足かせ』ともいう。
これらをもじると、こうなる。
『家族は、かすがい』『家族は、三界の足かせ』と。

 (かすがい)にするか、(足かせ)にするかは、結局は親しだいということ。
私自身の心境を弁解するつもりはないが、それは私という子どもの責任ではない。
つまり私という子どもの責任では、ない。

 今の私が、「私」。
これが「私」。
あとはすべて、私自身の判断ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++July・09++++++++++はやし浩司

●文章

++++++++++++++++++++

文章というのは、しばらく書かないでいると、書けなくなる。
方向が定まらない。
的確に自分の考えを、まとめられない。
文章のリズムさえ、つかめなくなる。
「漢字」については、さらにそうした現象が、顕著に現れる。
少し前だが、どこかのショッピングセンターで、「札幌」という漢字が書けなくて、
恥ずかしく思ったことがある。

そういうのを、度忘れというが、では、読解力は、どうなのか?
読解力も、同じように考えてよいのか。
たとえば私は最近、読解力が低下したのか、ときどき目の前の
文章がよく理解できないときがある。
今は、グラフィック(画像)編集ソフトに取り組んでいる。
説明書を、眠る前に毎晩、読んでいる。
しかしどうも意味が、よくわからない。
カタカナ文字ばかりで、チンプンカンプン。
集中力そのものが、鈍ってきた。

 どうしたことか?

++++++++++++++++++++ 

●認知症

 またまた認知症の話。
私の世代の者たちにとっては、認知症は、深刻な問題である。
だれがそうであっても、「明日は我が身かな」と考える。
で、読解力が低下したことについて、「これは認知症によるものではないか」と、
ふと、心配になる。

 何かの方法で、自己診断することはできないものなのか。
たとえばこんな文章を考えてみた。
一読して、意味がスラスラとわかったら、あなたはかなりの読解力があるということに
なる。

【テスト】

(1) 叔母の義理の姉が、私の妹の夫と昔からの知り合いで、義理の姉の息子が、
今、妹の娘を学校で教えている。

(2) 新アカウントでログオンし、デスクトップに「USMxxxx」という
フォルダーが作成されていることを確認したあと、「ファイルと設定の転送ウィザード」
を起動して画面を進め、「転送先」を選んでクリックする。 

 (1)は、関係が複雑。
頭の中で系図を描きながら聞かないと、意味がわからない。
(2)は、用語が縁門的。
コンピュータに通じていないと、意味がわからない。

 別の知人(女性、現在65歳)は、今回、アルツハイマー病と診断された。
その知人のばあい、その数年ほど前から、文章が読めなくなったという。
生命保険会社から送られてきた書類だったというが、「こんなもの、私が読んでも
わからない!」と叫んで、それを手で払いのけてしまったそうだ。
 
 そういうこともあるから、この問題を軽く考えてはいけない。

●集中力と拡散力

 ここで集中力の話を書いたので、拡散力についても、書いておきたい。
「拡散力」というのは、私が考えた言葉である。

 集中力というのは、ある特定のことがらに神経を集中させることをいう。
それに対して拡散力というのは、四方八方に、注意力を分散させることをいう。
具体的に考えてみよう。

 たとえば台所で、漢方薬を煎じていたとする。
弱火で、30~40分ほど、煮込まなければならない。
と、そのとき庭を見ると、キュウリの棚が、風にあおられて、大きく傾いて
いるのが目に付いた。
ほかの野菜も、水が不足しているのか、元気がない。
私は庭へ出る。
とたん犬のハナが小屋から出てきて、おやつをねだる。
私はキュウリの棚を直す。
水道の蛇口をひねって、大きな水がめに、水を注ぐ。

 こういう状況のとき、ひとつのことをしながらも、あちこちに注意力を分散しなければ
ならない。
これが拡散力である。
が、このとき拡散力が鈍くなると、ひとつのことに気を奪われるあまり、水道の蛇口を
閉め忘れたり、ガスコンロの火を消し忘れたりする。
加齢ともに集中力が鈍くなることは、あちこちで指摘される。
しかし同じように、拡散力も鈍くなる。

●文章力

 それに文章力というときには、「鋭さ」も含まれる。
「切り込みの深さ」ともいう。
ただ誤解がないように言っておくが、難解な文章イコール、(深い)ということではない。
文章というのは、平易であればあるほど、よい。
読みやすければ読みやすいほど、よい。

 大切なのは、中身。
その中身で決まる。
たとえば名文中の名文と言われている文章に、『方丈記』がある。

『行く川の流れは絶えずして、

しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。
世の中にある人と住家すみかと、またかくの如し』と。

わかりやすい文章だが、一文読むごとに、はっと我に返る。
それが(深さ)ということになる。
(鋭さ)ということになる。

 しばらく文章から遠ざかっていると、その(鋭さ)が消える。
……というより、毎日書きつづけているからこそ、文章というのは書ける。
そういう習慣の中から、(鋭さ)が、生まれる。
鋭い文章というのは、書こうとして書けるものではない。
書いているうちに、そこにキラリと光る。
「何だろう?」と思ってみると、それが(鋭さ)ということになる。

●駄文

 で、このところ私が書く文章が、ますます駄文化しているのが、よくわかる。
あとで読み直してみたり、それ以前に書いた文章と読み比べてみると、それがわかる。
どうでもよいことを、ダラダラと書いている。
この文章にしても、そうだ。
(鋭さ)がどこにもない。
あえて言うなら、「拡散力」という言葉を考えたところ。
それはひとつの収穫だが、それ以外に、見るべきものがない。
読むに耐えないというか、つまらない。
だから、この話は、ここでストップ。

 一度、気分を変えてみる。
明日は、ワイフと近くの温泉に行くことになっている。
それに期待したい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)

++++++++++++++++++++++++++

脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」という
ことを感じ取る部分。
摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを
感じ取る部分。

ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを
知った。

女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの
満腹中枢に隣接しているという。
一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、
摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思議」
日本文芸社)。

新しい考え方、ゲット!

(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行動」を、「Sックス」など
というように、表記します。)

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●男性と女性のちがい

 「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。

『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、
それは、このSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも
考えられます。
 
 男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これも
Sックス中枢の位置に関係していそうです。

 つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が
起こるように脳がつくられているのです』と。

 しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの
約2倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。

 なるほど!

 で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。

●男と女

 所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の
不思議」の中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。

 そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。

 それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそ
たいへんなこと(?)になってまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。
(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということ
になる。

●満腹中枢vs摂食中枢

 満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場で
しかない。
が、それにしてもおもしろい。

 が、疑問がないわけではない。

 女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も
刺激され、満腹感が生まれるということになる。

 他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、
空腹感が生まれるということになる。

 ……あるいは、その反対なのか?

 そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)

 腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。

 ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。

 どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 満腹中枢 摂食中枢 視床下部)


Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●離婚と離縁(ある離婚劇)

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熟年離婚がふえている。
正確には、婚姻歴20年以上の人の離婚を、「熟年離婚」という。
その熟年離婚が、この20年間で、4倍にふえているという。

そんな中、3年前、私の知人が、離婚した。
婚姻歴は、ちょうど20年。
子どもも、2人、いる。
現在、高校生と中学生。
離婚したといっても、事情が、やや複雑。
知人、つまりその男性は、養子縁組をして、妻側の戸籍に入っている。
しかも筆頭。
こういうケースのばあい、離婚したからといって、即、離縁ということにならない。
(昔は、離婚、即離縁ということになったが、現在は戸籍法が変わり、離婚と離縁は、
まったく別のものとして扱われている。)

知人側は、妻側の父親の保有している財産の分与を求めている。
一方、妻側は、「1円も渡さない」と、がんばっている。

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●泥沼化

 知人のケースのばあい、離婚しても、戸籍上は、妻側の両親の「子(=養子)」としての
身分は残ったまま。
繰り返すが、離婚(=婚姻関係の解消)と離縁(=養子縁組の解消)は、まったく別。
別の事項として扱われている。
妻の実父が死去すれば、当然のことながら、遺産相続権を行使することができる。
そこで妻側は、知人に離縁に応ずるように求めているが、知人側は、それを拒否。
それがこじれに、こじれて、泥沼化。

 離婚してすでに3年になるが、養子縁組は、そのままになっているという。
知人側の言い分しか聞いていないが、内情は、こういうことらしい。

(1) 離婚したとき、私(=知人)には、責任はなかった。
一方的に、妻側から、「性格の不一致」を主張された。
(2) 妻側の両親と同居し、両親の生活を支えてきた。

 一方、妻側の母親は、数年前に死去。
昔からの財産家で、もし父親が死去すれば、莫大な財産が、知人のものとなる。

 で、こういうケースのばあい、個人が役所へ出かけていって、自分で解決するのは、
たいへん難しい。
家庭裁判所で調停するといっても、そうは簡単にいかない。
相手の妻(実際には元妻)も応じないだろうして、たいていその場で、喧嘩もんかに
なる。
さらに財産分与、養育費、慰謝料の問題のほか、知人が戸籍の筆頭になっているため、
戸籍を「抜く」ということもできない。
できなくはないが、手続きが複雑。
そんなわけで、弁護士に相談するのが、いちばん、よい。
ワイフを通して、そういう相談があったので、私は、そう答えておいた。

●養子縁組は慎重に

 もちろん養子縁組をしても、その後、良好な家族関係を築いている人も多い。
しかし少数とはいえ、私の知人のようなケースも、ないわけではない。
が、こと養子縁組ということになれば、慎重にしたほうがよい。
知人のケースでも、婚姻届だけを出して、妻側の家に同居するという方法も
なかったわけではない。
昔は、これを「入り婿」と言った。
(女性が結婚して、夫側の家庭に入ったばあいが、それに相当する。)
そうすれば万が一、離婚ということになっても、手続きが楽。

 ともあれ、こうした問題は、一度こじれると、とことんこじれる。
「他人は、やはり、他人」となる。

 離婚劇にもいろいろあるが、ここまで複雑となるケースは、そうはない。
話を聞いていて、私自身も、頭の中がゴチャゴチャになってしまった。
だからやはり、ここはプロ、つまり弁護士に任せた方がよいということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 離婚劇 離婚 離縁 養子縁組 養子縁組解消)


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