2009年5月25日月曜日

*Memory of the man

●5月26日(感覚記憶)

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今日は月曜日。
今週も、始まった。
さわやかな冷気。
乾いた風。
頭はどこか重い。
それをのぞけば、快調。

書斎に入る。
パソコンに電源を入れる。
メールに目を通す。
「公開教室」の
カウント数を見る。
最近は、これが何よりも
楽しみ。

毎日のアクセス数に合わせて、
過去数週分の、平均値が
示される。
それが毎週、どんどんと
ふえている。

その数字を見ていると、
やる気が出てくる。

さあ、今日もがんばるぞ!

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●記憶

ぼんやりとパソコンの画面をながめる。
ニュースのタイトルが、ズラリと並んでいる。

「?」と思ったり、「!」と思ったり。
タイトルを、そのつどクリックする。
ニュースの内容が表示される。
目を通す……。

バッキンガム宮殿……UAEで新型インフル……厚生省……温室ガス効果……。
未明に火事……日中韓のレベル……シャトル帰還……国民葬……(5・26)。

が、このあとおもしろい現象が起きる。

読んでいるときは、それほど関心を引かなかった記事が、そのあとぐんぐんと脳みその
中でふくらんでくることがある。
そこでもう一度その記事を読みなおしてみたいと思うのだが、それがどこのどの記事
だったかが、思いだせない。
で、またあちこちを開きなおしてみる。
が、見つからない……。
「?」「?」「?」。

つまり私はニュースサイトの記事に目を通したが、記憶として脳に格納するという
操作をしなかった。
心理学的に言えば、「感覚記憶」だけですませてしまった。

●感覚記憶

ふつう感覚記憶というのは、1秒前後で消失すると言われている。
たとえばパソコンの画面を見る。
右横の方には、ガジェットと呼ばれるコーナーがある。
時刻やカレンダー、株価や為替などがそこに表示されている。
が、そのとき特段の注意を払わなければ、そこに表示されている数字は、そのまま
忘れてしまう。
言うなれば、ただの模様。

これが感覚記憶である。

が、もしこの感覚記憶がなかったら……。
「1秒前後で消失する」とはいうものの、その1秒も残らなかったとしたら……。
私はつぎの記憶操作に移れなくなってしまう。
感覚記憶があるから、たとえその1秒でも、その1秒のうちに、それが重要な情報
であるかを判断することができる。
そして「重要」と判断したときには、脳は、つぎの記憶操作に移動する。
「短期記憶」という記憶操作である。

私はパッパッとガジェットを見ながら、その瞬間、(それこそ1秒以内に)、
重要な数字とそうでない数字を、頭の中でより分ける。
カレンダーを見ながら、ふと円ドルの為替相場を思い出す。
「先週は、1ドル、94・787円で終わったのか……」と。

●短期記憶

こうして感覚記憶を、つぎの短期記憶につなげていく。
「円高になっている……」と。
しかし世界的なドル安の可能性もあるとも考えられる。
あるいは世界的な円高かもしれない……。

そこで各国の通貨を、円やドルと比較してみる。
オーストラリア・ドル、ニュージーランド・ドル、韓国ウォン……。
その結果として、円もドルも下落傾向にあり、相対的にドルのほうが、円よりも
下落率が高いことを知る。

こうして1ドル=94円という数字が、記憶の中に残る。
が、この数字とて、明日になれば忘れる。
(今日の午後かもしれない……。)
忘れるというより、新しい数字がその数字の上に、上書きされる。

では、その数字を、さらに長い間記憶させるためには、どうしたらよいのか。
それが長期記憶ということになる。

●長期記憶

長期記憶は、(記銘)→(保持)→(想起)という3つの段階を経て、脳みその中に
刻みこまれる。
長期記憶として残る。
わかりやすく言えば、(1)まず記憶として、頭の中に叩き込む。
つぎに(2)記憶として、保持する。
あるいは保持するための操作を繰り返す。
そして(3)それをじょうずに、思いだす。

記銘力が弱くなれば、記憶は記憶として残らないことになる。
よく老人になると、物忘れがひどくなると言われるが、私はそうではないと考える。
老人になると、記銘力そのものが弱くなる。
「記憶してやろう」という意欲そのものが、減退する。
だから記憶として残らない。
その結果として、物忘れがひどくなる、と。
これは私の体験からの意見である。

つぎに保持だが、それについては、そのつど反復して思い出すことによって、
より確かなものにすることができる。
英語の単語の暗記を例にあげるまでもない。
が、それだけでは足りない。
何かのことと関連づける必要がある。
最近も、私は、こんな経験をした。

コールバーグという学者がいる。
道徳の完成度を、(1)より公平である、(2)より普遍的であるという2点にしぼって、
まとめあげた学者である。
すばらしい意見である。
が、その名前を忘れてしまった。
何かの場でその名前を思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。

ところが、である。
ある映画を見ていて、だれかかがハンバーグを食べているシーンを見たとき、思いだした。
「コールバーグだ!」と。

私は、そこで「コールバーグ」と「ハンバーグ」を結びつけて、記憶の中に格納した。
で、今では、すぐにその名前を思い出すことができる。……できるようになった。
つまり、「保持」のためには、「反復」「関連づけ」という操作をしなければならない。

●限界はない

では、その長期記憶には、限界があるのか?
私の経験では、加齢とともに、脳みその底に穴があいたような状態になる。
感覚記憶、短期記憶は、どんどんと、下へこぼれ落ちていく。

では、長期記憶はどうか。
一般論としては、長期記憶は一度、記憶されると、ほぼ永遠、つまり死ぬまで
残るとされる。
(ただし想起力が低下すれば、思いだすことができなくなるが……。
また何かの脳の病気になれば、「死ぬまで……」というわけにはいかなくなる。)

また長期記憶には、際限はないとされる。
脳のもつキャパシティには、相当なものがあるらしい。
実感として、100の英語の単語を記憶すれば、一方で100の英語の単語を
忘れてしまうのではないかと思う。
しかし実際には、そういうことはない。
「限界はない」というのが、定説になっている。

新しい長期記憶ができたからといって、別の長期記憶が消えていくなどということは、
ないということ。
だからどんどんと記憶していく。
遠慮なく、記憶していく。

●思考

こうして今、一通り、ニュースサイトを読み終えた。
が、ここからが、私の出番(?)。

ニュースにしても、ただ読んだだけでは、記憶として残るだけ。
もしその段階で終わってしまったら、それこそ、ワイフとの茶飲み話で終わってしまう。
そこで大切なことは、それを思考につなげていくという操作。
それをしないと、私はただの情報人間になってしまう。
またそうすることによって、長期記憶を、より確かなものにすることができる。

たとえば……。
どこかを旅しても、車窓から外をながめていただけでは、長期記憶としては
記憶に残らない。
何かのエピソードと結びつけば、その段階で、短期記憶として残る。
が、さらにしっかりとした長期記憶として残したいと思うなら、
(これはあくまでも私の意見だが)、絵に描いてみるとよい。
あるいはその瞬間に、旅行記を書いてみるとよい。
簡単なメモでもよい。
そうすれば、脳の中に、記憶として、しっかりと(記銘)することができる。

そういう視点で、今日も、いくつかのニュースに興味をもった。
それについては、このあと書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi Hama 感覚記憶 短期記憶 長期記憶 記銘 保持 想起 記憶の
メカニズム)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

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