2009年7月1日水曜日

*Today is the first Day of July

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 7月 1日
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7月1日  第1227号になりました!

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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日から、電子マガジン7月号

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この原稿から、電子マガジン7月号用となる。
そこでカレンダーを見ると、7月は、7月1日が、
発行日の水曜日ということがわかった。
電子マガジンは、毎週月、水、金の3回、発行している。
だれに頼まれたわけではない。
自分で、そうしている。

それにしても、日々の過ぎることの速いこと。
これであっという間に5月も終わった。
6月号も終わった。
「もう7月1日号かア~~」と。

実際には、今日は6月28日、木曜日。
電子マガジンは、いつも、約1か月前に、発行予約を
入れている。
これもとくに決まっているわけではない。
自分で、そうしている。

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●講演会

講演会での講演の内容が決まらない。
……というか、決めても、あまり意味がない。
その場の雰囲気というものがある。
私のばあい、ふつう、その場の雰囲気を見て、話の内容を変える。

しかし出だしは、どうするか。

「……時の流れは風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。
『時間よ、止まれ!』と、こぶしを握ってみても、時間はそのまま指の間から
もれていく……。

私は子どものころからいつも、何かうれしいことがあると、決まってこの歌を口ずさんだ。
♪夕空晴れて、秋風吹き……、と。
息子たちが小さいころも、よく歌った。
ドライブからの帰り道、みなで合唱したこともある。
♪夕空晴れて、秋風吹き、月影、落ちて鈴虫鳴く……」。

●自己紹介

いつも講演会では、最初に短い話を入れて、そのあと自己紹介をする。
自己紹介といっても、名前と住んでいる場所程度。
「はやし浩司と言います。
肩書きは、一応、教育評論家ということになっています。
何もないでは困りますので、そうしています。
住んでいるのは、浜松市です。
浜松市に住むようになって、もう40年近くになります。
今日は、このような席にお招きくださり、ありがとうございます」と。

つづいて、イントロ。
「今日は、3人の息子たちの父親として、子育てとは何か。
子育てはどうあるべきか。
それらについて、ありったけ話すつもりでやってきました。
今日、みなさんにお伝えすることが、家庭や学校で、子どもを見るための
新しい視点になればと願っています。
よろしくお願いします」と。

イントロも、その場の雰囲気で変える。

●本題

「その夜、突然、電話がありました。
受話器を取ると、息子の声でした。
『パパ、もうだめだ』と。
声の調子からして、私は異常なものを感じました。
『どうした?』と聞くこともなく、すかさず、私はこう言いました。
『すぐ、帰ってこい』と。

が、さらに驚いたことに、その翌々日のこと。
ふと私が勝手口を見ると、そこにS男がいるではありませんか。
両手には、バッグをさげていました。

帰ってこいとは言いましたが、まさかそんなに早く帰ってくるとは思っていません
でした。
が、それが、暗いトンネルの始まりでした……」と。

●代表

もちろん講演では、息子のことを話すのが目的ではない。
息子も、それを許さないだろう。
それに話したところで、ただの苦労話に終わってしまう。
私がわざわざ講演する、その意味がない。

ひととおりの症状を話したあと、私は、「代表説」を説明する。
「子どもは家族の代表である」という説である。
もっとも今では、この説は常識。
また教育の現場でも、治療の現場でも、広く採用され、応用されている。
つまり「子どもに何か問題が起きたとしても、それは子どもの問題ではない。
家族全体の問題である。
子どもは家族の代表に過ぎない」という説である。

それはその通りで、子どもに何か問題があったととき、子どもだけに焦点をあてて
解決しようとしても、うまくいくはずがない。
たとえば過干渉児、過保護児にしても、(これらは心理学の世界で、しっかりと
定義された言葉ではないが)、子どもに特有の症状が出ていたとしても、
それは子どもの問題ではない。

過干渉にしても、過保護にしても、それは親の育て方の問題ということになる。
だから親の過干渉が原因で、性格が内閉、萎縮してしまった子どもに向かって、
「もっとハキハキしなさい」と言っても、意味はない。
神経症や情緒障害にしても、そうである。
この世界では、親の無知ほど、恐ろしいものはない。
子どもが恐ろしいというのではない。
子どものために、恐ろしいものはないという意味で、恐ろしいものはない。

たとえばかん黙症の子どもに向かって、「どうしてあなたは手をあげないの!」と
叱っていた母親すらいた。
叱る方が、どうかしている。

●引きこもり

S男が示した症状は、まさに、ひきこもりのそれだった。
回避性障害、対人恐怖症、バーントアウト症候群、あしたのジョー症候群。
診断名は何でもよい。
うつ病だってかまわない。
あえて言うなら、この世の中、まともな人間ほど、そういった病気になる。
子どもがおかしいのではない。
社会のほうがおかしい。

が、私はがけの上から叩き落され、谷底で、さらにその上から叩き潰される
ような衝撃を受けた。
私は無数の子育て相談を受けながら、そういう人たちに、むしろアドバイスを
与えてきた立場の人間である。
その立場の人間の息子が、ひきこもりになってしまった。

が、その一方で、幸いなこともある。
すでにそのとき、私には、何十例という経験があった。
引きこもりで苦しむ親や子どもたちを、指導という形で、見てきた。
だから即座に、対処方法を打ち立てることができた。

●暖かい無視と、ほどよい親

「暖かい無視」というのは、どこかの野生動物保護協会が使っている言葉である。
つまり暖かい愛情を保ちながら、無視すべきところは無視する。

たとえばS男の生活態度は、日増しにだらしなくなっていった。
風呂に入らない、着替えをしない、食事の時間が乱れる。
もちろん睡眠時間も乱れた。
毎日、ちょうど1時間ずつ、睡眠時間と起床時間がずれていった。
一晩中起きているということもつづいた。

が、何も言わない。
何も指示しない。
何も不満を口にしない。
暖かい愛情だけはしっかりともって、見守る。
それが暖かい無視ということになる。

……というより、いつも一触即発。
よく誤解されるが、「情緒不安」というときは、何も情緒が不安定になることを
いうのではない。
精神の緊張状態が取れないことをいう。
その緊張状態のときに、不安や心配ごとが入ると、情緒は一気に不安定になる。
情緒不安というのは、あくまでもその結果でしかない。
S男の精神は、いつもその緊張状態にあった。

そういう衝突が1、2度つづいて、私たち夫婦は、暖かい無視を貫くことにした。

……こうして講演をつなげていく。

今度の日曜日に、このつづきを考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●しつけ(咳について、再考)

日本人は、咳について、あまりにも無頓着。
平気でゴホン、ゴホンと席をする。
ちょうど今、新型インフルエンザが問題になっている。
もう一度、「しつけ」について考えてみたい。
(以下の原稿は、08年12月に書いたものです。)

+++++++++++++++++

「しつけ」というときは、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がなければならない。

あいさつの仕方など、国によってみなちがう。
時代によってちがうこともある。
さらに軍人には、軍人のあいさつのしかたがある。

そういうのは、「しつけ」とは言わない。
「作法」という。

たとえば最近、こんなことがあった。

++++++++++++++++++

W君(小2男児)は、インフルエンザにかかり、1週間ほど、
学校を休んだ。
その直後、私の教室に来た。
まだ咳が残っていた。
1~2分おきぐらいに、ゴホゴホと咳をしていた。

こういうケースのばあい、対処の仕方が2つある。

W君にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
あるいは全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。

ふつうはW君だけにマスクを渡し、W君だけマスクを
かけさせれば、それですむ。
しかし中に、それをかたくなに拒否する子どももいる。
「罰」か何かのようにとらえる。

そういうときは、全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。

が、である。
そういうふうにしても、W君は、ときどきマスクをはずし、
ゴホゴホと咳をする。
私のところへやってきて、面と向かって、ゴホゴホと咳をする。

だから私はかなりきつくW君を叱った。
「人の顔に向けて、咳をしてはだめだ」と。

するとW君は、「手で(自分の口を)押さえた」とか、
「先生の顔には向けてない」とか言って、反論した。

私「あのなあ、咳というのは、手で押さえたくらいでは
防ぐことができないんだよ」
W「いいから、いいから……」
私「いいから、いいからというような問題ではない。
マスクをちゃんと、しなさい」
W「ぼくはもう、治った」
私「治ってない!」と。

ついでに付記するなら、インフルエンザのウィルスに、
おとなも子どもも、ない。
おとな用のウィルス、子ども用のウィルスというのは、ない。
みな、同じ。
だから目の前でゴホンとやられたら、即、そのまま私に
感染する。
防ぎようがない。

ほとんどの人は、(おとなも子どもも)、咳をすることに
たいへん無頓着。
この日本では、とくに無頓着。
それを悪いことと考えている人は、少ない。
満員電車の中でさえ、平気でゴホゴホと咳をしている人さえ
いる。

しかし相手の顔に向けて咳をするのは、相手を手で殴るのと
同じ、暴力行為。
だから私はW君をさらに強く、叱った。

私「私の言うことが聞けないなら、この教室から出て行きなさい」
W「どうしてヨ~?」
私「どうしてって、みんなにインフルエンザが移ったら、どうする?」
W「だいじょうぶだよ。移らないよ」
私「……」と。

もうおわかりのここと思うが、こういうのを(しつけ)という。
「咳をするときは、口をハンカチで押さえる」
「マスクをかけるのは、常識」
「マスクをしていても、相手の顔に向けて、咳をしない」

こうした(しつけ)には、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がある。
わかりやすく言えば、世界の常識。

……では、なぜ、こんなことを書くか?
実は今、あちこちの幼稚園で、「しつけ教室」なるものが、
たいへん流行(はや)っている。
たいていあいさつの仕方から始まって、箸の持ち方、置き方
などを教えている。

私はそうした(しつけ)は無駄とは思わないが、どこか
ピントがズレているように思う。

もっと基本的な部分で、大切にしなければならないことがある。
たとえば、(順番を並んで待つ)(順番を無視して、割り込みしない)
(他人をキズつけるような言葉を口にしない)など。
しかしそういう(しつけ)は、「しつけ教室?」で学ぶような
しつけではない。
私たちおとなが、日々の生活を通して、「常識」として、子どもの
体の中に、しみこませるもの。
先に書いた咳にしても、そうだ。
自分の子どもが無頓着に他人の顔に向けて咳をしたら、すかさず、
子どもを叱る。
その前に、親自身が自分のエリを正さなくてはいけない。
(しつけ)というのは、そういうもの。

ついでに言うなら、(あいさつ)など、どうでもよい。
したければすればよい。
したくなければ、しなくてもよい。
そんなことをいちいち教えている国は、今、ほとんどない。

たとえば韓国でも、数年前から、授業の前とあとのあいさつを
廃止した。
「起立!」「礼!」という、あのあいさつである。
「日本の植民地時代の亡霊」という理由で、そうした。

が、現在、浜松周辺の学校では、ほとんどの学校で、この種のあいさつを
している。
(当番の子どもが、「これから授業を始めます」などと言い、頭をさげるなど。)
国際性がないという点で、これはしつけでもなんでもない。

(参考)

A小学校……当番が「はじめましょう」と小さい声でいう。
それに答えて、全員が「はじめましょう」と合唱して、頭をさげる。

B小学校……当番が「起立!」と言い、先生が「はじめましょう」と答える。
そのとき生徒全員が、頭をさげる。

C小学校……全員が起立したあと、「今から○時間目の授業をはじめます」と
言って、頭をさげる。

D小学校……当番が「起立!」と号令をかけ、「○時間の授業を始めましょう」と
言う。そのとき生徒と先生が、たがいに頭をさげる。

E小学校……学級委員が、「起立」「姿勢はいいですか」と言い、みなが、
「はい!」と答え、学級委員が「今から○時間目の授業をはじめましょう」と
言って、みなが、礼をする。

ついでながら、アメリカやオーストラリアでは、先生が教室へやってきて、
「ハイ!」とか言って、それおしまい。



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●仮眠効果(Sleeper Effect)

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心理学の世界に、「仮眠効果」という言葉がある。
「スリーパー効果」ともいう。

仮眠効果というのは、脳の中に入った情報が、しばらく仮眠したあと、
効果をもち始めることをいう。
子どもの世界では、こうした現象が、よく観察される。

たとえば子どもをほめたとする。
そのときは、子どもは「フン」と言って、軽く受け流す。
私の言ったことを深く考えない。
が、しばらく時間がたつと、つまりしばらく子どもの脳の中で仮眠したあと、
そのほめた効果が現れたりする。

「あのとき、林先生(=私)が、ぼくにこう言ってくれた!」と。

よく昔の恩師の話をしながら、「あのときあの先生が言ってくれた言葉が、
おとなになってから、ぼくの励みになった」という人がいる。
それも仮眠効果の現れとみてよい。

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●情報の熟成

情報というのは、脳の中に入った段階では、ただの(情報)。
それに加工を加えて、情報は情報としての意味をもつ。
(加工を加えることを、「思考」という。)
それまでは、たとえていうなら、座右に積み上げられた本のようなもの。
必要なときは取り出して読むが、そうでなければ、やがて脳みその中から消えていく。

が、ときとしてその情報そのものが、ひとり歩きすることがある。
ここでいう「仮眠効果」というのも、そのひとつ。
たとえば私が子どもをほめたとする。
そのときは、その子どもはそれを、軽く受け流す。
私が言った言葉に、重きを置かない。
たとえば、「君の空間思考力には、ものすごいものがある」と、私が言ったとする。
そのときは、子どもは、「そんなものかなあ……」と思ってすます。

が、しばらくしたあと、「空間思考力はすばらしい」という情報だけが、
脳みその中で熟成され、それが今度は、子どもの脳みその中で充満するようになる。
そしてこう思うようになる。

「ぼくは、空間思考能力にすぐれている!」と。

これは情報が、(仮眠)というプロセスを経て、効果をもたらしたことを意味する。
言いかえると、つまり教える側からすると、この仮眠効果をうまく使うと、子どもの
指導がうまくできる。

コツは、ポイントをとらえて、うまくほめる。
(叱ったり、欠点を指摘するときは、この方法は使ってはいけない。)
そしてその場では効果を求めない。
(求めても意味はない。)
それをブロックのように組み立てていく。

「君は、コツコツとやるところがすばらしい」
「式なんかも、だれが見ても、わかりやすい」
「考え方が緻密だね」と。

こうした情報は一度仮眠したあと、(私は「熟成」という言葉の方が好きだが……)、
子どもの脳みその中で、大きくふくらんでくる。
子どもの自信へとつながっていく。

もちろんそのとき、子どもは、私に誘導されたということは、覚えていない。
ほとんどのばあい、情報源は忘れてしまう。
だれに言われたかは、たいていのばあい、記憶に残らない。
しかし情報だけが、脳みその中に残り、その子どもを前向きにひっぱっていく。
これを「仮眠効果」という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
仮眠効果 スリーパー効果 情報の熟成 暗示 子どもの指導 林浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●一周忌

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兄につづいて、母。
昨年(08年)の8月と10月に、それぞれが他界した。
で、一周忌の法要が近づいてきた。

兄も母も、あの世へ行ったわけだが、別の仏教の教えに
よれば、つまり輪廻転生論によれば、死者は死後、即、
人間も含めて、何かの動物に生まれ変わるということに
なっている。
少なくとも、初七日から四九日までの、七法事がすめば、
成仏もすみ(?)、死者への供養は、必要ないという
ことになる。

実は、もともと釈迦は、回忌のことは何も書いていない。
もともと「回忌」というのは、中国の儒教に説かれている
風習によるもの。
それが日本に入り、最終的には、『先代旧事本紀大成経』
という偽経を生みだした。
名前からして、まったくのメイド・イン・ジャパンの偽経である。
著者は、潮音(1628~95)と言われている。

北川紘洋氏は、こう書いている。

『鎌倉時代から室町時代初期までは三十三回忌までの
十三仏事しかなかったなかったのが、室町時代を過ぎると、
これに十七回忌、二十五回忌が加わり、さらに江戸時代には
五十回忌、六十回忌とふえていった』(「葬式に坊主は不要
と釈迦は言った」・はまの出版)と。

が、それとて、一般庶民とは、無縁のもの。
仏教が大衆の世界に入り込んだのは、親鸞、日蓮らの時代から
である。
こうした法要にしても、武士、なかんずく上級武士たちの
風習であった。

(以上、参考、北川紘洋著「葬式に坊主は不要と釈迦は言った」)

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●亡くなった人たちの死を悼む

何も考えず、何も調べず、何も学ばず、過去を踏襲するのは楽なこと。
大きな川の流れに乗って、みなと同じことをしていれば、これまた楽なこと。
暇なときは、パチンコをしたり、プロ野球の実況中継を見ていればよい。
しかしそれではこの世の中、何も変わっていかない。
また本来なら、そうした流れを変えていくのは、私たち人生の先輩者である。
その先輩者である私たちが、伝統や風習の上にどっかりと腰を据え、
「昔からこうだから……」と、若い人たちを自分たちの世界に引き込んでいく。
おかしなことだが、このおかしさが改まらないかぎり、過去はそのまま意味もなく、
踏襲されていく。

死者を悼む……。
なぜ私たちが死者を悼むかと言えば、死者を悼むことによって、今、こうして
生きている私たちの「命」を大切にするためである。
もしあなたが子どもの前で、死んだペットの小鳥を、紙かなにかにくるんで
ゴミ箱へ捨てるようなことをすれば、子どもは、死というのはそういうものかと
考えるようになる。
ついで生とは、そういうものかと考えるようになる。
ペットが死んで悲しんでいる子どもの心を踏みにじることにもなる。
言いかえると、死者の死を悼むことによって、私たちは生きていることの尊さを学ぶ。
子どもたちにも、それを教えることができる。

が、このことと、法事は、まったく別のもの。
「心」と「儀式」は、まったく別のもの。
心のない儀式は、ただのあいさつ。
あいさつにもならない。
しかし心があれば、儀式は、必要ない。
あっても付随的なもの。
が、この日本では、常に儀式だけが先行し、心がそれについていく(?)。
さらに悪いことに、儀式だけを繰り返して、それでもって、心をごまかしてしまう。
それでよしとして、自分の心を見つめることもしない。
それこそ立派な葬儀だったから、よし。
そうでなかったら、そうでないというような判断をくだして、それで終わってしまう。

●みんな、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ

10年前に亡くなった人を思い浮かべてみよう。
20年前でも、30年前でもよい。
そのときからその人の時計は止まる。
「もう10年!」「もう20年!」「もう30年!」と、そのつど、私たちは驚く。
昨日亡くなった人を、今日、弔(とむら)うのも、10年前に亡くなった人を、
今日、弔うのも、同じ。
20年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。
30年前に亡くなった人を、今日、弔うのも、同じ。

同じように、この先10年、20年、30年など、あっという間に過ぎる。
運がよければ、あなたは10年後も生きている、20年後も生きている、
30年後も生きている。
しかしひょっとしたら、あなたは、明日死ぬかもしれない。
明日、何かの大病を患うかもしれない。
どうであるにせよ、今、生きているとしても、10年後に死ぬのも、20年後に死ぬのも、
30年後に死ぬのも、明日、死ぬのと同じ。
わかりやすく言えば、30年前に亡くなった人も、30年後に死ぬあなたにしても、
その間に、時間的な(差)はない。
元気なうちは、それがわからないかもしれない。
しかし死に直面すれば、だれにでも、それがわかるはず。

そこに待っているのは、10年前、20年前、30年前に亡くなった人たちではない。
「10年」とか、「20年」とか、「30年」とかいう数字は消え、それが「昨日」になる。
つまり、そこで待っているのは、つい先日、つい昨日亡くなった人たちである。
あなたはそういう人たちといっしょに、死を迎える。

そう、私たちはみな、この世の中に、いっしょに生まれて、いっしょに死ぬ。
繰り返すが、その間に、時間的な(差)はない。

●日本仏教の危機

時間と空間を超越したはずの仏教が、回忌にこだわる、このおかしさ。
1年後になったら、どうなのか。
2年後(3回忌は、実質、2年後をいう)になったら、どうなのか。
亡くなった人に、そういう(数字)があること自体、バカげている。
(年齢)があること自体、バカげている。

たとえば愛する子どもを失った母親を考えてみよう。
そういう母親にすれば、毎日が悲しみ。
その悲しみは、1年たったところで、癒されるものではない。
恐らく33年たっても、癒されることはないだろう。
(数字)など、関係ない。
こんなことは、ほんの少し、頭の中で考えれば、だれにでもわかるはず。
それにもし、釈迦がそんなバカげたことを口にしたとしたら、私はまっ先に
仏教を否定する。
いや、その前に、今に至るまで、生き延びることはなかっただろう。

私は仏教徒でも、仏教哲学者でもない。
そんな私ですら、こんなことは、自分でわかる。
いわんや、戒名をや!
そんなもので成仏するのに(差)が出るとしたら、それこそ仏教は邪教。
カルト。
が、いまだにそうした風習が、伝統としてこの日本に残っている。

言うまでもなく、宗教というのは、(教え)に従ってするもの。
その(教え)を踏み外して、宗教は宗教たりえない。
もしそれが面倒というのなら、それこそイワシの頭でも拝んでいればよい。
キツネでもタヌキでもよい。
世界へ行くと、世界の人たちは、実にさまざまな動物を拝んでいる。
もしそれでも、「仏教はカルトではない」と言うのなら、その道のプロたちが、
率先して、私たちにその(道)を示してほしい。
でないと、……というより、このままだと、日本の仏教は宗教としての
意味を見失ってしまうだろう。

兄と母の一周忌を前にして、再び、宗教について考えてみたい。

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7~10年前に書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++

●生きる意味

 幼児を教えていて、ふと不思議に思うことがある。子どもたちの顔を見ながら、「この子
たちは、ほんの五、六年前には、この世では姿も、形もなかったはずなのに」と。しかし
そういう子どもたちが今、私の目の前にいて、そして一人前の顔をして、デンと座ってい
る。「この子たちは、五、六年前には、どこにいたのだろう」「この子たちは、どこからき
たのだろう」と思うこともある。

 一方、この年齢になると、周囲にいた人たちが、ポツリポツリと亡くなっていく。その
ときも、ふと不思議に思うことがある。亡くなった人たちの顔を思い浮かべながら、「あの
人たちは、どこへ消えたのだろう」と。年上の人の死は、それなりに納得できるが、同年
齢の友人や知人であったりすると、ズシンと胸にひびく。ときどき「あの人たちは、本当
に死んだのだろうか」「ひょっとしたら、どこかで生きているのではないだろうか」と思う
こともある。いわんや、私より年下の人の死は、痛い。つぎの原稿は、小田一磨君という
一人の教え子が死んだとき、書いたものである。

+++++++++++++++++++++

「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘
病生活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使
えるか」と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここ
から出してほしい」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの
近代的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を
折らせたときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあ
った。皆でワイワイやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一
年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつ
ようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際
には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまっ
たかのように感じた。

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何に
なりたいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカ
ーもできるし、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができな
くなる』と言いました」と。

そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞い
て、私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれ
ど、人の死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。
私は一磨君の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥
で念じた。この年齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の
数のほうが多くなる。人生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの
人生があっと言う間に終わったとしても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。
「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。汝がために鳴るなり」と。

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を
読んでいる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知
り、一磨君の両親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。
しかもあなたがこの文を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれ
ない。しかし心がつながったとき、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨
君も、皆さんの心の中で生きることができる。それが重要なのだ。

 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、
そして仕事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と
言いながら、その瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、
今ここで、私たちは生きていることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養にな
る。」


 あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典の
ひとつ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。

 「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。わかりやく言えば、「ない」と。
「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうし
た常識は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常
識と考えてよい。もっとはっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。
そうした例は、無数にある。

 たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護
摩(ごま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀
式であって、それ以外の何ものでもない。むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」
と教えている。(「バラモンよ、木片をたいて、清浄になれると思ってはならない。なぜ
ならこれは外面的なことであるから」(パーリ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」))

 釈迦の死生観をどこかで考えながら、書いた原稿がつぎの原稿である。

「家族の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな
親子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶさ
れると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなけ
ればいい」とか願うようになる。
 
「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がい
た。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」
と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、や
がてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どう
して?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れ
ることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日
まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したこ
とがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめ
るのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにし
ている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、
何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どもの
ために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子
先生*は手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親
はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰
り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)は、こう書き残してい
る。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜び
を与えられる」と。こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いった
いどれほどいるだろうか。」

 ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎの
ように述べている。

 「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励
む人は死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素
行が悪く、心が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きる
ほうがすぐれている。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに
明らかな智慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力も
なく一〇〇年生きるよりは、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」
(二四・三~五)(中村元訳)と。

 要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きる
ことは美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二
〇年ではわからないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。

 先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかし
さが、どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら
覚えた。話を聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新
聞はスポーツ新聞だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。

 つぎの原稿は、そうした生きざまについて、私なりの結論を書いたものである。

++++++++++++++++++

●子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちが
なぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではな
いのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、
意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自
信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはな
ぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇
年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではな
いが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。
 
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸
福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるために
は)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。
つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、
(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチ
ャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。
みんな必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投
げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだま
する。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋
めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言
うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、
そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、
ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわから
ない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問
われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その
生きざまでしかない。あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりな
がら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほう
も、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれ
と同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教
えてくれる。」

 私も、つぎの瞬間には、この世から消えてなくなる。書いたものとはいえ、ここに書い
たようなものは、やがて消えてなくなる。残るものといえば、この文を読んでくれた人
がいたという「事実」だが、そういう人たちとて、これまたやがて消えてなくなる。し
かしその片鱗(りん)は残る。かすかな余韻といってもよい。もっともそのときは、無
数の人たちの、ほかの余韻とまざりあって、どれがだれのものであるかはわからないだ
ろう。しかしそういう余韻が残る。この余韻が、つぎの世代の新しい人たちの心に残り、
そして心をつくる。
 
言いかえると、つまりこのことを反対の立場で考えると、私たちの心の中にも、過去に
生きた人たちの無数の余韻が、互いにまざりあって、残っている。有名な人のも、無名
な人のも。もっと言えば、たとえば私は今、「はやし浩司」という名前で、自分の思想を
書いているが、その実、こうした無数の余韻をまとめているだけということになる。そ
の中には、キリスト教的なものの考え方や、仏教的なものの考え方もある。ひょっとし
たらイスラム教的なものの考え方もあるかもしれない。もちろん日本の歴史に根ざすも
のの考え方もある。どれがどれとは区別できないが、そうした無数の余韻が、まざりあ
っていることは事実だ。

 この項の最後に、私にとって「生きる」とは何かについて。私にとって生きるというこ
とは考えること。具体的には、書くこと。仏教的に言えば、日々に精進することという
ことになる。それについて書いたのがつぎの文である。この文は、中日新聞でのコラム
「子どもの世界」の最終回用に書いたものである。

++++++++++++++++++++++

●「子どもの世界」最終回

●ご購読、ありがとうございました。

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新
聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、とき
どき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中か
ら引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代
の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書
くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。
反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」
と怒っている人だっているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野
を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、そ
れは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくは
ないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまっ
た!」と思うことが多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にと
って「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなの
だ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひ
ょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。
そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事
があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと
私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出てい
る朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころに
なると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会
話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうご
ざいました。」 
(02-7-23)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●最悪の食糧危機(The Worst Food Shortage of North Korea)

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K国は現在、1990年以来、最悪の
食糧危機に見舞われているという。

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『国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、5月28日、
世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。この中でK国について、
「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面する一方、当局は
人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した』(時事通信より
抜粋※)と。

同じくWFPも『世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情が極めて深刻な状態にあると
して、国際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過
去3週間にわたって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1
990年代以降では最悪の状況にあるとしていると紹介している」と報告している(※)。

+++++++++++++++++

こうした中、時事通信はさらにこう伝える。

『こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている』と。

「食料不足の報が全国に広がるのを防ぐため、長距離電話回線が遮断された!」
そういうことを平気でするところが、恐ろしい!
「ここまでやるか!」というのが、私の印象。
人民、つまりK国の国民こそ、えらい迷惑。
迷惑というより、犠牲者。

が、相変わらずの大本営発表を繰り返しているのが、K国の国営通信。
つぎの記事を読んで、笑わない人はいないだろう。

『K国の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は7日の論評で、金xx総書記が経済再建や国民
生活向上のため「昨年末から約2カ月間、家に戻れず列車で生活しながら、人民経済のさ
まざまな部門で現地指導を続けている」とする発言を伝えた』(5月7日)と。

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

●いっしょに心中してはいけない!

K国が何を画策しているにせよ、またどんな挑発的行為をしてくるにせよ、
日本は、K国を相手にしてはいけない。
あんな国をまともに相手にしてはいけない。
それとも、日本は、あんな国と心中でもするつもりなのか。

ここは無視。
ひたすら無視。
放っていおいても、K国は、自ら墓穴を掘って自滅する。
今朝(5・29)の報道によれば、さらなる挑発的行為として、K国は、今度は
ICBM(大陸間弾道弾)の発射実験をするかもしれないという。

したければさせておけばよい。
自ら、先の「人工衛星発射」が、ウソだったことを暴露させるようなもの。
あのときも、「宇宙開発は、全民族の共通の権利である」というようなことを言っていた。
そして「それを迎撃したら、即、宣戦布告行為とみなす」と、まあ、威勢のよいことを
言っていた。

ICBMともなれば、当然、日本の上空を通ることになると思うが、ここは無視。
ひたすら無視。
負けるが勝ち。
今、日本にとってもっとも重要なことは、K国もさることながら、国際世論でもって、
中国を追い詰めること。
中国に行動させること。
中国が行動すれば、K国は、一気に崩壊に向かう。
決して日本だけが、単独で行動してはいけない。
200~300発のノドンが、すでに日本をターゲットにしていることを忘れては
いけない。

まず日本の国益を守る。
日本の平和と安全を守る。
今、もし、たとえ1発でも、ノドンが東京の中心に撃ち込まれたら、日本はどうなるか。
日本の経済はどうなるか。
日本は丸裸以上の丸裸。

ここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
あんな国を相手にしてはいけない。
またその価値もない。
ないことは、アムネスティの年次報告書を読めばわかるはず。
決して勇ましい好戦論にまどわされてはいけない。

もちろん日本が攻撃されたら、そのときはただではすまさない。
そういう気構えはもつ必要がある。
しかし今は、じっとがまんのとき。

1990年末の食糧危機のときは、金xxは、中国へ亡命する一歩手前だった。
恐らく今回も、それ以上のことを考えているはず。
それがK国軍部のあせりとなって表れている。

人工衛星、核実験、ミサイル発射などなど。
それらを断末魔の叫び声と理解すれば、K国の内部事情もわかろうというもの。

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

(注※1)【ロンドン28日時事】国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(本
部ロンドン)は、28日、世界の人権状況をまとめた年次報告書(2009年度版)を公表。こ
の中でK国について、「1990年代後半以降で最悪」という危機的なレベルの食料難に直面す
る一方、当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っていると批判した。

 報告書によれば、K国は「過去10年間で見られなかった規模」の飢餓に見舞われ、何百
万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食
いつないでいる人も多いという。

 こうした状況にもかかわらず、K国当局は米国からの食料支援受け取りを拒否した上、
昨年3月末には米国の人道団体の国外退去を命令。食料不足の報が全国に広がるのを防ぐ
ため、長距離電話回線が遮断されたとも伝えられるとしている。(時事通信・5月28日)


Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

(注※2)世界食糧計画(WFP)がK国の食糧事情が極めて深刻な状態にあるとして、国
際社会に対し約6千万ドル(約65億3000万円相当)の資金援助を要請。過去3週間にわ
たって実施した現地調査で、約半数の世帯が1日2食の生活を強いられる1990年代以降で
は、最悪の状況にあるとしていると紹介している。食糧事情悪化の原因として、2007年の
大規模な洪水被害、不良な農作物収穫、輸入や援助減少をあげている。(引用:産経新聞、
中日新聞)


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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