2012年6月13日水曜日

A daughter who said to her Mother "Die!"

【親に、「死ね」と言った娘】改変2012/06/13

●一億、総ドラ息子、ドラ娘論

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

数日前、「音信不通になってしまった娘」について書きました。
たいへんな反響でした。
Goo-Blogだけでも、いつもの3~4倍のアクセスがありました。
173万誌もあるBlogの中でも、アクセス数が、900番台!
驚きました。

改めて、数日前に書いた原稿を、自分で読み返しています。
と、同時に、書き足りなかった部分、もう少し訴えたかった部分について、補足しておきます。

何かが、おかしい。
今、子育てとは何か、基本的な部分で問い直されているように強く感じます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【掲示板への相談より】

●音信不通になってしまった長女

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

掲示板に、こんな相談が届いた。
親子断絶についてのもの。
名前をAさんとしておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Aさんより、はやし浩司へ】

●失敗してしまった子育て
はじめまして。
子供の事で悩んでおり、いろんなサイトで解決策を見つけていたらここにたどり着きました。
うまく伝わるかどうかわかりませんが、ご意見を頂けたら幸いです。

現在私50歳、長女23歳、二女21歳です。

14年ほど前に離婚し、遠方に引っ越し母子家庭として生活してきました。
幸い(今のところ)職に困らない資格を持っており、裕福ではありませんが、離婚後も生活には不自由していません。

長女の事で悩んでいます。

二人の子供は、生まれた時から自分より幸せになってほしいと必死でした。
乳児期の日光浴から始まり、習い事や行楽、躾や勉強にも一生懸命になってしまい、まさに、ずっと昔の中日新聞に掲載されていた母親と酷似しています。

長女は、国立大学の附属中学に入学し、親子とも大学は地元の国立大学に進学希望でしたが、高校の担任の先生からせっかくなのでもっとランクの上をと勧められ、寮があるから経済的にも可能かと思い遠方の勧める大学に合格し入学しました。
その時までは、私も娘も明るい未来に期待し大喜びしました。

ところが、家をでたとたん疎遠になり凶暴になってしまいました。
メールをしても電話をしても応答なし。
かろうじで来た返事は「邪魔!」とか、「死ね」と。
仕送りはやめて家で手渡しにしたところ、1年に1度程度帰って来る程度でした。
それでもお金や物をあげたときだけは、満足して優しい面を見せるときもありました。
4年間で親から離れ、時間やお金の使い方や人生を学んでくれたらと、好きにさせていました。

そして卒業後の進路の話になった時、法科大学院に行きたい(法学部でした)と言い出しました。
御存じなように簡単な世界ではないため、受験料や日程、入学後の費用や生活、その後の道など専門外の私にもわかるように説明を求めましたが、返答はありませんでした。
受験費用の要求だけでした。

とりあえず、4年間の生活が酷かったので、(細かく説明すると長くなるので省略します)、距離的な面や将来性や経済的な面から、私が納得できる所なら協力するが、それ以外は協力できないことを伝えました。
結果、私も応援し本人も志望したところは不合格で、協力できないよと話していたことろに合格しました。

そこは本人も最初は乗り気ではなかったのですが、4年の後半ということもあり今から就職も難しいから、行きたいと言い出しましたが、協力できないという約束を貫いてしまいました。
その後、自分の給料では生活できないため地元で仕事を探し、なんとか卒業間際に就職が決まり、新卒で入社することが出来ました。

当然いやいや実家に戻り、家から通っていましたが帰ってきたくないとの理由で、毎日終電で帰宅。
職場が通うには遠いのでお金がたまったら、1人暮らしをする予定ではいましたが、数ヵ月後家出同然で出ていきました。
もうちょうど1年になります。
「死んでくれ」「ほっといてくれ」「二度と関わってくるな」等のメールが来て、今は音信不通です。
住所も言わず着の身着のままで出ていきました。

私は今は二女と二人で住んでおり、二女を頼りに、なんとか長女との消息はわかりましたが、二女も長女の身勝手ぶりに愛想を尽かし関わりたくないと言い、姉妹も疎遠です。

恥ずかしながら、過去の記事やサイトにあるとおり、今振り返ると“自己中心的な親”でした。
誉めるのも上手ではありませんでした。
厳しすぎました。
熱心なだけで優しい母親ではありませんでした。
でも、実は私自身も同じように育ちました。

そこでやっと質問です。

(1)法科大学院の反対は間違っていたのでしょうか?
私の目からは、家に帰ってきたくない手段にしか思えませんでした。
合格率や本人の意思や成績をみていると、黙って何百万も出すほど勇気はありません。
もちろんお互いの納得のもとなら借金をしてでも応援するつもりでした。
25歳過ぎて再出発するのも不安でした。

(2)長女とどうしたら和解できますか?
おそらく“無理”との回答かと思われますが、やはり仲直りとまではいかなくても、消息くらいは伝えてくれる程には改善したい。
下手に接触を求めると、もっと遠くに行ってしまいそうなので、家を出てからは連絡していません。
どう接触したらよいでしょうか。

自分の人生だけを生きなさいとの意見も拝見しましたが、日々の生活は趣味も仕事も充実しています。
昼間は仕事をし、夜は趣味のテニスに熱中し、寝る前は生活の一部でもある読書をし1日フル回転です。
土日は、試合に出て学生さながらに没頭しています。
それでも疲れた時は、たまに旅行にも出かけたりもしています。
そんな忙しい毎日でも、やはり子供のことは頭から離れるものではありません。
忘れられるものではありません。

お忙しいこととは思いますが、ご意見聞かせていただければ幸いです。

【はやし浩司より、Aさんへ】

●時代は、変わりました

 簡単に言えば、時代が変わったということです。
そうであってはいけないと私も思いますが、これも時代の(流れ)ですね。
いろいろ抵抗をしてはみますが、川の中に立てる竿程度の効果しかありません。
子どもたちは、子どもたちで、大きな川の流れの中に身を置き、その流れに身を任せていきます。
たとえば今、若い人たちに、「孝行論」を説こうものなら、それを「束縛」「拘束」と捕えます。
私が「あなたの親のめんどうは、だれがみるのか?」と質問すると、こう答えます。
「親が、子どもを束縛するものではない」とか、「拘束するものではない」とです。

 中には、こう答えた若者もいました(私のBLOGへの反論)。
30歳くらいの男性で、最近父親になったようです。

「私は子どもを自由に育てる。親のめんどうをみろと私は自分の子どもには言わない。子どもをそういうふうに束縛したくない。そういう子育てを目指します」と。
さらに「あなたも自分の老後が心配なら、息子さんに頼めばよい」とも。

 まだ子育てが何であるかも知らないような、また親の介護もしたことがないような若者がそう言うから、おかしい。
老親の親のめんどうをみるのは、民法上も、子どもの義務なのです。
その義務感そのものが、喪失しました。
悪しき西洋文化の影響と、私は考えています。

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つづきは、以下のページでお読み下さい。

http://bwaiueo4.ninja-web.net/page015.html#label1

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