【老人心理】
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キューブラー・ロスの『死の受容段階論』は、よく知られている。
死を宣告されたとき、人は、(否認期)→(怒り期)→(取り引き期)
→(抑うつ期)→(受容期)を経て、やがて死を迎え入れるように
なるという。
このロスの『死の受容段階論』については、すでにたびたび書いてきた。
(たった今、ヤフーの検索エンジンを使って、「はやし浩司 死の受容段階」
を検索してみたら、113件もヒットした。)
で、またまた『死の受容段階論』(死の受容段階説、死の受容過程説、
死の受容段階理論などともいう)。
その段階論について、簡単におさらいをしておきたい。
●キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)
(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。
(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。
(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。
(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。
(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)
●老人心理
老人心理を一言で表現すれば、要するに、キューブラー・ロスの『死の受容段階論」に、
(第0期) を加えるということになる。
(第0期) 、つまり、不安期、ということになる。
「まだ死を宣告されたわけではない」、しかし「いつも死はそこにあって、私たちを
見つめている」と。
不治の病などの宣告を、短期的な死の宣告とするなら、老後は、ダラダラとつづく、
長期的な死の宣告と考えてよい。
「短期」か「長期」かのちがいはあるが、置かれた状況に、それほど大きなちがいは
ない、。
ロスの説く、(第1期)から(第5期)まぜが混然一体となって、漠然とした不安感
を生みだす。
それがここでいう0期ということになる。
そしてそれが老人心理の基盤を作る。
●死の受容
死の宣告をされたわけではなくても、しかし死の受容は、老人共通の最大のテーマ
と考えてよい。
常に私たちは「死」をそこに感じ、「死」の恐怖から逃れることはできない。
加齢とともに、その傾向は、ますます強くなる。
で、時に死を否認し、時に死に怒りを覚え、時に死と取り引きをしようとし、時に、
抑うつ的になり、そして時に死を受容したりする。
もちろん死を忘れようと試みることもある。
しかし全体としてみると、自分の心が定まりなく、ユラユラと動いているのがわかる。
●「死の確認期」
この「0期の不安期」をさらに詳しく分析してみると、そこにもまた、いくつかの
段階があるのがわかる。
(1) 老齢の否認期
(2) 老齢の確認期
(3) 老齢の受容期
(1)の老齢の否認期というのは、「私はまだ若い」とがんばる時期をいう。
若いとき以上に趣味や体力作りに力を入れたり、さかんに旅行を繰り返したりする時期
をいう。
若い人たちに対して、無茶な競争を挑んだりすることもある。
(2)の老齢の確認期というのは、まわりの人たちの「死」に触れるにつけ、自分自身
もその死に近づきつつあることを確認する時期をいう。
(老齢)イコール(死)は、避けられないものであることを知る。
(3)の受容期というのは、自らを老人と認め、死と共存する時期をいう。
この段階になると、時間や財産(人的財産や金銭的財産)に、意味を感じなくなり、
死に対して、心の準備を始めるようになる。
(反対に、モノや財産、お金に異常なまでの執着心を見せる人もいるが……。)
もっともこれについては、「老人は何歳になったら、自分を老人と認めるか」という問題も
含まれる。
国連の世界保健機構の定義によれば、65歳以上を高齢者という。
そのうち、65~74歳を、前期高齢者といい、75歳以上を、後期高齢者という。
が、実際には、国民の意識調査によると、「自分を老人」と認める年齢は、70~74歳が
一番多いそうだ。半数以上の52・8%という数字が出ている。(内閣府の調査では
70歳以上が57%。)
つまり日本人は70~74歳くらいにかけて、「私は老人」と認めるようになるという。
そのころから0期がはじまる。
●「0期不安記」
この0期の特徴は、ロスの説く、『死の受容段階論』のうち、早期のうちは、(第1期)
~(第3期)が相対的に強く、後期になると、(第3期)~(第5期)が強くなる。
つまり加齢とともに、人は死に対して、心の準備をより強く意識するようになる。
友や近親者の死を前にすると、「つぎは私の番だ」と思ったりするのも、それ。
言いかえると、若い人ほど、ロスの説く(否認期)(怒り期)(取り引き期)の期間が
長く、葛藤もはげしいということ。
しかし老人のばあいは、死の宣告を受けても、(否認期)(怒り期)(取り引き期)の
期間も短く、葛藤も弱いということになる。
そしてつぎの(抑うつ期)(受容期)へと進む。
が、ここで誤解してはいけないことは、だからといって、死に対しての恐怖感が
消えるのではないということ。
強弱の度合をいっても意味はない。
若い人でも、また老人でも、死への恐怖感に、強弱はない。
(死の受容)イコール、(生の放棄)ではない。
老人にも、(否認期)はあり、(怒り期)も(取り引き期)もある。
それゆえに、老人にもまた、若い人たちと同じように、死の恐怖はある。
繰り返すが、それには、強弱の度合は、ない。
●死の否認期
第0期の中で、とくに重要なのは、「死の否認期」ということになる。
「死の否認」は、0期全般にわたってつづく。
が、その内容は、けっして一様ではない。
来世思想に希望をつなぎ、死の恐怖をやわらげようとする人もいる。
反対に、友人や近親者が死んだあと、その霊を認めることによって、孤独をやわらげ
ようとする人もいる。
懸命に体力作りをしたり、脳の健康をもくろんだりする人もいる。
趣味や道楽に、生きがいを見出す人もいる。
が、そこは両側を暗い壁でおおわれた細い路地のようなもの。
路地は先へ行けば行くほど、狭くなり、暗くなる。
そしてさらにその先は、体も通らなくなるほどの細い道。
そこが死の世界……。
老人が頭の中で描く(将来像)というのは、おおむね、そんなものと考えてよい。
そしてそこから生まれる恐怖感や孤独感は、個人のもつ力で、処理できるような
ものではない。
つまりそれを救済するために、宗教があり、信仰があるということになる。
宗教や信仰に、救いの道を見出そうという傾向は、加齢とともにますます大きくなる。
●老後の生きざま
死は恐怖そのものだが、おおまかに分ければ、その捕らえ方には2つある。
死を限界状況ととらえ、その中で、自分を完全燃焼させようとする捕らえ方。
これを「現世限界型」とする。
もうひとつは来世に希望をつなぎつつ、享楽的に生きようとする捕らえ方。
これを「来世希望型」とする。
これらは両極端な捕らえ方だし、その折衷的な生き方も当然、ある。
程度のちがいもある。
あるいはその2つの捕らえ方に、そのつど翻弄されながら生きる人もいる。
どうであるにせよ、老人心理は死と切り離しては考えられない。
●限界状況
現世限界型の人たちは、「死」を「消滅」ととらえる。
それを認識する肉体そのものが消滅するわけだから、当然のことながら、(個体の
死)イコール、(全宇宙の消滅)ということになる。
わかりやすく言えば、私たちは死ねば、この宇宙もろとも、消滅する。
あとかたもなく、消えてなくなる。
これに対して来世希望型の人たちは、死んでも魂(スピリッツ)は残り、それが
別の世界、あるいは同じこの世で、生まれ変わると考える。
輪廻思想もそのひとつ。
ほとんどの宗教は、来世に希望をつながせることで、魂の救済を図る。
というのも、どちらの型であるにせよ、死は恐怖以外の何ものでもない。
死の恐怖と闘うといっても、個人の力には、限界がある。
とくに現世限界型の人は、それを選択したときから、限りない無間の孤独地獄に
苛(さいな)まされることになる。
●折衷型
私は基本的には、折衷型をとる。
一応、あの世は存在しないという現世限界型を選択しつつ、死んだあと、あの世が
あれば、もうけものという生き方をいう。
あるかないか、はっきりしないものに希望を託して、今、こうして生きている時間を、
粗末にしたくはない。
それはちょうど宝くじのようなもの。
当たるか当たらないか、はっきりしないものをアテにして、それでローンを組んで
家を建てる人はいない。
当たればもうけもの。
そのときはその当選したお金で、家を建てればよい。
つまり死ぬまで、ともかくも、あの世はないという前提で、懸命に生きる。
生きて生きて、生き抜く。
この世に悔いを残さないよう、自分を完全燃焼させる。
その結果として、つまり死んだとき、あの世があればもうけもの。
そこに神や仏がいるなら、それから神や仏の存在を信じても遅くはない。
●あの世論
あの世があるのか、ないのか、私にもわからない。
あることを証明した人はいない。
(「ある」と断言する人は、どこかの頭のおかしい人と考えてよい。)
ないことを証明した人もいない。
常識で考えれば、人間だけにあの世があるはずがない。
虫や魚には、どうしてないのか。
さらに恐竜や、1億年後にこの地球を支配するであろう知的生物には、
どうしてないのか。
人間だけが、(生き物)と考えるのは、どう考えても、おかしい。
で、仮に100歩譲って、「ある」とするなら、私は今、私たちが住んでいる
この世こそが、(あの世のあの世)ではないかと思っている。
あの世のほうが永遠というのなら、私たちが住んでいるこの世のほうが、
サブ、つまり(従)で、あの世のほうが、メイン(主)ということに
なる。
どうであるにせよ、論理的に考えれば考えるほど、あの世があるという
話には矛盾が生じてくる。
●完全燃焼
話がそれたが、老後は、完全燃焼をめざす。
私の考え方が正しいというわけではない。
自信もない。
仮に自信があったとしても、いつまでつづくか、わからない。
しかし、今は今。
その今の私は、そう思う。
そう願う。
したいことをし、言いたいことを言い、書きたいことを書く。
いつか頭の中がからっぽになるまで、それをする。
その結果、私がどうなるか、それもわからない。
具体的には、今できることは、先に延ばさない。
今日できることは、明日に延ばさない。
先手、先手で、ものごとを処理していく。
今の私には隠居など、考えられない。
隠居したところで、何もやることができない。
また今の私が仕事をやめたら、どうなる?
恐らくそのままボケてしまうだろう。
育児論など、書けなくなってしまうだろう。
そうなったら、私は、おしまい!
だから自分を燃焼させる。
燃焼させるしかない。
●最後に……
多くの人は、(私もその1人かもしれないが)、認知症か何かになって、頭の機能が
鈍くなった老人を見ながら、老人心理を推察するかもしれない。
「老人というのは、感覚も感情も、またそれに対する反応も鈍くなって、その結果
として死に対して鈍感になる」と。
が、これは誤解である。
先にも書いたように、死への恐怖感、そしてそれから生まれる孤独感には、強弱はない。
どんな人も、どんな年齢の人も、みな、共通にもっている。
生きている人は、みな、(生きたい)と思っている。
これには老若男女のちがいは、ない。
で、その反対側にあるのが、死への恐怖感であり、それから生まれる孤独感という
ことになる。
私の知人も、昨年、80数歳でこの世を去った。
最後は、家族の顔すら認識できなくなっていたが、それでも毎日、毎晩、死の恐怖に
おののいていた。
ときどき施設内の柵や塀を乗り越えて、外へ出ようとしたこともある。
それだって、死の恐怖から逃れようとしてそうしたとも解釈できる。
80歳になったから、死んでもよいと考えるようになるのではない。
90歳になったから、死の恐怖がなくなるというのでもない。
生きている以上、人は、老若男女に関係なく、みな、平等に死の恐怖を感ずる。
それから生まれる孤独を感ずる。
老人を見るとき、どうかそれだけは、誤解しないでほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
死の受容段階論、死の受容段階説、死の受容過程説、死の受容段階理論 はやし浩司
老人心理 死への不安 死の受容)
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5年前に書いた、こんな原稿が
見つかりました。
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【老後は、どうあるべきか】
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年をとればとるほど、戦わねば
ならないもの。
それが「回顧性」。
人間も、過去ばかりみて生きるように
なったら、おしまい。
半分、棺おけに足をつっこんだような
もの。
この4年間、私は、この問題を、ずっと
考えてきた。
最初は、(老後の準備)を考えた。
しかしやがて、そういう考え方、つまり、
老後を意識した考え方は、まちがって
いることに、気がついた。
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●分岐点は、満55歳前後
年齢とともに、人は未来をみることよりも、過去をみるようになる。過去をなつかし
んで、その過去に浸(ひた)るようになる。
心理学などの本によると、その分岐点は、満55歳前後だという。つまりこの年齢を
境にして、人は、未来をみることよりも、過去をみるようになる。同窓会や同郷会、さら
には「法事」に名を借りた親族会も、この年齢を境に、急に多くなる。
要するに、満55歳を境に、人は、自らジジ臭くなり、ババ臭くなるということ。が、
それだけでは終わらない。
回顧性が強くなればなるほど、思考力そのものが退化する。そのためその人は、融通
性を失い、がんこになる。過去を必要以上に美化し、心のよりどころを、そこに求めるよ
うになる。
つまり回顧性などといったものは、それが肥大化すればするほど、魂の死につながる
と考えてよい。過去を懐かしんでばかりいる人は、いくら肉体は健康でも、魂は、すでに
半分、棺おけに足をつっこんだようなもの。
そこで重要なことは、自分の中に、回顧性の芽を感じたら、それとは徹底的に戦う。
戦いながら、いつも目を未来に向ける。あの釈迦自身も、『死ぬまで精進せよ』(法句教)
というようなことを言っている。
わかりやすく言えば、死ぬまで、前向きに生きろということ。
2年半前に、こんな原稿を書いた。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●回顧性と展望性
過去をかえりみることを、「回顧」という。未来を広く予見渡すことを、「展望」とい
う。
概して言えば、若い人は、回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い。老人ほど、回
顧性のハバが広く、展望性のハバが、狭い。
幼児期から少年、少女期にかけて、展望性のハバは広くなる。数日単位でしか未来を
見ることができなかった子どもでも、成長とともに、数か月後、数年後の自分を見渡すこ
とができるようになる。つまりそのハバを広げていく。
言いかえると、展望性と回顧性のバランスを見ることによって、その人の精神年齢を
知ることができる。つまり未来に夢や希望を託す度合が、過去をなつかしむ度合より大き
ければ、その人の精神年齢は、若いということになる。そうでなければ、そうでない。
ある女性(80歳くらい)は、会うと、すぐ、過去の話をし始める。なくなった夫や、
その祖父母の話など。こうした行為は、まさに回顧性の表れということになる。が、こ
うした回顧性は、老人の世界では、珍しくない。ごくふつうのこととして、広く見られる。
一方、若い人は、未来しかみない。時間は無限にあり、その未来に向かうエネルギー
も、永遠のものだと思う。それは同時に、若さの特権でもあるが、問題は、そのハバであ
る。
自分の未来を、どの範囲まで、見ているか? 1年後はともかくも、20年後、30
年後は、見ているか?
いくら展望性があるといっても、それが数か月どまりでは、どうにもならない。「明日
も何とかなる」では、どうにもならない。
そこで、このことをもう少しわかりやすくまとめてみると、こうなる。
(1) 回顧性と展望性のハバが広い人……賢人
(2) 回顧性のハバが広く、展望性のハバが狭い人……老人一般
(3) 回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い人……若い人一般
(4) 回顧性と展望性のハバが狭い人……愚人(失礼!)
(1)~(3)は、比較的、わかりやすい。問題は(4)の愚人である。
過去を蹴(け)散らし、その場だけの享楽に身を燃やす人は、ここでいう愚人という
ことになる。
このタイプ人は、過去に対して、一片の畏敬(いけい)の念すらない。同時に、明日
のこともわからない。気にしない。その日、その日を、「今日さえよければ」と生きる。健
康も、またしかり。
暴飲暴食を繰りかえし、今だけよければ、それでよいというような考え方をする。も
ちろん運動など、しない。まさにしたい放題。
で、問題は、どうすれば、そういう子どもにしないですむかということ。一歩話を進
めると、どうすれば、子どもがもつ展望性のハバを、広くすることができるかということ。
ためしに、あなたの子どもと、こんな会話をしてみてほしい。
親「あなたは、おとなになったら、どんなことをしないか?」
親「そのために、今、どんなことをしたらいいのか?」
親「で、今、どんなことをしているか?」と。
以前、こんな女の子がいた。小学3年生の女の子だった。たまたまバス停で会ったの
で、近くの自動販売機で、何かを買ってあげようかと提案したら、その女の子は、こう言
った。
「私、これから家に帰って夕食を食べます。今、ジュースを飲んだら、夕食が食べら
れなくなるから、いいです」と。
その女の子は、自分の未来を、しっかりと展望していた。で、その女の子で、もう一
つ、印象に残っていることで、こんなことがあった。
正月のお年玉として、かなりのお金を手にしたらしい。その女の子は、それらのお金
をすべて貯金すると言う。
そこで私が、その理由を聞くと、「お金を貯金して、フルートを買う。そのフルートで、
音楽を練習して、私はおとなになったら、音楽家になる」と。
一方、そうでない子は、そうでない。お金を手にしても、すぐ使ってしまう。浪費し
てしまう。飲み食いのために、使ってしまう。
少し前だが、タバコを吸っている女子高校生とこんな会話をしたことがある。
私「タバコって、体に悪いよ」
女「知ってるヨ~」
私「ガンになるよ」
女「みんな、なるわけじゃ、ないでしょう……?」
私「奇形出産のほとんどは、タバコが原因でそうなるっていう話は、どう?」
女「でも、そんな出産したという話は、聞かないヨ~」
私「みんな、流産という形で、処置してしまうから……」
女「結婚したら、やめるヨ~」
私「で、タバコって、おいしいの?」
女「別においしくないけどサ~。吸ってないと、何となく、さみしいっていうわけ」
私「だったら、やめればいいじゃん」
女「また、病気にでもなったら、そのときはそのとき。そのとき、考えるわ」と。
先の「フルートを買う」と答えた子どもは、ハバの広い展望性をもっていることにな
る。しかしタバコを吸っていた子どもは、ほどんど、その展望性のハバがないことになる。
こうしたちがいが、なぜ起きるかと言えば、結局は、私の説く「自由論」に行き着く。
「自らに由(よ)る」という意味での、自由論である。
それについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。しかし結局は、
子どもは、(自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとれる子ども)にする。展望性のハ
バ
の広い子どもになるかどうかは、あくまでもその結果の一つでしかない。
(040125)(はやし浩司 回顧 展望 老後論 自由論)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
ちょうど57歳のとき、私も、中年期クライシスなるものを経験した。今から思うと、
あのときが、回顧性と展望性が、自分の中で交差するときではなかったと思う。その前後、
私の考え方が、急速にうしろ向きになっていったのを覚えている。
そのとき書いた原稿が、つぎのものである。かなり暗い内容だが、少しがまんして読
んでほしい。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●中年期クライシス(危機)
若い人たちを見ていると、「いいなあ」と思うことがある。「苦労がなくて」と。しか
し同時に、「いいのかなあ?」と思うときもある。目の前に、中年の危機がすぐそこまでき
ているのに、それに気づいていない?
危機。「クライシス」という。そして中高年の男女が感ずる危機を、総称して、「中年
期クライシス」という。
健康面(心臓疾患、高血圧症、糖尿病などの、生活習慣病)、精神面(抑うつ感、うつ
病)のクライシス。仕事面、交遊面のクライシスなど。もちろん夫婦関係、親子関係のク
ライシスもある。
こうしたクライシスが、それこそ怒涛(どとう)のように押し寄せてくる。若い人は、
遠い未来の話と思うかもしれないが、そのときになってみると、あっという間に、そうな
る。それがまた、中年期クライシスのこわいところでもある。
●中年期クライシス、私のばあい
私は、もうそろそろ中年期を過ぎて、初老期にさしかかっている。もうすぐ満57歳
になる。
まず健康面だが、このところ、ずっと、どうも心が晴れない。軽いうつ状態がつづい
ている。それに仮性うつ病というか、頭が重い。ときどき偏頭痛の前ぶれのような症状が
起きる。
仕事は楽で、ほどほどに順調だが、何かと悩みごとはつきない。ときどき「私は、も
う用なしなのか」と思うことがある。息子たちも、ほぼ、みな、巣立った。ワイフも、あ
まり私の存在をアテにしていないようだ。「あんたが死んだら、私、息子といっしょに住む
わ」などと、平気で言う。
私を心配させないためにそう言うのだろう。が、どこかさみしい。
性欲は、まだふつうだと思うが、しかしここ数年、女性が、急速に遠ざかっていくの
が、自分でもわかる。若い母親たちのばあい、(当然だが……)、もう私を「男」と見てい
ない。それが自分でも、よくわかる。
だから私も、気をつかうことが、ぐんと少なくなった。「どうせ私を男とみてくれない
なら、お前たちを、女とみてやるかア!」と。
しかしこの世の中、「女」あっての、「男」。女性たちに「男」にみてもらえないのは、
さみしい。
そう、中年期クライシスの特徴は、この(さみしさ)かもしれない。
たとえばモノを買うときも、「あと○○年、もてばいい」というような考え方をする。何
かにつけて、未来的な限界を感ずる。
あるいは今は、ワイフも私も、かろうじて健康だが、ときどき、「いつまで、もつだろ
うか?」と考える。「そのときがきても、覚悟ができているだろうか?」と。そういう私の
中年期クライシスをまとめると、こうなる。
(1) 健康面の不安……体力、気力の衰え。自信喪失。回復力の遅れなど。
(2) 精神面の不安……落ちこむことが多くなった。うつ状態になりやすい。
(3) 家族の不安……子どもたちがみな、健康で幸福になれるだろうかという心配。
(4) 老後の不安……収入面、仕事面での不安。何か事故でもあれば、万事休す。
(5) 責任感の増大……「私は倒れるわけにはいかない」という重圧感。
こうしたもろもろのストレスが、心を日常的に、おしつぶす。そしてそれが、食欲不
振、頭重感、抑うつ感、不安神経症へとつながる。「心が晴れない」というのは、そういう
状態を、総合していう。
●何とかごまかして、前向きに生きる
自分の心を冷静に、かつ客観的にみることは大切なことだが、ときとして、自分の心
をだますことも必要なのかもしれない。
楽しくもないのに、わざと楽しいフリをしてみせて、まわりを茶化す。おもしろくも
ないのに、わざとおもしろいと騒いでみせて、まわりをごまかす。
しかしそれも、疲れる。あまりひどくなると、感情が鈍麻することもあるそうだ。よ
く言われる、「微笑みうつ病」というのも、それ。心はうつ状態なのに、表情だけはにこや
か。いつも満足そうに、笑っている。
そう言えば、Mさんの奥さん(60歳くらい)も、そうかもしれない。通りであって
も、いつも、ニコニコと笑っている。が、実際、話してみると、どこか上(うわ)の空。
会話が、まったくといってよいほど、かみあわない。
ただ生きていくことが、どうしてこんなにも、つらいのか……と思うことさえ、ある。
ある先輩は、ずいぶんと昔だが、つまりちょうど今の私と同年齢のときに、こう言った。
「林君、中年をすぎたら、生活はコンパクトにしたほうがいいよ。それに人間関係は、
簡素化する」と。
生活をコンパクト化するということは、出費を少なくするということ。60歳を過ぎ
たら、広い土地に大きな家はいらない。小さな家で、じゅうぶん。
人間関係を簡素化するということは、交際範囲を狭くし、交際する人を選ぶというこ
と。ムダに、広く浅く交際しても、意味はない。
が、なかなか、その切り替えができない。「家を小さくする」といっても、実際には、
難題である。心のどこかには、「がんばれるだけ、がんばってみよう」という思いも残って
いる。
交際範囲については、最近、こう思うようになった。
親戚や知人の中には、私のことを誤解して、あれこれ悪く言っている人もいる。若い
ころの私だったら、そういう誤解を解くために、何かと努力もしただろうが、今は、もう
しない。「どうでも勝手に思え」という、どこか投げやり的な、居なおりが、強くなった。
どうせ、みんな、私も含めて、あと20年も生きられない。そういう思いもある。
が、考えたところで、どうにかなる問題ではない。だから結論はいつも、同じ。
そのときまで、前向きに生きていこう、と。生きている以上、ここで死ぬわけにはい
かない。責任を放棄するわけにもいかない。だから生きていくしかない。自分をごまかし
ても、偽っても、生きていくしかない。
そしてそれが中年期クライシスにある私たちの、共通の思いではないだろうか、……
と、今、勝手にそう思っている。
(040619)
(はやし浩司 中年期クライシス 中年クライシス 中年期の危機)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
しかし私は、まちがっていた。やがてそれに気がついた。人は年をとっても、コンパクトに生きる必要はない。またコンパクトな生き方をしてはいけない。
何も、自ら好き好んで、死ぬための準備など、する必要はない。最後の最後まで、自分をまっとうさせる。
そうした変化を自分の中で感じたのが、つぎの原稿を書いたときである。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●小さく生きる人、大きく生きる人
+++++++++++++++
老人になると、小さくなっていく
人と、大きくなっていく人がいま
すね。
+++++++++++++++
人は、人、ぞれぞれ。生き方も、人、それぞれ。最近、老人観察をつづけている。こ
のところ、老人の生き様が、気になって、しかたない。それについては、少し前にも、書
いた。
で、大別して、老人になればなるほど、より小さく生きる人と、より大きく生きる人
がいることがわかる。その間にあって、(その日、その日を、ただ生きている人)もいるが、
そういう老人は、ここでは考えない。
【より小さく生きる人】
より小さく生きる人は、生活そのものを、コンパクトにしようとする。しかしそれは
それで賢明なことかもしれない。欧米人でも、高齢化すればするほど、そういう生き方を
するのが、ふつうのようである。
たとえば、住環境を縮小したり、人間関係を整理したりするなど。収入も減り、健康
にも自信がなくなれば、それは当然のことかもしれない。
しかしそれにあわせて、自分という人間そのものまで、小さくしてしまう人がいる。
わかりやすく言えば、より自己中心的になる。
より利他的な生き方をする人を、人格のより完成した人とみるなら、より自己中心的
になるということは、それだけ、人格が後退したとみる。より自己中心的になれば、やが
て、自分のことだけしかしなくなる。自分さえよければというような、考え方をするよう
になる。
たとえば世間的な活動には、まったく参加せず、個人的な趣味だけしかしないという
老人は、少なくない。で、このタイプの老人にかぎって、少しでも、自分の生活圏が侵さ
れたりすると、猛烈に反発したりする。
【より大きく生きる人】
これに対して、自分の生活を、より大きくしようとする人がいる。「大きい」といって
も、住環境を拡大したり、新しい人間関係を求めるというのではない。ある男性は、いつ
も口ぐせのように、こう言っている。
「私は今まで、こうして無事に生きてくることができた。それを最後には、社会に還
元するのが、私の最後の務めである」と。すばらしい生き方である。
つまりこのタイプの人は、より、利他的になることによって、人格の完成度を高めよ
うとする。ある女性は、80歳をすぎてからも、乳幼児の医療費、完全無料化のための運
動をつづけていた。「どこからそういうエネルギーがわいてくるのですか?」と私が聞くと、
その女性は笑いながら、こう言った。「私は、ずっと保育士をしてきましたから」と。
その人の人生は、その人のもの。だから他人がとやかく言ってはいけない。最近の私
は、「とやかく思ってもいけない」と、考え始めている。仮にあなたの隣人が、優雅な年金
生活をしていたとしても、それはその人の人生。批判したり、批評したりすることも、い
けない。
反対の立場で言うなら、他人にどう思われようが、気にすることはない。
大切なことは、私は私で、納得のできる老後の道をさがすこと。あくまでも、私は、
私。が、これだけは、言える。
愚かな人からは、賢明な人がわからない。しかし賢明な人からは、愚かな人がよくわ
かる。同じように、人格の完成度の低い人からは、完成度の高い人はわからない。しかし
完成度の高い人からは、、完成度の低い人がよくわかる。
それはちょうど、山登りに似ている。低いところにいる人は、高いところから見る景
色がどんなものか、わからない。しかし高いところにいる人は、低いところにいる人が見
ることができない景色を見ることができる。
そしてより広い景色を見た人は、きっと、こう思うだろう。「今まで、こんな景色を知
らなかった私は、愚かだった。損をした」と。
……といっても、それはあくまでも、相対的なもの。こんなことがあった。
私が、地域の公的団体の主催する講演会で、講師をしたときのこと。少し自慢げに、
恩師のT先生にそのことを話したら、T先生から、すかさず、一枚の写真が送られてきた。
その写真というのは、T先生が、「中国化学会創立50周年記念」で、記念講演をしている
ときの写真だった。しかも添え書きには、「中国語でしました」とあった。
T先生は、いつも私が見たこともない世界で、仕事をしている。だから私ができるこ
とといえば、先生の言葉の断片から、その見たこともない世界を想像するだけでしかない。
そのT先生から見れば、私の住んでいる世界などというものは、まるでおもちゃの世界の
ようなものかもしれない。
そうそう、もう一人、別の恩師は、こうメールを書いてきた。その恩師も、世界を舞
台に、あちこちで、講演活動をしている。いわく、「林君、田舎のおばちゃんたちなんか、
相手にしていてはだめだ」と。
ずいぶんときつい言葉である。そのときは、「そんなことを女性たちが聞いたら、怒る
だろうな」と思った。しかし同時に、「そういうものかなあ?」と思った。その恩師にして
も、私の世界をはるかに超えた世界で、仕事をしている。
まあ、このところ、私の限界も、はっきりしてきた。「私の人生は、こんなもの」と、
心のどこかで、ふんぎりをつけるようになった。だから後悔はしないが、しかしこれで私
の人生が終わったわけではない。
できれば、これから先、ここに書いた、(より大きく生きる老人)になりたいと願って
いる。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
ちょうど上の原稿を書いたころ、こんな原稿も書いた。
内容が少しダブるかもしれないが、ここに掲載する。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●過去と未来
未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわると
いう。ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかし
これには、当然、個人差がある。
70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反
対に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんど
ちらがよいとか、悪いとかいうのではない。ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、
過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大き
くなるということらしい。
が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど
毎日、幼児や小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあっ
ても、過去は、ない。
が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。
今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。10年
後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」
という程度のことでしかない。
ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※を
いくら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、
天国の話はしているが、ここでいう前世論や来世論とは、異質のものだ。
(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏
教典のほとんどは、釈迦滅後4、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミ
ックスされてできた。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したの
が、ヒンズー教である。)
今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あ
ればもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわか
らないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。
本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私
のようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はや
し浩司など、相手にしない。どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。
大きな正義を貫く勇気も、度胸もない。小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があると
しても、私などは、入り口にも近づけないだろう。
だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。そ
れしかない。それに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが、表に出てくる
のがこわい。
個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをな
つかしむようになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華
や肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、い
くらでもいる。が、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。
そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進」という言葉を使って、「日々に前進す
ることこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。
わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。そういう釈迦の教えにコ
メントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。人間が生きる意味は、日々を、
懸命に、しかも前向きに生きるところにある。過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。
一年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。
++++++++++++++++++++++++
●前向きの人生、うしろ向きの人生
●うしろ向きに生きる女性
毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしま
い。偉そうなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわか
らない。しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自
信はないが、そうしたい。
自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(7
0歳)がいた。その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産
を築いた人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時
は従業員を五人ほど雇うほどまでになった。
が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸
前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなってか
ら2年後に他界している。)
それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方
をしていた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、
私と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。
「母は、異常なまでにケチになりました」と。たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買
ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したという。「それも、私がどこに
あるか忘れてしまったようなものです。値段も、2000円とか3000円とかいうよう
な、安いものです」と。
●人生は航海のようなもの
人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎ
へと、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。
波がなければないで、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわ
いのは、方向がわからなくなること。同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰
り返しだったら、生きている意味はない。死んだほうがましとまでは言わないが、死んだ
も同然。
私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチ
ンコ。読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという
人がいる。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りが
うまくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗
記しても、それがどうだというのか。そういう人は、まさに死んだも同然。
しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はあ
る会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だっ
た。乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生
きした顔色を見て驚いた。
「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言っ
た。「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そう
いうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。
のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。し
かしそういう航海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマ
があるからだ。そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の
大波小波は、できれば少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそ
れ以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝か
せる。
●神の矛盾
冒頭の話にもどる。
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがう
しろ向きになる。そこで信仰論ということになるが……。
人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あ
くまでも信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、
人がいなければ、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのよ
うな矛盾をどうやって説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でも
ある。
人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっ
としたら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。そ
のあと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化
して、昆虫人間になるということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、
その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。
反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅
をもたらしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜
には神はいなかったのかということになる。
数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数10万年など、マバタ
キのようなものだ。お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。しか
し数10万円では、パソコン1台しか買えない。数億年と数10万年の違いは大きい。モ
ーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年~6000
年ほど前のこと。たったの6000年である。それ以前の数10万年の間、私たちがいう
神はいったい、どこで、何をしていたというのか。
……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定して
いるのではない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることよ
り、はるかに多い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているの
かもしれない。そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味も
ふくめて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。
●ふんばるところに生きる価値がある
つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だから
といって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇
跡を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待
してするものではない。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(ス
ッタニパーダ「ダンマパダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えて
いるのでは……。
生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きる
かどうかを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばるか
らこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。
が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎
日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。
同じようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。
たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもが
いる。そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先生」
と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが……)、さらに困る。も
しそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら
不合格で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
●私の意見への反論
……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人が
いる。「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。
そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。が、何
も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその
女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性
の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。
この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。
言ってはならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、
ハシゴをはずすようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあ
げねばならない。何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人と
して、してはいけないことと言ってもよい。
が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことであ
る。どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、
うしろ向きに生きなくてすむかということ。
●今、どうしたらよいのか?
少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようにな
ったら、人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか
私はそういう人生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもな
い。保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れ
るようになるかもしれない。私とその女性は、本質的には、それほど違わない。
しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にた
とえて言うなら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんば
っている。歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、お
しまい。あっという間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。
しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。
もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。
……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。
●老人が気になる年齢
私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のこと
が、よく気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあ
れこれ観察する。先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どん
な生きがいや、生きる目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているの
だろう」「今、どんなことを考えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬
間、その人の中身というか、深さまでわかるようになった。
で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実
の問題から逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせれば
それでよいと考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もい
る。クシャクシャになったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もい
る。
人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。
愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽を
つんでしまうこともある。
私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、い
つの間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは
実に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということ
になる。何も考えなければ、それだけ人生も楽?
●前向きに生きるのは、たいへん
前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じ
で、日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダ
は、それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心
と精神はブヨブヨに太り始める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。
つまりいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。
改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念
場だ」と。
(030613)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
そして昨年(05年)の1月に、つぎのような原稿を書いた。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●心に残る人たち
個性的な生き方をした人というのは、それなりに強く印象に残る。そしてそれを思い
出す私たちに、何か、生きるためのヒントのようなものを与えてくれる。
たとえば定年で退職をしたあと、山の中に山小屋を建てて、そこに移り住んだ人がい
た。姉が中学校のときに世話になった、Nという名前の学校の先生である。その人が、こ
とさら印象に強く残っているのは、郷里へ帰るたびに、姉が、N先生の話をしたからでは
ないか。
「N先生が、畑を作って、自給自足の生活をしている」
「半地下の貯蔵庫を作って、そこできのこの栽培をしている」
「教え子たちを集めて、パーティを開いた」など。
ここまで書いたところで、つぎつぎと、いろいろな人が頭の中に浮かんでは消えた。
G社という出版社で編集長をしていた、S氏という名前の人は、がんの手術を受けた
あと、一度、元気になった。その元気になったとき、60歳になる少し前だったが、自動
車の運転免許証を手に入れた。車を買った。そしてこれは、あとから奥さんから聞いた話
だが、毎週、ドライブを繰りかえし、なくなるまでの数年間、1年で、10万キロ近く、
日本中を走りまわったという。
またS社という、女性雑誌社に勤めていた、I氏という名前の人は、妻を病気でなく
したあと、丸1年、南太平洋の小さな島に移り住み、そこで暮らしたという。一時は、行
方不明になってしまったということで、周囲の人たちはかなり心配した。が、1年後に、
ひょっこりと、その島から戻ってきた。そしてそのあとは、何ごともなかったかのような
顔をして、10年近くも、S社の子会社で、また、健康雑誌の編集長として活躍した。
で、それからもう20年近くも過ぎた。山の中に山小屋を建てて住んだNという先生
は、とっくの昔に、なくなった。G社の編集長をしていたS氏も、なくなった。女性雑誌
社に勤めていたI氏は、私が知りあったとき、すでに50歳を過ぎていた。私が、25歳
のときのことだった。だから今、生きているとしても、80歳以上になっていると思う。
I氏からは、あるときまでは、毎年、年賀状が届いた。が、それ以後、音信が途絶え
た。住所も変わった。
そうそうG社という出版社に、Tさんという女性がいた。たいへん世話になった人で
ある。そのTさんは、G社を定年で退職したあとまもなく、大腸がんで、なくなってしま
った。
その葬式に出たときのこと。こんな話を聞いた。
そのとき、私は、そのTさんにある仕事を頼んでいた。その仕事について、ある日の
昼すぎに、電話がかかってきた。Tさんが病気だということは知っていた。が、意外と、
明るい声だった。Tさんは、いつものていねいな言い方で、私の頼んだ仕事ができなくな
ったということをわびた。そして何度も何度も、「すみません」と言った。
そのことを葬儀の席で、Tさんをよく知る人に話すと、その人は、こう言った。「そん
なはずはない。Tさんが、あなたに電話をしたというときには、Tさんは、すでに昏睡状
態だった。電話など、できるような状態ではなかった」と。
おかしな話だなと、そのときは、そう思った。あるいはそういう状態のときでも、ふ
と、意識が戻ることもあるそうだ。Tさんは、そういうとき、私に電話をかけてくれたの
かもしれない。
親類の人たちや、友人は別として、その生きザマが、印象に残る人もいれば、そうで
ない人もいる。言うなれば、平凡は美徳だが、平凡な生活をした人は、あとに、何も残さ
ない。だからといって、平凡な生活をすることが悪いというのではない。「私らしい生きザ
マ」とは言うが、しかしそれができる人は、幸せな人だ。
たいていの人は、世間や家族、さらには親類などのしがらみに、がんじがらめになっ
て、身動きがとれないでいる。いまだに「家」を引きずっている人も、少なくない。そう
いう状況の中で、その日、その日を、懸命に生きている。
それにこうした個性的な生きザマを残した人にしても、私たちに何かを(残す)ため
に、そうしたわけではない。私たちに何かを教えるために、そうしたわけでもない。結果
として、私たちが、勝手にそう思うだけである。
ただ、こういうことは言える。
それぞれの人は、それぞれの人生を懸命に生きているということ。悲しみや苦しみと
戦いながら、懸命に生きているということ。その懸命に生きているという事実が、無数の
ドラマを生み、そのドラマが、そのあとにつづく私たちに、ときに、大きな感動を残して
くれるということ。
で、かく言う私はどうなのかという問題が残る。
ここ数か月以上、私は、「老人観察」なるものをしてきた。その結論というか、中間報
告として、ここで言えることは、私は、最後の最後まで、年齢など忘れて、がんばって生
きてみようということ。
ときに、「生活をコンパクトにしよう」とか、「老後や、死後に備えよう」などと考え
たこともあるが、それはまちがっていた。エッセーの中で、そう書いたこともある。まだ、
その迷いから完全に抜けきったわけではないが、私は、そういう考え方を捨てた。……捨
てようとしている。
つまりそういう生きザマを、こうした人たちが、私に教えてくれているように思う。
私たちはその気にさえなれば、最後の最後まで、何かができる。それを教えてくれている
ように思う。
N先生……私自身は一面識もないが、心の中では、いつも尊敬していた。
S氏……そのS氏が、私にエッセーの書き方を教えてくれた。
I氏……いっしょに健康雑誌を書いた。……I氏の実名を出してもよいだろう。I氏は、
主婦と生活社の編集長をしていた、井上清氏をいう。健康雑誌の名前は、『健康家族』とい
う雑誌だった。その名前を覚えている人も、中にはいると思う。
そしてTさん。電話では、自分の病状のことは、何も言わなかった。それが今になっ
て、私の胸を熱くする。私は、そのTさんの葬儀には、最後の最後まで、つきあった。藤
沢市の会館で葬儀をし、そのあと、どこかの火葬場で、火葬にふされた。アメリカ軍の基
地の近くで、ひっきりなしに、飛行機の爆音が聞こえていた。私は、Tさんが火葬されて
いる間、何度も何度も、その飛行機を見送った。
遠い昔のことのようでもあるし、つい先日のことのようにも思う。みなさん、私に生
きる力を与えてくれてありがとう。私も、あとにつづきます!
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●終わりに……
老後の敵、それはここに書いた「回顧性」ということになる。その回顧性を感じたら、
すでにあなたも、老人の仲間入りをしたということになる。
もし、それがいやなら、つまりジジ臭くなったり、ババ臭くなるのがいやだったら、
回顧性とは、戦うしかない。
私は死ぬまで、現役。あなたも、死ぬまで、現役。いつまでも、若々しく、前向きに
生きていく。
繰りかえすが、毎日、過去をなつかしみながら、仏壇の金具を磨きながら日を過ごす
ようになったら、その人も、おしまい。そういうこと。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
回顧性と展望性 展望性と回顧性)
++++++++++++++++++++++++
【補足】輪廻思想について
●輪廻(りんね)
++++++++++++++
生まれ変わることができるというのは、
たしかに希望である。
生まれ変われないにしても、30歳とか、
40歳、突然、若くなれるとしたら……。
が、ここで私は、ふと、思いとどまる。
生まれ変わるとしても、条件がある。
今の生活環境以上に、よい生活環境
に生まれ変わるとしたら、それはそれで
よい。
しかしそうでなければ、どうするか?
たとえば現在のK国のような国で
生まれ変わるとしたら、私はごめん。
戦前の日本のような国も、いや。
さらに、だれかが、こう言ったとしたら、
私は、たぶん、それを断るだろう。
「林、もう一度、20歳に戻してやる。
同じ人生を歩んでみろ」と。
人生は一度でたくさん。私はそこまで
は思わないが、中には、こりごり
という人だっているかもしれない。
そんなふうに考えていくと、こうした生まれ
変わり、つまり輪廻(りんね)思想の生まれた
インドでは、輪廻そのものを、大衆は
支持していなかったのではないか?、という
疑問がわいてくる。
カースト制度というきびしい身分制度。その
身分制度の中で、奴隷(シュードラ)は
生まれながらにして奴隷であり、一生、
死ぬまで、奴隷であった。
そんな奴隷の1人に、輪廻思想を説いても、
はたしてその奴隷は、その思想を受け入れる
だろうか。たぶんその奴隷は、こう言うだろう。
「人生なんて、一度で、こりごり」と。
そこでウパニシャッド哲学(インド哲学)では、
輪廻転生から離脱し、宇宙(神)と一体化する
ことを、「解脱(げだつ)」と呼んだ。
(ちゃんと逃げ道が用意してあるところが、
すごい!)
私たちの魂は、生きたり死んだりを繰り返す。
その魂を、瞑想、つまりヨーガによって、宇宙の
神と一体化させる。
そうすればだれでも、解脱の境地に達する
ことができる。つまり、輪廻転生の輪から、
自分を解放させることができる。
+++++++++++++++
インド哲学を理解するときは、一度、私たちを文明の世界から切り離さなければなら
ない。私たちが現在もっている常識で、インド哲学を理解しようとしても、理解できない。
そういう部分は、多い。
これはあくまでも私の推察だが、当時のインドでは、時間についての観念そのものが
今とはちがっていたのではないか。たとえば30年、一昔というが、当時のインドでは、
100年単位、200年単位で、時代が動いていた。
あるときあなたはひとつの村を訪ねる。そこで何人かの村人に会う。が、それから3
0年後。再び、あなたはその村を訪ねる。あなたはそこにいる人たちを見て、驚く。生活
もしきたりも、30年前とまったく同じ。
生活やしきたりばかりではない。そこに住んでいる人たちも、30年前とまったく同
じ。30年前に会った人たちが、そっくりそのまま新しい人たちと置き換わっている。
私は輪廻思想が生まれた背景には、そういった時代的背景があったと思う。つまりあ
なたから見れば、時間の流れというのが、くるくると回っているかのように見える。その
くるくると回っているという部分から、「輪廻」という言葉が生まれた。
それについて以前、書いた原稿が、つぎのものである。一部、重複するが許してほし
い。
+++++++++++++++++
【過去、現在、未来】
●輪廻(りんね)思想
+++++++++++++++++++++
過去、現在、未来を、どうとらえるか?
あるいは、あなたは、過去、現在、未来を、
どのように考えているか?
どのようなつながりがあると、考えているか?
その考え方によって、人生に対する
ものの見方、そのものが変わってくる。
+++++++++++++++++++++
時の流れを、連続した一枚の蒔絵(まきえ)のように考えている人は、多い。学校の
社会科の勉強で使ったような歴史年表のようなものでもよい。過去から、現在、そして未
来へと、ちょうど、蒔絵のように、それがつながっている。それが一般的な考え方である。
あるいは、紙芝居のように、無数の紙が、そのつど積み重なっていく様(さま)を想
像する人もいるかもしれない。過去の上に、つぎつぎと現在という紙が、積み重なってい
く。あるいは上書きされていく。
しかし本来、(現在)というのは、ないと考えるのが正しい。瞬間の、そのまた瞬間に、
未来はそのまま過去となっていく。そこでその瞬間を、さらに瞬間に分割する。この作業
を、何千回も繰りかえす。が、それでも、未来は、瞬時、瞬時に、そのまま過去となって
いく。
そこで私は、この見えているもの、聞こえているもの、すべてが、(虚構)と考えてい
る。
見えているものにしても、脳の中にある(視覚野)という画面(=モニター)に映し
出された映像にすぎない。音にしても、そうだ。
さらに(時の流れ)となると、それが「ある」と思うのは、観念の世界で、「ある」と
思うだけの話。本当は、どこにもない。つまり私にとって、時の流れというのは、どこま
でいっても、研(と)ぎすまされた、(現実)でしかない。
その(時の流れ)について、ほかにもいろいろな考え方があるだろうが、古代、イン
ドでは、それがクルクルと回転していくというように考えていたようだ。つまり未来は、
やがて過去とつながり、その過去は、また未来へとつながっていく、と。ちょうど、車輪
の輪のように、である。
そのことを理解するためには、自分自身を、古代インドに置いてみなければならない。
現代に視点をおくと、理解できない。たとえば古代インドでは、現代社会のように、(変化)
というものが、ほとんどなかった。「10年一律のごとし」という言葉があるが、そこでは、
100年一律のごとく、時が過ぎていた。
人は生まれ、そして死ぬ。死んだあと、その人によく似た子孫がまた生まれ、死んだ
人と同じような生活を始める。同じ場所で、同じ家で、そして同じ仕事をする。人の動き
もない。話す言葉も、習慣も、同じ。
そうした流れというか変化を、一歩退いたところで見ていると、時の流れが、あたか
もグルグルと回転しているかのように見えるはず。死んだ人がいたとしても、しばらくし
てその家に行ってみると、死んだ人が、そのまま若返ったような状態で、つまりその子孫
たちが、以前と同じような生活をしている。
死んでその人はいないはずなのに、その家では、以前と同じように、何も変わらず、
みなが、生活している。それはちょうど、庭にはう、アリのようなもの。いつ見てもアリ
はいる。しかしそのアリたちも、実は、その内部では、数か月単位で、生死を繰りかえし
ている。
こうして、多分、これはあくまでも私の憶測によるものだが、「輪廻(りんね)」とい
う概念が生まれた。輪廻というのは、ズバリ、くるくると回るという意味である。それが
輪廻思想へと、発展した。
もちろん、その輪廻思想を、現代社会に当てはめて考えることはできない。現代社会
では、古代のインドとは比較にならないほど、変化のスピードが速い。10年一律どころ
か、数年単位で、すべてが変わっていく。数か月単位で、すべてが変わっていく。
住んでいる人も、同じではない。している仕事もちがう。こうした社会では、時の流
れが、グルグルと回っていると感ずることはない。ものごとは、すべて、そのつど変化し
ていく。流れていく。
つまり時の流れが、ちょうど蒔絵のように流れていく。もっとわかりやすく言えば、
冒頭に書いたように、社会科で使う、年表のように、流れていく。長い帯のようになった
年表である。しかしここで重要なことは、こうした年表のような感じで、過去を考え、現
在をとらえ、そして未来を考えていくというのは、ひょっとしたら、それは正しくないと
いうこと。
つまりそういう(常識?)に毒されるあまり、私たちは、過去、現在、未来のとらえ
かたを、見誤ってしまう危険性すら、ある。
よい例が、前世、来世という考え方である。それが発展して、前世思想、来世思想と
なった。
前世思想や、来世思想というのは、仏教の常識と考えている人は多い。しかし釈迦自
身は、一言も、そんなことは言っていない。ウソだと思うなら、自分で、『ダンマパダ(法
句)』(釈迦生誕地の残る原始仏教典)を読んでみることだ。
ついでに言っておくと、輪廻思想というのは、もともとはヒンズー教の教えで、釈迦
自身は、それについても一言も、口にしていない。
言うまでもなく、現在、日本にある仏教経典のほとんどは、釈迦滅後、4~500年
を経てから、「我こそ、悟りを開いた仏」であるという、自称「仏」(仏の生まれ変わりた
ち)によって、書かれた経典である。その中に、ヒンズー教の思想が、混入した。
過去、現在、未来……。何気なく使っている言葉だが、この3つの言葉の中には、底
知れぬ謎が隠されている。
この3つを攻めていくと、ひょっとしたら、そこに生きることにまつわる真理を、発
見することができるかもしれない。
そこでその第一歩。あなたは、その3つが、どのような関連性をもっていると考えて
いるか。
一度、頭の中の常識をどこかへやって、自分の頭で、それを考えてみてほしい。
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●再び輪廻について。
たとえば輪廻というほどではないにしても、毎日が毎日の繰り返し……という人生に、
どれほどの意味があるというのか。そのことは、老人介護センターにいる老人たちを見れ
ばわかる。(だからといって、そこに住む老人たちの人生に意味はないと言っているのでは
ない。誤解のないように!)
毎日、毎日、同じことを繰り返しているだけ。同じ時刻に起きて、同じ時刻に食事を
して、あとは一日中、テレビの前に座っているだけ。
これは老人介護センターの中の老人たちの話だが、私たちの生活にしても、似たよう
なもの。今日は、昨日と同じ。今年は、去年と同じ、と。
これもひとつの輪廻とすると、私たちがつぎに考えなければならないことは、どうす
れば、この輪廻を断ち切ることができるかということ。
まさか瞑想(ヨーガ)をすればよいと説く人はいないと思う。(ヨーガというと、あの
O真理教を連想し、どうもイメージがよくない。)しかしだれも、このままでよいとは思っ
ていない。
そこでひとつのヒントとして、サルトルは、こう説いた。「自由なる意思で、自由を求
め、思考し、自ら意思を決定していくことこそ重要」と。つまりこの輪廻を断ち切るため
には、「私は私」と、その「輪」の中から飛び出すことではないか。
……と書いたところで、「ウ~ン」とうなって、筆が止まってしまった。そのことをワイ
フに話すと、ワイフも、そう言った。
私「思いきって、オーストラリアへ移住しようか?」
ワ「移住でなくても、2~3年なら、いいわ」
私「このままだと、ぼくたちの人生も、このまま終わってしまう」
ワ「そうね。自分たちがどうあるべきか、まず、それを考えなくては……」と。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
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