●堪忍袋の緒が切れた! (麻生首相よ、いい加減にしろ!)
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何を言っても驚かない。
怒らない。
しかし今度だけは、別!
堪忍袋の緒が切れた。
怒った!
私は、怒った!
もともとモヤモヤしていたところに、火がついた!
爆発した!
まず、つぎの記事を読んでほしい。
これを読んで、怒らない人(高齢者)はいないと思う。
とくに私の年代で、自分の体にムチ打ってがんばっている人ほど、
そうではないか。
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●「高齢者は、働くことしか才能がない」
(以下、読売新聞、7月25日より)
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麻生首相は25日午前、横浜市内で開かれた日本青年会議所の会合であいさつし、「日本は65歳以上の人たちが元気だ。介護を必要としない人たちは8割を超えている」としたうえで、「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは働くことしか才能がない。働くということに絶対の能力がある。80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」と語った。(2009年7月25日)
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●働きたい
私は働きたい。
死ぬまで働きたい。
また元気な老人たちは、年金を返上してでも、働いたらよい。
それがそのまま生きる喜びにつながる。
私たちを支えたくれた人たちに対して、恩返しもできる。
そういう思いは、ある。
またそういう思いで、毎日、がんばっている。
しかしそれを逆手に取られると、カチンとくる。
麻生という首相は、基本的な言葉の使い方も知らない、バカである。
はっきりと断言する。
「バカ」である。
「元気な高齢者をいかに使うか。
この人たちは働くことしか才能がない。
働くということに絶対の能力がある。
80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」とは!
「いかに使うか」という発想そのものが、許せない。
私たちは麻生首相の道具ではない。
もちろん奴隷でもない。
しかも「働くことにしか才能がない」とは!
もう少しくだけた言い方をすれば、「働くことしか能がない」となる。
ニュアンスとしては、それと同じ。
あるいは麻生の言語能力からして、もともと「能がない」と言おうと
したところを、「才能がない」と、言いまちがえたのではないのか。
ふつうはこういうとき、「能がない」と言う。
「才能がない」とは言わない。
たとえば「あいつは、パチンコしか脳がない」とは言うが、
「パチンコしか才能がない」とは言わない。
もちろん相手をバカにしたときに、そう言う。
先の首脳会談では、ドイツを怒らせ、ロシアを怒らせた。
で、今度は、私たち、団塊の世代を怒らせた!
ものは言いよう。
「高齢者の人たちには、がんばってもらいたい」とか、
「働きたい高齢者のために、環境を整えたい」とか、
そういうふうに言うのなら、まだ理解できる。
また政治家たるもの、その程度の知性はもってほしい。
それを、「80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」とは!
つまり「今さら遊ぶことなどできないはずだから、働け」という意味か。
誤解があるといけないので、明言しておく。
私たちは、遊びたいのではない。
遊んだところで、どうなる?
それがどうした?
遊べば遊ぶほど、自分がむなしくなる。
1年を1日にして、生きるようになる。
そんな人生に、どれほどの意味があるというのか。
私たちが求めるのは、生きがい。
仕事でもよい。
一人前の仕事。
今まで得た経験や知恵を還元できる、職場、環境、そして社会。
政治家なら、その程度の思考力はあってしかるべき。
それにしても、これほどまでに高慢な政治家というのも、そうは
いない。
ふつうなら、それ以前の段階で、自然淘汰され、政治家として選ばれない。
が、どういうわけか、「おバカ」(日刊ゲンダイ)が、首相をしている。
血筋や血統だけで、政治をしている。
これを民主主義の欠陥と言わずして、何と言う?
で、私は浮動票の王様。
私が投票するところ、浮動票が動く。
で、今度だけは、J党だけには、勝たせたくない。
J党というより、麻生には勝たせたくない。
勝てば、(仮に僅差でなら、敗れても)、麻生は、有頂天になるはず。
そして政権続行!
だからいって、どの党に一票を入れるかということについてまでは、
ここには書けない。
しかし私が行くところ、浮動票の行くところ。
結果は、今度の選挙の結果でわかるはず。
……それにしても、「働くことしか、才能がない」とはねエ。
確かにそうかもしれないが、しかし麻生だけには、そう言われたくない。
この不快感。
拒絶感。
それにしても、どうしてあの程度の男が、総理大臣などしているの
だろう。
ほぼ同年齢だが、あまりにも低劣。
レベルが低すぎる。
麻生を選んだ、つまりは私たち有権者が愚かだったということになる。
が、麻生は、国政選挙という選挙を通して総理大臣になった男ではない。
それだけが、今の私たち国民にとって、ゆいいつの救いということになる。
ついでにJ党の細田氏は、麻生をかばってか、またまた失言。
こう言った。
「自民党の細田博之幹事長が首相の失言などを取り上げた報道を批判し、『国民の程度か
もしれない』」(毎日新聞・7・25)
と。
J党の閣僚たちの発言には、意味不明のものが多い。
しかしそのまま読めば、「麻生総理が言ったように、国民の程度というのは、その程度ほど
までに低い」とも解釈できる。
もしそうなら、これまた、これほどまでに私たちをバカにした言葉はない。
私の地元の選出の、片山さつき氏は、かつてこう言った。
「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」(倉田由美子・雑誌「諸君」
05年11月号・P87)と。
「この辺の田舎者」というのは、静岡県7区に住む、この私たちのことをいう。
さらにに一言。
青年会議所って、いったい、何をしているところなのか?
(麻生の失言 総理の失言 暴言 総理大臣の暴言 麻生総理大臣の失言
麻生総理の失言 暴言)
(注※)
その片山さつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、こんな気になる記事を書いている。
『……片山さつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪ではない、媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務省キャリア」という自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。
そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、自分が客観視できない、強すぎる主観の表れだ。
「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もはやお手上げなのだろう』(以上、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)と。
この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、倉田真由美氏に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。
片山さつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという話は、当時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかった。
何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにした発言はない。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではないかとは疑っていたが、片山さつき氏は、まさにその通りの女性だった。
私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは何か? あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!
もしこれらの発言が事実とするなら、私は片山さつき氏を許さない。片山さつき氏は、まさに選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだけ利用しておきながら、その私たちを、「田舎者」とは!
そして先の選挙からちょうど1年になるが、片山さつき氏が、この1年間、この地元に帰ってきて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフにも聞いてみたが、ワイフも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言った。
つまり、片山さつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言えば、自己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。
しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、まかり通ってよいのか?
ある日、突然、中央から、天下り官僚がやってくる。それまで名前のナの字も知らない。もちろん地元のために、何かをしてきた人でもない。そういう人が、うまく選挙だけをくぐりぬけて、国会議員になり、また中央へ戻っていく! どうしてそういう人が、地元の代表なのか?
そののち片山さつき氏は、派手なパフォーマンスを繰りかえし、政界ではさまざまな話題をふりまいている。しかしそれらは、あくまでも、自分のため。私たちの住むこの地元の利益につながったという話は、まったく聞いていない。少なくとも、私は、まったく知らない。
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同じようなテーマで書いたエッセー
がつぎのものです。
先のエッセーの直後に書いたもの
です。
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●仕事開始!
夏休みも終わって、仕事開始。とはいっても、これとて大きな変化はない。淡々と、その日のルーティーン(茶飯事)をこなすだけ。
やりたいことは、いろいろある。しかしどれも、時間がかかることばかり。そのため、とりかかる前に、何かと、おっくうになる。
そういえば、昨日(19日)は、頭にカチンとくることがあった。あの片山さつき氏(静岡県7区から立候補、当選)のことだ。
片山さつき氏は、この選挙区(地方区)で敗れても、全国区の比例区で当選する段取りになっていた。だから当時から、(熱意に欠ける選挙運動)が、問題になっていた。その片山さつき氏が、東京へ戻ってから、こんなことを言っていたという。
「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」(倉田真由美氏指摘・「諸君」)。
ここまで書いて思い出したことがある。昔、中央官庁で部長をしていた知人が、私にこう言った。
「定年退職をしたら、郷里の長野県のS市に帰って、市長でもしようかな」と。「……でも」というところが、恐ろしい!
片山さつき氏の発言は、その部長の発想の延長線上にある。何が、市長だ! バカヤロー!
何でもかんでも、「東京からきた」というだけで、ありがたがる田舎根性。それはたしかに、この浜松市にもある。私は、否定しない。
しかしその田舎根性を逆に利用して、中央からやってくる政治家たち。私は、そういう政治家というより、そういう政治家を生み出す、この日本のシステムに腹が立つ。
わかりやすく言えば、日本の民主主義も、この程度。みなが、何かに動かされるまま、動かされてしまう。自分で、考えようとしない。自分で考えて、行動しようとしない。
近く、もう少し涼しくなったら、この問題に取り組んでみよう。今は、暑くて、脳みそも、だらけがち。それに明日から、仕事が待っている。まず、私の生活を優先させなければならない。
がんばろう! がんばります!
Hiroshi Hayashi++++++++JULY 09++++++++はやし浩司
2009年7月27日月曜日
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