2009年8月19日水曜日

*Meta-Consciousness

●メタ認知(認識)(解離性人格障害)

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自分の現在の脳みその活動を、客観的に
認識することを、「メタ認知(認識)」という。
「メタ」というのは、「超えた」という意味。
「認識を超えた認識」という意味で、「メタ
認識」という。

たとえば空腹感を覚えたようなとき、
「ああ、血糖値がさがっているぞ。視床下部の
センサーがそれを感知しているぞ。
ドーパミンが線条体を刺激し始めたぞ……」と。

目には見えないが、脳のメカニズムがある程度
わかってくると、具体的にそれを知ることができる
ようになる。
自分の中に起きている変化を、客観的に認識する
ことができるようになる。
それが「メタ認知(認識)」。
新しい言葉なので、用語の使い方がまちがっているかも
しれないが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

で、たとえばパソコンのOSにビスタがある。
このビスタには、自己評価能力という機能が
ついている。
それぞれの機能を、6点満点法で表示してくれる。
これなどは、メタ認知(認識)ということになる。
自分で自分をテストして、自分の能力を調べる。

で、ふとこんなことを考える。
人間も、似たようなことはできないものか、と。

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●解離性人格障害

 「人格障害」というと、ゾッとする人も多いかもしれない。
しかしこと、この「解離性人格障害」について言えば、程度の差こそあれ、ほとんどの
人に、その傾向が見られる。

 本来の「私」はいるのだが、興奮したようなとき、あるいは攻撃的になったようなとき、
もっとわかりやすい例では、カッと頭に血が上ったようなとき、別人のようになる人は
多い。
そのとき、通常の人とちがう点は、人格そのものまで変化するということ。
ふだんは平和主義者の人が、そういう状態になったとたん、虚無主義者になったりする。
淋しがりやの人が、孤独に強くなったりする。

 実は、私もそうで、それに気づくまでに、20年以上の年月がかかった。
つまり病識そのものが、なかった。
そういう自分を薄々知りながらも、「私はまとも」と思っていた。
しかし私は、(まとも)ではなかった。

 「解離(かいり)」というのは、主人格がちゃんとあって、そのつど、副人格が優勢に
なる状態をいう。
主人格との間に、連続性はない。
あるいは副人格になったときでも、主人格ははっきりとそれを自覚していて、一方の側から、「やめろ」とか、「今のお前はおかしい」とか、口を添えたりする。

●解離性性格

 で、こういう話をすると、たいていの人は、「そういえば、私にも似たようなところが
ある」と言い出す。
他人の心の奥までは覗くことはできないが、もしそうであるなら、「人格障害」という
診断名は、少し仰々しすぎるのでは?
「解離性性格」でもよいのではないか。
たとえばアルコールが入ったとたん、別の人間のようになる人は多い。
ふだんは、気が弱く、おとなしく静かだった人が、アルコールが入ったとたん、気が
大きくなり、大声でわめき散らしたりする。

●病識の自覚

 ここでの目的は、解離性人格障害について書くことではない。
目的は、そうした問題が自分自身にあるとき、どうすれば、それを自分で知ることが
できるかということ。

 たとえば精神疾患の世界には、「病識」という言葉がある。
同じ精神疾患でも、「私は病気」と気がついている、つまり病識がある人は、まだ軽いの
だそうだ。
が、それがさらに進むと、その病識がなくなる。
「私はどこもおかしくない」とがんばる人ほど、重症ということになる。

 では、病識のある・なしは、どこで決まるのか。
 
 ひとつには、知識と経験ということになる。
そういう点では、他人の病気を知ることは、たいへん、役に立つ。
たとえば今、私は認知症の高齢者にたいへん興味がある。
そういう人たちをたくさん見ておくことによって、自分の変化をより的確に知ること
ができるようになる。

●脳のCPU

 が、脳のCPUそのものが狂ってしまっていたら、どうなのか。
言うなれば狂った頭を、狂った頭で判断するようなもので、理論上は、メタ認知(認識)できない
ということになる。

 よい例が、幻覚。

 私はチョコレートをたくさん食べると、脳の様子が変調する。
おかしくなる。
一種の覚醒作用か?

具体的にはどういう作用によるものかはわからないが、脳みそが勝手に暴走し始める。
10年ほど前、一度、そういう経験をしてから、それが恐ろしくなり、以後、チョコ
レートは、ほとんどといってよいほど、口にしていない。
(そのときは、バレンタインディーか何かで、休み時間ごとに、パクパクと
チョコレートを食べた。)
 
 そのときの症状は、別のどこかですでに書いたことがある。
たとえばこうである。
 
 頭の中に、2本の物干し竿が浮かんでくる。
具体的に、その映像が頭の中に映ってくる。
それについて、「人生の真理は、2本の物干し竿である」というように考え始める。
私が意図的に考えるのではなく、勝手に脳みそがそう考え始める。
(物干し竿)と(真理)の間には、連続性は、まったくない。
で、ふと、我に返る。
我に返って、それを頭から、振り払う。
が、つぎの瞬間には、また別のことを考え始める……。

 それは不気味というよりは、恐怖だった。
「頭が狂うということは、こういうことだ」と知った。

 そのときの経験から、CPUが狂ったときには、それを自分でコントロールするのは、
たいへんむずかしいということを知った。

●では、どうすればよいか
 
 要するに、(心の問題)は、それがどんなものであれ、うまくつきあうしかない。
たとえばうつ病にしても、約30%の人が罹患すると言われている(アメリカ)。
日本人は、どこかいいかげんな精神構造をもっているので、それよりは少ないと
言われている。

 仮に30%とするなら、それは「病気」というよりは、(病気であることには
まちがいはないが……)、「人間が本来的にもつ性質」のようなもの。
少なくとも、特別視するほうがおかしい。

 だったら、あとはうまくつきあう。
つきあうだけ。
つきあいながら、それ以上、症状を重くしないことだけを考える。
「直そう」とか「治そう」と考えれば考えてはいけない。
そう考えて、自分を追い込めば追い込むほど、自分を苦しめることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 メタ認知(認識) 病識 解離性人格障害 剥離性人格障害 はやし浩司 メタ認識 メタ認知)

(補記)

●メタ認知(追記)

 今日、ドライブしながら、ワイフに、メタ認知の説明をした。ワイフは、たいへん興味深そうに、私の話を聞いてくれた。

 メタ認知……わかりやすく言えば、自分の思考プロセスを、客観的に意識化することをいう。私が、「人間が知覚する意識の中でも、最高度のものだよ」と説明すると、「ふ~ん」と。

私「なぜ、自分がそのように行動し、考えるかという、そのプロセスを知ることだよ」
ワ「それがわかったからといって、どうなの?」
私「自分で、自分をコントロールすることができるようになる」
ワ「そうねえ。自分がなぜ、そのように行動し、考えるかがわかれば、自分で自分をコントロールするのは、簡単ね」
私「そうなんだよ」と。

 私が、なぜ、こうして毎日文を書いているかと言えば、その原点に、(生)があるからである。その(生)を確認するために、文を書いている。それはまさしく、(生との闘い)と言ってもよい。そういうプロセスを知ることが、メタ認知ということになる。それを話しているとき、若い男が運転する、ランドクルーザーとすれちがった。横には、若い女性が、乗っていた。

私「ほら、あの男。自分では、自分で考えてあの車を買ったつもりでいる。しかし実際には、自分の力不足を、ごまかすために、あの車を買ったのかもしれない。ランクルに乗っているだけで、大物になったような気分になれる」
ワ「でも、本人は、それには気づいていないわね」
私「気づいていない。自分の中の、奥深くに潜む意識によって、操られている。おそらく説明しても、あの男性には、理解できないだろうね」と。

 その男性は、(生的エネルギー)(ユング)というよりは、(性的エネルギー)(フロイト)のほうに、強く操られていたかもしれない。常識で考えれば、あれほどまでに若い男が、600~800万円もするような高級車に乗れることのほうが、おかしい。

 言いかえると、性的エネルギーは、それほどまでに強力ということ。が、それはそのまま私たち自身の問題ということになる。

 私たちは、今、なぜ、今のような行動をし、今のように考えるか。行動の内容や、考えの内容は、どうでもよい。問題は、なぜそのような行動をし、考えるかを知る。それがメタ認知ということになる。

私「もし精神疾患をもった人が、自分を客観的にメタ認知できるようになったら、自分で自分の病気を克服できるようになるかもしれないね」
ワ「すごいことね」
私「そう、すごいことだ。が、重度の患者ほど、『私は正常だ』『どこも悪くない』と言ってがんばる。つまりメタ認知ができないということになる」と。

 こんな例が適切かどうかは、知らない。が、こんなこともある。

 空腹になってくると、血糖値がさがってくる。同時に脳間伝達物質が、減少してくる。すると、精神的に不安定になる。人によっては、怒りっぽくなったり、イライラしたりするようになる。

 その怒りっぽくなったり、イライラしたようなとき、自分を客観的にメタ認知できたら、どうだろうか。「ああ、今、怒りっぽくなっているのは、空腹のせいだ」と。それが自分でわかる。そうすれば、自分の感情を、その時点でコントロールすることができるようになる。

 で、そのときも、そうだった。私はそれを感じたので、ワイフに、「どこかで食事しようか」と声をかけた。ワイフは、それに快く応じてくれた。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

【生の源泉】

● 生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of the brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is not all. I understand the hypothalamus is the source of life itself.

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おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、
太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、
コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、
脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、
「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、
発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、
確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている
組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、
わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「Sックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、Sックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、
それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、
それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、
悪の道に走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に
置いたが……。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、
そのバリエーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、
なまめかしい女性の形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、
それらが急速に普及した背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、
それもよくわかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、
まるでちがう。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモン
などが、食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを
発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。それに、まずそう?
もう1軒は。値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、
「今、前頭前野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、
適確により分けることができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、
できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを
設置してみたりする。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかも
しれないが、実際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 視床下部 辺縁系 やる気)


Hiroshi Hayashi++++++++MAR.08++++++++++はやし浩司

●仮説(Hypothesis)
In the middle of the brain, there may be a center which gives orders to the whole brains. The limbic system filters these orders to the one, which may be understood by other brains. Then brains give orders to each part of the body. The orders are controlled by the frontal part of the brain. This is my hypothesis. …sorry about my improper use of words )

+++++++++++++++++

電車の中。
春うららかな、白い光。
その白い光の中で、1人の若い女性が
化粧を始めた。
小さな鏡をのぞきこみ、
口紅を塗っていた。

私はその光景を見ながら、
ふと、こう思った。

「彼女は、自分の意思で化粧をしているのか?」と。

私がその女性にそう聞けば、100%、その女性は、
こう答えるにちがいない。

「もちろん、そうです。私の意思で、化粧をしています」と。

しかしほんとうに、そうか?
そう言い切ってよいのか?

ひょっとしたら、その女性は、
「私でない、私」によって、操られているだけ。

+++++++++++++++

昨日、新しい仮説を組み立てた。
人間の生命と行動に関する仮説ということになる。
それについては、昨日、書いた。

仮説(1)

人間の脳みその奥深くに、(生命力)の中枢となるような部分がある。
最近の研究によれば、視床下部あたりにそれがあるらしいということが、わかってきた。
視床下部というは、脳みその、ちょうど中心部にある。

仮説(2)

その(生命力の根源)となるような部分から、脳みそ全体に、常に、
強力なシグナルが発せられている。
「生きろ!」「生きろ!」と。

生命維持に欠かせない、たとえば食欲、生存欲、性欲、支配欲、闘争欲などが、
そのシグナルに含まれる。

これらのシグナルは、きわめて漠然としたもので、私は、「生(なま)の
エネルギー」と呼んでいる。

仮説(3)

この生のエネルギーは、一次的には、辺縁系という組織で、フィルターに
かけられる。
つまり漠然としたエネルギーが、ある程度、形をともなったシグナルへと
変換される。

やる気を司る帯状回、善悪の判断を司る扁桃核、記憶を司る海馬などが、
辺縁系を構成する。

つまりこの辺縁系で一度フィルターにかけられた生のエネルギーは、志向性を
もったエネルギーへと、変換される。
このエネルギーを、私は、「志向性エネルギー」と呼んでいる。

仮説(4)

この志向性エネルギーは、大脳へと送信され、そこで人間の思考や行動を決定する。
ただそのままでは、人間は野獣的な行動を繰りかえすことになる。
そこで大脳の前頭前野が、志向性エネルギーをコントロールする。
この前頭前野は、人間の脳のばあい、全体の28%も占めるほど、大きな
ものである。

以上が、私の仮説である。

具体的に考えてみよう。

たとえばしばらく食べ物を口にしていないでいたとする。
が、そのままでは、エネルギー不足になってしまう。
自動車にたとえるなら、ガス欠状態になってしまう。

具体的には、血中の血糖値がさがる。
それを視床下部のセンサーが感知する。
「このままでは、ガス欠になってしまうぞ」
「死んでしまうぞ」と。

そこで視床下部は、さまざまな、生のシグナルを中心部から外に向かって発する。
そのシグナルを、一次的には、視床下部を包む辺縁系が、整理する。
(これはあくまでも、仮説。こうした機能を受けもつ器官は、ほかに
あるかもしれない。)

「食事行動を取れ」
「運動量を減らせ」
「脂肪細胞内の脂肪を放出せよ」と。

その命令に従って、脳みそは、具体的に何をするかを決定する。
その判断を具体的にするのが、前頭前野ということになる。
前頭前野は、脳みそからの命令を、分析、判断する。

「店から盗んで食べろ」「いや、それをしてはいけない」
「あのリンゴを食べろ」「いや、あのリンゴは腐っている」
「近くのレストランへ行こう」「それがいい」と。

そしてその分析と判断に応じて、人間は、つぎの行動を決める。

これは食欲についての仮説だが、性欲、さらには生存欲、支配欲、所有欲
についても、同じように考えることができる。

こうした仮説を立てるメリットは、いくつか、ある。

その(1)……「私」の中から、「私であって私である部分」と、
「私であって私でない部分」を、分けて考えることができるようになる。

たとえば性欲で考えてみよう。

男性のばあい、(女性も同じだろうと思うが)、射精(オルガスムス)の
前とあととでは、異性観が、まったくちがう。
180度変わることも珍しくない。

たとえば射精する前に、男性には、女性の肉体は、狂おしいほどまでに魅力的に見える。
女性の性器にしても、一晩中でもなめていたいような衝動にかられることもある。
しかしひとたび射精してしまうと、そこにあるのは、ただの肉体。
女性器を目の前にして、「どうしてこんなものを、なめたかったのだろう」とさえ思う。

つまり射精前、男性は、性欲というエネルギーに支配されるまま、「私で
あって私でない」部分に、操られていたことになる。

では、どこからどこまでが「私」であり、どこから先が、「私であって
私でない」部分かということになる。

私の仮説を応用することによって、それを区別し、知ることができるようになる。

こうして(2)「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分を
分けることによって、つぎに、「私」の追求が、より楽になる。
さらに踏み込んで考えてみよう。

たとえばここに1人の女性がいる。

朝、起きると、シャワーを浴びたあと、毎日1~2時間ほどもかけて化粧をする。
その化粧が終わると、洋服ダンスから、何枚かの衣服を取りだし、そのときの自分に
合ったものを選ぶ。
装飾品を身につけ、香水を吹きかける……。

こうした一連の行為は、実のところ「私であって私でない」部分が、
その女性をウラから操っているために、なされるものと考えられる。

もちろんその女性には、その意識はない。化粧をしながらも、「化粧を
するのは、私の意思によるもの」と思っている。
いわんや本能によって操られているなどとは、けっして、思っていない。

しかしやはり、その女性は、女性内部の、「私であって私でない」部分に操られている。
それを意識することはないかもしれないが、操られるまま、化粧をしている。

++++++++++++++++++

こう考えていくと、「私」の中に、「私であって私」という部分は、
きわめて少ないということがわかってくる。

たいはんは、「私であって私でない」部分ということになる。
あえて言うなら、若い女性が口紅を塗りながら、「春らしいピンク色にしようか、
それとも若々しい赤色にしようか?」と悩む部分に、かろうじて「私」があることに
なる。

しかしその程度のことを、「私」とはたして言ってよいのだろうか?
「ピンク色にしようか、赤色にしようか」と悩む部分だけが、「私」というのも、
少しさみしい気がする。

さらにたとえばこの私を見てみたばあい、私という人間は、こうして
懸命にものを考え、文章を書いている。

この「私」とて、生存欲に支配されて、ものを書いているだけなのかもしれない。
つまり、私の脳みその中心部から発せられる、生のエネルギーに操られているだけ?
……と考えていくと、「私」というものが、ますますわからなくなってくる。

しかしこれが、「私」を知るための第一歩。
私はやっと、その(ふもと)にたどりついたような気がする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私論 私で会って私でない部分 視床下部 大脳前頭前野)

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