2009年5月31日日曜日

*To Inspire the Children

【やる気論】



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昨夜のサッカーの試合の後遺症か?

あるいは、睡眠不足か?



今朝は、どうも頭が重い。



体の動きが、にぶい。



気力も、あわせて、弱い。やる気が起きない?



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●義理の兄



 義理の兄夫妻が、遊びに来てくれた。夕食をいっしょに、食べた。義理の兄は、会社を経営し
ている。あちこちに土地をもっていて、その上に、賃貸ビルや会社を建てている。「悠々自適」と
いう言葉は、そういう人のためにある。



 驚いたのは、70歳に近いというのに、髪の毛が黒々としていること。おまけにフサフサしてい
る。「染めているの?」と聞くと、「いいや」と。



 私の髪の毛も、フサフサしているが、20~30%は、もう白髪(しらが)。ワイフなどは、90%
近くが、白髪。



 いろいろ話しているうちに、ひとつ気がついたことがある。それは兄の生き方が、前向きなこ
と。年齢を感じさせない。今は、ハーブ栽培に凝(こ)っているとか。「縁側が、ハーブだらけだ
よ」と言って、うれしそうに笑っていた。



 あとゴルフのクラブを、特注で作らせているとか、など。設計図も自分でひき、材質まで指定
して作るのだそうだ。「それが楽しい」と。



 そういうふうに、前向きに生きている人と話していると、楽しい。自分まで、どんどんと若返っ
ていくのがわかる。



 ところで、(やる気)を引き出すのは、脳内で分泌される、カテコールアミンという物質だそう
だ。



 つまり、何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が
分泌される。そしてそれが、回りまわって、やる気につながるという。



 兄の脳みその中には、その物質が充満しているらしい。



 以前書いた原稿を、2作、添付します。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●悲しき小学生vs前向きな小学生



私「君は、何をしたい?」

小「何も、ない」

私「何をしているときが、一番、楽しいの?」

小「友だちと、遊んでいるとき」



私「おとなになったら、何をしたいの?」

小「何もない……」

私「してみたい仕事はないの?」

小「あんまり、ない。考えてない」



私「だけど、何か、しなければいかんだろう?」

小「……わからん」

私「もうすぐ、おとなになるよ。目標をもたなくちゃあ……」

小「まだまだ、だよ」



私「じゃあ、なぜ、勉強しているの?」

小「一応、やらなくちゃ、いけないから……」

私「したい勉強は、ないの?」

小「ふん……」と。



 小学6年生のK君(男子)との会話である。



 K君に、問題があるというのではない。夢も、希望もない。もちろん目的もない。今、そういう
小学生が、ふえている。全体の、半数以上が、そうではないか。



 が、親は、「勉強しろ」「いい学校へ入れ」と、子どもを追いたてる。つまり親自身が、子どもの
進路を混乱させている。それに気づいていない。



 一方、今、小説を書くことに、熱中している小学生がいる。5年生のOさん(女子)である。毎
週、何かの小説を書いてきて、私に読ませてくれる。



 そういう小学生は、生き生きしている。目も輝いている。



私「おとなになったら、何になるの?」

小「お医者さん」

私「じゃあ、うんと勉強しなくちゃいけないね」

小「でも、花が好きだから、花屋さんでもいい」



私「また小説、書いてきてよ。読みたいから……」

小「今度は、冒険の話でもいい?」

私「いいよ。ハリーポッターのようなのを、ね」

小「わかった……」と。



 このタイプの子どもは、つぎつぎと、自分のしたいことを、決めていく。多芸多才。ひとつの目
標を決めると、自らコースを設定して、その中に自分を置く。あとは、自身の力で、前に進んで
行く。



 ここに書いた、K君も、Oさんも、実は、架空の子どもである。今までに、私の前を通りすぎた
何人かの子どもを、まとめて書いた。



 で、その分かれ道というか、どうして子どもはK君のような子どもになり、またOさんのような子
どもになるのか。また、いつごろ、その分かれ道はできるのか。



 私は本当のところ、0~1歳児については、よくわからない。しかしそのころ、すでにその分か
れ道はできると思う。4歳や5歳ではない。2歳や3歳ではない。その前だ。



 となると、そのカギをにぎるのは、母親ということになる。母親が、子どもが進むべき道を決め
る。むずかしいことではない。



 子どもというのは、あるべき環境の中で、あるべき方法で育てれば、Oさんのようになる。しか
しそうでないとき、子どもは、K君のようになる。



 あるべき環境というのは、心暖まる親の愛情に包まれ、安定し、信頼関係のしっかりした環
境ということになる。そういう環境の中で、静かに、どこまでも静かに育てる。



 それを、生まれた直後から、ほら、英才教育だ、ほら、早期教育だ、ほら、バイリンガルだ…
…とやりだすから、話がおかしくなる。子どもは、親に振りまわされるだけ。振りわされながら、
子どもは、自分が何をしたいのかさえ、わからなくなってしまう。



 子どもがK君のようになると、親は、あせる。そして無理をする。あとは、この悪循環。子ども
はますます、やる気のない子どもになっていく。



 「友だちと遊んでいるときだけが、楽しい」と。



 そうなってしまってからは、もう手遅れ。子どもの心というのは、そうは、簡単にはできない。

(はやし浩司 やる気のない子ども 子供 子供のやる気 積極的な子供 消極的な子ども)



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子どもからやる気を引き出すには

どうしたらよいか?



そのカギをにぎるのが、扁桃体と

いう組織だそうだ!



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 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺
縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。



 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分に
とって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を
分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。



たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。そ
れはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。こんな実験
がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。



 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除してし
まうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。



 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけ
である。



 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好
きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてし
まうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、そうした感情ができてし
まうと、簡単には変えられないということになる。



 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。



 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を
示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたと
しよう。



 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつよ
うになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつよ
うになる。



 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子ども
は、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますま
すその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。



 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言
葉もある。



 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。反対
に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割
には、効果があがらないということになる。



 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。



 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌され
る。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。



 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。



 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミンにも、同
じような作用があるという。



 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを
分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。



 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるという
こと。



 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えた
か)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しん
だかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。



 これはたいへん重要なことである。



 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、
いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好
きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。



 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子
どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、その向こうにある
隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。



 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。何
かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせる。そういう印
象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が芽生えていくのを、静
かに待つ。



 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。
多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えてい
る。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)



 しかしカテコールアミンとは何か?



 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせている
その物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。

(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)



【補記】



 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。
(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズ
ムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)



 それにはいくつか、理由がある。



 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。借金に
たとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。



 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を
見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追
いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。



 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。しかし
この日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親
は、パニック状態になってしまう。



 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。

(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)



【補記】



 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期
に、それに気づき、対処するのがよい。



 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉強
はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、その子
どもにとっても、幸福なことかもしれない。



 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少しでも伸び
る姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。



 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないというこ
と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 やる
気のある子供 やる気のない子供 子どものやる気 子供のやる気 やる気論)

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