2009年8月4日火曜日

*Dieting, my Way

●8月4日(ダイエット、一考)(Dieting)

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私にも夏休みがある。
1週間ほど、それがもらえる。
その夏休みが、近づいてきた。
が、今年の予定は、なし。
実家の売却、法事とつづく。
それが無事すまないことには、
どうも落ち着かない。

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●こむら返り

 おととい、夜中にジョギングしているとき、突然、こむら返りが起きた。
コムラ返りそのものは、すぐ収まったが、そのあと筋肉離れでもしたかのような激痛。
で、あえなく、ジョギングは、中止。

 が、それで運動をやめたのでは、(はやし浩司)が泣く。
昨夜は、5キロ前後を歩き、プラス2キロ前後を走った。
おかげで家に帰ったときには、足は棒のようになっていた。
静かにしていれば、何ともないが、歩き始めたとたん、ギギーンと痛む。

●はやし浩司流、ダイエット法
 
 いろいろなダイエット法がある。
いろいろな人が、本を書いている。
が、どれも基本的には、同じ。
運動と食事制限。
この2つが柱になっている。

しかし「はやし浩司流、ダイエット法」は、少しちがう。
生きる哲学そのものを見直そうというのが、それ。
その哲学を変えないかぎり、ダイエットは、成功しない。

●ダイエット哲学

 「食べたら損(そこ)ねるのか、それとも食べなければ損なのか」。
すべてはそこから始まり、そこで終わる。

 私たちは、あらゆるものを金銭的価値に置き換えて、ものを考える傾向が強い。
たとえばレストランへ入ったとるする。
800円のランチを頼んだとする。

 そういうとき私たちはこう考える。
「800円出したのだから、800円分、しっかりと食べなければ、損」と。
しかしこの考え方そのものが、おかしい。
まちがっている。
まず、それに気づく。

●どうして食べなければ、損なのか?

 私は子どもたちに、よくこう言う。
「ぼくの車は、ビッツ(トヨタの最安車)だけど、体はベンツ(高級車)だよ」と。
冗談ぽく言うが、冗談ではない。
かなり本気である。
「トヨタのビッツのような車で、ベンツのような体か、それともベンツのような車で、
ビッツのような体か」と、問われれば、私なら、(ベンツのような体)のほうを、選ぶ。

 私たちの精神は、ズイのズイまで、金銭的判断に毒されている。
いつも損得を考えて、行動している。
そのことは、食べ放題の店に入ってみると、よくわかる。
どの人も、食べなければ損……といったふうに、食べている。
たとえばケーキでも、パクパクパクの3回で、3個!

 が、そういう人ほど、例外なく、太っている。
見た目にはどうであろうとも、体はビッツ(失礼!)ということになる。

●「食べたら、損(そこ)ねる」

 「食べたら、損ねる」。
まず、それに気づく。
太っていてよいことは、何もない。
メタボリック症候群を例にあげるまでもない。

 が、問題は、なぜ太るか、だ。
こう質問すると、「腹がへるからだ」と、たいていの人は、そう答える。
しかし本当にそうだろうか?
そう考えてよいのだろうか?

 実際にはそうではなく、ほとんどの人は、(食べている)のではなく、
(食べさせられている)だけ。
食欲の命ずるがまま、操られているだけ。

まず、それに気づく。

●損得論

 繰り返す。 
私たちの生活は、金銭的判断によって、あまりに毒されすぎている。
わかりやすく言えば、何を食べるにも、「もったいない」という意識が働く。
「もったいないから、食べる」と。

 が、「もったいない」という意識が、たとえば「世界の食糧そのものが不足している
から」と考えて、そこから生まれているのなら問題ない。
あるいは「食べ物を大切にしよう」という意識でもよい。
しかしもしそれが、「食べなければ損」という意識から生まれているとしたら、おおいに
問題あり、ということになる。

 つまり健康そのものを、金銭的判断に置き換えて考えること自体、まちがっている。
健康はお金では買えない。
さらに言えば、命は、お金では買えない。
少しおおげさな感じがしないでもないが、しかし、健康を考えるなら、一度自分の
中から、金銭的な損得論を消し去らなければならない。

 つまりそれが「はやし浩司流、ダイエット法」の、第一歩ということになる。

●心の実験

 レストランへ入る。
私の好物は、その店の五目焼きそば。
一品(いっぴん)である。
値段は1200円。

 そのとき、こんな実験をしてみる。
最初に自分で、食べる量を決める。
3分の1なら、3分の1でもよい。
箸で、「ここまで食べて、残りは、捨てる」と。

 空腹なとき、この判断をするのは、かなりきびしい。
値段から計算すると、1200円のうちの、800円分を捨てることになる。
(本来なら、料理の量を3分の1にしてもらい、値段も3分の1にしてもらうのが
よいのだが……。)

 実際には、3分の1ほどを食べたところで、さらに空腹感が増大してくる。
かなり強烈な空腹感である。
メカニズム的には、アルコール中毒の人や、ニコチン中毒の人が、酒やタバコを
求める作用と同じ。
視床下部あたりの指令を受けて、脳内にドーパミンが充満する。

 が、心を鬼にして、残りの3分の2を捨てる。
そのときあの感覚、つまり「もったいない」という思いが、ドドーッと心を襲う。
が、それでも捨てる。

●損の美学

 それは生きる美学といってもよい。
そう、それは、まさに「美学」。

 私たちは、常に損をしながら生きている。
損をすることを恐れてはいけない。
損は、その人をたくましくするだけではなく、その人の人生を、より豊かにする。
(反対に、「私は損をしたことがない」という人をみてみると、それがわかる。
どこかこじんまりとしていて、おもしろくない。)

 以前、二男のBLOGに、こんな話が載っていた。

 二男夫婦が、何かの会合に出かけたときのこと。
息子と娘の2人を連れていった。
遅れて行ったこともあり、行ってみると、ケーキの数が残り少なくなっていた。
そのとき、二男の嫁は、息子と娘に、こう言ったという。

 「あとで来る人のために、あなたたちは、1個を2人で分けて食べなさい」と。
つまり残りは、あとから来る人のために、残しておきなさい、と。

 損か得かということを、金銭的判断だけでするかぎり、二男夫婦は、損をしたことに
なる。
しかしそう判断するのは、まちがっている。
二男は、つづくBLOGにこう書いている。
「妻のすばらしさを、再確認した」と。

●生きざまの問題

 つまり私たちのもつ、ものの考え方そのものを改める。
その結果として、ダイエットを遂行する。
それが「はやし浩司流、ダイエット法」ということになる。

 が、この哲学は、何も、ダイエットだけに通ずるものではない。
その人の生きざま、そのものにも、関わってくる。
たとえば昔、『おしん』というテレビドラマがあった。
あのおしんは、当初、生きるために働く。
しかし事業が成功してくると、今度は、働くために生きるようになる。
つまりその分だけ、貪欲になる。

 とたん、生きざまが見苦しくなった。
が、(見苦しくなった)だけでは、すまされない。
おしんは、より大切なものを見失うことによって、命そのものまで粗末にするように
なった。

 わかりやすく言えば、おしんは、働くことによって、自分の心を損(そこ)ねた。

●「食べたら損ねる」

 ダイエットを心がけるなら、基本的な部分で、哲学、さらには生きざまそのものを
変える。
食事制限をするにしても、また運動をするにしても、まずその哲学を確立する。
またそれなくして、ダイエットは、成功しない。

 この私にしても、そうだ。
過去、何十回もダイエットに挑戦し、そして失敗した。
その繰り返し。
が、それもそのはず。
私には、一本、スジの通った、哲学がなかった。
が、今回は、ちがう。
それがここに書いた方法である。

といっても、方法は簡単。
いつも、自分にこう、問いかける。

 「食べたら損(そこ)ねるのか、それとも食べなければ損なのか」と。
私のように、人生観そのものが、金銭的判断に毒されている人ほど、そうしてみたらよい。
答えはいつも、シンプル。
「食べたら損ねる」である。

(付記)

 昨夜、こんな経験をした。
ウォーキングを始めて、30~40分ほどしたころのこと。
距離にすれば、4~5キロを歩いていた。
そのとき猛烈な空腹感が、私を襲った。

 その空腹感と闘うというよりは、汗の出方がまだ足りないと感じたので、私はその
先、1~2キロを走ることにした。
足は痛かった。
が、がまんした。
歯をくしばって、走った。

 で、不思議なことに、1~2キロ走り、サーッと汗をかいたところで、その空腹感
が消えているのを、私は知った。
あれほど強く感じていた空腹感が、どこかへ消えてしまった。
のどは渇いていたが、空腹感は消えていた。
これはどういう作用によるものなのか?

 汗をかいたことによって、水分が抜け、血糖値が相対的にあがった?
これはあくまでも私という素人によるものだが、そう考えると、うまく説明ができる。
おもしろい現象だったので、ここに書きとめておくことにする。

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