2009年7月15日水曜日

*House Education (401-420)

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(401)

●忠臣蔵論

 浅野さん(浅野内匠頭)が、吉良さん(吉良上野介)に、どんな恨みがあったかは知らないが、ナイフ(刀)で切りかかった。傷害事件である。が、ただの傷害事件でなかったのは、何といても、場所が悪かった。浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。今風に言えば、国会の中の廊下のようなところだった。浅野さんは、即刻、守衛に取り押さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。「たかが傷害事件で死刑とは!」と、今の人ならそう思うかもしれない。しかし三〇〇年前(元禄一四年、一七〇一年)の法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召しあげ)。今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、四二九人(藩士)の失業者が出た。自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体がつぶれた。もともと何かと問題のある自治体だった。

わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首長の交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらされることはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。当時の主従関係は、下の者が上の者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。今でもその片鱗はヤクザの世界に残っている。親分だけを取り替えるなどということは、制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、最終的には吉良さんを暗殺した。「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむにやまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そうでもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。だったら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。「死刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。もっとも当時は封建時代。幕府にたてつくということは、制度そのもの否定につながる。自分たちが武士という超特権階級にいながら、その幕府を批判するなどということはありえない。そこで、その矛先を、吉良さんに向けた。

 ……日本人にはなじみのある物語だが、しかしオーストラリア人にはそうでなかった。一度、この話が友人の中で話題になったとき、私は彼らの質問攻めの中で、最終的には説明できなくなってしまった。ひとつには、彼らにもそういう主従関係はあるが、契約で成りたっている。つまり彼らの論理からすれば、「軽率な振るまいで子分の職場を台なしにした浅野さん自身に、責任がある」ということになる。

 さてあなたなら、こうした疑問にどう答えるだろうか。彼らにはたいへん理解しがたい物語だが、その理解しがたいところが、そのまま日本のわかりにくさの原点にもなっている。「日本異質論」も、こんなところから生まれた。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(402)

●政治家へのワイロ

 ある県のある都市での話。もう時効になったと思うから話す。今から三〇年ほど前には、その都市の市議会議員への謝礼は、一回の口利きで、一〇~一五万円(当時)と相場が決まっていた。

たとえば就学前の学校区変更でも、正当な手続きをふむと、最低でも二~三か月はかかった。しかしこれではA小学校への入試には間にあわない……というようなとき、そのスジの人の紹介で、親は市議会議員の自宅へ走る。そうするとたいてい一、二週間のうちには、学校区の変更ができた。そのときの謝礼もやはり、一〇~一五万円だった。

もちろんこうしたことをよしとしない議員もいただろうが、この話をしてくれた人は、「そういう議員はこの町にはいなかったなア」と言った。

 今朝の新聞(〇二年六月)によれば、国会議員の鈴木M氏も、同じように謝礼を受け取っていたという。その額、六〇〇万円! 一回の口利きで、である。しかもその謝礼を払った会社は、いままでほとんど話題になったことがない会社である。

ということは、鈴木M氏は、無数の、こうした謝礼を受け取っていたのではないかという疑惑がわいてくる。……と言っても、私は驚かない。三〇年前の市議会議員が一〇万円とするなら、現在の国会議員が六〇〇万円というのは、それなりに連続性がある。この世界にはこの世界の、ルールや相場というものがあるらしい。それがよいとか悪いとか言う前に(悪いに決まっているが)、政治というのは、そういう「しくみ」で動くらしい。

 だからといって、私は政治家が悪いといっているのではない。私はたびたび自分の頭の中で、こんなシミュレーションをしてみる。仮に目の前に数一〇〇万円の現金が置かれたとする。そのときたった一回の電話でそれが自分のものになるとしたら、それを断わる勇気が、私にはあるか、と。

で、何度シミュレーションしても答は同じ。「私にはその勇気はない」だった。恐らく私のように、来月の生活費はともかくも、これから先、老後をどうやって過ごそうかと考えている人なら、多分、私と同じことを考えるだろうと思う。いわんや来月の生活費をどうしようと考えている人なら、数一〇〇万でなくても、数一〇万円でもありがたい。あるいはあなたならこういうばあい、どうするか?

 こうした人間の弱さをコントロールするには、厳罰主義しかない。たった一回でもワイロを受け取ったら、一〇年の懲役刑にするとか、そういうふうにする。私にしても、一〇年の懲役刑はこわい。もしそうなら、数一〇〇〇万円でも、私は受け取らない。机の上に積まれた札束を見ただけで、私はふるえあがるだろう。

 幸か不幸か(本当のところ、どちらかよくわからないが)、私はいまだかって、そういう苦しい(?)立場に置かれたことがない。また自分のそうした弱さを知っているから、私は政治家にはなれない。仮にワイロを断わったとすると、あとで後悔するかもしれない。「ああ、あのときもらっておけばよかった」と。だから要するに、そういう世界とは近づかないことだと心に決めている。ちなみに私は過去三〇年間、無数の子育て相談に応じてきたが、一度だって、お金を請求したことも、受け取ったこともない。念のため。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(403)

●不安の構造

 生きることには不安はつきものか。若いころは若いころで、自分の将来に大きな不安感をもつ。結婚してからも、そして子どもをもってからも、この不安はつきることがない。それはちょうど健康と病気のような関係ではないか。健康だと思っていても、どこかに病気、あるいはそのタネのようなものがある。本当に健康だと思える日のほうが、少ない。

言いかえると、その不安があるからこそ、人はその不安と戦うことで、生きる力を得る。もしまったく不安のない状態に落とされたら、その人は生きる気力さえなくしてしまうかもしれない。いや、不安と戦うたびに、人は強くなる。とくに子育てにおいては、そうだ。こんなことがあった。

 アメリカにいる二男からある日、こんなメールが届いた。「一六輪の大型トラックが、ぼくの車にバックアップしてきて、ぼくの車はめちゃめちゃになってしまった」と。「バックアップ」の意味を、私は「追突」ととらえた。私は大事故を想像し、すぐ電話を入れたが、つながらない。ますます不安になり、アメリカ人の友人にも、様子を調べるよう依頼した。当時ガールフレンドもいたので、そちらにも電話した。

が、アメリカは真夜中のことで、思うように連絡がとれない。気ばかりがあせって、頭の中はパニック状態になった。

 で、(アメリカの)翌朝、電話がやっとつながった。話を聞くと、「ガソリンスタンドで停車していたら、前にいた大型トラックがバックしてきて、自分の車の前部にぶつかった」ということだった。「バックアップ」の意味が違っていた。私はひとまず安心したが、それ以後、どういうわけか、二男の運転のことでは心配にならなくなった。

それまでの私は、「交通事故を起こすのではないか」と、毎日のように、そればかりを心配していた。が、その事件以来、そういう心配をしなくなった。ほかに以前は、二男が日本とアメリカを往復するたびに、飛行機事故を心配したが、一度、二男が乗るべき飛行機に乗らず、しかも乗客名簿に名前がないことを知って、おお騒ぎしたことがある。

そのときも、二男はただ飛行機に乗り遅れただけということがわかって、安心したが、以後、二男の飛行機では心配しなくなった。……などなど。

 親というのは、子どものことで心配させられるたびに、そしてその心配を克服するたびに、大きく成長(?)するものらしい。「あきらめる」ということかもしれない。つまりそういう形で、人生の一部、一部を、子どもに手渡しながら、子離れしていく。

 さて今、私は老後のことを考えると、不安でならない。あと一〇年は戦えるとしても、その先の設計図がまったくわからない。へたをすると、それ以後は収入さえなくなるかもしれない。しかし、だ。そういう不安があるから、今こうして、仕事をする。懸命に仕事をする。安楽に暮らせる年金が手に入るとわかったら、恐らくこうまでは仕事をしないだろう。不安であることが悪いことばかりではないようだ。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(404)

●生きる源流に視点を

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。

が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・ため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということになる。

仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。

ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭をかかえてしまう。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(405)

●Nさんの相談より

Nさん(九州福岡)の相談より。「最近、息子(中一)の勉強が空回りしているようです。国語嫌いがたたって、その影響がすべての科目に出てきています。せっかく買った月刊のワークブックも、このところやらないまま、たまっていく一方です。このままうちの子がダメになるのではないかと、心配でなりません。どうしたらいいでしょうか」と。つづいて息子(M君とする)について、詳しく書かれていた。

M君は小学生のころから、国語が苦手だった。漢字がつまずきの原因だった。そのため本を読むのが嫌いになった。やさしい性格がかえってわざわい(?)して、競争心が弱く、何でも「まあ、まあ」という状態ですますようになった。図書館へ毎週連れていって、読書をするよう指導はしてみたが、効果は一時的だったように思う。

とくに漢字については、(できない)→(逃げる)の悪循環の中で、ますます苦手になっていった。そしてその結果(?)、社会も理科も、漢字を使うところでつまずいてしまっている。能力的には、問題はないと思う。頭のやわらかさ、思考力も、ふつうの子ども以上にある、と。

 国語がすべての科目に影響するということは、よくある。日本のばあい、理科、社会という科目についても、「理科的な国語」「社会的な国語」と思ったほうがよい。だから国語力(読解力、表現力、表記力)が落ちると、同時に理科や社会の成績が落ちるということはよくある。

反対に、国語力があがると、同時に理科や社会の成績があがるということもよくある。(もちろん理科でも、数学的な部分はあるし、数学でも国語的な部分はある。)だから小学校の低学年児についていえば、ここでいう国語力の養成を大切にする。

方法としてはすべて、本読みにはじまり、本読みに終わる。本来ならその方向性に従って、子どもの教育は始まるのだが、この日本では、書き順だの、トメ、ハネ、ハライだの、そういう「形」ばかりにこだわる。こだわることは、オーストラリアの教育とくらべてもそれがよくわかる。たった二六文字しかない英語にしても、書き順など、ない。スペル(つづり)にしても、彼らは実に自由に書いている。

一度壁に張られた子どもたちの作文を見て私は驚いた。そこで先生(小三担当)に「なおさないのですか?」と聞くと、その先生は笑ってこう言った。「シェークスピアの時代から、正しいスペルというのはありません。大切なのはルール(文法やスペル)ではなく、中身です」と。残念ながら、日本には、こういうおおらかさはない。ある小学校の校長は私にこう言った。「林先生は、そうは言うが、書き順などというのは、最初にしっかり教えないと、なおすことができないのです」と。

 だったら私はあえて言う。書き順など、どうでもよいではないか。「口」という漢字にしても、四角を書けば、それでよい。どうして日本人よ、そんな常識がわからないのか! 大切なのは、ルールではなく、中身だ。どうして日本人よ、そんな常識がわからないのか!  ある程度できればそれでよしとする「おおらかさ」が、子どもを伸ばす。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(406)

●Nさんの相談より(2)

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メチャメチャだ。ちゃんと見てほしい」と。私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したときのことである。

あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そういうときも私は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がちがっているのに、どうして丸をつけるのか!」と。

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。最近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」と。私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意された。書道の先生ということもあった。

そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願すると、その先生はこう言った。「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほうがよい」と。そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。書き順どころではない。文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。

 近く小学校でも、英語教育が始まる。その会議が一〇年ほど前、この浜松市であった。その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれた。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり二画と決まりました。同じようにMとWは四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもないような書き順が、この日本にあるとは! 

そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、二五度傾けて書けと教えられたことがある。今から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろくない。つまらない。

たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになってしまう。日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。「型」と「個性」は、正反対の位置にある。子どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。子どもはやる気をなくす。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(407)

●Nさんの相談より(3)

 正しい文字かどうかということは、つぎのつぎ。文字を通して、子どもの意思が伝われば、それでよし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみを覚える。

オーストラリアでは、すでに一〇年以上も前に小学三年生から。今ではほとんどの幼稚園で、コンピュータの授業をしている。一〇年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、フロッピーディスクで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きかわった。先生と生徒が、常時インターネットでつながっている。こういう時代がすでにもう来ているのに、何がトメだ、ハネだ、ハライだ! 

(注:この原稿を書いたのは、2000年ごろです。)

 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきになったとしても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。それについては、また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。

左利きにしても、人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三~四%)。原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

一般的には乳幼児には左利きが多く、三~四歳までに決まるが、どの説にせよ、左利きが悪いというのは、あくまでも偏見でしかない。冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き用にはできているが、しかしそんなのは慣れ。慣れれば何でもない。

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが一生懸命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。これは幼児教育の大原則。昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」と。しかし愚かな人はタイを釣る前に、エビを食べてしまう。こまかいこと(=エビ)を言って、子どもの意欲(=タイ)を、そいでしまう。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(408)

Nさんの相談より(4)

 「書き順などなくせ」という私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその一つ。それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教えておかないと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。

しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、ハライが美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、そういう「美」を、勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字の役目は、意思を相手に伝えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的がどこかへ飛んでいってしまう。

私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよく思い出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆をはさんで文字を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し訳ないことをしたと思っている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを織り込んだ。

ついでながら、経済協力開発機構(OECD)が調査した「学習到達度調査」(PISA・二〇〇〇年調査)によれば、「毎日、趣味で読書をするか」という問いに対して、日本の生徒(一五歳)のうち、五三%が、「しない」と答えている。この割合は、参加国三二か国中、最多であった。また同じ調査だが、読解力の点数こそ、日本は中位よりやや上の八位であったが、記述式の問題について無回答が目立った。無回答率はカナダは五%、アメリカは四%。しかし日本は二九%! 

文部科学省は、「わからないものには手を出さない傾向。意欲のなさの表れともとれる」(毎日新聞)とコメントを寄せているが、本当にそうか? それだけの理由か? 日本の子どもたちの読書嫌いの「根」は、もっと深いとみるべきではないのか。

 
 


ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(409)

●Nさんの相談より(5)

 アメリカでは、読書指導が、学校での教育のひとつの大きな「柱」になっている。どこの小学校を訪れても、図書室が学校の中心部、あるいは玄関のすぐ奥にある。図書室には、専門の司書(ライブラリアン)がいて、子どもたちは週に一度の、読書指導が義務づけられている。

私が「コンパルサリー(義務教育)ですか?」と聞くと、担当の先生は、「そうです」(アーカンソー州)と笑った。ふつうの教師は大学卒の学位をもった人でもできるが、司書は、大学院を出たマスターディグリー(修士号)をもった先生があたるとのこと。つまり「それだけ重要」というわけである。

 日本でも最近、読み聞かせや、読書指導に力を入れる学校がふえてきた。日本独自の姿勢というよりは、「外国の教育との、あまりの違い」の差をうめるために、そうなりつつあると考えるほうが正しい。

しかしよい傾向であることには、違いない。言うまでもなく、文字にはふたつの美しさがある。ひとつは、「形」としての美しさ。もうひとつは、「文」としての美しさ。しかし「形」としての美しさは、その道の書道家に任せればよいことであって、「文」としての美しさと比べれば、かぎりなくマイナーな部分である。現に今、私はこうして文章を書いているが、一〇〇%、パソコンを使って書いている。「形」と「文」は、まったく異質のものである。

ある程度は「形」も尊重しなければならない。しかしそれはあくまでも「ある程度」。文字が文字であり、言葉が言葉であるのは、「形」ではなく、「文」であるからにほかならない。
 で、問題は、いかにすれば、子どもを読書好きにさせることができるか、である。これについてはいくつかのコツがある。

(1) 子どもの方向性をみる……子どもの好きな分野の本を与えるということ。子どもがサッカーが好きなら、サッカーの本で、よい。よく「夏休みの推薦図書」などという名前にだまされて(失礼!)、どこか文学もどきの本を、「それがいい本」と錯覚して子どもに与える親がいる。しかし実際、自分で読んでみることだ。おもしろいか、おもしろくないかということになれば、あれほどおもしろくない本もない。

(2) レベルをさげる……子どもに与える本は、思い切って一、二年レベルをさげる。もともとレベルなどというものはないはずだが、おかしなことに、この日本にはある。「うちの子は読書が苦手」と感じたら、レベルをさげる。自分の子どもが小学三年生であったりすると、親は「小学四年」と書かれた本に手が届くが、そういうちょっとした無理が、子どもを本嫌いにする。

(3) 読書を楽しむ……ここが一番重要だが、読書の楽しさを子どもといっしょに味わう。しかし実際には、今、年中児(四歳)でも、「名前を書いてごらん」と指示すると、体をこわばらせる子どもが、二〇%はいる。泣き出す子どもすらいる。家庭での無理な指導が、明らかに子どもを文字嫌いにしていると考えられる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(410)

●Nさんの相談より(6)

 中学生になって国語嫌いが表面化すると、その影響は理科、社会、さらには英語という科目にまで影響する。漢字にしても、理科では、「細胞」を、「さいぼう」とひらがなで書いても、一応「丸(○)」ということになっているが、誤字で書かれていたりすると、その丸をつけることもできない。

さらに英語となると、「私は走る」と、「私は走っている」の意味の違いがわからないと、進行形を教えることすらできなくなってしまう。最近では「I  AM  RUNNING.」を「私、走っているのよ」と訳してもよいではないかという意見もある。

しかし感覚的でもよいから、「走る」(事実)と、「走っている」(進行中)の意味の違いがわかっていてそういう訳をつけるのと、意味の違いがわからないままそういう訳をつけるというのでは、中身はまったく違う。先へ進めば進むほど、子どもは混乱する。少なくとも、現在の受験英語では、混乱する。

 そこで私は一度こういう症状が子どもに見られたら、もう一度、読書指導をすることにしている。方法としては、毎週一冊、文庫本を読ませるという方法がある。その時期は早ければ早いほど、よい。たとえばこの静岡県では、高校入試が受験競争の関門になっているので、遅くとも中学一年前後にはそれを始める。二年、三年になれば、読書だけをしているというわけにはいかない。

しかも実際には、仮に子どもの同意があったとしても、そうはうまくはいかない。読書を好きにさせるということよりも、その前に、子どもの心をがんじがらめに取り巻いている「嫌い」のヒモを、一本ずつ解きほぐさねばならない。その作業が、これまたたいへんである。やり方をまちがえると、子どもをますます国語嫌いに追いやってしまう。

 が、一つ、望みがないわけではない。実のところ私の二男も三男も、私が「書き順など、どうでいい」という考え方をしていたこともあり、大の国語嫌いになってしまった。そのため国語のみならず、社会、理科、さらには英語でも苦しんだが、しかしそれも高校へ入ると、消えた。

(そういう意味では高校はおおらかなところで、三男などは、「口」という漢字にしても、左下から上方向へ、そこから右へと四角を書いていたが、だれもとがめなかった。今でもほとんどの文字を、我流で書いている。)それからは自由に、文を読んだり、書いたりするのを楽しむようになった。

そういう意味で、「国語嫌い」は一時的なものと考えてよい。それより大切なことは、こまかいことを、うるさく言い過ぎて、その土台まで崩してしまわないこと。「だれでも苦手なところはある」というような言い方でカバーしてあげることではないのか。たとえそれが、あらゆる科目に影響を与える国語力であっても、だ。そういうおおらかさがあると、子どもは自分で立ちなおることができる。

 何とも実務的な話になってしまったが、(私はこういう話はあまり好きではない)、大学受験を最終的な目標とするなら、そういうことになる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(411)

●最後の受験指導

 ある日ふと見ると、三男がさみしそうにパソコンをいじっていた。どこかうわの空という感じだった。そこで私が「大学なんてものはね、行ける大学へ行けばいいのだよ」と声をかけると、三男はしばらく黙ったあと、こう言った。「パパ、ぼくを、中学三年のときのように、しぼってよ」と。

 三男は市内でも一番という進学高校へは入ったものの、ほとんど勉強しなかった。部活に生徒会活動、そんなことばかりしていた。そのときも高校の文化祭の実行委員長をして、ちょうどそれが終わったときだった。部活も山岳部に属し、その部長を務めていた。

中学の終わりまでは私も三男の成績を知っていたが、高校へ入ってからは成績表すら見たことがなかった。女房の話では、「英語以外は、クラスでもビリよ」ということだった。三男が苦しんでいる姿が私にもよくわかった。三男がこれから高校三年生になるという三月のはじめのことだった。

 私は「わかった。しかし明日からではない。これからだよ」と言うと、三男は元気よくうなずいた。私は受験指導に関しては自信があった。恐らく私の右に出る教師はいないと思っている。英語にしても、数学にしても、予習なしで高校三年生を教えられる教師は、そんなにいない。が、私はできた。ポイントもコツも知り尽くしている。しかしそれをさかのぼる一〇年ほど前、大学の受験指導とは縁を切った。むなしい稼業だった。

 私はその夜、三男の勉強を四時間みた。つぎつぎとプリントをつくり、それを三男につぎつぎとさせるという指導法である。私が本気で指導するときは、いつもこの方法をつかう。しかし五〇歳を過ぎた私には決して楽な指導法ではない。一、二時間もこれをすると、ヘトヘトに疲れる。が、私は私よりも、三男の様子が気になった。黙々と従う姿を見ながら、私は私で懸命にプリントを作った。

が、予定の四時間が終わると、三男はそれまで見せたことがないすがすがしさを私に見せた。「明日も四時間するよ」と私が言うと、三男はうれしそうにうなずいた。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(412)

●三男の受験勉強(2)

 それから一か月、私はかかさず毎晩四~五時間、三男の受験勉強をみた。土日は、七~八時間になることもあった。最初の数週間は英語だけ。それから少しずつ数学へと範囲を広げていった。「得意な科目からすればいい」と私は言った。

「まず英語をかたづけよう」と。で、英語は高校三年の教科書は、二週間程度で終わった。つづく数一、数二Bもつぎの数週間で終わった。山のようになったプリントを見ながら、三男はうれしそうだった。毎晩勉強が終わると、プリントの枚数を札束でも数えるかのように一枚一枚数えていた。

しかしさすがの私も体力の限界を感じ始めていた。三男は私が仕事から帰るのを待ちながら、それまで自分のベッドで眠った。そんなわけで三男の受験勉強を始めるのは、午後一〇時ごろということになった。そして朝方の二時、三時前後までつづく。三男はともかくも、私も頭を使うため、脳が覚醒してしまい、眠られない日がつづいた。三か月目に入ると、勉強時間はさらに五時間から六時間へとふえた。私も最後の気力をふりしぼって、三男と対峙した。「これが最後の受験指導だ」と。

 そのころになると高校での模擬試験にも、少しずつだが効果が見え始めた。志望校はY大の工学部建設学科。三男はいつしか宇宙工学をしたいと言っていた。しかしそれまでの模擬試験の結果はEランク。Aランクが合格圏、Bランクが合格可能圏。Cランクは努力圏。D、Eランクは番外で、「とても無理」という状態だった。

 が、三男は、私がギブアップしてからも、つまり私は四か月目に入るとき、「とてもつきあいきれない」と、三男から離れたあとも、ひとりで受験勉強をつづけた。それは私から見ても、ものすごいがんばり方だった。学校の帰りに、ひとりで予備校の自習室へしのび込み、そこで毎晩夜一一時まで勉強した。時間数にすれば、毎晩七時間ということになる。あとになって三男はこう言った。「毎晩、頭が熱くなりすぎて、気がヘンになりそうだった」と。

 で、夏休みが終わるころには、Cランクになり、Bランクに入るようになった。さらにセンター試験を受けるころにはAランクになった。その結果だが、三男は、Y大の工学部へ、センター試験の結果では、学部二位の成績で合格した。東大の工学部へも楽に入れる成績だった。しかしそれが私の最後の受験指導の終わりでもあった。

 三男が合格発表を受けたとき、私は女房にこう言った。「これでぼくは、父親としてやりのこしたことはない」と。うれしかったというより、親としての満足感のほうが強かった。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(413)

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。

二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。

その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。

レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(414)

●子どもの心が不安定になるとき

 子どもの心をキズつけるものに、恐怖、嫉妬、不安の三つがある。言いかえると、この三つは、家庭教育ではタブー。

 はげしい家庭騒動、夫婦げんか、叱責は、そのまま子どもにとっては恐怖体験となる。また子どもというのは、絶対的な安心感のある家庭環境で、心をはぐくむことができる。「絶対的」というのは、疑いをいだかないという意味。しかしその安心感がゆらぐと、子どもの心はゆがむ。すねる、いじける、ひねくれる、つっぱるなど。

その一つに赤ちゃんがえりと言われる、よく知られた現象がある。下の子どもが生まれたことなどにより、上の子どもが、赤ちゃんぽくなったりすることをいう。しかしたいていのケースでは、その程度ではすまない。すまないことは、たとえばあなたの夫に愛人ができた状態を想像してみればわかる。あなたは平静でいられるだろうか。もっともおとなのばあいは、理性の範囲で処理できるが、子どものばあいは、それが本能の領域まで影響を与える。赤ちゃんがえりがこじれると、精神状態そのものがおかしくなることがある。

 叱責も、ある一定の範囲、つまり親子のきずながしっかりしていて、その範囲でなされるなら問題はない。しかしその範囲を超えると、子どもの心に深刻な影響を与える。ある女の子(ニ歳児)は、母親に強く叱られたのが原因で、一人二役の、ひとり言を言うようになってしまった。母親は「気持ちが悪い」と言ったが、一度こういう症状を示すと、なおすのは容易ではない。ほかにやはり強く叱られたため、自閉傾向(意味もなく、ニヤニヤと笑うなど)を示すようになった男の子(年中児)もいた。

 とくに〇歳から少年少女期へ移行する満五歳前後までは、この三つについては、慎重でなければならない。心豊かで、おだやかな家庭環境を大切にする。とくにここにあげたような恐怖体験は、冒頭にタブーと書いたが、タブー中のタブーと心得る。

 さらに万が一キズつけてしまったら、つぎの二つに注意する。ひとつは、同じようなキズを繰り返しつけないこと。繰り返せば繰り返すほど、キズは深くなり、長く残る。もう一つはキズのことを気にしないこと。このタイプのキズは、遠ざかること(できるだけ忘れること)で、対処する。そのほうが立なおりを促す。親が気にすればするほど、やはりキズは深くなり、長く残る。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(415)

●子はかすがい?

 コの字型の大型のクギを、かすがいという。夫婦の間を、ちょうどそのかすがいのように子どもがつなぎとめるので、「子はかすがい」という。しかし本当にそうか? 中には、子どもがいるため、離婚したくても離婚できず、悶々と苦しんでいる夫婦がいる。

こういうケースでは、子はかすがいどころか、子は足かせということになる。つまり「子はかすがい」は、「夫婦は別れるものではない」が、前提になっている。しかし「夫婦だって別れることもある」が、前提になると、「子はかすがい」説は吹っ飛んでしまう。多少ニュアンスは違うが、日本には、「子は三界の首かせ」ということわざもある。「親というのは、子どもを思う心で、一生の自由を奪われるものだ」(事典)という意味だ。

 どちらにせよ、こうした言い方をすることにより、人はものの本質を見誤る。とくに人と人の関係は、安易なことわざや、格言で決めてかかってはいけない。日本人はどうしても、ものごとを「型」にはめて考える傾向が強い。そのほうが考えることを省略できるからだ。便利といえば便利だが、その便利さに溺れるあまり。自分を見失う。

たとえば年配の女性が、わかったようなフリをして、「子はかすがいだからねえ」と言ったりする。あなたもそう言われたことがあるだろう。しかし実のところ、その女性は何もわかっていない。何も考えていない。こうした例は、ほかにもある。

 「親なら子どもを愛しているはず」「子を思わない親はいない」「親子の縁など、切れるものではない」「子が親のめんどうをみるのは当たり前」などなど。こうした言い方は、それなりの家庭にいる人がよく使う。しかしみながみな、それなりの家庭にいるとはかぎらない。たとえば今、人知れず、わが子を愛することができず苦しんでいる母親は、七~一〇%はいる。

はっきりとした統計があるわけではないが、「子どもなんてうんざり」「わが子でも、もう顔もみたくない」と思っている親も、同じくらいはいる。さらに「子が親のめんどうをみるのは当たり前」という常識(?)に甘えて、それを暗に子どもに強制している親となると、いくらでもいる。あるいは子ども自身がその常識にがんじがらめになって、苦しんでいる人も多い。

 日本人は今、旧来の家庭観から急速に脱皮しようとしている。しかしそのとき、こうした旧来の常識(?)が、まさに足かせになることが多い。その一例として、ここでは「子はかすがい」ということわざを取りあげたが、新しい家庭観をもつということは、こうした旧来の家庭観がもつクサリを、ひとつひとつ、ほぐしていくことでもある。それをしないと、結局は、流れそのものが、そのつど、せき止められてしまう。

「子はかずがいではない」、また「かすがいであってはならない」。つまりそういうふうに子どもを利用するのは、子どもに対して、失礼というもの。あなたの子どもだって、それを望まないだろう。ものごとは、あくまでも本質をみて、考える。判断する。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(416)

●フリーハンドの人生
 
 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。

子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられてしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。

はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。五〇歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。

こんな調査結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかいない。自由意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六三%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期にきているとみるべきではないのか。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(417)

●子離れできない親

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。

戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、三番まであるが、それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまうに違いない。

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきである。つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と織り込まれている! 

……と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。自分のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。

 子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。

いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。




 
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(418)

●考えない子ども

 「1分間で、時計の長い針は、何度進むか」という問題がある(旧小四レベル)。その前の段階として、「1時間で360度(1回転)、長い針は回る」ということを理解させる。そのあと、「では1分間で、何度進むか」と問いかける。

 この問題を、スラスラ解く子どもは、本当にあっという間に、「6度」と答えることができる。が、そうでない子どもは、そうでない。で、そのときの様子を観察すると、できない子どもにも、ふたつのタイプがあるのがわかる。懸命に考えようとするタイプと、考えることそのものから逃げてしまうタイプである。

 懸命に考えようとするタイプの子どもは、ヒントを小出しに出してあげると、たいていその途中で、「わかった」と言って、答を出す。しかし考えることから逃げてしまうタイプの子どもは、いくらヒントを出しても、それに食いついてこない。

「15分で、長い針はどこまでくるかな?」「15分で、長い針は何度、回るかな?」「15分で、90度回るとすると、1分では何度かな?」と。そこまでヒントを出しても、まだ理解できない。もともと理解しようという意欲すらない。どうでもよいといった様子で、ただぼんやりしている。

さらに考えることをうながすと、「先生、これは掛け算の問題?」と聞いてくる。決して特別な子どもではない。今、このタイプの、つまり自分で考える力そのものが弱い子どもは、約二五%はいる。四人に一人とみてよい。無気力児とも違う。友だちどうしで遊ぶときは、それなりに活発に遊ぶし、会話もポンポンとはずむ。知識もそれなり豊富だし、ぼんやり型の子ども(愚鈍児)特有の、ぼんやりとした様子も見られない。

ただ「考える」ということだけができない。……できないというより、さらによく観察すると、考えるという習慣そのものがないといったふう。考え方そのものがつかめないといった様子を見せる。

 そこで子どもが考えるまで待つのだが、このタイプの子どもは、考えそのものが、たいへん浅いレベルで、ループ状態に入るのがわかる。つまり待てばよいというものでもない。待てば待ったで、どんどん集中力が薄くなっていくのがわかる……。

 結論から先に言えば、小学四年生くらいの段階で、一度こういう症状があらわれると、以後なおすのは容易ではない。少なくとも、学校の進度に追いつくことがむずかしくなる。やっとできるようになったと思ったときには、学校の勉強のほうがさらに先に進んでいる……。あとはこの繰り返し。

 そこで幼児期の「しつけ」が大切ということになる。それについてはまた別のところで考えるが、もう少し先まで言うと、そのしつけは、親から受け継ぐ部分が大きい。親自身に、考えるという習慣がなく、それがそのまま子どもに伝わっているというケースが多い。勉強ができないというのは、決して子どもだけの問題ではない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(419)

●考えない子ども(2)

 勉強ができない子どもは、一般的には、たとえば愚鈍型(私は「ぼんやり型」と呼んでいる。この言葉は好きではない。)、発育不良型(知育の発育そのものが遅れているタイプ)、活発型(多動性があり、学習に集中できない)などに分けて考えられている(教育小辞典)。

しかしこの分類方法で子どもを分類しても、「ではどうすればよいか」という対策が生まれてこない。さらに特殊なケースとして、LD児(学習障害児)の問題がある。診断基準をつくり、こうした子どもにラベルを張るのは簡単なことだ。が、やはりその先の対策が生まれてこない。つまりこうした見方は、教育的には、まったく意味がない。

言うまでもなく、子どもの教育で重要なのは、診断ではなく、また診断名をつけることでもなく、「どうすれば、子どもが生き生きと学ぶ力を養うことができるか」である。
 そこで私は、現象面から、子どもをつぎのように分けて考えている。

(1)思考力そのものが散漫なタイプ
(2)思考するとき、すぐループ状態(思考が堂々巡りする)になるタイプ
(3)得た知識を論理的に整理できず、混乱状態になるタイプ
(4)知識が吸収されず、また吸収しても、すぐ忘れてしまうタイプ

 この分類方法の特徴は、そのまま自分自身のこととして、自分にあてはめて考えることができるという点にある。たとえば一日の仕事を終えて、疲労困ぱいしてソファに寝そべっているときというのは、考えるのもおっくうなものだ。

そういう状態がここでいう(1)の状態。何かの事件がいくつか同時に起きて、頭の中がパニック状態になって、何から手をつけてよいかわからなくなることがある。それが(2)の状態。パソコン教室などで、聞いたこともないような横文字の言葉を、いくつも並べられ、何がなんだかさっぱりわからなくなるときがある。それが(3)の状態。歳をとってから、ドイツ語を学びはじめたとする。単語を覚えるのだが、覚えられるのはその場だけ。つぎの週には、きれいに忘れてしまう。それが(4)の状態。

 勉強が苦手(できない)な子どもは、これら(1)~(4)の状態が、日常的に起こると考えるとわかりやすい。そしてそういう状態が、実は、あなた自身にも起きているとわかると、「ではどうすればよいか」という部分が浮かびあがってくる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(420)

(1)思考力そのものが散漫なタイプ

思考力そのものが、散漫なタイプの子どもを理解するためには、たとえばあなたが一日の仕事を終えて、疲労困ぱいしてソファに寝そべっているようなときを想像してみればよい。そういうときというのは、考えるのもおっくうなものだ。ひょっとしたら、不注意で、そのあたりにあるコーヒーカップを、手で倒してしまうかもしれない。だれからか電話がかかってきても、話の内容は上の空。「アウー」とか答えるだけで精一杯。あれこれ集中的に指示されても、そのすべてがどうでもよくなってしまう。明日の予定など、とても立てられない……。

もしあなたがそういう状態になったら、あなたはどうするだろうか。一時的には、コーヒーを口にしたり、ガムをかんだりして、頭の回転をはやくしようとするかもしれない。効果がないわけではない。が、だからといって、体の疲れがとれるわけではない。そういうときあなたの夫(あるいは妻)に、「何をしているの! さっさと勉強しなさい」と、言われたとする。あなたはあなたで、「しなければならない」という気持ちがあっても、ひょっとしたら、あなたはどうすることもできない。漢字や数字をみただけで、眠気が襲ってくる。ほんの少し油断すると、目がかすんできてしまう。横で夫(あるいは妻)が、横でガミガミとうるさく言えば言うほど、やる気も消える。

思考力が弱い子どもは、まさにそういう状態にあると思えばよい。本人の力だけでは、どうしようもない。またそういう前提で、子どもを理解する。「どうすればよいか」という問題については、あなたならどうしてもらえばよいかと考えればわかる。疲労困ぱいして、ソファに寝そべっているようなとき、あなたなら、どうすればやる気が出てくるだろうか。

そういう視点で考えればよい。そういうときでも、あなたにとって興味がもてること、関心があること、さらに好きなことなら、あなたは身を起こしてそれに取り組むかもしれない。まさにこのタイプの子どもは、そういう指導法が効果的である。これを「動機づけ」というが、その動機づけをどうするかが、このタイプの子どもの対処法ということになる。 

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