2009年9月14日月曜日

*Our Morality against the Crisis

●危機感vs道徳の完成度

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巨大な危機が人類というより、
地球全体を襲いつつある。
そうした危機に直面したとき、
それがあまりにも巨大すぎるためか、
危機感そのものがわいてこない。

どうしてだろう?

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●海面上昇

まず、つぎの毎日JPのニュースを読んでみてほしい。
この記事を読んで、あなたはそこにある危機を、どの程度強く感じ取ることが
できるだろうか。

『WWF:今世紀末、1メートル超の海面上昇 北極圏、温暖化で……報告書

北極圏での温暖化の影響で、今世紀末には1メートルを超える海面上昇が起こるとの報告書を、環境保護団体の世界自然保護基金(WWF)がまとめた。「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が07年に予測した18~59センチの海面上昇を大きく上回る。グリーンランドなどの氷床や各地の氷河の減少が、世界的な影響を及ぼすと分析している。

 報告書によると、北極圏の気温は過去20年で、世界平均の2倍のペースで上昇し、氷床や氷河の消失を招いた。また、永久凍土が溶けることにより温室効果ガスのメタンの放出に拍車がかかり、温暖化を促進させているとしている』(09年9月13日)。

 要点をまとめると、こうなる。

(1) IPCCは、今世紀末(2100年ごろ)には、海面上昇は、18~59センチと
予想していた。

(2) しかしWWFがまとめた報告書によれば、1メートル近くになるという。

(3)北極圏の気温上昇は、世界平均の2倍のペースで上昇しつづけている、と。

 韓国の海運業者(?)は、さっそく北極海経由の韓国→ドイツ航路を開始した。
インド洋→アフリカ経由の航路より、はるかに短時間で物資を輸送できる。

●危機感の喪失

 もし海面が1メートルも上昇すれば、東京都全体が水没することになる。
この浜松市にしても、中心街の大半が、水没することになる。
「北極や南極の氷が溶けてしまえば、海面上昇は止まる」と考えている人も
いるかもしれない。
しかし海面上昇は、その後もつづく。
気温上昇によって、海水が膨張するからである。
海面上昇は、氷が溶けることによってではなく、海水の膨張によって起こる。

 また「1メートルくらいなら、何とかなる」と考えてはいけない。
下水管などの生活インフラは、そのまま役に立たなくなってしまう。
台風などの高潮時には、さらに大きな被害が出るようになる。
それに、ここが重要だが、仮に予定通り排出ガスが規制されたとしても、
それで気温上昇(地球温暖化)が止まるわけではない。
仮に今世紀末は、何とかなっても、2200年には、どうなっているか
わからない。

 不測の事態が、さらに不測の事態を引き起こし、二次曲線的に気温が上昇
するということも考えられている。
もしそうなれば、この地球の気温は、100年(たった100年だぞ!)を
待たずして、400度C近くにまで上昇するかもしれない。
もしそうなれば、「地球温暖化」ではなく、「地球火星化」ということになる。

●能力的欠陥

 怖ろしいことを書いた。
読者のみなさんを不安にさせたかもしれない。
しかし私がここで書きたいのは、そのとき、ほんの少しでよいから、あなた自身の
心の中をのぞいてみてほしいということ。
あなたは(そこにある危機)を、どの程度深刻に感ずることができただろうか。

 が、書いている私でさえ、ある種の不安感は覚えるが、そこまで。
それ以上の深刻さが、生まれてこない。
これはどうしたことなのか?
それとも私にだけ起こる、おかしな現象なのか?
深刻になる前に、「どうしようもない」とあきらめてしまうせいなのか?
 
 つまり人は、そこにある小さな危機には、敏感に反応する。
しかし遠くにある巨大な危機に対しては、鈍感に反応する。
もし(危機の大きさ)(危機への距離感)によって、危機感が変化するとするなら、
それは人の、どういう能力的な欠陥によるものなのか。
またその能力的欠陥を克服するためには、どうしたらよいのか。

 つまりこのあたりの能力的欠陥を克服しないかぎり、地球温暖化の問題は、
根本的には解決しない。
「北極海の航路が使えるようになった」と喜んでいる海運業者を、例にあげる
までもない。

 さらに言えば、こうした問題に取り組んでいる研究者や、政府関係者にしても、
「形」だけの心配で終わってしまう可能性もある。
「立場上、地球温暖化を問題にしているだけ」と。

●触角

 こう考えていくと、危機感の問題は、つまるところその人のもつ触角の長さに
よって決まるということになる。
触角が長ければ長いほど、より遠くにある危機を、自分のものとして実感できる。
そうでなければ、そうでない。

 では、触角を長くするためには、どうしたらよいのか。
その前に、触角は長い方がよいのか、それとも短い方がよいのかという問題もある。
しかし道徳論でも、より視野の広い人ほど、道徳の完成度の高い人とみる(コールバーグ)。

 それについては、こんな原稿を書いたことがある。

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【子どもの道徳・道徳の完成度】

●地球温暖化

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子どもたちほど、地球温暖化の
問題を真剣に考えているという
のは、興味深い。

他方、おとなほど、この問題に
関して言えば、無責任(?)。

「何とかなるさ」という言い方をする
おとな。「だれかが何とかしてくれ
る」とか、「私ひとりが、がんばって
も、どうしようもない」とか。

そんなふうに考えているおとなは、
多い。

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 道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)。

 いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分がその立
場にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動できるかどうか
で、その人の道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点とする
なら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、その人の道徳的
完成度は決まる。

 たとえばひとつの例で考えてみよう。

 あなたはショッピングセンターで働いている。そのとき1人の男性が、万引きをしたと
する。男性は品物をカートではなく、自分のポケットに入れた。あなたはそれを目撃した。

 そこであなたはその男性がレジを通さないで外へ出たのを見計らって、その男性に声を
かけた。が、あなたは驚いた。他人だと思っていたが、その男性は、あなたの叔父だった。

 こういうケースのばあい、あなたなら、どう判断し、どう行動するだろうか。「叔父だか
ら、そのまま見過ごす」という意見もあるだろう。反対に、「いくら叔父でも、不正は不正
と判断して、事務所までいっしょに来てもらう」という意見もあるだろう。

 つまりここであなたの公正さが、試される。「叔父だから、見過ごす」という人は、それ
だけ道徳の完成度が低い人ということになる。

 またこんな例で考えてみよう。

 今、地球温暖化が問題になっている。その地球温暖化の問題について、いろいろな考え
方がある。コールバークが考えた、「道徳的発達段階」を参考に、考え方をまとめてみた。

(第1段階)……自分だけが助かればばいいとか、自分に被害が及ばなければ、それでい
いと考える。被害が及んだときには、自分は、まっさきに逃げる。

(第2段階)……仕事とか、何か報酬を得られるときだけ、この問題を考える。またその
ときだけ、それらしい意見を発表したりする。

(第3段階)……他人の目を意識し、そういう問題にかかわっていることで、自分の立場
をつくったりする。自分に尊敬の念を集めようとする。

(第4段階)……みなでこの問題を考えることが重要と考え、この問題について、みなで
考えたり、行動しようとしたりする。

(第5段階)……みなの安全と幸福を最優先に考え、そのために犠牲的になって活動する
ことを、いとわない。日夜、そのための活動を繰りかえす。

(第6段階)……地球的規模、宇宙的規模で、この問題を考える。さらに、人類のみなら
ず生物全体のことを念頭において、この問題を考え、その考えに沿って、行動する。

 この段階論は、子どもたちの意見を聞いていると、よくわかる。「ぼくには関係ない」と
逃げてしまう子どももいれば、とたん、深刻な顔つきになる子どももいる。さらに興味深
いことは、幼少の子どもほど、真剣にこの問題を考えるということ。

 子どもも中学生や高校生になると、「何とかなる」「だれかが何とかしてくれる」という
意見が目立つようになる。つまり道徳の完成度というのは、年齢とかならずしも比例しな
いということ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
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道徳完成度 完成度段階説)


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●道徳の完成度(2)

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道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、
(2)いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)という。

 いかに公正であるか……相手が知人である
とか友人であるとか、あるいは自分がその立場
にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、
公正に判断して行動できるかどうかで、その人の
道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児
が見せる原始的な自己中心性を原点とするなら、
いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的
であるかによって、その人の道徳的完成度は決
まる。

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 この2日間、「道徳の完成度」について、考えてきた。「言うは易(やす)し」とは、よ
く言う。しかし実際に、どうすれば自己の道徳を完成させるかということになると、これ
はまったく別の問題と考えてよい。

 たとえば公正性についても、そのつど心の中で揺れ動く。情に動かされる。相手によっ
て、白を黒と言ってみせたり、黒を白と言ってみせたりする。しかしそれでは、とても公
正性のある人間とは言えない。

 またその視野の広さについても、ふと油断すると、身近なささいな問題で、思い悩んだ
り、自分を取り乱したりする。天下国家を論じながら、他方で、近隣の人たちとのトラブ
ルで、醜態をさらけだしたりする。

 コールバークの道徳論を、もう一度、おさらいしてみよう。

(1)「時、場所、そして人のいかんにかかわらず、公正に適応されるという原則」
(2)「個人的な欲求や好みを超えて、個人の行為を支配する能力」(引用文献:「発達心理
学」ナツメ社)。

 そこで重要なことは、日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要、ということになる。常
に公正さを保ち、常に視野を広くもつということ。が、それがむずかしい。ときとして問
題は、向こうから飛びこんでくる。こんな話を聞いた。

 よくある嫁―姑(しゅうとめ)戦争だが、嫁の武器は、子ども。「孫がかわいい」「孫に
会いたい」という姑の心を逆手にとって、その嫁は、姑を自分のよいように操っていた。
具体的には、姑のもつ財産をねらっていた。

 いつしか姑が、息子夫婦の生活費を援助するようになっていた。嫁の夫(=姑の息子)
の給料だけでは、生活が苦しかった。質素に生活すれば、できなくはなかったが、嫁には、
それができなかった。嫁は、派手好きだった。

 そのうち、姑は、孫(=嫁の息子、娘)の学費、教育費まで負担するようになった。し
かし土地などの財産はともかくも、現金となると、いつまでもつづくわけではない。そこ
で姑が、支出を断り始めた。「お金がつづかない」とこぼした。とたん、嫁は、姑と息子と
娘(=姑の孫)が会うのを禁止した。

息子(小4)と娘(小1)は、「おばあちゃんに会いたい」と言った。
嫁は、「会ってはだめ」「電話をしてもだめ」と、自分の子どもにきつく言った。
姑は「孫たちに会いたいから、連れてきてほしい」と、嫁に懇願した。
嫁は間接的ながら、「お金がなかったら、土地を売ってお金をつくってほしい」と迫った。

 ……という話を書くのが、ここでの目的ではない。こういう話は、あまりにも低レベル
というか、あさましい。できるなら、こういう話は聞きたくない。話題にしたくもない。
が、現実の世界では、こうした問題が、つぎからつぎへと起きてくる。いくら道徳的に高
邁(こうまい)でいようとしても、ふと気がつくと、こうした問題のウズの中に巻き込ま
れてしまう。

 言いかえると、道徳の問題は、頭の中だけで論じても、意味はないということ。この私
だって、偉そうなことなら、いくらでも言える。それらしい顔をして、それらしい言葉を
口にしていれば、それでよい。それなりの道徳家に見える。

 しかし実際には、中身はガタガタ。私はその嫁とはちがうと思いたいが、それほどちが
わない。そこで繰りかえすが、「日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要」ということにな
る。

 私たちは常に試される。この瞬間においても、またつぎの瞬間においても、だ。何か大
きな問題が起きれば、なおさら。そういうときこそ、日々の鍛錬が、試される。つまりそ
の人の道徳性は、そういう形で、昇華していくしかない。

(道徳性について、付記)

 高邁な道徳性をもったからといって、どうなのか……という問題が残る。たとえばこん
な例で考えてみよう。最近、実際、あった事例である。

 あなたは所轄官庁の担当部長である。今度、遠縁にあたる親類の1人が、介護施設を開
設した。あなたは自分の地位を利用して、その親類に、多額の補助金を交付した。その額、
数億円以上。

 そのあなたが、ある日、その親類から、高級車の提供をもちかけられた。別荘の提供も
もちかけられた。飲食して帰ろうとすると、みやげを渡された。みやげの中には、現金数
百万円が入っていた。
(お気づきの人もいるかと思うが、これは実際にあった事件である。)

 こういうケースのばあい、あなたならどう判断し、どう行動するだろうか?

 「私はそういう不正なことは、しません」と、それを断るだろうか。その勇気はあるだ
ろうか。また断ったところで、何か得るものは、あるだろうか。

 私はそういう場に立たされたことがないので、ここでは何とも言えない。しかし私なら、
かなり迷うと思う。今の私なら、なおさらそうだ。いまだに道路にサイフが落ちているの
を見かけただけで、迷う。

不運にも(?)、この事件は発覚し、マスコミなどによって報道されるところとなった。
しかしこうした事例は、小さなものまで含めると、その世界では、日常茶飯事。それこ
そ、どこでも起きている。

 つまり道徳性の高さで得られるものは、何かということ。それがこの世界では、たいへ
んわかりにくくなっている。へたをすれば、「正直者がバカをみる」ということにもなりか
ねない。

 ところで、少し前、中央教育審議会は、道徳の教科化を見送ることにしたという。当然
である。
 道徳などというものは、(上)から教えて、教えられるものではない。だいたい道徳を教
える、長の長ですら、あの程度の人物。公平性、ゼロ、普遍性、ゼロ。どうしてそんな人
物が、道徳を口にすることができるのか。

 「学習指導要領の見直しを進めている中央教育審議会は、18日、道徳の授業を教科と
しない方針を固めた。政府の教育再生会議は、規範意識の向上を目的に、第二次報告で道
徳を『徳育』としたうえで、教科化するよう求めていた。もともと中教審の内部では、教
科化に慎重な意見も強かったが、安倍首相の辞任後、『教育再生』路線との距離の置き方も、
明確になった格好だ」(中日新聞)とある。

 わかりやすく言えば、安倍総理大臣が辞任したこともあり、安倍総理大臣が看板にして
いた徳育教育(?)が、腰砕けしたということ。

 閣僚による数々の不祥事。加えて、安倍総理自身も、3億円の脱税問題がもちあがって
きている。「何が、道徳か!」、ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
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●危機感について

 触角の長さというのは、つまるところ、その人の道徳性の完成度と関係がある
ということになる(コールバーグ)。

 道徳性の完成度の高い人ほど、触角が長くなり、遠くにある危機をも、そこに
ある危機として認識できる。
そうでなければ、そうでない。
日常のささいな問題に心を奪われ、その先を見ることができない。
加齢とともに、さらにこの傾向は強くなり、やがてそこらのオジチャン、オバチャンへと
変身していく。

 そのひとつのバロメーターが、地球温暖化の問題ということになる。
私たちがこの問題に対して、いかに深く危機感をもちうるかによって、その一方で
自分の道徳の完成度を知ることができる。

 私のように、「それがあまりにも巨大すぎるためか、危機感そのものがわいてこない」
というようであれば、道徳の完成度はまだまだ低いということになる。

(ついでに、補記)

●実家からの解放

 話はぐんと私的になるが、私は60年を経て、やっと「実家」から解放された。
実に重苦しい、60年間だった。
実家を売り飛ばし、家財のほとんどを、近所の人たちに無料で配った。
そのあとのこと。
とたん、毎朝見る、夢の内容まで変わってしまった。
これには驚いた。
それをワイフに話すと、ワイフも驚いた。

 私のこうした行為に対して、中には不満に思っている人もいるらしい。
すでにそういう話が、漏れ伝わってきている。
が、私が今感じている爽快感は、何物にも、替えがたい。

 で、私はそれまで、(そこにある現実)に、毎日のように惑わされた。
心は地球、人類、教育へと、自由に駆け回るのだが、ふと気がつくと、そこに(実家)
がある。
あまりにも生々しく、毒々しい。
いくら自分では高邁(こうまい)であろうとしても、ふと油断すると、そこにある
(現実)に振り回されてしまう。
あの夏目漱石も、同じようなギャップに悩んだ。
小説『こゝろ』(こころ)が、それである。

 最終的には、『こゝろ』の中の先生は、友人Kの自殺の罪悪感を克服することが
できず、明治天皇の崩御、乃木希典の殉死を契機に、自殺を決行する。

 もちろん私は自殺などしないが、(実家)から解放されてはじめて、私の人生を
私のものにすることができた。
それはあまりにも生々しく、毒々しい自分との決別できた瞬間でもあった。

 実家を、超安値の、破格価格で売り飛ばした。
が、価格など問題ではない。
私はそうすることで、実家そのものを、爆破したかのような爽快感を味わった。
事実、その翌朝、死んだ実兄が夢の中に現れた。
実兄は、私と腕を組みながら、うれしそうに笑っていた。
で、私が、「準ちゃん(=兄)、仇(かたき)は取ってやったぞ」と言うと、
実兄は、さらにうれしそうに笑った。

 夢は夢だが、その夢が、私の深層心理にあったすべてを表現している。

●触角を長くするために

 触角を長くするためには、いつも心を遠大な、宇宙の果てに置く。
そこにあまりにも生々しく、毒々しい世界があるなら、できるだけ早く、決別する。
自分の心から切り離す。

 同時に2つの世界を経験すると、それこそ魂を切り裂かれるような苦痛を覚える。
自分の人格がバラバラになっていくように感じることさえある。
そうでなくても、おかしな緊張感が、じわじわと精神をむしばむ。
これは精神の健康にとっても、よくない。
私のばあいは、実家のことが頭の中を横切るたびに、情緒そのものが不安定になった。
ワイフに八つ当たりしたとことも、多い。

 道徳の完成度を論ずるときの、ひとつの参考になれば、うれしい。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

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