2009年9月10日木曜日

*Destiny

●運命(Destiny)

++++++++++++++++++++

無数の(糸)がからんで、ときにその人の
進む道を決めてしまう。
社会の糸、家族の糸、生い立ちの糸などなど。
それを「運命」という。

が、「運命」は、自分で作っていくもの。
一見矛盾した考えに思う人もいるかもしれない。
自分の力では、どうにもならない力を運命という。
「しかしその運命は、自分で作るものとは、どういうことか」と。
しかしそのときは、こう考えたらよい。

その「糸」は、ふつうは見えない。
見えないが、自分のことがわかればわかるほど、
それが見えてくる。
それが見えるか見えないかは、その人自身の(視野の広さ)による。
視野さえ広めれば、そこにある(糸)が見えてくる。
糸さえ見えれば、自分で自分の運命をコントロールすることができる。
自分の運命を、自分で作ることもできる。
作り変えることもできる。

++++++++++++++++++++

●たとえば

 たとえばこんな例で考えてみよう。
もちろんここに登場する母親は、架空の女性である。
いろいろなケースを、ひとつにまとめた。

●子どもの非行

 最初に断っておく。
子どもが非行に走ったからといって、子育てに失敗したということではない。
今どき、非行など、珍しくも何ともない。
もう少しマクロな見方をすれば、まじめで(?)、何ごともなく青春期を過ごした
子どもほど、あとあと何かと問題を起こすことがわかっている。
あれこれと非行を経験した子どものほうが、のちのち常識豊かな子どもになる。
教育の世界では常識。
「教育がしにくい」というだけで、ほかに問題があるわけではない。
(だからといって、非行を奨励するわけでもないが……。)

●母親の視野

 が、視野の狭い母親ほど、自分の子どもが何かの事件を起こしたりすると、
あわてふためく。
ギャーギャーと泣き叫んで、大騒ぎをする。
そして本来なら、軽く乗り越えられるような問題まで、より深刻にしてしまう。
こんな例で考えてみよう。

●3人も強制退学

 その母親には、3人の子どもがいた。
上から、(男)(女)(男)である。
が、3人とも、高校生のとき、強制退学。
それぞれが傷害事件を起こした。

 こういうケースのばあい、まず疑ってみるべきは、母親の育児姿勢。
1例とか2例なら、同じようなことがつづくことはある。
しかし3例ともなったら、原因は、環境にあるとみる。
なかんずく母親の育児姿勢にあるとみる。
が、残念なことに、その母親には、それを理解するだけの知的能力がなかった。
いや、自分では、「賢い、頭のいい女性」と思い込んでいた。

 繰り返すが、子どもが強制退学になったからといって、「失敗」という
ことではない。
子どもたちに問題があったということでもない。

●夫の責任

 子育てで何がこわいかといって、親の独善と独断ほど、こわいものはない。
その母親のばあいも、住んでいる世界そのものが、小さかった。
それに自分と同じレベルの人だけの世界で住んでいた。
が、それでいて、先にも書いたように、「私は賢い、頭のいい女性」と思い込んでいた。

 で、こういうケースのばあい、そばにいる夫が妻を指導しなければならない。
しかしその夫も、趣味は、パチンコ。
これではたがいに、向上しあうことなど、夢のまた夢。

 その女性は、いつもこう言っていた。
「子どもに教育をつけると、遠くへ行ってしまう。だから、損」と。

●レベルの高い人

 母親は、つねに視野を広くする。
「視野を広くする」というのは、内面世界を豊かにすることをいう。
外面的な虚勢を張りあうことではない。
そのためには、つねに自分よりレベルの高い人と交際する。
これは恩師のTK先生が教えてくれたことである。

 そしてできれば、……というより、同時に、自分の周囲からレベルの
低い人を遠ざけることも忘れてはいけない。

 私もある時期、たいへん小ずるい男性と交際したことがある。
気がついてみると、私自身も、たいへん小ずるいものの考え方をしていることを知った。
人間というのは、こうしてたがいに感化しあう。

●長女、二男

 長男が傷害事件を起こしたとき、その母親は、ガミガミというより、ギャンギャンと
子どもを叱った。
来る日も来る日も、子どもを叱った。
「私は苦労してあんたを育てた」「塾の送り迎えで苦労した」「親の恩を忘れたのか」
「世間に顔向けができない」と。

 長女はと二男は、同時期に暴走族に加わった。
暴走族同士の抗争事件を引き起こし、警察に逮捕。
そのまま高校は強制退学。

 再びその母親は、ガミガミというより、ギャンギャンと子どもを叱った。
来る日も来る日も、子どもを叱った。

●子どもは家族の代表

 こういう話を見聞きすると、私はすぐこう思う。
「責められるべきは母親のほうであって、子どもたちではない」と。
子どもは家族の(代表)にすぎない。
それがわかるか、わからないかは、親の視野の広さによる。

 が、たいへん悲しいことに、その母親には、その視野の広さがなかった。
ウソと虚栄のかたまり。
ひとつのウソをごまかすために、つぎのウソをついた。
あとは、その繰り返し。

 子どもたちが強制退学になったことについても、「学校が正しい判断をしなかった」
「相手の子どもが悪い」「うちの子は、たまたま事件に巻き込まれただけ」と主張した。

 その結果、子どもたち自身も、ますます自分を見失っていった。

●不幸の連鎖

 長男と長女は、そのまま家出。
二男はしばらく家を出入りしていたが、母親は、「近所に恥ずかしい」という理由で、
それを許さなかった。

 で、それから10年。
現在、長男と二男は、離婚。
これについても、「離婚したから、子育てで失敗した」と書いているのではない。
問題は、そのあと。
それぞれ2人の子ども(その女性の孫)がいるが、養育費すら満足に払えない状態が
つづいている。

これについても、その女性は、「(孫を)相手の嫁に取られたのだから、養育費など
払う必要はない」とがんばっている。
調停員が、「あなたは連帯保証人になっている」と、いくら説明しても、その女性には
それを理解する能力さえない。

●失敗

 もしこういうケースで、「失敗」という言葉を使うとしたら、子どもたちが退学
させられたり、良好な家庭を築けなかったことではない。
離婚にしても、いまどき、何でもない。

「失敗」という言葉を使うとしたら、子どもたちの能力を、じゅうぶん、
引き出せなかったこと。
よき家庭人として、自立させられなかったこと。
ついでに言えば、孫たちの養育費すら払わず、責任逃れをしていること。
そういう無責任な人間になってしまったこと。

 で、こうした一連の(流れ)を、外から見ると、そこに一本の(糸)があることが
わかる。
その糸が順につながって、その女性の現在の状況を作りあげている。

●自分で作る運命

 その女性は、たぶん心のどこかで、自分の運命をのろっているかもしれない。
最初の話にもどるが、その女性が現在の状況になったのは、(なった)というよりは、
(作り出した)のは、その女性自身の育児姿勢にある。
自ら(糸)を作り、自らその(糸)に巻き込まれていった。

 が、自分を見つめる視野そのものが狭い。
だからそういう(糸)があることにさえ、気づいていない。

 私が知るかぎり、その女性は、口がうまく、不誠実だった。
言っていることのうち、10に1つも、本当のことがない。
そういう女性だった。

 しかしその女性がそういう女性になったのは、その女性の生まれ育った家庭環境に
あった。
視野を広めていくと、そういうことまでわかるようになる。

●運命と闘う

 そこにある運命と闘うためには、まず自分の視野を広くすること。
視野が広くなればなるほど、そこに(糸)が見えてくる。
その糸さえわかれば、自分でその糸をほぐすことができる。
運命の糸を、ほぐすことができる。

 ではどうしたらよいか……ということをわかってもらいたかったから、
架空の女性だが、1人の女性を例にあげて、考えてみた。
私たちは、その反対のことをすればよい。
それが運命と闘う方法のひとつということになる。

(今日の教訓)

そこに運命があるなら、視野を広くせよ。
文化に親しみ、教養を深くせよ。
運命は、それを恐れれば、キバをむいてあなたに襲いかかってくる。
しかし一度受け入れてしまえば、向うからシッポを巻いて逃げていく。

不誠実、愚かさは、視野を狭くする。
その視野の狭さが、やがてあなたを袋小路に追いつめる。
あなたは運命に翻弄され、暗闇の中で、もがき、苦しむ。
あとは、あなたの勇気だけ。
それさえあれば、霧に包まれた原野の向うに、一本の道が見えてくる。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。