(追記)(P.S.)
●ミサイル(ICBM)迎撃反対(We just ignore the North Korean’s Missile over Japan)
それにしても、K国は、バカな国である。
バカを通り越して、もうあきれるしかない。
つぎの記事を読めば、あなたにもそれがわかるはず。
『テポドン2号の発射費用について、韓国政府高官は3億ドル(約282億円)前後と推
計している。また、韓国紙・中央日報は今回の核実験費用を最低3億ドルと推計。短距離
ミサイルの発射も含めると、総費用は600億円以上にのぼるとみられる。
韓国政府高官は先月、3億ドルはコメ100万トン分で「1年間の食糧難を解消できる
はずだ」との見方を示した。つまり北は、この2カ月の“火遊び”で食費2年分をぶっ飛
ばしたことになる』(IZA・ニューズ)。
今年、K国国民は、数百万人が餓死状態にあるという。
そういう国民のことは考えず、その費用で、「火遊び」を繰り返している。
こんな国を、まともな国として、相手にしてはいけない。
+++++++++++++++
いいか、またミサイル実験をすることになっても、日本は、あんな国を相手にしては
いけない。
相手にしたとたん、ワナにはまる。
彼らは自滅するか、さもなくば、戦争に打ってい出るか、一か八かの選択に
追い込まれている。
まともな約束さえ、満足にできない国である。
ぜったいに、相手にしてはいけない。
つまり、だから、ミサイル(ICBM)迎撃、反対!
(09年5月31日記)
2009年5月31日日曜日
*I am against shooting down the ICBM launched by North Korea!
●情報革命(K国情報について)
++++++++++++++++++++++
10年前とちがって、今では居ながらにして、
国際情報を手に入れることができる。
以前はといえば、情報を手に入れるだけで、たいへん!
実際には、不可能。
が、今では、様相が変わった。
インターネットのおかげである。
中国や韓国の新聞ですら、そのまま読むことができる。
そんなわけで、防衛省や外務省あたりから漏れ出てくる
情報は別として、(地方)がもっていたハンディが、
ほとんどなくなった。
(中央)にいる評論家と、ほとんど変わらない情報を、
この(地方)にいても、手に入れることができる。
その上で、K国問題について、もう一度、考えてみる。
(中央)の評論家たちは、みな、こう書いている。
K国が核実験したのも、また現在のように、
つぎつぎと対外的に強硬策をとっているのは、
(1) 金xxの健康問題と、(2)後継者問題が
からんでいるから、と。
「金xxの健康問題があり、あせった軍部が、
強硬策を展開している」というわけである。
しかし本当に、そうか?
そう考えてよいのか?
つぎの3つの事実(まさに事実)を、まず並べて
読んでみてほしい。
これらはこの4~5月中に、私が集めた情報である。
++++++++++++++++++++++
【情報1】
今日、韓国の東亜日報の記事を読んでいたら、こんな記事が
目に留まった。
これはK国でのマンションに建設についての記事だが、
こうあった。
『……同マンションは人気が高く、分譲価格は4万ドルだったが、上乗せして4万500
0ドルで購入した人もいたという。K国で富裕層は、主にドルで取り引きする。1ドル
がK国ウォンで約3700ウォンなので大きな取引の場合かさばらないうえ、K国ウ
ォンは、毎日価値が下がるためだ』(韓国:東亜日報・09年4月23日)
この中で注目してほしいのは、「3700ウォン」という数字。
中朝国境付近での、K国ウォンの、実勢交換レートは、「1ドル=3700ウォン」
という。
つまり公式レートの26分の1!
つまり先に書いた、「国家予算、37億ドル」というのは、実は、100分の1程度
に計算しなおして、読まなければならない。
そのまま26分の1にすれば、日本円で、たったの142億円!
142億円だぞ!
「よくそれで国が成り立つ」と、驚くよりほかにない。
ちなみに、島根県の標準財政規模は、2546億円(平成18年度)。
鳥取県の標準財政規模は、1882億円(平成18年度)。
K国の国家予算は、鳥取県の財政規模の、13分の1!
【情報2】
(注※1)【ロンドン28日時事】国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本
部ロンドン)は、28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。こ
の中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面す
る一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した。
報告書によれば、K国は「過去10年間で見られなかった規模」の飢餓に見舞われ、何百
万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食
いつないでいる人も多いという。
こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている。(時事通信・5月28日)
++++++++++++++++++++
情報1の中で、「国家予算、37億ドル」と書いたが、これですら、K国が
勝手に報道している、いわば公式の額。
実際には、もっと少ないと考えられる。
(というのも、どこの国でも、国家予算というのは、自国の通貨で発表するのが、
常識。
アメリカドルで国家予算を発表しているのは、もちろん、USAだけ。)
で、頭の中でこれら2つの情報を、足して2で割ってみてほしい。
で、それに時事通信社が伝える、つぎの情報を足してみてほしい。
++++++++++++++++
【情報3】『国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、5
月28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK
国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一
方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した』(時
事通信より抜粋)と。
同じくWFPも『世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情が極めて深刻な状態にあると
して、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過
去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1
990年代以降では最悪の状況にあるとしていると紹介している」と報告している
……こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている』
++++++++++++++++
さらに(中央)からは、こんな情報も漏れ伝わっている。
「今回の核実験について、近隣の住民たちに対して、避難指示は出されなかったようで
ある」と。
これを【情報4】とする。
さて、どうなるか?
頭の中で
(1)+(2)+(3)をし、それに(4)を加味する。
私のばあい、その答は、(中央)の評論家たちの意見とは、かなり異なったものに
なってくる。
つまりK国が核実験をしたのも、また今度ICBMのミサイル実験の準備をして
いるのも、(1)金xxの健康問題でもなければ、(2)後継者問題でもない。
ズバリ、国内が崩壊状態にあるから、である。
国の内部的崩壊を防ぐために、K国は、あえて外に向って緊張感を演出し、
日本もしくは、韓国に向かって、戦争をしかけようとしている!
その糸口を懸命にさがしている!
そういう例は、今までに何十例とある。
……というより、これは、こうした独裁国家が最後に取る、常とう手段。
●日本の選択
であるなら、なおさら日本は、あんな国を本気で相手にしてはいけない。
また相手にしなければならないような国ではない。
さらに言えば、あんな国を相手に、正義を説いても意味はない。
その価値もない。
どこまでも、どこまでも、あわれで悲しい国である。
今、K国が準備している、ICBMの発射実験でも、当然、それは日本上空を
通過することになる。
そして次回もまた、「迎撃すれば、報復する」とか何とか言って、K国は騒ぐだろう。
しかし日本は、無視すればよい。
無視、無視、無視……。
迎撃の態勢はジェスチャとして見せるは構わない。
しかしぜったいに、迎撃してはいけない。
迎撃すれば、それこそ、K国の思うつぼ。
そのまま日本はK国のワナにはまることになる。
前回(09年4月)のときは、頼まれもしないうちから、早々と日本は、「迎撃」
という言葉を口にした。
そのため、引っ込みがつかなくなってしまった。
次回は、その愚を繰り返してはいけない。
K国のやりたいようにやらせながら、そのあと国際世論でもって、中国を締め上げる。
(K国ではない、中国を、である。
K国など、相手にしてもしかたない。)
中国が動けば、K国は、崩壊する。
そのため朝鮮半島は混乱するが、もうK国の「ゲームに振り回されるのは、うんざり」
(アメリカ国防省・5月31日)。
あんな国と仲よくしろと言われても、それは無理。
もともと、まともな国ではない。
だからあえて先手で、私はこう主張する。
「ICBM、迎撃、反対!」と。
……ついでに一言。
(中央)の評論家たちの意見は、どこか的をはずれている(?)。
もし私の説を疑う人がいたら、再度、(1)+(2)+(3)を読んでみてほしい。
それに(4)を加味してみてほしい。
たぶん、私と同じ意見になるはずである。
大切なことは、弱虫を酷評されても構わないから、日本を戦争に巻き込んでは
いけないということ。
ここは『負けるが勝ち』。
今こそ、平和を守るための私たちの忍耐力が試されているとき。
けっして、あんな国に手を出してはいけない!
(09年5月31日記)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
++++++++++++++++++++++
10年前とちがって、今では居ながらにして、
国際情報を手に入れることができる。
以前はといえば、情報を手に入れるだけで、たいへん!
実際には、不可能。
が、今では、様相が変わった。
インターネットのおかげである。
中国や韓国の新聞ですら、そのまま読むことができる。
そんなわけで、防衛省や外務省あたりから漏れ出てくる
情報は別として、(地方)がもっていたハンディが、
ほとんどなくなった。
(中央)にいる評論家と、ほとんど変わらない情報を、
この(地方)にいても、手に入れることができる。
その上で、K国問題について、もう一度、考えてみる。
(中央)の評論家たちは、みな、こう書いている。
K国が核実験したのも、また現在のように、
つぎつぎと対外的に強硬策をとっているのは、
(1) 金xxの健康問題と、(2)後継者問題が
からんでいるから、と。
「金xxの健康問題があり、あせった軍部が、
強硬策を展開している」というわけである。
しかし本当に、そうか?
そう考えてよいのか?
つぎの3つの事実(まさに事実)を、まず並べて
読んでみてほしい。
これらはこの4~5月中に、私が集めた情報である。
++++++++++++++++++++++
【情報1】
今日、韓国の東亜日報の記事を読んでいたら、こんな記事が
目に留まった。
これはK国でのマンションに建設についての記事だが、
こうあった。
『……同マンションは人気が高く、分譲価格は4万ドルだったが、上乗せして4万500
0ドルで購入した人もいたという。K国で富裕層は、主にドルで取り引きする。1ドル
がK国ウォンで約3700ウォンなので大きな取引の場合かさばらないうえ、K国ウ
ォンは、毎日価値が下がるためだ』(韓国:東亜日報・09年4月23日)
この中で注目してほしいのは、「3700ウォン」という数字。
中朝国境付近での、K国ウォンの、実勢交換レートは、「1ドル=3700ウォン」
という。
つまり公式レートの26分の1!
つまり先に書いた、「国家予算、37億ドル」というのは、実は、100分の1程度
に計算しなおして、読まなければならない。
そのまま26分の1にすれば、日本円で、たったの142億円!
142億円だぞ!
「よくそれで国が成り立つ」と、驚くよりほかにない。
ちなみに、島根県の標準財政規模は、2546億円(平成18年度)。
鳥取県の標準財政規模は、1882億円(平成18年度)。
K国の国家予算は、鳥取県の財政規模の、13分の1!
【情報2】
(注※1)【ロンドン28日時事】国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本
部ロンドン)は、28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。こ
の中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面す
る一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した。
報告書によれば、K国は「過去10年間で見られなかった規模」の飢餓に見舞われ、何百
万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食
いつないでいる人も多いという。
こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている。(時事通信・5月28日)
++++++++++++++++++++
情報1の中で、「国家予算、37億ドル」と書いたが、これですら、K国が
勝手に報道している、いわば公式の額。
実際には、もっと少ないと考えられる。
(というのも、どこの国でも、国家予算というのは、自国の通貨で発表するのが、
常識。
アメリカドルで国家予算を発表しているのは、もちろん、USAだけ。)
で、頭の中でこれら2つの情報を、足して2で割ってみてほしい。
で、それに時事通信社が伝える、つぎの情報を足してみてほしい。
++++++++++++++++
【情報3】『国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、5
月28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK
国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一
方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した』(時
事通信より抜粋)と。
同じくWFPも『世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情が極めて深刻な状態にあると
して、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過
去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1
990年代以降では最悪の状況にあるとしていると紹介している」と報告している
……こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている』
++++++++++++++++
さらに(中央)からは、こんな情報も漏れ伝わっている。
「今回の核実験について、近隣の住民たちに対して、避難指示は出されなかったようで
ある」と。
これを【情報4】とする。
さて、どうなるか?
頭の中で
(1)+(2)+(3)をし、それに(4)を加味する。
私のばあい、その答は、(中央)の評論家たちの意見とは、かなり異なったものに
なってくる。
つまりK国が核実験をしたのも、また今度ICBMのミサイル実験の準備をして
いるのも、(1)金xxの健康問題でもなければ、(2)後継者問題でもない。
ズバリ、国内が崩壊状態にあるから、である。
国の内部的崩壊を防ぐために、K国は、あえて外に向って緊張感を演出し、
日本もしくは、韓国に向かって、戦争をしかけようとしている!
その糸口を懸命にさがしている!
そういう例は、今までに何十例とある。
……というより、これは、こうした独裁国家が最後に取る、常とう手段。
●日本の選択
であるなら、なおさら日本は、あんな国を本気で相手にしてはいけない。
また相手にしなければならないような国ではない。
さらに言えば、あんな国を相手に、正義を説いても意味はない。
その価値もない。
どこまでも、どこまでも、あわれで悲しい国である。
今、K国が準備している、ICBMの発射実験でも、当然、それは日本上空を
通過することになる。
そして次回もまた、「迎撃すれば、報復する」とか何とか言って、K国は騒ぐだろう。
しかし日本は、無視すればよい。
無視、無視、無視……。
迎撃の態勢はジェスチャとして見せるは構わない。
しかしぜったいに、迎撃してはいけない。
迎撃すれば、それこそ、K国の思うつぼ。
そのまま日本はK国のワナにはまることになる。
前回(09年4月)のときは、頼まれもしないうちから、早々と日本は、「迎撃」
という言葉を口にした。
そのため、引っ込みがつかなくなってしまった。
次回は、その愚を繰り返してはいけない。
K国のやりたいようにやらせながら、そのあと国際世論でもって、中国を締め上げる。
(K国ではない、中国を、である。
K国など、相手にしてもしかたない。)
中国が動けば、K国は、崩壊する。
そのため朝鮮半島は混乱するが、もうK国の「ゲームに振り回されるのは、うんざり」
(アメリカ国防省・5月31日)。
あんな国と仲よくしろと言われても、それは無理。
もともと、まともな国ではない。
だからあえて先手で、私はこう主張する。
「ICBM、迎撃、反対!」と。
……ついでに一言。
(中央)の評論家たちの意見は、どこか的をはずれている(?)。
もし私の説を疑う人がいたら、再度、(1)+(2)+(3)を読んでみてほしい。
それに(4)を加味してみてほしい。
たぶん、私と同じ意見になるはずである。
大切なことは、弱虫を酷評されても構わないから、日本を戦争に巻き込んでは
いけないということ。
ここは『負けるが勝ち』。
今こそ、平和を守るための私たちの忍耐力が試されているとき。
けっして、あんな国に手を出してはいけない!
(09年5月31日記)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
*My Son's girlfriend has become pregnant...
【掲示板への相談より】
++++++++++++++++++++
Nさんの息子さんは、今年、大学に入学しました。
しかしつきあっていた、1歳年上の女性が、
妊娠してしまったというのです。
現在、妊娠6か月。
Nさん夫婦は、息子さんたちの交際に反対していま
した。相手の女性の両親にも、何度もその旨を
伝えていたといいます。
しかし息子さんは、ときどき、相手の女性の家に
連泊。相手の女性の両親は、息子さんがそうすることを、
むしろ歓迎するようなところがあったといいます。
また相手の女性には、それ以前につきあっていた男性
との間にできた、1人の子どもがいます。
その子どもは、現在、満1歳。
そのNさんからの相談です。
掲示板でのやりとりを、そのままここに転写します。
Nさんは、今、落胆のドン底にいます。
みなさんの中で、同じような経験をなさった人が
いれば、どうか連絡してください。
Nさんにとって、何かの助けになれば、
うれしいです。
++++++++++++++++++++
【Nより、林へ】
2月に相談にのっていただいた、元高3息子の母です。
息子の彼女は18歳。1歳の子持ち。
その後、私は林先生のおっしゃる通りにして、頑張ってきました。
息子はなんとか大学に合格して(彼女の家のそば)、卒業もできました。
先生のおかげです。ありがとうございます。
息子は2時間半かけて大学に毎日通っています。彼女のところに行かなくなりました。
大学での女友達もできたようです。先生のおっしゃる通りだと思っていました。
そして、息子も「彼女とは終わった」と言いました。
ところがです、先週、彼女の母親から電話がありました。主人がでました。「娘とは終わったよ
うですが、携帯代その他もろもろのお金を立て替えている。話もあるので、その旨、伝えてほし
い。」とのことでした。
主人は「はじめから認めてないつきあいなので、電話あったことは伝えてきますが、後は息子と
話し合ってください」と言ったそうです。
また、今日電話あり、主人がでました。「息子さんから連絡がない。娘は妊娠6ヶ月です」と。
主人は「始めからずっと反対していると言っていたのに、あなたが2人の仲をあおってきた。携
帯代も払わないでくれ、交通費を出すのもやめてくれ、下宿先も教えないでくれ、といったの
に、あなたと娘さんがすべてしたのです。話し合いは息子としてくれ。一切知りません。」と言っ
たそうです。
今いる彼女の子どもも、元の彼からは、認知してもらっていないと聞いています。
主人も私も息子にすべて任せるつもりです。半分巣立っているのだから・・・
おかしいでしょうか?!
無責任でしょうか?!
でも、今までこんなにも息子と息子の彼女とその親に振り回されてきたのです。息子の1番大
事なときにでも、夜中でも「きて」と言われれば、息子は飛んでいきました。それで4日も帰って
こないことしばしばです。 私達親は、つらかったです。
まだ未青年だけど、巣立ったものとして、本人に任せてよいでしょうか?!
お忙しいのに申し訳ありません。教えてください.
【林より、Nへ】
まゆっくりと考えてみますが、妊娠の件は、フィクションではないかと思います。
きわめて重要な妊娠の話をさておいて、その前に、どうでもよい携帯電話の立替代の話を
請求してくるということは、どう考えても、不自然です。
私が相手の親なら、先週の電話で、開口一番、妊娠の話をしたと思います。
6か月もたっているというのでは、日数もおかしいですね。
まだつきあっているころに、すでに妊娠のことはわかっていたはずですから?
2月にNさんから相談があったときには、妊娠3か月目だったということになるわけです……。
相手の女性は、それに気づかなかったのでしょうか。
息子さんと連絡をとって、そのあたりの事情というか、様子を一度、確認なさって
みてはいかがでしょうか。
ご主人の態度は、立派です。支持します。こういうときは、夫婦が一丸となることです。
たじろいだり、不協和音を相手に見せてはいけません。どんなときも、毅然と、あなたの
ご主人の言ったとおりの態度と姿勢で臨みます。ここが重要です。
息子さんの年齢には、少し負担が大きすぎる事案かと思います。内部では、息子さんを
支え、外部に向かっては、「息子と解決してくれ」と主張なさることが、何よりも
賢明です。
本当に6か月なら、(私はウソだと思いますが)、中絶もできません。仮に妊娠が
本当であるとしても、認知の立証義務は、女性の側にありますから、ここは今、しばらく
様子を見られたらいかがでしょうか。息子さんの子であるという証拠を相手がもってくるまで、
否定つづけるのが、正攻法です。今のところ、打つ手はありません。
またあとでゆっくりと考えて返事を書きます。
【Nより、林へ】
ありがとうございます。
今日の朝方息子は酔って帰ってきました。
彼女のことを言うと、すでに妊娠のことは、2月には知っていたそうです。その時は結婚も考え
たそうですが、またいやになり、おろす事を2人で考えたそうです。
彼女の親はその時点で知っていたそうです。それを告げると、「そうなの?!」とだけ言ったそ
うです。
どうして、妊娠がわかった時点で、彼女の親は、こちらに言ってくれなかったのでしょう?
彼女から3月の終わりに、「別れよう」と言ったそうです。「子供は1人で育てる」と。
彼女の親が妊娠6か月まで言わなかったのは、養育費をこちらに請求するためなのかもしれ
ません。
今までずっと私たち親が、「交際をやめてください」ということを、ずっと言ってきました。
彼女の元彼との間にできた、17才のときに生んだ子供も認知してもらってないそうです。
息子には、入学の前日に「もし、今の彼女との間に子供でもできたらお前との縁は切る」と主人
がいいました。だから息子は、何も言えなかったと、今になって言います。
息子は今、彼女もおなかの子どもも死ねばいい。うざい。と言います。
あまりにも甘いです。
弁護士を立てて話したほうがいいでしょうか?!
私は主人の意見に従おうと思っていますが、息子があまりにも幼すぎて、らちがあかないよう
にも思えます。
お忙しいのに申し訳ございません。よろしくお願いいたします。
【林よりNへ】
そうでしたか……。
この際、責任のなすりあいをしても意味がありませんので、運命は運命として、
受け入れるしかないと思います。(もちろん、そんなことは相手に伝える必要
はありませんが……。あくまでも、こちら側の心づもりとして、です。)
運命というのは、それをのろったとき、悪魔に変身します。しかし受け入れて
しまえば、悪魔は向こうから退散していきます。
あなたのかわいい孫が誕生するのです。生まれ方には、少し問題がありますが、
孫は孫です。
法律的には、あなたのほうにも言い分はあるでしょうが、養育費ということに
なると、拒否はできません。弁護士を立ててくるのは、先方のほうですから、
相手がそう出てきたときに、はじめて、こちらも弁護士に相談してみたら
どうでしょうか。今は、こちらから動くべきときではありません。
息子さんと、向こうの女性と、話し合って解決するのが、何よりも第一です。
親のあなたたちに養育費の支払い義務はありませんので、そういう話があったても、親として
は、きっぱりと、拒否することです。
息子さんに、支払能力がないことは常識ですから、相手も強くは言えないはずです。
ただ、息子さんが、大学を卒業したあと、収入が入るようになった段階で、
養育費の問題は出てくると思います。その覚悟はしておく必要があります。
金額などは、そのとき弁護士双方で、調停でもすればよいかと思います。家事調停なら、
家庭裁判所で、当事者どうしでもできます。
弁護士……ということになると、話がおおげさになりますし、しこりも残ります。
当事者どうしで、円満に解決なさるほうが、賢明かと思います。
また、認知の問題も出てくることでしょう。しかし息子さんは、この問題から
逃げることはできません。
だったら、前向きに受け入れていくしかありません。
なお後日の係争のため、こちら側の言い分などについては、
証拠が取れるものについては、きちんと証拠を取っておくことをお勧めします。
電話なども、すべて録音されることを、お勧めします。
また息子さんと相手の女性との会話についても、
きちんと何らかの方法で、録音しておくことです。息子さんには、
そうお伝えください。
これからは、そうしてください。
親として、こちらから出る幕はありませんので、
相手から何かの動きがあるまで、動く必要はありません。
あとは親どうしでお金で解決するという方法もありますが、
それも一考してみてください。慰謝料、養育費の請求放棄などの
念書は、取っておきます。
苦しいご心中は察しますが、この際、冒頭にも書いたように、
運命を受け入れるのが、その苦しさから逃れる唯一の方法かと
思います。
1人の人間が、もうすぐ、この世に誕生するのですから……。
親というのは、子どもたちの尻拭いばかりさせられるものですよ。
ただ息子さんには、「お前には、人間として責任がある」と、はっきり
言っておくことは重要です。この問題だけは、息子さんにも、逃げる
ことはできません。そういう自覚だけは、しっかりともってもらいます。
ともかくも、相手の出方を、しばらく静観することしか、今のところ、
どうしようもないように思います。そのときがきたら、その覚悟をして
対処します。今は、そういう状況だと思います。
以上、参考までに……。
はやし浩司
【Nより、林へ】
ありがとうございます。
向こうから何か言ってくるまで静観します。
養育費の問題もわかりました。
ただ、息子は、他人ごとのように考えているようです。
彼女もおなかの子についても、死ねばいいなどとばかなことをいいます。
だからこそよけいに息子には、正面から向きあってもらいます.
息子が入学前に主人が「もし、今の彼女との間に子供でもできたら縁を切る。そしてお前への
援助(学費など)一切打ち切る。それを頭に置いて行動しろ」と、伝えていました。
息子は今日「だから言わなかった」と言いました。
今後、息子への親としての対応も考えていかねばなりません.
あのように言い切った以上、息子には一応制裁を親として与えるべきでしょうか?
1人暮らしをしてもらうとか・・・。
未成年だけど、大人として扱い、自立してもらう。
どうでしょうか?!
お忙しいのに申し訳ありません。
読んでいただきありがとうございました。
【林よりNへ】
Nさんのご家庭では、(おどし)が、親子の会話の基本になっているようで、気になります。
「縁を切る」とか、「学費を打ち切る」とか、そういう極端な言い方は、親子の間ではあまりしな
いほうがよいかと思います。あるいは長い過程の中で、そういう言い方になってしまったのでし
ょうか。
おどしても、聞かない。だからますます強いおどしをかける。この悪循環が、どこかで始まって
しまったのかもしれませんね。しかしここは、冷静になってください。
まずもって心配されるのは、Nさんが、息子さんの言い分だけしか聞いていないということで
す。息子さんは、「相手の女性が、別れると言った」「子どもはひとりで育てると言った」と言って
いるようですが、本当にそうでしょうか。ひょっとしたら、相手の女性は、相手の親たちには、別
のことを言っているかもしれません。
ですからこちら側だけの言い分を相手にぶつけてしまうと、こうした事案は、こじれてしまいま
す。ですから、ますます冷静になってください。
客観的に見ますと、その女性の最初の子どもは、その女性がどこかで遊んでいてできた子ど
もということになります。しかし息子さんとの間にできた子どもは、相手の親たちが公認のもと、
しかも息子さんが、その相手の家に出入りしている間にできた子どもということになります。
「結婚する意思はなかった」と言っても、それは通らないかもしれません。あなたたちから見る
と、交際に反対していたのに、相手の親たちが勝手に、息子をかどわかしたということになりま
す。しかしひょっとしたら、相手の親たちは、そうは思っていないかもしれません。息子さんが、
相手の親たちに、どのような接し方をしていたのかは、あなたたちには、わからないわけです
から……。
息子さんは、あなたたちにウソは言っていないと思います。しかしすべてを話しているとも、思
われません。
そんなわけで、まず、当事者どうし、つまり息子さんと、相手の女性と、冷静に話しあう機会と
場所を、つくるようにし向けるのが、最善かと思います。
お気持ちは理解できますが、「縁を切る」とか、「学費を止める」とか、さらには、「制裁する」と
いう話は、今、すべきではありません。またそれにこだわったところで、問題は解決しません。
この問題の基本には、あなたたち夫婦と、息子さんとの間で、長い時間の中で作られた、深
い、不信感があります。
私の印象では、あなたの夫は、かなり権威主義的な、つまり古風な、親風を吹かすタイプの
父親ではなかったかと思います。もしそうなら、そうした父親に追いつめられていった、息子さ
んの気持ちが私には、よく理解できます。
……とまあ、あなたたちを責めるようなことばかり書きましたが、(子どもができてしまった)と
いう事実は、それくらい責任の重い話だということです。半分は、生まれてくる子どもの立場で、
ものを考えなくてはいけません。そういう子どもを、「うざい」とか、「死んでくれればいい」などと
いうのは、言語道断です。
仮にあなたの息子さんが、(それにあなたたち夫婦も)、この問題からうまく(?)逃げ切ったと
しても、後味の悪さだけが残り、その後味の悪さは、息子さんにも、あなたたちにも、死ぬまで
ついて回るでしょう。
だったら、前にも書いたように、この問題は、前向きに考えていきます。逃げるのでなく、正面
からぶつかっていきます。それこそ、相手の女性の子どもを、相手の女性が育てないというの
なら、引き取るぐらいの覚悟はもちます。(だからといって、こちら側から、それを申し出る必要
はありませんが……。)
またそういう覚悟ができたとき、Nさんたちは、運命を受け入れたことになり、今の悶々とした
苦しみから解放されることになります。
今こそ、息子さんと、冷静に話しあってみてください。おどすのではなく、冷静に、です。おた
がいに感情的になってしまったので、話しあいにもなりません。ですから、話し方としては、「あ
なたも苦しんでいると思うけど、どうしたらいいの? お父さんも、お母さんも、協力できる面が
あれば、協力する」というような言い方をします。
「あなたの問題だから、あなたが解決しなさい」という言い方では、息子さんは、もっと突っ張
ってしまうかもしれません。
あなたたちと息子さんの関係がよくわかりませんが、私の印象では、すでに断絶状態から、
修復不可能に近い段階まで進んでいるように感じます。が、これを機会に、もう一度、親子の
つながりを、取り戻すことができるかもしれません。
あなたたち夫婦が、相手の親の立場ではなく、相手の女性の立場でもなく、生まれてくる子ど
もの立場で話をすれば、息子さんも、静かに話を聞いてくれるはずです。息子さんには、養育
費を払えとか、払わなくてもいいという話をするのではなく、当然、払うべきだという話し方をし
ます。
(だからといって、こちら側から、今、それを相手に申し出るという必要はありません。あくまで
も、人間として、1人の父親としての自覚と、責任を感じてもらいます。)
十字架としては、少し大きすぎる十字架ですが、だれしも、この種の十字架の1本や2本は、
背負って生きているものです。しかしその十字架も、相手の両親や、女性のことを考えるなら、
何でもないものかもしれません。相手の女性は、18歳という若さで、これから先、2人の子ども
を育てていかねばなりません。
欧米だったら、養子制度が発達していますから、今の段階で、養子縁組ができますが、この
日本では、それもままなりません。
そんなわけで、もしあなたにその勇気と度量があるなら、つぎに相手の親から電話がかかっ
てきたら、「一度、娘さんと会って話をしてみたい」「息子にも、よく言い伝えておくので、息子と
娘さんが話しあう機会と場所を、提供したい」と言ってみてください。どこまでも穏やかに、冷静
に、かつ相手を責めることなく、です。
決して、「私たちには責任はない」と、はね返してはいけません。もちろんこれらの話は、相手
から何らかのアクションがあってからのことですが……。
今の状況は、当事者みなが、それぞれに追いつめられて、たがいにキズつけあっている。私
には、そう見えてなりません。ただ時期が、5年から10年、平均的な恋愛より、早かったという
だけのことです。
なお法律的には、あなたがた両親には、養育費の支払い義務はありません。相手の両親に
も、請求権はありません。養育費を請求できるのは、子どものみ。子どもが未成年のときは、
親がその請求権を代行します。つまり相手の女性だけが、請求権を代行できます。しかし話し
あいの過程で、(取り決め)として、相手の女性が、あなたがた夫婦に、保証人になるように求
めてくる可能性はあります。(現に今、息子さんには支払能力はありませんので……。)
もしそうならば、つまりあなたがたが保証人になれば、その結果として、たとえば息子さんか
らの養育費が2回程度、延滞したりすると、保証人のあなたがたに支払い義務が生ずることに
なります。
私も法科の学生でしたが、今は、この程度にしか、わかりません。まちがっているかもしれま
せんので、そのときは、弁護士に相談してみてください。
ともかくも、息子さんと相手の女性の話しあいを、何よりも優先させてください。それが第一歩
です。
【Nより、林へ】
いろいろとありがとうございます。
昨夜、私の同級生の弁護士に相談しました。
はやし先生と同じことをおっしゃいました。
ただ、息子は学生なので卒業してから支払能力発生になる、しかし、学生の間もアルバイトで
稼げるのなら支払能力ありになる、ということでした。
息子と話し合いました。と、言っても息子は、ほとんど無言でしたが・・・(昔から話し合いのとき
は無言になります。)
今までに息子は検診費として4万円払ったそうです。その時は結婚まで考えていたそうです。
その後、彼女から別れ話がでたそうです。で、おろす話を2人でしたそうですが、そのままにな
ってしまったそうです。
主人は、「人間としての誠意をみせろ。でないとおまえとの今後の関係を考える。生まれる子供
は一生会うつもりは無い」と言いました。私も承諾しました。
でも、この言葉はきつかったかもしれませんね。
息子は彼女と2人で話し合うと言いました。
私たち両親も同席するのがいいのでしょうか?
でも、彼女の顔をみるのもいやですが・・・。
同級生の弁護士は、2人で話し合いがつかないのな、両親をまじえて、それがだめなら家庭裁
判所で調停するのはどうかと言いました。でも、それは相手が何か言ってきてからのこと、との
こと。(はやし先生の意見と同じです)
去年の夏から一変、辛い日々、息子のことは口にチャックをし、大学に合格するまではと、見
守り続けてきました。彼女の親たちには振り回され、嘘をつかれ・・・。
息子には妊娠はさせてはいけないと、彼女ができてからずっと言いつづけてきたのに・・・・。や
っと巣立ってもらおうと、この7月に下宿するまではと思い、頑張ってきたのに・・・。
最後にこのような結果になり、私は立ち直れそうにもありません。でも、そんな息子に育てたの
は、私たち両親なのですね。
この状態を受け入れるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
息子と顔を合わせるのも辛いのです。
でも、頑張ります。
【林から、Nへ】
息子さんに任せるしかないようですね。
息子さんを責めたり、おどしたりしないように!
こうなってしまったのですから、受け入れて、
前に進みましょう!
それから自分を責めないこと。どこかで歯車が狂って、
それが悪循環となって、今の状況を作っただけです。
【Nから、林へ】
ありがとうございます。
以来、息子は全然、帰ってきません。
何度メールを送っても、返事もありません。
こちらの心配はどうでもいいようです。息子はそういう子です。
だから、主人は息子の態度に誠意がない限り、こちらは息子にたいして協力はしないと言って
います。
まずは息子の様子をみて、息子に任せます。
あちらの親も、1度こちらがつっぱねたので、連絡あるかどうかわかりません。
まずは息子に任せます。
で、間に誰か立ててあちらと話あうかもしれません。
ありがとうございます。
【林より、Nへ】
息子さんは、必ず帰ってきます。
許して忘れ、許して忘れ、
いつ帰ってきてもよいように、
窓をあけ、掃除だけはしておきます。
今こそ、Nさんは、親としての
真の愛情をためされているのですね。
めげないでください。
息子さんを信じて、許して、忘れる、ですよ。
いつか必ず笑い話しになりますよ。
では、
掲示板の記事を、そのまま
マガジンに載せますが、許してくださいね。
同じような問題をかかえている人は
たくさんいます。みんなで力を合わせて
いっしょに、がんばりましょう。
読者からの反応があれば、お知らせします。
力になってくれると思います。
はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 未成
年の子供の恋愛 妊娠 出産 養育費問題 養育費)
++++++++++++++++++++
Nさんの息子さんは、今年、大学に入学しました。
しかしつきあっていた、1歳年上の女性が、
妊娠してしまったというのです。
現在、妊娠6か月。
Nさん夫婦は、息子さんたちの交際に反対していま
した。相手の女性の両親にも、何度もその旨を
伝えていたといいます。
しかし息子さんは、ときどき、相手の女性の家に
連泊。相手の女性の両親は、息子さんがそうすることを、
むしろ歓迎するようなところがあったといいます。
また相手の女性には、それ以前につきあっていた男性
との間にできた、1人の子どもがいます。
その子どもは、現在、満1歳。
そのNさんからの相談です。
掲示板でのやりとりを、そのままここに転写します。
Nさんは、今、落胆のドン底にいます。
みなさんの中で、同じような経験をなさった人が
いれば、どうか連絡してください。
Nさんにとって、何かの助けになれば、
うれしいです。
++++++++++++++++++++
【Nより、林へ】
2月に相談にのっていただいた、元高3息子の母です。
息子の彼女は18歳。1歳の子持ち。
その後、私は林先生のおっしゃる通りにして、頑張ってきました。
息子はなんとか大学に合格して(彼女の家のそば)、卒業もできました。
先生のおかげです。ありがとうございます。
息子は2時間半かけて大学に毎日通っています。彼女のところに行かなくなりました。
大学での女友達もできたようです。先生のおっしゃる通りだと思っていました。
そして、息子も「彼女とは終わった」と言いました。
ところがです、先週、彼女の母親から電話がありました。主人がでました。「娘とは終わったよ
うですが、携帯代その他もろもろのお金を立て替えている。話もあるので、その旨、伝えてほし
い。」とのことでした。
主人は「はじめから認めてないつきあいなので、電話あったことは伝えてきますが、後は息子と
話し合ってください」と言ったそうです。
また、今日電話あり、主人がでました。「息子さんから連絡がない。娘は妊娠6ヶ月です」と。
主人は「始めからずっと反対していると言っていたのに、あなたが2人の仲をあおってきた。携
帯代も払わないでくれ、交通費を出すのもやめてくれ、下宿先も教えないでくれ、といったの
に、あなたと娘さんがすべてしたのです。話し合いは息子としてくれ。一切知りません。」と言っ
たそうです。
今いる彼女の子どもも、元の彼からは、認知してもらっていないと聞いています。
主人も私も息子にすべて任せるつもりです。半分巣立っているのだから・・・
おかしいでしょうか?!
無責任でしょうか?!
でも、今までこんなにも息子と息子の彼女とその親に振り回されてきたのです。息子の1番大
事なときにでも、夜中でも「きて」と言われれば、息子は飛んでいきました。それで4日も帰って
こないことしばしばです。 私達親は、つらかったです。
まだ未青年だけど、巣立ったものとして、本人に任せてよいでしょうか?!
お忙しいのに申し訳ありません。教えてください.
【林より、Nへ】
まゆっくりと考えてみますが、妊娠の件は、フィクションではないかと思います。
きわめて重要な妊娠の話をさておいて、その前に、どうでもよい携帯電話の立替代の話を
請求してくるということは、どう考えても、不自然です。
私が相手の親なら、先週の電話で、開口一番、妊娠の話をしたと思います。
6か月もたっているというのでは、日数もおかしいですね。
まだつきあっているころに、すでに妊娠のことはわかっていたはずですから?
2月にNさんから相談があったときには、妊娠3か月目だったということになるわけです……。
相手の女性は、それに気づかなかったのでしょうか。
息子さんと連絡をとって、そのあたりの事情というか、様子を一度、確認なさって
みてはいかがでしょうか。
ご主人の態度は、立派です。支持します。こういうときは、夫婦が一丸となることです。
たじろいだり、不協和音を相手に見せてはいけません。どんなときも、毅然と、あなたの
ご主人の言ったとおりの態度と姿勢で臨みます。ここが重要です。
息子さんの年齢には、少し負担が大きすぎる事案かと思います。内部では、息子さんを
支え、外部に向かっては、「息子と解決してくれ」と主張なさることが、何よりも
賢明です。
本当に6か月なら、(私はウソだと思いますが)、中絶もできません。仮に妊娠が
本当であるとしても、認知の立証義務は、女性の側にありますから、ここは今、しばらく
様子を見られたらいかがでしょうか。息子さんの子であるという証拠を相手がもってくるまで、
否定つづけるのが、正攻法です。今のところ、打つ手はありません。
またあとでゆっくりと考えて返事を書きます。
【Nより、林へ】
ありがとうございます。
今日の朝方息子は酔って帰ってきました。
彼女のことを言うと、すでに妊娠のことは、2月には知っていたそうです。その時は結婚も考え
たそうですが、またいやになり、おろす事を2人で考えたそうです。
彼女の親はその時点で知っていたそうです。それを告げると、「そうなの?!」とだけ言ったそ
うです。
どうして、妊娠がわかった時点で、彼女の親は、こちらに言ってくれなかったのでしょう?
彼女から3月の終わりに、「別れよう」と言ったそうです。「子供は1人で育てる」と。
彼女の親が妊娠6か月まで言わなかったのは、養育費をこちらに請求するためなのかもしれ
ません。
今までずっと私たち親が、「交際をやめてください」ということを、ずっと言ってきました。
彼女の元彼との間にできた、17才のときに生んだ子供も認知してもらってないそうです。
息子には、入学の前日に「もし、今の彼女との間に子供でもできたらお前との縁は切る」と主人
がいいました。だから息子は、何も言えなかったと、今になって言います。
息子は今、彼女もおなかの子どもも死ねばいい。うざい。と言います。
あまりにも甘いです。
弁護士を立てて話したほうがいいでしょうか?!
私は主人の意見に従おうと思っていますが、息子があまりにも幼すぎて、らちがあかないよう
にも思えます。
お忙しいのに申し訳ございません。よろしくお願いいたします。
【林よりNへ】
そうでしたか……。
この際、責任のなすりあいをしても意味がありませんので、運命は運命として、
受け入れるしかないと思います。(もちろん、そんなことは相手に伝える必要
はありませんが……。あくまでも、こちら側の心づもりとして、です。)
運命というのは、それをのろったとき、悪魔に変身します。しかし受け入れて
しまえば、悪魔は向こうから退散していきます。
あなたのかわいい孫が誕生するのです。生まれ方には、少し問題がありますが、
孫は孫です。
法律的には、あなたのほうにも言い分はあるでしょうが、養育費ということに
なると、拒否はできません。弁護士を立ててくるのは、先方のほうですから、
相手がそう出てきたときに、はじめて、こちらも弁護士に相談してみたら
どうでしょうか。今は、こちらから動くべきときではありません。
息子さんと、向こうの女性と、話し合って解決するのが、何よりも第一です。
親のあなたたちに養育費の支払い義務はありませんので、そういう話があったても、親として
は、きっぱりと、拒否することです。
息子さんに、支払能力がないことは常識ですから、相手も強くは言えないはずです。
ただ、息子さんが、大学を卒業したあと、収入が入るようになった段階で、
養育費の問題は出てくると思います。その覚悟はしておく必要があります。
金額などは、そのとき弁護士双方で、調停でもすればよいかと思います。家事調停なら、
家庭裁判所で、当事者どうしでもできます。
弁護士……ということになると、話がおおげさになりますし、しこりも残ります。
当事者どうしで、円満に解決なさるほうが、賢明かと思います。
また、認知の問題も出てくることでしょう。しかし息子さんは、この問題から
逃げることはできません。
だったら、前向きに受け入れていくしかありません。
なお後日の係争のため、こちら側の言い分などについては、
証拠が取れるものについては、きちんと証拠を取っておくことをお勧めします。
電話なども、すべて録音されることを、お勧めします。
また息子さんと相手の女性との会話についても、
きちんと何らかの方法で、録音しておくことです。息子さんには、
そうお伝えください。
これからは、そうしてください。
親として、こちらから出る幕はありませんので、
相手から何かの動きがあるまで、動く必要はありません。
あとは親どうしでお金で解決するという方法もありますが、
それも一考してみてください。慰謝料、養育費の請求放棄などの
念書は、取っておきます。
苦しいご心中は察しますが、この際、冒頭にも書いたように、
運命を受け入れるのが、その苦しさから逃れる唯一の方法かと
思います。
1人の人間が、もうすぐ、この世に誕生するのですから……。
親というのは、子どもたちの尻拭いばかりさせられるものですよ。
ただ息子さんには、「お前には、人間として責任がある」と、はっきり
言っておくことは重要です。この問題だけは、息子さんにも、逃げる
ことはできません。そういう自覚だけは、しっかりともってもらいます。
ともかくも、相手の出方を、しばらく静観することしか、今のところ、
どうしようもないように思います。そのときがきたら、その覚悟をして
対処します。今は、そういう状況だと思います。
以上、参考までに……。
はやし浩司
【Nより、林へ】
ありがとうございます。
向こうから何か言ってくるまで静観します。
養育費の問題もわかりました。
ただ、息子は、他人ごとのように考えているようです。
彼女もおなかの子についても、死ねばいいなどとばかなことをいいます。
だからこそよけいに息子には、正面から向きあってもらいます.
息子が入学前に主人が「もし、今の彼女との間に子供でもできたら縁を切る。そしてお前への
援助(学費など)一切打ち切る。それを頭に置いて行動しろ」と、伝えていました。
息子は今日「だから言わなかった」と言いました。
今後、息子への親としての対応も考えていかねばなりません.
あのように言い切った以上、息子には一応制裁を親として与えるべきでしょうか?
1人暮らしをしてもらうとか・・・。
未成年だけど、大人として扱い、自立してもらう。
どうでしょうか?!
お忙しいのに申し訳ありません。
読んでいただきありがとうございました。
【林よりNへ】
Nさんのご家庭では、(おどし)が、親子の会話の基本になっているようで、気になります。
「縁を切る」とか、「学費を打ち切る」とか、そういう極端な言い方は、親子の間ではあまりしな
いほうがよいかと思います。あるいは長い過程の中で、そういう言い方になってしまったのでし
ょうか。
おどしても、聞かない。だからますます強いおどしをかける。この悪循環が、どこかで始まって
しまったのかもしれませんね。しかしここは、冷静になってください。
まずもって心配されるのは、Nさんが、息子さんの言い分だけしか聞いていないということで
す。息子さんは、「相手の女性が、別れると言った」「子どもはひとりで育てると言った」と言って
いるようですが、本当にそうでしょうか。ひょっとしたら、相手の女性は、相手の親たちには、別
のことを言っているかもしれません。
ですからこちら側だけの言い分を相手にぶつけてしまうと、こうした事案は、こじれてしまいま
す。ですから、ますます冷静になってください。
客観的に見ますと、その女性の最初の子どもは、その女性がどこかで遊んでいてできた子ど
もということになります。しかし息子さんとの間にできた子どもは、相手の親たちが公認のもと、
しかも息子さんが、その相手の家に出入りしている間にできた子どもということになります。
「結婚する意思はなかった」と言っても、それは通らないかもしれません。あなたたちから見る
と、交際に反対していたのに、相手の親たちが勝手に、息子をかどわかしたということになりま
す。しかしひょっとしたら、相手の親たちは、そうは思っていないかもしれません。息子さんが、
相手の親たちに、どのような接し方をしていたのかは、あなたたちには、わからないわけです
から……。
息子さんは、あなたたちにウソは言っていないと思います。しかしすべてを話しているとも、思
われません。
そんなわけで、まず、当事者どうし、つまり息子さんと、相手の女性と、冷静に話しあう機会と
場所を、つくるようにし向けるのが、最善かと思います。
お気持ちは理解できますが、「縁を切る」とか、「学費を止める」とか、さらには、「制裁する」と
いう話は、今、すべきではありません。またそれにこだわったところで、問題は解決しません。
この問題の基本には、あなたたち夫婦と、息子さんとの間で、長い時間の中で作られた、深
い、不信感があります。
私の印象では、あなたの夫は、かなり権威主義的な、つまり古風な、親風を吹かすタイプの
父親ではなかったかと思います。もしそうなら、そうした父親に追いつめられていった、息子さ
んの気持ちが私には、よく理解できます。
……とまあ、あなたたちを責めるようなことばかり書きましたが、(子どもができてしまった)と
いう事実は、それくらい責任の重い話だということです。半分は、生まれてくる子どもの立場で、
ものを考えなくてはいけません。そういう子どもを、「うざい」とか、「死んでくれればいい」などと
いうのは、言語道断です。
仮にあなたの息子さんが、(それにあなたたち夫婦も)、この問題からうまく(?)逃げ切ったと
しても、後味の悪さだけが残り、その後味の悪さは、息子さんにも、あなたたちにも、死ぬまで
ついて回るでしょう。
だったら、前にも書いたように、この問題は、前向きに考えていきます。逃げるのでなく、正面
からぶつかっていきます。それこそ、相手の女性の子どもを、相手の女性が育てないというの
なら、引き取るぐらいの覚悟はもちます。(だからといって、こちら側から、それを申し出る必要
はありませんが……。)
またそういう覚悟ができたとき、Nさんたちは、運命を受け入れたことになり、今の悶々とした
苦しみから解放されることになります。
今こそ、息子さんと、冷静に話しあってみてください。おどすのではなく、冷静に、です。おた
がいに感情的になってしまったので、話しあいにもなりません。ですから、話し方としては、「あ
なたも苦しんでいると思うけど、どうしたらいいの? お父さんも、お母さんも、協力できる面が
あれば、協力する」というような言い方をします。
「あなたの問題だから、あなたが解決しなさい」という言い方では、息子さんは、もっと突っ張
ってしまうかもしれません。
あなたたちと息子さんの関係がよくわかりませんが、私の印象では、すでに断絶状態から、
修復不可能に近い段階まで進んでいるように感じます。が、これを機会に、もう一度、親子の
つながりを、取り戻すことができるかもしれません。
あなたたち夫婦が、相手の親の立場ではなく、相手の女性の立場でもなく、生まれてくる子ど
もの立場で話をすれば、息子さんも、静かに話を聞いてくれるはずです。息子さんには、養育
費を払えとか、払わなくてもいいという話をするのではなく、当然、払うべきだという話し方をし
ます。
(だからといって、こちら側から、今、それを相手に申し出るという必要はありません。あくまで
も、人間として、1人の父親としての自覚と、責任を感じてもらいます。)
十字架としては、少し大きすぎる十字架ですが、だれしも、この種の十字架の1本や2本は、
背負って生きているものです。しかしその十字架も、相手の両親や、女性のことを考えるなら、
何でもないものかもしれません。相手の女性は、18歳という若さで、これから先、2人の子ども
を育てていかねばなりません。
欧米だったら、養子制度が発達していますから、今の段階で、養子縁組ができますが、この
日本では、それもままなりません。
そんなわけで、もしあなたにその勇気と度量があるなら、つぎに相手の親から電話がかかっ
てきたら、「一度、娘さんと会って話をしてみたい」「息子にも、よく言い伝えておくので、息子と
娘さんが話しあう機会と場所を、提供したい」と言ってみてください。どこまでも穏やかに、冷静
に、かつ相手を責めることなく、です。
決して、「私たちには責任はない」と、はね返してはいけません。もちろんこれらの話は、相手
から何らかのアクションがあってからのことですが……。
今の状況は、当事者みなが、それぞれに追いつめられて、たがいにキズつけあっている。私
には、そう見えてなりません。ただ時期が、5年から10年、平均的な恋愛より、早かったという
だけのことです。
なお法律的には、あなたがた両親には、養育費の支払い義務はありません。相手の両親に
も、請求権はありません。養育費を請求できるのは、子どものみ。子どもが未成年のときは、
親がその請求権を代行します。つまり相手の女性だけが、請求権を代行できます。しかし話し
あいの過程で、(取り決め)として、相手の女性が、あなたがた夫婦に、保証人になるように求
めてくる可能性はあります。(現に今、息子さんには支払能力はありませんので……。)
もしそうならば、つまりあなたがたが保証人になれば、その結果として、たとえば息子さんか
らの養育費が2回程度、延滞したりすると、保証人のあなたがたに支払い義務が生ずることに
なります。
私も法科の学生でしたが、今は、この程度にしか、わかりません。まちがっているかもしれま
せんので、そのときは、弁護士に相談してみてください。
ともかくも、息子さんと相手の女性の話しあいを、何よりも優先させてください。それが第一歩
です。
【Nより、林へ】
いろいろとありがとうございます。
昨夜、私の同級生の弁護士に相談しました。
はやし先生と同じことをおっしゃいました。
ただ、息子は学生なので卒業してから支払能力発生になる、しかし、学生の間もアルバイトで
稼げるのなら支払能力ありになる、ということでした。
息子と話し合いました。と、言っても息子は、ほとんど無言でしたが・・・(昔から話し合いのとき
は無言になります。)
今までに息子は検診費として4万円払ったそうです。その時は結婚まで考えていたそうです。
その後、彼女から別れ話がでたそうです。で、おろす話を2人でしたそうですが、そのままにな
ってしまったそうです。
主人は、「人間としての誠意をみせろ。でないとおまえとの今後の関係を考える。生まれる子供
は一生会うつもりは無い」と言いました。私も承諾しました。
でも、この言葉はきつかったかもしれませんね。
息子は彼女と2人で話し合うと言いました。
私たち両親も同席するのがいいのでしょうか?
でも、彼女の顔をみるのもいやですが・・・。
同級生の弁護士は、2人で話し合いがつかないのな、両親をまじえて、それがだめなら家庭裁
判所で調停するのはどうかと言いました。でも、それは相手が何か言ってきてからのこと、との
こと。(はやし先生の意見と同じです)
去年の夏から一変、辛い日々、息子のことは口にチャックをし、大学に合格するまではと、見
守り続けてきました。彼女の親たちには振り回され、嘘をつかれ・・・。
息子には妊娠はさせてはいけないと、彼女ができてからずっと言いつづけてきたのに・・・・。や
っと巣立ってもらおうと、この7月に下宿するまではと思い、頑張ってきたのに・・・。
最後にこのような結果になり、私は立ち直れそうにもありません。でも、そんな息子に育てたの
は、私たち両親なのですね。
この状態を受け入れるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
息子と顔を合わせるのも辛いのです。
でも、頑張ります。
【林から、Nへ】
息子さんに任せるしかないようですね。
息子さんを責めたり、おどしたりしないように!
こうなってしまったのですから、受け入れて、
前に進みましょう!
それから自分を責めないこと。どこかで歯車が狂って、
それが悪循環となって、今の状況を作っただけです。
【Nから、林へ】
ありがとうございます。
以来、息子は全然、帰ってきません。
何度メールを送っても、返事もありません。
こちらの心配はどうでもいいようです。息子はそういう子です。
だから、主人は息子の態度に誠意がない限り、こちらは息子にたいして協力はしないと言って
います。
まずは息子の様子をみて、息子に任せます。
あちらの親も、1度こちらがつっぱねたので、連絡あるかどうかわかりません。
まずは息子に任せます。
で、間に誰か立ててあちらと話あうかもしれません。
ありがとうございます。
【林より、Nへ】
息子さんは、必ず帰ってきます。
許して忘れ、許して忘れ、
いつ帰ってきてもよいように、
窓をあけ、掃除だけはしておきます。
今こそ、Nさんは、親としての
真の愛情をためされているのですね。
めげないでください。
息子さんを信じて、許して、忘れる、ですよ。
いつか必ず笑い話しになりますよ。
では、
掲示板の記事を、そのまま
マガジンに載せますが、許してくださいね。
同じような問題をかかえている人は
たくさんいます。みんなで力を合わせて
いっしょに、がんばりましょう。
読者からの反応があれば、お知らせします。
力になってくれると思います。
はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 未成
年の子供の恋愛 妊娠 出産 養育費問題 養育費)
*Blog
●新しい挑戦!
++++++++++++++++++++
私はいくつかのBLOGをもっている。
それぞれに特徴があり、使い勝手もちがう。
BLOGによっては、字数制限をしているところがある(楽天など)。
あるいは1日1件の投稿と決まっているところもある(はてな)。
HTMLのタグが挿入できるところもあれば、できないところもある。
また投稿と同時に、ヤフーやグーグルでの検索ができるようになるところもあれば、
そうしたサービスをしてくれないところがある。
さらに毎日のアクセス数をきちんと報告してくれるところもあれば、何も
報告してくれないところがある、などなど。
その中の1つに、つまり私が使っているBLOGの1つに、「Goo Blog」
というのがある。
このBLOGは、毎日、アクセス数をきちんと報告してくれる。
ついでにアクセス数順位も!
で、今朝(09年5月31日)見たら、5月30日のアクセス数について、こうあった。
++++++++++++++++++
閲覧数 1866PV
訪問者数 555IT
ついでにアクセスランキングを見ると、
936位 123万7549ブログ
つまり、123万もあるBLOG(Goo Blog)の中で、936位!
(Goo Blogだけで、123万もあるというのも、驚きだが……。)
ずっと1500~2000位台をキープしていたが、昨日、1000位台を
突破した。
いまだに受験時代の悪癖が残っているのか、それとも、こういう仕事しているせいなのか、
こうした数字を見ると、ムラムラと闘志がわいてくる。
もっともこのあたりまでくると、マラソンと同じで、順位をあげるのがたいへん
むずかしい。
どの人も真剣にBLOGを書いている。
で、今日の目標!
閲覧数で、2000PV、訪問者数で、1000人、順位で、800番台!
さっそくGoo Blogに、原稿を載せる。
++++++++++++++++++
私のBLOGのばあい、読者のほとんどは、女性。
ふつう土日はアクセス数がふえるものらしいが、私のBLOGでは、減る。
アクセスの時間帯も、子どもたちがちょうど学校へ出かけたあたりに集中する。
(あるいは子どもたちが床についたあとの時間帯。)
だから日曜日という今日(5月31日)は、あまり期待できない。
しかし先に書いたような目標を立てた。
閲覧数で2000件を突破。
月間に換算すると、6万件。
おかしなことに実感はまるでないが、いうなれば、子どものテレビゲームと同じ。
数字の遊びのようなもの。
明日の朝、「2000件、ゲット!」と、子どものように叫んでみたい。
ただそれだけ。
……ということで、今朝も始まった。
++++++++++++++++++++
私はいくつかのBLOGをもっている。
それぞれに特徴があり、使い勝手もちがう。
BLOGによっては、字数制限をしているところがある(楽天など)。
あるいは1日1件の投稿と決まっているところもある(はてな)。
HTMLのタグが挿入できるところもあれば、できないところもある。
また投稿と同時に、ヤフーやグーグルでの検索ができるようになるところもあれば、
そうしたサービスをしてくれないところがある。
さらに毎日のアクセス数をきちんと報告してくれるところもあれば、何も
報告してくれないところがある、などなど。
その中の1つに、つまり私が使っているBLOGの1つに、「Goo Blog」
というのがある。
このBLOGは、毎日、アクセス数をきちんと報告してくれる。
ついでにアクセス数順位も!
で、今朝(09年5月31日)見たら、5月30日のアクセス数について、こうあった。
++++++++++++++++++
閲覧数 1866PV
訪問者数 555IT
ついでにアクセスランキングを見ると、
936位 123万7549ブログ
つまり、123万もあるBLOG(Goo Blog)の中で、936位!
(Goo Blogだけで、123万もあるというのも、驚きだが……。)
ずっと1500~2000位台をキープしていたが、昨日、1000位台を
突破した。
いまだに受験時代の悪癖が残っているのか、それとも、こういう仕事しているせいなのか、
こうした数字を見ると、ムラムラと闘志がわいてくる。
もっともこのあたりまでくると、マラソンと同じで、順位をあげるのがたいへん
むずかしい。
どの人も真剣にBLOGを書いている。
で、今日の目標!
閲覧数で、2000PV、訪問者数で、1000人、順位で、800番台!
さっそくGoo Blogに、原稿を載せる。
++++++++++++++++++
私のBLOGのばあい、読者のほとんどは、女性。
ふつう土日はアクセス数がふえるものらしいが、私のBLOGでは、減る。
アクセスの時間帯も、子どもたちがちょうど学校へ出かけたあたりに集中する。
(あるいは子どもたちが床についたあとの時間帯。)
だから日曜日という今日(5月31日)は、あまり期待できない。
しかし先に書いたような目標を立てた。
閲覧数で2000件を突破。
月間に換算すると、6万件。
おかしなことに実感はまるでないが、いうなれば、子どものテレビゲームと同じ。
数字の遊びのようなもの。
明日の朝、「2000件、ゲット!」と、子どものように叫んでみたい。
ただそれだけ。
……ということで、今朝も始まった。
*To Inspire the Children
【やる気論】
+++++++++++++++++
昨夜のサッカーの試合の後遺症か?
あるいは、睡眠不足か?
今朝は、どうも頭が重い。
体の動きが、にぶい。
気力も、あわせて、弱い。やる気が起きない?
+++++++++++++++++
●義理の兄
義理の兄夫妻が、遊びに来てくれた。夕食をいっしょに、食べた。義理の兄は、会社を経営し
ている。あちこちに土地をもっていて、その上に、賃貸ビルや会社を建てている。「悠々自適」と
いう言葉は、そういう人のためにある。
驚いたのは、70歳に近いというのに、髪の毛が黒々としていること。おまけにフサフサしてい
る。「染めているの?」と聞くと、「いいや」と。
私の髪の毛も、フサフサしているが、20~30%は、もう白髪(しらが)。ワイフなどは、90%
近くが、白髪。
いろいろ話しているうちに、ひとつ気がついたことがある。それは兄の生き方が、前向きなこ
と。年齢を感じさせない。今は、ハーブ栽培に凝(こ)っているとか。「縁側が、ハーブだらけだ
よ」と言って、うれしそうに笑っていた。
あとゴルフのクラブを、特注で作らせているとか、など。設計図も自分でひき、材質まで指定
して作るのだそうだ。「それが楽しい」と。
そういうふうに、前向きに生きている人と話していると、楽しい。自分まで、どんどんと若返っ
ていくのがわかる。
ところで、(やる気)を引き出すのは、脳内で分泌される、カテコールアミンという物質だそう
だ。
つまり、何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が
分泌される。そしてそれが、回りまわって、やる気につながるという。
兄の脳みその中には、その物質が充満しているらしい。
以前書いた原稿を、2作、添付します。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●悲しき小学生vs前向きな小学生
私「君は、何をしたい?」
小「何も、ない」
私「何をしているときが、一番、楽しいの?」
小「友だちと、遊んでいるとき」
私「おとなになったら、何をしたいの?」
小「何もない……」
私「してみたい仕事はないの?」
小「あんまり、ない。考えてない」
私「だけど、何か、しなければいかんだろう?」
小「……わからん」
私「もうすぐ、おとなになるよ。目標をもたなくちゃあ……」
小「まだまだ、だよ」
私「じゃあ、なぜ、勉強しているの?」
小「一応、やらなくちゃ、いけないから……」
私「したい勉強は、ないの?」
小「ふん……」と。
小学6年生のK君(男子)との会話である。
K君に、問題があるというのではない。夢も、希望もない。もちろん目的もない。今、そういう
小学生が、ふえている。全体の、半数以上が、そうではないか。
が、親は、「勉強しろ」「いい学校へ入れ」と、子どもを追いたてる。つまり親自身が、子どもの
進路を混乱させている。それに気づいていない。
一方、今、小説を書くことに、熱中している小学生がいる。5年生のOさん(女子)である。毎
週、何かの小説を書いてきて、私に読ませてくれる。
そういう小学生は、生き生きしている。目も輝いている。
私「おとなになったら、何になるの?」
小「お医者さん」
私「じゃあ、うんと勉強しなくちゃいけないね」
小「でも、花が好きだから、花屋さんでもいい」
私「また小説、書いてきてよ。読みたいから……」
小「今度は、冒険の話でもいい?」
私「いいよ。ハリーポッターのようなのを、ね」
小「わかった……」と。
このタイプの子どもは、つぎつぎと、自分のしたいことを、決めていく。多芸多才。ひとつの目
標を決めると、自らコースを設定して、その中に自分を置く。あとは、自身の力で、前に進んで
行く。
ここに書いた、K君も、Oさんも、実は、架空の子どもである。今までに、私の前を通りすぎた
何人かの子どもを、まとめて書いた。
で、その分かれ道というか、どうして子どもはK君のような子どもになり、またOさんのような子
どもになるのか。また、いつごろ、その分かれ道はできるのか。
私は本当のところ、0~1歳児については、よくわからない。しかしそのころ、すでにその分か
れ道はできると思う。4歳や5歳ではない。2歳や3歳ではない。その前だ。
となると、そのカギをにぎるのは、母親ということになる。母親が、子どもが進むべき道を決め
る。むずかしいことではない。
子どもというのは、あるべき環境の中で、あるべき方法で育てれば、Oさんのようになる。しか
しそうでないとき、子どもは、K君のようになる。
あるべき環境というのは、心暖まる親の愛情に包まれ、安定し、信頼関係のしっかりした環
境ということになる。そういう環境の中で、静かに、どこまでも静かに育てる。
それを、生まれた直後から、ほら、英才教育だ、ほら、早期教育だ、ほら、バイリンガルだ…
…とやりだすから、話がおかしくなる。子どもは、親に振りまわされるだけ。振りわされながら、
子どもは、自分が何をしたいのかさえ、わからなくなってしまう。
子どもがK君のようになると、親は、あせる。そして無理をする。あとは、この悪循環。子ども
はますます、やる気のない子どもになっていく。
「友だちと遊んでいるときだけが、楽しい」と。
そうなってしまってからは、もう手遅れ。子どもの心というのは、そうは、簡単にはできない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 子供 子供のやる気 積極的な子供 消極的な子ども)
+++++++++++++
子どもからやる気を引き出すには
どうしたらよいか?
そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!
++++++++++++++
人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺
縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。
この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分に
とって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を
分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。
たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。そ
れはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。こんな実験
がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。
サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除してし
まうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。
つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけ
である。
そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好
きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてし
まうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、そうした感情ができてし
まうと、簡単には変えられないということになる。
そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。
最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を
示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたと
しよう。
そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつよ
うになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつよ
うになる。
あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子ども
は、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますま
すその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。
心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言
葉もある。
つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。反対
に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割
には、効果があがらないということになる。
このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。
何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌され
る。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。
このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。
ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミンにも、同
じような作用があるという。
「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを
分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。
わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるという
こと。
そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えた
か)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しん
だかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。
これはたいへん重要なことである。
というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、
いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好
きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。
実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子
どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、その向こうにある
隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。
たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。何
かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせる。そういう印
象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が芽生えていくのを、静
かに待つ。
(このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。
多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えてい
る。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)
しかしカテコールアミンとは何か?
それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせている
その物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)
【補記】
一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。
(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズ
ムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)
それにはいくつか、理由がある。
勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。借金に
たとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。
あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を
見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追
いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。
本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。しかし
この日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親
は、パニック状態になってしまう。
かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)
【補記】
子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期
に、それに気づき、対処するのがよい。
私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉強
はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、その子
どもにとっても、幸福なことかもしれない。
しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少しでも伸び
る姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。
大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないというこ
と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 やる
気のある子供 やる気のない子供 子どものやる気 子供のやる気 やる気論)
+++++++++++++++++
昨夜のサッカーの試合の後遺症か?
あるいは、睡眠不足か?
今朝は、どうも頭が重い。
体の動きが、にぶい。
気力も、あわせて、弱い。やる気が起きない?
+++++++++++++++++
●義理の兄
義理の兄夫妻が、遊びに来てくれた。夕食をいっしょに、食べた。義理の兄は、会社を経営し
ている。あちこちに土地をもっていて、その上に、賃貸ビルや会社を建てている。「悠々自適」と
いう言葉は、そういう人のためにある。
驚いたのは、70歳に近いというのに、髪の毛が黒々としていること。おまけにフサフサしてい
る。「染めているの?」と聞くと、「いいや」と。
私の髪の毛も、フサフサしているが、20~30%は、もう白髪(しらが)。ワイフなどは、90%
近くが、白髪。
いろいろ話しているうちに、ひとつ気がついたことがある。それは兄の生き方が、前向きなこ
と。年齢を感じさせない。今は、ハーブ栽培に凝(こ)っているとか。「縁側が、ハーブだらけだ
よ」と言って、うれしそうに笑っていた。
あとゴルフのクラブを、特注で作らせているとか、など。設計図も自分でひき、材質まで指定
して作るのだそうだ。「それが楽しい」と。
そういうふうに、前向きに生きている人と話していると、楽しい。自分まで、どんどんと若返っ
ていくのがわかる。
ところで、(やる気)を引き出すのは、脳内で分泌される、カテコールアミンという物質だそう
だ。
つまり、何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が
分泌される。そしてそれが、回りまわって、やる気につながるという。
兄の脳みその中には、その物質が充満しているらしい。
以前書いた原稿を、2作、添付します。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●悲しき小学生vs前向きな小学生
私「君は、何をしたい?」
小「何も、ない」
私「何をしているときが、一番、楽しいの?」
小「友だちと、遊んでいるとき」
私「おとなになったら、何をしたいの?」
小「何もない……」
私「してみたい仕事はないの?」
小「あんまり、ない。考えてない」
私「だけど、何か、しなければいかんだろう?」
小「……わからん」
私「もうすぐ、おとなになるよ。目標をもたなくちゃあ……」
小「まだまだ、だよ」
私「じゃあ、なぜ、勉強しているの?」
小「一応、やらなくちゃ、いけないから……」
私「したい勉強は、ないの?」
小「ふん……」と。
小学6年生のK君(男子)との会話である。
K君に、問題があるというのではない。夢も、希望もない。もちろん目的もない。今、そういう
小学生が、ふえている。全体の、半数以上が、そうではないか。
が、親は、「勉強しろ」「いい学校へ入れ」と、子どもを追いたてる。つまり親自身が、子どもの
進路を混乱させている。それに気づいていない。
一方、今、小説を書くことに、熱中している小学生がいる。5年生のOさん(女子)である。毎
週、何かの小説を書いてきて、私に読ませてくれる。
そういう小学生は、生き生きしている。目も輝いている。
私「おとなになったら、何になるの?」
小「お医者さん」
私「じゃあ、うんと勉強しなくちゃいけないね」
小「でも、花が好きだから、花屋さんでもいい」
私「また小説、書いてきてよ。読みたいから……」
小「今度は、冒険の話でもいい?」
私「いいよ。ハリーポッターのようなのを、ね」
小「わかった……」と。
このタイプの子どもは、つぎつぎと、自分のしたいことを、決めていく。多芸多才。ひとつの目
標を決めると、自らコースを設定して、その中に自分を置く。あとは、自身の力で、前に進んで
行く。
ここに書いた、K君も、Oさんも、実は、架空の子どもである。今までに、私の前を通りすぎた
何人かの子どもを、まとめて書いた。
で、その分かれ道というか、どうして子どもはK君のような子どもになり、またOさんのような子
どもになるのか。また、いつごろ、その分かれ道はできるのか。
私は本当のところ、0~1歳児については、よくわからない。しかしそのころ、すでにその分か
れ道はできると思う。4歳や5歳ではない。2歳や3歳ではない。その前だ。
となると、そのカギをにぎるのは、母親ということになる。母親が、子どもが進むべき道を決め
る。むずかしいことではない。
子どもというのは、あるべき環境の中で、あるべき方法で育てれば、Oさんのようになる。しか
しそうでないとき、子どもは、K君のようになる。
あるべき環境というのは、心暖まる親の愛情に包まれ、安定し、信頼関係のしっかりした環
境ということになる。そういう環境の中で、静かに、どこまでも静かに育てる。
それを、生まれた直後から、ほら、英才教育だ、ほら、早期教育だ、ほら、バイリンガルだ…
…とやりだすから、話がおかしくなる。子どもは、親に振りまわされるだけ。振りわされながら、
子どもは、自分が何をしたいのかさえ、わからなくなってしまう。
子どもがK君のようになると、親は、あせる。そして無理をする。あとは、この悪循環。子ども
はますます、やる気のない子どもになっていく。
「友だちと遊んでいるときだけが、楽しい」と。
そうなってしまってからは、もう手遅れ。子どもの心というのは、そうは、簡単にはできない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 子供 子供のやる気 積極的な子供 消極的な子ども)
+++++++++++++
子どもからやる気を引き出すには
どうしたらよいか?
そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!
++++++++++++++
人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺
縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。
この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分に
とって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を
分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。
たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。そ
れはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。こんな実験
がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。
サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除してし
まうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。
つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけ
である。
そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好
きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてし
まうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、そうした感情ができてし
まうと、簡単には変えられないということになる。
そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。
最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を
示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたと
しよう。
そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつよ
うになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつよ
うになる。
あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子ども
は、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますま
すその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。
心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言
葉もある。
つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。反対
に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割
には、効果があがらないということになる。
このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。
何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌され
る。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。
このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。
ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミンにも、同
じような作用があるという。
「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを
分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。
わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるという
こと。
そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えた
か)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しん
だかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。
これはたいへん重要なことである。
というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、
いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好
きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。
実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子
どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、その向こうにある
隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。
たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。何
かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせる。そういう印
象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が芽生えていくのを、静
かに待つ。
(このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。
多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えてい
る。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)
しかしカテコールアミンとは何か?
それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせている
その物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)
【補記】
一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。
(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズ
ムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)
それにはいくつか、理由がある。
勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。借金に
たとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。
あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を
見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追
いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。
本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。しかし
この日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親
は、パニック状態になってしまう。
かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)
【補記】
子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期
に、それに気づき、対処するのがよい。
私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉強
はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、その子
どもにとっても、幸福なことかもしれない。
しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少しでも伸び
る姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。
大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないというこ
と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 やる
気のある子供 やる気のない子供 子どものやる気 子供のやる気 やる気論)
2009年5月30日土曜日
*Star Trek
●映画『Star Trek』
++++++++++++++++++
封切りから1日、遅れで、今日、映画『スタートレック』を見てきた。
ウ~~~ン、よかった!
星は4つの★★★★+。
どうして5つ星でなかったかって?
実は、あのテーマ音楽がなかった。
見終わったとき気がついたが、(多分)、あのおなじみのあのテーマ音楽がなかった(?)。
見終わったとき、ワイフと、「あったか?」「なかったは……」と。
そんな会話をした。
家に帰って、公式HPを見たが、やはり、あの音楽はなかった……。
どうしてだろう?
最後のシーンは、あの音楽で締めくくってほしかった。
それが唯一の心残り。
で、うれしかったのは、本物のスポックが、父親役(本当は、未来からやってきた本人)
で、出てきたこと。
顔に無数のしわがあったが、私にはすぐ、スポックとわかった。
その顔をスクリーンで見て、「みんなそんな年齢になったのだな」と。
ほかにも老人役で出てきた人がいたのかもしれないが、私は気がつかなかった。
つぎは、『ターミネーター』『トランスフォーマー』とつづく。
みんな、見るぞ!
++++++++++++++++++
++++++++++++++++++
封切りから1日、遅れで、今日、映画『スタートレック』を見てきた。
ウ~~~ン、よかった!
星は4つの★★★★+。
どうして5つ星でなかったかって?
実は、あのテーマ音楽がなかった。
見終わったとき気がついたが、(多分)、あのおなじみのあのテーマ音楽がなかった(?)。
見終わったとき、ワイフと、「あったか?」「なかったは……」と。
そんな会話をした。
家に帰って、公式HPを見たが、やはり、あの音楽はなかった……。
どうしてだろう?
最後のシーンは、あの音楽で締めくくってほしかった。
それが唯一の心残り。
で、うれしかったのは、本物のスポックが、父親役(本当は、未来からやってきた本人)
で、出てきたこと。
顔に無数のしわがあったが、私にはすぐ、スポックとわかった。
その顔をスクリーンで見て、「みんなそんな年齢になったのだな」と。
ほかにも老人役で出てきた人がいたのかもしれないが、私は気がつかなかった。
つぎは、『ターミネーター』『トランスフォーマー』とつづく。
みんな、見るぞ!
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*E-Magazine (July 1st)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 7月 1日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
7月1日 第1227号になりました!
★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
* ***********************
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●今日から、電子マガジン7月号
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この原稿から、電子マガジン7月号用となる。
そこでカレンダーを見ると、7月は、7月1日が、
発行日の水曜日ということがわかった。
電子マガジンは、毎週月、水、金の3回、発行している。
だれに頼まれたわけではない。
自分で、そうしている。
それにしても、日々の過ぎることの速いこと。
これであっという間に5月も終わった。
6月号も終わった。
「もう7月1日号かア~~」と。
実際には、今日は6月28日、木曜日。
電子マガジンは、いつも、約1か月前に、発行予約を
入れている。
これもとくに決まっているわけではない。
自分で、そうしている。
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●講演会
講演会での講演の内容が決まらない。
……というか、決めても、あまり意味がない。
その場の雰囲気というものがある。
私のばあい、ふつう、その場の雰囲気を見て、話の内容を変える。
しかし出だしは、どうするか。
「……時の流れは風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。
『時間よ、止まれ!』と、こぶしを握ってみても、時間はそのまま指の間から
もれていく……。
私は子どものころからいつも、何かうれしいことがあると、決まってこの歌を口ずさんだ。
♪夕空晴れて、秋風吹き……、と。
息子たちが小さいころも、よく歌った。
ドライブからの帰り道、みなで合唱したこともある。
♪夕空晴れて、秋風吹き、月影、落ちて鈴虫鳴く……」。
●自己紹介
いつも講演会では、最初に短い話を入れて、そのあと自己紹介をする。
自己紹介といっても、名前と住んでいる場所程度。
「はやし浩司と言います。
肩書きは、一応、教育評論家ということになっています。
何もないでは困りますので、そうしています。
住んでいるのは、浜松市です。
浜松市に住むようになって、もう40年近くになります。
今日は、このような席にお招きくださり、ありがとうございます」と。
つづいて、イントロ。
「今日は、3人の息子たちの父親として、子育てとは何か。
子育てはどうあるべきか。
それらについて、ありったけ話すつもりでやってきました。
今日、みなさんにお伝えすることが、家庭や学校で、子どもを見るための
新しい視点になればと願っています。
よろしくお願いします」と。
イントロも、その場の雰囲気で変える。
●本題
「その夜、突然、電話がありました。
受話器を取ると、息子の声でした。
『パパ、もうだめだ』と。
声の調子からして、私は異常なものを感じました。
『どうした?』と聞くこともなく、すかさず、私はこう言いました。
『すぐ、帰ってこい』と。
が、さらに驚いたことに、その翌々日のこと。
ふと私が勝手口を見ると、そこにS男がいるではありませんか。
両手には、バッグをさげていました。
帰ってこいとは言いましたが、まさかそんなに早く帰ってくるとは思っていません
でした。
が、それが、暗いトンネルの始まりでした……」と。
●代表
もちろん講演では、息子のことを話すのが目的ではない。
息子も、それを許さないだろう。
それに話したところで、ただの苦労話に終わってしまう。
私がわざわざ講演する、その意味がない。
ひととおりの症状を話したあと、私は、「代表説」を説明する。
「子どもは家族の代表である」という説である。
もっとも今では、この説は常識。
また教育の現場でも、治療の現場でも、広く採用され、応用されている。
つまり「子どもに何か問題が起きたとしても、それは子どもの問題ではない。
家族全体の問題である。
子どもは家族の代表に過ぎない」という説である。
それはその通りで、子どもに何か問題があったととき、子どもだけに焦点をあてて
解決しようとしても、うまくいくはずがない。
たとえば過干渉児、過保護児にしても、(これらは心理学の世界で、しっかりと
定義された言葉ではないが)、子どもに特有の症状が出ていたとしても、
それは子どもの問題ではない。
過干渉にしても、過保護にしても、それは親の育て方の問題ということになる。
だから親の過干渉が原因で、性格が内閉、萎縮してしまった子どもに向かって、
「もっとハキハキしなさい」と言っても、意味はない。
神経症や情緒障害にしても、そうである。
この世界では、親の無知ほど、恐ろしいものはない。
子どもが恐ろしいというのではない。
子どものために、恐ろしいものはないという意味で、恐ろしいものはない。
たとえばかん黙症の子どもに向かって、「どうしてあなたは手をあげないの!」と
叱っていた母親すらいた。
叱る方が、どうかしている。
●引きこもり
S男が示した症状は、まさに、ひきこもりのそれだった。
回避性障害、対人恐怖症、バーントアウト症候群、あしたのジョー症候群。
診断名は何でもよい。
うつ病だってかまわない。
あえて言うなら、この世の中、まともな人間ほど、そういった病気になる。
子どもがおかしいのではない。
社会のほうがおかしい。
が、私はがけの上から叩き落され、谷底で、さらにその上から叩き潰される
ような衝撃を受けた。
私は無数の子育て相談を受けながら、そういう人たちに、むしろアドバイスを
与えてきた立場の人間である。
その立場の人間の息子が、ひきこもりになってしまった。
が、その一方で、幸いなこともある。
すでにそのとき、私には、何十例という経験があった。
引きこもりで苦しむ親や子どもたちを、指導という形で、見てきた。
だから即座に、対処方法を打ち立てることができた。
● 暖かい無視と、ほどよい親
「暖かい無視」というのは、どこかの野生動物保護協会が使っている言葉である。
つまり暖かい愛情を保ちながら、無視すべきところは無視する。
たとえばS男の生活態度は、日増しにだらしなくなっていった。
風呂に入らない、着替えをしない、食事の時間が乱れる。
もちろん睡眠時間も乱れた。
毎日、ちょうど1時間ずつ、睡眠時間と起床時間がずれていった。
一晩中起きているということもつづいた。
が、何も言わない。
何も指示しない。
何も不満を口にしない。
暖かい愛情だけはしっかりともって、見守る。
それが暖かい無視ということになる。
……というより、いつも一触即発。
よく誤解されるが、「情緒不安」というときは、何も情緒が不安定になることを
いうのではない。
精神の緊張状態が取れないことをいう。
その緊張状態のときに、不安や心配ごとが入ると、情緒は一気に不安定になる。
情緒不安というのは、あくまでもその結果でしかない。
S男の精神は、いつもその緊張状態にあった。
そういう衝突が1、2度つづいて、私たち夫婦は、暖かい無視を貫くことにした。
……こうして講演をつなげていく。
今度の日曜日に、このつづきを考えてみたい。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●しつけ(咳について、再考)
日本人は、咳について、あまりにも無頓着。
平気でゴホン、ゴホンと席をする。
ちょうど今、新型インフルエンザが問題になっている。
もう一度、「しつけ」について考えてみたい。
(以下の原稿は、08年12月に書いたものです。)
+++++++++++++++++
「しつけ」というときは、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がなければならない。
あいさつの仕方など、国によってみなちがう。
時代によってちがうこともある。
さらに軍人には、軍人のあいさつのしかたがある。
そういうのは、「しつけ」とは言わない。
「作法」という。
たとえば最近、こんなことがあった。
++++++++++++++++++
W君(小2男児)は、インフルエンザにかかり、1週間ほど、
学校を休んだ。
その直後、私の教室に来た。
まだ咳が残っていた。
1~2分おきぐらいに、ゴホゴホと咳をしていた。
こういうケースのばあい、対処の仕方が2つある。
W君にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
あるいは全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
ふつうはW君だけにマスクを渡し、W君だけマスクを
かけさせれば、それですむ。
しかし中に、それをかたくなに拒否する子どももいる。
「罰」か何かのようにとらえる。
そういうときは、全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
が、である。
そういうふうにしても、W君は、ときどきマスクをはずし、
ゴホゴホと咳をする。
私のところへやってきて、面と向かって、ゴホゴホと咳をする。
だから私はかなりきつくW君を叱った。
「人の顔に向けて、咳をしてはだめだ」と。
するとW君は、「手で(自分の口を)押さえた」とか、
「先生の顔には向けてない」とか言って、反論した。
私「あのなあ、咳というのは、手で押さえたくらいでは
防ぐことができないんだよ」
W「いいから、いいから……」
私「いいから、いいからというような問題ではない。
マスクをちゃんと、しなさい」
W「ぼくはもう、治った」
私「治ってない!」と。
ついでに付記するなら、インフルエンザのウィルスに、
おとなも子どもも、ない。
おとな用のウィルス、子ども用のウィルスというのは、ない。
みな、同じ。
だから目の前でゴホンとやられたら、即、そのまま私に
感染する。
防ぎようがない。
ほとんどの人は、(おとなも子どもも)、咳をすることに
たいへん無頓着。
この日本では、とくに無頓着。
それを悪いことと考えている人は、少ない。
満員電車の中でさえ、平気でゴホゴホと咳をしている人さえ
いる。
しかし相手の顔に向けて咳をするのは、相手を手で殴るのと
同じ、暴力行為。
だから私はW君をさらに強く、叱った。
私「私の言うことが聞けないなら、この教室から出て行きなさい」
W「どうしてヨ~?」
私「どうしてって、みんなにインフルエンザが移ったら、どうする?」
W「だいじょうぶだよ。移らないよ」
私「……」と。
もうおわかりのここと思うが、こういうのを(しつけ)という。
「咳をするときは、口をハンカチで押さえる」
「マスクをかけるのは、常識」
「マスクをしていても、相手の顔に向けて、咳をしない」
こうした(しつけ)には、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がある。
わかりやすく言えば、世界の常識。
……では、なぜ、こんなことを書くか?
実は今、あちこちの幼稚園で、「しつけ教室」なるものが、
たいへん流行(はや)っている。
たいていあいさつの仕方から始まって、箸の持ち方、置き方
などを教えている。
私はそうした(しつけ)は無駄とは思わないが、どこか
ピントがズレているように思う。
もっと基本的な部分で、大切にしなければならないことがある。
たとえば、(順番を並んで待つ)(順番を無視して、割り込みしない)
(他人をキズつけるような言葉を口にしない)など。
しかしそういう(しつけ)は、「しつけ教室?」で学ぶような
しつけではない。
私たちおとなが、日々の生活を通して、「常識」として、子どもの
体の中に、しみこませるもの。
先に書いた咳にしても、そうだ。
自分の子どもが無頓着に他人の顔に向けて咳をしたら、すかさず、
子どもを叱る。
その前に、親自身が自分のエリを正さなくてはいけない。
(しつけ)というのは、そういうもの。
ついでに言うなら、(あいさつ)など、どうでもよい。
したければすればよい。
したくなければ、しなくてもよい。
そんなことをいちいち教えている国は、今、ほとんどない。
たとえば韓国でも、数年前から、授業の前とあとのあいさつを
廃止した。
「起立!」「礼!」という、あのあいさつである。
「日本の植民地時代の亡霊」という理由で、そうした。
が、現在、浜松周辺の学校では、ほとんどの学校で、この種のあいさつを
している。
(当番の子どもが、「これから授業を始めます」などと言い、頭をさげるなど。)
国際性がないという点で、これはしつけでもなんでもない。
(参考)
A小学校……当番が「はじめましょう」と小さい声でいう。
それに答えて、全員が「はじめましょう」と合唱して、頭をさげる。
B小学校……当番が「起立!」と言い、先生が「はじめましょう」と答える。
そのとき生徒全員が、頭をさげる。
C小学校……全員が起立したあと、「今から○時間目の授業をはじめます」と
言って、頭をさげる。
D小学校……当番が「起立!」と号令をかけ、「○時間の授業を始めましょう」と
言う。そのとき生徒と先生が、たがいに頭をさげる。
E小学校……学級委員が、「起立」「姿勢はいいですか」と言い、みなが、
「はい!」と答え、学級委員が「今から○時間目の授業をはじめましょう」と
言って、みなが、礼をする。
ついでながら、アメリカやオーストラリアでは、先生が教室へやってきて、
「ハイ!」とか言って、それおしまい。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●仮眠効果(Sleeper Effect)
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心理学の世界に、「仮眠効果」という言葉がある。
「スリーパー効果」ともいう。
仮眠効果というのは、脳の中に入った情報が、しばらく仮眠したあと、
効果をもち始めることをいう。
子どもの世界では、こうした現象が、よく観察される。
たとえば子どもをほめたとする。
そのときは、子どもは「フン」と言って、軽く受け流す。
私の言ったことを深く考えない。
が、しばらく時間がたつと、つまりしばらく子どもの脳の中で仮眠したあと、
そのほめた効果が現れたりする。
「あのとき、林先生(=私)が、ぼくにこう言ってくれた!」と。
よく昔の恩師の話をしながら、「あのときあの先生が言ってくれた言葉が、
おとなになってから、ぼくの励みになった」という人がいる。
それも仮眠効果の現れとみてよい。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●情報の熟成
情報というのは、脳の中に入った段階では、ただの(情報)。
それに加工を加えて、情報は情報としての意味をもつ。
(加工を加えることを、「思考」という。)
それまでは、たとえていうなら、座右に積み上げられた本のようなもの。
必要なときは取り出して読むが、そうでなければ、やがて脳みその中から消えていく。
が、ときとしてその情報そのものが、ひとり歩きすることがある。
ここでいう「仮眠効果」というのも、そのひとつ。
たとえば私が子どもをほめたとする。
そのときは、その子どもはそれを、軽く受け流す。
私が言った言葉に、重きを置かない。
たとえば、「君の空間思考力には、ものすごいものがある」と、私が言ったとする。
そのときは、子どもは、「そんなものかなあ……」と思ってすます。
が、しばらくしたあと、「空間思考力はすばらしい」という情報だけが、
脳みその中で熟成され、それが今度は、子どもの脳みその中で充満するようになる。
そしてこう思うようになる。
「ぼくは、空間思考能力にすぐれている!」と。
これは情報が、(仮眠)というプロセスを経て、効果をもたらしたことを意味する。
言いかえると、つまり教える側からすると、この仮眠効果をうまく使うと、子どもの
指導がうまくできる。
コツは、ポイントをとらえて、うまくほめる。
(叱ったり、欠点を指摘するときは、この方法は使ってはいけない。)
そしてその場では効果を求めない。
(求めても意味はない。)
それをブロックのように組み立てていく。
「君は、コツコツとやるところがすばらしい」
「式なんかも、だれが見ても、わかりやすい」
「考え方が緻密だね」と。
こうした情報は一度仮眠したあと、(私は「熟成」という言葉の方が好きだが……)、
子どもの脳みその中で、大きくふくらんでくる。
子どもの自信へとつながっていく。
もちろんそのとき、子どもは、私に誘導されたということは、覚えていない。
ほとんどのばあい、情報源は忘れてしまう。
だれに言われたかは、たいていのばあい、記憶に残らない。
しかし情報だけが、脳みその中に残り、その子どもを前向きにひっぱっていく。
これを「仮眠効果」という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
仮眠効果 スリーパー効果 情報の熟成 暗示 子どもの指導 林浩司)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●一周忌
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兄につづいて、母。
昨年(08年)の8月と10月に、それぞれが他界した。
で、一周忌の法要が近づいてきた。
兄も母も、あの世へ行ったわけだが、別の仏教の教えに
よれば、つまり輪廻転生論によれば、死者は死後、即、
人間も含めて、何かの動物に生まれ変わるということに
なっている。
少なくとも、初七日から四九日までの、七法事がすめば、
成仏もすみ(?)、死者への供養は、必要ないという
ことになる。
実は、もともと釈迦は、回忌のことは何も書いていない。
もともと「回忌」というのは、中国の儒教に説かれている
風習によるもの。
それが日本に入り、最終的には、『先代旧事本紀大成経』
という偽経を生みだした。
名前からして、まったくのメイド・イン・ジャパンの偽経である。
著者は、潮音(1628~95)と言われている。
北川紘洋氏は、こう書いている。
『鎌倉時代から室町時代初期までは三十三回忌までの
十三仏事しかなかったなかったのが、室町時代を過ぎると、
これに十七回忌、二十五回忌が加わり、さらに江戸時代には
五十回忌、六十回忌とふえていった』(「葬式に坊主は不要
と釈迦は言った」・はまの出版)と。
が、それとて、一般庶民とは、無縁のもの。
仏教が大衆の世界に入り込んだのは、親鸞、日蓮らの時代から
である。
こうした法要にしても、武士、なかんずく上級武士たちの
風習であった。
(以上、参考、北川紘洋著「葬式に坊主は不要と釈迦は言った」)
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●亡くなった人たちの死を悼む
何も考えず、何も調べず、何も学ばず、過去を踏襲するのは楽なこと。
大きな川の流れに乗って、みなと同じことをしていれば、これまた楽なこと。
暇なときは、パチンコをしたり、プロ野球の実況中継を見ていればよい。
しかしそれではこの世の中、何も変わっていかない。
また本来なら、そうした流れを変えていくのは、私たち人生の先輩者である。
その先輩者である私たちが、伝統や風習の上にどっかりと腰を据え、
「昔からこうだから……」と、若い人たちを自分たちの世界に引き込んでいく。
おかしなことだが、このおかしさが改まらないかぎり、過去はそのまま意味もなく、
踏襲されていく。
死者を悼む……。
なぜ私たちが死者を悼むかと言えば、死者を悼むことによって、今、こうして
生きている私たちの「命」を大切にするためである。
もしあなたが子どもの前で、死んだペットの小鳥を、紙かなにかにくるんで
ゴミ箱へ捨てるようなことをすれば、子どもは、死というのはそういうものかと
考えるようになる。
ついで生とは、そういうものかと考えるようになる。
ペットが死んで悲しんでいる子どもの心を踏みにじることにもなる。
言いかえると、死者の死を悼むことによって、私たちは生きていることの尊さを学ぶ。
子どもたちにも、それを教えることができる。
が、このことと、法事は、まったく別のもの。
「心」と「儀式」は、まったく別のもの。
心のない儀式は、ただのあいさつ。
あいさつにもならない。
しかし心があれば、儀式は、必要ない。
あっても付随的なもの。
が、この日本では、常に儀式だけが先行し、心がそれについていく(?)。
さらに悪いことに、儀式だけを繰り返して、それでもって、心をごまかしてしまう。
それでよしとして、自分の心を見つめることもしない。
それこそ立派な葬儀だったから、よし。
そうでなかったら、そうでないというような判断をくだして、それで終わってしまう。
●みんな、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ
10年前に亡くなった人を思い浮かべてみよう。
20年前でも、30年前でもよい。
そのときからその人の時計は止まる。
「もう10年!」「もう20年!」「もう30年!」と、そのつど、私たちは驚く。
昨日亡くなった人を、今日、弔(とむら)うのも、10年前に亡くなった人を、
今日、弔うのも、同じ。
20年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
30年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
同じように、この先10年、20年、30年など、あっという間に過ぎる。
運がよければ、あなたは10年後も生きている、20年後も生きている、
30年後も生きている。
しかしひょっとしたら、あなたは、明日死ぬかもしれない。
明日、何かの大病を患うかもしれない。
どうであるにせよ、今、生きているとしても、10年後に死ぬのも、20年後に死ぬのも、
30年後に死ぬのも、明日、死ぬのと同じ。
わかりやすく言えば、30年前に亡くなった人も、30年後に死ぬあなたにしても、
その間に、時間的な(差)はない。
元気なうちは、それがわからないかもしれない。
しかし死に直面すれば、だれにでも、それがわかるはず。
そこに待っているのは、10年前、20年前、30年前に亡くなった人たちではない。
「10年」とか、「20年」とか、「30年」とかいう数字は消え、それが「昨日」になる。
つまり、そこで待っているのは、つい先日、つい昨日亡くなった人たちである。
あなたはそういう人たちといっしょに、死を迎える。
そう、私たちはみな、この世の中に、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ。
繰り返すが、その間に、時間的な(差)はない。
●日本仏教の危機
時間と空間を超越したはずの仏教が、回忌にこだわる、このおかしさ。
1年後になったら、どうなのか。
2年後(3回忌は、実質、2年後をいう)になったら、どうなのか。
亡くなった人に、そういう(数字)があること自体、バカげている。
(年齢)があること自体、バカげている。
たとえば愛する子どもを失った母親を考えてみよう。
そういう母親にすれば、毎日が悲しみ。
その悲しみは、1年たったところで、癒されるものではない。
恐らく33年たっても、癒されることはないだろう。
(数字)など、関係ない。
こんなことは、ほんの少し、頭の中で考えれば、だれにでもわかるはず。
それにもし、釈迦がそんなバカげたことを口にしたとしたら、私はまっ先に
仏教を否定する。
いや、その前に、今に至るまで、生き延びることはなかっただろう。
私は仏教徒でも、仏教哲学者でもない。
そんな私ですら、こんなことは、自分でわかる。
いわんや、戒名をや!
そんなもので成仏するのに(差)が出るとしたら、それこそ仏教は邪教。
カルト。
が、いまだにそうした風習が、伝統としてこの日本に残っている。
言うまでもなく、宗教というのは、(教え)に従ってするもの。
その(教え)を踏み外して、宗教は宗教たりえない。
もしそれが面倒というのなら、それこそイワシの頭でも拝んでいればよい。
キツネでもタヌキでもよい。
世界へ行くと、世界の人たちは、実にさまざまな動物を拝んでいる。
もしそれでも、「仏教はカルトではない」と言うのなら、その道のプロたちが、
率先して、私たちにその(道)を示してほしい。
でないと、……というより、このままだと、日本の仏教は宗教としての
意味を見失ってしまうだろう。
兄と母の一周忌を前にして、再び、宗教について考えてみたい。
+++++++++++++++++
7~10年前に書いた原稿を添付します。
+++++++++++++++++
●生きる意味
幼児を教えていて、ふと不思議に思うことがある。子どもたちの顔を見ながら、「この子
たちは、ほんの五、六年前には、この世では姿も、形もなかったはずなのに」と。しかし
そういう子どもたちが今、私の目の前にいて、そして一人前の顔をして、デンと座ってい
る。「この子たちは、五、六年前には、どこにいたのだろう」「この子たちは、どこからき
たのだろう」と思うこともある。
一方、この年齢になると、周囲にいた人たちが、ポツリポツリと亡くなっていく。その
ときも、ふと不思議に思うことがある。亡くなった人たちの顔を思い浮かべながら、「あの
人たちは、どこへ消えたのだろう」と。年上の人の死は、それなりに納得できるが、同年
齢の友人や知人であったりすると、ズシンと胸にひびく。ときどき「あの人たちは、本当
に死んだのだろうか」「ひょっとしたら、どこかで生きているのではないだろうか」と思う
こともある。いわんや、私より年下の人の死は、痛い。つぎの原稿は、小田一磨君という
一人の教え子が死んだとき、書いたものである。
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「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君
一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘
病生活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使
えるか」と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここ
から出してほしい」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。
いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの
近代的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を
折らせたときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあ
った。皆でワイワイやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一
年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつ
ようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際
には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまっ
たかのように感じた。
葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何に
なりたいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカ
ーもできるし、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができな
くなる』と言いました」と。
そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞い
て、私だけではなく、皆が目頭を押さえた。
ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれ
ど、人の死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。
私は一磨君の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥
で念じた。この年齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の
数のほうが多くなる。人生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの
人生があっと言う間に終わったとしても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。
「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。汝がために鳴るなり」と。
私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を
読んでいる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知
り、一磨君の両親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。
しかもあなたがこの文を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれ
ない。しかし心がつながったとき、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨
君も、皆さんの心の中で生きることができる。それが重要なのだ。
一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、
そして仕事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と
言いながら、その瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、
今ここで、私たちは生きていることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養にな
る。」
あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典の
ひとつ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。
「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。わかりやく言えば、「ない」と。
「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうし
た常識は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常
識と考えてよい。もっとはっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。
そうした例は、無数にある。
たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護
摩(ごま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀
式であって、それ以外の何ものでもない。むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」
と教えている。(「バラモンよ、木片をたいて、清浄になれると思ってはならない。なぜ
ならこれは外面的なことであるから」(パーリ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」))
釈迦の死生観をどこかで考えながら、書いた原稿がつぎの原稿である。
「家族の喜び
親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな
親子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶさ
れると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなけ
ればいい」とか願うようになる。
「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がい
た。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」
と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、や
がてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どう
して?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。
法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れ
ることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日
まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したこ
とがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめ
るのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにし
ている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、
何を望むのですか」と。
子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どもの
ために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子
先生*は手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親
はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰
り道を閉ざしてはいけない」と。
今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)は、こう書き残してい
る。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜び
を与えられる」と。こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いった
いどれほどいるだろうか。」
ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎの
ように述べている。
「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励
む人は死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素
行が悪く、心が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きる
ほうがすぐれている。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに
明らかな智慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力も
なく一〇〇年生きるよりは、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」
(二四・三~五)(中村元訳)と。
要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きる
ことは美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二
〇年ではわからないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。
先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかし
さが、どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら
覚えた。話を聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新
聞はスポーツ新聞だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。
つぎの原稿は、そうした生きざまについて、私なりの結論を書いたものである。
++++++++++++++++++
●子どもに生きる意味を教えるとき
●高校野球に学ぶこと
懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちが
なぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではな
いのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、
意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自
信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはな
ぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇
年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではな
いが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸
福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるために
は)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。
つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、
(その味は)わからないのよ』と。
●懸命に生きることに価値がある
そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチ
ャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。
みんな必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投
げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだま
する。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋
めつくす……。
私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言
うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、
そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、
ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわから
ない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問
われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その
生きざまでしかない。あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりな
がら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほう
も、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれ
と同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教
えてくれる。」
私も、つぎの瞬間には、この世から消えてなくなる。書いたものとはいえ、ここに書い
たようなものは、やがて消えてなくなる。残るものといえば、この文を読んでくれた人
がいたという「事実」だが、そういう人たちとて、これまたやがて消えてなくなる。し
かしその片鱗(りん)は残る。かすかな余韻といってもよい。もっともそのときは、無
数の人たちの、ほかの余韻とまざりあって、どれがだれのものであるかはわからないだ
ろう。しかしそういう余韻が残る。この余韻が、つぎの世代の新しい人たちの心に残り、
そして心をつくる。
言いかえると、つまりこのことを反対の立場で考えると、私たちの心の中にも、過去に
生きた人たちの無数の余韻が、互いにまざりあって、残っている。有名な人のも、無名
な人のも。もっと言えば、たとえば私は今、「はやし浩司」という名前で、自分の思想を
書いているが、その実、こうした無数の余韻をまとめているだけということになる。そ
の中には、キリスト教的なものの考え方や、仏教的なものの考え方もある。ひょっとし
たらイスラム教的なものの考え方もあるかもしれない。もちろん日本の歴史に根ざすも
のの考え方もある。どれがどれとは区別できないが、そうした無数の余韻が、まざりあ
っていることは事実だ。
この項の最後に、私にとって「生きる」とは何かについて。私にとって生きるというこ
とは考えること。具体的には、書くこと。仏教的に言えば、日々に精進することという
ことになる。それについて書いたのがつぎの文である。この文は、中日新聞でのコラム
「子どもの世界」の最終回用に書いたものである。
++++++++++++++++++++++
●「子どもの世界」最終回
●ご購読、ありがとうございました。
毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新
聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、とき
どき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中か
ら引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。
今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代
の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書
くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。
反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」
と怒っている人だっているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野
を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、そ
れは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。
よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくは
ないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまっ
た!」と思うことが多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にと
って「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなの
だ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひ
ょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。
そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。
私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事
があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと
私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出てい
る朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころに
なると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会
話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうご
ざいました。」
(02-7-23)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●最悪の食糧危機(The Worst Food Shortage of North Korea)
+++++++++++++++++
K国は現在、1990年以来、最悪の
食糧危機に見舞われているという。
+++++++++++++++++
『国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、5月28日、
世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK国について、
「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一方、当局は
人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した』(時事通信より
抜粋※)と。
同じくWFPも『世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情が極めて深刻な状態にあると
して、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過
去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1
990年代以降では最悪の状況にあるとしていると紹介している」と報告している(※)。
+++++++++++++++++
こうした中、時事通信はさらにこう伝える。
『こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている』と。
「食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断された!」
そういうことを平気でするところが、恐ろしい!
「ここまでやるか!」というのが、私の印象。
人民、つまりK国の国民こそ、えらい迷惑。
迷惑というより、犠牲者。
が、相変わらずの大本営発表を繰り返しているのが、K国の国営通信。
つぎの記事を読んで、笑わない人はいないだろう。
『K国の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は7日の論評で、金xx総書記が経済再建や国民
生活向上のため「昨年末から約2カ月間、家に戻れず列車で生活しながら、人民経済のさ
まざまな部門で現地指導を続けている」とする発言を伝えた』(5月7日)と。
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
●いっしょに心中してはいけない!
K国が何を画策しているにせよ、またどんな挑発的行為をしてくるにせよ、
日本は、K国を相手にしてはいけない。
あんな国をまともに相手にしてはいけない。
それとも、日本は、あんな国と心中でもするつもりなのか。
ここは無視。
ひたすら無視。
放っていおいても、K国は、自ら墓穴を掘って自滅する。
今朝(5・29)の報道によれば、さらなる挑発的行為として、K国は、今度は
ICBM(大陸間弾道弾)の発射実験をするかもしれないという。
したければさせておけばよい。
自ら、先の「人工衛星発射」が、ウソだったことを暴露させるようなもの。
あのときも、「宇宙開発は、全民族の共通の権利である」というようなことを言っていた。
そして「それを迎撃したら、即、宣戦布告行為とみなす」と、まあ、威勢のよいことを
言っていた。
ICBMともなれば、当然、日本の上空を通ることになると思うが、ここは無視。
ひたすら無視。
負けるが勝ち。
今、日本にとってもっとも重要なことは、K国もさることながら、国際世論でもって、
中国を追い詰めること。
中国に行動させること。
中国が行動すれば、K国は、一気に崩壊に向かう。
決して日本だけが、単独で行動してはいけない。
200~300発のノドンが、すでに日本をターゲットにしていることを忘れては
いけない。
まず日本の国益を守る。
日本の平和と安全を守る。
今、もし、たとえ1発でも、ノドンが東京の中心に撃ち込まれたら、日本はどうなるか。
日本の経済はどうなるか。
日本は丸裸以上の丸裸。
ここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
あんな国を相手にしてはいけない。
またその価値もない。
ないことは、アムネスティの年次報告書を読めばわかるはず。
決して勇ましい好戦論にまどわされてはいけない。
もちろん日本が攻撃されたら、そのときはただではすまさない。
そういう気構えはもつ必要がある。
しかし今は、じっとがまんのとき。
1990年末の食糧危機のときは、金xxは、中国へ亡命する一歩手前だった。
恐らく今回も、それ以上のことを考えているはず。
それがK国軍部のあせりとなって表れている。
人工衛星、核実験、ミサイル発射などなど。
それらを断末魔の叫び声と理解すれば、K国の内部事情もわかろうというもの。
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
(注※1)【ロンドン28日時事】国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本
部ロンドン)は、28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。こ
の中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面す
る一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した。
報告書によれば、K国は「過去10年間で見られなかった規模」の飢餓に見舞われ、何百
万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食
いつないでいる人も多いという。
こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている。(時事通信・5月28日)
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
(注※2)世界食糧計画(WFP)がK国の食糧事情が極めて深刻な状態にあるとして、国
際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過去3週間にわ
たって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1990年代以降で
は、最悪の状況にあるとしていると紹介している。食糧事情悪化の原因として、2007年の
大規模な洪水被害、不良な農作物収穫、輸入や援助減少をあげている。(引用:産経新聞、
中日新聞)
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 7月 1日
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7月1日 第1227号になりました!
★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
* ***********************
*
http://bwhayashi2.fc2web.com/page003.html
★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●今日から、電子マガジン7月号
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この原稿から、電子マガジン7月号用となる。
そこでカレンダーを見ると、7月は、7月1日が、
発行日の水曜日ということがわかった。
電子マガジンは、毎週月、水、金の3回、発行している。
だれに頼まれたわけではない。
自分で、そうしている。
それにしても、日々の過ぎることの速いこと。
これであっという間に5月も終わった。
6月号も終わった。
「もう7月1日号かア~~」と。
実際には、今日は6月28日、木曜日。
電子マガジンは、いつも、約1か月前に、発行予約を
入れている。
これもとくに決まっているわけではない。
自分で、そうしている。
+++++++++++++++++++++++
●講演会
講演会での講演の内容が決まらない。
……というか、決めても、あまり意味がない。
その場の雰囲気というものがある。
私のばあい、ふつう、その場の雰囲気を見て、話の内容を変える。
しかし出だしは、どうするか。
「……時の流れは風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。
『時間よ、止まれ!』と、こぶしを握ってみても、時間はそのまま指の間から
もれていく……。
私は子どものころからいつも、何かうれしいことがあると、決まってこの歌を口ずさんだ。
♪夕空晴れて、秋風吹き……、と。
息子たちが小さいころも、よく歌った。
ドライブからの帰り道、みなで合唱したこともある。
♪夕空晴れて、秋風吹き、月影、落ちて鈴虫鳴く……」。
●自己紹介
いつも講演会では、最初に短い話を入れて、そのあと自己紹介をする。
自己紹介といっても、名前と住んでいる場所程度。
「はやし浩司と言います。
肩書きは、一応、教育評論家ということになっています。
何もないでは困りますので、そうしています。
住んでいるのは、浜松市です。
浜松市に住むようになって、もう40年近くになります。
今日は、このような席にお招きくださり、ありがとうございます」と。
つづいて、イントロ。
「今日は、3人の息子たちの父親として、子育てとは何か。
子育てはどうあるべきか。
それらについて、ありったけ話すつもりでやってきました。
今日、みなさんにお伝えすることが、家庭や学校で、子どもを見るための
新しい視点になればと願っています。
よろしくお願いします」と。
イントロも、その場の雰囲気で変える。
●本題
「その夜、突然、電話がありました。
受話器を取ると、息子の声でした。
『パパ、もうだめだ』と。
声の調子からして、私は異常なものを感じました。
『どうした?』と聞くこともなく、すかさず、私はこう言いました。
『すぐ、帰ってこい』と。
が、さらに驚いたことに、その翌々日のこと。
ふと私が勝手口を見ると、そこにS男がいるではありませんか。
両手には、バッグをさげていました。
帰ってこいとは言いましたが、まさかそんなに早く帰ってくるとは思っていません
でした。
が、それが、暗いトンネルの始まりでした……」と。
●代表
もちろん講演では、息子のことを話すのが目的ではない。
息子も、それを許さないだろう。
それに話したところで、ただの苦労話に終わってしまう。
私がわざわざ講演する、その意味がない。
ひととおりの症状を話したあと、私は、「代表説」を説明する。
「子どもは家族の代表である」という説である。
もっとも今では、この説は常識。
また教育の現場でも、治療の現場でも、広く採用され、応用されている。
つまり「子どもに何か問題が起きたとしても、それは子どもの問題ではない。
家族全体の問題である。
子どもは家族の代表に過ぎない」という説である。
それはその通りで、子どもに何か問題があったととき、子どもだけに焦点をあてて
解決しようとしても、うまくいくはずがない。
たとえば過干渉児、過保護児にしても、(これらは心理学の世界で、しっかりと
定義された言葉ではないが)、子どもに特有の症状が出ていたとしても、
それは子どもの問題ではない。
過干渉にしても、過保護にしても、それは親の育て方の問題ということになる。
だから親の過干渉が原因で、性格が内閉、萎縮してしまった子どもに向かって、
「もっとハキハキしなさい」と言っても、意味はない。
神経症や情緒障害にしても、そうである。
この世界では、親の無知ほど、恐ろしいものはない。
子どもが恐ろしいというのではない。
子どものために、恐ろしいものはないという意味で、恐ろしいものはない。
たとえばかん黙症の子どもに向かって、「どうしてあなたは手をあげないの!」と
叱っていた母親すらいた。
叱る方が、どうかしている。
●引きこもり
S男が示した症状は、まさに、ひきこもりのそれだった。
回避性障害、対人恐怖症、バーントアウト症候群、あしたのジョー症候群。
診断名は何でもよい。
うつ病だってかまわない。
あえて言うなら、この世の中、まともな人間ほど、そういった病気になる。
子どもがおかしいのではない。
社会のほうがおかしい。
が、私はがけの上から叩き落され、谷底で、さらにその上から叩き潰される
ような衝撃を受けた。
私は無数の子育て相談を受けながら、そういう人たちに、むしろアドバイスを
与えてきた立場の人間である。
その立場の人間の息子が、ひきこもりになってしまった。
が、その一方で、幸いなこともある。
すでにそのとき、私には、何十例という経験があった。
引きこもりで苦しむ親や子どもたちを、指導という形で、見てきた。
だから即座に、対処方法を打ち立てることができた。
● 暖かい無視と、ほどよい親
「暖かい無視」というのは、どこかの野生動物保護協会が使っている言葉である。
つまり暖かい愛情を保ちながら、無視すべきところは無視する。
たとえばS男の生活態度は、日増しにだらしなくなっていった。
風呂に入らない、着替えをしない、食事の時間が乱れる。
もちろん睡眠時間も乱れた。
毎日、ちょうど1時間ずつ、睡眠時間と起床時間がずれていった。
一晩中起きているということもつづいた。
が、何も言わない。
何も指示しない。
何も不満を口にしない。
暖かい愛情だけはしっかりともって、見守る。
それが暖かい無視ということになる。
……というより、いつも一触即発。
よく誤解されるが、「情緒不安」というときは、何も情緒が不安定になることを
いうのではない。
精神の緊張状態が取れないことをいう。
その緊張状態のときに、不安や心配ごとが入ると、情緒は一気に不安定になる。
情緒不安というのは、あくまでもその結果でしかない。
S男の精神は、いつもその緊張状態にあった。
そういう衝突が1、2度つづいて、私たち夫婦は、暖かい無視を貫くことにした。
……こうして講演をつなげていく。
今度の日曜日に、このつづきを考えてみたい。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●しつけ(咳について、再考)
日本人は、咳について、あまりにも無頓着。
平気でゴホン、ゴホンと席をする。
ちょうど今、新型インフルエンザが問題になっている。
もう一度、「しつけ」について考えてみたい。
(以下の原稿は、08年12月に書いたものです。)
+++++++++++++++++
「しつけ」というときは、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がなければならない。
あいさつの仕方など、国によってみなちがう。
時代によってちがうこともある。
さらに軍人には、軍人のあいさつのしかたがある。
そういうのは、「しつけ」とは言わない。
「作法」という。
たとえば最近、こんなことがあった。
++++++++++++++++++
W君(小2男児)は、インフルエンザにかかり、1週間ほど、
学校を休んだ。
その直後、私の教室に来た。
まだ咳が残っていた。
1~2分おきぐらいに、ゴホゴホと咳をしていた。
こういうケースのばあい、対処の仕方が2つある。
W君にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
あるいは全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
ふつうはW君だけにマスクを渡し、W君だけマスクを
かけさせれば、それですむ。
しかし中に、それをかたくなに拒否する子どももいる。
「罰」か何かのようにとらえる。
そういうときは、全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
が、である。
そういうふうにしても、W君は、ときどきマスクをはずし、
ゴホゴホと咳をする。
私のところへやってきて、面と向かって、ゴホゴホと咳をする。
だから私はかなりきつくW君を叱った。
「人の顔に向けて、咳をしてはだめだ」と。
するとW君は、「手で(自分の口を)押さえた」とか、
「先生の顔には向けてない」とか言って、反論した。
私「あのなあ、咳というのは、手で押さえたくらいでは
防ぐことができないんだよ」
W「いいから、いいから……」
私「いいから、いいからというような問題ではない。
マスクをちゃんと、しなさい」
W「ぼくはもう、治った」
私「治ってない!」と。
ついでに付記するなら、インフルエンザのウィルスに、
おとなも子どもも、ない。
おとな用のウィルス、子ども用のウィルスというのは、ない。
みな、同じ。
だから目の前でゴホンとやられたら、即、そのまま私に
感染する。
防ぎようがない。
ほとんどの人は、(おとなも子どもも)、咳をすることに
たいへん無頓着。
この日本では、とくに無頓着。
それを悪いことと考えている人は、少ない。
満員電車の中でさえ、平気でゴホゴホと咳をしている人さえ
いる。
しかし相手の顔に向けて咳をするのは、相手を手で殴るのと
同じ、暴力行為。
だから私はW君をさらに強く、叱った。
私「私の言うことが聞けないなら、この教室から出て行きなさい」
W「どうしてヨ~?」
私「どうしてって、みんなにインフルエンザが移ったら、どうする?」
W「だいじょうぶだよ。移らないよ」
私「……」と。
もうおわかりのここと思うが、こういうのを(しつけ)という。
「咳をするときは、口をハンカチで押さえる」
「マスクをかけるのは、常識」
「マスクをしていても、相手の顔に向けて、咳をしない」
こうした(しつけ)には、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がある。
わかりやすく言えば、世界の常識。
……では、なぜ、こんなことを書くか?
実は今、あちこちの幼稚園で、「しつけ教室」なるものが、
たいへん流行(はや)っている。
たいていあいさつの仕方から始まって、箸の持ち方、置き方
などを教えている。
私はそうした(しつけ)は無駄とは思わないが、どこか
ピントがズレているように思う。
もっと基本的な部分で、大切にしなければならないことがある。
たとえば、(順番を並んで待つ)(順番を無視して、割り込みしない)
(他人をキズつけるような言葉を口にしない)など。
しかしそういう(しつけ)は、「しつけ教室?」で学ぶような
しつけではない。
私たちおとなが、日々の生活を通して、「常識」として、子どもの
体の中に、しみこませるもの。
先に書いた咳にしても、そうだ。
自分の子どもが無頓着に他人の顔に向けて咳をしたら、すかさず、
子どもを叱る。
その前に、親自身が自分のエリを正さなくてはいけない。
(しつけ)というのは、そういうもの。
ついでに言うなら、(あいさつ)など、どうでもよい。
したければすればよい。
したくなければ、しなくてもよい。
そんなことをいちいち教えている国は、今、ほとんどない。
たとえば韓国でも、数年前から、授業の前とあとのあいさつを
廃止した。
「起立!」「礼!」という、あのあいさつである。
「日本の植民地時代の亡霊」という理由で、そうした。
が、現在、浜松周辺の学校では、ほとんどの学校で、この種のあいさつを
している。
(当番の子どもが、「これから授業を始めます」などと言い、頭をさげるなど。)
国際性がないという点で、これはしつけでもなんでもない。
(参考)
A小学校……当番が「はじめましょう」と小さい声でいう。
それに答えて、全員が「はじめましょう」と合唱して、頭をさげる。
B小学校……当番が「起立!」と言い、先生が「はじめましょう」と答える。
そのとき生徒全員が、頭をさげる。
C小学校……全員が起立したあと、「今から○時間目の授業をはじめます」と
言って、頭をさげる。
D小学校……当番が「起立!」と号令をかけ、「○時間の授業を始めましょう」と
言う。そのとき生徒と先生が、たがいに頭をさげる。
E小学校……学級委員が、「起立」「姿勢はいいですか」と言い、みなが、
「はい!」と答え、学級委員が「今から○時間目の授業をはじめましょう」と
言って、みなが、礼をする。
ついでながら、アメリカやオーストラリアでは、先生が教室へやってきて、
「ハイ!」とか言って、それおしまい。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●仮眠効果(Sleeper Effect)
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心理学の世界に、「仮眠効果」という言葉がある。
「スリーパー効果」ともいう。
仮眠効果というのは、脳の中に入った情報が、しばらく仮眠したあと、
効果をもち始めることをいう。
子どもの世界では、こうした現象が、よく観察される。
たとえば子どもをほめたとする。
そのときは、子どもは「フン」と言って、軽く受け流す。
私の言ったことを深く考えない。
が、しばらく時間がたつと、つまりしばらく子どもの脳の中で仮眠したあと、
そのほめた効果が現れたりする。
「あのとき、林先生(=私)が、ぼくにこう言ってくれた!」と。
よく昔の恩師の話をしながら、「あのときあの先生が言ってくれた言葉が、
おとなになってから、ぼくの励みになった」という人がいる。
それも仮眠効果の現れとみてよい。
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●情報の熟成
情報というのは、脳の中に入った段階では、ただの(情報)。
それに加工を加えて、情報は情報としての意味をもつ。
(加工を加えることを、「思考」という。)
それまでは、たとえていうなら、座右に積み上げられた本のようなもの。
必要なときは取り出して読むが、そうでなければ、やがて脳みその中から消えていく。
が、ときとしてその情報そのものが、ひとり歩きすることがある。
ここでいう「仮眠効果」というのも、そのひとつ。
たとえば私が子どもをほめたとする。
そのときは、その子どもはそれを、軽く受け流す。
私が言った言葉に、重きを置かない。
たとえば、「君の空間思考力には、ものすごいものがある」と、私が言ったとする。
そのときは、子どもは、「そんなものかなあ……」と思ってすます。
が、しばらくしたあと、「空間思考力はすばらしい」という情報だけが、
脳みその中で熟成され、それが今度は、子どもの脳みその中で充満するようになる。
そしてこう思うようになる。
「ぼくは、空間思考能力にすぐれている!」と。
これは情報が、(仮眠)というプロセスを経て、効果をもたらしたことを意味する。
言いかえると、つまり教える側からすると、この仮眠効果をうまく使うと、子どもの
指導がうまくできる。
コツは、ポイントをとらえて、うまくほめる。
(叱ったり、欠点を指摘するときは、この方法は使ってはいけない。)
そしてその場では効果を求めない。
(求めても意味はない。)
それをブロックのように組み立てていく。
「君は、コツコツとやるところがすばらしい」
「式なんかも、だれが見ても、わかりやすい」
「考え方が緻密だね」と。
こうした情報は一度仮眠したあと、(私は「熟成」という言葉の方が好きだが……)、
子どもの脳みその中で、大きくふくらんでくる。
子どもの自信へとつながっていく。
もちろんそのとき、子どもは、私に誘導されたということは、覚えていない。
ほとんどのばあい、情報源は忘れてしまう。
だれに言われたかは、たいていのばあい、記憶に残らない。
しかし情報だけが、脳みその中に残り、その子どもを前向きにひっぱっていく。
これを「仮眠効果」という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
仮眠効果 スリーパー効果 情報の熟成 暗示 子どもの指導 林浩司)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●一周忌
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兄につづいて、母。
昨年(08年)の8月と10月に、それぞれが他界した。
で、一周忌の法要が近づいてきた。
兄も母も、あの世へ行ったわけだが、別の仏教の教えに
よれば、つまり輪廻転生論によれば、死者は死後、即、
人間も含めて、何かの動物に生まれ変わるということに
なっている。
少なくとも、初七日から四九日までの、七法事がすめば、
成仏もすみ(?)、死者への供養は、必要ないという
ことになる。
実は、もともと釈迦は、回忌のことは何も書いていない。
もともと「回忌」というのは、中国の儒教に説かれている
風習によるもの。
それが日本に入り、最終的には、『先代旧事本紀大成経』
という偽経を生みだした。
名前からして、まったくのメイド・イン・ジャパンの偽経である。
著者は、潮音(1628~95)と言われている。
北川紘洋氏は、こう書いている。
『鎌倉時代から室町時代初期までは三十三回忌までの
十三仏事しかなかったなかったのが、室町時代を過ぎると、
これに十七回忌、二十五回忌が加わり、さらに江戸時代には
五十回忌、六十回忌とふえていった』(「葬式に坊主は不要
と釈迦は言った」・はまの出版)と。
が、それとて、一般庶民とは、無縁のもの。
仏教が大衆の世界に入り込んだのは、親鸞、日蓮らの時代から
である。
こうした法要にしても、武士、なかんずく上級武士たちの
風習であった。
(以上、参考、北川紘洋著「葬式に坊主は不要と釈迦は言った」)
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●亡くなった人たちの死を悼む
何も考えず、何も調べず、何も学ばず、過去を踏襲するのは楽なこと。
大きな川の流れに乗って、みなと同じことをしていれば、これまた楽なこと。
暇なときは、パチンコをしたり、プロ野球の実況中継を見ていればよい。
しかしそれではこの世の中、何も変わっていかない。
また本来なら、そうした流れを変えていくのは、私たち人生の先輩者である。
その先輩者である私たちが、伝統や風習の上にどっかりと腰を据え、
「昔からこうだから……」と、若い人たちを自分たちの世界に引き込んでいく。
おかしなことだが、このおかしさが改まらないかぎり、過去はそのまま意味もなく、
踏襲されていく。
死者を悼む……。
なぜ私たちが死者を悼むかと言えば、死者を悼むことによって、今、こうして
生きている私たちの「命」を大切にするためである。
もしあなたが子どもの前で、死んだペットの小鳥を、紙かなにかにくるんで
ゴミ箱へ捨てるようなことをすれば、子どもは、死というのはそういうものかと
考えるようになる。
ついで生とは、そういうものかと考えるようになる。
ペットが死んで悲しんでいる子どもの心を踏みにじることにもなる。
言いかえると、死者の死を悼むことによって、私たちは生きていることの尊さを学ぶ。
子どもたちにも、それを教えることができる。
が、このことと、法事は、まったく別のもの。
「心」と「儀式」は、まったく別のもの。
心のない儀式は、ただのあいさつ。
あいさつにもならない。
しかし心があれば、儀式は、必要ない。
あっても付随的なもの。
が、この日本では、常に儀式だけが先行し、心がそれについていく(?)。
さらに悪いことに、儀式だけを繰り返して、それでもって、心をごまかしてしまう。
それでよしとして、自分の心を見つめることもしない。
それこそ立派な葬儀だったから、よし。
そうでなかったら、そうでないというような判断をくだして、それで終わってしまう。
●みんな、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ
10年前に亡くなった人を思い浮かべてみよう。
20年前でも、30年前でもよい。
そのときからその人の時計は止まる。
「もう10年!」「もう20年!」「もう30年!」と、そのつど、私たちは驚く。
昨日亡くなった人を、今日、弔(とむら)うのも、10年前に亡くなった人を、
今日、弔うのも、同じ。
20年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
30年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
同じように、この先10年、20年、30年など、あっという間に過ぎる。
運がよければ、あなたは10年後も生きている、20年後も生きている、
30年後も生きている。
しかしひょっとしたら、あなたは、明日死ぬかもしれない。
明日、何かの大病を患うかもしれない。
どうであるにせよ、今、生きているとしても、10年後に死ぬのも、20年後に死ぬのも、
30年後に死ぬのも、明日、死ぬのと同じ。
わかりやすく言えば、30年前に亡くなった人も、30年後に死ぬあなたにしても、
その間に、時間的な(差)はない。
元気なうちは、それがわからないかもしれない。
しかし死に直面すれば、だれにでも、それがわかるはず。
そこに待っているのは、10年前、20年前、30年前に亡くなった人たちではない。
「10年」とか、「20年」とか、「30年」とかいう数字は消え、それが「昨日」になる。
つまり、そこで待っているのは、つい先日、つい昨日亡くなった人たちである。
あなたはそういう人たちといっしょに、死を迎える。
そう、私たちはみな、この世の中に、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ。
繰り返すが、その間に、時間的な(差)はない。
●日本仏教の危機
時間と空間を超越したはずの仏教が、回忌にこだわる、このおかしさ。
1年後になったら、どうなのか。
2年後(3回忌は、実質、2年後をいう)になったら、どうなのか。
亡くなった人に、そういう(数字)があること自体、バカげている。
(年齢)があること自体、バカげている。
たとえば愛する子どもを失った母親を考えてみよう。
そういう母親にすれば、毎日が悲しみ。
その悲しみは、1年たったところで、癒されるものではない。
恐らく33年たっても、癒されることはないだろう。
(数字)など、関係ない。
こんなことは、ほんの少し、頭の中で考えれば、だれにでもわかるはず。
それにもし、釈迦がそんなバカげたことを口にしたとしたら、私はまっ先に
仏教を否定する。
いや、その前に、今に至るまで、生き延びることはなかっただろう。
私は仏教徒でも、仏教哲学者でもない。
そんな私ですら、こんなことは、自分でわかる。
いわんや、戒名をや!
そんなもので成仏するのに(差)が出るとしたら、それこそ仏教は邪教。
カルト。
が、いまだにそうした風習が、伝統としてこの日本に残っている。
言うまでもなく、宗教というのは、(教え)に従ってするもの。
その(教え)を踏み外して、宗教は宗教たりえない。
もしそれが面倒というのなら、それこそイワシの頭でも拝んでいればよい。
キツネでもタヌキでもよい。
世界へ行くと、世界の人たちは、実にさまざまな動物を拝んでいる。
もしそれでも、「仏教はカルトではない」と言うのなら、その道のプロたちが、
率先して、私たちにその(道)を示してほしい。
でないと、……というより、このままだと、日本の仏教は宗教としての
意味を見失ってしまうだろう。
兄と母の一周忌を前にして、再び、宗教について考えてみたい。
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7~10年前に書いた原稿を添付します。
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●生きる意味
幼児を教えていて、ふと不思議に思うことがある。子どもたちの顔を見ながら、「この子
たちは、ほんの五、六年前には、この世では姿も、形もなかったはずなのに」と。しかし
そういう子どもたちが今、私の目の前にいて、そして一人前の顔をして、デンと座ってい
る。「この子たちは、五、六年前には、どこにいたのだろう」「この子たちは、どこからき
たのだろう」と思うこともある。
一方、この年齢になると、周囲にいた人たちが、ポツリポツリと亡くなっていく。その
ときも、ふと不思議に思うことがある。亡くなった人たちの顔を思い浮かべながら、「あの
人たちは、どこへ消えたのだろう」と。年上の人の死は、それなりに納得できるが、同年
齢の友人や知人であったりすると、ズシンと胸にひびく。ときどき「あの人たちは、本当
に死んだのだろうか」「ひょっとしたら、どこかで生きているのではないだろうか」と思う
こともある。いわんや、私より年下の人の死は、痛い。つぎの原稿は、小田一磨君という
一人の教え子が死んだとき、書いたものである。
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「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君
一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘
病生活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使
えるか」と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここ
から出してほしい」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。
いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの
近代的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を
折らせたときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあ
った。皆でワイワイやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一
年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつ
ようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際
には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまっ
たかのように感じた。
葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何に
なりたいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカ
ーもできるし、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができな
くなる』と言いました」と。
そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞い
て、私だけではなく、皆が目頭を押さえた。
ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれ
ど、人の死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。
私は一磨君の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥
で念じた。この年齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の
数のほうが多くなる。人生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの
人生があっと言う間に終わったとしても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。
「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。汝がために鳴るなり」と。
私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を
読んでいる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知
り、一磨君の両親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。
しかもあなたがこの文を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれ
ない。しかし心がつながったとき、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨
君も、皆さんの心の中で生きることができる。それが重要なのだ。
一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、
そして仕事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と
言いながら、その瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、
今ここで、私たちは生きていることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養にな
る。」
あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典の
ひとつ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。
「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。わかりやく言えば、「ない」と。
「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうし
た常識は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常
識と考えてよい。もっとはっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。
そうした例は、無数にある。
たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護
摩(ごま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀
式であって、それ以外の何ものでもない。むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」
と教えている。(「バラモンよ、木片をたいて、清浄になれると思ってはならない。なぜ
ならこれは外面的なことであるから」(パーリ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」))
釈迦の死生観をどこかで考えながら、書いた原稿がつぎの原稿である。
「家族の喜び
親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな
親子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶさ
れると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなけ
ればいい」とか願うようになる。
「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がい
た。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」
と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、や
がてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どう
して?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。
法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れ
ることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日
まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したこ
とがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめ
るのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにし
ている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、
何を望むのですか」と。
子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どもの
ために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子
先生*は手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親
はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰
り道を閉ざしてはいけない」と。
今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)は、こう書き残してい
る。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜び
を与えられる」と。こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いった
いどれほどいるだろうか。」
ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎの
ように述べている。
「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励
む人は死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素
行が悪く、心が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きる
ほうがすぐれている。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに
明らかな智慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力も
なく一〇〇年生きるよりは、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」
(二四・三~五)(中村元訳)と。
要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きる
ことは美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二
〇年ではわからないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。
先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかし
さが、どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら
覚えた。話を聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新
聞はスポーツ新聞だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。
つぎの原稿は、そうした生きざまについて、私なりの結論を書いたものである。
++++++++++++++++++
●子どもに生きる意味を教えるとき
●高校野球に学ぶこと
懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちが
なぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではな
いのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、
意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自
信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはな
ぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇
年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではな
いが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸
福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるために
は)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。
つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、
(その味は)わからないのよ』と。
●懸命に生きることに価値がある
そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチ
ャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。
みんな必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投
げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだま
する。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋
めつくす……。
私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言
うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、
そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、
ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわから
ない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問
われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その
生きざまでしかない。あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりな
がら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほう
も、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれ
と同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教
えてくれる。」
私も、つぎの瞬間には、この世から消えてなくなる。書いたものとはいえ、ここに書い
たようなものは、やがて消えてなくなる。残るものといえば、この文を読んでくれた人
がいたという「事実」だが、そういう人たちとて、これまたやがて消えてなくなる。し
かしその片鱗(りん)は残る。かすかな余韻といってもよい。もっともそのときは、無
数の人たちの、ほかの余韻とまざりあって、どれがだれのものであるかはわからないだ
ろう。しかしそういう余韻が残る。この余韻が、つぎの世代の新しい人たちの心に残り、
そして心をつくる。
言いかえると、つまりこのことを反対の立場で考えると、私たちの心の中にも、過去に
生きた人たちの無数の余韻が、互いにまざりあって、残っている。有名な人のも、無名
な人のも。もっと言えば、たとえば私は今、「はやし浩司」という名前で、自分の思想を
書いているが、その実、こうした無数の余韻をまとめているだけということになる。そ
の中には、キリスト教的なものの考え方や、仏教的なものの考え方もある。ひょっとし
たらイスラム教的なものの考え方もあるかもしれない。もちろん日本の歴史に根ざすも
のの考え方もある。どれがどれとは区別できないが、そうした無数の余韻が、まざりあ
っていることは事実だ。
この項の最後に、私にとって「生きる」とは何かについて。私にとって生きるというこ
とは考えること。具体的には、書くこと。仏教的に言えば、日々に精進することという
ことになる。それについて書いたのがつぎの文である。この文は、中日新聞でのコラム
「子どもの世界」の最終回用に書いたものである。
++++++++++++++++++++++
●「子どもの世界」最終回
●ご購読、ありがとうございました。
毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新
聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、とき
どき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中か
ら引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。
今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代
の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書
くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。
反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」
と怒っている人だっているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野
を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、そ
れは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。
よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくは
ないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまっ
た!」と思うことが多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にと
って「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなの
だ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひ
ょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。
そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。
私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事
があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと
私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出てい
る朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころに
なると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会
話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうご
ざいました。」
(02-7-23)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●最悪の食糧危機(The Worst Food Shortage of North Korea)
+++++++++++++++++
K国は現在、1990年以来、最悪の
食糧危機に見舞われているという。
+++++++++++++++++
『国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、5月28日、
世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK国について、
「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一方、当局は
人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した』(時事通信より
抜粋※)と。
同じくWFPも『世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情が極めて深刻な状態にあると
して、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過
去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1
990年代以降では最悪の状況にあるとしていると紹介している」と報告している(※)。
+++++++++++++++++
こうした中、時事通信はさらにこう伝える。
『こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている』と。
「食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断された!」
そういうことを平気でするところが、恐ろしい!
「ここまでやるか!」というのが、私の印象。
人民、つまりK国の国民こそ、えらい迷惑。
迷惑というより、犠牲者。
が、相変わらずの大本営発表を繰り返しているのが、K国の国営通信。
つぎの記事を読んで、笑わない人はいないだろう。
『K国の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は7日の論評で、金xx総書記が経済再建や国民
生活向上のため「昨年末から約2カ月間、家に戻れず列車で生活しながら、人民経済のさ
まざまな部門で現地指導を続けている」とする発言を伝えた』(5月7日)と。
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
●いっしょに心中してはいけない!
K国が何を画策しているにせよ、またどんな挑発的行為をしてくるにせよ、
日本は、K国を相手にしてはいけない。
あんな国をまともに相手にしてはいけない。
それとも、日本は、あんな国と心中でもするつもりなのか。
ここは無視。
ひたすら無視。
放っていおいても、K国は、自ら墓穴を掘って自滅する。
今朝(5・29)の報道によれば、さらなる挑発的行為として、K国は、今度は
ICBM(大陸間弾道弾)の発射実験をするかもしれないという。
したければさせておけばよい。
自ら、先の「人工衛星発射」が、ウソだったことを暴露させるようなもの。
あのときも、「宇宙開発は、全民族の共通の権利である」というようなことを言っていた。
そして「それを迎撃したら、即、宣戦布告行為とみなす」と、まあ、威勢のよいことを
言っていた。
ICBMともなれば、当然、日本の上空を通ることになると思うが、ここは無視。
ひたすら無視。
負けるが勝ち。
今、日本にとってもっとも重要なことは、K国もさることながら、国際世論でもって、
中国を追い詰めること。
中国に行動させること。
中国が行動すれば、K国は、一気に崩壊に向かう。
決して日本だけが、単独で行動してはいけない。
200~300発のノドンが、すでに日本をターゲットにしていることを忘れては
いけない。
まず日本の国益を守る。
日本の平和と安全を守る。
今、もし、たとえ1発でも、ノドンが東京の中心に撃ち込まれたら、日本はどうなるか。
日本の経済はどうなるか。
日本は丸裸以上の丸裸。
ここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
あんな国を相手にしてはいけない。
またその価値もない。
ないことは、アムネスティの年次報告書を読めばわかるはず。
決して勇ましい好戦論にまどわされてはいけない。
もちろん日本が攻撃されたら、そのときはただではすまさない。
そういう気構えはもつ必要がある。
しかし今は、じっとがまんのとき。
1990年末の食糧危機のときは、金xxは、中国へ亡命する一歩手前だった。
恐らく今回も、それ以上のことを考えているはず。
それがK国軍部のあせりとなって表れている。
人工衛星、核実験、ミサイル発射などなど。
それらを断末魔の叫び声と理解すれば、K国の内部事情もわかろうというもの。
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
(注※1)【ロンドン28日時事】国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本
部ロンドン)は、28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。こ
の中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面す
る一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した。
報告書によれば、K国は「過去10年間で見られなかった規模」の飢餓に見舞われ、何百
万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食
いつないでいる人も多いという。
こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている。(時事通信・5月28日)
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
(注※2)世界食糧計画(WFP)がK国の食糧事情が極めて深刻な状態にあるとして、国
際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過去3週間にわ
たって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1990年代以降で
は、最悪の状況にあるとしていると紹介している。食糧事情悪化の原因として、2007年の
大規模な洪水被害、不良な農作物収穫、輸入や援助減少をあげている。(引用:産経新聞、
中日新聞)
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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*After One Year Long
●一周忌
+++++++++++++++++++++
兄につづいて、母。
昨年(08年)の8月と10月に、それぞれが他界した。
で、一周忌の法要が近づいてきた。
兄も母も、あの世へ行ったわけだが、別の仏教の教えに
よれば、つまり輪廻転生論によれば、死者は死後、即、
人間も含めて、何かの動物に生まれ変わるということに
なっている。
少なくとも、初七日から四九日までの、七法事がすめば、
成仏もすみ(?)、死者への供養は、必要ないという
ことになる。
実は、もともと釈迦は、回忌のことは何も書いていない。
もともと「回忌」というのは、中国の儒教に説かれている
風習によるもの。
それが日本に入り、最終的には、『先代旧事本紀大成経』
という偽経を生みだした。
名前からして、まったくのメイド・イン・ジャパンの偽経である。
著者は、潮音(1628~95)と言われている。
北川紘洋氏は、こう書いている。
『鎌倉時代から室町時代初期までは三十三回忌までの
十三仏事しかなかったなかったのが、室町時代を過ぎると、
これに十七回忌、二十五回忌が加わり、さらに江戸時代には
五十回忌、六十回忌とふえていった』(「葬式に坊主は不要
と釈迦は言った」・はまの出版)と。
が、それとて、一般庶民とは、無縁のもの。
仏教が大衆の世界に入り込んだのは、親鸞、日蓮らの時代から
である。
こうした法要にしても、武士、なかんずく上級武士たちの
風習であった。
(以上、参考、北川紘洋著「葬式に坊主は不要と釈迦は言った」)
+++++++++++++++++++++
●亡くなった人たちの死を悼む
何も考えず、何も調べず、何も学ばず、過去を踏襲するのは楽なこと。
大きな川の流れに乗って、みなと同じことをしていれば、これまた楽なこと。
暇なときは、パチンコをしたり、プロ野球の実況中継を見ていればよい。
しかしそれではこの世の中、何も変わっていかない。
また本来なら、そうした流れを変えていくのは、私たち人生の先輩者である。
その先輩者である私たちが、伝統や風習の上にどっかりと腰を据え、
「昔からこうだから……」と、若い人たちを自分たちの世界に引き込んでいく。
おかしなことだが、このおかしさが改まらないかぎり、過去はそのまま意味もなく、
踏襲されていく。
死者を悼む……。
なぜ私たちが死者を悼むかと言えば、死者を悼むことによって、今、こうして
生きている私たちの「命」を大切にするためである。
もしあなたが子どもの前で、死んだペットの小鳥を、紙かなにかにくるんで
ゴミ箱へ捨てるようなことをすれば、子どもは、死というのはそういうものかと
考えるようになる。
ついで生とは、そういうものかと考えるようになる。
ペットが死んで悲しんでいる子どもの心を踏みにじることにもなる。
言いかえると、死者の死を悼むことによって、私たちは生きていることの尊さを学ぶ。
子どもたちにも、それを教えることができる。
が、このことと、法事は、まったく別のもの。
「心」と「儀式」は、まったく別のもの。
心のない儀式は、ただのあいさつ。
あいさつにもならない。
しかし心があれば、儀式は、必要ない。
あっても付随的なもの。
が、この日本では、常に儀式だけが先行し、心がそれについていく(?)。
さらに悪いことに、儀式だけを繰り返して、それでもって、心をごまかしてしまう。
それでよしとして、自分の心を見つめることもしない。
それこそ立派な葬儀だったから、よし。
そうでなかったら、そうでないというような判断をくだして、それで終わってしまう。
●みんな、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ
10年前に亡くなった人を思い浮かべてみよう。
20年前でも、30年前でもよい。
そのときからその人の時計は止まる。
「もう10年!」「もう20年!」「もう30年!」と、そのつど、私たちは驚く。
昨日亡くなった人を、今日、弔(とむら)うのも、10年前に亡くなった人を、
今日、弔うのも、同じ。
20年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
30年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
同じように、この先10年、20年、30年など、あっという間に過ぎる。
運がよければ、あなたは10年後も生きている、20年後も生きている、
30年後も生きている。
しかしひょっとしたら、あなたは、明日死ぬかもしれない。
明日、何かの大病を患うかもしれない。
どうであるにせよ、今、生きているとしても、10年後に死ぬのも、20年後に死ぬのも、
30年後に死ぬのも、明日、死ぬのと同じ。
わかりやすく言えば、30年前に亡くなった人も、30年後に死ぬあなたにしても、
その間に、時間的な(差)はない。
元気なうちは、それがわからないかもしれない。
しかし死に直面すれば、だれにでも、それがわかるはず。
そこに待っているのは、10年前、20年前、30年前に亡くなった人たちではない。
「10年」とか、「20年」とか、「30年」とかいう数字は消え、それが「昨日」になる。
つまり、そこで待っているのは、つい先日、つい昨日亡くなった人たちである。
あなたはそういう人たちといっしょに、死を迎える。
そう、私たちはみな、この世の中に、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ。
繰り返すが、その間に、時間的な(差)はない。
●日本仏教の危機
時間と空間を超越したはずの仏教が、回忌にこだわる、このおかしさ。
1年後になったら、どうなのか。
2年後(3回忌は、実質、2年後をいう)になったら、どうなのか。
亡くなった人に、そういう(数字)があること自体、バカげている。
(年齢)があること自体、バカげている。
たとえば愛する子どもを失った母親を考えてみよう。
そういう母親にすれば、毎日が悲しみ。
その悲しみは、1年たったところで、癒されるものではない。
恐らく33年たっても、癒されることはないだろう。
(数字)など、関係ない。
こんなことは、ほんの少し、頭の中で考えれば、だれにでもわかるはず。
それにもし、釈迦がそんなバカげたことを口にしたとしたら、私はまっ先に
仏教を否定する。
いや、その前に、今に至るまで、生き延びることはなかっただろう。
私は仏教徒でも、仏教哲学者でもない。
そんな私ですら、こんなことは、自分でわかる。
いわんや、戒名をや!
そんなもので成仏するのに(差)が出るとしたら、それこそ仏教は邪教。
カルト。
が、いまだにそうした風習が、伝統としてこの日本に残っている。
言うまでもなく、宗教というのは、(教え)に従ってするもの。
その(教え)を踏み外して、宗教は宗教たりえない。
もしそれが面倒というのなら、それこそイワシの頭でも拝んでいればよい。
キツネでもタヌキでもよい。
世界へ行くと、世界の人たちは、実にさまざまな動物を拝んでいる。
もしそれでも、「仏教はカルトではない」と言うのなら、その道のプロたちが、
率先して、私たちにその(道)を示してほしい。
でないと、……というより、このままだと、日本の仏教は宗教としての
意味を見失ってしまうだろう。
兄と母の一周忌を前にして、再び、宗教について考えてみたい。
+++++++++++++++++
7~10年前に書いた原稿を添付します。
+++++++++++++++++
●生きる意味
幼児を教えていて、ふと不思議に思うことがある。子どもたちの顔を見ながら、「この子たちは、ほんの五、六年前には、この世では姿も、形もなかったはずなのに」と。しかしそういう子どもたちが今、私の目の前にいて、そして一人前の顔をして、デンと座っている。「この子たちは、五、六年前には、どこにいたのだろう」「この子たちは、どこからきたのだろう」と思うこともある。
一方、この年齢になると、周囲にいた人たちが、ポツリポツリと亡くなっていく。そのときも、ふと不思議に思うことがある。亡くなった人たちの顔を思い浮かべながら、「あの人たちは、どこへ消えたのだろう」と。年上の人の死は、それなりに納得できるが、同年齢の友人や知人であったりすると、ズシンと胸にひびく。ときどき「あの人たちは、本当に死んだのだろうか」「ひょっとしたら、どこかで生きているのではないだろうか」と思うこともある。いわんや、私より年下の人の死は、痛い。つぎの原稿は、小田一磨君という一人の教え子が死んだとき、書いたものである。
+++++++++++++++++++++
「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君
一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほしい」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。
いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせたときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワイやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまったかのように感じた。
葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になりたいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできるし、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」と。
そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、私だけではなく、皆が目頭を押さえた。
ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わったとしても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。汝がために鳴るなり」と。
私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んでいる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったとき、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることができる。それが重要なのだ。
一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きていることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。」
あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典のひとつ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。
「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。わかりやく言えば、「ない」と。「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうした常識は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常識と考えてよい。もっとはっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。そうした例は、無数にある。
たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護摩(ごま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、それ以外の何ものでもない。むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」と教えている。(「バラモンよ、木片をたいて、清浄になれると思ってはならない。なぜならこれは外面的なことであるから」(パーリ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」))
釈迦の死生観をどこかで考えながら、書いた原稿がつぎの原稿である。
「家族の喜び
親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。
「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。
法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。
子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。
今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)は、こう書き残している。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。」
ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎのように述べている。
「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励む人は死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素行が悪く、心が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きるほうがすぐれている。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに明らかな智慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力もなく一〇〇年生きるよりは、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」(二四・三~五)(中村元訳)と。
要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きることは美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二〇年ではわからないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。
先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかしさが、どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら覚えた。話を聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新聞はスポーツ新聞だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。
つぎの原稿は、そうした生きざまについて、私なりの結論を書いたものである。
++++++++++++++++++
●子どもに生きる意味を教えるとき
●高校野球に学ぶこと
懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。
●懸命に生きることに価値がある
そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。
私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。」
私も、つぎの瞬間には、この世から消えてなくなる。書いたものとはいえ、ここに書いたようなものは、やがて消えてなくなる。残るものといえば、この文を読んでくれた人がいたという「事実」だが、そういう人たちとて、これまたやがて消えてなくなる。しかしその片鱗(りん)は残る。かすかな余韻といってもよい。もっともそのときは、無数の人たちの、ほかの余韻とまざりあって、どれがだれのものであるかはわからないだろう。しかしそういう余韻が残る。この余韻が、つぎの世代の新しい人たちの心に残り、そして心をつくる。
言いかえると、つまりこのことを反対の立場で考えると、私たちの心の中にも、過去に生きた人たちの無数の余韻が、互いにまざりあって、残っている。有名な人のも、無名な人のも。もっと言えば、たとえば私は今、「はやし浩司」という名前で、自分の思想を書いているが、その実、こうした無数の余韻をまとめているだけということになる。その中には、キリスト教的なものの考え方や、仏教的なものの考え方もある。ひょっとしたらイスラム教的なものの考え方もあるかもしれない。もちろん日本の歴史に根ざすものの考え方もある。どれがどれとは区別できないが、そうした無数の余韻が、まざりあっていることは事実だ。
この項の最後に、私にとって「生きる」とは何かについて。私にとって生きるということは考えること。具体的には、書くこと。仏教的に言えば、日々に精進することということになる。それについて書いたのがつぎの文である。この文は、中日新聞でのコラム「子どもの世界」の最終回用に書いたものである。
++++++++++++++++++++++
●「子どもの世界」最終回
●ご購読、ありがとうございました。
毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。
今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。
よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。
私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。」
(02-7-23)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
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兄につづいて、母。
昨年(08年)の8月と10月に、それぞれが他界した。
で、一周忌の法要が近づいてきた。
兄も母も、あの世へ行ったわけだが、別の仏教の教えに
よれば、つまり輪廻転生論によれば、死者は死後、即、
人間も含めて、何かの動物に生まれ変わるということに
なっている。
少なくとも、初七日から四九日までの、七法事がすめば、
成仏もすみ(?)、死者への供養は、必要ないという
ことになる。
実は、もともと釈迦は、回忌のことは何も書いていない。
もともと「回忌」というのは、中国の儒教に説かれている
風習によるもの。
それが日本に入り、最終的には、『先代旧事本紀大成経』
という偽経を生みだした。
名前からして、まったくのメイド・イン・ジャパンの偽経である。
著者は、潮音(1628~95)と言われている。
北川紘洋氏は、こう書いている。
『鎌倉時代から室町時代初期までは三十三回忌までの
十三仏事しかなかったなかったのが、室町時代を過ぎると、
これに十七回忌、二十五回忌が加わり、さらに江戸時代には
五十回忌、六十回忌とふえていった』(「葬式に坊主は不要
と釈迦は言った」・はまの出版)と。
が、それとて、一般庶民とは、無縁のもの。
仏教が大衆の世界に入り込んだのは、親鸞、日蓮らの時代から
である。
こうした法要にしても、武士、なかんずく上級武士たちの
風習であった。
(以上、参考、北川紘洋著「葬式に坊主は不要と釈迦は言った」)
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●亡くなった人たちの死を悼む
何も考えず、何も調べず、何も学ばず、過去を踏襲するのは楽なこと。
大きな川の流れに乗って、みなと同じことをしていれば、これまた楽なこと。
暇なときは、パチンコをしたり、プロ野球の実況中継を見ていればよい。
しかしそれではこの世の中、何も変わっていかない。
また本来なら、そうした流れを変えていくのは、私たち人生の先輩者である。
その先輩者である私たちが、伝統や風習の上にどっかりと腰を据え、
「昔からこうだから……」と、若い人たちを自分たちの世界に引き込んでいく。
おかしなことだが、このおかしさが改まらないかぎり、過去はそのまま意味もなく、
踏襲されていく。
死者を悼む……。
なぜ私たちが死者を悼むかと言えば、死者を悼むことによって、今、こうして
生きている私たちの「命」を大切にするためである。
もしあなたが子どもの前で、死んだペットの小鳥を、紙かなにかにくるんで
ゴミ箱へ捨てるようなことをすれば、子どもは、死というのはそういうものかと
考えるようになる。
ついで生とは、そういうものかと考えるようになる。
ペットが死んで悲しんでいる子どもの心を踏みにじることにもなる。
言いかえると、死者の死を悼むことによって、私たちは生きていることの尊さを学ぶ。
子どもたちにも、それを教えることができる。
が、このことと、法事は、まったく別のもの。
「心」と「儀式」は、まったく別のもの。
心のない儀式は、ただのあいさつ。
あいさつにもならない。
しかし心があれば、儀式は、必要ない。
あっても付随的なもの。
が、この日本では、常に儀式だけが先行し、心がそれについていく(?)。
さらに悪いことに、儀式だけを繰り返して、それでもって、心をごまかしてしまう。
それでよしとして、自分の心を見つめることもしない。
それこそ立派な葬儀だったから、よし。
そうでなかったら、そうでないというような判断をくだして、それで終わってしまう。
●みんな、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ
10年前に亡くなった人を思い浮かべてみよう。
20年前でも、30年前でもよい。
そのときからその人の時計は止まる。
「もう10年!」「もう20年!」「もう30年!」と、そのつど、私たちは驚く。
昨日亡くなった人を、今日、弔(とむら)うのも、10年前に亡くなった人を、
今日、弔うのも、同じ。
20年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
30年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
同じように、この先10年、20年、30年など、あっという間に過ぎる。
運がよければ、あなたは10年後も生きている、20年後も生きている、
30年後も生きている。
しかしひょっとしたら、あなたは、明日死ぬかもしれない。
明日、何かの大病を患うかもしれない。
どうであるにせよ、今、生きているとしても、10年後に死ぬのも、20年後に死ぬのも、
30年後に死ぬのも、明日、死ぬのと同じ。
わかりやすく言えば、30年前に亡くなった人も、30年後に死ぬあなたにしても、
その間に、時間的な(差)はない。
元気なうちは、それがわからないかもしれない。
しかし死に直面すれば、だれにでも、それがわかるはず。
そこに待っているのは、10年前、20年前、30年前に亡くなった人たちではない。
「10年」とか、「20年」とか、「30年」とかいう数字は消え、それが「昨日」になる。
つまり、そこで待っているのは、つい先日、つい昨日亡くなった人たちである。
あなたはそういう人たちといっしょに、死を迎える。
そう、私たちはみな、この世の中に、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ。
繰り返すが、その間に、時間的な(差)はない。
●日本仏教の危機
時間と空間を超越したはずの仏教が、回忌にこだわる、このおかしさ。
1年後になったら、どうなのか。
2年後(3回忌は、実質、2年後をいう)になったら、どうなのか。
亡くなった人に、そういう(数字)があること自体、バカげている。
(年齢)があること自体、バカげている。
たとえば愛する子どもを失った母親を考えてみよう。
そういう母親にすれば、毎日が悲しみ。
その悲しみは、1年たったところで、癒されるものではない。
恐らく33年たっても、癒されることはないだろう。
(数字)など、関係ない。
こんなことは、ほんの少し、頭の中で考えれば、だれにでもわかるはず。
それにもし、釈迦がそんなバカげたことを口にしたとしたら、私はまっ先に
仏教を否定する。
いや、その前に、今に至るまで、生き延びることはなかっただろう。
私は仏教徒でも、仏教哲学者でもない。
そんな私ですら、こんなことは、自分でわかる。
いわんや、戒名をや!
そんなもので成仏するのに(差)が出るとしたら、それこそ仏教は邪教。
カルト。
が、いまだにそうした風習が、伝統としてこの日本に残っている。
言うまでもなく、宗教というのは、(教え)に従ってするもの。
その(教え)を踏み外して、宗教は宗教たりえない。
もしそれが面倒というのなら、それこそイワシの頭でも拝んでいればよい。
キツネでもタヌキでもよい。
世界へ行くと、世界の人たちは、実にさまざまな動物を拝んでいる。
もしそれでも、「仏教はカルトではない」と言うのなら、その道のプロたちが、
率先して、私たちにその(道)を示してほしい。
でないと、……というより、このままだと、日本の仏教は宗教としての
意味を見失ってしまうだろう。
兄と母の一周忌を前にして、再び、宗教について考えてみたい。
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7~10年前に書いた原稿を添付します。
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●生きる意味
幼児を教えていて、ふと不思議に思うことがある。子どもたちの顔を見ながら、「この子たちは、ほんの五、六年前には、この世では姿も、形もなかったはずなのに」と。しかしそういう子どもたちが今、私の目の前にいて、そして一人前の顔をして、デンと座っている。「この子たちは、五、六年前には、どこにいたのだろう」「この子たちは、どこからきたのだろう」と思うこともある。
一方、この年齢になると、周囲にいた人たちが、ポツリポツリと亡くなっていく。そのときも、ふと不思議に思うことがある。亡くなった人たちの顔を思い浮かべながら、「あの人たちは、どこへ消えたのだろう」と。年上の人の死は、それなりに納得できるが、同年齢の友人や知人であったりすると、ズシンと胸にひびく。ときどき「あの人たちは、本当に死んだのだろうか」「ひょっとしたら、どこかで生きているのではないだろうか」と思うこともある。いわんや、私より年下の人の死は、痛い。つぎの原稿は、小田一磨君という一人の教え子が死んだとき、書いたものである。
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「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君
一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほしい」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。
いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせたときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワイやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまったかのように感じた。
葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になりたいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできるし、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」と。
そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、私だけではなく、皆が目頭を押さえた。
ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わったとしても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。汝がために鳴るなり」と。
私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んでいる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったとき、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることができる。それが重要なのだ。
一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きていることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。」
あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典のひとつ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。
「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。わかりやく言えば、「ない」と。「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうした常識は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常識と考えてよい。もっとはっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。そうした例は、無数にある。
たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護摩(ごま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、それ以外の何ものでもない。むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」と教えている。(「バラモンよ、木片をたいて、清浄になれると思ってはならない。なぜならこれは外面的なことであるから」(パーリ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」))
釈迦の死生観をどこかで考えながら、書いた原稿がつぎの原稿である。
「家族の喜び
親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。
「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。
法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。
子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。
今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)は、こう書き残している。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。」
ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎのように述べている。
「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励む人は死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素行が悪く、心が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きるほうがすぐれている。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに明らかな智慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力もなく一〇〇年生きるよりは、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」(二四・三~五)(中村元訳)と。
要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きることは美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二〇年ではわからないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。
先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかしさが、どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら覚えた。話を聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新聞はスポーツ新聞だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。
つぎの原稿は、そうした生きざまについて、私なりの結論を書いたものである。
++++++++++++++++++
●子どもに生きる意味を教えるとき
●高校野球に学ぶこと
懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。
●懸命に生きることに価値がある
そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。
私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。」
私も、つぎの瞬間には、この世から消えてなくなる。書いたものとはいえ、ここに書いたようなものは、やがて消えてなくなる。残るものといえば、この文を読んでくれた人がいたという「事実」だが、そういう人たちとて、これまたやがて消えてなくなる。しかしその片鱗(りん)は残る。かすかな余韻といってもよい。もっともそのときは、無数の人たちの、ほかの余韻とまざりあって、どれがだれのものであるかはわからないだろう。しかしそういう余韻が残る。この余韻が、つぎの世代の新しい人たちの心に残り、そして心をつくる。
言いかえると、つまりこのことを反対の立場で考えると、私たちの心の中にも、過去に生きた人たちの無数の余韻が、互いにまざりあって、残っている。有名な人のも、無名な人のも。もっと言えば、たとえば私は今、「はやし浩司」という名前で、自分の思想を書いているが、その実、こうした無数の余韻をまとめているだけということになる。その中には、キリスト教的なものの考え方や、仏教的なものの考え方もある。ひょっとしたらイスラム教的なものの考え方もあるかもしれない。もちろん日本の歴史に根ざすものの考え方もある。どれがどれとは区別できないが、そうした無数の余韻が、まざりあっていることは事実だ。
この項の最後に、私にとって「生きる」とは何かについて。私にとって生きるということは考えること。具体的には、書くこと。仏教的に言えば、日々に精進することということになる。それについて書いたのがつぎの文である。この文は、中日新聞でのコラム「子どもの世界」の最終回用に書いたものである。
++++++++++++++++++++++
●「子どもの世界」最終回
●ご購読、ありがとうございました。
毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。
今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。
よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。
私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。」
(02-7-23)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
2009年5月29日金曜日
*Sleepers' Effect
●仮眠効果(Sleeper Effect)
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心理学の世界に、「仮眠効果」という言葉がある。
「スリーパー効果」ともいう。
仮眠効果というのは、脳の中に入った情報が、しばらく仮眠したあと、
効果をもち始めることをいう。
子どもの世界では、こうした現象が、よく観察される。
たとえば子どもをほめたとする。
そのときは、子どもは「フン」と言って、軽く受け流す。
私の言ったことを深く考えない。
が、しばらく時間がたつと、つまりしばらく子どもの脳の中で仮眠したあと、
そのほめた効果が現れたりする。
「あのとき、林先生(=私)が、ぼくにこう言ってくれた!」と。
よく昔の恩師の話をしながら、「あのときあの先生が言ってくれた言葉が、
おとなになってから、ぼくの励みになった」という人がいる。
それも仮眠効果の現れとみてよい。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●情報の熟成
情報というのは、脳の中に入った段階では、ただの(情報)。
それに加工を加えて、情報は情報としての意味をもつ。
(加工を加えることを、「思考」という。)
それまでは、たとえていうなら、座右に積み上げられた本のようなもの。
必要なときは取り出して読むが、そうでなければ、やがて脳みその中から消えていく。
が、ときとしてその情報そのものが、ひとり歩きすることがある。
ここでいう「仮眠効果」というのも、そのひとつ。
たとえば私が子どもをほめたとする。
そのときは、その子どもはそれを、軽く受け流す。
私が言った言葉に、重きを置かない。
たとえば、「君の空間思考力には、ものすごいものがある」と、私が言ったとする。
そのときは、子どもは、「そんなものかなあ……」と思ってすます。
が、しばらくしたあと、「空間思考力はすばらしい」という情報だけが、
脳みその中で熟成され、それが今度は、子どもの脳みその中で充満するようになる。
そしてこう思うようになる。
「ぼくは、空間思考能力にすぐれている!」と。
これは情報が、(仮眠)というプロセスを経て、効果をもたらしたことを意味する。
言いかえると、つまり教える側からすると、この仮眠効果をうまく使うと、子どもの
指導がうまくできる。
コツは、ポイントをとらえて、うまくほめる。
(叱ったり、欠点を指摘するときは、この方法は使ってはいけない。)
そしてその場では効果を求めない。
(求めても意味はない。)
それをブロックのように組み立てていく。
「君は、コツコツとやるところがすばらしい」
「式なんかも、だれが見ても、わかりやすい」
「考え方が緻密だね」と。
こうした情報は一度仮眠したあと、(私は「熟成」という言葉の方が好きだが……)、
子どもの脳みその中で、大きくふくらんでくる。
子どもの自信へとつながっていく。
もちろんそのとき、子どもは、私に誘導されたということは、覚えていない。
ほとんどのばあい、情報源は忘れてしまう。
だれに言われたかは、たいていのばあい、記憶に残らない。
しかし情報だけが、脳みその中に残り、その子どもを前向きにひっぱっていく。
これを「仮眠効果」という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
仮眠効果 スリーパー効果 情報の熟成 暗示 子どもの指導 林浩司)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
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心理学の世界に、「仮眠効果」という言葉がある。
「スリーパー効果」ともいう。
仮眠効果というのは、脳の中に入った情報が、しばらく仮眠したあと、
効果をもち始めることをいう。
子どもの世界では、こうした現象が、よく観察される。
たとえば子どもをほめたとする。
そのときは、子どもは「フン」と言って、軽く受け流す。
私の言ったことを深く考えない。
が、しばらく時間がたつと、つまりしばらく子どもの脳の中で仮眠したあと、
そのほめた効果が現れたりする。
「あのとき、林先生(=私)が、ぼくにこう言ってくれた!」と。
よく昔の恩師の話をしながら、「あのときあの先生が言ってくれた言葉が、
おとなになってから、ぼくの励みになった」という人がいる。
それも仮眠効果の現れとみてよい。
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●情報の熟成
情報というのは、脳の中に入った段階では、ただの(情報)。
それに加工を加えて、情報は情報としての意味をもつ。
(加工を加えることを、「思考」という。)
それまでは、たとえていうなら、座右に積み上げられた本のようなもの。
必要なときは取り出して読むが、そうでなければ、やがて脳みその中から消えていく。
が、ときとしてその情報そのものが、ひとり歩きすることがある。
ここでいう「仮眠効果」というのも、そのひとつ。
たとえば私が子どもをほめたとする。
そのときは、その子どもはそれを、軽く受け流す。
私が言った言葉に、重きを置かない。
たとえば、「君の空間思考力には、ものすごいものがある」と、私が言ったとする。
そのときは、子どもは、「そんなものかなあ……」と思ってすます。
が、しばらくしたあと、「空間思考力はすばらしい」という情報だけが、
脳みその中で熟成され、それが今度は、子どもの脳みその中で充満するようになる。
そしてこう思うようになる。
「ぼくは、空間思考能力にすぐれている!」と。
これは情報が、(仮眠)というプロセスを経て、効果をもたらしたことを意味する。
言いかえると、つまり教える側からすると、この仮眠効果をうまく使うと、子どもの
指導がうまくできる。
コツは、ポイントをとらえて、うまくほめる。
(叱ったり、欠点を指摘するときは、この方法は使ってはいけない。)
そしてその場では効果を求めない。
(求めても意味はない。)
それをブロックのように組み立てていく。
「君は、コツコツとやるところがすばらしい」
「式なんかも、だれが見ても、わかりやすい」
「考え方が緻密だね」と。
こうした情報は一度仮眠したあと、(私は「熟成」という言葉の方が好きだが……)、
子どもの脳みその中で、大きくふくらんでくる。
子どもの自信へとつながっていく。
もちろんそのとき、子どもは、私に誘導されたということは、覚えていない。
ほとんどのばあい、情報源は忘れてしまう。
だれに言われたかは、たいていのばあい、記憶に残らない。
しかし情報だけが、脳みその中に残り、その子どもを前向きにひっぱっていく。
これを「仮眠効果」という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
仮眠効果 スリーパー効果 情報の熟成 暗示 子どもの指導 林浩司)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
*Manner and Etiquette
●しつけ(咳について、再考)
日本人は、咳について、あまりにも無頓着。
平気でゴホン、ゴホンと席をする。
ちょうど今、新型インフルエンザが問題になっている。
もう一度、「しつけ」について考えてみたい。
(以下の原稿は、08年12月に書いたものです。)
+++++++++++++++++
「しつけ」というときは、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がなければならない。
あいさつの仕方など、国によってみなちがう。
時代によってちがうこともある。
さらに軍人には、軍人のあいさつのしかたがある。
そういうのは、「しつけ」とは言わない。
「作法」という。
たとえば最近、こんなことがあった。
++++++++++++++++++
W君(小2男児)は、インフルエンザにかかり、1週間ほど、
学校を休んだ。
その直後、私の教室に来た。
まだ咳が残っていた。
1~2分おきぐらいに、ゴホゴホと咳をしていた。
こういうケースのばあい、対処の仕方が2つある。
W君にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
あるいは全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
ふつうはW君だけにマスクを渡し、W君だけマスクを
かけさせれば、それですむ。
しかし中に、それをかたくなに拒否する子どももいる。
「罰」か何かのようにとらえる。
そういうときは、全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
が、である。
そういうふうにしても、W君は、ときどきマスクをはずし、
ゴホゴホと咳をする。
私のところへやってきて、面と向かって、ゴホゴホと咳をする。
だから私はかなりきつくW君を叱った。
「人の顔に向けて、咳をしてはだめだ」と。
するとW君は、「手で(自分の口を)押さえた」とか、
「先生の顔には向けてない」とか言って、反論した。
私「あのなあ、咳というのは、手で押さえたくらいでは
防ぐことができないんだよ」
W「いいから、いいから……」
私「いいから、いいからというような問題ではない。
マスクをちゃんと、しなさい」
W「ぼくはもう、治った」
私「治ってない!」と。
ついでに付記するなら、インフルエンザのウィルスに、
おとなも子どもも、ない。
おとな用のウィルス、子ども用のウィルスというのは、ない。
みな、同じ。
だから目の前でゴホンとやられたら、即、そのまま私に
感染する。
防ぎようがない。
ほとんどの人は、(おとなも子どもも)、咳をすることに
たいへん無頓着。
この日本では、とくに無頓着。
それを悪いことと考えている人は、少ない。
満員電車の中でさえ、平気でゴホゴホと咳をしている人さえ
いる。
しかし相手の顔に向けて咳をするのは、相手を手で殴るのと
同じ、暴力行為。
だから私はW君をさらに強く、叱った。
私「私の言うことが聞けないなら、この教室から出て行きなさい」
W「どうしてヨ~?」
私「どうしてって、みんなにインフルエンザが移ったら、どうする?」
W「だいじょうぶだよ。移らないよ」
私「……」と。
もうおわかりのここと思うが、こういうのを(しつけ)という。
「咳をするときは、口をハンカチで押さえる」
「マスクをかけるのは、常識」
「マスクをしていても、相手の顔に向けて、咳をしない」
こうした(しつけ)には、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がある。
わかりやすく言えば、世界の常識。
……では、なぜ、こんなことを書くか?
実は今、あちこちの幼稚園で、「しつけ教室」なるものが、
たいへん流行(はや)っている。
たいていあいさつの仕方から始まって、箸の持ち方、置き方
などを教えている。
私はそうした(しつけ)は無駄とは思わないが、どこか
ピントがズレているように思う。
もっと基本的な部分で、大切にしなければならないことがある。
たとえば、(順番を並んで待つ)(順番を無視して、割り込みしない)
(他人をキズつけるような言葉を口にしない)など。
しかしそういう(しつけ)は、「しつけ教室?」で学ぶような
しつけではない。
私たちおとなが、日々の生活を通して、「常識」として、子どもの
体の中に、しみこませるもの。
先に書いた咳にしても、そうだ。
自分の子どもが無頓着に他人の顔に向けて咳をしたら、すかさず、
子どもを叱る。
その前に、親自身が自分のエリを正さなくてはいけない。
(しつけ)というのは、そういうもの。
ついでに言うなら、(あいさつ)など、どうでもよい。
したければすればよい。
したくなければ、しなくてもよい。
そんなことをいちいち教えている国は、今、ほとんどない。
たとえば韓国でも、数年前から、授業の前とあとのあいさつを
廃止した。
「起立!」「礼!」という、あのあいさつである。
「日本の植民地時代の亡霊」という理由で、そうした。
が、現在、浜松周辺の学校では、ほとんどの学校で、この種のあいさつを
している。
(当番の子どもが、「これから授業を始めます」などと言い、頭をさげるなど。)
国際性がないという点で、これはしつけでもなんでもない。
(参考)
A小学校……当番が「はじめましょう」と小さい声でいう。
それに答えて、全員が「はじめましょう」と合唱して、頭をさげる。
B小学校……当番が「起立!」と言い、先生が「はじめましょう」と答える。
そのとき生徒全員が、頭をさげる。
C小学校……全員が起立したあと、「今から○時間目の授業をはじめます」と
言って、頭をさげる。
D小学校……当番が「起立!」と号令をかけ、「○時間の授業を始めましょう」と
言う。そのとき生徒と先生が、たがいに頭をさげる。
E小学校……学級委員が、「起立」「姿勢はいいですか」と言い、みなが、
「はい!」と答え、学級委員が「今から○時間目の授業をはじめましょう」と
言って、みなが、礼をする。
ついでながら、アメリカやオーストラリアでは、先生が教室へやってきて、
「ハイ!」とか言って、それおしまい。
日本人は、咳について、あまりにも無頓着。
平気でゴホン、ゴホンと席をする。
ちょうど今、新型インフルエンザが問題になっている。
もう一度、「しつけ」について考えてみたい。
(以下の原稿は、08年12月に書いたものです。)
+++++++++++++++++
「しつけ」というときは、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がなければならない。
あいさつの仕方など、国によってみなちがう。
時代によってちがうこともある。
さらに軍人には、軍人のあいさつのしかたがある。
そういうのは、「しつけ」とは言わない。
「作法」という。
たとえば最近、こんなことがあった。
++++++++++++++++++
W君(小2男児)は、インフルエンザにかかり、1週間ほど、
学校を休んだ。
その直後、私の教室に来た。
まだ咳が残っていた。
1~2分おきぐらいに、ゴホゴホと咳をしていた。
こういうケースのばあい、対処の仕方が2つある。
W君にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
あるいは全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
ふつうはW君だけにマスクを渡し、W君だけマスクを
かけさせれば、それですむ。
しかし中に、それをかたくなに拒否する子どももいる。
「罰」か何かのようにとらえる。
そういうときは、全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
が、である。
そういうふうにしても、W君は、ときどきマスクをはずし、
ゴホゴホと咳をする。
私のところへやってきて、面と向かって、ゴホゴホと咳をする。
だから私はかなりきつくW君を叱った。
「人の顔に向けて、咳をしてはだめだ」と。
するとW君は、「手で(自分の口を)押さえた」とか、
「先生の顔には向けてない」とか言って、反論した。
私「あのなあ、咳というのは、手で押さえたくらいでは
防ぐことができないんだよ」
W「いいから、いいから……」
私「いいから、いいからというような問題ではない。
マスクをちゃんと、しなさい」
W「ぼくはもう、治った」
私「治ってない!」と。
ついでに付記するなら、インフルエンザのウィルスに、
おとなも子どもも、ない。
おとな用のウィルス、子ども用のウィルスというのは、ない。
みな、同じ。
だから目の前でゴホンとやられたら、即、そのまま私に
感染する。
防ぎようがない。
ほとんどの人は、(おとなも子どもも)、咳をすることに
たいへん無頓着。
この日本では、とくに無頓着。
それを悪いことと考えている人は、少ない。
満員電車の中でさえ、平気でゴホゴホと咳をしている人さえ
いる。
しかし相手の顔に向けて咳をするのは、相手を手で殴るのと
同じ、暴力行為。
だから私はW君をさらに強く、叱った。
私「私の言うことが聞けないなら、この教室から出て行きなさい」
W「どうしてヨ~?」
私「どうしてって、みんなにインフルエンザが移ったら、どうする?」
W「だいじょうぶだよ。移らないよ」
私「……」と。
もうおわかりのここと思うが、こういうのを(しつけ)という。
「咳をするときは、口をハンカチで押さえる」
「マスクをかけるのは、常識」
「マスクをしていても、相手の顔に向けて、咳をしない」
こうした(しつけ)には、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がある。
わかりやすく言えば、世界の常識。
……では、なぜ、こんなことを書くか?
実は今、あちこちの幼稚園で、「しつけ教室」なるものが、
たいへん流行(はや)っている。
たいていあいさつの仕方から始まって、箸の持ち方、置き方
などを教えている。
私はそうした(しつけ)は無駄とは思わないが、どこか
ピントがズレているように思う。
もっと基本的な部分で、大切にしなければならないことがある。
たとえば、(順番を並んで待つ)(順番を無視して、割り込みしない)
(他人をキズつけるような言葉を口にしない)など。
しかしそういう(しつけ)は、「しつけ教室?」で学ぶような
しつけではない。
私たちおとなが、日々の生活を通して、「常識」として、子どもの
体の中に、しみこませるもの。
先に書いた咳にしても、そうだ。
自分の子どもが無頓着に他人の顔に向けて咳をしたら、すかさず、
子どもを叱る。
その前に、親自身が自分のエリを正さなくてはいけない。
(しつけ)というのは、そういうもの。
ついでに言うなら、(あいさつ)など、どうでもよい。
したければすればよい。
したくなければ、しなくてもよい。
そんなことをいちいち教えている国は、今、ほとんどない。
たとえば韓国でも、数年前から、授業の前とあとのあいさつを
廃止した。
「起立!」「礼!」という、あのあいさつである。
「日本の植民地時代の亡霊」という理由で、そうした。
が、現在、浜松周辺の学校では、ほとんどの学校で、この種のあいさつを
している。
(当番の子どもが、「これから授業を始めます」などと言い、頭をさげるなど。)
国際性がないという点で、これはしつけでもなんでもない。
(参考)
A小学校……当番が「はじめましょう」と小さい声でいう。
それに答えて、全員が「はじめましょう」と合唱して、頭をさげる。
B小学校……当番が「起立!」と言い、先生が「はじめましょう」と答える。
そのとき生徒全員が、頭をさげる。
C小学校……全員が起立したあと、「今から○時間目の授業をはじめます」と
言って、頭をさげる。
D小学校……当番が「起立!」と号令をかけ、「○時間の授業を始めましょう」と
言う。そのとき生徒と先生が、たがいに頭をさげる。
E小学校……学級委員が、「起立」「姿勢はいいですか」と言い、みなが、
「はい!」と答え、学級委員が「今から○時間目の授業をはじめましょう」と
言って、みなが、礼をする。
ついでながら、アメリカやオーストラリアでは、先生が教室へやってきて、
「ハイ!」とか言って、それおしまい。
*My Speech
●今日から、電子マガジン7月号
+++++++++++++++++++++++
この原稿から、電子マガジン7月号用となる。
そこでカレンダーを見ると、7月は、7月1日が、
発行日の水曜日ということがわかった。
電子マガジンは、毎週月、水、金の3回、発行している。
だれに頼まれたわけではない。
自分で、そうしている。
それにしても、日々の過ぎることの速いこと。
これであっという間に5月も終わった。
6月号も終わった。
「もう7月1日号かア~~」と。
実際には、今日は6月28日、木曜日。
電子マガジンは、いつも、約1か月前に、発行予約を
入れている。
これもとくに決まっているわけではない。
自分で、そうしている。
+++++++++++++++++++++++
●講演会
講演会での講演の内容が決まらない。
……というか、決めても、あまり意味がない。
その場の雰囲気というものがある。
私のばあい、ふつう、その場の雰囲気を見て、話の内容を変える。
しかし出だしは、どうするか。
「……時の流れは風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。
『時間よ、止まれ!』と、こぶしを握ってみても、時間はそのまま指の間から
もれていく……。
私は子どものころからいつも、何かうれしいことがあると、決まってこの歌を口ずさんだ。
♪夕空晴れて、秋風吹き……、と。
息子たちが小さいころも、よく歌った。
ドライブからの帰り道、みなで合唱したこともある。
♪夕空晴れて、秋風吹き、月影、落ちて鈴虫鳴く……」。
●自己紹介
いつも講演会では、最初に短い話を入れて、そのあと自己紹介をする。
自己紹介といっても、名前と住んでいる場所程度。
「はやし浩司と言います。
肩書きは、一応、教育評論家ということになっています。
何もないでは困りますので、そうしています。
住んでいるのは、浜松市です。
浜松市に住むようになって、もう40年近くになります。
今日は、このような席にお招きくださり、ありがとうございます」と。
つづいて、イントロ。
「今日は、3人の息子たちの父親として、子育てとは何か。
子育てはどうあるべきか。
それらについて、ありったけ話すつもりでやってきました。
今日、みなさんにお伝えすることが、家庭や学校で、子どもを見るための
新しい視点になればと願っています。
よろしくお願いします」と。
イントロも、その場の雰囲気で変える。
●本題
「その夜、突然、電話がありました。
受話器を取ると、息子の声でした。
『パパ、もうだめだ』と。
声の調子からして、私は異常なものを感じました。
『どうした?』と聞くこともなく、すかさず、私はこう言いました。
『すぐ、帰ってこい』と。
が、さらに驚いたことに、その翌々日のこと。
ふと私が勝手口を見ると、そこにS男がいるではありませんか。
両手には、バッグをさげていました。
帰ってこいとは言いましたが、まさかそんなに早く帰ってくるとは思っていません
でした。
が、それが、暗いトンネルの始まりでした……」と。
●代表
もちろん講演では、息子のことを話すのが目的ではない。
息子も、それを許さないだろう。
それに話したところで、ただの苦労話に終わってしまう。
私がわざわざ講演する、その意味がない。
ひととおりの症状を話したあと、私は、「代表説」を説明する。
「子どもは家族の代表である」という説である。
もっとも今では、この説は常識。
また教育の現場でも、治療の現場でも、広く採用され、応用されている。
つまり「子どもに何か問題が起きたとしても、それは子どもの問題ではない。
家族全体の問題である。
子どもは家族の代表に過ぎない」という説である。
それはその通りで、子どもに何か問題があったととき、子どもだけに焦点をあてて
解決しようとしても、うまくいくはずがない。
たとえば過干渉児、過保護児にしても、(これらは心理学の世界で、しっかりと
定義された言葉ではないが)、子どもに特有の症状が出ていたとしても、
それは子どもの問題ではない。
過干渉にしても、過保護にしても、それは親の育て方の問題ということになる。
だから親の過干渉が原因で、性格が内閉、萎縮してしまった子どもに向かって、
「もっとハキハキしなさい」と言っても、意味はない。
神経症や情緒障害にしても、そうである。
この世界では、親の無知ほど、恐ろしいものはない。
子どもが恐ろしいというのではない。
子どものために、恐ろしいものはないという意味で、恐ろしいものはない。
たとえばかん黙症の子どもに向かって、「どうしてあなたは手をあげないの!」と
叱っていた母親すらいた。
叱る方が、どうかしている。
●引きこもり
S男が示した症状は、まさに、ひきこもりのそれだった。
回避性障害、対人恐怖症、バーントアウト症候群、あしたのジョー症候群。
診断名は何でもよい。
うつ病だってかまわない。
あえて言うなら、この世の中、まともな人間ほど、そういった病気になる。
子どもがおかしいのではない。
社会のほうがおかしい。
が、私はがけの上から叩き落され、谷底で、さらにその上から叩き潰される
ような衝撃を受けた。
私は無数の子育て相談を受けながら、そういう人たちに、むしろアドバイスを
与えてきた立場の人間である。
その立場の人間の息子が、ひきこもりになってしまった。
が、その一方で、幸いなこともある。
すでにそのとき、私には、何十例という経験があった。
引きこもりで苦しむ親や子どもたちを、指導という形で、見てきた。
だから即座に、対処方法を打ち立てることができた。
● 暖かい無視と、ほどよい親
「暖かい無視」というのは、どこかの野生動物保護協会が使っている言葉である。
つまり暖かい愛情を保ちながら、無視すべきところは無視する。
たとえばS男の生活態度は、日増しにだらしなくなっていった。
風呂に入らない、着替えをしない、食事の時間が乱れる。
もちろん睡眠時間も乱れた。
毎日、ちょうど1時間ずつ、睡眠時間と起床時間がずれていった。
一晩中起きているということもつづいた。
が、何も言わない。
何も指示しない。
何も不満を口にしない。
暖かい愛情だけはしっかりともって、見守る。
それが暖かい無視ということになる。
……というより、いつも一触即発。
よく誤解されるが、「情緒不安」というときは、何も情緒が不安定になることを
いうのではない。
精神の緊張状態が取れないことをいう。
その緊張状態のときに、不安や心配ごとが入ると、情緒は一気に不安定になる。
情緒不安というのは、あくまでもその結果でしかない。
S男の精神は、いつもその緊張状態にあった。
そういう衝突が1、2度つづいて、私たち夫婦は、暖かい無視を貫くことにした。
……こうして講演をつなげていく。
今度の日曜日に、このつづきを考えてみたい。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
+++++++++++++++++++++++
この原稿から、電子マガジン7月号用となる。
そこでカレンダーを見ると、7月は、7月1日が、
発行日の水曜日ということがわかった。
電子マガジンは、毎週月、水、金の3回、発行している。
だれに頼まれたわけではない。
自分で、そうしている。
それにしても、日々の過ぎることの速いこと。
これであっという間に5月も終わった。
6月号も終わった。
「もう7月1日号かア~~」と。
実際には、今日は6月28日、木曜日。
電子マガジンは、いつも、約1か月前に、発行予約を
入れている。
これもとくに決まっているわけではない。
自分で、そうしている。
+++++++++++++++++++++++
●講演会
講演会での講演の内容が決まらない。
……というか、決めても、あまり意味がない。
その場の雰囲気というものがある。
私のばあい、ふつう、その場の雰囲気を見て、話の内容を変える。
しかし出だしは、どうするか。
「……時の流れは風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。
『時間よ、止まれ!』と、こぶしを握ってみても、時間はそのまま指の間から
もれていく……。
私は子どものころからいつも、何かうれしいことがあると、決まってこの歌を口ずさんだ。
♪夕空晴れて、秋風吹き……、と。
息子たちが小さいころも、よく歌った。
ドライブからの帰り道、みなで合唱したこともある。
♪夕空晴れて、秋風吹き、月影、落ちて鈴虫鳴く……」。
●自己紹介
いつも講演会では、最初に短い話を入れて、そのあと自己紹介をする。
自己紹介といっても、名前と住んでいる場所程度。
「はやし浩司と言います。
肩書きは、一応、教育評論家ということになっています。
何もないでは困りますので、そうしています。
住んでいるのは、浜松市です。
浜松市に住むようになって、もう40年近くになります。
今日は、このような席にお招きくださり、ありがとうございます」と。
つづいて、イントロ。
「今日は、3人の息子たちの父親として、子育てとは何か。
子育てはどうあるべきか。
それらについて、ありったけ話すつもりでやってきました。
今日、みなさんにお伝えすることが、家庭や学校で、子どもを見るための
新しい視点になればと願っています。
よろしくお願いします」と。
イントロも、その場の雰囲気で変える。
●本題
「その夜、突然、電話がありました。
受話器を取ると、息子の声でした。
『パパ、もうだめだ』と。
声の調子からして、私は異常なものを感じました。
『どうした?』と聞くこともなく、すかさず、私はこう言いました。
『すぐ、帰ってこい』と。
が、さらに驚いたことに、その翌々日のこと。
ふと私が勝手口を見ると、そこにS男がいるではありませんか。
両手には、バッグをさげていました。
帰ってこいとは言いましたが、まさかそんなに早く帰ってくるとは思っていません
でした。
が、それが、暗いトンネルの始まりでした……」と。
●代表
もちろん講演では、息子のことを話すのが目的ではない。
息子も、それを許さないだろう。
それに話したところで、ただの苦労話に終わってしまう。
私がわざわざ講演する、その意味がない。
ひととおりの症状を話したあと、私は、「代表説」を説明する。
「子どもは家族の代表である」という説である。
もっとも今では、この説は常識。
また教育の現場でも、治療の現場でも、広く採用され、応用されている。
つまり「子どもに何か問題が起きたとしても、それは子どもの問題ではない。
家族全体の問題である。
子どもは家族の代表に過ぎない」という説である。
それはその通りで、子どもに何か問題があったととき、子どもだけに焦点をあてて
解決しようとしても、うまくいくはずがない。
たとえば過干渉児、過保護児にしても、(これらは心理学の世界で、しっかりと
定義された言葉ではないが)、子どもに特有の症状が出ていたとしても、
それは子どもの問題ではない。
過干渉にしても、過保護にしても、それは親の育て方の問題ということになる。
だから親の過干渉が原因で、性格が内閉、萎縮してしまった子どもに向かって、
「もっとハキハキしなさい」と言っても、意味はない。
神経症や情緒障害にしても、そうである。
この世界では、親の無知ほど、恐ろしいものはない。
子どもが恐ろしいというのではない。
子どものために、恐ろしいものはないという意味で、恐ろしいものはない。
たとえばかん黙症の子どもに向かって、「どうしてあなたは手をあげないの!」と
叱っていた母親すらいた。
叱る方が、どうかしている。
●引きこもり
S男が示した症状は、まさに、ひきこもりのそれだった。
回避性障害、対人恐怖症、バーントアウト症候群、あしたのジョー症候群。
診断名は何でもよい。
うつ病だってかまわない。
あえて言うなら、この世の中、まともな人間ほど、そういった病気になる。
子どもがおかしいのではない。
社会のほうがおかしい。
が、私はがけの上から叩き落され、谷底で、さらにその上から叩き潰される
ような衝撃を受けた。
私は無数の子育て相談を受けながら、そういう人たちに、むしろアドバイスを
与えてきた立場の人間である。
その立場の人間の息子が、ひきこもりになってしまった。
が、その一方で、幸いなこともある。
すでにそのとき、私には、何十例という経験があった。
引きこもりで苦しむ親や子どもたちを、指導という形で、見てきた。
だから即座に、対処方法を打ち立てることができた。
● 暖かい無視と、ほどよい親
「暖かい無視」というのは、どこかの野生動物保護協会が使っている言葉である。
つまり暖かい愛情を保ちながら、無視すべきところは無視する。
たとえばS男の生活態度は、日増しにだらしなくなっていった。
風呂に入らない、着替えをしない、食事の時間が乱れる。
もちろん睡眠時間も乱れた。
毎日、ちょうど1時間ずつ、睡眠時間と起床時間がずれていった。
一晩中起きているということもつづいた。
が、何も言わない。
何も指示しない。
何も不満を口にしない。
暖かい愛情だけはしっかりともって、見守る。
それが暖かい無視ということになる。
……というより、いつも一触即発。
よく誤解されるが、「情緒不安」というときは、何も情緒が不安定になることを
いうのではない。
精神の緊張状態が取れないことをいう。
その緊張状態のときに、不安や心配ごとが入ると、情緒は一気に不安定になる。
情緒不安というのは、あくまでもその結果でしかない。
S男の精神は、いつもその緊張状態にあった。
そういう衝突が1、2度つづいて、私たち夫婦は、暖かい無視を貫くことにした。
……こうして講演をつなげていく。
今度の日曜日に、このつづきを考えてみたい。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
*The Worst Food Shortage of North Korea
●最悪の食糧危機(The Worst Food Shortage of North Korea)
+++++++++++++++++
K国は現在、1990年以来、最悪の
食糧危機に見舞われているという。
+++++++++++++++++
『国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、5月28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した』(時事通信より抜粋※)と。
同じくWFPも『世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情が極めて深刻な状態にあるとして、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1990年代以降では最悪の状況にあるとしていると紹介している」と報告している(※)。
+++++++++++++++++
こうした中、時事通信はさらにこう伝える。
『こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている』と。
「食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断された!」
そういうことを平気でするところが、恐ろしい!
「ここまでやるか!」というのが、私の印象。
人民、つまりK国の国民こそ、えらい迷惑。
迷惑というより、犠牲者。
が、相変わらずの大本営発表を繰り返しているのが、K国の国営通信。
つぎの記事を読んで、笑わない人はいないだろう。
『K国の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は7日の論評で、金xx総書記が経済再建や国民生活向上のため「昨年末から約2カ月間、家に戻れず列車で生活しながら、人民経済のさまざまな部門で現地指導を続けている」とする発言を伝えた』(5月7日)と。
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
●いっしょに心中してはいけない!
K国が何を画策しているにせよ、またどんな挑発的行為をしてくるにせよ、
日本は、K国を相手にしてはいけない。
あんな国をまともに相手にしてはいけない。
それとも、日本は、あんな国と心中でもするつもりなのか。
ここは無視。
ひたすら無視。
放っていおいても、K国は、自ら墓穴を掘って自滅する。
今朝(5・29)の報道によれば、さらなる挑発的行為として、K国は、今度は
ICBM(大陸間弾道弾)の発射実験をするかもしれないという。
したければさせておけばよい。
自ら、先の「人工衛星発射」が、ウソだったことを暴露させるようなもの。
あのときも、「宇宙開発は、全民族の共通の権利である」というようなことを言っていた。
そして「それを迎撃したら、即、宣戦布告行為とみなす」と、まあ、威勢のよいことを
言っていた。
ICBMともなれば、当然、日本の上空を通ることになると思うが、ここは無視。
ひたすら無視。
負けるが勝ち。
今、日本にとってもっとも重要なことは、K国もさることながら、国際世論でもって、
中国を追い詰めること。
中国に行動させること。
中国が行動すれば、K国は、一気に崩壊に向かう。
決して日本だけが、単独で行動してはいけない。
200~300発のノドンが、すでに日本をターゲットにしていることを忘れては
いけない。
まず日本の国益を守る。
日本の平和と安全を守る。
今、もし、たとえ1発でも、ノドンが東京の中心に撃ち込まれたら、日本はどうなるか。
日本の経済はどうなるか。
日本は丸裸以上の丸裸。
ここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
あんな国を相手にしてはいけない。
またその価値もない。
ないことは、アムネスティの年次報告書を読めばわかるはず。
決して勇ましい好戦論にまどわされてはいけない。
もちろん日本が攻撃されたら、そのときはただではすまさない。
そういう気構えはもつ必要がある。
しかし今は、じっとがまんのとき。
1990年末の食糧危機のときは、金xxは、中国へ亡命する一歩手前だった。
恐らく今回も、それ以上のことを考えているはず。
それがK国軍部のあせりとなって表れている。
人工衛星、核実験、ミサイル発射などなど。
それらを断末魔の叫び声と理解すれば、K国の内部事情もわかろうというもの。
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
(注※1)【ロンドン28日時事】国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した。
報告書によれば、K国は「過去10年間で見られなかった規模」の飢餓に見舞われ、何百万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食いつないでいる人も多いという。
こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている。(時事通信・5月28日)
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
(注※2)世界食糧計画(WFP)がK国の食糧事情が極めて深刻な状態にあるとして、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1990年代以降では、最悪の状況にあるとしていると紹介している。食糧事情悪化の原因として、2007年の大規模な洪水被害、不良な農作物収穫、輸入や援助減少をあげている。(引用:産経新聞、中日新聞)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
+++++++++++++++++
K国は現在、1990年以来、最悪の
食糧危機に見舞われているという。
+++++++++++++++++
『国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、5月28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した』(時事通信より抜粋※)と。
同じくWFPも『世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情が極めて深刻な状態にあるとして、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1990年代以降では最悪の状況にあるとしていると紹介している」と報告している(※)。
+++++++++++++++++
こうした中、時事通信はさらにこう伝える。
『こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている』と。
「食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断された!」
そういうことを平気でするところが、恐ろしい!
「ここまでやるか!」というのが、私の印象。
人民、つまりK国の国民こそ、えらい迷惑。
迷惑というより、犠牲者。
が、相変わらずの大本営発表を繰り返しているのが、K国の国営通信。
つぎの記事を読んで、笑わない人はいないだろう。
『K国の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は7日の論評で、金xx総書記が経済再建や国民生活向上のため「昨年末から約2カ月間、家に戻れず列車で生活しながら、人民経済のさまざまな部門で現地指導を続けている」とする発言を伝えた』(5月7日)と。
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
●いっしょに心中してはいけない!
K国が何を画策しているにせよ、またどんな挑発的行為をしてくるにせよ、
日本は、K国を相手にしてはいけない。
あんな国をまともに相手にしてはいけない。
それとも、日本は、あんな国と心中でもするつもりなのか。
ここは無視。
ひたすら無視。
放っていおいても、K国は、自ら墓穴を掘って自滅する。
今朝(5・29)の報道によれば、さらなる挑発的行為として、K国は、今度は
ICBM(大陸間弾道弾)の発射実験をするかもしれないという。
したければさせておけばよい。
自ら、先の「人工衛星発射」が、ウソだったことを暴露させるようなもの。
あのときも、「宇宙開発は、全民族の共通の権利である」というようなことを言っていた。
そして「それを迎撃したら、即、宣戦布告行為とみなす」と、まあ、威勢のよいことを
言っていた。
ICBMともなれば、当然、日本の上空を通ることになると思うが、ここは無視。
ひたすら無視。
負けるが勝ち。
今、日本にとってもっとも重要なことは、K国もさることながら、国際世論でもって、
中国を追い詰めること。
中国に行動させること。
中国が行動すれば、K国は、一気に崩壊に向かう。
決して日本だけが、単独で行動してはいけない。
200~300発のノドンが、すでに日本をターゲットにしていることを忘れては
いけない。
まず日本の国益を守る。
日本の平和と安全を守る。
今、もし、たとえ1発でも、ノドンが東京の中心に撃ち込まれたら、日本はどうなるか。
日本の経済はどうなるか。
日本は丸裸以上の丸裸。
ここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
あんな国を相手にしてはいけない。
またその価値もない。
ないことは、アムネスティの年次報告書を読めばわかるはず。
決して勇ましい好戦論にまどわされてはいけない。
もちろん日本が攻撃されたら、そのときはただではすまさない。
そういう気構えはもつ必要がある。
しかし今は、じっとがまんのとき。
1990年末の食糧危機のときは、金xxは、中国へ亡命する一歩手前だった。
恐らく今回も、それ以上のことを考えているはず。
それがK国軍部のあせりとなって表れている。
人工衛星、核実験、ミサイル発射などなど。
それらを断末魔の叫び声と理解すれば、K国の内部事情もわかろうというもの。
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
(注※1)【ロンドン28日時事】国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した。
報告書によれば、K国は「過去10年間で見られなかった規模」の飢餓に見舞われ、何百万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食いつないでいる人も多いという。
こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている。(時事通信・5月28日)
Hiroshi Hayashi++++はやし浩司
(注※2)世界食糧計画(WFP)がK国の食糧事情が極めて深刻な状態にあるとして、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1990年代以降では、最悪の状況にあるとしていると紹介している。食糧事情悪化の原因として、2007年の大規模な洪水被害、不良な農作物収穫、輸入や援助減少をあげている。(引用:産経新聞、中日新聞)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
*The Itadori River, one of the most beautiful rivers in Japan
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 5月 29日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【板取川】
●岐阜県・板取村へ
++++++++++++++++++++
今、ワイフと私は、電車
に乗って、板取村へと
向かっている。
++++++++++++++++++++
●電車の中で
この原稿は、電車の中で書き始めた。
名鉄・豊橋線の中。
土曜日ということもあって、子連れの夫婦が、
前後に何組か座っている。
私は職業柄、子どもたちの顔や姿を、ジロッ、ジロッと見てしまう。
どうしても見てしまう。
長く見る必要はない。
瞬間でよい。
時間にすれば、1秒前後か。
それでわかる。
年齢から、性格、さらには問題点まで。
で、私のばあい、10年~後の姿まで、見えてくる。
「この子は、こうなって、ああなって……」と。
過去も見えてくる。
「どういう家庭環境で、どう育ったか」と。
どこかの予言者みたいな言い方をするが、これは事実。
しかしスピリチュアル(霊力)などという、インチキなものではない。
経験と知識に基づいている。
診断権こそないが、何か情緒に障害をもっている子どもにしても、
瞬間、垣間見ただけで、それがわかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。
もちろんその反対のこともある。
学校で、LD(学習障害児)と判断された子ども(小1男児)がいた。
(学校側が、それをはっきりと示したわけではないが……。)
学校側は親に、特別学級への編入を勧めていた。
が、私は「そうではないと思う」と、母親に告げた。
「~~ではないと思う」という診断なら、私にもくだせる。
で、2、3年もすると、その結果が、はっきりとしてくる。
その子どものばあいも、小学4年生になるころから、めきめきと
成績を伸ばし始めた。
現在は小学6年生だが、その学校のクラスでも、トップの成績を修めている。
……しかしそれがわずらわしいから、(子どもがわずらわしいからではない。
誤解のないように!)、本当は、こうした休日には、できるだけ子どもの
そばに、すわらないようにしている。
どうしても気になってしまう。
しかし、この席は、指定席。
車内も、ほぼまんべんなく、混んでいる。
席を移動することはできない。
●診断
ななめうしろの席のA君(小2くらい)。
度の強いメガネをかけている。
A君の遠視に気がついたのは、かなり遅かったのではないか。
年齢相応の人格の完成度に、やや欠ける。
動作が、どこか幼稚ぽい。
時折前の席に座った弟(5歳くらい)に、ちょっかいを出しているのは、
嫉妬からか。
赤ちゃん返りの後遺症も残っている。
弟の横には、母親が座っている。
それで弟の横にいる母親が気になるらしい。
……というようなことを書くのはやめよう。
今日は、一応、「旅行」。
仕事の話はなし!
+++++++++++++++++++++
【板取村・旅行記】
●生老から
「生老」……このあたりでは、「しょうろ」と読む。
その生老から、目的地の民宿「ひおき」まで、約10キロ。
生老で理髪店を営む従兄(いとこ)は、そう言った。
10キロ。
何とか歩けそう……ということで、私たちは歩き始めた。
坂道というほどでもないが、ときどきゆる~い坂道。
5月の新緑が、まぶしいばかりに美しい。
私はそのつど、風景をビデオや、カメラに収める。
●Yさん
私は従兄のYさんを、尊敬の念をこめて、いつも「Yさん」と「さんづけ」で呼んでいる。
頭がよい。
キレる。
たまたま田舎にいるが、都会に住んでいれば、超一級のドクターになっていたはず。
今とちがって、昔は自分で自分の病気を治さねばならなかった。
それで医学を独学した。
そのYさんが、自力で、囲炉裏小屋を建てた。
それを見せてもらった。
土台から屋根、部屋の造作まで、すべてひとりで作ったという。
道楽に、これ以上の道楽があるだろうか。
「ぼくも山荘を作るとき、家以外は、すべて自分たちでしました」と話したら、
うれしそうだった。
趣味を同じくするものには、相通ずるものがある。
ただし一言。
家作りにせよ、土地作りにせよ、それを作っているときが楽しい。
作り終えたとき、そこでその道楽は終わる。
今の私がそうだ。
終わったとき、また別のものを求めて、さまよい歩く……。
従兄も、同じようなことを言っていた。
●万歩計
万歩計を見ると、すでに1万1000歩になっていた。
家を出るとき、ゼロにセットしたはず。
「それほど歩いていない」と思ったが、それだけ歩いたのだろう。
ふだんなら、一日の運動量としては、じゅうぶん。
それをワイフに告げると、「今日は2万歩を超えるかも……」と言った。
私はところどころでビデオを撮ったり、写真を撮ったりした。
その間にワイフは、100メートルほど先へ。
私は急いで追いつく。
写真を撮っては、追いつく。
その繰り返し。
●門出(かどいで)から、上ヶ瀬(かみがせ)
上ヶ瀬(かみがせ)……なつかしい地名が飛び込んできた。
昔、伯父が、この街道筋で、駄菓子屋を営んでいた。
何度か遊びに来て、菓子を分けてもらったことがある。
風景は、すっかり変わっていた。
洋風の家も、ところどころに見える。
が、何と言っても、道路が立派になった。
見るとワイフは、小さなタオルで額をぬぐいながら歩いていた。
「だいじょうぶ?」と何度も声をかける。
そのつどワイフは、「だいじょうぶ……」と。
歩いてまだ20分ほどなのに、もう無口になってしまった。
で、たしか伯父の店は、その村の中心部にあったはず。
裏から外を見ると、その下に板取川が見えた。
「どこだったのかな」と思っているうちに、上ヶ瀬の村を出てしまった。
●静かな村
5月2日、土曜日。
しかしどこも閑散としていた。
みやげもの屋や、土地の名産品を売る店もいくつかあったが、
客の姿は見えなかった。
今が行楽のベスト・シーズン。
暑くもなく、寒くもなく……。
「きっと不景気だからよ」とワイフは言った。
「そうだね」と私は答えた。
行き交う車の数も、少なかった。
うす曇り。
その雲を通して、日差しは白く、まぶしかった。
春の陽光が私たちの影を、道路にしっかりと作っていた。
その私……。
背中には、大型のリュックサック。
パソコン一式、ペットボトルなど。
10キロ以上はある。
それが少しずつだが、身にこたえるようになってきた。
ズシンズシンと、太ももにひびく。
●加部から生老
話は前後するが、生老のひとつ手前の村が、加部(かべ)。
順に並べてみると、こうなる。
加部→生老→上が瀬。
その加部から杉原(すぎはら)まで、
私は子どものころから、一度は、歩いてみたいと思っていた。
加部というのは、母の実家があるところ。
母は、13人兄弟の長女として、そこで生まれ育った。
その加部から生老までは、歩いて5分くらい。
加部まで車で送ってくれた人に礼を言って、生老まで歩いた。
どうして歩いてみたいかって?
それにはこんな理由がある。
●山の向こう
私は子どものころから、この板取村へ来るたびに、母にきまってこう
聞いたという。
「あの山の向こうは、どうなっている?」と。
母もそのことをよく覚えていて、ずっとあとになって、「浩司は、うるさかった」
と、何度もそう言った。
それがいまだに記憶のどこかに残っていて、この年齢になっても、(山の向こう)の
夢をよく見る。
山の向こうには別の村があって、そこには温泉がある。
温泉には洞窟があって、みながその洞窟の中で温泉につかっている、と。
子どものころには、山の向こうには、キツネが住んでいる部落があると、
本気で私は信じていた。
しかしおとなになってから、私がよく見る夢は、こんな夢だ。
●夢
金沢から富山に抜ける。
そこから山をくだっていくと、板取川の源流にたどりつく。
(実際には、富山から板取川に入る道はないが……。)
私はその源流をくだりながら、上流から下流へと、村々を通り過ぎて、
くだっていく……。
ただの旅行の夢だが、崖の下には、コバルト色の澄んだ川が見える。
ところどころで道は細くなり、農家の軒先を歩く。
どうということのない、たわいもない夢である。
で、その夢のルーツはといえば、幼いころの私に戻る。
私には、周囲の山々が、山というよりは、緑の壁のように見えた。
だからその壁の向こうがどうなっているか、それを知りたくてたまらなかった。
それが今の夢につながっている(?)。
たぶん……?
●アジサイ・ロード
「ぼくは今日、自分の夢を果たしている」
「一度は、歩いてみたかった」
「これでぼくは思い残すことはない」と。
ワイフはすでに何も言わなくなっていた。
下を向いたまま、景色を楽しむという余裕もなさそう(?)。
私にはそう見えた。
ところどころに「アジサイ・ロード」という標識が立っていた。
その標識の立っている周辺には、たしかにアジサイの木があった。
残念ながら、今は、その季節ではない。
で、見ると、ひとつの標識に「岩本(いわもと)」という地名が書いてあった。
とくに思い出はないが、正月の初詣に、母と、この村のお宮様に来たことがある。
このあたりでは、神社のことを、「お宮様」という。
私が小学生くらいのことではないか。
そうそう言い忘れたが、このあたりの人たちの姓は、ほとんどが「長屋」。
だからみな、姓ではなく、名前で呼びあっている。
●長屋氏
みな「長屋氏」を名乗っているが、一族というわけではない。
戦国時代に活躍した長屋氏の子孫でもない。
明治に入ってから、みながいっせいに、「長屋」の姓を名乗るようになったという。
(その昔には、岐阜城が落城したとき、長屋なんとかの守(かみ)が、
落人(おちうど)として、この地に移りすんだという話は聞いたことがある。
不正確な話で、ごめん。)
その昔は、この街道を通る人たちから、通行料を徴収していたという。
「徴収」といえば聞こえがよいが、要するに山賊(?)。
昔それを母に言って、えらく母に叱られたことがある。
「わっち(=私)の先祖は、山賊ではねえ(=ない)!」と。
この街道を抜ければ、岐阜から福井県の大野へ、そしてそのまま
日本海へ行くことができる。
昔は福井で取れた魚や、越中富山の薬売りなどが、この道を通ったという。
日本でも秘境のひとつと言ってもよい。
途中には、落差200メートル近い渓谷がある。
さらにその先では、恐竜の化石が、つぎつぎと発見されている。
●森林
30年ほど前、私は、板取村の中の山林を購入した。
よく調べなかった私が、「ターケボー」ということになる。
ターケボーというのは、このあたりの方言で、「愚か者」という意味である。
「バカ」よりは、ニュアンスが強い。
当時の相場でも、x0万円。
それをその人を信じて、x00万円で購入してしまった。
私にとっては、信じてもおかしくない立場の人だった。
まさかのまさか。
そういう人にだまされた。
で、そのあとも、毎年、言われるまま、管理費なるものを、払っていた。
その額、8~10万円。
「枝打ちをしたから実費を払え」「下草を刈ったから実費を払え」と。
しかしこれもあとになってわかったことだが、その人は山の管理など、
何もしてくれていなかった。
またこうした管理は、森林組合に申請すれば、組合のほうで、無料でしてくれる。
そういう話も、あとから聞いた。
その森林が、30年を経て、x0万円。
30年前には、x00万円もあれば、家を新築することができた。
x00万円がx0万円!
現在のx0万円では、駐車場をつくるのも難しい。
その手続きをすませ、従兄が住む生老へとやってきた。
従兄が今回の売買では、いろいろと力になってくれた。
その礼を言いたかった。
●類は友を呼ぶ
今回の金融危機で、金融資産を100分の1にした人がいる。
1億円が、100万円。
そういう人の話を、身近で聞いていたので、x00万円くらいなら、
何でもない……と言いたいが、そうはいかない。
相手がそれだけの誠意を見せてくれれば、まだ救われる。
母にも近い人だったが、母の葬儀にも来なかった。
今回も、何も協力してくれなかった。
昔からこう言う。
(私がそう言っているだけだが……。)
『被害者はいつまでも被害を受けたことを覚えている。
しかし加害者には、その意識がない。
あってもすぐ忘れる』と。
「復讐」という言葉もあるが、それを考えるだけで、疲れる。
だから忘れるのが一番。
どうせその程度の人は、その程度の人生しか送っていない。
まさに一事が万事。
万事が一事。
いろいろ噂が耳に入っているが、板取村でも、つまはじき者とか。
さらに言えば、『類は友を呼ぶ』。
その人と親しく交際している人を、私は何人か知っている。
しかしたいへん興味深いことに、どの人も、似たような人。
小ずるくて、どこか薄汚い。
●損論
少なくともこの10年以上、私は悶々とした気分が晴れなかった。
金銭的な損失を問題にしていたわけではない。
事実、それで売れなかったら、山林は、地元の森林組合に寄付するつもりでいた。
それ以上に、信じていた人に裏切られたというのは、信じていただけにショックが大きい。
それに私は、板取の人たち以上に、この村が好きだった。
今も好きだ。
しかしこの村へ来るたびに、ムッとした不快感と闘わねばならない。
それが苦痛だった。
だからはやくスッキリしたかった。
ケリをつけたかった。
山林のことは忘れたかった。
ついでに、それを売りつけた人のことも忘れたかった。
が、悪いことばかりではない。
人は、損をすることで、より大きくなれる。
損を恐れていたら、自分の殻(から)を破ることはできない。
「損をした分だけ、またがんばればいい」と。
人は追いつめられてはじめて、つぎの手を考える。
同じように、損をすることで、より賢くなる。
ちなみに、あなたの周囲で、ケチケチしながら生きている人を見てみるとよい。
そういう人ほど、小さな世界に安住しているのがわかる。
●中切(なかぎり)
母方の兄弟が13人もいる。
そのため、このあたりには、私の従兄弟が、散らばっている。
この中切にもいる。
私たちは、「Mちゃん」と呼んでいた。
当時としては珍しい、背が高く、スラリとした人だった。
夫は長く、中切の郵便局の局長をしていた。
で、ワイフは、相変わらず黙って歩いていた。
距離がわからないから、バス停に来るたびに、バスの時刻表を見た。
朝、7時01分に、板取温泉を出るバスがある。
その時刻は知っていた。
だから、時刻表に、7時05分とあれば、板取温泉からバスで、4分の
距離ということになる。
中切りのバス停では、7時05分となっていた。
「あと4分の距離だから……」と私は言った。
ワイフはウンとだけ、うなずいた。
ワイフはすでに体力の限界を超えていた。
それが私にも、よくわかった。
●絶望
その中切を出たところに、コンビニがあった。
飲み物を買った。
で、そこの若い主人に、「板取温泉まで、あとどれくらいですか」と聞いた。
主人は、「5分……」と言った。
私「歩いていくと、どれくらいですか?」
主「5キロくらいかな……。こ1時間はかかるかな……」と。
私は、この「5キロ」という言葉を聞いて、がく然とした。
「まだ、半分しか来ていない?」「いや、そんなはずはない」と。
「もしそうなら、今までの倍の距離など、とても歩けない」と。
私ははじめて弱音を吐いた。
「従兄に助けに来てもらおうか」と。
ワイフは、その言葉にずいぶんと迷ったらしい。
「そうねえ……」と、小さな声でつぶやいた。
●なしのつぶて
私に山を売りつけた人には、何度か手紙を書いた。
しかしそのつど、返事はなかった。
その私も61歳。
そろそろ身辺の整理をしなければならない。
山林など、もっていても、どうしようもない。
そこで山林を売りに出すことにした。
しかし山林は、町中の宅地のようなわけにはいかない。
売るといっても、その方法がない。
それを扱う不動産屋もない。
しかたないので、私は新聞に、折り込み広告を入れた。
「山林を買ってくれる人はいませんか?」と。
が、この折り込み広告が、その人の逆鱗に触れたらしい。
私のことを、「浜松のターケボー」と、周囲の人たちに言っているのを知った。
「自分に恥をかかせたから、ターケボー」と。
どこまでも、あわれな人である。
心の貧しい人である。
心の髄(ずい)まで、腐っている!
●山林
素人は、そしてその土地の人間でないならば、山林などに手を出してはいけない。
「投資のつもり」と考える人がいるかもしれないが、それもやめたほうがよい。
買うとしても、何町歩単位というように、山ごと買う。
理由がある。
山そのものには、財産的価値はほとんどない。
価値があるとすれば、その上の木。
「立木(たちぎ)」という。
しかしその管理がたいへん。
木の管理もたいへんだが、隣地との境界をどう守るかもたいへん。
10年も放っておくと、境界すらわからなくなる。
加えて買うのは簡単だが、売るのがたいへん。
まず不可能と考えてよい。
山林というのは、地元の知りあいどうしが、内々で売買するのが慣わしになっている。
私はそれを知らなかった。
私はたしかに、ターケボウだった。
●あと2キロ
「もうだめだ……」と、私も思うようになった。
ワイフはひざが痛いと言った。
私も太ももが、引きつったように痛くなり始めていた。
私「きっと10キロではなかったんだよ」
ワ「……」
私「きっと15キロだっただよ」
ワ「……」
私「ぼくの夢につきあわせて、ごめんね」
ワ「毎度のことよ……」
私「うん……」と。
ビデオを撮る回数も少なくなった。
首にぶらさげたカメラが、ベルトのバックルにカチャカチャ当たる。
心の遠くで、「カメラに傷がつく」と思ったが、それをポケットにしまう
元気もなかった。
と、そのとき小さな看板が目についた。
「板取温泉まで、2キロ」と。
とたん元気がわいてきた!
あと2キロ!
「あと2キロだよ。家から、ビデオショップまでの距離だよ」と。
私たちは丘の上を歩いていた。
その向こうに、赤い大きな屋根が見えてきた。
「着いたよ!」と声をあげると、ワイフははじめてニッコリと笑った。
●板取温泉
このあたりでは、ドイツ語が公用語になっている、らしい。
少し前に通り過ぎた、板取中学校にも、ところどころにドイツ語が使われていた。
ドイツのどこかに似せて、村興(おこ)しをした(?)。
板取温泉も、そういう雰囲気を漂わせていた。
それが正解だったのか?
昔からの板取を知る私としては、違和感を覚える。
あちこちに「スイス村」という表示も見える。
しかしどうして板取が、スイス村?
雰囲気からして、カナディアン村のほうが、合っている。
和室の一部を、水色に塗り替えたような違和感である。
スイスは山の上の国。
板取は、深い谷あいの村。
しかしそれを差し引いても、板取温泉は、すばらしい。
美しい自然の中にある。
私自身は、まだ一度も入浴していないが、評判はよい。
●山の宿・ひおき(民宿)
私はこの板取村が好きだが、ここ数年は、板取村へ来るたびに、
いつもこの「ひおき」に泊っている。
板取村では、イチ押しの民宿である。
場所は、板取温泉の、川をはさんで反対側。
歩いて5分ほどのところ。
住所:岐阜県関市板取3752-1
電話:0581-57-2756
四季折々の自然を満喫できる。
1泊10500円(1名のばあい)。
手元の案内書にはそうある(09年5月)。
案内書には、「通気による冷暖対策のため、閉鎖的な客室構造とはなっていませんので、
ご了承くださいませ」とある。
そのポリシーが気に入っている。
のんびりと山間の田舎を満喫したい人には、お勧め。
●小さな村
そのひおきの主人が、私たちの部屋にやってきて、こう言った。
「山のほうは、片づきましたか?」と。
ギョッ!
この言葉には驚いた。
「どうして知っているのだろう」と。
私は折り込み広告を入れた。
それには、「浜松の林」という名前を明記した。
どうやらそれを読んだらしい。
しかしそれにしても……!
もうひとつの可能性は、以前書いた、私の旅行記を読んだ(?)。
その中で、「ひおき」の宣伝をしておいた。
今、ヤフーの検索エンジンなどを使って、「山の宿ひおき」を検索すると、
私のHPが、かなりトップのほうに出てくる。
それで私の名を知っていたのかもしれない。
もともと小さな村である。
折り込み広告にしても、全世帯で、530軒ほど。
動きが止まったような村だからこそ、その内部では、濃密な情報交換が
なされているにちがいない。
私が「実は今日、片づきました」と言うと、うれしそうに喜んでくれた。
●2万6400歩
ひおきに着いてから、万歩計を見ると、2万6400歩。
生老から民宿「ひおき」まで、1万4400歩ということになる。
私の歩幅で、1万歩で、約7・5キロ。
それで計算すると、生老から板取温泉まで、約10キロということになる。
従兄が言ったことは、やはり正しかった。
しかしそれにしてもよく歩いた。
荷物も重かった。
そのこともあって、ひおきでは、ご飯を、3杯も食べてしまった。
いつものことだが、おいしかった。
気持ちよく眠られた。
午後8時に就寝。
起きたのが午前4時。
ワイフは、午前5時。
まだキーボードがよく見えないときから、この原稿をまとめる。
今は午前5時半。
これから近くの川へ行き、ビデオと写真を撮ってくる。
家へ帰ってからの編集が楽しみ。
「どうか期待していてほしい」と、今、ふと、そう思った。
●帰りの電車の中で
帰りも名鉄電車を利用した。
一度JRへ回ったが、あまりの混雑に驚いた。
ワイフが、「名鉄にしましょう」と言った。
名鉄電車なら座席指定券が取れる。
それにシートもよい。
その電車の中。
たった今、電光掲示板に、アメリカ人の子どもに、豚インフルの疑いなし
と出た。
よかった。
昨日のニュースによれば、もう1人、名古屋市に住む人が感染の疑いがあるという。
その人はどうなったのか?
私「山が片づいて、よかったね」
ワ「そうね」
私「これから先、二度とあの家族とはつきあわないよ。
こうして悪口を書いてしまったからね」
ワ「そうね。これからは、あなた自身の板取を、心の中に作ればいいのよ」
私「そうだね」と。
窓の外は、昨日よりもさらに白く景色がかすんでいた。
春がすみ?
それとも黄砂?
ワイフも先ほどから、手帳にメモを書いている。
平和なとき。
おだやかなとき。
時刻は午前9時44分。
明日、三男の嫁さんが遊びにくる。
どこかでご馳走してやろう。
楽しみ!
電車は岡崎に着いた。
先ほど駅で買った、ういろうを、少し食べた。
おいしかった。
名古屋といえば、ういろう。
名古屋の名物。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
はやし浩司 山の宿ひおき 山の宿・ひおき 板取 ひおき 民宿ひおき 関市
板取村 民宿 ひおき 板取温泉 岐阜県関市板取 岐阜県板取村)
YOUTUBE、板取川は、
http://www.youtube.com/watch?v=-YLl-w_rrog
http://www.youtube.com/watch?v=zUpMkDn1UBE
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●情報の洪水(Floods of Information)
++++++++++++++++
数日前、BSアンテナを買った。
テレビ(=フル・ハイビジョン)に接続した。
NHKの視聴料金はずっと払ってきたが、一度、アンテナが
壊れ、そのままになっていた。
その間、数年間。
私は基本的には、テレビはあまり好きではない。
見るとしても、スポーツとかニュースだけ。
あとはDVD再生用。
が、久しぶりにBSを見て、驚いた。
チャンネル数だけでも、10前後ある。
その上、フル・ハイビジョン!
美しさがちがう。
ダントツにちがう。
……ということで、この数日間、テレビに釘付け。
++++++++++++++++
●考える暇
そこは情報の世界。
それが怒涛のように、飛び込んでくる。
つぎからつぎへと、立ち止まって考える暇もない。
チャンネルをあちこちに替えながら見ていると、頭の中が興奮状態になる。
自分でもそれがわかる。
そこでふと考えた。
「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」と。
情報の量が多いからといって、それだけ知識が豊富になったということにはならない。
情報というのは、一度、頭の中で、整理されなければならない。
そのつど立ち止まり、思考という形で、脳の中に刻んでこそ、
情報は情報としての意味をもつ。
一方的に情報の洪水の中にいると、それこそ情報の渦の中に巻き込まれてしまう。
具体的には、感覚が麻痺し、思考力を失ってしまう。
たとえて言うなら、薮から棒に、何か専門的なことを質問されたばあいを想像して
みればよい。
1つ2つならまだしも、そういう質問が、4つ5つと重なった場合を想像してみればよい。
1つや2つでも、私たちは、相手の質問の内容を吟味し、ゆっくりと答える。
いいかげんなことを言うと、かえって相手に誤解を招く。
これがここでいう「考える暇」というのが、それ。
もっとわかりやすい例では、落ち着きなく、あたりをキョロキョロと見回している
子どもがいる。
キョロキョロしているから、頭がよいということにはならない。
むしろ、その逆。
キョロキョロしながら、その実、何も考えていない。
その(キョロキョロした状態)になる。
●刺激されるのは右脳だけ
順に考えてみよう。
たとえば昨夜、民放(BS)で、アメリカの自然を特集していた。
ワシントン州の景色である。
私はその美しさに息をのんだが、もしそのとき、「きれい!」「美しい!」だけで
終わってしまったら、思考力ゼロということになる。
が、テレビのほうは、思考することそのものを許してくれない。
こちらが考える間もなく、つぎからつぎへと、画面を変えていく。
空撮から水辺、花畑から森の中、さらには時間を短縮した画像へ、と。
そのつどそれを見ている私たちは、それに振り回されるだけ。
もしそのとき、私たちにできることがあるといえば、即座にそれに反応することだけ。
子どもの世界で言うなら、右脳ばかりが刺激され、それで終わってしまう。
瞬間的な判断力は必要かもしれないが、それが思考力につながるということは、
論理的に考えても、ありえない。
●バラエティ番組
そこで私たちは何かの情報を得たら、それを吟味し、思考に変換していく。
分析し、論理として組み立てていく。
が、情報の洪水の中では、それができない。
その典型的な例が、バラエティ番組と呼ばれる番組である。
けばけばしいスタジオ。
けばけばしい出演者たち。
そういう人たちが、意味のないことをギャーギャーとわめき散らしている。
そういうことをするのが、テレビ番組のあり方とでも思っているよう。
またそういうことができないと、ああした番組には出られない。
ついでながら、もう1つ、気がついたことがある。
ああした番組に出てくる人たちは、それぞれのタレントについて、よく知っている。
「●△□さんねえ……」
「XXYさんねえ……」と。
残念ながら、私はそういう名前を出されても、1人も顔が浮かんでこない。
学者の世界で言うなら、ノーベル賞を受賞した学者の名前とかになるのだろう。
つまりそういう名前を相互に口にしながら、彼らは彼らで、自分たちのステータス
を守りあっている。
またそういう名前を出されたとき、「そんな人、知らない」とでも言おうものなら、
さあ、たいへん。
みなから袋叩きにあう。
そしていつもの自慢話。
「この前、●△□さんと、ドラマをご一緒させてもらいましてね……」
「XXYさんとは、~~パーティで、一緒になりましてね……」とか。
まるでテレビという世界を中心にした、特権階級に住んでいるかのよう。
それを見ている視聴者は、指をくわえて見ているだけ。
●かけ合い漫才
話が脱線したが、ああした人たちを見ていると、「この人たちには、静かに考える
時間があるのだろうか」と思う。
が、問題は、それを見ている人たち。
私たちはそうした番組を見ながら、情報に振り回されているだけ。
そのときはそれなりに楽しくても、あとには何も残らない。
残らないばかりか、毎回見ていれば、当然、その影響を受ける。
しゃべり方やジェスチャが似てくるのはしかたないとしても、
考え方まで似てくる。
まず相手をドキッとさせるように、スレスレのことを口にする。
「お前、何や?、そんなアホづらしてエ?」と。
あたかもそう言いあうのが、親しさの表れとでも言わんばかりの言い方である。
それを数回繰りかえしたあと、かけ合い漫才のようになる。
脳の表面に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
そこで問題点を整理すると、こうなる。
●問題点
(1)情報の洪水(一方向的な情報の洪水)
(2)思考力の低下(浅薄化)
(3)情報の麻薬性(絶えず情報に接していないと落ち着かない)
(4)禁断症状(情報が切れると、落ち着かない)
(1)情報の洪水。
このばあいも、「だから、どうなの?」と自問してみればよい。
「それがわかったからといって、どうしたの?」と。
それだけでも情報の量は、かなり選択される。
(2)思考力の低下
これはテレビ局側のねらいとも一致する。
間断なく情報を流すと、脳みそはその間、思考停止の状態になる。
つまりカラッポ。
そのあとコマーシャルを流せば、視聴者をそのまま洗脳することができる。
が、視聴者こそ、よい迷惑。
テレビ局側に操られるまま、操られてしまう。
(3)情報の麻薬性
これは私の母や兄を観察していて気がついたことだが、見てもいないのに、
母や兄は、一日中、いつもテレビをつけっぱなしにしていた。
テレビをつけていないと、落ち着かないらしい。
「情報の麻薬性」というのは、それをいう。
が、それは同時に、視聴者の愚民化を意味する。
(考えること)には、ある種の苦痛がともなう。
情報を垂れ流すことによって、その苦痛から、身を守ることができる。
(4)禁断症状
情報に接している間は、安心感を覚える。
が、その情報が途絶えたとたん、不安になる。
こうした視聴者の心理をテレビ局側は知り尽くしている。
だから、愚劣番組を垂れ流す。
見るからにそれらしい出演者たち。
視聴者は、自分よりバカな人間がいることを知り、安心する。
この安心感こそが、テレビ文化の基本になっている。
だから……。
それが途絶えたとたん、視聴者には禁断症状が生まれる。
不安になる。
心配になる。
つまり(テレビ)は(集団)であり、その集団に身を寄せることで、
安心感を覚える。
●選択の問題
否定的な意見ばかり書いたが、だからといって、テレビそのものを否定している
わけではない。
だれの目から見ても、テレビは必要だし、功罪を説けば、「功」のほうが大きい。
だから冒頭に書いたように、これは「選択」の問題ということになる。
「いかに番組を選択して見るか」ということ。
その操作を誤ると、これも先に書いたように、「たいへんなことになる」。
テレビゲームを与えている間は、おとなしい。
しかしゲームを取りあげたとたん、禁断症状が現れる。
テレビ漬けになったおとなも、同じような症状を示す。
「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」という意味は、
これでわかってもらえたと思う。
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 5月 29日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【板取川】
●岐阜県・板取村へ
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今、ワイフと私は、電車
に乗って、板取村へと
向かっている。
++++++++++++++++++++
●電車の中で
この原稿は、電車の中で書き始めた。
名鉄・豊橋線の中。
土曜日ということもあって、子連れの夫婦が、
前後に何組か座っている。
私は職業柄、子どもたちの顔や姿を、ジロッ、ジロッと見てしまう。
どうしても見てしまう。
長く見る必要はない。
瞬間でよい。
時間にすれば、1秒前後か。
それでわかる。
年齢から、性格、さらには問題点まで。
で、私のばあい、10年~後の姿まで、見えてくる。
「この子は、こうなって、ああなって……」と。
過去も見えてくる。
「どういう家庭環境で、どう育ったか」と。
どこかの予言者みたいな言い方をするが、これは事実。
しかしスピリチュアル(霊力)などという、インチキなものではない。
経験と知識に基づいている。
診断権こそないが、何か情緒に障害をもっている子どもにしても、
瞬間、垣間見ただけで、それがわかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。
もちろんその反対のこともある。
学校で、LD(学習障害児)と判断された子ども(小1男児)がいた。
(学校側が、それをはっきりと示したわけではないが……。)
学校側は親に、特別学級への編入を勧めていた。
が、私は「そうではないと思う」と、母親に告げた。
「~~ではないと思う」という診断なら、私にもくだせる。
で、2、3年もすると、その結果が、はっきりとしてくる。
その子どものばあいも、小学4年生になるころから、めきめきと
成績を伸ばし始めた。
現在は小学6年生だが、その学校のクラスでも、トップの成績を修めている。
……しかしそれがわずらわしいから、(子どもがわずらわしいからではない。
誤解のないように!)、本当は、こうした休日には、できるだけ子どもの
そばに、すわらないようにしている。
どうしても気になってしまう。
しかし、この席は、指定席。
車内も、ほぼまんべんなく、混んでいる。
席を移動することはできない。
●診断
ななめうしろの席のA君(小2くらい)。
度の強いメガネをかけている。
A君の遠視に気がついたのは、かなり遅かったのではないか。
年齢相応の人格の完成度に、やや欠ける。
動作が、どこか幼稚ぽい。
時折前の席に座った弟(5歳くらい)に、ちょっかいを出しているのは、
嫉妬からか。
赤ちゃん返りの後遺症も残っている。
弟の横には、母親が座っている。
それで弟の横にいる母親が気になるらしい。
……というようなことを書くのはやめよう。
今日は、一応、「旅行」。
仕事の話はなし!
+++++++++++++++++++++
【板取村・旅行記】
●生老から
「生老」……このあたりでは、「しょうろ」と読む。
その生老から、目的地の民宿「ひおき」まで、約10キロ。
生老で理髪店を営む従兄(いとこ)は、そう言った。
10キロ。
何とか歩けそう……ということで、私たちは歩き始めた。
坂道というほどでもないが、ときどきゆる~い坂道。
5月の新緑が、まぶしいばかりに美しい。
私はそのつど、風景をビデオや、カメラに収める。
●Yさん
私は従兄のYさんを、尊敬の念をこめて、いつも「Yさん」と「さんづけ」で呼んでいる。
頭がよい。
キレる。
たまたま田舎にいるが、都会に住んでいれば、超一級のドクターになっていたはず。
今とちがって、昔は自分で自分の病気を治さねばならなかった。
それで医学を独学した。
そのYさんが、自力で、囲炉裏小屋を建てた。
それを見せてもらった。
土台から屋根、部屋の造作まで、すべてひとりで作ったという。
道楽に、これ以上の道楽があるだろうか。
「ぼくも山荘を作るとき、家以外は、すべて自分たちでしました」と話したら、
うれしそうだった。
趣味を同じくするものには、相通ずるものがある。
ただし一言。
家作りにせよ、土地作りにせよ、それを作っているときが楽しい。
作り終えたとき、そこでその道楽は終わる。
今の私がそうだ。
終わったとき、また別のものを求めて、さまよい歩く……。
従兄も、同じようなことを言っていた。
●万歩計
万歩計を見ると、すでに1万1000歩になっていた。
家を出るとき、ゼロにセットしたはず。
「それほど歩いていない」と思ったが、それだけ歩いたのだろう。
ふだんなら、一日の運動量としては、じゅうぶん。
それをワイフに告げると、「今日は2万歩を超えるかも……」と言った。
私はところどころでビデオを撮ったり、写真を撮ったりした。
その間にワイフは、100メートルほど先へ。
私は急いで追いつく。
写真を撮っては、追いつく。
その繰り返し。
●門出(かどいで)から、上ヶ瀬(かみがせ)
上ヶ瀬(かみがせ)……なつかしい地名が飛び込んできた。
昔、伯父が、この街道筋で、駄菓子屋を営んでいた。
何度か遊びに来て、菓子を分けてもらったことがある。
風景は、すっかり変わっていた。
洋風の家も、ところどころに見える。
が、何と言っても、道路が立派になった。
見るとワイフは、小さなタオルで額をぬぐいながら歩いていた。
「だいじょうぶ?」と何度も声をかける。
そのつどワイフは、「だいじょうぶ……」と。
歩いてまだ20分ほどなのに、もう無口になってしまった。
で、たしか伯父の店は、その村の中心部にあったはず。
裏から外を見ると、その下に板取川が見えた。
「どこだったのかな」と思っているうちに、上ヶ瀬の村を出てしまった。
●静かな村
5月2日、土曜日。
しかしどこも閑散としていた。
みやげもの屋や、土地の名産品を売る店もいくつかあったが、
客の姿は見えなかった。
今が行楽のベスト・シーズン。
暑くもなく、寒くもなく……。
「きっと不景気だからよ」とワイフは言った。
「そうだね」と私は答えた。
行き交う車の数も、少なかった。
うす曇り。
その雲を通して、日差しは白く、まぶしかった。
春の陽光が私たちの影を、道路にしっかりと作っていた。
その私……。
背中には、大型のリュックサック。
パソコン一式、ペットボトルなど。
10キロ以上はある。
それが少しずつだが、身にこたえるようになってきた。
ズシンズシンと、太ももにひびく。
●加部から生老
話は前後するが、生老のひとつ手前の村が、加部(かべ)。
順に並べてみると、こうなる。
加部→生老→上が瀬。
その加部から杉原(すぎはら)まで、
私は子どものころから、一度は、歩いてみたいと思っていた。
加部というのは、母の実家があるところ。
母は、13人兄弟の長女として、そこで生まれ育った。
その加部から生老までは、歩いて5分くらい。
加部まで車で送ってくれた人に礼を言って、生老まで歩いた。
どうして歩いてみたいかって?
それにはこんな理由がある。
●山の向こう
私は子どものころから、この板取村へ来るたびに、母にきまってこう
聞いたという。
「あの山の向こうは、どうなっている?」と。
母もそのことをよく覚えていて、ずっとあとになって、「浩司は、うるさかった」
と、何度もそう言った。
それがいまだに記憶のどこかに残っていて、この年齢になっても、(山の向こう)の
夢をよく見る。
山の向こうには別の村があって、そこには温泉がある。
温泉には洞窟があって、みながその洞窟の中で温泉につかっている、と。
子どものころには、山の向こうには、キツネが住んでいる部落があると、
本気で私は信じていた。
しかしおとなになってから、私がよく見る夢は、こんな夢だ。
●夢
金沢から富山に抜ける。
そこから山をくだっていくと、板取川の源流にたどりつく。
(実際には、富山から板取川に入る道はないが……。)
私はその源流をくだりながら、上流から下流へと、村々を通り過ぎて、
くだっていく……。
ただの旅行の夢だが、崖の下には、コバルト色の澄んだ川が見える。
ところどころで道は細くなり、農家の軒先を歩く。
どうということのない、たわいもない夢である。
で、その夢のルーツはといえば、幼いころの私に戻る。
私には、周囲の山々が、山というよりは、緑の壁のように見えた。
だからその壁の向こうがどうなっているか、それを知りたくてたまらなかった。
それが今の夢につながっている(?)。
たぶん……?
●アジサイ・ロード
「ぼくは今日、自分の夢を果たしている」
「一度は、歩いてみたかった」
「これでぼくは思い残すことはない」と。
ワイフはすでに何も言わなくなっていた。
下を向いたまま、景色を楽しむという余裕もなさそう(?)。
私にはそう見えた。
ところどころに「アジサイ・ロード」という標識が立っていた。
その標識の立っている周辺には、たしかにアジサイの木があった。
残念ながら、今は、その季節ではない。
で、見ると、ひとつの標識に「岩本(いわもと)」という地名が書いてあった。
とくに思い出はないが、正月の初詣に、母と、この村のお宮様に来たことがある。
このあたりでは、神社のことを、「お宮様」という。
私が小学生くらいのことではないか。
そうそう言い忘れたが、このあたりの人たちの姓は、ほとんどが「長屋」。
だからみな、姓ではなく、名前で呼びあっている。
●長屋氏
みな「長屋氏」を名乗っているが、一族というわけではない。
戦国時代に活躍した長屋氏の子孫でもない。
明治に入ってから、みながいっせいに、「長屋」の姓を名乗るようになったという。
(その昔には、岐阜城が落城したとき、長屋なんとかの守(かみ)が、
落人(おちうど)として、この地に移りすんだという話は聞いたことがある。
不正確な話で、ごめん。)
その昔は、この街道を通る人たちから、通行料を徴収していたという。
「徴収」といえば聞こえがよいが、要するに山賊(?)。
昔それを母に言って、えらく母に叱られたことがある。
「わっち(=私)の先祖は、山賊ではねえ(=ない)!」と。
この街道を抜ければ、岐阜から福井県の大野へ、そしてそのまま
日本海へ行くことができる。
昔は福井で取れた魚や、越中富山の薬売りなどが、この道を通ったという。
日本でも秘境のひとつと言ってもよい。
途中には、落差200メートル近い渓谷がある。
さらにその先では、恐竜の化石が、つぎつぎと発見されている。
●森林
30年ほど前、私は、板取村の中の山林を購入した。
よく調べなかった私が、「ターケボー」ということになる。
ターケボーというのは、このあたりの方言で、「愚か者」という意味である。
「バカ」よりは、ニュアンスが強い。
当時の相場でも、x0万円。
それをその人を信じて、x00万円で購入してしまった。
私にとっては、信じてもおかしくない立場の人だった。
まさかのまさか。
そういう人にだまされた。
で、そのあとも、毎年、言われるまま、管理費なるものを、払っていた。
その額、8~10万円。
「枝打ちをしたから実費を払え」「下草を刈ったから実費を払え」と。
しかしこれもあとになってわかったことだが、その人は山の管理など、
何もしてくれていなかった。
またこうした管理は、森林組合に申請すれば、組合のほうで、無料でしてくれる。
そういう話も、あとから聞いた。
その森林が、30年を経て、x0万円。
30年前には、x00万円もあれば、家を新築することができた。
x00万円がx0万円!
現在のx0万円では、駐車場をつくるのも難しい。
その手続きをすませ、従兄が住む生老へとやってきた。
従兄が今回の売買では、いろいろと力になってくれた。
その礼を言いたかった。
●類は友を呼ぶ
今回の金融危機で、金融資産を100分の1にした人がいる。
1億円が、100万円。
そういう人の話を、身近で聞いていたので、x00万円くらいなら、
何でもない……と言いたいが、そうはいかない。
相手がそれだけの誠意を見せてくれれば、まだ救われる。
母にも近い人だったが、母の葬儀にも来なかった。
今回も、何も協力してくれなかった。
昔からこう言う。
(私がそう言っているだけだが……。)
『被害者はいつまでも被害を受けたことを覚えている。
しかし加害者には、その意識がない。
あってもすぐ忘れる』と。
「復讐」という言葉もあるが、それを考えるだけで、疲れる。
だから忘れるのが一番。
どうせその程度の人は、その程度の人生しか送っていない。
まさに一事が万事。
万事が一事。
いろいろ噂が耳に入っているが、板取村でも、つまはじき者とか。
さらに言えば、『類は友を呼ぶ』。
その人と親しく交際している人を、私は何人か知っている。
しかしたいへん興味深いことに、どの人も、似たような人。
小ずるくて、どこか薄汚い。
●損論
少なくともこの10年以上、私は悶々とした気分が晴れなかった。
金銭的な損失を問題にしていたわけではない。
事実、それで売れなかったら、山林は、地元の森林組合に寄付するつもりでいた。
それ以上に、信じていた人に裏切られたというのは、信じていただけにショックが大きい。
それに私は、板取の人たち以上に、この村が好きだった。
今も好きだ。
しかしこの村へ来るたびに、ムッとした不快感と闘わねばならない。
それが苦痛だった。
だからはやくスッキリしたかった。
ケリをつけたかった。
山林のことは忘れたかった。
ついでに、それを売りつけた人のことも忘れたかった。
が、悪いことばかりではない。
人は、損をすることで、より大きくなれる。
損を恐れていたら、自分の殻(から)を破ることはできない。
「損をした分だけ、またがんばればいい」と。
人は追いつめられてはじめて、つぎの手を考える。
同じように、損をすることで、より賢くなる。
ちなみに、あなたの周囲で、ケチケチしながら生きている人を見てみるとよい。
そういう人ほど、小さな世界に安住しているのがわかる。
●中切(なかぎり)
母方の兄弟が13人もいる。
そのため、このあたりには、私の従兄弟が、散らばっている。
この中切にもいる。
私たちは、「Mちゃん」と呼んでいた。
当時としては珍しい、背が高く、スラリとした人だった。
夫は長く、中切の郵便局の局長をしていた。
で、ワイフは、相変わらず黙って歩いていた。
距離がわからないから、バス停に来るたびに、バスの時刻表を見た。
朝、7時01分に、板取温泉を出るバスがある。
その時刻は知っていた。
だから、時刻表に、7時05分とあれば、板取温泉からバスで、4分の
距離ということになる。
中切りのバス停では、7時05分となっていた。
「あと4分の距離だから……」と私は言った。
ワイフはウンとだけ、うなずいた。
ワイフはすでに体力の限界を超えていた。
それが私にも、よくわかった。
●絶望
その中切を出たところに、コンビニがあった。
飲み物を買った。
で、そこの若い主人に、「板取温泉まで、あとどれくらいですか」と聞いた。
主人は、「5分……」と言った。
私「歩いていくと、どれくらいですか?」
主「5キロくらいかな……。こ1時間はかかるかな……」と。
私は、この「5キロ」という言葉を聞いて、がく然とした。
「まだ、半分しか来ていない?」「いや、そんなはずはない」と。
「もしそうなら、今までの倍の距離など、とても歩けない」と。
私ははじめて弱音を吐いた。
「従兄に助けに来てもらおうか」と。
ワイフは、その言葉にずいぶんと迷ったらしい。
「そうねえ……」と、小さな声でつぶやいた。
●なしのつぶて
私に山を売りつけた人には、何度か手紙を書いた。
しかしそのつど、返事はなかった。
その私も61歳。
そろそろ身辺の整理をしなければならない。
山林など、もっていても、どうしようもない。
そこで山林を売りに出すことにした。
しかし山林は、町中の宅地のようなわけにはいかない。
売るといっても、その方法がない。
それを扱う不動産屋もない。
しかたないので、私は新聞に、折り込み広告を入れた。
「山林を買ってくれる人はいませんか?」と。
が、この折り込み広告が、その人の逆鱗に触れたらしい。
私のことを、「浜松のターケボー」と、周囲の人たちに言っているのを知った。
「自分に恥をかかせたから、ターケボー」と。
どこまでも、あわれな人である。
心の貧しい人である。
心の髄(ずい)まで、腐っている!
●山林
素人は、そしてその土地の人間でないならば、山林などに手を出してはいけない。
「投資のつもり」と考える人がいるかもしれないが、それもやめたほうがよい。
買うとしても、何町歩単位というように、山ごと買う。
理由がある。
山そのものには、財産的価値はほとんどない。
価値があるとすれば、その上の木。
「立木(たちぎ)」という。
しかしその管理がたいへん。
木の管理もたいへんだが、隣地との境界をどう守るかもたいへん。
10年も放っておくと、境界すらわからなくなる。
加えて買うのは簡単だが、売るのがたいへん。
まず不可能と考えてよい。
山林というのは、地元の知りあいどうしが、内々で売買するのが慣わしになっている。
私はそれを知らなかった。
私はたしかに、ターケボウだった。
●あと2キロ
「もうだめだ……」と、私も思うようになった。
ワイフはひざが痛いと言った。
私も太ももが、引きつったように痛くなり始めていた。
私「きっと10キロではなかったんだよ」
ワ「……」
私「きっと15キロだっただよ」
ワ「……」
私「ぼくの夢につきあわせて、ごめんね」
ワ「毎度のことよ……」
私「うん……」と。
ビデオを撮る回数も少なくなった。
首にぶらさげたカメラが、ベルトのバックルにカチャカチャ当たる。
心の遠くで、「カメラに傷がつく」と思ったが、それをポケットにしまう
元気もなかった。
と、そのとき小さな看板が目についた。
「板取温泉まで、2キロ」と。
とたん元気がわいてきた!
あと2キロ!
「あと2キロだよ。家から、ビデオショップまでの距離だよ」と。
私たちは丘の上を歩いていた。
その向こうに、赤い大きな屋根が見えてきた。
「着いたよ!」と声をあげると、ワイフははじめてニッコリと笑った。
●板取温泉
このあたりでは、ドイツ語が公用語になっている、らしい。
少し前に通り過ぎた、板取中学校にも、ところどころにドイツ語が使われていた。
ドイツのどこかに似せて、村興(おこ)しをした(?)。
板取温泉も、そういう雰囲気を漂わせていた。
それが正解だったのか?
昔からの板取を知る私としては、違和感を覚える。
あちこちに「スイス村」という表示も見える。
しかしどうして板取が、スイス村?
雰囲気からして、カナディアン村のほうが、合っている。
和室の一部を、水色に塗り替えたような違和感である。
スイスは山の上の国。
板取は、深い谷あいの村。
しかしそれを差し引いても、板取温泉は、すばらしい。
美しい自然の中にある。
私自身は、まだ一度も入浴していないが、評判はよい。
●山の宿・ひおき(民宿)
私はこの板取村が好きだが、ここ数年は、板取村へ来るたびに、
いつもこの「ひおき」に泊っている。
板取村では、イチ押しの民宿である。
場所は、板取温泉の、川をはさんで反対側。
歩いて5分ほどのところ。
住所:岐阜県関市板取3752-1
電話:0581-57-2756
四季折々の自然を満喫できる。
1泊10500円(1名のばあい)。
手元の案内書にはそうある(09年5月)。
案内書には、「通気による冷暖対策のため、閉鎖的な客室構造とはなっていませんので、
ご了承くださいませ」とある。
そのポリシーが気に入っている。
のんびりと山間の田舎を満喫したい人には、お勧め。
●小さな村
そのひおきの主人が、私たちの部屋にやってきて、こう言った。
「山のほうは、片づきましたか?」と。
ギョッ!
この言葉には驚いた。
「どうして知っているのだろう」と。
私は折り込み広告を入れた。
それには、「浜松の林」という名前を明記した。
どうやらそれを読んだらしい。
しかしそれにしても……!
もうひとつの可能性は、以前書いた、私の旅行記を読んだ(?)。
その中で、「ひおき」の宣伝をしておいた。
今、ヤフーの検索エンジンなどを使って、「山の宿ひおき」を検索すると、
私のHPが、かなりトップのほうに出てくる。
それで私の名を知っていたのかもしれない。
もともと小さな村である。
折り込み広告にしても、全世帯で、530軒ほど。
動きが止まったような村だからこそ、その内部では、濃密な情報交換が
なされているにちがいない。
私が「実は今日、片づきました」と言うと、うれしそうに喜んでくれた。
●2万6400歩
ひおきに着いてから、万歩計を見ると、2万6400歩。
生老から民宿「ひおき」まで、1万4400歩ということになる。
私の歩幅で、1万歩で、約7・5キロ。
それで計算すると、生老から板取温泉まで、約10キロということになる。
従兄が言ったことは、やはり正しかった。
しかしそれにしてもよく歩いた。
荷物も重かった。
そのこともあって、ひおきでは、ご飯を、3杯も食べてしまった。
いつものことだが、おいしかった。
気持ちよく眠られた。
午後8時に就寝。
起きたのが午前4時。
ワイフは、午前5時。
まだキーボードがよく見えないときから、この原稿をまとめる。
今は午前5時半。
これから近くの川へ行き、ビデオと写真を撮ってくる。
家へ帰ってからの編集が楽しみ。
「どうか期待していてほしい」と、今、ふと、そう思った。
●帰りの電車の中で
帰りも名鉄電車を利用した。
一度JRへ回ったが、あまりの混雑に驚いた。
ワイフが、「名鉄にしましょう」と言った。
名鉄電車なら座席指定券が取れる。
それにシートもよい。
その電車の中。
たった今、電光掲示板に、アメリカ人の子どもに、豚インフルの疑いなし
と出た。
よかった。
昨日のニュースによれば、もう1人、名古屋市に住む人が感染の疑いがあるという。
その人はどうなったのか?
私「山が片づいて、よかったね」
ワ「そうね」
私「これから先、二度とあの家族とはつきあわないよ。
こうして悪口を書いてしまったからね」
ワ「そうね。これからは、あなた自身の板取を、心の中に作ればいいのよ」
私「そうだね」と。
窓の外は、昨日よりもさらに白く景色がかすんでいた。
春がすみ?
それとも黄砂?
ワイフも先ほどから、手帳にメモを書いている。
平和なとき。
おだやかなとき。
時刻は午前9時44分。
明日、三男の嫁さんが遊びにくる。
どこかでご馳走してやろう。
楽しみ!
電車は岡崎に着いた。
先ほど駅で買った、ういろうを、少し食べた。
おいしかった。
名古屋といえば、ういろう。
名古屋の名物。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
はやし浩司 山の宿ひおき 山の宿・ひおき 板取 ひおき 民宿ひおき 関市
板取村 民宿 ひおき 板取温泉 岐阜県関市板取 岐阜県板取村)
YOUTUBE、板取川は、
http://www.youtube.com/watch?v=-YLl-w_rrog
http://www.youtube.com/watch?v=zUpMkDn1UBE
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●情報の洪水(Floods of Information)
++++++++++++++++
数日前、BSアンテナを買った。
テレビ(=フル・ハイビジョン)に接続した。
NHKの視聴料金はずっと払ってきたが、一度、アンテナが
壊れ、そのままになっていた。
その間、数年間。
私は基本的には、テレビはあまり好きではない。
見るとしても、スポーツとかニュースだけ。
あとはDVD再生用。
が、久しぶりにBSを見て、驚いた。
チャンネル数だけでも、10前後ある。
その上、フル・ハイビジョン!
美しさがちがう。
ダントツにちがう。
……ということで、この数日間、テレビに釘付け。
++++++++++++++++
●考える暇
そこは情報の世界。
それが怒涛のように、飛び込んでくる。
つぎからつぎへと、立ち止まって考える暇もない。
チャンネルをあちこちに替えながら見ていると、頭の中が興奮状態になる。
自分でもそれがわかる。
そこでふと考えた。
「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」と。
情報の量が多いからといって、それだけ知識が豊富になったということにはならない。
情報というのは、一度、頭の中で、整理されなければならない。
そのつど立ち止まり、思考という形で、脳の中に刻んでこそ、
情報は情報としての意味をもつ。
一方的に情報の洪水の中にいると、それこそ情報の渦の中に巻き込まれてしまう。
具体的には、感覚が麻痺し、思考力を失ってしまう。
たとえて言うなら、薮から棒に、何か専門的なことを質問されたばあいを想像して
みればよい。
1つ2つならまだしも、そういう質問が、4つ5つと重なった場合を想像してみればよい。
1つや2つでも、私たちは、相手の質問の内容を吟味し、ゆっくりと答える。
いいかげんなことを言うと、かえって相手に誤解を招く。
これがここでいう「考える暇」というのが、それ。
もっとわかりやすい例では、落ち着きなく、あたりをキョロキョロと見回している
子どもがいる。
キョロキョロしているから、頭がよいということにはならない。
むしろ、その逆。
キョロキョロしながら、その実、何も考えていない。
その(キョロキョロした状態)になる。
●刺激されるのは右脳だけ
順に考えてみよう。
たとえば昨夜、民放(BS)で、アメリカの自然を特集していた。
ワシントン州の景色である。
私はその美しさに息をのんだが、もしそのとき、「きれい!」「美しい!」だけで
終わってしまったら、思考力ゼロということになる。
が、テレビのほうは、思考することそのものを許してくれない。
こちらが考える間もなく、つぎからつぎへと、画面を変えていく。
空撮から水辺、花畑から森の中、さらには時間を短縮した画像へ、と。
そのつどそれを見ている私たちは、それに振り回されるだけ。
もしそのとき、私たちにできることがあるといえば、即座にそれに反応することだけ。
子どもの世界で言うなら、右脳ばかりが刺激され、それで終わってしまう。
瞬間的な判断力は必要かもしれないが、それが思考力につながるということは、
論理的に考えても、ありえない。
●バラエティ番組
そこで私たちは何かの情報を得たら、それを吟味し、思考に変換していく。
分析し、論理として組み立てていく。
が、情報の洪水の中では、それができない。
その典型的な例が、バラエティ番組と呼ばれる番組である。
けばけばしいスタジオ。
けばけばしい出演者たち。
そういう人たちが、意味のないことをギャーギャーとわめき散らしている。
そういうことをするのが、テレビ番組のあり方とでも思っているよう。
またそういうことができないと、ああした番組には出られない。
ついでながら、もう1つ、気がついたことがある。
ああした番組に出てくる人たちは、それぞれのタレントについて、よく知っている。
「●△□さんねえ……」
「XXYさんねえ……」と。
残念ながら、私はそういう名前を出されても、1人も顔が浮かんでこない。
学者の世界で言うなら、ノーベル賞を受賞した学者の名前とかになるのだろう。
つまりそういう名前を相互に口にしながら、彼らは彼らで、自分たちのステータス
を守りあっている。
またそういう名前を出されたとき、「そんな人、知らない」とでも言おうものなら、
さあ、たいへん。
みなから袋叩きにあう。
そしていつもの自慢話。
「この前、●△□さんと、ドラマをご一緒させてもらいましてね……」
「XXYさんとは、~~パーティで、一緒になりましてね……」とか。
まるでテレビという世界を中心にした、特権階級に住んでいるかのよう。
それを見ている視聴者は、指をくわえて見ているだけ。
●かけ合い漫才
話が脱線したが、ああした人たちを見ていると、「この人たちには、静かに考える
時間があるのだろうか」と思う。
が、問題は、それを見ている人たち。
私たちはそうした番組を見ながら、情報に振り回されているだけ。
そのときはそれなりに楽しくても、あとには何も残らない。
残らないばかりか、毎回見ていれば、当然、その影響を受ける。
しゃべり方やジェスチャが似てくるのはしかたないとしても、
考え方まで似てくる。
まず相手をドキッとさせるように、スレスレのことを口にする。
「お前、何や?、そんなアホづらしてエ?」と。
あたかもそう言いあうのが、親しさの表れとでも言わんばかりの言い方である。
それを数回繰りかえしたあと、かけ合い漫才のようになる。
脳の表面に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
そこで問題点を整理すると、こうなる。
●問題点
(1)情報の洪水(一方向的な情報の洪水)
(2)思考力の低下(浅薄化)
(3)情報の麻薬性(絶えず情報に接していないと落ち着かない)
(4)禁断症状(情報が切れると、落ち着かない)
(1)情報の洪水。
このばあいも、「だから、どうなの?」と自問してみればよい。
「それがわかったからといって、どうしたの?」と。
それだけでも情報の量は、かなり選択される。
(2)思考力の低下
これはテレビ局側のねらいとも一致する。
間断なく情報を流すと、脳みそはその間、思考停止の状態になる。
つまりカラッポ。
そのあとコマーシャルを流せば、視聴者をそのまま洗脳することができる。
が、視聴者こそ、よい迷惑。
テレビ局側に操られるまま、操られてしまう。
(3)情報の麻薬性
これは私の母や兄を観察していて気がついたことだが、見てもいないのに、
母や兄は、一日中、いつもテレビをつけっぱなしにしていた。
テレビをつけていないと、落ち着かないらしい。
「情報の麻薬性」というのは、それをいう。
が、それは同時に、視聴者の愚民化を意味する。
(考えること)には、ある種の苦痛がともなう。
情報を垂れ流すことによって、その苦痛から、身を守ることができる。
(4)禁断症状
情報に接している間は、安心感を覚える。
が、その情報が途絶えたとたん、不安になる。
こうした視聴者の心理をテレビ局側は知り尽くしている。
だから、愚劣番組を垂れ流す。
見るからにそれらしい出演者たち。
視聴者は、自分よりバカな人間がいることを知り、安心する。
この安心感こそが、テレビ文化の基本になっている。
だから……。
それが途絶えたとたん、視聴者には禁断症状が生まれる。
不安になる。
心配になる。
つまり(テレビ)は(集団)であり、その集団に身を寄せることで、
安心感を覚える。
●選択の問題
否定的な意見ばかり書いたが、だからといって、テレビそのものを否定している
わけではない。
だれの目から見ても、テレビは必要だし、功罪を説けば、「功」のほうが大きい。
だから冒頭に書いたように、これは「選択」の問題ということになる。
「いかに番組を選択して見るか」ということ。
その操作を誤ると、これも先に書いたように、「たいへんなことになる」。
テレビゲームを与えている間は、おとなしい。
しかしゲームを取りあげたとたん、禁断症状が現れる。
テレビ漬けになったおとなも、同じような症状を示す。
「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」という意味は、
これでわかってもらえたと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
テレビ テレビ文化 テレビの功罪)
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
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よろしくお願いします。 はやし浩司
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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2009年5月28日木曜日
*Bureaucratism
●静岡県県知事選
++++++++++++++++++
I現知事の辞職にともなって、静岡県で
県知事選が始まった。
静岡県元副知事である、SK氏と、元民主党参議院
議員のUN氏の、事実上の一騎打ち。
++++++++++++++++++
●官僚主義
知事選もさることながら、興味深いのは、元副知事である、SK氏の略歴。
C新聞にはこうある。
「……東大法学部から労働省(現厚生労働省)に入省。
1996年7月に県副知事を務め、厚労省職業能力開発局長などを歴任して、
2004年7月の参院選で初当選した」と。
SK氏は、つまり(労働省)と(議員)と(副知事)の間を、行ったり来たり
しているのが、これでわかる。
ご存知の方も多いと思うが、天下りでやってきた官僚知事、副知事、大都市の
市長たちは、任期が切れたり、再選挙で落選したりすると、そのまままた、元の
ポストに戻ることができる。
少し前まで浜松市長をしていたX氏にしても、そうだ。
再選選挙で敗れたあと、現在は、外務省に復帰している。
しかし、だ、こんなバカげた制度がどこにある!
たとえばあなた自身のこととして考えてみればよい。
私のことでもよい。
仮に私が選挙に出たら、その日から仕事はストップ。
会社員であれば、ポストを失う。
で、しばらく副知事なら副知事を務めたとしよう。
その間に、元の職場の人脈は途絶える。
で、そのあと再選選挙で敗れたら、どうなるか?
たいていの議員は、そのまま野に放り出される。
が、官僚たちだけは、別。
別格扱い。
どこまでも手厚く、身分が保障されている。
選挙に敗れても、職(=収入)を失うことはない。
元の役所に戻ればよい。
むしろ以前にもまして、箔がつく。
ほとんどのばあい、そのまま昇格。
こんなところにも、日本の官僚制度がはびこっている!
官僚たちだけは、「はい、行ってきます!」というような気分で、(多分?)、
地方へ天下りすることができる。
選挙といっても、背水の陣で臨む必要はまったく、ない。
その分だけ、官僚に有利!
たまたま昨日、J党とM党の党首討論会がもたれた。
その討論会でも、日本の官僚主義が問題になった。
そう、日本が民主主義国家と思っているのは、日本人だけ。
世界中の、だれも、そんなふうには思っていない。
日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
奈良時代の昔から官僚主義国家。
見方によっては、あのK国とどこもちがわない。
制度的には、まったく同じ。
いいのか、日本!
このままで!
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
++++++++++++++++++
I現知事の辞職にともなって、静岡県で
県知事選が始まった。
静岡県元副知事である、SK氏と、元民主党参議院
議員のUN氏の、事実上の一騎打ち。
++++++++++++++++++
●官僚主義
知事選もさることながら、興味深いのは、元副知事である、SK氏の略歴。
C新聞にはこうある。
「……東大法学部から労働省(現厚生労働省)に入省。
1996年7月に県副知事を務め、厚労省職業能力開発局長などを歴任して、
2004年7月の参院選で初当選した」と。
SK氏は、つまり(労働省)と(議員)と(副知事)の間を、行ったり来たり
しているのが、これでわかる。
ご存知の方も多いと思うが、天下りでやってきた官僚知事、副知事、大都市の
市長たちは、任期が切れたり、再選挙で落選したりすると、そのまままた、元の
ポストに戻ることができる。
少し前まで浜松市長をしていたX氏にしても、そうだ。
再選選挙で敗れたあと、現在は、外務省に復帰している。
しかし、だ、こんなバカげた制度がどこにある!
たとえばあなた自身のこととして考えてみればよい。
私のことでもよい。
仮に私が選挙に出たら、その日から仕事はストップ。
会社員であれば、ポストを失う。
で、しばらく副知事なら副知事を務めたとしよう。
その間に、元の職場の人脈は途絶える。
で、そのあと再選選挙で敗れたら、どうなるか?
たいていの議員は、そのまま野に放り出される。
が、官僚たちだけは、別。
別格扱い。
どこまでも手厚く、身分が保障されている。
選挙に敗れても、職(=収入)を失うことはない。
元の役所に戻ればよい。
むしろ以前にもまして、箔がつく。
ほとんどのばあい、そのまま昇格。
こんなところにも、日本の官僚制度がはびこっている!
官僚たちだけは、「はい、行ってきます!」というような気分で、(多分?)、
地方へ天下りすることができる。
選挙といっても、背水の陣で臨む必要はまったく、ない。
その分だけ、官僚に有利!
たまたま昨日、J党とM党の党首討論会がもたれた。
その討論会でも、日本の官僚主義が問題になった。
そう、日本が民主主義国家と思っているのは、日本人だけ。
世界中の、だれも、そんなふうには思っていない。
日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
奈良時代の昔から官僚主義国家。
見方によっては、あのK国とどこもちがわない。
制度的には、まったく同じ。
いいのか、日本!
このままで!
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
*What did C. Hill leave behind in Far East Asia?
●おバカ、C・ヒル国務次官補(A Brain-less Diplomat, C.Hill, or Kim Jong-Hill)
++++++++++++++++++++++
1人のハネ上がり国務次官補のおかげで、この
極東アジア情勢は、めちゃめちゃになってしまった。
まず、昨年(08年)の12月に私が書いたBLOGを
読んでみてほしい。
『●Can we trust C. Hill in the 6-nation conference about North Korean nuclear
weapons development? The answer should be “No”!
Let’s start talking about C. Hill from the basical point of view. Only what he has done in
the past is that he has just given North Korea, money, oil, music, food and time, while
he has betrayed Japan each time and at last he rather threatened Japan, saying that
Japan should join the partnership, or he dissolve the name of North Korea from the list
of terrorists’nations. And he has done nothing for us. As long as C. Hill who is with
optimistic lies, hostile to Japan, is a member of the conference, the relation between
Japan and USA is getting worse and wrose. Therefore we don’t hesitate to call him,
“Kim Jong-Hill”.
●私たちは、C・ヒルを信頼できるか? 答は、No」!
C・ヒルは、K国に、マネーと原油と音楽と食糧、それに(時間)を与えただけ。
日本をそのつど裏切りながら、あげくの果てには、日本がK国援助に加わらなければ、K
国をテロリスト支援国家のリストからはずすと、日本を脅した。
彼が日本のためになしたことは、何もない。
希望的憶測だけでものを言い、日本に対する敵対意識をもつC・ヒルが、6か国協議のメ
ンバーである限り、日米関係は、ますます悪化していく。
それ故に私たちは、C・ヒルを、「金・ジョン・ヒル」と呼ぶ』と。
+++++++++++++++++++++++
このころ、(今もそうだが)、「アメリカ軍」が、さかんに私のBLOGを訪れていた。
そのつど、足跡が残るようになっているので、それがわかる。
日本語で、「アメリカ軍」とあるから、在日アメリカ軍か?
で、こうした記事は、そのつど英語で書くようにしている。
直に、(アメリカ軍)を通して、(アメリカ政府)に、私の意見を伝えることができる。
●核実験が、その結果
C・ヒルのおバカ外交を並べたら、キリがない。
先に書いた「マネーと原油と音楽と食糧、それに(時間)を与えた」だけではない。
(1)6か国協議を形骸化してしまった。
(2)拉致問題について、正式に協議した形跡なし。
(3)「K国を援助しろ。さもなくば、テロ支援国家指定から解除する」と日本を脅した。
(4)その結果、K国を、テロ支援国家指定から、電撃的に解除してしまった。
(「電撃的に」というのは、日本の反対を予想して、たった1日で、という意味。)
(5) いつの間にか、C・ヒル自身が、K国の代弁者になってしまった。
(6) すでにジャンク(ガラクタ)と化した、Yの核関連開発施設の一部を爆破して見せ、
自分の成果として、世界中を欺いた。
(7) 本人は、スター気取りで、K国の代表と毎晩、北京の街で飲み歩いていた。
K国には最初から、核兵器開発を断念する意思などなかった。
ないばかりか、この5年間、ずっと秘密裏にそれを推し進めてきた。
その結果が、今回の2回目の核実験である。
個人的に日本が嫌いなのはわかる。
が、だからといって、同盟国である日本を裏切ってまで、K国の肩をもつことはない。
現在の今、日米関係は、最悪の状態になっている。
その責任を、いったい、だれが、どう取るのか。
さらに悪夢はつづく。
今度K国特命大使になった、ボズワースにしても、そうだ。
すでに水面下で、K国との直接交渉を画策している。
ミサイルの発射実験があってから後、すでに7、8回、K国と接触したという情報もある。
拉致被害者の方たちへの、冷たい言葉も忘れてはいけない。
C・ライス→C・ヒルへとつづいたアメリカ国務省の流れは、そのまま
ボズワースに引き継がれている。
が、ここにきて、核実験!
いちばん驚いているのが、ボズワース自身ではないのか。
あわよくば自分も名士にと考えているのかもしれない。
退任後、どこかの国の大使になれれば、万々歳!
しかし出鼻をくじかれた(?)。
しかし日本にはこういう諺がある。
『柳の木の下に、二匹のドジョウはいない』。
わかるかな?
(付記)
韓国のネチズンたちは、日本の報道機関が、「盧(の)氏、自殺」と書いていること
について、猛反発している。
「前大統領なのだから、ちゃんと『盧前大統領、ご逝去』と敬え!」と。
しかしこれには一言、私も書きたい。
あれほどまでに反日にこりかたまった大統領を敬えと言われても、それはできない。
日本人の私たちには、できない。
それに、「盧(の)氏、自殺」と書いたところで、けっしてノ前大統領を、粗末に
扱っているわけではない。
事実を、そのまま書いているだけである。
その思考回路は、「将軍様、将軍様」とあの金xxを称えている、K国の国民と同じ。
どこがどうちがうというのか?
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
++++++++++++++++++++++
1人のハネ上がり国務次官補のおかげで、この
極東アジア情勢は、めちゃめちゃになってしまった。
まず、昨年(08年)の12月に私が書いたBLOGを
読んでみてほしい。
『●Can we trust C. Hill in the 6-nation conference about North Korean nuclear
weapons development? The answer should be “No”!
Let’s start talking about C. Hill from the basical point of view. Only what he has done in
the past is that he has just given North Korea, money, oil, music, food and time, while
he has betrayed Japan each time and at last he rather threatened Japan, saying that
Japan should join the partnership, or he dissolve the name of North Korea from the list
of terrorists’nations. And he has done nothing for us. As long as C. Hill who is with
optimistic lies, hostile to Japan, is a member of the conference, the relation between
Japan and USA is getting worse and wrose. Therefore we don’t hesitate to call him,
“Kim Jong-Hill”.
●私たちは、C・ヒルを信頼できるか? 答は、No」!
C・ヒルは、K国に、マネーと原油と音楽と食糧、それに(時間)を与えただけ。
日本をそのつど裏切りながら、あげくの果てには、日本がK国援助に加わらなければ、K
国をテロリスト支援国家のリストからはずすと、日本を脅した。
彼が日本のためになしたことは、何もない。
希望的憶測だけでものを言い、日本に対する敵対意識をもつC・ヒルが、6か国協議のメ
ンバーである限り、日米関係は、ますます悪化していく。
それ故に私たちは、C・ヒルを、「金・ジョン・ヒル」と呼ぶ』と。
+++++++++++++++++++++++
このころ、(今もそうだが)、「アメリカ軍」が、さかんに私のBLOGを訪れていた。
そのつど、足跡が残るようになっているので、それがわかる。
日本語で、「アメリカ軍」とあるから、在日アメリカ軍か?
で、こうした記事は、そのつど英語で書くようにしている。
直に、(アメリカ軍)を通して、(アメリカ政府)に、私の意見を伝えることができる。
●核実験が、その結果
C・ヒルのおバカ外交を並べたら、キリがない。
先に書いた「マネーと原油と音楽と食糧、それに(時間)を与えた」だけではない。
(1)6か国協議を形骸化してしまった。
(2)拉致問題について、正式に協議した形跡なし。
(3)「K国を援助しろ。さもなくば、テロ支援国家指定から解除する」と日本を脅した。
(4)その結果、K国を、テロ支援国家指定から、電撃的に解除してしまった。
(「電撃的に」というのは、日本の反対を予想して、たった1日で、という意味。)
(5) いつの間にか、C・ヒル自身が、K国の代弁者になってしまった。
(6) すでにジャンク(ガラクタ)と化した、Yの核関連開発施設の一部を爆破して見せ、
自分の成果として、世界中を欺いた。
(7) 本人は、スター気取りで、K国の代表と毎晩、北京の街で飲み歩いていた。
K国には最初から、核兵器開発を断念する意思などなかった。
ないばかりか、この5年間、ずっと秘密裏にそれを推し進めてきた。
その結果が、今回の2回目の核実験である。
個人的に日本が嫌いなのはわかる。
が、だからといって、同盟国である日本を裏切ってまで、K国の肩をもつことはない。
現在の今、日米関係は、最悪の状態になっている。
その責任を、いったい、だれが、どう取るのか。
さらに悪夢はつづく。
今度K国特命大使になった、ボズワースにしても、そうだ。
すでに水面下で、K国との直接交渉を画策している。
ミサイルの発射実験があってから後、すでに7、8回、K国と接触したという情報もある。
拉致被害者の方たちへの、冷たい言葉も忘れてはいけない。
C・ライス→C・ヒルへとつづいたアメリカ国務省の流れは、そのまま
ボズワースに引き継がれている。
が、ここにきて、核実験!
いちばん驚いているのが、ボズワース自身ではないのか。
あわよくば自分も名士にと考えているのかもしれない。
退任後、どこかの国の大使になれれば、万々歳!
しかし出鼻をくじかれた(?)。
しかし日本にはこういう諺がある。
『柳の木の下に、二匹のドジョウはいない』。
わかるかな?
(付記)
韓国のネチズンたちは、日本の報道機関が、「盧(の)氏、自殺」と書いていること
について、猛反発している。
「前大統領なのだから、ちゃんと『盧前大統領、ご逝去』と敬え!」と。
しかしこれには一言、私も書きたい。
あれほどまでに反日にこりかたまった大統領を敬えと言われても、それはできない。
日本人の私たちには、できない。
それに、「盧(の)氏、自殺」と書いたところで、けっしてノ前大統領を、粗末に
扱っているわけではない。
事実を、そのまま書いているだけである。
その思考回路は、「将軍様、将軍様」とあの金xxを称えている、K国の国民と同じ。
どこがどうちがうというのか?
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
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