2012年4月12日木曜日

What is the Common Sense for us?

【意識論byはやし浩司】2012年4月11日(水曜日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

『知らぬが仏』という諺がある。
まさに、それ。
たまたま昨年の夏、書斎(2階部にある)の天井裏をのぞいた。
そのときのこと。
巨大なハチの巣があるのがわかった。
縦1・5メートル、横50センチほど。
屋根裏から壁に沿って、大きなつららのようにぶらさがっていた。

通常見かけるスズメバチの巣とは違い、外側の殻はなかった。
内部がそのままむき出しになっていた。
が、幸い、もぬけの殻。
ハチはいなかった。

「?」と思いながら、理由を考えた。
で、ひとつ思い当たるのは、数年前のこと。
家の内外で、ゴキブリがたくさん出没するようになった。
そこで発煙式のゴキブリ退治薬を家中でたいた。
全部で、7~8個は使っただろうか。
一度に、一斉にしなければ意味がないだろうということで、天井から床下まで、一気にした。
もちろんこの書斎の上の天井でも、たいた。
たぶんそのとき、巣の中のハチは全滅したのだろう。
それにしても、あぶなかった。
知らないでいたら、ハチの大群の襲われていたかもしれない。
今にして思うと、そういうことになる。

で、今朝、その巣をワイフに見せてやった。
が、またまた不思議なことが起きていた。
昨年の夏に見たときには、巨大な巣だったはず。
それが、8割ほど、消えていた。
屋根裏に少し張りついて、その残がいが残っているだけ。
下へ落下した形跡もない。
「?」と思ったが、理由がわからない。

「ハチというのは、巣をリサイクルするのよ」とワイフ。
そうかもしれない。
もしそうなら、ハチはその巣をどこかへ移したのかもしれない。
それにしても、『知らぬが仏』。
私たちの生活は、いつも、そうした危険にさらされている。
改めて、それを確認した。

今朝は、常識→意識→哲学について考えてみた。

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以下、思いついたまま書いたので、内容がバラバラです。
つまり支離滅裂。
その点をどうかご留意の上、お読み下さい。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【常識→意識→哲学】

●国によってちがう意識

 その人がもっている意識ほど、アテにならないものはない。
人だけではない。
国がもっている意識にしても、そうだ。
言い換えると、私の意識ですらも、アテにならない。
この日本がもっている意識にしても、そうだ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●とっかかり

 ニュースは、北朝鮮のミサイル発射実験一色。
ロイター伝によれば、「11日中(今日)に発射準備は完了する」という。
詳細はよくわからないが、燃料注入が今日中にすむということか。
もしそうなら、ミサイルの発射は、明日もしくは、この数日中ということになる。
(日本のマスコミは、12日説、ロシアのマスコミは、14日説を唱えている。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●管制室

 昨日の中日新聞は、ミサイルの発射を管制する管制室の写真を掲載していた。
中央の通路をはさんで、左右に2列、前後に2列。
計4個の机。
その上に3台ずつのモニターとキーボード。
計12台。
(台湾のACER製のモニターということが、わかっている。)

まことにもって、「?」な写真で、あえて分析するまでもない。
全面の壁には、5つのモニターが映し出されていたが、よく見ると、その映像も、プロジャクターによるもの(?)。
プロジェクターらしきものは、天井に2台、机の前列に2台、それに部屋の中央後方部に1台、設置してある。

 奇妙なのは、パソコン。
机の上には、12台のモニターとキーボードがあるのみ。
パソコン本体は、どこにも見当たらない。
しかもコードというコード類が、どこにもない?
あるとすれば、モニターとキーボードをつなぐコードと、先に書いた、中央広報部にあるプロジェクターのコードのみ。
そのコードも、コンセントが見えるほど、お粗末なもの。

 コンピューター本体は、どこにあるのだろう?
机は木製ということだから、机の中にあることになるのか。
もしそうなら、コンピューターにとって、これほどまでに劣悪な環境はない。
コンピューターを木箱で包むなどというのは、常識で考えてもありえない。

 ……という分析は、しても意味がない。
写真で紹介された管制室は、ニセモノ。

●狂う

 一事が万事。
思考回路というのは一度狂うと、あらゆる場面で、狂う。
北朝鮮のやることは、何から何まで、おかしい。
へん。
人工衛星なるものにしてもそうだ。
「宇宙から、音楽くらいは流せるだろう」(某専門家談)という程度。
カメラは小型。
ブースターだけが、異常に大きい。
そんな程度のもので、「人工衛星」という。
しかしそれがニセモノであることは、私のような素人でもわかる。

こうして考えてみると、「国」という巨大な組織体も、狂うときには狂う。
……ということがわかる。
北朝鮮を通して、私たちは今、それをまさに実体験として、経験している。
が、ここで注意しなければならない。
では、この日本という国が、「狂っていないか」というと、それはどうか?
私自身は、「狂っていない」と断言する勇気はない。

●茶髪の日本人

 つまり意識というのは、そういうもの。
北朝鮮から見れば、私たち日本のほうが、狂っているということになる。
どこがどう……という話になったら、話が大きく広がってしまう。
ここには書ききれない。
たとえば少し前だが、ある北朝鮮の女子学生は、こう言った。
茶髪姿の日本人の写真を見せたときのこと。
「どうして黒い髪の毛を、わざわざ茶髪にするのか?」(テレビ報道番組)と。

 彼らにしてみれば、日本人の生活の、ありとあらゆる部分が狂って見えるにちがいない。
もちろん日本人の中にも、頭のおかしい人は、いくらでもいる。
北朝鮮の祭典に招待され、北京の空港で、こう答えた女性がいる。

 「あの国の人たちは、一生懸命がんばっています」「あれは人工衛星ですよ。日本人は大騒ぎしすぎですわ」(報道番組の記憶)と。

 こういう女性には、日本が今、どういう危機的状況の上に立たされているか。
それがまったく理解できないらしい。
あるいは北朝鮮の一般の庶民が今、飢餓の中でどれほど苦しんでいるか。
それがまったく理解できないらしい。
さらに言えば、国際連合という機関は何のためにあるのか。
それがまったく理解できないらしい。

 要するに、ノーブレイン(=脳みそがない)!
が、それも彼女がもつ意識。
そういうふうに理解すれば、彼女の言動にも、一理ある。……ということになる。

●自分の常識を疑う

 意識というのは、その個人がもつ常識を基盤とする。
その意識を理論化もしくは、体系化したのが、哲学ということになる。
(哲学にまで完成させる人は、少ないが……。)

わかりやすく言えば、その人がもつ意識というのは、その人がもつ常識から生まれる。
北朝鮮の人たちがもつ常識は、北朝鮮の人たちがもつ常識。
私たち日本人がもつ常識は、私たち日本人がもつ常識。
「私は正しい」「あなたはまちがっている」と議論しても、意味はない。
議論をいくら重ねても、平行線になるだけ。

 では、方法はないのか?

 大切なことは、相手がもつ常識を否定したり、変えてやろうなどとは、思わないこと。
大切なことは、自分がもつ常識を疑うこと。
相手の目を通して、自分の常識を見つめなおしてみること。

 「私たちの常識は、本当に正しいのか?」と。
こちらが疑えば、相手も、疑う。
それが会話の突破口になる。

●常識

 実のところ、冒頭に書いたように、私たちが常識と思っている常識ほど、あてにならないものはない。

 たまたまMSNニュースに、こんな記事が載っていた。

『2012年4月9日、日本の華字紙『中文導報』は、財団法人日本青少年研究所が日米中韓の高校生を対象に行った生活と留学への意識調査を報じた。
海外留学を希望する比率が中国では6割に達しているのに対し、日本では4割にとどまった。
日本の高校生の留学目的は「語学の習得」が最多で、「学位取得」「専門技術・資格取得」を希望する比率が低く、短期間指向で、「よりよい教育環境を求めたい」も4カ国中最低だった。
米中韓では「学位取得」が最多で、「2年以上」を希望する比率が高かった。
日本の高校生が留学をしたくない理由は「自分の国が暮らしやすい」「言葉の壁」「自信がない」という回答が多く、「面倒だから」が4カ国中最多で、米中韓の高校生に比べて内向き志向が強い。
希望の留学先は日中韓ともアメリカがダントツの1位で、2位はイギリス、米中韓の高校生はいずれも留学希望先として日本を6位に挙げた。
また、「大事にしていること」については、中国の高校生が「親に自分をわかってもらう」「先生に理解される」ことを大切にし、「希望の大学に入学」も韓国に並ぶ高率だった。
米国の高校生は「友人関係」「異性関係」「競技で活躍する」が際だって高い。
日本の高校生は全項目で比率が低く、「家族が仲良くする」「先生に理解される」「親に自分をわかってもらう」の比率は米中韓に比して著しく低い。
日本青少年研究所は今回の調査について、日本の高校生は学習の成績と自分の将来の関係性が低いと考えているため、「大衆文化」「クラブ活動」「流行」への関心が高いのではないかと分析している。
授業以外に勉強をしない割合も34.3%と4カ国中最も高く、日本の高校生の学習に対する消極性が反映されたものとなった』(以上、MSNニュース、2012年4月10日)と。

 資料として、数字を整理してみる。

●整理

海外留学を希望する比率が中国……6割
日本……4割

日本の高校生が留学をしたくない理由は、
「自分の国が暮らしやすい」
「言葉の壁」
「自信がない」「面倒だから」
が4カ国中最多で、米中韓の高校生に比べて内向き志向が強い。

希望の留学先は日中韓ともアメリカがダントツの1位。
2位はイギリス、
米中韓の高校生はいずれも留学希望先として日本を6位に挙げた。

日本青少年研究所は今回の調査について、日本の高校生は学習の成績と自分の将来の関係性が低いと考えているため、「大衆文化」「クラブ活動」「流行」への関心が高いのではないかと分析している。

日本……授業以外に勉強をしない割合も34.3%と4カ国中最も高い。

●消極性

 この記事の中で、個人的には、つぎの部分が、気になった。

『日本の高校生が留学をしたくない理由は「自分の国が暮らしやすい」「言葉の壁」「自信がない」という回答が多く、「面倒だから」が4カ国中最多で、米中韓の高校生に比べて内向き志向が強い』という部分。

 驚くと同時に、「時代も変わった」と、実感した。

●17万5000円

 私が学生時代もっていた意識とは、180度ちがう。
私たちは、まだ見ぬ外国に、強いあこがれをもった。
夢も抱いた。
(そう思っていたのは、私だけだったかもしれないが……。)

 当時の料金をよく覚えている。

 ニューヨーク→羽田の、航空運賃が、片道、17万5000円。
アメリカ人の大卒の初任給が、ほぼ同額。
それを知ったとき、私はこう思った。

「アメリカ人というのは、初任給だけで、日本へ来られるのか!」と。
アメリカの豊かさに、まずもって、驚いた。
なお当時の大卒の初任給は、4~5万円。
5万円というところは、外資系か化粧品メーカーくらいなものだった。

 もちろん手取り額は、それからさらに5000~8000円、引かれる。
だから日本人がニューヨークへ行こうとすれば、約5か月間、飲まず食わずで、働かねばならない。

 ……私は、いつも、そんな計算ばかりしていた。
が、今はちがう。
高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。

 つまり時代によっても、意識は変化する。

●バランス感覚

 もう少しわかりやすく言えば、「常識とは、バランス感覚」と言い換えてもよい。
私の意識、他人の意識。
その間にあって、うまく、バランスを保つ。
その感覚が、常識ということになる。

 たとえば最近、たいへん気になった事件にこんなのがある。

 ある男性(77歳)が、信号を無視して横断歩道を渡ってきた、40代の男性を注意した。
それに対して、40代の男性が、逆ギレ。
注意した男性(77歳)を殴り倒した。
結果的に、その男性(77歳)は、死んでしまった。

 が、これに対して、2チャンネルへの書き込みには、目を覆うものがあった。
6~7割の若い人たちは、「注意した男性(77歳)のほうが悪い」という意見を書いていた。
「みなの前で恥をかかせたのだから、悪い」とか、「俺だって、殴り倒してやるだろう」とか、など。

 が、(注意する)という行為と、(殴り倒す)という行為の間には、大きな差がある。
もし逆ギレした男性に、バランス感覚があれば、殴るという行為に走る前に、逆に、言葉で言い返すという方法もあったはず。
つまりそれがここでいう「バランス感覚」。

 また2チャンネルに意見を寄せた若い人たちにしてもそうだ。
たとえば「みなの前で恥をかかせた男性(77歳)が悪い」という意見にしても、ものの考え方が、極端化している。
つまりバランス感覚が欠落している。

 私には私の意識がある。
人には人の意識がある。
その中で、じょうずにバランスをとりながら、ものを考え、行動する。
それができる人のことを、「常識のある人」という。
そうでない人は、そうでない。

●組織

 話を戻す。

 意識を変えるためには、常識を疑う。
が、その一方で、こういうこともある。

 たとえば同窓会。
ときどき会っている同窓生は別として、そうでない同窓生のばあい、会って話しても、たがいの間に、大きな壁を感ずることが多い。
もっとも私の方が異端児だから、私のほうが、奇異な目で見られる。
それを逆に、私自身が感ずることがある。
中には、露骨に、「お前は、変わっているなあ」という仲間もいる。

 そういうとき、居心地は、あまりよくない。
つまりこの日本では、どこかの組織に属していないと、相手にされない。
またその組織における肩書や地位で、相手を判断する。

友「お前は何をしている」
私「うん、いろいろな仕事をしている」
友「いろいろって……?」
私「ものを書いたり、教えたり……」
友「だから、どんな仕事だ?」
私「だから、……一口では言えないよ」と。

 友は友で、最終的には、私が所属している会社名や組織名を聞きたがる。
またそれを話さないと、相手は安心しない。 

 が、欧米では、そういうことはない。
たとえば「どんな仕事をしていますか」などと聞くと、「印刷工」などと答えたりする。
日本のように、「毎日新聞社です」とか、そういうふうには、答えない。
会社名を口にすることは、めったにない。

 今でこそ欧米心もまねをするようになったが、1970年当時は、そうではなかった。
オーストラリア人にしても、日本人がもっている名刺を、理解できなかった。
日本人は、会社名と肩書を並べ、その横に、自分の名前を書いていた。

 私はそのころから、日本の常識とは別の世界に住んでいた。

●身分制度(上下意識)

 北朝鮮の人には、北朝鮮の人なりの常識がある。
伝え聞くところによると、身分(成分)制度(=上下意識)が、きわめて厳格という。
その様子は、今回のミサイル発射実験の様子を見ていても、よくわかる。

 担当者の、あの尊大ぶった様子と態度。
ズル賢そうな目つきと、ものの言い方。
謙虚さというか、人間が本来もっているはずの(まじめさ)が、どこにも感じられない。
ああいう担当者にかぎって、目上の人には、異常なまでにペコペコする。

 階級社会に長く住んでいると、人間は、みな、そうなるらしい。
そこはまさに動物の世界。
徹底した上下意識だけが、その社会を支配する。
私も、この日本で、それを経験している。
以前、こんな原稿を書いたことがあった。

 日付は明白ではないが、2001年ごろに書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人間は裸で生きる

(自分の人生を生きるための大鉄則)

 S氏は、死ぬまで肩書きをぶらさげて歩いているような人だった。
退職するときには、県の機関の「長」をしていたが、退職後はもっぱら庭いじりと旅行が趣味。

葬式から帰ってきた母は、一言、「あんなさみしい葬式はなかった」ともらした。

 日本で「偉い人」というときは、地位や肩書きのある人をいう。
地位や肩書きのない人は、あまり偉い人とは言わない。
一方、英語国では、「偉い人」と言うようなときには、「尊敬される人」と言う。
地位や肩書きは、ほとんど関係ない。
よく似た言葉だが、偉い人と尊敬される人の間には、越えがたいほど、大きな谷がある。

 S氏は、人と会うと、必ずこう言った。
「君は何をしているかね」と。
退職した人に向かっては、「何をしていたかね」と。
そして自分より地位が高い人には、必要以上にペコペコし、そうでない人には、いばってみせた。

私にもこう言ったことがある。「君はどうせ学生運動か何かをしていて、ロクな仕事につけなかったんだろ」と。
私が「幼稚園で働いています」と言ったときのことである。

 「出世主義が、日本をここまで発展させた」と言う人がいる。
それなりの地位についた人が、好んで使う言葉だ。
しかし本音は、そういう言い方でもしないと、自分を正当化できないからだ。
出世主義を否定するということは、そのまま自分を否定することになる。
しかし悲劇は、さらに続く。

 一度その地位や肩書きを手に入れた人は、その地位や肩書きにしがみつく。
そしてそれを失うことを、何よりも恐れる。
それはもう、あわれとしか言いようがない。

私と議論したことのある評論家は、メールでこう言ってきた。
「君は偉そうなことを言うが、文部科学省あたりから地位が回ってくれば、シッポを振るタイプではないのかね」と。
こういう言い方をすること自体、自分の生きザマを否定しているようなものだ。

 人間は裸で生まれる。
が、裸では生きられない。
それはわかるが、しかしいくら服を着ても、それは服。
決して自分自身ではない。
こんなわかりきったことが、長い間服を着ているとわからなくなる。
服の姿が自分の本当の姿だと思い込むようになる。
そして結局は自分の本当の姿を見失ってしまう。
人生をムダにする。 

 人間は裸で生きる。いくら服を着ても、裸で生きる。
これは自分の人生を生きるための、大原則ではないのか。S氏の話を母から聞きながら、私はそう思った。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 話が広がってしまったが、意識というのは、そういうもの。
それぞれがそれぞれの意識をもっている。
その意識の上で、ものを考え、意見を述べる。

 そこでまず、自分の常識を疑う。
けっして自分の常識を、相手に押しつけてはいけない。
そういう謙虚さが、繰り返しになるが、たがいの心に風穴をあける。

●それにしても……?

 が、それにしてもわからないのが、北朝鮮?
北朝鮮のそれは、どうにもこうにも、私には理解できない。
できるだけ私の常識を疑い、謙虚な気持ちで考えてみるのだが、それでも私には理解できない。

国民は飢え、日々の食物にさえ困っている。

 そんなときに、一部の独裁者が、自らの保身のために、ミサイルの発射実験をする。
核実験をする。
それでもって、「我が国はすばらしい国」と国民に向かって、宣伝する。
外国に向かっては、脅し、それでもって、援助を得ようとする。
「ほかにやるべきことがあるだろう」と言っても、それを聞く耳さえない。

 また彼らが称する人工衛星しても、世界レベルからしても、半世紀は遅れている。
そんなヒマがあったら、ブラウン管方式のテレビ受像機でも作ればよい。
まず、そこからスタートすればよい。
……と私は考えるが、そういう(常識)は、通じない。

 その常識が、あまりにも、私たちのそれとかけ離れている。
理解の範囲を超えている。
だから私たちは、みな、こう言う。
「狂っている」と。

●実験

 ともあれ、ミサイル発射実験は、失敗する。
少なくとも、人工衛星発射実験は失敗する。
もともと人工衛星なるものは、積んでいない(?)。
(どの程度を成功といい、どの程度を失敗というかについては、判断が分かれるところだが……。)

 今回、アメリカがその方法を使うとは思われないが、アメリカは、衛星からレザー攻撃を加えたり、ロケットの制御装置をかく乱する技術を、すでにもっている。
「あえて使うほどもない」と考えていれば、曲がりなりにも、ミサイルは飛ぶ。
が、飛んでおしまい。

 まさに一事が万事。
が、最後に一言。

 北朝鮮の人たちよ、一度、世界へ出て、世界が今、どうなっているか、見物でもしてきたらよい。
たとえば今日(4月11日)、アメリカの軍港から、超高性能のレーダーを積んだ船が出港したという。
記事によれば、4000キロ離れたところにある、野球のボールさえ、見分けることができるという。
直球かカーブかさえ、見分けることができるという。
世界の技術は、そこまで進んでいる。
そんなとき、ミサイル1発打ち上げたくらいで、「大成果」とはしゃいでいるほうが、おかしい。
明らかに、北朝鮮の為政者たちのもっている常識は狂っている。

 ……以上、どこかバラバラなエッセーになってしまった。
北朝鮮のミサイル発射実験をテーマに、常識、それから生まれる意識について、考えてみた。

 私たちがもっている常識は、果たして正常なのか?

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Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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