●子どもの虚言癖
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「子どもは家族の代表」という考え方が、
現在では、主流的な考え方です。
というより、今では、常識。
子どもに何か問題が起きたときは、
それを「家族全体の問題」として考えます。
子どもだけを見て、「直そう」と考えては
いけません。
E県のESさん(母親)から、子どもの
虚言癖について、メールが届いています。
この問題を、いっしょに考えてみたいと
思います。
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【ESさんより、はやし浩司へ】
小学校6年生の息子のことでご相談させてください。
先日、息子の通学用のかばんから危ないものが出てきました(料理用の小型ナイフ)。
その前に、台所で何かに興味を示していたので、息子が自分でかばんに入れて
学校に持って行ったものと思い、
「危ないから、そんなものはもって行ってはいけない」と注意すると、
絶対自分はかばんに入れていない、自分ではない、と強く反論しました。
それでも内心嘘をついていると思いながらもあまり問い詰めず、そのままになりました。
翌朝、もう一度、もって行ったことはともかく、嘘をついたことが気になり、
学校に登校する前に「本当は持って行ったんじゃないの」と聞きましたが、
泣きながら、絶対に自分は知らない、と反論しました。
それですっかり怖くなってしまったのですが、
嘘をついているなら、まだましで、本人の記憶が飛んでいるのではないかと
思うほど、自分でも「もって言っていない」と、信じ込んでいる様子なのです。
普段から生活態度がだらしなく、細かいことまで沢山注意したり叱ったりすることも多く、
バイオリンを小さい頃から習っていて、その練習でも親子喧嘩が絶えず、
ストレスがたまった結果、こんなことになったのか、と悩んでいます。
子供はこうやって都合の悪いことを、本当に忘れたりすることがあるのでしょうか。
それともやはり分かっていて嘘をついているのでしょうか。
病的行動との心配があるならどう対処したら良いのでしょうか。
どうしてよいか分からず、悩んでいます。
【はやし浩司より、ESさんへ】
いくつかの点で、気になることがあります。
(1)「かばんから……」という部分
(2)「泣きながら……」という部分
(3)「親子喧嘩が絶えず……」という部分
(4)「すっかりこわくなって……」という部分
子どもの虚言で注意しなければならないのは、「空想的虚言(妄想)」です。
それについては、たびたび書いてきましたので、一度、「はやし浩司 空想的虚言」で
検索してみてください。
(私のHPのトップページ、子育てあいうえおを参考にしてください。)
SEさんのお子さんのばあいも、その空想的虚言が疑われます。
心の中に別室を作り、その中に、いやなことや、思い出したくないことを、
閉じ込めてしまいます。
心理学的には、「抑圧」という言葉を使って説明されます。
自分の心を守るために、いやなことを閉じ込めるという防衛機制をいいます。
この抑圧についても、たびたび書いてきました。
一般的には、気の抜けない、強圧的な過干渉が慢性化すると、子どもは自分の心を防衛するために、いわゆるシャーシャーとウソをつくようになります。
そしてひとつのウソがバレると、また新たなウソをつきます。
それがひどくなると、先に書いた、空想的虚言となるわけです。
(たった一度の、衝撃的な事件がきっかけで、空想的虚言をつくようになる子どももいます。)
で、この抑圧で怖いのは、ふだんは何ともなくても、時と機会をとらえて、突発的に
爆発するということです。
俗に言う「キレる」原因の一つになることもあります。
「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と、です。
古い、とっくの昔に忘れたはずのできごとを、つい昨日のできごとのように思い出して、キレるのが、特徴です。
(30歳になっても、40歳になっても、子どものころのことを、つい昨日のできごとのように思い出して、錯乱的に怒ったりすることもあります。
心の別室の中では、時間は止まったままになります。)
が、抑圧イコール、空想的虚言ということではありません。
子どもの心理は、もう少し複雑です。
で、それについて書く前に、気になった点を並べてみます。
(1)「かばんから……」……私は、生徒はもちろん、ワイフのかばんすら、中をのぞいたことがありません。いわんや息子たちのかばんをのぞいたことは、ただの一度もありません。そういう私ですから、それが許されることなのか、許されないことなのかという議論はさておき、ESさんの行為が、私には、理解できません。
(2)「泣きながら……」……ふつうは、(「ふつう」という言葉は、あまり使いたくありませんが)、この程度のことで、子どもは泣かないものです。どうしてそこまでたがいに感情的になってしまうのでしょうか。責める側(=ESさん)にも、子どもの側にも、心の余裕が感じられないのが、気になります。
(3)「親子喧嘩が絶えず……」……私も小学生のとき、バイオリンをやらせられ、たいへんいやな思いをした経験があります。結果、大の音楽嫌いになってしまいました。小学生のころ、「音楽」という言葉を聞いただけで、ゾーッとしたのを、覚えています。
(4)「すっかりこわくなって……」……お子さんが小3であることを考えるなら、親子関係はすでに、かなり危険な状態に入っているとみますが、いかがでしょうか。
●過去の事例から
似たような事件で、印象に残っているのが、2つあります。
ひとつは、月謝袋をバスの中で落としたと言い張った女の子(小4)。
落としたときの様子を、ことこまかに説明したので、私はウソと判断しました。
もう1人は、私の教室でおしっこを漏らしたと母親に告げた男の子(年長児)。
「林先生(=私)が、床を拭いてくれた」と母親に言いましたが、私には覚えがありません。
それで母親が問い詰めると、今度は、「園バスの中でもらした」と。
が、バスの運転手さんや、同乗の先生に聞いても、「知らない」と。
結局、その子どもは、バスをおりてから、家に帰るまでの間にもらしたということになりました。
「どうしてママに言えなかったの!」と叱られるのがいやで、そういうウソをついたのでしょう。
●二番底、三番底
この種のケースで注意しなければならないのは、二番底、三番底です。
けっして「今が最悪」と考えてはいけません。
「子どもを直そう」と考えるのも、危険です。
(簡単には、直りませんから……。)
対処の仕方をまちがえると、「まだ以前のほうが症状は軽かった……」ということを繰り返しながら、さらに症状はこじれます。
もっと大きな問題を引き起こすようになります。
まだ小3ですから、まにあいます。
今は、「これ以上、問題(=子どもの心)を、こじらせないこと」だけを考えて、対処してください。
大切なことは、ESさんの、育児姿勢、態度を、改めることです。
子どもだけを見て、ESさんは、自分の姿を見ていません。
冒頭に書いたように、子どもは、家族の「代表」にすぎないのです。
そういう視点で、率直に反省すべきことは反省します。
●気になる不信感
ESさんの子育てを総合的に判断すると、いわゆる「不信型の子育て」ということになります。
「信じられない」という不安感が、過干渉の原因になっています。
が、この問題は、「根」が深いです。
時期的には、0~2歳までさかのぼります(エリクソン・心理社会発達理論)。
母子の間の、基本的信頼関係の構築に失敗したとみます。
ESさんのほうが、お子さんを全幅に許してこなかった。
その結果、ESさんがお書きになっているように、「普段から生活態度がだらしなく、細かいことまで沢山注意したり叱ったりすることも多く……」ということになったと考えられます。
「だらしない」という基準は、どこにあるのでしょうか。
どこの子どもも、だらしないものですよ。
だらしなくない子どもなど、いないと考えてください。
ESさんの思い通りにならないからといって、「だらしない」と決めつけてはいけません。
むしろ逆で、子どもは学校という職場で、疲れきって帰ってきます。
家の中で、ぞんざいになっても、それはそれでしかたのないことです。
(とくにESさんのお子さんは、そうではないでしょうか。)
むしろ家の中では、したいようにさせ、羽を伸ばさせてやる。
それが「家庭」の基本です。
私があなたの子どもなら、こう言うでしょうね。
「うるさい、放っておいてくれ!」と。
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