2012年6月25日月曜日

Monster Mom (2)

あんたさ、英語教育に反対してよ!
おめでたママ(失敗危険度★★★★★)

●英語教育は日本語をだめにする?

 こんな相談も。「今度うちの小学校でも英語教育が始まったが、今、英語なんか教えてもらったら、うちの子(小三男児)の日本語がおかしくなってしまう。英語教育には反対してほしい」と。こう書くと、まともな日本語で母親が話したかのように思う人がいるかもしれないが、実際にはこうだ。「今度、英語ね、ほら、小学校で、英語。ありゃ、うちの子に、必要ないって。あんな英語やらやあ、さあ、かえって日本語、ダメになるさ。あんたさ、評論家ならさ、反対してよ」と。日本語すらまともに話せない母親が、子どもの国語力を心配するから、おかしい。

●この子には、力があるはずです

 が、子どもの受験のことになると、ほとんどの親は自分の姿を見失う。数年前だが、一人の中学生(中一男子)が、両親に連れられて私のところにやってきた。両親は、ていねいだが、こう言った。「この子には、力があるはずです。今までB教室といういいかげんな塾へ行っていたので、力が落ちてしまった。ついては、先生に任せるから、どうしてもS高校へ入れてほしい」と。

 S高校といえば、この静岡県でも偏差値が最上位の進学高校である。そこで私は一時間だけその中学生をみてみることにした。が、すわって数分もしないうちに、鉛筆で爪をほじり始めた。視線があったときだけ、何となく頭をかかえて、勉強しているフリはするものの、まったくはかどらない。明らかに親の過関心と過干渉が、子どものやる気を奪ってしまっていた。私は隣の部屋に待たせていた両親を呼んで、「あとで返事をする」と言って、その場は逃げた。

●「はっきり言ったらどうだ」

 数日置いて、私はていねいな手紙を書いた。「今は、時間的に余裕もないから、希望には添えない」という内容の手紙だった。が、その直後、案の定、父親から猛烈な怒りの電話が入った。父親は電話口の向こうでこう怒鳴った。「お前は、うちの子は、S高校は無理だと思っているのか。失敬ではないか。無理なら無理と、はっきり言ったらどうだ」と。

●デパートの販売拒否

 本当にこのタイプの親は、つきあいにくい。どこをどうつついても、ああでもない、こうでもないとつっかかってくる。公立の、つまり税金で動いている学校ですら、選抜試験をするではないか。私のような、まったく私立の、一円も税金の恩恵を受けていない教室が、どうしてある程度の選抜をしてはいけないのか。

 ほとんど親がそうだが、私が入会を断ったりすると、まるでデパートで販売拒否にでもあったかのように、怒りだす。気持ちはわからないわけではないが、つまりは、それだけ私たちは「下」に見られている。しかし昔からこう言うではないか。『一寸の虫にも五分の魂』と。そういうふうにしか見られていないとわかったとたん、私たちだって、教える気はうせる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

学校の先生が許せない!
自分を知る、子どもを知る(失敗危険度★★★★)

●汝自身を知れ

 自分を知ることはむずかしい。スパルタの七賢人の一人、ターレスも、『汝自身を知れ』という有名な言葉を残している。つまり自分のことを知るのはそれほどむずかしい。理由はいくつかあるが、それはさておき、自分の子どものことを知るのは、さらにむずかしい。

 一般論として賢い人には、愚かな人がよく見える。しかし愚かな人からは賢い人が見えない。もっと言えば、賢い人からは愚かな人がよく見えるが、愚かな人からは賢い人が見えない。かなり心配な人(失礼!)でも、自分が愚かだと思っている人はまずいない。さらにタチの悪いことに、愚かな親には、自分の子どもの能力がわからない。これが多くの悲喜劇のモトとなる。

●「ちゃんと九九はできます」

 学校の先生に、「どうしてうちの子(小四男子)は算数ができないのでしょう」と相談した母親がいた。その子どもはまだ掛け算の九九すら、じゅうぶんに覚えていなかった。そこで先生が、「掛け算の九九をもう一度復習してください」と言うと、「ちゃんと九九はできます」と。掛け算の九九をソラで言えるということと、それを応用して割り算に利用するということの間には、大きなへだたりがある。が、その母親にはそれがわからない。九九がソラで言えれば、それで掛け算をマスターしたと思っている。子どもに説明する以上に、このタイプの親に説明するのはたいへんだ。その先生はこう言った。

 「親にどうしてうちの子は勉強ができないかと聞かれると、自分の責任を追及されているようで、つらい」と。私もその気持ちはよく理解できる。

●神経質な家庭環境が原因 

が、能力の問題は、まだこうして簡単にわかるが、心の問題となるとそうはいかない。ある日、一人の母親が私のところへきてこう言った。「うちの子(小一男子)が、おもらししたのを皆が笑った」というのだ。母親は「先生も一緒に笑ったというが、私は許せない」と。だから「学校へ抗議に行くから、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断ったが、その子どもにはかなり強いチック(神経性の筋肉のけいれん)もみられた。その子どもがおもらしをしたことも問題だが、もっと大きな問題は、ではなぜもらしたかということ。なぜ「トイレへ行ってきます」と言えなかったのかということだ。もらしたことにしても、チックにしても、神経質な家庭環境が原因であることが多い。

●ギスギスでは教育はできない

学校という場だから、ときにはハメをはずして先生や子どもも笑うときがあるだろう。いちいちそんなこまかいことを気にしていたら、先生も子どもも、授業などできなくなってしまう。また笑った、笑われたという問題にしても、子どもというのはそういうふうにキズだらけになりながら成長する。むしろそうした神経質な親の態度こそが、もろもろの症状の原因とも考えられる。が、その親にはわからない。表面的な事件だけをとらえて、それをことさらおおげさに問題にする。

●子どもを知るのが子育ての基本

 まず子どもを知る。それが子育ての基本。もっと言えば子どもを育てるということは、子どもを知るということ。しかし実際には、子どもを知ることは、子育てそのものよりも、ずっとむずかしい。たとえば「あなた」という人にしても、あなたはすべてを知っているつもりかもしれないが、実際には、知らない部分のほうがはるかに多い。「知らない部分のほうが多い」という事実すら、気がついていない人のほうが多い。

人というのは、自らがより賢くなってはじめて、それまでの愚かさに気がつく。だから今、あなたが愚かであるとしても、それを恥じることはないが、しかし、より賢くなる努力だけはやめてはいけない。やめたとたん、あなたはその愚かな人になる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った
汝(なんじ)自身を知れ(失敗危険度★★★★)

●自分を知ることの難しさ

自分を知ることは本当にむずかしい。この私も、五〇歳を過ぎたころから、やっと自分の姿がおぼろげながらわかるようになった。表面的な行動はともかくも、内面的な行動派、「私」というより、「私の中の私」に支配されている。そしてその「私の中の私」、つまり自分は、「私」が思うより、はるかに複雑で、いろいろな過去に密接に結びついている。

●「ぼくは何も悪くなかった」

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

●問題の本質は?

 ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

●自分であって自分でない部分

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。

「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

一緒に抗議に行ってほしい!
過関心は百害のもと(失敗危険度★★★★★)

●問題は母親に

 ある朝、一人の母親からいきなり電話がかかってきた。そしてこう言った。いわく、「学校の席替えをするときのこと。先生が、『好きな子どうし並んでいい』と言ったが、(私の子どものように)友だちのいない子どもはどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮が足りない。こういうことは許せない。先生、学校へ一緒に抗議に行ってくれないか」と。その子どもには、チックもあった。軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、そういうことはこの母親にはわかっていない。もし問題があるとするなら、むしろ母親のほうだ。こんなこともあった。

●ささいなことで大騒動

 私はときどき、席を離れてフラフラ歩いている子どもにこう言う。「おしりにウンチがついているなら、歩いていていい」と。しかしこの一言が、父親を激怒させた。その夜、猛烈な抗議の電話がかかってきた。いわく、「おしりのウンチのことで、子どもに恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。その子ども(小三男児)は、たまたま学校で、「ウンチもらし」と呼ばれていた。小学二年生のとき、学校でウンチをもらし、大騒ぎになったことがある。もちろん私はそれを知らなかった。

●まじめ七割

 しかし問題は、席替えでも、ウンチでもない。問題は、なぜ子どもに友だちがいないかということ。さらにはなぜ、小学二年生のときにそれをもらしたかということだ。さらにこうした子どもどうしのトラブルは、まさに日常茶飯事。教える側にしても、いちいちそんなことに神経を払っていたら、授業そのものが成りたたなくなる。子どもたちも、息がつまるだろう。教育は『まじめ七割、いいかげんさ三割』である。子どもは、この「いいかげんさ」の部分で、息を抜き、自分を伸ばす。ギスギスは、何かにつけてよくない。

●度を超えた過関心は危険

 親が教育に熱心になるのは、それはしかたないことだ。しかし度を越した過関心は、子どもをつぶす。人間関係も破壊する。もっと言えば、子どもというのは、ある意味でキズだらけになりながら成長する。キズをつくことを恐れてはいけないし、子ども自身がそれを自分で解決しようとしているなら、親はそれをそっと見守るべきだ。へたな口出しは、かえって子どもの成長をさまたげる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

勉強だけをみてくれればいい!
何を考えている!(失敗危険度★★★★★)

●アンバランスな生活

 どうしようもないドラ息子というのは、たしかにいる。飽食とぜいたく。甘やかしと子どもの言いなり。これにアンバランスな生活が加わると、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。「アンバランスな生活」というのは、たとえば極端に甘い父親と極端に甘い母親で、子どもの接し方がチグハグな家庭。あるいはガミガミとうるさい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような環境をいう。

こういう環境が日常化すると、子どもはバランス感覚のない子どもになる。「バランス感覚」というのは、ものごとの善悪を冷静に判断し、その判断に従って行動する感覚をいう。そのバランス感覚がなくなると、ものの考え方が突飛もないものになったり、極端になったりする。常識はずれになることも多い。友だちの誕生日に、虫の死骸を箱につめて送った子ども(小三男児)がいた。先生のコップに殺虫剤を入れた子ども(中二男子)がいた。さらにこういう子ども(小三男児)さえいる。学校での授業のとき、先生にこう言った。

●「くだらねえ授業だなあ」

 「くだらねえ授業だなあ。こんなくだらねえ授業はないゼ」と。そして机を足で蹴飛ばしたあと、「お前、ちゃんと給料、もらってんだろ。だったら、もう少しマシなことを教えナ」と。

 実際にこのタイプの子どもは少なくない。言ってよいことと悪いことの区別がつかない。が、勉強だけはよくできる。頭も悪くない。しかしこのタイプの子どもに接すると、問題はどう教えるではなく、どう怒りをおさえるか、だ。学習塾だったら、「出て行け!」と子どもを追い出すこともできる。が、学校という「場」ではそれもできない。教師がそれから受けるストレスは相当なものだ。

●本当の問題 

 が、本当の問題は、母親にある。N君(小四男児)がそうだったので、私がそのことをそれとなく母親に告げようとしたときのこと。その母親は私の話をロクに聞こうともせず、こう言った。「あんたは黙って、息子の勉強だけをみてくれればいい」と。つまり「余計なことは言うな」と。その母親の夫は、大病院で内科部長をしていた。
 

はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

いらんこと、言わんでください!
女の修羅場(失敗危険度★★★★)

●子どもは芸術品

 母親たちのプライドというのは、男たちには理解できないものがある。その中でも、とくに子どもは、母親にとっては芸術作品そのもの。それをけなすとたいへんなことになる。こんなことがあった。

 スーパーのレストランで、五歳くらいの子どもが子どもの顔よりも大きなソフトクリームを食べていた。体重一五キロ前後の子どもが、ソフトクリームを一個食べるというのは、体重六〇キロのおとなが四個食べる量に等しい。おとなでも四個は食べられない。食べたら食べたで、腹の調子がおかしくなる。で、その子どもと目が合ったので、思わず私はその子どもにこう言ってしまった。「そんなに食べないほうがいいよ」と。が、この一言がそばにいた母親を激怒させた。母親はキリリと私をにらんでこう叫んだ。「あんたの子じゃないんだから、いらんこと、言わないでください!」と。またこんなことも。

●江戸のカタキを長崎で討つ

 母親というのは、自分で自分の子どもを悪く言うのは構わないが、他人が悪く言うのを許さない。(当然だが……。)たとえ相手が子どもでも許さない。これは実際あった話だが、(ということを断らねばならないほど、信じられない話)、自分の子ども(年長男児)をバカと言った相手の子ども(同じ幼稚園の年長男児)を、エレベータの中で足蹴りにしていた母親がいた。そこで蹴られたほうの母親が抗議すると、最初は、「エレベータが揺れたとき、体がぶつかっただけだ」と言い張っていた。が、エレベータがそこまで揺れることはないとわかると、こう言ったという。

「おたくの子がうちの子を、幼稚園でバカと言ったからよ」と。江戸のカタキを長崎で討つ、というわけであるが、これに親の溺愛が加わると、親子の間にカベさえなくなる。ある母親はこう言った。「公園の砂場なんかで、子どもどうしがけんかを始めると、その中に飛び込んでいって、相手の子どもをぶん殴りたくなります。その衝動をおさえるだけでたいへんです」と。

●「お受験」戦争

 こうした母親たちの戦いがもっとも激しくなるのが、まさに「お受験」。子どもの受験といいながら、そこは女の修羅場(失礼!)。どこがどう修羅場ということは、いまさら書くまでもない。母親にすれば、「お受験」は、母親の「親」としての資質そのものが試される場である。少なくとも、母親はそう考える。だから自分の子どもが、より有名な小学校に合格すれば、母親のプライドはこのうえなく高められる。不合格になれば、キズつけられる。

 事実、たいていの母親は自分の子どもが入学試験に失敗したりすると、かなりの混乱状態になる。私が知っている人の中には、それがきっかけで離婚した母親がいる。自殺を図った母親もいる。当然のことながら、子どもへの入れこみが強ければ強いほどそうなるが、その心理は、もう常人の理解できるところではない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

部屋の中はまるでクモの巣みたい!
砂糖は白い麻薬(失敗危険度★★)

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えるとわかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(アメリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、四月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだった。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられた。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらもったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君は一日、一〇〇~一二〇グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そこで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケットをくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。夜中に母親から電話があったので、「砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。が、その一週間後、私はU君の姿を見て驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまったのだ。何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめるだけ。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約一〇~一五グラム。この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。

たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード

 ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそい。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。子どもの食生活を安易に考えてはいけない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

こちらの頭のほうがヘンになる
イメージが乱舞する子ども(失敗危険度★★★)

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしません
でした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。

ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊をあげる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

妻の身分も夫しだい!
銀行寮の掟(おきて)(失敗危険度★★)

●ある銀行の現実

 ここは県庁所在地になっているS市の郊外。不況、不況と言われながらも、大銀行だけは別。家族寮なども、ちょっとしたホテル並の豪華さを誇る。そこでのこと。部長の息子と、課長の息子が同じ中学を受験することになった。こういうとき、部長の息子が落ちて、課長の息子が合格したりすると、さあたいへん。課長の息子は入学を辞退するか、その寮を出なければならない。私が「何もそこまで……」と言うと、ある母親はこう言った。「それは現実を知らない人の言うことです」と。

●夫たちの地位で妻の地位も決まる

 何でもその家族寮では、夫たちの地位に応じて妻たちの地位も決まるという。会合でも、中央にデ~ンと座るのが、部長の妻。あとはそれに並んで、次長、課長とつづく。ヒラの妻は一番ハシ。年齢や教養には関係ない。もちろん容姿も関係ない。また廊下ですれちがうときもそうだ。相手がどんなに若くても、相手がどんなにそうするにふさわしくない女性(失礼!)でも、夫の地位が自分の夫の地位よりも高いときには、道をあけなければならない。

 「そういう世界だから、どの母親も、子どもの受験にはピリピリです」と。具体的にはこうだ。まず上司の息子や娘と同じ学校は受験しない。上司の息子や娘が不合格になった学校は受験しない。受験する学校の名前は最後の最後まで秘密にする、と。

●日本人独特の上下意識

 ……私はこの話を聞いたとき、別のところで、「こんなことをしているから日本の銀行は、国際競争力をなくした」と思った。日本人のほとんどは、日本は先進国だと思っている。たしかに豊かで、経済力はある。しかしその中身といえば、アフリカの××部族のそれとそれほど違わない。少なくとも、世界の人はそう見ている。日本の社会の中にどっぷりとつかっている人には、それがわからない。その一つが、日本人独特の上下意識。日本人はたった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と考える。そしてその間にきびしい序列をつける。言いかえると、こうした意識があるかぎり、日本はいつまでも奇異な目で見られる。日本異質論は消えない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

こんなオレにしたのは、お前だろ!
溺愛ママ(失敗危険度★★)

●子どもを溺愛する母親

 親が子どもを溺愛する背景には、親側の情緒的未熟性や精神的な欠陥がある。つまりそうした未熟性や欠陥を代償的に補うために親は子どもを溺愛するようになる。つまり子どもを溺愛す親というのは、どこかに心の問題をもった人とみてよい。が、親にはそれがわからない。わからないばかりか、溺愛を親の深い愛と誤解する。だから人前で平気で、その溺愛ぶりを誇示する。こんなことがあった。

●溺愛を「愛」と誤解?

 高校のワンゲル部の総会でのこと。指導の教師が父母たちに向かって、「皆さんはお子さんたちが汚してきた登山靴をどうしてますか?」と聞いたときのこと。一人の母親がまっさきに手をあげてこう言った。「このクツが無事息子を山から返してくれたと思うと、ただただいとおしくて頬ずりしています!」と。

 あるいは幼稚園で、それはそれはみごとな髪型をしてくる子ども(年中女児)がいた。髪の毛を細い三つ編みにした上、さらにその、三つ編みを幾重にも重ねて、複雑な髪型をつくるなど。まさに芸術的! そこである日、その母親と道路であったので、それとなく「毎日たいへんでしょう?」と聞いてみた。が、その母親は何ら臆することなく、こう言った。「いいえ、毎朝、三〇分もあればすんでしまいます」と。毎朝、三〇分!、である。

●溺愛児の特徴

 親が子ども溺愛すると、子どもは子どもで溺愛児特有の症状を示すようになる。(1)幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)退行的になる(目標や規則が守れず、自己中心的になる)、(3)服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不断)、(4)柔和でおとなしく、満足げでハキがなくなるなど。ちょうど膝に抱かれたペットのように見えることから、私は勝手にペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではない。

●カラを脱がない子ども 

子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。たとえば子どもには、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行する。しかし溺愛児にはそれがない。ないまま、大きくなる。そしてあるとき、そのカラを一挙に脱ごうとする。が、簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。

子「こんなオレにしたのは、お前だろ!」
母「ごめんなさア~イ。お母さんが悪かったア~!」と。

 しかし子どもの成長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラをうまく脱げない子どもは、超マザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主人公)という男性がいたが、そうなる。
 
 溺愛ママは、あなたの周辺にも一人や二人は必ずいる。いて、何かと話題になっているはず。しかし溺愛は「愛」ではない。代償的愛といって、つまるところ自分の心のすき間うめるための愛。身勝手な愛。一方的な愛。もっと言えば、愛もどきの愛。そんな愛に溺れてよいことは、何もない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

あの思い出を全部消せ!
理由なき怒り(失敗危険度★★)

●原稿を読んでもらったが……

 その母親がどんなメンツにこだわっているか、それは外からではわからない。わからないから失敗もする。しかし今になっても、「どうして?」と首をかしげるような事件もあった。

 ある日のこと。その日はたまたま公開授業の日だった。園長も顔を出していた。で、私は一通りの授業をほぼ終えたあと、一人の父親に前で助手をしてもらうことにした。その父親は母親とともに最前列にいた。私はその父親に教材と原稿を渡し、それを子どもたちの前で読んでもらった。

●執拗な電話

 その授業はその授業なりに、わきあいあいの雰囲気でなされた。その父親は少し照れてはいたが、それは当然のことだ。じょうずかへたかと言われれば、じょうずなはずがない。が、その夜から、母親からものスゴイ剣幕の電話。「よくもうちの主人に恥をかかせてくれたわね!」と。母親だって一緒に笑っていたはずだ。が、そうではなかった。それはそれで理解できたので、私はていねいに謝ったが、その程度では母親の怒りをしずめることはできなかった。

 その電話はその夜だけでも、ネチネチと一時間以上もつづいた。翌日の夜もやはり一時間以上つづいた。三日目になると、さすがに私の女房も電話のベルが鳴るたびに、体を震わせておびえるようになった。が、その三日目には電話はなかった。が、そのまた翌日から、ほとんど毎日、その母親から電話がかかってきた。私が「では、どうすればいいですか」と聞くと、「あの思い出を全部消せ!」とか、「時間をもとに戻せ!」とか、メチャメチャなことを言いだした。

●電話におびえた女房

 当時の私はまだ二五歳そこそこ。今ならもう少し賢い言い方で電話をかわしたかもしれないが、そのときはそうではなかった。私はともかくも、女房は電話のベルが鳴るたびに、体をワナワナと震わせた。

●いまだに謎

 ……で、今でも、なぜあの母親がああまで怒ったのか、私には理解できない。ただそのあとその母親は、ある種の精神病になって入退院を繰り返したという話を風のたよりに聞いたことがある。その病気と関係があったのかもしれない。あるいはそれとは別に、うつ状態になっていたのかもしれない。

うつ状態になると、そういったとんでもない被害妄想をもつこともあるという。もっとも今でもその母親がまとも(?)なら、こんな文章はとてもここに書けない。もし私がこんな文章を書いたのがわかったら、その母親は私を殺しにくるかもしれない。私の記憶に残っている母親の中でも、最高に恐ろしい母親だった。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

インターネットの時代に(失敗危険度★★)

●深刻な話はメールではしない

 インターネットでメール交換している母親がふえている。私の周辺でも、ほとんどの母親たちが、毎日のようにそれを楽しんでいる。が、そのメール交換にも、いろいろな落とし穴がある。たとえば文字でメールを送ると、相手は相手の感情でその文字を読む。これがこわい。冗談のつもりで、「バカだなあ」と書いたとする。が、相手はそのときの気持ちでその文を読む。読んで「バカとは何だ!」となる。だからメールを書くときは、極力そういう誤解を生じさせないような配慮が必要だ。ニコニコ笑ったような絵文字を添えたりするのも、一つの方法だ。私のばあいは、深刻な話はインターネットではしないようにしている。

●「何だ、こんな失礼なメールは!」

 またメール交換は手軽であるだけに、どうしてもぶっきらぼうになる。手紙だと、相手の名前を書き、つぎに「拝啓」とか書いたりする。時候のあいさつもする。メールにはそれがない。いきなり本文に入ったりする。だから相手は相手のそのときの感情でそのメールを読む。たまたま気分が悪かったりすると、「何だ、こんな失礼なメールは!」となる。

●無断転送はタブー

 が、何といっても、これはあくまでも私の主観的な考えだが、あの「転送」ほど、こわいものはない。インターネットでは、手紙の世界ではタブーになっている転送が、それこそクリック一つでできてしまう。そして一度転送されたメールは、つぎつぎと転送され、あっという間に無数の人たちの間に流れてしまう。これがこわい。……というより、転送はタブーだという常識が、まだわかっていない人が多い。中には私からの私信を平気で転送する人がいる。いや、実際には、他人のメールを平気で転送してくるような人には、こわくて返事も書けない。「林さんだけにM子のメールを見せてあげますね」と書いてあったりすると、心底ゾーッとする。「私のメールもこうして転送されるのだろうな」と。こんなこともあった。

●こわくて返事も書けない

 私はときどき、自分の書いたエッセイを、不特定多数の人に送っている。そのときもそうだった。私は一人の女性(三九歳)についてのエッセイを送った。その女性は「自分の息子を愛することができない」と言って悩んでいた。そのことについて書いた。

で、私がエッセイを送った読者の中に、Uさん(四一歳・女性)という女性がいた。市役所の職員ということだった。が、Uさんは、そのエッセイをズタズタに分断し、その分断した個所ごとに、コメントを添えて、そのまま数人の仲間に転送してしまった。そしてあろうことか、それぞれの仲間たちがさらにコメントをつけ加え、そして最終的にはそれが私のところに回送されてきた。中に、「美人はとくね」と、私のエッセイを皮肉ったコメントまで書き添えてあった。

 私は回送されてきた自分のエッセイを見て、怒りで体が震えた。私はしがないモノ書きだが、自分の女房でもここまでさせない……と、そのときはそう思った。で、怒りをそのUさんにぶつけたかったが、それもできなかった。そういうふうに転送することに罪悪感を覚えない人には、こわくて返事も書けない。書けば書いたで、またどんなふうに他人に転送されるか、わかったものではない。

●「どうして返事をくれないのか!」

 しかしもちろんUさんにはこちらの気持ちなどわかるはずもない。それからたびたびメールで、「どうして返事をくれないのか!」というようなことを言ってきた。回数にすれば、五~六回はあっただろうか。しかし私の怒りが収まったときには、Uさんへの友情はすっかり消えていた。返事を書いて人間関係を修復しようと思う前に、そういうことがわずらわしくなった。

 もちろんUさんは私の生徒の親ではない。これからもつきあうつもりはない。ないから、ここにこうしてあえて事実を書いた。

●インターネットの問題点

 話を戻す。メール交換にはまだいろいろ問題がある。北海道に住む読者からのメールでも、沖縄に住む読者からのメールでも、受け取る段階では、その「距離感」がまったくない。それは当然のことだが、さらに、親しさにも距離感がない。一〇年前の友人も、つい先日知りあった友人も、同じようなレベルで接近してくる。何というか友情の蓄積感がない。最初のメールこそていねいでも、二度目からのメールでは、一〇年来、あるいは三〇年来の友人のような書き方をする。(私もそうだが……。)で、そこで人間関係が互いにわからなくなってしまう。

 これは私だけの錯覚かもしれないが、たとえばA出版社のA氏と、B出版社のB氏と交互にメールを交換していたとする。互いに一、二度しか面識がなく、会話もそれほどしたことがないとする。するとメールを交換しているうちに、A氏とB氏が区別つかなくなってしまうのだ。もしその上、名字が同じだったりすると、さらに区別つかなくなってしまう。実のところ、多くの母親からメールをもらうと、そういう混乱がよく生ずる。懸命にその母親の顔を思い浮かべながらメールを書くのだが、それにも限度がある。メール交換にもいろいろな問題があるようだ。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

パンツのウンチで恥をかかせるとは!
結婚するというのは冗談です(失敗危険度★★)

●やがて大騒動になるとは!

 乱暴な子どもというのは、いる。「こんにちは」と言いながら、足でこちらを蹴飛ばしてくる。「さようなら」と言いながら、また蹴飛ばしてくる。丸井さん(年中女児)もそうだった。そこである日、丸井さんが私をいつものように蹴飛ばしてきたので、すかさずこう言った。「丸井さん、ぼくは君がおとなになっても、結婚しないからな。結婚するなら、あの大野さんとする」と。たまたま大野さんの顔が目に入った。だからそう言った。が、この一言が、やがて大問題になるとは!

●「もちろん冗談です」
 それからちょうど一週間後のこと、同じクラスの母親の一人に会うと、その母親がこう言った。「先生、大野さんの件ですけどね。何でも大野さんが、私はおとなになったら、林先生と結婚するんだと、真剣に悩んでいるというのですよ」と。大野さんが私の冗談を真に受けてしまったらしい。「まずかった……」と思っていると、たまたまその日、大野さんの父親が大野さんを迎えにきていた。そこで立ち話だったが、私はこう言った。「実のところ、大野さんといつか結婚すると言ってしまいましたが、あれはもちろん冗談です。ご本人は本気にされてしまったようですが、どうかお許しください」と。

●私の失敗談
 が、その夜のこと。夕食を終えて、そろそろ風呂の用意をと考えていたら、玄関先で人の気配が……。出てみると、大野さんの父親と母親がものすごい剣幕で立っているではないか。「どうしたのですか?」と声をかけると、「説明してほしい」「どういうことですか」と。父親は、「大野さん」というところを、自分の妻のことだと思ってしまったらしい。私が大野さんの妻に結婚の話をした、と。

私はこの幼児教育の世界へ入ってからというもの、子どもでもすべて名字で呼んでいる。それが誤解を招いた。つまり父親は、私が母親とただならぬ関係にあると誤解した。こんな失敗をしたこともある。

●ウンチのついたパンツ

子どもを指導するとき、「○○をするな」とか「○○をしなさい」とかいう命令は、できるだけ避けたい。これは私の教育理念の一つでもある。で、たとえば授業中フラフラと歩いているような子どもには、私はこう言う。「パンツにウンチがついているなら、立っていていい」と。そしてそれでも立っていたら、さらに「おしりがかゆいのか?」と真顔で聞いたりする。そのときもそうだった。小学三年生のK君が、フラフラと歩いていた。そこで「ウンチがついているなら、立っていていい」と。ところがそのあとハプニングが起きた。私がそう言い終わらないうちに、別の子どもが、K君のおしりに顔をうずめて、「先生、本当にくさ~い」と。

 その夜K君の父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「息子のパンツのことで、皆に恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。

 これらの話は、この本のタイトルとは関係ない。つまり私の失敗談ということになる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

だれにも迷惑をかけないからいい!
子どもの個性(失敗危険度★★)

●子どもの茶パツ

 浜松市という地方都市だけの現象かもしれないが、どの小学校でも、子どもの茶パツに眉をひそめる校長と、それに抵抗する母親たちの対立が、バチバチと火花を飛ばしている。講演などに言っても、それがよく話題になる。

 まず母親側の言い分だが、「茶パツは個性」とか言う。「だれにも迷惑をかけるわけではないから、どうしてそれが悪いのか」とも。今ではシャンプーで髪の毛を洗うように、簡単に茶パツにすることができる。手間もそれほどかからない。

●低俗文化の論理

 しかし個性というのは、内面世界の生きざまの問題であって、外見のファッションなど、個性とはいわない。こういうところで「個性」という言葉をもちだすほうがおかしい。また「だれにも迷惑をかけないからいい」という論理は、一見合理性があるようで、まったくない。裏を返していうと、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」ということになるが、「迷惑か迷惑でないか」を、そこらの個人が独断で決めてもらっては困る。こういうのを低俗文化の論理という。こういう論理がまかり通れば通るほど、文化は低俗化する。

文化の高さというのは、迷惑をかけるとかかけないとかいうレベルではなく、たとえ迷惑をかけなくても、してはいけないことはしないという、その人個人を律するより高い道徳性によって決まる。「迷惑をかけない」というのは、最低限の人間のモラルであって、それを口にするというのは、その最低限の人間のレベルに自分を近づけることを意味する。

●学校側の抵抗

で、学校側の言い分を聞くのだが、これがまたはっきりしない。「悪いことだ」と決めてかかっているようなところがある。中学校だと、校則を盾にとって、茶パツを禁止しているところもあるが、小学校のばあいは、茶パツにするかしないかは親の意思ということになる。が、学校の校長にしてみれば、茶パツは、風紀の乱れの象徴ということになる。学校全体を包むモヤモヤとした風紀の乱れが、茶パツに象徴されるというわけだ。だから校長にしても、それが気になる。……らしい。

●まるで宇宙人の酒場!

 が、視点を一度外国へ移してみると、こういう論争は一変する。先週もアメリカのヒューストン国際空港(テキサス州)で、数時間乗り継ぎ便を待っていたが、あそこに座っていると、まるで映画「スターウォーズ」に出てくる宇宙の酒場にいるかのような錯覚すら覚える。身長の高い低い、体形の太い細いに合わせて、何というか、それぞれがどこか別の惑星から来た生物のような、強烈な個性をもっている。顔のかたちや色だけではない。服装もそうだ。国によって、まるで違う。アメリカ人にしても……、まあ、改めてここに書くまでもない。そういうところで茶パツを問題にしたら、それだけで笑いものになるだろう。色どころか、髪型そのものが、奇想天外というにふさわしいほど、互いに違っている。ああいうところだと、それこそ頭にちょうちんをぶらさげて歩いていても、だれも見向きもしないかもしれない。

●結局は島国の問題?

 言いかえると、茶パツ問題は、いかにも島国的な問題ということになる。北海道のハシから沖縄のハシまで、同じ教科書で、同じ教育をと考えている日本では、大きな問題かもしれないが、しかしそれはもう世界の常識ではない。

 そんなわけでこの問題は、もうそろそろどうでもよい問題の部類に入るのかもしれない。ただこの日本では、「どうぞご勝手に」と学校が言うと、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」という論理ばかりが先行して、低俗文化が一挙に加速する可能性がある。学校の校長にしても、それを心配しているのではないか? 私にはよくわからないが……。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

乾電池を入れかえれば動く!
死は厳粛に(失敗危険度★★)

●死を理解できるのは、三歳以後

 「死」をどう定義するかによってもちがうが、三歳以前の子どもには、まだ死は理解できない。飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く!」と言った子ども(三歳男児)がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(三歳男児)や、「病院へ連れて行こう」と言った子ども(三歳男児)もいた。子どもが死を理解できるようになるのは、三歳以後だが、しかしその概念はおとなとはかなり違ったものである。三~七歳の子どもにとって「死」は、生活の一部(日常的な生活が死によって変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族の死すら平気でやり過ごすことがある。

●死への恐怖心

 このころ、子どもによっては、死に対して恐怖心をもつこともあるが、それは自分が「ひとりぼっちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。たとえば母親が臨終を迎えたとき、子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であって、死そのものではない。ちなみに小学五年生の子どもたちに、「死ぬことはこわいか?」と質問してみたが、八人全員が、「こわくない」「私は死なない」と答えた。一人「六〇歳くらいになったら、考える」と言った子ども(女子)がいた。質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死ぬとしたらどうか」と聞くと、「それはいやだ」「それは困る」と答えた。

●死は厳粛に

 子どもが死を学ぶのは、周囲の人の様子からである。たとえば肉親の死に対して、家人がそれを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとではないと知る。そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。死を茶化してはいけない。もてあそんでもいけない。どんな生き物の死であれ、いつも厳粛にあつかう。たとえば飼っていた小鳥が死んだとする。そのときその小鳥を、ゴミか何かのように紙で包んでポイと捨てれば、子どもは「死」というものはそういうものだと思うようになる。しかしそれではすまない。

死があるから生がある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死をていねいにとむらうということは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死を粗末にすれば、子どもは生きること、さらには命そのものまで粗末にするようになる。

●死をとおして生きることの大切さを

 どんな宗教でも死はていねいにとむらう。もちろん残された人たちの悲しみをなぐさめるという目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えてよい。そんなことも頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

どうして生徒なんか紹介するのよ!
すべて計算づく(失敗危険度★★)

●母親族たち

 母親たちを総称して、「母親族」という。決してバカにしているのでも、また差別しているのでもない。一人ひとりの母親をみていると、どの母親もすべて違う。しかし全体としてみると、その母親にはどこか共通点があるのがわかる。そういう母親像を最大公約数的にまとめて、「母親族」という。それはちょうど、若者たちをみて、「若者族」、老人たちをみて、「老人族」というのに似ている。決して気分を悪くしないでほしい。で、その中の一例。

●母親族の特徴

(1)サービスも、三回つづくと、当たり前……ある音楽教室でのこと。レッスン時間はレッスン時間としてあるのだが、たまたま隣の部屋があいていた。そこで学校帰りの子どもについて、早く来た子どもはその部屋を自由に使ってもよいということにした。宿題がある子どもは宿題を、レッスンをしたい子どもはレッスンを、と。最初のころこそ、親も子どももどこか遠慮がちにその部屋を利用していたが、三か月もすると様子が変わってきた。その日のレッスンでない子どもまでやってくるようになった。その上、三〇分とか一時間という常識的な時間ではなく、中には数時間もいる子どもまで出てきた。そこで半年ぐらいたったある日のこと、その音楽教室の先生は、その部屋を閉鎖した。が、母親たちは納得しなかった。中には怒って、「約束が違う」と、音楽教室をやめてしまう母親すらいた。

(2)すべてが計算づく……これはある英会話教室の話だが、この不況下、その教室でも生徒集めに苦労をしていた。その教室では、生徒数が一〇人前後いないと、講師に払う時間給が赤字になるのだが、生徒数はたったの四人。が、その講師の先生は、アメリカの州立大学を優秀な成績で卒業した女性。教え方もうまい。しかし三か月たっても、半年たっても、生徒はふえなかった。クラスを閉鎖しようと経営者は何度も考えたが、その講師を手放すのは忍びなかった。で、結局ほぼ一年間、その状態がつづいたが、やっと一人、新しい生徒が入ってくることになった。が、そのときのこと。

 その新しい生徒は、先の四人の中の一人が紹介した子どもだったのだが、生徒の親どうしの間で、争いが起きたというのだ。「どうして新しい生徒なんか紹介するのよ。生徒がふえれば、それだけうちの子たちがていねいに教えてもらえないでしょ!」と。親たちは協力しあって、新しい生徒がふえることに抵抗していたのだった。

(3)こまかい授業設定……これは学習塾での話。その塾では、小学五年生のクラスだけで、それぞれ別々の四クラスがあった。週二回のレッスンだったので、計八クラスということになる。が、小学五年のG君だが、ほとんど毎週のようにレッスン日の変更を申し出てきた。「今度の火曜日に行かれないので、明日の月曜日にしてほしい」とか。受付の女性はそのつど、その申し出に応じていたが、ある日、出席日数をチェックしてみて驚いた。

 どの子どもも、週二回、月八回のレッスンになっていたが、G君だけは、毎月九~一〇回になっていた。変更をうまくやりくりしながら、レッスンの回数をふやしていたのだ! つまり塾というところは、月単位で運営するところが多い。だから月によっては、四週あるクラスと、五週あるクラスがうまれる。五週あるときは調整休みをするのだが、その間をうまく行ったり来たりすると、月八回のレッスンを、九回にしたり一〇回にしたりできる。……とまあ、ふつうの人なら、こんなこまかい計算はしない。しかしG君の母親はした。しながらレッスン日をふやしていた。

●母親族こそ犠牲者

 結論から先に言えば、今、子育てそのものが、個人の欲得の追求の場になっている。エゴイズムが、その底流ではげしくぶつかりあっている。「自分の子どもさえよければ、それでいい」「何とか自分の子どもだけでも」と。そしてそれが日本全体を包む大きな流れであるとするなら、その流れの中で翻弄されている母親族こそ、本当の犠牲者なのかもしれない。だれもそういう母親族を責めることはできない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

一緒に学校へ抗議に行ってほしい!
親の身勝手(失敗危険度★★★★)

●「しっかりめんどうをみろ」

 三〇人もいれば、いろいろな生徒がいる。たとえあなたの子どもに問題がないとしても、多いか少ないかと言えば、問題のある子どものほうが多いに決まっている。中には親ですら、手に負えない子どももいる。そういう子どもを三〇人も一人の先生に押しつけて、「しっかりめんどうをみろ」はない。もっと言えば、あなたという親から見れば、先生とあなたの関係は一対一かもしれないが、先生のほうから見れば、一対三〇になる。

 たとえばあなたは「一〇分くらいの相談ならいいだろう」と思って電話をするかもしれないが、三〇人ともなると、それだけで計五時間となる。五時間である! が、親にはそれがわからない。どの親も、「私だけ」と思って行動する。あるいは自分や自分の子どものことしか考えない。こんなことがあった。

●一〇〇%完ぺきな授業はない

 ある日一人の母親が血相を変えて私の家にやってきた。そしてこう言った。「今日、学校で席決めのとき、先生が『好きなどうし並んでもよい』と言ったという。ウチの子(小二男児)のように、友だちがいない子どもはどうしたらいいのか。そういう子どもに対する配慮が足りない。これから学校へ抗議に行くので、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断った。

すべての子どもに対して満点の指導など、実際には不可能だ。九〇%の子どもによかれと思ってしても、残りの一〇%の子どもにはそうでないときもある。たまには自分の子どもが、その一〇%に入るときもある。そういうことでいちいち目くじらを立てていたら、学校の先生だって指導ができなくなる。

●本当の問題

 学校や学校の先生に対して完ぺきさを求める親というのは、それだけで依存心の強い人と
みる。もし教育は親がするもの、その責任は親がとるものという考えがもう少し徹底すれば、こうした過関心は、少しはやわらぐはず。このタイプの親は、「何とかせよ」と学校や学校の先生に迫ることはあっても、その責任は自分にあるとは思わない。席決めを問題にした親にしても、先生の発言よりも、むしろその子どもに友だちがいないことこそ問題にすべきではないのか。

「なぜ友だちがいないのか?」と。また友だちがいないからといって、それは先生の責任ではない。子ども自身が自分で、「ぼくには好きな子がいない」とでも言えば、それはそれでわかるが、そうでなければ、先生にそこまで把握することは不可能。家へ帰ってから子どもが親に、「ぼくには友だちがいない」と訴えたとしても、それは子ども自身の問題と考えてよい。

 子どものことに関心をもつのは、それはしかたないことだが、しかしそれが過関心になり、こまかいことが気になり始めたら、心の病気の初期症状と思ったらよい。ほうっておけば、あなたは育児ノイローゼになって、自らの心を狂わすことになる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

ただより高いものはない
親のエゴ、親の計算(失敗危険度★★)

●身内や親戚は教えない

 昔から『ただより高いものはない』という。教育の世界ほどそうで、とくに受験勉強のような「危険物」は、割り切ってプロに任せたほうがよい。実のところ、私も若いころ、受験塾の講師もしたことがあるが、身内や親戚、あるいは親しい知人の子どもについては、引き受けなかった。理由はいくつかある。

 まず受験勉強ほど、その子どものプライバシーに切り込むものはない。学校での成績を知るということは、そういうことをいう。つぎに成績があがればよいが、そうでなければ、たいていは人間関係そのものまでおかしくなる。ばあいによっては、うらまれる。さらに身内や親類となると、そこに「甘え」が生じ、この甘えが、金銭関係をルーズにする。私も一度だけ、遠い親戚の子ども(小二のときから中二まで)預かったことがある。F君という男の子だった。

●F君との出会い

 F君が最初に私のところにやってきたのは、小学一年生のときのことだ。今でいう学習障害児と言ってもよいような子どもだった。女房の遠い親戚にあたる子どもだったので、頼まれるまま引き受けた。いや、本来なら親戚の子どもは引き受けないのだが、母親は私の熱心なファンだと言った。それで引き受けた。

●月謝は半額

 で、親戚ということで、月謝は当初から半額だった。正確には、当時八〇〇〇円の月謝(一クラス五人程度、週一回)の半額の四〇〇〇円だった。が、そういう子だったから、半年もしないうちに、母親から「週二回みてほしい」と言ってきた。そこで私は時間を何とかつくり、週二回、教えることにした。しかし効果はほとんどなかった。こうなると、私のほうが立場が悪くなる。物価もそれなりに上昇したが、F君だけは月謝を据え置いた。いや、何度か断りたいと思ったが、親戚ということで、それもできなかった。その状態が三年、四年とつづいた。で、いよいよ中学というとき、思うような結果が出せなかったので、私のほうから申し出て、週三回にしてもらった。もちろんふやした分は、ただである。母親は感謝したが、しかしそれも最初だけだった。

●通常の月謝で……

 こうして計算してみると、すでにそのころ月謝は、通常の四分の一以下になっていた。が、それでも何とかF君との人間関係はつづいた。が、私を激怒させる事件が起きた。何とF君が、同じ教室で、数歳年下の子どもをいじめていたのである。そのいじめ方については、ここに書く必要はないと思う。が、その事件を目撃して、私はF君への思いが消えた。(今から思うと、F君も犠牲者だったのかもしれない。毎週三回も、いやいやながら私の家に足を運んでいたのだから……。)

で、ある日、母親に、通常の月謝にしてほしいと申し出た。いや、その直前に、たまたま母親のほうから、週三回を、さらに週四回にしてほしいという申し出があった。私は、「通常の月謝で教えさせていただけるなら、引き受ける」というようなことを言った。が、この言葉がどういうわけだか、母親を怒らせた。F君の母親は、「それなら結構です」と言って、そのまま私の教室を去っていった。

 何とも割り切れない別れ方だったが、以後、そのF君の母親もF君も、いっさい音信はない。葬儀の席か何かで会ったことがあるが、母親は私には視線を合わせようともしなかった。

●無料の受験特訓

 もう一つ、こんなこともあった。

私はほんの数年前まで、高校を受験する受験生については無料で教えていた。受験指導はあくまでも「指導」であって、教育とは異質のものと考えていたからだ。方法はこうだ。

 この静岡県では、中学三年が、受験期としてたいへん重要な意味をもつ。だからその時期を迎えた子どもは、毎年七月から一一月まで、毎晩七時ごろから一一時ごろまで教えた。教えたといっても、つきっきりで指導したわけではない。ときどき生徒の様子をうかがい、わからないところだけを教えた。

しかしこの方法を長い間つづけていると、どこからか情報がもれて、その教室を目的に私のところへやってくる生徒がふえ始めた。最初のころこそ、気前よく迎えていたが、それが四人、五人となると、さすがの私も負担に思い始めた。が、ある夜こんなことがあった。

●無料レッスンを請求した子ども

 そろそろ七月という暑い初夏の夜だった。その年は何かとあわただしく、七月からの無料学習(私は受験特訓と呼んでいたが)、その日程の調整がつかなかった。中学三年生はそのとき、五人ほどいた。うち一人だけが幼児教室のOBで、残りは中学三年生になってから、入ってきた生徒だった。私は週一回、二時間という教室でそれまで教えていた。その夜のことだ。

 帰りまぎわになって、一人の中学生がこう言った。「今年はいつから受験特訓を始めてくれるのですか?」と。私は驚いた。私は一度も、私のほうからそういう連絡をした覚えはない。あくまでも私の好意であって、それをするかしないかは、私が決めるものだとばかり思っていた。そこで、「始める? ……どうして?」と聞くと、その中学生はこう言った。「お母さんが聞いてこいと言った」と。

●ガラガラと音とをたてて……

 とたん、私の中からやる気がガラガラと音をたてて崩れていくのを感じた。この生徒たちは、(無料の!)受験特訓を目的に、中学三年になってあわてて私のところへきたのだ。しかし毎晩、四~五時間の指導を、半年近くもする受験塾がどこにあるだろうか。そのとき生徒五人から手にしていた月謝を合計しても、学生による家庭教師代より少ない。私は思わず、「今年は忙しいからな……」と言ったのだが、もう一人の中学生も、不機嫌な顔をしていた。見ると「約束が違う」というような表情だった。

 私はその年は七月になっても、受験特訓を始めなかった。八月になっても、受験特訓を始めなかった。が、九月になると、その中の三人が私の教室をやめると言い出した。しかたないことだ。もともとそういう生徒だった。

 で、九月になった。私は二人の生徒だけで、一一月まで受験特訓をした。一一月というのは、最後の校内模試が終わる月であった。内申書の成績はこの試験を最後に決まる。静岡県では、当時は、この内申書でほとんどが入学先の高校が決まるしくみになっていた。

 その翌年から、私は受験特訓をやめた。おかげで生徒は、一人もいなくなったが……。

●受験勉強はしごき

 受験指導というが、子どもの側からみると、「しごき」以外の何ものでもない。子どもの側で考えてみれば、それがわかる。勉強がしたくて勉強する子どもなど、いない。偏差値はどうだった、順位はどうだった、希望校はどこにするとやっているうちに、子どもの心はどんどんと離れていく。だからいくら教える側が犠牲的精神をふるいたたせても、率直に言えば、親に感謝されることはあっても、子どもに感謝されることは、まずない。受験勉強というのは、もともとそういうもの。「教育」という名前を使う人もいるが、ここに書いたように、受験指導は「指導」であって、教育ではない。もともと豊かな人間関係が育つ土壌など、どこにもない。

●受験勉強はプロに任す

 長い前置きになったが、そこで本論。中に子どもの受験勉強を、親類や知人に頼む人がいる。そのほうが安いだろうとか、ていねいにみてもらえるだろうとか考えてそうする。しかし実際には、冒頭に書いたように、ただより高いものはない。相手がプロなら、成績がさがれば、「クビ!」と言うこともできるが、親類や知人ではそういうわけにもいかない。ズルズルと指導してもらっているうちに、あっという間に受験期は過ぎてしまう。そんなわけで教訓。受験勉強は、多少お金を出しても、その道のプロに任せたほうがよい。結局はそのほうが安全だし、長い目で見て、安あがりになる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

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