●映画『天使と悪魔』
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おとといの夜、映画『天使と悪魔』を見てきた。
星は、★★★の3つ。
おもしろかったが、少し技巧的すぎる?
原作は、ダン・ブラウン著『天国と地獄』。
実は映画に先立って、先週、その単行本を買ってきた。
(上)(中)(下)の3巻に分かれていた(角川文庫)。
しかし私が買ったのは、(上)だけ。
そのときすでに映画を見ようと心に決めていたので、
結末まで知ってしまったのでは、おもしろくない。
それで(上)だけ。
が、本の内容と映画の内容が、あまりにもちがって
いたのには驚いた。
本のほうは、どこかSF的。
つまりSFと、オカルトと、推理。
この3つを兼ね備えた内容。
その分だけ、映画への期待は大きかった。
が、映画のほうは、ただの推理+アクション映画。
そんなわけで、かなりガッカリ!
せめてX-33という、UFOのような飛行機くらいは
登場させてほしかった。
で、星は3つ。
(先に本を読んでいなければ、星は4つだったかもしれない。)
で、バチカン内部で殺人事件?
カトリック教徒の人には、不愉快な映画にちがいない。
が、そこは映画。
理性のある人は、一線を引くことができる。
が、これがもし、イスラム教のメッカが舞台だったら、
どうか?
メッカ内部で殺人事件?
もしそんな映画だったら、イスラム教徒による暴動が起きるかもしれない。
映画館を襲撃して、爆破するとか……?
つまり同じ宗教を信じていても、その一線が引けるかどうかで、
その宗教の理性度を知ることができる(?)。
だからといってイスラム教の理性度が低いということではない。
しかしこの日本にも、ほんの少し批判されただけで、
つぎつぎと相手を裁判所へ訴えている宗教団体がある。
窮屈といえば、窮屈。
宗教には、ある種の(窮屈さ)がつきものだが、
その窮屈さが、かえって一般の人を遠ざけてしまう。
で、映画を見終わったあと、「カトリック教って、結構わかりやすいな」と
感じた。
言いかえると、「結構心が広いな」と。
「バチカン内部」といっても、もちろん、すべてセット。
あるいはCG合成(?)。
が、それでもバチカン内部の様子がわかって、おもしろかった。
私の知らない世界だけに、おもしろかった。
つぎはいよいよ『スタートレック』!
待ってましたア!
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●識字能力
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少し前、識字能力について書いた。
識字能力……読み書きできる人のことを、識字者という。
それができない人を、非識字者という。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関=UNESCO)では、識字について、
「日常生活における短い簡単な文章の読み書きができる人を識字者、
できない人を非識字者」と定義している。
日本では、昔、文字を読めない人を、「文盲」と呼んだ。
しかしその後の教育の整備が進んで、今では、文盲の人はいないということになっている。
そこで近年では、(1)文字は読めても、(2)それを理解できない人を、非識字者と
位置づける学者も多い。
ポイントは、一応の読み書きはできる。
しかし読んでも、それを理解することができない、というところにある。
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●言葉と文字
言葉の発達が、人類を飛躍的に進化させた。
しかしその人類をさらに文明人へと進化させたのは、文字の発達ということになる。
人類は文字を使うことで、過去を未来へ伝えることができるようになった。
遠く離れた人に、そのときの感情を伝えることができるようになった。
言いかえると、(言葉)と(文字)、この2つが、人類と動物の分かれ目ということになる。
●文字を読まない人
その文字について、会話程度の簡単な文章を読むことはできても、やや難解な
文章になると、それを読んで理解できない人は多い。
程度の差もある。
だから、どの程度理解できれば問題なく、どの程度理解できなければ
問題と、一概に言うことはできない。
しかし現実には、文字という文字を、ほとんど読まない人は多い。
その人の周辺をさぐってみれば、それがわかる。
文字を読まない人の周辺には、当然のことながら、本という本が、ほとんどない。
雑誌もない。
50代、60代の人に多いが、30代、40代の人にも、ときどき見られる。
日常的に文字をよく読んでいる人には、信じがたいことかもしれないが、
現実にはいる。
●非識字者
映画俳優のトム・クルーズが、そのタイプのLD児であったことは、よく
知られている。
本人自身がそれを告白している。
だからトム・クルーズのばあいは、台本は、だれかに読んでもらい、それを耳で
聞いて覚えるのだそうだ。
で、そんな話をしていたら、A氏(60歳、長い間の仕事仲間)が、こう言った。
「実は私の姉がそうです」と。
「簡単な手紙の読み書きはできますが、少し難解な文章になると、読んで理解しよう
ともしません」と。
具体的には、書類を目の前に置いただけで、「私にはそんなもの、読んでもわからない!」
と言って、手で払いのけてしまうという。
私「文字は書けるのですか?」
A「簡単な手紙なんかは、ときどき書いてきます」
私「難解な文章といっても、どの程度の文章ですか?」
A「役所から来るような公文書などは、だめですね」
私「家庭医学書なんかは、どうですか?」
A「ぜったいに、だめですね」と。
●LD児
子どもの世界にも、文字を読めない子どもというのは、いる。
最近では、LD児(Learning Disability=学習障害児)と位置づけられている。
LD児といっても、症状はさまざまで、集中力が極端に低下している子どもから、
計算なら計算というように、ある特殊な分野のみ苦手という子どももいる。
もちろん文章を読み切れない子どもも、多い。
具体的には、算数の文章問題が理解できないというような症状となって表れる。
こうした子どものばあい、指導といっても、脳の機能に関する問題であるだけに、
それがむずかしい。
一般的には、(学校教育の現場では)、「苦手分野には目をつぶり、得意分野を伸ばす」
(某小学校校長談)という方法で対処する。
苦手分野だけを集中的に指導していると、子どもが神経質になってしまう。
「だれにでも、得意、不得意がある」というおおらかさが、このタイプの子どもを
伸ばす。
●大切なのは訓練(?)
問題は、実は、私たち。
加齢とともに、どうしても集中力が鈍くなる。
その分だけ、読解力が弱くなる。
識字能力が弱くなる。
新聞程度は読むことはできても、小説となると、とたんに弱くなる。
しかしこれも肉体の健康論と、似ている。
歩くことはできても、しばらく乗っていないと、自転車に乗れなくなる、など。
わかりやすく言えば、識字能力も、訓練によって維持できるのでは?
訓練しなければ、そのまま衰退する。
しかも加齢とともに、衰退するスピードが、加速度的に速くなる。
小説にしても、しばらく読んでいないと、最初のとっかかりのところで、苦労する。
(というのも、小説というのは、作者の癖によって、書き方がみなちがうから。)
その作者の文体になれるのに、しばらく時間がかかる。
私「ところであなたの姉さんは、おいくつですか?」
A「今年、70歳になります」
私「それじゃあ、まあ、歳相応ってことじゃ、ないですか?」
A「それがですね、このとことますますひどくなってきたようです」
私「ひどいって?」
A「新聞にも目を通さなくなってきました」と。
●模擬体験
では、非識字者というのは、どういう人をいうのか。
たまたま今、私の目の前には、新聞の切り抜きがある。
何枚か無造作に置いてあるが、その一枚が、さかさまになっている。
私はそれをぼんやりと眺めている。
が、眺めているだけで、内容が伝わってこない。
並んでいる文字全体が、何かの模様のようですらある。
もちろんこのとき、目を凝らして、逆に読めば意味はわかる。
しかしぼんやりと眺めていると、意味がわからない。
非識字者の目に映る文字というのは、たぶん、そういうものではないか。
頭の中で、文字の意味が論理的につながっていかない……(?)。
●やはり訓練
言葉と文字が、人間と動物の分かれ目ということなら、識字能力を失うということは、
人間が人間でなくなってしまうことを意味する。
(それほど大げさな問題ではないかもしれないが、深刻な問題であることは事実。)
そこで大切なのが、訓練ということになる。
肉体の訓練をするためにジョギングに出かけるように、あえて書店へでかけ、本を
買う。
買って読む。
こうした努力が、識字能力を高める。
で、もしその能力が低下してきたら、どうなるか?
それについては、A氏がこう話してくれた。
それを箇条書きにまとめてみる。
(1) 電話で話していても、要点がよくわからない。(何を言いたいか、よくわからない。)
(2) 言葉の使い方が、不適切で、文章になっていない。(感情的な言い方が多い。)
(3) 思慮深さが衰えてきた。(こちらの言うことを、深く理解できない。)
(4) 繊細な会話ができない。(言葉をぶつけるように話す、など。)
(5) グチが多くなり、そのグチを自分でコントロールできない。
(6) 思考の一貫性がなくなってきた。(会うたびに、話しの内容が変化する。)
この中でとくに重要なのが、(3)の思慮深さ。
人間は文字を読み書きすることによって、思慮深さを養う。
それをやめたとたん、その時点から、思慮深さは衰退する。
識字能力には、そういう問題も含まれる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
識字能力 非識字者 文章を理解できない はやし浩司 識字能力 思慮深さ)
2009年5月18日月曜日
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