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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 7月 8日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●1秒は、1秒なのか?(One second for mice is equivalent to 100 seconds for men)
++++++++++++++++++++
今日の夕刊(4月30日、中日新聞)に、
こんな興味ある記事が、載っていた。
『人とマウス、行動似てる』というタイトルの
ものだった。
『(人とマウスに関して)、活動時間
や休息時間について、長いものや短いものが、
どんな頻度で現れるかを分析すると、
パターンはまったく同じで、人の動きを100倍
の速さで早回しすれば、マウスと同じになることが
わかった』と。
大阪バイオサイエンス研究所(大阪府吹田市)と
東京大学の研究チームによる、研究結果である。
記事には、『生物の行動の背後に、種を超えた基本法則
が存在する可能性を示すもの』(同)ともあった。
+++++++++++++++++++++
●庭のスズメ
たとえば庭に遊ぶスズメたちを見てみよう。
小枝から小枝へと、小刻みなリズムで、飛び回っている。
少し前、私は、それを見ながら、こんなことを考えた。
「もし人間が、同じ行動をしようとしたら、
スズメの何倍の時間がかかるだろうか?」と。
スズメたちは、数秒単位で、枝から枝へと、
ピョンピョンと飛び回る。
で、同じような枝を、パイプが何かでつくり、
人間に同じ行動をさせたら、どうだろう?
オリンピックに出るような体操選手ですら、
その10倍の時間は、かかるかもしれない。
またつぎにこんなことを考えたこともある。
一匹の蚊を頭の中で、想像してみてほしい。
その蚊が、人間の足の高さから、頭の高さまで
あがるのに、何秒くらいかかるか、と。
正確に計測したことはないのでわからないが、
ブーンと飛べば、3~4秒もかからないのでは
ないか?
そこで蚊の体長を、5ミリとして計算すると、人間の
170センチの身長は、蚊の体長の340倍の高さという
ことになる。
そこで身長が1・7メートルの人間の高さに換算すると、
1・7メートルx340=578で、約580メートル
の高さということになる。
つまり蚊は、人間にしてみれば約580メートルの
山を、3~4秒で登ったり、おりたりすることが
できるということになる。
3~4秒である。
が、これで驚いてはいけない。
●ハエは、音速の3倍以上!
ときどき家の中を、体長1センチ前後の、大きな
ハエが飛び回ることがある。
私たちが「クソバエ」と呼んでいる、黒いハエである。
あのハエは、7~8メートル四方の部屋を、
ビュンビュンと飛び回る。
そのハエについても、正確に計測したことがないので
わからないが、やはりブ~ンと飛べば、7~8メートルの
部屋を横切るのに、1秒もかからないのではないか。
そこでこれらの数字をもとにして、ハエの速度を計算してみると、
秒速7メートルとして、同じように170倍すると、
秒速1190メートルということになる。
さらにこの数字を、60x60=3600倍すると、
時速になる。
その時速は、何と、4284万000メートル。
キロメートルになおすると、4284キロメートル。
つまりあのハエは、人間の大きさで考えると、
時速4000キロ以上のスピードで、部屋の中を飛び回って
いることになる!
時速4000キロだぞ!
この数字を疑う人は、一度、自分で計算してみるとよい。
つまり音速の約3倍!
こうして考えてみると、スズメにせよ、蚊にせよ、
はたまたあのハエにせよ、私たちとはちがった(時間)を
もっているのがわかる。
前にも書いたが、もしハエが今のまま進化し、
時計を作ったとしたら、秒針のほかに、1秒で1周する
もう一本の針を考えるかもしれない。
つまりスズメにせよ、蚊にせよ、はたまたハエにせよ、
私たち人間がいうところの「1秒」を、10秒とか、
100秒で生きていることになる。
●マウスは、人間の100倍!
・・・というようなことを、今回、大阪バイオサイエンス
研究所というところが、はからずも証明した?
もう一度、新聞記事を読みなおしてみよう。
そこには、こうある。
『(人とマウスに関して)、活動時間
や休息時間について、長いものや短いものが、
どんな頻度で現れるかを分析すると、
パターンはまったく同じで、人の動きを100倍
の速さで早回しすれば、マウスと同じになることが
わかった』と。
もう少し専門的に言えば、「体内のリズムをつくる
時計遺伝子の働きは、マウスのばあい、人間の
それより100倍も速い」ということになる。
だから単純に、「マウスは人間の100倍の
速さで生きている」というふうに考えることは
できないとしても、「少なくともマウスは、
人間とはちがった時間の尺度をもっている」ということだけは
確かである。
同じ1秒を、人間は、それを1秒として生きている。
が、マウスにしてみれば、100秒にして生きている
かもしれない。
だからたとえば、マウスの寿命を仮に1年としても、
それを「短い」と思ってはいけない。
マウス自身が感ずる1年は、ひょっとしたら人間の
100年分に相当するかもしれない。
●幼児の世界でも
実は、私は、このことは幼児を指導している
ときにも、よく感ずる。
私の教室では、常にテンポの速いレッスンに心がけて
いる。
そうでもしないと、子どものほうが、飽きてしまう。
レッスンに乗ってこない。
で、そういうとき、私はよくこう思う。
幼児のもつ体内時計は、おとなのもつ体内時計より、
数倍は速い、と。
わかりやすく言えば、幼児にとっての1分は、
おとなに3~4分に相当する。
おとなが3~4分ですることを、幼児は、1分でする、と
言いかえてもよい。
「アウ~、それでエ~、エ~ト・・・」などというような、
どこか間の抜けたようなレッスンをしていたら、
それだけで教室はザワついてしまう。
収拾がつかなくなってしまう。
反対に、老人ホームにいる老人たちを見てみると、
このことがさらによくわかる。
そこにいる老人たちは、1日中、何かをするでもなし、
しないでもなしといった状態で、その日、その日を
過ごしている。
そこにいる老人たちは、明らかに私たちとは、ちがった
体内時計をもっている。
ひょっとしたら、1日を、私たちがいう、1時間、
あるいはそれよりも短く感じながら生きている
かもしれない。
長い前置きになってしまったが、結論を急ぐと、こういう
ことになる。
私たちが感じている1秒、1分、1時間は、
けっして絶対的なものではないということ。
過ごし方によっては、1秒を1時間にして生きることもできる。
反対に、1日を、1分のようにして過ごしてしまう
かもしれない。
つまり(時の長さ)というのは、時計的にはみな、同じでも、
過ごし方によっては、何倍もにして生きることもできる。
反対に、数分の1にして生きることもあるということ。
もっと言えば(時の長さ)には、絶対的な尺度はないということ。
要は、その人の過ごし方、ということになる。
それにしても、『人の動きを100倍の速さで早回しすれば、
マウスと同じになることがわかった』とは!
100倍だぞ!
この「100倍」という数字を読んだとき、私は
改めて、(時間とは何か)、さらには、(生きるとは何か)、
それを考えさせられた。
余計なことかもしれないが、日々を、野球中継だけを見ながら過ごすのも
人生かもしれない。が、それでは、あまりにももったいない。
日々を、パチンコだけをしながら過ごすのも、
人生かもしれない。が、それでは、あまりにももったいない。
あるいは日々を、魚釣りだけをしながら過ごすのも、
これまた人生かもしれない。が、それではあまりにももったいない。
・・・というのが、このエッセーの結論ということになる。
●脳みそのクロック数
ついでに……。
宇宙には、私たちがいう「1秒」の間に、人間の世界でいう数100年、
あるいは数1000年分の人生を生きる生物がいるかもしれない。
あるいは反対に、私たちがいう「1万年」が、寿命という生物も
いるかもしれない。
そういう生物(?)は、指を1本、動かすのに、20年とか、
30年もかかる。
岩石のようなものでできた生物を想像してみればよい。
・・・という話は、どこか荒唐無稽な感じがしないでもない。
しかしこんなことは言える。
脳みそにも、コンピュータでいうところの「クロック数」の
ようなものがあるのではないか、ということ。
たとえばワイフは、8年前に買ったパソコンを使っている。
私は、昨年(07年)に買ったパソコンを使っている。
ワープロとして使っている間は、それほどの(差)を
感じない。
が、画像を表示したり、ゲームをしたりするときには、
はっきりとした(差)となって、ちがいが出てくる。
情報を処理するための基本的な速度、つまりクロック数そのものが
ちがう。
俗な言い方をすれば、(頭の回転の速さ)ということになる。
子どもにしても、頭の回転の速い子どもは、速い。
そうでない子どもは、そうでない。
反応も鈍い。
仮に脳みそのクロック数が、2倍ちがうとすると、クロック数が
2倍速い子どもは、そうでない子どもの、2倍長く時間を使う
ことができるということになる。
全体に、クロック数が速いから、当然、計算するのも速い。
文章を書くのも、速い。
思考する力も、速い。
だからクロック数が2倍速い子どもにとっては、同じ「1秒」でも、
そうでない子どもの、「2秒分」の時間に相当する。
同じ「1年」でも、「2年分」の時間に相当する。
ただし誤解しないでほしいのは、クロック数が速いからといって、
時間を有効に使っているということにはならないということ。
(時間を長く使う)ということと、(時間を有効に使う)という
ことは、まったく別のことである。
そのことは、冒頭に書いたスズメの話を思い出してもらえば、わかる。
庭に遊ぶスズメたちは、目まぐるしく、活動している。
しかし、それだけのこと。
わかりやすく言えば、(中身のない人生)を、忙しそうに
繰りかえしているだけ。
恩師の田丸謙二先生は、いつも口癖のように、こう言っている。
「せっかく、いい頭をお持ちなのですから・・・」と。
私に対して、そう言っているのではない。
東大という大学に入ってくる学生たちに、いつもそう言っている。
先生がいう、「・・・なのですから・・・」というのは、
「もっと自分の頭で考えなさい」という意味だが、
先生の言葉をもう少し、自分なりに解釈すると、こうなる。
「せっかく速いクロック数の頭をもっているのだから、
脳みそを有効に使いなさい」と。
●最後に・・・
脳梗塞のようなダメージを受けないかぎり、実際には、
脳みそのクロック数などというものは、みな、それほどちがわない。
ちがっても、2倍とか3倍とかいうものではなく、
1・1倍とか、1・2倍とかいう範囲の、わずかなものかもしれない。
しかもそのクロック数というのは、訓練によって、速くすることができる。
このことも、子どもの世界を見れば、よくわかる。
言いかえると、同じ人生でも、それを長くして生きるか、
それとも、短くして生きるかは、その人、個人の問題ということ。
そのためにも、頭は使って使って、使いまくる。
そうでなくても、脳みそのクロック数は、加齢とともに、落ちてくる。
老人ホームにいる老人たちにしても、ある日、突然、ああなったのではない。
ある時期から、徐々に、そして少しずつ、長い時間をかけて、
ああなった。
今の私やあなたがそうかもしれない。
クロック数というのは、そういうもの。
全体に脳みその機能が低下していくため、その人自身が、それに気づくと
いうことは、まずない。
知らぬ間に、クロック数は低下し、また低下しながらも、低下したこともわからない。
だから歳をとったら、なおさら、頭は使う。
使って使って、使いまくる。
それがとりもなおさず、私たちの人生を、より長くすることになる。
(付記)
実は、昨日(4月30日)、私は携帯電話を、W社の携帯端末機から、
E社携帯端末機に変更した。
この世界では、「スマートフォン」と呼ぶ。
携帯電話にパソコン機能がついた機種である。
で、そのとき、言いようのない不安感が私を襲った。
「私に使いこなせるだろうか」という不安感である。
この3~4年の間に、スマートフォンの世界も、格段に進化した。
今度のは、無線LAN、BLUETOOTH、さらにGPS付き!
どこか分厚い説明書を手にしたとき、多量のアドレナリンが、
脳内で分泌されるのを感じた。
が、そのとき、こうも思った。
「同じ人間が作ったもの。私にできないはずはない」と。
それから家に帰って、悪戦苦闘すること、1、2時間。
が、そのうちEメールの送受信まで、何とかできるようになった。
で、そのとき、こんなことに気づいた。
精神状態が、きわめて不安定になっていた。
これは、おそらくそれまで使ったことのない脳みそを使ったために起きた
現象ではないか。
脳みその神経細胞から、新しいシナプスが伸びるときに起きる現象とも
考えられる。
子どもでも、まったく新しい分野の問題を与えたとき、
同じような反応を示す子どもがいる。
問題を解くとき、イライラした様子をして見せる。
中にはピリピリして、一触即発のような状態になる子どももいる。
私も、同じような状態になった。
と、同時に、こうも思った。
「こういうのも、ボケ防止にはよいのでは」と。
E社のスマートフォンは、この3月に新発売になったばかりのもの。
少し高い出費になったが、ボケ防止のためと思えば、安い(?)。
そう思って、自分を納得させた。
プラス、楽しかった。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教 幼児のクロック数 子どものクロック数)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【復古主義】
●加齢とともに……
++++++++++++++++++
歳を取ればとるほど、過去がどんどんと
自分に近づいてくる。
向うの方から、近づいてくる。
若いときには遠い昔に思えた、あの江戸時代ですら、
すぐそこに感ずるようになる。
ほんの一昔前のように、である。
これはおもしろい現象と考えてよい。
が、それには、ちゃんとした理由がある。
++++++++++++++++++
●たったの2倍!
たとえば江戸時代という時代を見てみよう。
あの江戸時代は、大政奉還によって、終わる。
1867年11月9日のことである。
その江戸時代というと、若い人たちは、遠い昔のことのように思うかもしれない。
1867年……ねえ?、と。
「そんな時代は遠い昔の話で、とっくに終わった」と。
実は、私も、若いころは、そう考えていた。
そこで、こんな計算をしてみる。
現在は2009年だから、1867年というと、142年前ということになる。
その142年という年数だが、つぎのように計算できる。
20歳の人……142÷20=約7
40歳の人……142÷40=約3・6
60歳の人……142÷60=約2・4
80歳の人……142÷80=約1・8、と。
つまり142年という年数を、それぞれの年代の人の年齢で割ってみた。
そうすることによって、江戸時代という時代が、自分の年齢の、何倍、昔のこと
かがわかる。
この計算によれば、現在20歳の人には、江戸時代というと、自分の人生の7倍も
遠い昔の過去ということになる。
しかし60歳の私には、たったの2倍と少し。
さらの現在80歳の人には、さらにたったの1・8倍!
2倍としても、自分の人生の2倍程度の昔ということになる。
(たったの2倍というところに注意してほしい。)
そこで自分の人生を振り返ってみる。
私は現在満61歳だが、この61年間を振り返ってみると、いろいろあった。
あったが、その61年間は、あっという間に過ぎた。
その61年間をさらに振り返りながら、江戸時代といっても、私の人生の
たった2倍の昔のことでしかないことを知る。
つまり子どものころは、遠い昔に覚えたあの江戸時代が、加齢ともに、どんどんと
現在の自分に近づいてくる。
向うの方から、近づいてくる。
●そこにも、ここにも、江戸時代
60年生きたからといって、人生観が、それほど変わるわけではない。
何か特別の努力をした人は別として、そうでなければそうでない。
たいていの人は、満18歳前後までに自分の常識を完成させる(アインシュタイン)。
それがそのまま、その人の常識となって、一生を支配する。
いや、そうであるなら、まだよいほう。
さらにたいていの人は、加齢とともに、ますます愚かになっていく(失礼!)。
脳みその底に穴があいたようになり、そこから知恵や知識が、外にこぼれ出ていく。
つまり私が言いたいのは、60年と言っても、それほど大きな変化は期待できない
ということ。
そしてそういう(私)が無数に集まって、大きな流れとなる。
その流れ、とくにその民族がもつ意識というのは、それほど変化しない。
変化しないまま、つぎの世代へとバトンタッチされていく。
で、それが2倍の120年になったからといって、それほど変化するものでは
ない。
あの時代はあの時代のまま。
あそこやここに、私の子ども時代が残っているように、江戸時代も、あそこや
ここに、そのまま残っている。
それが実感として、わかるようになる。
現に私の祖父は明治生まれの人だったが、今から思うと、江戸時代そのものを、
背負っていたように思う。
身分意識、家父長意識、男尊女卑思想、上下意識などなど。
その祖父は私が25、6歳のときに他界したが、当然のことながら、私はその
祖父の影響を大きく受けた。
受けたまま、現在に至っている。
ずいぶんと回りくどい書き方をしたが、私の年齢になると、あの江戸時代ですら、
まるで昨日のように、そこに見えてくるようになる。
少なくとも若い人たちが感じているように、「遠い昔」ではない。
●封建主義を清算しよう!
そこで大切なこと。
それが封建主義の清算ということになる。
忘れてならないのは、悲しいかな私たちは、あの時代をまだ一度も清算していない。
フランス革命のように、民衆がそれに向って、立ち上がったという歴史すらない。
「明治維新」とは言うものの、英語では、「明治王政復古」と翻訳されている。
つまり徳川家から天皇家へと、(頭)がすえ替えられただけ。
清算していないばかりか、むしろあの時代を不必要に美化し、それが日本の原点
であるかのように考えている。
NHKの大河ドラマをその例にあげるまでもない。
が、事実はどうであったのか?
武士はそのまま警官となり、それまでの身分制度は、学歴制度となった。
それが今でも、形こそ、ゆるやかにはなったが、延々とつづいている。
いいのか、日本、このままで!、とは何度も書いてきたが、さらに悲しいことに、
たいはんの人たちは、加齢とともに、ますます復古主義的なものの考え方に傾いていく。
本来なら、若い人たちの先頭に立ち、古きものを打ち壊し、新しきものを示して
いかねばならない。
その人生の先輩たちが、その逆のことをしている。
たとえば、武士道。
どうして今の、この日本で、武士道なのか?
自分たちの祖先の大半(93~4%)は、農民や町民だった。
武士に虐げられた民衆たちだった。
そういった事実も忘れて、その子孫が、武士道なるものを説いて、どうする?
どうなる?
刀をもった人間が、いかに恐ろしい存在であったかは、一連の殺傷事件を見れば
わかるはず。
中には「武士道こそ、日本が世界に誇るべき、精神的バックボーンである」と
説く人もいる。
しかし(負の遺産)に目をくれることもなく、一方的に武士道を礼賛することは、
危険なことでもある。
それがわからなければ、福沢諭吉らが参加した、明六社のした運動を、今一度、
振り返ってみたらよい。
江戸時代直後の先人たちが、江戸時代をどう見つめていたかが、それでわかるはず。
それとも、142年もたつと、そういった事実も風化してしまうのか。
少し頭が熱くなったが、私たちは、人生の先輩者として、若い人たちの前に立たねば
ならない。
前に立って、変えるべきものは、変えていかねばならない。
「退職しました。これからは、思う存分、人生を楽しみます」では、人生の先輩として、
あまりにも、さみしいではないか。
……という提案だけをして、この話はここで終わりたい。
+++++++++++++++++++++
昨年(08)の6月に書いた原稿を添付します。
+++++++++++++++++++++
●福沢諭吉
……欧米には、こうした権威主義そのものが存在しない。
親子でも、兄弟姉妹でも、名前で呼びあっている。
またそのほうが、人間関係が、スムーズにいく。
反対に権威主義の親ほど、子どもたちから孤立することも
わかっている。
夫婦関係も、おかしくなる。
今どき、「男だから……」「親だから……」「夫だから……」と、
安易な『ダカラ論』を振りかざしているのは、世界広しと
いえども、この日本くらいなもの。
まず日本人の私たちが、それに気づくべき。
Kさんがいう「血」についても、同じ。
それについては、福沢諭吉が、100年前に、こんなことを
書いている。
国際留学協会(IFSA)のHPには、つぎのような一文が
掲載されている。
『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。
諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。そ
れに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという
態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。
ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源
頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も
関心を持っていないアメリカの社会制度に諭吉は驚きを隠せなかった。
高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないの
だ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み
出すことになる』(国際留学協会(IFSA))と。
それについて書いたのが、つぎの原稿である。
++++++++++++++++++++++
●論語(Why now is Rongo?)
++++++++++++++++
今度、小学校でも、論語の朗読を
するようになったという。
しかし、今、なぜ、論語なのか?
++++++++++++++++
論語……もともとは、孔子の現行を、弟子や孫弟子たちがまとめたもの。日本には、応
神天皇の時代に、百済の王仁という人物によって伝えられたとされる(ウィキペディア百
科事典)。
その論語、日本では、律令時代においては、官吏必読の書となった。わかりやすく言え
ば、官僚たちの教科書だった。
その論語を、今度、小学校でも、朗読するようになったという。しかし、なぜ、今、論
語なのか? 研究家がその範囲で読み、研究し、意見を述べるのなら、それはそれで構わ
ない。またそれまでは、私も否定しない。
が、どうしてお役人たちの発想は、いつも、こうまでうしろ向きなのか? 私には、ど
うしても、それが理解できない。もし読むべき本があるとするなら、世界の自由と平和の
ために戦った人たちが書いた本である。人間の平等を求めて戦った人たちが書いた本であ
る。
たとえばアメリカのトーマス・ジェーファーソが書いた独立宣言(1776)でもよい。
それには抵抗感を覚えるというのなら、フランスの人権宣言(1789)でもよい。
フランスの人権宣言を、ここでおさらいしてみよう(資料、近畿大学・大学院)。
+++++++++++++++++
1条
人は、法律上、生まれながらにして、自由かつ平等である。 社会的差別は、公共の利益に
基づくのでなければ、存在することはできない。
2条
すべての政治的組織の目的は、人間の生まれながらの、かつ取り消し得ない権利の保
全である。 それらの権利は、自由、所有権、安全、及び、圧政に対する抵抗である。
3条
あらゆる主権の原則は、本質的に国民に存する。いかなる集団、いかなる個人も、明
示的に発せられていない権限を行使することはできない。
4条
自由は、他人を害することのないもの全てを、なし得ることに存する。たとえば、各
人の自然権の行使は、それが社会の他の構成員に、これらと同じ権利の享有を確保す
ること以外の限界を持たない。これらの限界は、法律によって定めることができるに
過ぎない。
(以下、つづく)
+++++++++++++++++
アメリカの独立宣言(前文)でも、「すべての人間は平等に造られている」と説き、不可
侵、不可譲の自然権として、「生命、自由、幸福の追求」の権利をあげている。
この独立宣言が、明治時代になって、福沢諭吉らに大きな影響を与えたことは言うまで
もない。ついでながら、福沢諭吉が翻訳した、独立宣言を、ここにあげておく。
『天ノ人ヲ生スルハ、億兆皆同一轍ニテ之ニ附與スルニ動カス可カラサルノ通義ヲ以テ
ス。即チ通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ルノ類ニテ他ヨリ如何トモ
ス可ラサルモノナリ。人間ニ政府ヲ立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、政
府タランモノハ其臣民ニ満足ヲ得セシメ初テ眞ニ権威アルト云フヘシ。政府ノ処置此趣
旨ニ戻ルトキハ、則チ之ヲ変革シ、或ハ倒シテ更ニ此大趣旨ニ基キ人ノ安全幸福ヲ保ツ
ヘキ新政府ヲ立ルモ亦人民ノ通義ナリ。是レ余輩ノ弁論ヲ俟タスシテ明了ナルヘシ』(『西
洋事情』初編 巻之二より)』(ウィキペディア百科事典より抜粋)
この独立宣言から、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)
という言葉が、生まれた。
で、結論から先に言えば、今、日本は、再び、儒教文明国家に戻るのか、それとも、ア
メリカ型ではあるにせよ、西欧文明国家に向かってまい進するのか、その瀬戸際に立たさ
れている。
どちらを選ぶかは、これからつづく若い人たちが決めればよいことかもしれないが、し
かしその(流れ)を決めるのは、あくまでも、若い人たち。その(流れ)を、国が勝手に
つくることは、許されない。
しかし、どうして今、論語なのか?
【付記】
日本は自由な国である。平和な国である。しかしこと「平等」ということになると、そ
れを自信をもっていえる人は少ない。
天皇制という制度がある以上、この日本では、「人は、みな、平等です」とは、言いにく
い。どこか口ごもってしまう。
が、福沢諭吉は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)
と書いた。しかし当時の常識からすれば、これはたいへんな文章と言ってよい。そのまま
読めば、天皇制の否定とも解釈できる。
そこでときの知識人たちは、天皇制を否定することもできず、またその一方で、福沢諭
吉のような大人物を否定することもできず、大ジレンマに陥ってしまった。
「人の上の人とは、だれのことか」と。
で、この文章について、さまざまな解釈が加えられた。
「人とは、人種のことである」という解釈や、「天皇は人ではないから、問題はない」と
いう解釈など。あるいは「福沢諭吉は、組織の中の上下を言ったものだ」という解釈など
が生まれた。詳しく知りたい人は、インターネットの検索機能を使って、「福沢諭吉 天は
人の」で検索してみればよい。
しかし福沢諭吉は、天皇も含めて、日本の身分制度について、大いなる疑問を感じてい
た。
その「天は人の上に……」が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つ
ぎのような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。
『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。
諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。そ
れに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという
態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。
ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源
頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も
関心を持っていないアメリカの社会制度に諭吉は驚きを隠せなかった。
高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならない
のだ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造
らず、人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言
葉を生み出すことになる』と。
++++++++++++++++++
もう一作、武士道について。
++++++++++++++++++
●明治の偉勲たち(Great People in Meiji Era)
明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847~1889年の人で
ある。教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した。
その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評
されたこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したの
が、「明六社」。その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。
そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。
明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定
し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こう
した運動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。
で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、
(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。
しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた
年から、ちょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)この日
本は、本当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する
人たちまで現われた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者
までいる。
こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であ
ったことを忘れ、あたかも自分たちが、武士であったかのような理論を展開するから、お
かしい。
武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。
そんなことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかること。それを、反
省することもなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あ
の江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時
代であったことを忘れてはならない。
その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六
社の啓蒙運動の中に、集約されている。
で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本は、封建時代の負の遺産を、ひ
きずっている。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜
んでいる。たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっ
ている人となると、ゴマンといる。
はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、それが精神
的バックボーンになっていることすら、ある。
しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?
理由は簡単である。
そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をし
なかったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へ
と、手渡してしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人
が変わらないかぎり、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されて
しまう。
いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その
個人にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習
慣のない人には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊
を、生き残らせてしまった。
100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、
間近で知ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここ
で、こうした封建時代の負の遺産の清算を進めなければならない。
日本全体の問題として、というよりは、私たち個人々々の問題として、である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 権威主義 福沢諭吉 天は
天の上に 明六社 明治の偉勲 ワシントン)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【K国の核実験について】
North Korea wants Japan Money. Everything starts from this. Now they are preparing
launching Nodon (middle-range missiles) as well as an ICBM. The best policy for the
Japanese is just to igonore them, to keep our peace in Japan.
●後継者問題?
+++++++++++++++++
ミサイル発射実験、それにつづく核実験。
さらにこの数日、K国では、新たなるミサイル発射実験の
動きすら見られるという(09年6月3日)。
注目すべきは、ICBM(大陸間弾道弾)の発射準備に
並行して、ノドン(日本を標的にした中距離ミサイル)の
発射準備もしているという点。
これが何を意味するか?
マスコミ各紙、プラス、評論家たちは、「後継者問題」を、
その理由にあげる。
しかし、それはおかしい……?
+++++++++++++++++
●標的は日本!
一見複雑怪奇に見えるK国の動きも、目的を知れば、すべて道筋を立てて説明がつく。
その目的というのは、ズバリ、お金(マネー)。
K国は、マネーをほしがっている。
しかし6か国協議を通して得るような、「ハシタ金」ではない。
K国の高官自身が、そう言っている。
K国がほしがっているのは、ズバリ、JAPANマネーである。
金大中の時代だったか、ノムヒョンの時代だったか、K国は中国を介して、
日本に対して、戦後補償金(=賠償金)の打診をしてきている。
その額、驚くくなかれ、100兆円!
つまりK国の最終目標は、そこにある。
繰り返す。
100兆円である。
日本の人口の6分の1以下であることを考えるなら、とほうもない額と言ってよい。
●K国の戦略
その日本からJAPANマネーを得るためには、どうすればよいか。
「得る」というより、「搾(しぼ)り取る」。
日本が提示している、1兆円とか、2兆円など、彼らにしてみれば、ハシタ金。
そんな金額では、国を立て直すことはできない。
彼らが求めているのは、100兆円。
あるいはそれ以上。
1000兆円という説もある。
(日本の国家税収は、40兆円前後。)
そのためには、日本を脅す必要がある。
「金をよこせ。さもなくば戦争!」と。
が、その日本には、アメリカという後ろ盾がある。
K国にしてみれば、まさに「目の上のタンコブ」。
K国としては、日本とアメリカを何とかして、切り離す必要がある。
つまり日本とアメリカが、軍事同盟関係にある間は、K国は、日本に手を出すことが
できない。
●米朝友好条約
ときどきK国は、意味不明の言葉を口にする。
「体制存続の保証をしろ」と。
つまり金xx体制を保証しろ、と。
そんな言葉を聞くと、「だれも体制を脅(おびや)かすようなことはしない」と思う。
「どうしてそんなありもしないことを口にするのだろう」と思う。
「それはK国の、被害妄想」と
。
が、実は、この言葉の裏には、重大な意味が隠されている。
K国はアメリカに対して、こう言っているのである。
「もしK国がどこかの国と戦争をすることになっても、アメリカは手を出さないでくれ」
「K国の金xx体制が崩壊するようなことは、しないでくれ」と。
ここでいう「どこかの国」というのは、韓国ではない。
ズバリ、この日本である。
ものごとは常識で考えたらよい。
K国が韓国に戦争をしかけても、得るものは何もない。
が、日本はちがう。
そればかりか、仮に戦争になっても、日本は憲法第九条に制約されて、K国に、
手を出すことができない。
K国は、それをよく知っている。
●何とか、アメリカを……!
そこでK国としては、何としてもアメリカを、抑えこむ必要がある。
「押さえ込む」でもよい。
その第一の目標が、米朝友好条約。
それさえ結べばよい。
この条約が結ばれ、発効すれば、たがいに、たがいが攻撃されなければ、軍事的攻撃
をすることができない。
たとえば日本とK国が戦争状態になったとしても、K国がアメリカ本土を攻撃しない
かぎり、アメリカは、K国を攻撃できない。
もちろん最初から、K国には、アメリカを攻撃する意図など、みじんもない。
アメリカを相手にして、戦争に勝てるわけがない。
そんなことは、K国の末端の兵士ですら、よく知っている。
だからK国としては、何としても、米朝友好条約、つまり米朝軍事条約を結びたい。
が、それは同時に、日本としては、ぜったいに容認できない条約である。
もしそんな条約が米朝間で結ばれたら、その時点で、日米安保条約は死文化する。
日本は、K国の核の脅威に怯えながら、K国の意のままに操られるようになる。
●崩壊寸前のK国
K国の内部情報が、つぎつぎと伝わってきている。
その中でもとくに注目すべきことは、今年(09年)、K国は過去最悪の食糧危機に
見舞われているという点である。
今年、数百万人の餓死者が出るのではと予想されている(アムネスティ)。
ガタガタというより、メチャメチャ。
そんな中、K国としては、何としても、JAPANマネーがほしい。
喉から手が出るほど、ほしい。
またそれだけの金額を請求できるのは、この日本をおいて、ほかにない。
だから何としても、米朝会談を開く必要がある。
K国が、狂ったように、アメリカに対して米朝交渉を求めてくる理由は、ここにある。
「まずアメリカを抑える」。
「それができたら、つぎに日本!」と。
が、肝心のアメリカが動かない。
そこでミサイル発射実験、核実験……となる。
「アメリカよ出て来い」
「オレたちと話し合いをしろ!」と。
●K国は、核を手放さない
K国は、巨大なカルト国家と考えればよい。
金xxを教祖に据えた、カルト国家である。
で、その本尊が、「核兵器」。
力の象徴。
少しでもカルト教団のことを知っている人なら、私がここでいう「本尊」がどういう
ものであるか、その意味がわかるはず。
本尊あっての、カルト。
だから彼らは手放すつもりなど、毛頭ない。
そんなことは、10年も前から、わかりきっていたこと。
金xxにしても、核兵器があるからこそ、金xxなのである。
そこへあのおバカ外交官のC・ヒルが、……つまりアジアの「ア」の字も知らない
外交官が、乗り出してきた。
「交渉で解決してみせる」と。
が、結果としてC・ヒルがK国に与えたものといえば、マネー(BDA)、原油、音楽、
それに時間。
今になって、「アメリカはK国にだまされた」(韓国紙)と言っているが、そんなことは、
最初からわかっていたこと。
この中で、とくに痛いのが、時間。
C・ヒルが無駄にがんばった5年間のうちに、K国は、核兵器を完成させてしまった!
●日本があぶない!
今回とくに注意しなければならないのは、ICBMの発射準備よりも、中距離
ミサイルの、ノドンである。
ICBM(テポドン)のほうは、アメリカを標的にしたもの。
しかしノドンは、日本を標的にしたもの。
その数、320基とも、800基とも言われている。
では、なぜこの時期に、K国は、ICBMとノドンの両方の発射準備に
同時にとりかかっているか?
それには前回(09年4月5日)の、テポドン発射実験の失敗がからんでいる。
テポドン発射実験の失敗のことではない。
K国は、当時、こう言っていた。
「日本が(人工衛星?を)迎撃すれば、即、日本を攻撃する」と。
が、そのとき実は、ノドンの発射準備ができていなかった。
「即、攻撃する」と言いながら、その態勢が整っていなかった。
それが「失敗」であった。
では、次回はどうか?
今度は、ICBMである。
アメリカは黙っていないだろう。
国務長官ですら、「迎撃する」と、明言している。
となると、K国としては、即、報復攻撃ということになる。
もちろんそのターゲットは、日本。
東京。
そのために、ノドンの発射を、同時に準備しておく必要がある。
●自滅か戦争か
K国は現在、自滅寸前にまで、追い込まれている。
どうしようもない状態と考えてよい。
国家予算など、あってないようなもの。
そんなとき一連のミサイル発射実験。
先のテポドン(4月5日)以後のミサイルにかけた総額だけで、2年分の食糧が
まかなえたという(韓国紙)。
つまりそれだけのお金をかけて、花火をあげた。
目的はもちろん、アメリカを交渉のテーブルに引き出すこと。
が、これが裏目に出てしまった。
K国は、核実験をすれば、アメリカは、在韓米軍のことを心配して、交渉のテーブルに
出てくるものと読んでいた。
が、これは誤算だった。
かえってアメリカの態度を硬化させてしまった。
あろうことか、ロシアも中国も、それに同調する様子を見せ始めた。
……ということで、K国は今、自滅か、さもなければ戦争かという、ギリギリの
選択を迫られている。
その心理状態は、まさに(焼けのヤンパチ)。
そこでK国がとりうるシナリオは、こうだ。
(1)ICBMの発射実験を強行する。
(2)アメリカ(在日米軍)に迎撃させる。
(3)それを口実に、日本に向けてノドンを、20~40発、発射する(韓国某
軍事評論家)。
そんなことをK国がすれば、米朝戦争になってしまうと考えるかもしれない。
だからこそ、「一か八か」ということになる。
●では、日本はどうすればよいのか
今度こそ、ノドンが日本に向けて発射されることを覚悟する。
が、何度も書くように、日本は、あんな国を本気で相手にしてはいけない。
すでに敵地攻撃論などが、国会内部で議論されているが、攻撃する価値もない。
それよりも忘れてならないのは、日本は丸裸以上の丸裸ということ。
隣の韓国では、小学生にまでガスマスクを供給し、その付け方を訓練している。
防空壕(シャルター)は、いたるところに設置されている。
いざとなれば、高速道路が飛行場として使えるよう、道路そのものが設計されている。
が、この日本は、どうか?
「日本を守る」と勇ましいことを言う前に、やるべきことは、山のようにある。
それもしないで、「敵地攻撃」はない。
一方、もし東京の中心部に、たった一発でもノドンが撃ち込まれたら、その瞬間から、
日本の経済は奈落の底に叩き落とされる。
今の今ですら、薄い紙の上を歩いているような状態である。
株価は大暴落、債権も大暴落、ついでに円も大暴落……。
だからここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
すでに「今度こそ、迎撃」などと、勇ましいことを口にしている政治家もいる。
が、迎撃など、ぜったいにしてはいけない。
無視、ただひたすら、無視。
そしてそのあと、今、国際社会がしているように、国連の場を通して、K国を締めあげる。
自滅に誘導する。
戦争というのは、始めるのは簡単。
しかしやめるのが、難しい。
すでにこの日本には、最低でも100人、あるいは1000人以上という説もあるが、
K国の工作員が侵入しているという。
そういう工作員が、何をしでかすかわかったものではない。
仮に北陸地方にある原子力発電所が一基破壊されただけでも、中部地方には、人は
だれも住めなくなる。
こういう状況をつくりあげてしまった政府にも責任はある。
しかし本当の責任は、平和ボケしてしまい、危機意識と想像力を忘れてしまった
私たちにある。
あのナチスドイツがポーランドに侵攻したとき、だれだったかは忘れたが、
時のイギリスの政府高官は、こう言って嘆いた。
「私たちに欠けていたのは、想像力だった」と。
その(想像力)を、私たち日本人は、忘れてしまった。
●後継者問題ではない!
マスコミ各紙および評論家たちは、「背後で後継者問題がからんでいる」と、
判で押したように、同じ言葉を繰り返している。
しかし後継者問題くらいのことで、核実験はしない。
ICBMの発射実験はしない。
「後継者のための箔づけ」と、もっともらしい理由を並べているが、私にはどうして
みな、こうまでトンチンカンなのか、その理由がわからない。
繰り返すが、K国の最終目標は、ズバリ、JAPANマネーである。
そこからものを考え始めれば、K国の一連の動きが、すべて説明できる。
(2009年6月3日朝記)
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