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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 7月 27日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
Soichi、Happy Birthday to you!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(9)
●親像はぬいぐるみで
子ども(幼児から小学低学年児)に、母性や父性が育っているかどうかは、ぬいぐるみ
の人形を抱かせてみればわかる。母性や父性が育っている子どもは、ぬいぐるみを手にす
ると、さもいとおしいといった表情で、それを抱く。中には頬をすりよせてくる子どもも
いる。しかしそうでない子どもは、ぬいぐるみをみたとたん、足でキックしたりしてくる。
私が調べたところ、幼稚園の年長児で、男女を問わず、10人のうち8名が、ぬいぐる
みを見せるとうれしそうな顔をし、約2人弱が、反応を示さないか、あるいはキックし
たりするのがわかった。さらに小学校の4、5年児について調べてみると、約80%が、
「ぬいぐるみ大好き」と答え、そのうち約半数が、ごく日常的に多くのぬいぐるみと接
しているのがわかった。
子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり親によって育てられた
という経験が身にしみこんでいて、今度は自分が親になったとき、子育てができるように
なる。それを「親像」という。が、不幸にして、不幸な家庭で育てられ、この親像がしっ
かりしていない人がいる。しかし問題は親像がないことではない。むしろ何不自由なく、
親の温かい愛情に恵まれて育った人のほうが少ない。
問題は、その親像のないことに気づかないまま、それに引きまわされ、同じ失敗を何度
も繰り返すことである。ある父親は、私にこう相談してきた。「娘を抱いていても、どれ
だけ抱けばいいのか。どう抱けばいいのか。それがわからない」と。その父親は、彼の
父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまり彼の中には「父親像」が
なかった。
話がそれたが、これだけは言える。ぬいぐるみを見せたとき、いとおしそうな表情を示
す子どもは、将来、やさしいパパやママになることができる。(そうでない子どもは、そう
でなくなるとは言えないが……。)そんなわけでもし心配な点があるなら、子どもにはぬい
ぐるみをもたせるとよい。これには男女の差別はない。またあってはならない。男の子で
も、ぬいぐるみで遊んでいる子どもはいくらでもいる。
Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(10)
●一芸を大切に
子どもには一芸をもたせる。「一芸」というのは、子どもの側からすれば、「これだけは
絶対に人には負けない」というもの。周囲の側からすれば、「このことについては、あいつ
にかなうものはいない」というもの。この一芸が子どもを伸ばす。あるいは子どもを側面
から支える。中には、「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプの子どもは、一
度勉強でつまずくと、あとは坂をころげ落ちるかのように、成績がさがる。
一芸は、見つけるもの。この一芸は、つくろうとしてつくれるものではない。子どもの
日ごろの様子を観察していると、「これは!」というものに気がつく。それが一芸。ある女
の子(1歳)は、風呂の中でも平気で湯にもぐって遊んでいた。
そこで母親がその子どもを水泳教室へ入れてみたが、案の定、「水を得た魚」のように泳ぎ
始めた。また別の男の子(5歳児)は、父親が新車を購入すると、スイッチに興味をもち、
「このスイッチは何だ」と聞きつづけた。そこで私に相談があったので、パソコンを買っ
てあげることをすすめた。この子どもも予想通り、パソコンに夢中になり、やがて小学3
年生になるころには、ベーシック言語で、自分でつくったゲームで遊ぶようになった。
ただし同じ一芸でも、ゲームがうまいとか、カードをたくさん集めるとかいうのは、こ
こでいう一芸ではない。一芸というのは、将来に向って創造的なもの、あるいは努力と練
習によって、より光る要素のあるものをいう。そういう一芸を子どもの中に見つけたら、
思い切り時間とお金をかける。この「思い切りのよさ」が、子どもの一芸を伸ばす。
さらにその一芸が、子どもの天職になることもある。ある男の子(高校生)は、ほとん
ど学校へ行かなかった。毎日、近くの公園でゴルフばかりしていた。しかし10年後、会
ってみると、彼はゴルフのプロコーチになっていた。当時私は40歳前後だったが、その
ときすでに、私の年収の何倍ものお金を稼いでいた。同じように中学時代、手芸ばかりし
ている女の子がいた。学校ではほとんど目立たなかったが、今、市内の中心部で、大きな
ブテイックの店を構えている。一芸には、そういう意味も含まれる。
Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(11)
●過関心は百害のもと
ある朝、一人の母親から電話がかかってきた。そしてものすごい剣幕でこう言った。い
わく、「学校の席替えをするときのこと。先生が、『好きな子どうし並んでいい』と言った
が、(私の子どものように)友だちのいない子どもはどうすればいいのか。そういう子ども
に対する配慮が足りない。こういうことは許せない。先生、一緒に学校へ抗議に行ってく
れないか」と。
その子どもには、チックもあった。軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が
原因だが、そういうことはこの母親にはわかっていない。もし問題があるとするなら、む
しろ母親のほうだ。こんなこともあった。
私はときどき、席を離れてフラフラ歩いている子どもにこう言う。「おしりにウンチがつ
いているなら、歩いていていい」と。しかしこの一言が、父親を激怒させた。ある夜、猛
烈な抗議の電話がかかってきた。いわく、「おしりのウンチのことで、子どもに恥をかかせ
るとは、どういうことだ!」と。その子ども(小3男児)は、たまたま学校で、「ウンチも
らし」と呼ばれていた。小学2年生のとき、学校でウンチをもらし、大騒ぎになったこと
がある。もちろん私はそれを知らなかった。
しかし問題は、席替えでも、ウンチでもない。問題は、なぜ子どもに友だちがいないか
ということ。さらにはなぜ、小学2年生のときにそれをもらしたかということだ。さらに
こうした子どもどうしのトラブルは、まさに日常茶飯事。教える側にしても、いちいちそ
んなことに神経を払っていたら、授業そのものが成りたたなくなる。子どもたちも、息が
つまるだろう。教育は『まじめ7割、いいかげんさ3割』である。子どもは、この「いい
かげんさ」の部分で、息を抜き、自分を伸ばす。ギスギスは、何かにつけてよくない。
親が教育に熱心になるのは、それはしかたないことだ。しかし度を越した過関心は、子
どもをつぶす。人間関係も破壊する。もっと言えば、子どもというのは、ある意味でキズ
まるけになりながら成長する。キズをつくことを恐れてはいけないし、子ども自身がそれ
を自分で解決しようとしているなら、親はそれをそっと見守るべきだ。へたな口出しは、
かえって子どもの成長をさまたげる。
Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(12)
●子どもの心を大切に
子どもの心を大切にするということは、無理をしないということ。たとえば神経症にせ
よ恐怖症にせよ、さらにはチック、怠学(なまけ)や不登校など、心の問題をどこかに感
じたら、決して無理をしてはいけない。中には、「気はもちようだ」「わがままだ」と決め
つけて、無理をする人がいる。さらに無理をしないことを、甘やかしと誤解している人が
いる。
しかし子どもの心は、無理をすればするほど、こじれる。そしてその分だけ、立ちなお
りが遅れる。しかし親というのは、それがわからない。結局は行きつくところまで行っ
て、はじめて気がつく。その途中で私のようなものがアドバイスしても、ムダ。「あなた
本当のところがわかっていない」とか、「うちの子どものことは私が一番よく知っている」
と言ってはねのけてしまう。あとはこの繰り返し。
子どもというのは、一度悪循環に入ると、「以前のほうが症状が軽かった」ということを
繰り返しながら、悪くなる。そのとき親が何かをすれば、すればするほど裏目、裏目に出
てくる。もしそんな悪循環を心のどこかで感じたら、鉄則はただ一つ。あきらめる。そし
てその状態を受け入れ、それ以上悪くしないことだけを考えて、現状維持をはかる。
よくある例が、子どもの非行。子どもの非行は、ある日突然、始まる。それは軽い盗み
や、夜遊びであったりする。しかしこの段階で、子どもの心に静かに耳を傾ける人はま
ずいない。たいていの親は強く叱ったり、体罰を加えたりする。しかしこうした一方的
な行為は、症状をますます悪化させる。万引きから恐喝、外泊から家出へと進んでいく。
子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎとりながら成長していく。また巣立ちも、
決して美しいものばかりではない。中には、「バカヤロー」と悪態をついて巣立ちしていく
子どもいる。しかし巣立ちは巣立ち。要はそれを受け入れること。それがわからなければ、
あなた自身を振り返ってみればよい。あなたは親の期待にじゅうぶん答えながらおとなに
なっただろうか。あるいはあなたの巣立ちは、美しく、すばらしいものであっただろうか。
そうでないなら、あまり子どもには期待しないこと。昔からこう言うではないか。
『ウリのつるにナスビはならぬ』と。失礼な言い方かもしれないが、子育てというのは、
もともとそういうもの。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【子どもの盗癖】
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掲示板のほうに、こんな相談が届いている。
息子の盗癖についてのものである。
それについて、考えてみたい。
+++++++++++++++++++++
【Rさんより、はやし浩司へ】(1)
はじめまして。突然のメールで、失礼します。昨年、静岡市YU中学校区の講演
会に出席させて頂きました。まさに今、トンネルの真っ只中にいるため興味深く
時に涙しながら聴かせて頂きました。有難うございました。
早速ですが長男のことについて相談します。小さいころから活発で元気だけが
とりえの子でした。それが中学に入った年の夏、部活動(テニス部)中に突然倒れる
ようになり病院で起立性調節障害と診断されました。朝、低血圧になり具合が悪
く午後からは嘘のように元気になるという症状で二学期はほとんど学校に行けず
に過ごしました。それをきっかけに部活動の先輩や同級生からいじめを受けるよ
うになり病気自体は三ヶ月ほどで治癒したのですが不登校になってしまいました。
それでも最初のうちは週に1、2日は登校できていましたし、体育大会や文化祭
など授業のない日は必ず参加していました。そんな生活が一年半続きましたが、
二年の三学期はとうとう始業式と終了式に参加しただけでした。ただ、三年にな
って四月末に修学旅行があるためか嘘のように登校し始めて無事修学旅行にも行
ってこられたときには本当に嬉しく思いました。
そんな思いもつかの間で五月からはまた、不登校です。今の生活は、朝具合が悪くご飯も
食べられず他の家族が出払ってしまうとパソコンに向かいオンラインゲームをほぼ一日中
やっています
夜になると明日は必ず学校に行くと言っていますがまたあくる朝になれば体調を崩す毎日
の繰り返しです。学校に行かなきゃいけないことや高校にも行きたい希望を持っているの
にいざ勉強となると集中できず学力は小六程度です。本人のやりたいこととやれることの
ギャップがあまりにも大きくて苦しんでいます。死にたいと洩らしたこともありますが自
殺する勇気すらないと言います。今は廃人同様だと嘆きどうすればいいのかわからない状
態です。
私たち親が出来ることはただ信じて待つことだけですか。今は生きていてくれさえすれば
いいぐらいに考えられるようになりましたが正直なところ苦しいです。来年以降のことを
考えると・・・・病院に行くこともスクールカウンセラーに相談することも考えました
が息子は拒絶します。
とりとめも無く書き込んでしまってすみません。ただただ息子の笑顔が見たい
だけなのです。日に日に衰弱していくのがたまらないのです。どうか・・・よろ
しくお願いします。
【Rさんより、はやし浩司へ】(2)
こんにちは。昨日はご多忙中にもかかわらずお電話を頂きまして有難うございました。早
速、仕事から帰った主人にも話しました。
一夜たち、今までに無く穏やかな気持ちで息子のことをみている自分がとても嬉しいです。
家族四人で何気なく交わす会話の中に幸せを感じています。
まだまだ先は永いと思いますが私は私らしく元気に生きていこうと思います。先生と今出
会えたことに感謝しています。そして貴重なお話をしていただけたことに感謝しています。
本当にありがとうございました。
今度メールを送るときには心から笑って話せると思えます。では、また。
【Rさんより、はやし浩司へ】(3)
すみません。今度メールするときは・・・って言ったばかりなのにまた迷いを感じる出来
事がありました。一体、どこまで試されるんだろうと。
実は、うちのお金が取られました!
私たちは、決して裕福な家庭ではありませんが何とか3年前念願のマイホームを手に入れ
ました。当初は主人の両親と同居していました。今は、両親とは別居しています。
まだ、同居していたころ、最初の事件は起きました。
祖父の財布から1000円とりました。それから時々私のバックの中の財布から・・主人
の貯金箱から・・とエスカレートしていきその度に警察につれてってくれだのもう二度と
しないだの死にたいだのと言い月々のお小遣いから少しずつでも返していくことで許して
いました。流石に3度目の時には、現金を鍵つきの箱(耐火金庫ではないけれど金庫と呼ん
でいる)に入れるようにし、もう無いだろうと思っていました。
本当に忘れていました。ここのところ穏やかに話ができるようになっていました。だから
前々回の相談メールではふれることも無かったのですが・・・。昨日、いつものように買
い物に行くとき金庫からお金を出そうとして先週銀行からおろしたお金が減っているのに
気づき慌てた様子を見せると息子が「自分がとった」と言いました。
「金庫は組み立て家具なのでねじをはずして中身を出した」と。ショックでした。家中の
お金をそこに入れていたから。いくら学校休んで時間があるとはいえそこまでするとは思
っていなかったから。しかも今回は単位が万単位。主人がコツコツためていた500円貯
金も、かなり持っていかれました。
何に使ったのかといえばパソコンのオンラインゲームの課金がほとんど。生活上では全く
派手になるとかではないのでわからなかった部分もあるのですが金庫に入れておけば大丈
夫と思っていたのが間違いだったのか・・・
信じたい・・・けど信じられない自分がいます。何度も同じ事を繰り返してその度に泣い
て謝るけど苦しんでいるはずなのに何故また繰り返すのか。うちのお金が取れないと思っ
たとき、外に向かわないかという心配もあります。金額の大小ではないけれどやっぱり悔
しいし悲しいです。こんなとき、どう対応したらいいのでしょうか。とりあえず今ある現
金は今日銀行に持っていってもう家には置かないつもりです。
本当にスミマセン。とっても素敵なメールをいただいたのに・・・保存して辛くなったら
読もうと思っていたのに何度読み返しても今、やさしい言葉が出てこない自分が情けない
です。まだまだ母は未熟者です。でも、頑張りたいのです。どうしても息子を救いたいの
です。よろしくお願いいたします。
【はやし浩司より、Rさんへ】
(Rさんには、直接、電話をかけました。
30分ほど、相談にのりました。
そのあとに送信したメールです。)
石原様へ
おはようございます。
人生は楽しいですよ。
いろいろなことがありますか。
子どもがいろいろ教えてくれるのです。
自分だけが最悪と思わないこと。
みんな外からはわからないだけ。
同じような問題をかかえて、悩んでいます。
あとは白い雲が流れていくように、
やがて落ち着きます。
あせらず、ここはおおらかに!
「あなたの分は、私ががんばってあげるからね」と、
やさしい言葉をかけてあげてください。
何でもない問題ですから……。
息ができる。
目が見える。
音が聞こえる。
そのすばらしさを、ゆっくりとかみしめましょう!
では、
また何かあれば連絡してください。
はやし浩司
【はやし浩司より、Rさんへ】
R様へ
こんばんは。
息子さんの盗癖は、本人自身でもコントロールできない種類のものと思われます。
アルコール中毒の人がアルコールを求めたり、ニコチン中毒の人が、タバコを
求めたりするのと同じ現象が、脳の中(視床下部→線条体)で起きていると
考えてください。
つまり条件反射的に脳の中で、勝手に反応が起きてしまい、自分でもどうしたら
よいのか、わかっていないのです。
ですから、ここは管理を徹底するという方法で対処しますが、この種の盗癖には、
さらに2番底、3番底がありますから、気をつけてください。
対処の仕方をまちがえると、さらにやっかいな盗癖(家の外での窃盗など)へと
つながっていきます。
今は、これ以上状況を悪くしないことだけを考えて、穏やかに、かつていねいに
息子さんと接してあげるのがコツです。
怒って、感情的になってはいけません。今こそ、親の理性が試されるときと思って
ください。
本来なら、どこかでカウンセリングのようなものを受けるのがよいのですが、
まだそういう制度そのものが、日本のばあい貧弱です。
とにかく感情的にならないこと。
温かい無視で息子さんを包みながら、家の事情などを、ていねいに説明されるのが
よいでしょう。
それでも盗癖がつづくようであれば、はっきり言いますが、ある程度の盗みには
目をつむりなさい。
この時期の熱病のようなものですから、数年もすれば落ち着いてきます。
どこの子どもも、みなしてますよ。
ざっとみても、3人に2人くらいはしているのではないでしょうか。
貯金通帳から盗んで使っている子どももいました。
しかも数百万円単位で使っていました(高校女子)。
ですから必要以上におおげさに考えないこと。
それがそのまま、たとえば、大きな事件につながるというふうには、考えては
いけません。
幼い時から、ほしいものを買い与えてきたツケが今、出ていると考えてください。
値段的には安いものだったかもしれませんが、息子さんは、それで自分の欲望を
満足させていたわけです。
それが今、表に出てきたというわけです。
つまりその責任は、あなた自身にもあるということです。
息子さんだけを見て、息子さんを責めても、それは酷というものです。
繰り返しますが、二番底、三番底が、まだあります。
「今が最悪」とは、思わないこと。
気をつけてください。
そのため、「直そう」とは思わないこと。
「これ以上、悪くしないこと」だけを考えて対処してください。
また悪い面ばかり見ないで、健康で、やさしい子どもですから、ここは子どもを信じて
みましょう。
またこんな程度の問題で、めげていてはいけません。
子どもは、上から見てはいけません。
下から見るのです。
昔の人は、こう言いました。
『上見て、きりなし、下見て、きりなし』と。
そこに子どもがいて、ここに自分がいる。
元気で、みながんばっている。
そこを原点にして、子どもの問題をながめます。
何度も言いますが、Rさんがかかえている程度の問題は、何でもありません。
「盗みたかったら、どうぞ」と。
「その分、私がまたがんばるからね」と。
今のところ、金額も、(子どもの額=少額)のようですから、あとは笑って、
『許して、忘れる』です。
いつか子ども自身が、自分のした行為を恥じるように、Rさん自身が、大きく
成長してみせます。
それが子育てのだいご味でもあります。
まずいのは、取り越し苦労に、ぬか喜び。
もう少し長いスパンで、子どもの問題に接してみてください。
「去年よりはよくなった」とか、いうようにです。
きびしいことを書きましたが、あとはひたすら管理、管理です。
私の息子の1人も、同じようなことをしたことがあります。
そのときは、金庫の中に、手紙を入れておきました。
「いくらでも、もって行け。
だけど、こういうことは、やめよう」と、です。
以後、息子は、ぴたりと盗みをしなくなりました。
では、
はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司
●荒れる子ども
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石川県のNさんという母親より、子どもの
(荒れ)についての相談が届いています。
それについて考えてみたいと思います。
+++++++++++++++++++++
【Nさんより、はやし浩司へ】(1)
はじめまして。時間がなくて、携帯で先生のメルマガ等を読ませていただいていま
した。今回、どうしても力になっていただきたくて、こちらにメールしました。
> 長男が最近荒れています。今小学2年生なのですが、半年ほど前から宿題を嫌がる
ようになり、今では後回し後回しで、結局寝る直前にものすごく雑にやるといった感
じです。
少しでも間違えたり分からなかったりすると、鉛筆を投げ捨ててふてくさ
れ、その後は読めないようなめちゃくちゃな字で怒りながらやったりします。先生の
ブログなどを読むようになり、私の対応がまずかったことに気がついたのですが、今
では手がつけられないような状態になってしまっています。あまり宿題をせかしてや
らせたりしないように、本人の気が向くまで様子を見るようにしているのですが、結
局眠くなってからやるのでよけいに機嫌が悪く、悪循環になっています。
少し前にたくさんほめてちょっとだけやる気がでたこともあったのですが、そこに主人が
いろいろと口うるさく言ったために、またやらなくなってしまいました。昨日は息子が主
人に「一緒に勉強しよう」と言ってやり始めたのですが、また主人が息子がちょっとよ
そ見をするたびに叱るので、最後には大喧嘩になってしまいました。そして今日は主
人が帰ってくるのを見ると、主人の実家(同じ敷地内)に行ってしまい、「パパとご
飯を食べるのはうざいから嫌だ」と言ってなかなか帰ってきませんでした。結局はし
ぶしぶ帰って気きて、一緒にご飯を食べたのですが、私と長男が一日の出来事を話してい
る間に、また主人が子供にうるさく言うので、逃げるように母屋の祖父母のところへ行き
おじいちゃんとお風呂に入ってしまいました。それがまた、主人には面白くないらし
く、その後ずっと不機嫌でした。
実はそういう主人は、子供の頃一度も宿題をやったことがないそうです。主人の父が
プロサッカー選手に育てようと、サッカーの練習以外は必要ないと言って学校の先生にも
「宿題はやりません」と言ったくらいです。主人は自分の反省を生かして息子に勉強させ
ようとしているようなのですが、「勉強しろ」と言われたことがないので、そう言わ
れて勉強をやる気になるのかどうかが分からないのかもしれません。そして、とても
父親風をふかせたがります。
私も主人に時々「それは違うんじゃないの」と言ったりするのですが、主人は全く自分の
やり方を変える気はないようです。最近は主人に対して私も不信感を持つようになり、息
子にとって悪影響ならば離婚したほうがいいのかとまで思うようになりました。主人はこ
ういった先生の本を読むような人ではありませんし、今後も変わらないように思われて、
どうしたら分かってくれるのかと悩んでいます。
最近は少しでも気に入らないと、息子が暴れるようになり、私に暴力をふるうように
なりました。10分もするとけろっとして、「ママ、ごめんね。仲直りしよう」と言
うのですが、その直後にまた思うようにならないことがあると暴れます。これからの思春
期が恐ろしく、不安でいっぱいです。ドラ息子にしてしまった私がいけないのですが、今
すべきことを教えてください。
【Nさんより、はやし浩司へ】(2)
おはようございます。
さっそくのご返事ありがとうございます。朝から返事をいただけたことがうれしく、
涙が出ました。
昨晩は、私もどうしていいかわからず、あせってメールをしたのでうまく内容がまと
まらず、申し訳ありませんでした。肝心なことがいくつかぬけていたので、簡単に補
足します。
●学校でも半年ほど前から授業中に落ち着きがなく、上履きを脱いだり履いたり、何
度も座りなおしたりしています。(参観日に見た限りでは)
●内弁慶で、学校では大人しいのですが、友達はわりと多く、毎日のように帰りに友
達と遊んだりしています。
●ゲームやスポーツで、自分が負けそうになると投げ出す、いわゆるドラ息子です。
●主人は次男に甘く、長男もたまに「パパは○○(弟)には優しいから」と言いま
す。
●小学校に入ったときからですが、最近また「学校を休みたい」と頻繁に言うように
なりました。
以上です。
学校は結局一度も休んでないのですが、休ませたほうがよいのでしょうか。一度休む
と余計に学校に行くのが嫌になる気がしますし、もし休ませたら主人がまたガミガミ
言うのは間違いないので、長男がまた荒れる気がします。
今は学校や家での楽しい話をなるべく長男として、少しずつですが手伝いもやるよう
にさせています。宿題はやらずに学校へいく勇気はないらしく、昨日も怒りながら途
中で寝てしまったので、朝少し早く起こしてやらせました。私に「なんで宿題と学校
の用意をやっておいてくれないの!」と怒っていましたが、少し手伝うことはしても
完全にやってあげるのはまずいと思い、やっていません。
毎日とても迷い、悩みながらの子育てです。でも先生の息子さんも同じように頑張っ
ていると聞いて、少し安心しました。先生の息子さんは、すぐ身近に相談できる人が
いて幸せですね。私は両親にはあまり相談しないので(つまり信頼関係がないので
す)、うらやましく思います。でも私も先生に親切に相談にのっていただけたので、
とてもこころ強いです。
本当にありがとうございました。
先生のアドバイスを参考に、やっていこうと思っています。
7月から次男が保育園に入るので(次男もワガママで手を焼いています)、時間がで
きたら先生の過去のメルマガやブログをゆっくり読みたいと思っています。これから
もたくさんすてきなお話を聞かせてください。楽しみにしています。
【はやし浩司より、Nさんへ】
思いつくまま、書いてみたいと思います。
●三角関係
発達心理学の世界にも、「三角関係」という言葉があります。
父親と母親の育児方針がバラバラで、子どもとの間に、三角関係ができることをいいます。
(両親が一体化しているときは、三角関係はできません。)
よくあるのは、父親が甘く、母親がきびしいケースです。
Nさんのばあいは、そこへ祖父母の関係が入り、三角関係というより、四角関係(?)
ができあがってしまっているように思います。
こうなると、子どもは、ドラ息子、ドラ娘化します(失礼!)。
とくに、2~4歳期(エリクソンの説く自律期)に、それがあると、子どもは自分で
自分を律することができなくなります。
わがままで、自分勝手で、欲望のおもむくまま行動するようになるというわけです。
さらに父親が母親の悪口を言ったり、批判したりすると、夫婦の間に、キレツが入ること
もあります。
そして父親と母親、母親と子ども、子どもと父親の間に、三角関係ができるというわけで
す。
子どもが幼いうちはまだしも、一度、この三角関係ができると、子どもは、親の指示に従
わなくなります。
子どもは、何かあると、甘い父親もしくは祖父母のところへ逃げ込み、そこでわがまま
を通すようになるわけです。
しかしこれは過去の話。
つまり原因は、2~4歳期にあったのでは、私は考えます。
弟さんも、同じような症状が出ているということで、そう判断しました。
問題は、今、どうするか、ですね。
●内弁慶
もうひとつ気になったのは、「内弁慶」という部分です。
外の世界で、自分をすなおに表現できず、その分だけ、不満や不平を、心の内へ内へとた
めこんでいるのではないかということです。
このタイプの子どもは、内弁慶というよりは、突発的にキレたり、暴れたりします。
以前、母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と声をかけただけで、錯乱状態になり、母
親に向かって、包丁を投げつけていた女の子(年長児)がいました。
人間関係が外の世界でうまく結べない子どもは、このように、攻撃型になるタイプと、家
の中に引きこもるタイプに分けて考えます。
ほかに同情型、依存型、服従型などがあります。
●学校恐怖症
こういうケースでは、まず一番心配なのから疑ってみます。
様子からして、お子さんは、要するに学校へ行きたくないのです。
それが基本にあって、さまざまな症状を示しているというわけです。
学校恐怖症の子ども、つまり不登校児のばあい、その前兆症状としてさまざまな神経症的
な症状を示すことが知られています(ジョンソン)。
何か神経症的な症状があれば、注意してください。
(診断シートは、私のHPの中に収録しておきました。)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html
こうした前兆症状がいくつか重なって、そのあと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)
へと入っていくわけです。
そうでなければ、この話は無視してください。
学校恐怖症について書いた原稿を、ここに載せておきます。
++++++++++++++++++++++
【子どもが学校恐怖症になるとき】
●四つの段階論
同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひど
い花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。が、その中でも恐
怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」
といって区別している。
これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。
心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわ
かりやすくしたのが次である。
(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦
怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後
に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。
これを症状の日内変動という。学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめ
る」などと言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と
言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。
(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、
狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」
などと言うと、一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰って
くる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わ
りように驚いて、「これが同じ子どもか」と思うことが多い。
(3)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの
攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は
残り、どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的
に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と
会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示す
こともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子どもといった感じがす
るため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わからなくな
ってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。
(4)回復期……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を始めたり、
外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に
繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一~二時間、週に一日~二日、
月に一週~二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。
●前兆をいかにとらえるか
要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。たい
ていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無
理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。この段階でも、もし親が無理をせず、「そ
うね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。
一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを
考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。
※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)
無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えら
れている。
またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活
動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生
活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えら
れている(「日本教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者
の目を通して、子どもを外の世界から見た区分のし方でしかない。
(参考)
●学校恐怖症は対人障害の一つ
こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四~五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫
ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状
が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人
恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。
●ジョンソンの「学校恐怖症」
「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、19
32年に最初に使い、1941年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命
名したことに始まる。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時の
パニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。
●学校恐怖症の対処のし方
第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこ
の段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまう
ことである。あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある
子どもの心の問題を見落としてしまう。
しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多
い。ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでド
アをはずした。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ
連れていった。その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、
子どもをはげしく叱り続けた。
が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り
返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ
行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそ
れほど重くならなくてすむかもしれない。
また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、
「3か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさ
せなさい」
と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし1週間もたたない
うちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」
と。親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰
り返しているうちに、症状はますますこじれる。
第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜け
ること。(2)前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないこと
だけを考えて、子どもの様子をみる。(3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこ
と。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。(4)
生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。
とくに子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にいない間に、
子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。
回復期に向かう前兆としては、(1)穏やかな会話ができるようになる、(2)生活にリ
ズムができ、寝起きが規則正しくなる、(3)子どもがヒマをもてあますようになる、(4)
家族がいてもいなくいても、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。
こうした様子が見られたら、回復期は近いとみてよい。
要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えるこ
と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早
くする。
●不登校は不利なことばかりではない
一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされ
ている。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で
不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、4割
もいる」という。不登校はマイナスではないと答えた人、39%、マイナスだったと答え
た人、24%など。そして学校へ行かなくなった理由として、
友人関係 ……45%
教師との関係 ……21%
クラブ・部活動 ……17%
転校などでなじめず……14%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。
+++++++++++++++++++++++
【はやし浩司より、Nさんへ】
以上、心配をかけることばかり書きましたが、こうした子どもの問題には、必ず、二番
底、三番底があるということです。
子どもに何か問題が起きると、ほとんどの親は、(100%!)、「今が最悪」と考え、子ど
もに向かって、子どもを直そうとします。
しかし今は、そういう考え方をしません。
子どもは家族の代表でしかありません。
つまり家族全体で、子どもの問題を考える、です。
で、対処の仕方をまちがえると、「まだ以前のほうが、症状が軽かった……」ということ
を繰り返しながら、二番底、三番底へと向かっていきます。
たとえばあなたの子どもが、不登校児になったとします。
そうなったとき、あなたはこう思うはずです。
「宿題ぐらい、何だ!」とです。
さらに何かの大きな心の病気になったとします。
するとあなたはこう思うはずです。
「不登校くらい、何だ!」とです。
ドラ息子、ドラ娘についてですが、もちろんそうでないほうがよいに決まっています。
しかし今、そうでない子どもをさがすほうが、むずかしいくらいです。
日本の子どもたちは、総ドラ息子化しています。
だからたしかに問題は問題ですが、あまり深刻に考えてはいけません。
あなたのご主人だって、かなりドラ息子ぽいですね(失礼!)。
あなた自身も、「私はドラ娘ではなかった」と自信をもって、言えますか?
こうしたドラマを繰り返しながら、子どもは成長し、親は成長するのです。
そのドラマを楽しむ。
そういう広い視野をもつことが大切です。
つまり「突き放すところは、突き放す」です。
しかし温かい無視は、忘れずに……。
●Nさんへのアドバイス
(1)ご主人と対立してはいけません。
子どもの教育のことで、ご主人と対立してはいけません。
まずご主人の言うことに、耳を傾けることです。
そうでなくても難しいのが子育てです。
ここはあなたのほうが折れて、夫婦は一枚岩で、子育てに対処します。
意外と、ご主人のほうが、あなたを見抜いているかもしれませんよ。
(2)ドラ息子症状について
ドラ息子症状については、無視します。
口で言ったり、説教したりしても、意味はありません。
無視、です。
黙って聞き、あとは、無視。
けっして感情的になってはいけません。
相手は、子どもですから……。
(3)愛情飢餓
下に弟がいるということですから、子どもは慢性的な愛情飢餓の状態にあることも考え
られます。
(親にその意識はなくても、弟に親の愛を半分、奪われたという事実が、愛情飢餓状態を
作ります。)
で、こういうときの鉄則は、ただひとつ。
「求めてきたときが、あたえどき」です。
子どもが何かのアクションを起こしてきたら、すかさず、(間髪を入れず)、それに応じて
あげます。
「あとでね……」「待ってね……」は、禁句です。
(4)宿題について
過負担になっていることはじゅうぶん、考えられます。
(同じ分量でも、子どもによって、とらえ方が違いますので、注意してください。)
ですから(できる範囲でして、それですます)が、原則です。
が、それでも子どもがそれを負担に感ずるようであれば、担任の先生に相談してください。
(担任の先生が、少しきびしすぎるかな?)
ていねいに話せば、先生もわかってくれるはずです。
(5)三角関係について
祖父母との同居には、マイナス面もあるいますが、それ以上にプラス面も多いはず。
そういうプラス面を生かして、あなたはあなたで、前向きに生きていけばよいのです。
そういう姿を見て、子どもはまたあなたから、何かを学んでいくはずです。
ドラ息子の問題は、全体からみれば、マイナーな問題です。
これから先のことを言えば、思春期前後に頂点に達しますが、あなたの子どもへの愛情さ
えしっかりしていれば、大げさな問題には発展しません。
ガミガミ、カリカリしないことだけには、注意してください。
大切なのは、自分で静かに考え、行動させ、責任を取らせることです。
ガミガミ、カリカリすればするほど、子どもは非常識な行動を繰り返すようになります。
もちろん親子の関係も、そこで断絶!
●今、すべきこと……
今すべきこと……というよりは、どうか自分をしっかりと保ってください。
このままでは育児ノイローゼも時間の問題かな?
ご主人の協力が何よりも重要です。
ですから、けっしてご主人と対立してはいけません。
またあなたがすべてを背負ってはいけません。
ご主人に任すところは任せて、ご主人に責任を取ってもらいなさい!
あなたが深入りすればするほど、ご主人は逃げてしまいます。
あとはこの悪循環……。
そうならないように、注意してください。
Nさんがそうだというのではありませんが、念のため、育児ノイローゼについて
たまたま先ほど原稿を書きましたので、ここに載せておきます。
参考にしてください。
あとは子どもといっしょに、第二の人生を楽しむつもりで、楽しむこと。
あなたの思い通りにならないのが、子育て。
そして子ども。
どこの家も、似たような問題をかかえています。
(ちょっと無責任な回答ですみません。
私のように、子育てが終わったものからすると、Nさんのような方が、うらやましいです。
今が、いちばん楽しいときですよ!)
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●育児ノイローゼに注意
子育てをしていて育児ノイローゼになる人は多い。圧倒的に母親に多いが、父親がノイ
ローゼになることも、珍しくはない。精神的な打撃によって起こる心的障害のことをノイ
ローゼというが、精神病というほど重くはない。ないが、対処のし方をまちがえると、深
刻な結果を招くことがある。次のような症状が続いたら、育児ノイローゼを疑ってみる。
(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記
憶力の低下)、
(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の
喪失、日常活動への興味の喪失)、
(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、
(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(7)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(8)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロー
ルができなくなる(感情障害)、
(9)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。
もっとも育児ノイローゼになっても、本人がそれに気づくことはまずない。脳のCPU
(中央演算部分)が変調するため、本人はそういう状態になりながらも、「自分ではふつ
う」と思い込む。あるいは他人に「異常」を指摘されたりすると、反対に過度の罪悪感
に襲われ、かえって深く落ち込んでしまうこともある。
そこで重要なのが、夫ということになるが、その夫の協力が得られないことが多い。で、
もしここに書いたような症状のうち、いくつかに思い当たることがあれば、「今の状態はふ
つうではない」という前提で、自分のまわりを見なおす必要がある。できれば子育てその
ものから離れる。でないと、(こういうことを書くと、ますます症状がひどくなってしまう
かもしれないが)、子どもに影響が出てくる。そんなわけで、もし症状がひどいようであれ
ば、一度、精神科のドクターに相談してみる。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●欲望の奴隷たち
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欲望の奴隷になりながら、奴隷になっていることに
すら気がつかない。
またそれがあるべき、大切な価値観と、信じて
疑わない。
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●成功者の看板
まさか「私は成功者です」という看板を、胸につけて歩くわけにはいかない。
そこでその手段として、高級車を買う。
そしてその高級車を乗り回す。
……というような人は多い。
(もちろん、その必要性があって高級車に乗っている人もいるが……。
あるいはこれは、そういう車とは縁のない、私のひがみか?)
もちろん高級車に乗っているから、成功者というわけではない。
また高級車に乗っている人がみな、それを看板にしているというわけでもない。
ただ中には、高級車を、成功者の看板にしている人もいるということ。
あなたの周辺にも、さがせば、そういう人は、1人や2人はかならず、いる。
●欲望の奴隷
ニコチン中毒やアルコール中毒と同じように、欲望中毒の人は多い。
が、ニコチン中毒やアルコール中毒は、外からわかりやすいが、欲望中毒の人は、
外からはわかりにくい。
それにまわり全体、さらには国全体が、欲望中毒になっていたら、自分の姿は見えない。
「私は私」と思っているうちに、欲望の思うがまま、操られるようになる。
見栄や虚栄の世界に、どっぷりとつかっている。
それでもって、「私は成功者」と思い込んでいる。
またそれでもって「私は偉い」と思い込んでいる。
しかし所詮、欲望は欲望。
そういう人は、欲望の奴隷。
●欲望のメカニズム
欲望のメカニズムは、単純である。
脳の中心部にある視床下部から、(生きる信号)が発せられる。
その信号を受けて、快楽と欲望を司る、脳間伝達物質であるドーパミンが放出される。
それが線条体を刺激し、そこにそれに反応する受容体があると、猛烈な欲望となって、
その人を襲う。
アルコール中毒の人が、酒のコマーシャルを見ただけで、ググーッと酒を飲みたくなる
というような現象は、こうして説明される。
ニコチン中毒の人も、同様に考えてよい。
以前は、こうした反応を、「条件反射」という言葉を使って説明した(パバロフ)。
が、欲望には、大きく分けて2つある。
「~~したい」という欲望。
もうひとつは、「~~が、ほしい」という欲望。
ここでいう欲望というのは、後者の欲望をいう。
●物欲
こうして欲望に対する条件反射が、脳の中に形成される。
性欲、食欲、名誉欲、名声欲などなど。
その中でも、とくにやっかいなのが、物欲。
「物」の中に自分の価値観を、作りあげてしまう。
これは極端な例だが、「ためこみ屋」と呼ばれる人たちがいる。
手当たりしだい、自分の家の中にためこんだりするから、家の中は、あっという間に、
ゴミの山となる。
2~4歳期の、いわゆる「肛門期」に、何らかの精神的ショックを受けるとそうなり
やすいという。
ためこみ屋は、他方で、異常なまでのケチになることが多い。
そういう人たちは、モノと自分を切り離すことができない。
モノと自分がいつも、一体化している。
●意識と肉体
たとえば今、自分の手をしっかりと見つめてみよう。
そこに見えるのは、たしかに「私の手」である。
しかし「私の手」といっても、(私という意識)とは、一度切り離してみる。
そうすると、そこに見える「私の手」は、私の手であって、私のモノではないことが
わかる。
これを意識と肉体の分離というが、中には、それができない人がいる。
意識も肉体も、ひとまとめにして、「私」という。
そういう「私観」が、肉体を超えて肥大化したのが、「物欲の奴隷」というふうにも
考えられる。
「私が手で触れたものは、すべて私」と考える。
モノと私が一体化した状態というのは、それをいう。
●私とモノの分離
物欲の奴隷から、自らを解放するためには、まず「私」とモノを分離する。
その第一歩として、先にも書いたように、じっと自分の手を見つめてみるとよい。
その手を見つめながら、それを見ている「私」という意識と、そこにある「手」という
肉体は、別のものであることを確認する。
手を包む皮膚、その下の血管、さらには肉、骨……。
手はあなたの意思によって、あなたの意思のままに動かすことはできても、そこにある
手は、「私」ではない。
それに気づけば、あとは簡単。
まわりのモノを見てほしい。
どれもこれも、ただのモノ。
それぞれには、何らかの意味はあるかもしれないが、それを超えての価値はない。
そこに気づけば、あなたの意識は、モノから解放される。
●私の母
あれほどまでにお金(=マネー)とモノに執着していた母だったが、晩年の母は
ちがった。
私の家で過ごしているとき、私がふとこう聞いたことがある。
「母ちゃん、お金、ほしいか?」と。
すると母は、こう言った。
「お金で、命は買えん(=買えない)」と。
吐き捨てるような言い方だった。
その言葉を聞いて、私は少なからず、驚いた。
母がまさか、そんなふうに言うとは、想像もしていなかった。
歩くこともままならなくなり、便をこぼすようになって、母は母なりに、
何かを悟ったのかもしれない。
Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司
最前線の子育て論byはやし浩司(090622)
●ふと、こんなことを考えた
(1)教室で……
親たちが、そこにいる。
その前に、子どもたちが座っている。
それを見た。
そのときふと、それが、不思議に思えた。
どうしてそんなふうに思ったかは、わからない。
が、そう思った。
私は大きな声で、子どもたちに何かを言っていた。
これに答えて、子どもたちも何かを言っていた。
そんな最中、私は、ふと、そんなことを考えた。
おかしなことだが、そんなことを考えた。
「どうして子どもたちが、ここにいるのだろう」と。
ほんの10年前には、その形すらなかった子どもたちである。
そんな子どもたちがそこにいて、大きな声でしゃべっている。
その子どもたちを見守る母親たちにしても、ほんの30~40
年前には、その形すらなかった母親たちである。
そんな母親たちがそこにいて、子どもたちの姿を見て、笑っている。
言うなれば、(無)から(無)が生まれて、その(無)が
二重に並んで、そこに座っている。
そしてそれを見る私にしても、100年前には、その形すらなかった。
それがふと、不思議に思えた。
(2)立小便をして……
そのつど、いつも「どうして?」と思うことがある。
どこの公衆トイレへ行っても、男子トイレの便器のまわりは、いつも汚れている。
男たちのする小便が、その周りに飛び散っている。
便器の中でじょうずに小便をすれば、それほど汚れるものではない。
が、その小便をじょうずにできない人がいる。
それで便器のまわりは、汚れている。
……と、長い間、そう考えてきた。
ところが、である。
先日、太陽を背に、野原で立小便をした。
そのときのこと。
自分のしていた小便を上から注意深く観察すると、それぞれの小便が
丸い玉になって下へ落ちていくのがわかる。
そのことは子どものころから知っていたが、さらによく観察すると、
細かい霧状の小便が、四方八方に散って落ちていくのがわかった。
太陽の光を受けて、それが美しく輝いていた。
公衆トイレの便器の周辺が汚れるのは、小便をこぼす人がいるからだけではない。
必然的に小便が、飛び散るのだ。
だから便器のまわりは、汚れる。
それがわかった。
だから……というわけでもないが、便器の構造をいくら改良しても、便器の
まわりは必然的に汚れる。
それは不届きな男たちが、小便をこぼすからではなく、もともと小便というのは、
そういうものなのだ。
(3)排除?
たとえばここに問題のある子どもがいたとする。
静かな落ち着きがなく、騒がしい。
周囲の子どもたちを巻き込んで、授業そのものを破壊してしまう。
その子ども自身の責任というよりは、そういう子どもは確率的に
ある一定の割合で出現する。
子ども自身の管理能力を超えたところで、遺伝子が、その子どもを操っている。
だから子どもを叱ったり、責めても、意味はない。
自己認識能力にしても、小学3年生以前の子どもには、ない。
だから説教しても、意味はない。
自分がどういうことをしているか、それを客観的に判断することができない。
……で、こうした子どもにぶつかると、教育者は、すぐ「排除」という
ことを考える。
特別クラスを作って、別のクラスに移そう、と。
が、そういう発想では、この問題は、解決しない。
ではどうするか?
逆!
逆のことをする!
たとえば私の教室でも、そういう子どもがいる。
そういうときは、その子どもを排除しようと考えるのではなく、その子どもを残した
まま、ほかの子どもを、別のクラスに移していく。
問題のある子どもを、ほかのクラスに移したりすると、その子どもは、それを「罰」
ととらえる。
子どもの心理形成にとって、悪い影響を与えることはあっても、よい影響を与える
ことはない。
そこでたとえば学校教育の場でも、この方法を応用してみてはどうだろうか。
多くの学校では、名称こそみなちがうが、「~~特別教室」というのを用意している。
何か、問題のある子どもを、そういうクラスへ入れる。
つまり「排除」する。
が、もしこういう方法だったら、どうだろう。
逆に、学習態度のよい子ども(能力差別ではなく、あくまでも学習姿勢を見て判断)を、
少しずつ、別のクラスに移していく。
「あなたは、学習態度がいいから、ブルーリボン教室に入ってもいいです」と。
こうして1年くらいをかけて、数人から10数人へと順に児童を移動させていく。
そうすれば、クラスを移動する子どもも、喜んで移動するだろう。
あとに残された子どもも、それを見て、自分なりに努力するようになるかもしれない。
……という方法を、実は、私の教室では、ずっと実践している。
そのため、残った子どもが、数人だけというクラスもある。
しかしその数人だけでも、それなりに楽しく学習している。
(できる)(できない)は、問題ではない。
人間関係は、そういうものでは影響を受けない。
たがいに楽しければ、それでよい。
ひとつの参考意見として……。
(4)体重
現在、体重を63キロ台にキープしている。
2か月で、5キロ以上の減量をしたことになる。
その結果だが、5キロといえば、かなりの重さである。
私はいつも2リットル入りのペットボトルに換算して、重さを換算する。
つまり5キロといえば、ペットボトル2本半分!
しかしおかしなことに、自分の体が軽くなったという実感が、あまりない。
どうしてだろう?
2か月という期間の中で、徐々にそうなったからだろうか。
というのも、体重というのは、一日の間だけでも、大きく変化する。
就眠前と就眠後だけでも、1キロはちがう。
食後、水をたくさん飲めば、それだけで1キロくらいは、ふえたりする。
つまり5キロというのは、まだ誤差の範囲ということになる。
それにこうしたダイエットで重要なことは、食事管理だけでしてはいけない。
運動、である。
食事管理と並行して、運動をどうするかが、重要。
というのも、食事だけを減らすと、筋肉のほうが先に萎(な)えてしまう。
おまけに体の抵抗力が落ちるから、いろいろな皮膚病になったりする。
で、ふと、こんなことを考えた。
反対に、太り始めた人は、逆の現象が起きるのではないか、と。
つまり自分の体重を重く感じないまま、太っていく、と。
先に「5キロは誤差の範囲」と書いたが、その誤差が2回積み重なれば、
10キロとなる。
3回積み重なれば、15キロとなる。
つまりこうして太っていく。
Hiroshi Hayashi++++++++June09++++++++++はやし浩司
●映画『愛を読む人』(The Reader)
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ハンカチを用意して、映画館へ足を運んだ。
思いっきり涙をこぼすつもりだった。
だからワイフにこう言った。
「涙が出なかったら、お金を返してもらう」と。
++++++++++++++++++++
見たのは、ケイト・ウィンスレット主演の、『愛を読む人』。
ものすごい映画だった。
息がつまるというか、演技にしても、迫真の演技。
緊張の連続。
それはその通り。
が、涙は出なかった。
一滴も出なかった。
だから私は星3つ。
ワイフは星4つ。
間を取って、★★★+。
が、どうしてか、「お金を返せ」とは言いにくい。
ものすごい映画だったことは、事実。
しかし娯楽映画でもない。
たとえて言うなら、ギューギューと2時間近く、頭の上から押さえつけられたような感じ。
が、映画としては、おもしろくなかった。
どうしてだろう?
映画館でもらった案内には、「朗読を通した30年にわたる切ない愛の
奇跡に、絶賛の声」とある。
そして各界の著名人たちも、言葉を尽くして、「すばらしい映画」と
評価している。
「涙、涙、涙の繰り返しなので、くれぐれもティッシュのご用意を」
(某モデル)というのもある。
涙もろくなった私。
いつもならボロボロと涙をこぼしたはず。
が、涙は、出なかった。
かといって、先にも書いたように、「お金を返せ!」とも言えなかった。
映画がつまらなかったのか?
それとも私の感性が落ちたのか?
ものすごい映画だということは認める。
たしかに、すごい!
しかしその(ものすごさ)に圧倒されすぎて、かえって涙が引っ込んでしまった。
『愛を読む人』というのは、そういう映画。
「もう一度、見たいか」と聞かれたら、私は、「1回でたくさん」と
答えるだろう。
私には、やはり、ああいう映画は向かない。
Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司
【「私」って、何だろう?】(1)(09年6月22日記)
(意識と肉体の分離)
【菩提心】
+++++++++++++++++++++++
仏教によれば、私たちは煩悩(=欲望)のかたまり
であるという。
煩悩には、たとえば『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』
などがある。
『貪(どん)』というのは、「貪(むさぼ)ること」をいう。
『瞋(しん)』というのは、「激しく怒(いか)ること」をいう。
『痴(ち)』というのは、「無知なこと」をいう。
そのほかにもいろいろあるが、私たちの肉体は、これらの
煩悩に満ち溢れている。
その煩悩が、自分の内にある『菩提心』(すべての人々を愛すること)
が目覚めるのを邪魔する
世親(300~400年ごろの人、パキスタン、ペシャワール
あたりの人とされる※)が、そう説いている。
だから世親は、菩提心を呼び起こすためには、心(精神)を、
一度、肉体から切り離さなければならないと説いた(『浄土三部経』)。
+++++++++++++++++++++++++
●精神と肉体
私は53、4歳のころ、女性に対する興味を、ほとんどなくしてしまった。
女性が、「女」として意識できなくなってしまった。
たとえばある日、テレビで相撲を見ていたときのこと。
相撲取りの胸が、たいへん美しく思えた。
「若い娘の胸より美しい」と思った。
あるいはこんなこともあった。
どこかのレストランで、写真週刊誌を読んでいたときのこと。
後半のほうに、若い女性たちのヌード写真が、たくさん載っていた。
それを見ながら、ふとこう思った。
「今まで、どうしてこんな写真に興味をもったのだろう?」と。
で、家に帰ってワイフに、こう言った。
「あのなア、お前、今のぼくなら、混浴風呂で若い女性と肩を並べて入っても
平気だぞ」と。
それに答えて、ワイフはこう言った。
「バカねえ……。相手の女性がいやがるわよ」と。
あとでそのことを人に話すと、「男の更年期」と教えてくれた人がいた。
「初老性のうつ病の症状かも」と教えてくれた人もいた。
うつ病になると、性的な関心を失い、似たような症状が出ることがあるそうだ。
が、それはともかくも、私はそのときはじめて、……というより、思春期以来はじめて、
性欲からの解放感を味わった。
さばさばしたというよりは、どこか乾いた砂漠の中に入ったような気分だった。
心が恐ろしく軽くなったのを覚えている。
と、同時に、それまでの私が、あまりにも性欲の奴隷だったことを知った。
ありとあらゆる面が、「女性」と結びつき、その向こうにある「性」と結びついていた。
それがそのとき、わかった。
●精神と肉体の分離
たまたま今、私は精神と肉体の分離を、現実に経験している。
(少し、おおげさかな?)
というのも、目下、ダイエット中。
少し油断していたら、体重がいつの間にか68キロ台にまでふえていた。
そこで体重を、63キロ台に落とすことを決意。
それが今の今もつづいている。
で、食事のとき、私はいつも自分にこう問いかけながら、食べている。
「食べたら損(そこ)ねるのか、それとも食べなければ損(そん)なのか」と。
たいへん興味深いことに、「損」という感じは、「損(そこ)ねる」とも使う。
「損(そん)」とも使う。
わかりやすく言えば、「体を損(そこ)ねるほど食べたら、かえって損(そん)」
ということになる。
その食欲は、性欲とたいへんよく似ている。
腹がいっぱいになったとたん、食欲はスーッと消える。
性欲もまた同じ。
回りくどい言い方をしたが、私たちの精神は、常に肉体からの命令によって、
左右される。
食欲にしても、性欲にしても、それらは肉体の反応でしかない。
その肉体の反応が、私たちの精神を操る。
ダイエットをしていると、それがよくわかる。
●肉体の奴隷
が、もし肉体の反応のまま、精神が操られるとしたら……。
それが『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』ということになる。
ここでいう『痴』というのは、仏教でいうところの『愚痴(ぐち)』ということになる。
(日本語のグチとは、意味がちがう。
しかしグチを言う人は、基本的に愚かな人とみてよい。)
操られるなら操られるなで構わないと、思う人も多いかと思う。
そのほうが楽しい、と。
ほしいものは、何でも手に入れる。
食べたいものは、何でも食べる。
したいことをし、行きたいところへ行く。
「それがどうして悪いことなのか」と。
が、しかしそれでは、「真理」に到達することはできない。
菩提心を目覚めさせることはできない。
世親は、それを言った。
●『瞋(しん)』
『瞋(しん)』というのは、「激しい怒り」をいう。
世親がそこまで考えて書いたかどうかは知らないが、怒りといっても、2種類ある。
原子力にたとえるのも、どこか不謹慎な感じがしないでもない。
が、原子力の使い方にも、2種類ある。
原子力発電所として、原子力を利用する方法。
もうひとつは、核爆弾として利用する方法。
私は(怒り)を否定しない。
たとえば今、私はこうしてモノを書いているが、心の根底にあるのは、(怒り)と
言ってもよい。
社会に対する怒り、国に対する怒り、世界に対する怒り、など。
もちろん自分に対する怒りも、ある。
特定の個人に対する怒りも、ないとは言わない。
(できるだけそうしたことに、モノを書くということを利用したくないが……。)
そうした(怒り)がなかったら、こうしてモノなど書かないだろう。
つまり私の感じている(怒り)というのは、原子力発電所の中の原子力のようなもの
である。
これに対して、相手の襟首をつかまえ、「コノヤロー」「バカヤロー」と怒鳴りあうのは、
核爆弾の中の原子力のようなもの、ということになる。
●『痴(ち)』
賢者からは、愚痴な人がよくわかる。
手に取るように、よくわかる。
しかし愚痴な人からは、賢者がわからない。
「自分と同じくらいだろう」くらいにしか考えない。
同じように、自分が愚痴な人だったというのは、自分がより賢者になってみて、
はじめてわかる。
それはちょうど山登りに似ている。
下から見たとき、それほど高くないと思っていても、登ってみると、意外と視野が
広いのに驚く。
また同時に、それまでの自分が、いかに低い位置にいたかを知る。
さらに言えば、賢者も、愚痴な人も、相対的な(差)でしかない。
賢者の上には、さらなる賢者がいる。
愚痴な人の下には、さらなる愚痴の人がいる。
だから釈迦は、『精進(しょうじん)』という言葉を使った。
「日々に、研鑽あるのみ」「死ぬまで、研鑽あるのみ」と。
その努力を怠ったとたん、どんな賢者でも、愚痴の世界に向かって、そのまま
まっしぐらに、ころげ落ちていく。
●『時は金なり』
こうして私たちは、肉体は肉体とし、精神は精神として、分離する。
けっして肉体の奴隷になってはいけない。
奴隷になったとたん、自分を見失う。
見失って、貴重な時間を浪費する。
『時は金なり』とはいうが、『時(=時間)そのものが、貴重』なのだ。
仮に今、あなたが「あなたの余命は、あと半年です」と宣告されたら、あなたは
どうするだろうか。
あなたは自分の命の短いことをのろい、悶絶するかもしれない。
しかし半年でも、10年でも、20年でも、同じではないか。
人はみな、例外なく、死に向かって、静かな行進をしつづける。
今、病気の人たちだけではない。
健康な人も、だ。
●恐怖心
これから先については、私は想像で書くしかない。
「生きとし生けるもの、すべてに愛をもつこと」を『菩提心』というが、それが
どういうものなのかは、私にもわからない。
そこがどんな世界かも、知らない。
またそういう世界へ入っていくことに対して、恐怖心もないわけではない。
そのことは、若いころ、インドのマザーテレサを知ったときにも感じた。
マザーテレサは、私たちのそれとは想像もつかないほど高い境地に達した人だが、
では、それがそのまま私たちの幸福感とつながるのかどうかということに、自信
がもてなかった。
さらに具体的には、こうも考えた。
「もし私の息子の1人が、マザーテレサの弟子になりたいと言い出したら、それを
親として許すか」「許せるか」と。
あなたなら、どうするだろうか。
それがここで私がいう、「恐怖心」ということになる。
●『菩提心』
キリスト教では、愛を説く。
仏教では、慈悲を説く。
イスラム教というと、キリスト教とはまったく異質の宗教と考えている人は多い。
しかしキリスト教とイスラム教は、実際には、兄弟宗教と考えてよい。
この2つは、知れば知るほど、よく似ている。
もちろんイスラム教でも、愛を説く。
これに対して、『菩提心』というのは、愛に合わせて、「智」も含まれる。
だから世親は、人間の欠陥のひとつとして、『痴』という言葉を使った。
「愛だけでは、人間は完成されない。智が伴って、はじめて人間は完成される」と。
これは私の勝手な判断によるものだが、それほどまちがっていないと思う。
で、その『智』とは何か。
東洋医学では、(意)→(志)→(思)→(慮)→(智)と順に生み出していくと教える。
日本語にも、「意志」「思慮」という言葉がある。
「智」は、その先にある言葉ということになる。
英語では、sharp(頭が切れる)→clever(頭がよい)→wise(賢い)
というふうに使い分ける。
話はそれたが、簡単に言えば、人間は愛だけではだめ。
知性、理性がともなって、はじめて、愛は愛として光り輝く、というふうにも、
解釈できる。
世親のすごさは、一言で言えば、ここにある。
要するに、『菩提心』というのは、心の中にある山の中でも、最高峰ということになる。
そこから見える景色は、どんなものか。
そのとき私はどんな境地に包まれるのか。
それは私にもわからないが、死ぬまでに一度は、その山に登ってみたい。
きっとすばらしい世界にちがいない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て
Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 世親 浄土三部経 菩提心)
(注※……世親、ウィキペディア百科事典より)
『世親(せしん、サンスクリット、vasubandhu ヴァスバンドゥ、音写:婆藪般豆、婆藪
般頭、旧訳名:天親〈てんじん〉)は、古代インドの仏教僧。現在のパキスタン、ペシャワ
ールの人で、無著の弟。浄土真宗七高僧の第二祖。
初め部派仏教の説一切有部を学び、有部一の学者として高名をはせた。ところが、兄の無
着から大乗仏教を勧められ、下らない教義を聞いていたと自らの耳をそいで、瑜伽行唯識
学派に入ったといわれている。その後、唯識思想を学び体系化することに勤めた』『300
~400年ごろの人』とある。
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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