2012年4月20日金曜日

Education in Australia

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     4月 27日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の教育レベル&オーストラリアの教育レベル】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアの教育レベル

 オーストラリアの教育レベルについて、最新の情報が届いた。

The average 15-year-old maths student in Australia is now performing at least two years behind their counterpart in Asia’s leading countries; in reading and writing they are at least one year behind, according to your new report for the Gratten Institute. Is this gap widening?

平均的なオーストラリアの学生のばあい、他のアジアの先進国と比べたばあい、数学において、少なくとも2年は遅れている。
読み書きにおいては、少なくとも、1年は遅れている。
(オーストラリア・Gratten研究所)

このギャップは、広がりつつあるのか?

Yes, it is. Australia was one of only four countries in the OECD’s group of 34 members countries in the OECD) between 2000 and 2009 to see a fall in maths, reading and writing results. Whereas Australian students fell by 15 percentage points, the top students in countries like South Korea jumpted 15 points.

はい、その通り。
オーストラリアは34か国からなるOECDの中において、2000年から2009年に間で、数学、読み書きの調査結果で、学力の低下をみた、4か国の中の1か国である。
オーストラリアの学生は、韓国が15ポイントも上昇したのに対して、15ポイントも低くなった。

(以下省略)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアのレベル

 1970年のこと。
私がオーストラリアの大学で、こんな経験をした。

 理学部(Science)の学生と親しくなった。
で、部屋へ遊びに行くと、三角関数の微分の問題を解いていた。
かなり苦労をしていた。
それでそれを私が解いてみせた。
それを見て、その学生はたいへん驚いた。
「君は、法学生(law student)だろ。どうしてその君が、この問題を解けるのか?」と。

 私はこう言った。
「日本では、それを高校3年のときに、習う」と。

 が、それだけではない。
友人の家に遊びに行ったときも、そうだった。
中学1年生になった友人の妹は、2けた掛ける、2桁の掛け算を勉強していた。
日本では、当時は、小学3年生レベルで、それを学習していた。
私は、オーストラリアの教育レベルの低さ(?)に驚いた。

●誤解

 が、私が受けた印象は、まちがっていた。
こと数学(算数)に関しては、そうかもしれない。
しかし数学だけが、教科ではない。
以前、メルボルン市内のグラマースクール(全寮制の中高一貫校)について、電話で調べたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアの現状

……が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。
南オーストラリア州にしても、すでに10年以上も前から、(実際には20年以上も前から、2012年記)、小学3年生からコンピュータの授業をしている。

メルボルン市にある、ほとんどのグラマースクールでは、中学1年で、中国語、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、日本語の中から、1科目選択できるようになっている。

もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピュータの科目もある。
芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護の科目もある。

 もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日本の常識は、世界の常識ではない。
……ということを、書いたのが、つぎの記事。
中日新聞で、発表済み。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の常識vs世界の常識

『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。
見慣れたシーンだが、欧米ではああいうことは、ありえない。
たいてい妻を同伴する。
向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過ごすということは、まず、ない。
そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。
ボスが罪を犯して、死刑になった。
そこまでは彼らにも理解できる。
しかし問題はそのあとだ。
彼らはこう質問する。
「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐をするのか」と。
欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」ということになる。
しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危害を加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。
あのNHKの大河ドラマだ。
日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、あたかも英雄のように扱われている。
すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、一般の庶民たちは、極貧の生活を強いられた。
もしオーストラリアあたりで、英国総督府時代の暴君を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。
教育についてみても、日本では、伝統的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。
欧米では、実用的なことを教えるのが、教育ということになっている。
しかもなぜ勉強するかといえば、日本では学歴を身につけるため。
欧米では、その道のプロになるため。
日本の教育は能率主義。欧米の教育は能力主義。

 日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメリカ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。
日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言し、質問する生徒がよい生徒ということになっている。
日本では「教え育てる」が教育の基本になっているが、欧米では、educe(エデュケーションの語源)、つまり「引き出す」が基本になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地ほどの開きがある。
私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになっている」と説明したら、友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。
そこで「では、オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
チャールズ皇太子も学んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュラムを学校が組んでくれる。
たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。
教育とて例外ではない。
それを知ってもらいたかったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●掛け算の九九

 オーストラリアは、本当に「ラッキーな国」だ。
資源が豊富。
お金がなくなったら、砂漠に穴を掘ればよい。

 が、日本は、そういうわけにはいかない。
資源といえば、「人的資源」だけ。
それだけ。
つまり「教育」しかない。
オーストラリアのように、「2年は、遅れている」「1年は、遅れている」と、言っているわけにはいかない。
もしこの日本が、アジアの国々と同じレベルの教育をしていたとしたら、この日本に未来は、ない。

 が、今では、分数の計算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
さらに最近の調査によれば、平均値の出し方のわからない大学生もいるとか。
中学生も、掛け算の九九のわからない学生がいる。
25年ほど前のことだが、中学1年生で、九九ができない学生が、20%近くもいたという。
塾連の人たちが、それを調べた。
(九九は暗記していても、5・7(ゴシチ)と聞かれて、瞬時に答えられない学生をいう。)
今は、もっと多いはず。

 世の親たちは、そして教師たちは、「一度、教えたから覚えているはず」「一度学んだから、覚えているはず」と考えやすい。
しかしどんな学習内容でも、しばらく使っていなければ、忘れる。
忘れるものは、忘れる。

●凋落(ちょうらく)する日本

 冒頭のレポートは、韓国を取りあげている。
「韓国は、15%、伸びた(jumped 15 points)」と。
日本ではない。
韓国である。
 
 またこのレポートでは、日本のことはわからない。
そこで私なりに調べてみた。

 OECDによる学力調査による、つぎのようになっている(2006年)。

(1) 数学的リテラシー
台湾→フィンランド→香港→韓国→オランダ→スイス→カナダ→マカオ→リヒテンシュタイン→日本(10位)→、だそうだ。

 ちなみにオーストラリアは、13位。

 が、気になるのは、日本の凋落ぶり。
「科学リテラシー」についての調査だが、つぎのように順位を落としている。

2000年、韓国に次いで、2位。
2003年、フィンランドに次いで、2位。
2006年、6位。

 読解力は、8位から15位、
日本にとってよい数字は、ほとんど出てこない。

●オーストラリアの友人へ

 資料を送ってくれた友人は、Gratten研究所と連絡を取るように勧めてくれた。
私は友人には、こう書いた。

「……学力といっても、授業時間数に大きく影響を受ける。
日本では、相対的に、数学にあてる時間が多い。
オーストラリアでは、科目数そのものが多い。
その分だけ、数学を学ぶ時間が少なくなる。
だからオーストラリアの子どもたちの、数学の能力が、他の国々より低いと聞いても驚かない。
問題は、日本である。
メジャー・コンパルサリー・サブジェクト(主要教科)であるにもかかわらず、学力が低下している。
日本人の子どもたちの学力低下は、かなり深刻なレベルにある」と。

 が、Gratten研究所とは、連絡を取らなかった。
率直に言えば、もうどうでもよくなってしまった。
疲れた。
……というふうに書いてはいけない。
私が書かなければ、だれが書く?
……ということで、気力をふりしぼる。

 が、こうなることは、すでに10年以上も前から、わかっていた。
わかっていたが、日本の教育は、何も動かない。
変わらない。
100年一律の教育を繰り返している。
またそれでよしと、その上で、あぐらをかいてしまっている。

 唯一の希望(?)は、私がYOUTUBEにUPしている動画が、世界中のポータルサイトが、コーナーを作って紹介していてくれること。
ウソだと思うなら、「はやし浩司」で検索。
1~10ページ近くまでを、順に見てほしい。
10ページだけでも、世界の6近いポータルサイトが、私のYOUTUBEを紹介している。
そのうち私の指導法が、ロシアや中国から、日本へ逆輸入されるかもしれない。

http://www.veengle.com/s/%E5%B9%BC%E5%85%90%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%8C%87%E5%B0%8Eby%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8.html

http://videos.drole.ch/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8/

http://pktube.onepakistan.com/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8/

http://sellhome.konyubyubwebdesign.com/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8.html

http://www.remusicas.org/videos/-;PDlnxgONCRg.html

http://www.oguiadacidade.com.br/guiavideo/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8/
(以上、ヤフー検索、10Pまで)

●終わりに……

 オーストラリアの友人が送ってくれた資料について、今朝は考えてみた。
たいへん悲観的なエッセーになってしまったが、次回は、何とか明るいテーマについて考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 学力 国際学力比較 リテラシー はやし浩司 オーストラリアの学力 Gratten Institute of Education Australia)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●吐き出し

 頭の中がモヤモヤしてくる。
それがやがて、爆発しそうなほどまでに、充満してくる。
文章が片っ端から現れ、消え、また現れ、消える。
断片的な文章であることが多い。
しかし時には、講演か何かをしているかのように、ザラザラと流れてくることもある。
それがしばらく、つづく。

 そこでパソコンの前に座る。
まず切り口となる、軽い文章を叩く。
「書く」にではない。
「叩く」。

 脳みその調子のよいときは、指先が軽快に動く。
タイプミスもほとんど、ない。
そうでないときは、そうでない。
運動をしないで、タイプを叩くと、自分でもそれがよくわかるほど、指先がモタモタする。
だから運動は欠かせない。
今朝も書斎に入る前、30分、ランニングマシンの上で、歩いた。
走った。
ほどよい汗が出た。

 たいていは、日付から叩き始める。
「今日は……」という出だしで始める。
とたん、文章が、頭の中からどっと出てくる。
あとは一気に、それを吐き出す。

「書く」のではない。
「吐き出す」。

 その快感がたまらない。
1週間分、あるいは10日分の便が、一気に出たような感じ。
(汚いたとえで、ごめん!)
しかしそれに似ている。
フロイト流に解釈するなら、肛門期の排便。
それに似ている。
(フロイトがいう肛門期というのは、心的なものをいう。誤解のないように。)

 ……おとといと、昨日、私は2日連続で、頭の中のモヤモヤを吐き出した。
気持ちよかった。
楽しかった。
同時に、疲れた。

 今朝は、その反動か。
まったりとした満足感に包まれ、頭の中はからっぽ。
遅い朝食を終え、野鳥のために、餌をまき、そのあと乗馬マシンで、腰の運動。
ゆっくりと書斎に。
時計を見たら、10時を過ぎていた。

 今日は、あの3月11日。
「もう1年!」と思うと同時に、日本人の私たちにとっては、長い1年だった。
あの日を境に、日本人は、質的に変化してしまった。

●自己客観評価力

 話題を変えよう。

 「空気を読む」という言葉がある。
感覚というより、感情の触覚を四方八方に伸ばし、その場の雰囲気を的確に判断することをいう。
わかりやすい例でいえば、何かの会合に出たようなばあい。
そのとき、お呼びか、お呼びでないかどうか、それを判断するのも、そのひとつ。
お呼びでないところへ顔を出したりすると、場違いというか、息苦しくなる。
居場所すら、ない。
で、結局、その場からそそくさと、逃げ帰ったりする。

 何度か、経験がある。

 ただ私のばあい、「空気は読める」。
が、「空気を読みまちがえる」。
(どちらも似たようなものだが……。)

 だから最近は、何かの会に誘われても、前もって慎重に判断する。
空気を読みまちがえると、イヤミの集中砲火を浴びる。
楽しいはずの会が、かえって不愉快な会になってしまう。
が、この問題は、子どもの問題と直結している。

●AD・HD児

 集中力が欠如している子どもというのは、たしかに、いる。
AD・HD児もそうだが、その一歩手前というか、それを薄めた子どもとなると、その倍はいる。
(ADHDの発現率は、5%。)

 さらに「空気が読めない子ども」となると、年齢にもよるが、30~40%はいる。
自己評価力の問題ということになる。
(ふつう「自己評価力」というときは、自分の能力の評価力のことをいうが……。)
あるいは現実検証能力でもよい。
周りの現実を、的確に検証できない。
あるいは現実と自分が、遊離する。
そういった力が、欠落する。
つまり自分の立場を、客観的に評価できなくなる。
(そういう意味では、「自己客観評価力」(はやし浩司)という言葉がふさわしい。)
ともかくも、みなに嫌われていても、嫌われているということ自体、わからない。

 そういう子どもは、どうすればよいか。

 ひとつの方法としては、ビデオカメラで子どもたちの様子を撮り、それをあとで子どもたちに見せるという方法がある。
この方法は、自分で自分のビデオを撮るようになってから、知った。
現在、YOUTUBEを使い、私の教室を公開している。
その動画を、今度は自分で見る。
そのとき、そこに写っている私が、ときに私の別人格に見えるときがある。
つまり自分を、自分から離れた他人のようにして見る。
そのときふと、子どもたちが日ごろ、私をどのように見ているか、それがわかるときがある。

 たとえば私はよく、「じじい!」と呼ばれる。
が、私は自分では、じじいとは思っていない。
思っていないが、自分の動画を見ると、「なるほど」と思うときがある。
「私はじじいなんだ」と。

●母親

 が、それでも難しいのが、「母親たちの空気」。
私はいまだに、母親たちの空気が読めない。
まったくといってよいほど、読めない。
とくに幼児教室の場では、そうである。
味方なのか、反感をもっている人なのか、それすらわからないときがある。

 女性というのは、本当にむずかしい。
いまだに私にとっては、謎である。
あのホーキング博士も、最近、そう述べている。

 では、今日は、ここまで。
2012/03/12UP

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●3月13日

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

このところ毎晩、寝る前に、「マヤの~~」とかいう本を読んでいる。
結構、それが楽しい。
若いころ、シュメール人に興味をもったこともある。
東洋医学の勉強をしていて、興味をもった。

が、もうひとつ忘れてはならない民族がいる。
仰韶(ヤンシャオ)人である。
この民族も、シュメール人やマヤ人と同じくらい、大きな謎に包まれている。
黄河流域で生活していた。
調べれば調べるほど、不思議な民族。
その仰韶(ヤンシャオ)へ、一度は行ってみたい。
西安の近くである。
私たちが現在「漢方」と呼んでいる東洋医学の原点は、仰韶(ヤンシャオ)人にある。
……と私は判断している。

現存する「黄帝内経」は、後の学者たちに、ズタズタに改変され、医学書(?)になってしまった。
が、元はといえば、天文学に関する本。
『五運行大論篇』を例にあげるまでもない。
しかも皮肉なことに、世界太古の『黄帝内経』は、中国にではなく、この日本に残っている。
京都の仁和寺(にんなじ)に、である。

東洋医学に関する本は、3冊、書いた。
うち1冊は、現在でも、全国の医学部や鍼灸学校で、教科書として使ってもらっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●年中児+3歳児に、かけ算と平行を教える

 昨日(3月12日)は、年中児(ほとんどが5歳児)と、3歳児(見学の女児)に、かけ算と平行を教えた。
うまく指導できた。



 その様子は、ここに紹介する。
こうした教育を否定する人も多い。
しかしそういう人にこそ、この動画を見てほしい。
幼児のもつ可能性に気づいてほしい。
同時に、現在の幼児教育なるものが、いかに幼児の「人権」を無視したものであるか、それに気づいてほしい。

 特別養護老人ホームで指導者がしているような指導でもって、それが幼児教育と思い込んでいる。
最悪なのが、NHKの幼児向け番組。
「♪お手々を、ブーラブ-ラ……」と。
ああいうのを見ていると、この私まで、恥ずかしくなる
私がもっている「幼児観」とは、まったく異質のもの。
幼児というのは、未熟で未完成という先入観でもって番組を作ると、ああいう番組になる。

 で、ときどき私は幼児たちにこう聞く。

「君たちさあ、ああいうのを見て、自分がバカにされていると思わないか?」と。

 すると、みな、こう答える。
「そうだ、そうだ」と。
年中児(4&5歳)の子どもたちだって、そう言う。
それくらいの意識はもっている!

●サナトス

 再び、マヤ。
何でもそうした本によれば、5月の金環食が、「終わりの始まり」だそうだ。
つまりその日から、世界中で異変が始まり、12月22日に、世界は終末を迎える(?)。
ウソか本当か……といえば、ウソに決まっている。
が、それがおもしろい。

 フロイトが言っているように、人間には、破滅願望というものがあるそうだ。
その原動力になっているのが、「サナトス」。
つまりフロイトは、どんな精神活動にも、表裏の二面性があると説く。
「生きたいという創造的な欲望」(リビドー)があれば、同時に「死にたいという破滅的な欲望」(サナトス)もある、と。

 おおざっぱに言えば、そういうこと。

 で、「マヤの~~」を読んでいると、心の内部に潜む「サナトス」を感ずる。
もちろん、それを望んでいるわけではない。
が、あえて言うなら、戦争映画か、破壊映画を見るような楽しさ。
たとえば近く、『バトルシップ(Battleship)』という映画が、公開される。
海の中から、動物の風体をした巨大なUFOが現れる。
地球のあらゆるものを破壊する。
ああいう映画は、ストレス解消には、たいへんよい。
私はそういう映画が好き。
いつもハハハと笑いながら、映画館から出てくる。

 「マヤの~~」とかも、ハハハと笑って終わるはず。
12月22日(日本時間では、12月23日)が、楽しみ。
大声で、ハハハと笑ってやる。

●不気味な話

 一方、こんな話もある。

 昨日、週刊朝日を買ってきた。
今週号である。
その中に、こんな記事があった(P21、「福島第一原発事故は収束していない」)。
こちらは、ハハハと笑ってすませない話。

「……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出せよ」と警告していますね。

(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが眠っています」と。

 4号機には、毒性がきわめて強い、プルトニウムが使われていた。
(ウラニウムは灯油、プルトニウムはガソリンに、よくたとえられる。)
そのプールには、そのほか、使用済み核燃料が入っていた。
そこまでは私も知っていた。

 が、その危険性までは、知らなかった。
「プールに収まっているから、だいじょうぶ」と聞かされていた。
が、これがとんでもない、まちがい。

 ガンダーセンによると、プールにヒビでも入って、水が抜けたら、日本は万事休すということらしい。
北は北海道から、南は静岡県、あるいは日本列島全体が、放射性物質でおおわれる。
週刊朝日には、「過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの」とある。

 さらに恐ろしいのは、仮にそういう状態になったら、近辺の原子力発電所も、制御不能になるという。
管理する人がいない。
つぎつぎと放棄され、爆発を繰り返す。

 そうならないことを願うばかりだが、この先、30~40年も、ハラハラ、ヒヤヒヤしながら暮らすのもどうかと思う。
(もっともそれまで、私は生きてはいないが……。)

 さらに恐ろしいのは、「被害」が現れるのは、これから。
がんによる死亡者が、100万人単位でふえるという!

 昨日の新聞によれば、千葉県からですら、人口の流出がつづいているという。
一方、この静岡県の人ですら、千葉県には行きたがらない。
実家が千葉県にあるMさん(生徒の親)も、こう言っていた。
「実家へはひとりで帰ります。子どもは連れて行きません」と。

 福島原発事故は、何も収束していない。
安全宣言など、もってのほか。
こうした事故は、緊張感のゆるんだときが、恐ろしい。
そのとき第二、第三の事故が重なる。

 ……とまあ、またまた暗い話で、ごめん。

 ともかくも、今日も始まった。
寒い朝だ。
がんばろう。
がんばるしかない。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●3月13日を終えて……

●インターバル撮影

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今したいこと。
……イコール、ほしいもの。

カメラによっては、インターバル撮影なるものができるとか。
間隔を置いて撮影することを、インターバル撮影という。
たとえば5秒ごとに、シャッターを切る、など。
あとでその動画を再生すれば、たとえば1日の雲の動きを、10分程度で見られたりする。
道路の人の動きを、同じように、10分程度で見られたりする。
(おもしろそう!)

計算してみる。

1秒間に、30コマとする。
5秒ごとに撮影すれば、(30x5=)150秒を、1秒に短縮できることになる。
つまり、150分の1。
だから24時間x60÷150=9・6分!
1日の動きを、たったの9・6分で見ることができる。
(フ~~ン!)
それを知り、それができるカメラがほしくなった。

……ということで、今夜、仕事の帰りに、近くの電気ショップに寄ってみた。
カタログを集めた。
ネットで調べたところ、リコー社製のカメラに、その機能がついているという。

庭の様子を撮影すれば、どんな鳥が、どの程度私の庭に来ているかが、わかる。
空の星の動きを撮影してみるのも、おもしろそう。
さらに畑の野菜の生育状態も、(もしそのカメラが手に入れば)、撮影してみたい。

しかし問題がひとつ。
リコー社製のカメラは、プロ用のものが多い。
値段が高い。

そこでさらに調べてみると、インターバル撮影用の専門のカメラがあることがわかった。
値段も7000円前後。
これなら小遣いの範囲で、買える。

今夜一晩考えてみる。
明日もまだこの気持ちが揺らいでいないなら、1台、買うつもり。

(「揺らいでいない」が正しいのか。
「揺らいでない」が正しいのか。
日本語は、むずかしい。
「揺らいでいる」と言うから、語法上では、「揺らいでいないなら」が正しい。
が、ふつうの会話では、「揺らいでない」と言う。
「ラ抜き言葉」というのはある。
となると、これは「イ抜き言葉」ということになる(?)。
余計なことだが……。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●穏やかな1日

 今日は全体に、穏やかな1日だった。
「穏やか」というのは、「心が穏やか」という意味。
淡々と過ごした。
淡々と仕事をした。
迷いも怒りもなく、平和な1日だった。

 夕方、空き時間を利用して、ワイフとレストランで食事をした。
いつものレストラン。
いつもの料理。

 そのせいか、今も穏やか。
眠くはないが、横になれば、すぐ眠ってしまいそう。
明日も、そうであればよい。

●春休みの計画

 ワイフと春休みの計画を立てている。
どこへ行こうか?、と。

 去年の夏、福井市から大野市へ、そこから山越えをし、岐阜県の白鳥市へ抜けた。
ひとりで旅をした。
その話を、ワイフに何度もした。
それを聞き、ワイフは大野市へ行きたいと言っている。
私は高山にある、どこかの温泉へ行きたいと言っている。

 ほかに、鳥取へ行き、カニを食べるとか、紀伊半島を回ってみるとか、など。
「めんどうだから、全部しよう」と私。
「いいの?」とワイフ。

私「ぼくたち、若いとき、仕事ばかりしていて、デートできなかった」
ワ「子育てに追われたわ」
私「そうだな。遊んでいる暇がなかった」
ワ「やっと、その時間ができたわ」と。

 ホント!

 夫婦が夫婦として本当に楽しくなるのは、60歳を過ぎてから。
いつだったか、伯母がそう言っていた。
その意味が、今、やっとわかるようになった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「平行」小学1年生

 今日は、1年生に「平行」を教えてみた。
楽しかった。
後半部で、子どもたちの学習風景を収録した。
どうぞ、お楽しみに!




Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


 が、計画を立てるのは、あまり好きではない。
それに縛られる。
ブラッとでかけ、行き先で旅館を決める。
それが私流。
いつもそうしている。
春休みが、楽しみ。

●ダイエット

 今のところ、ダイエットは順調。
68キロ弱あったが、昨夜、近くのホテルで計ったら、66キロ台。
今までの経験によれば、ピークは過ぎた。
「ピーク」というのは、つまり病気にたとえるなら、「山を越えた」という意味。

 この10日間、苦しかった。
空腹感との闘い。
が、これからは、楽。
胃袋そのものが小さくなった感じ。
自然と減量できる……はず。

 昨日も、あるホテルで朝食を食べた。
バイキング方式だった。
が、私は、ほんの少量。
「食べなければ損なのか? 食べたら損(そこ)ねるのか?」と、そんなことを自問しながら食べた。
結果、ほんの少量ですますことができた。

 そう言えば今日、昼寝をしているとき、ワイフが横でこう言った。
「あなた、頬に線ができたわよ」と。
頬がこけたという意味で、そう言った。
「ジジイになっただろ?」と言うと、「うん」と。

 目標は、64~65キロ。
できれば63キロ。
がんばろう!


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●講演の帰りに、翠紅苑に一泊(村松秀太郎画伯に会う)
  はやし浩司 2012-03-14 寸又峡温泉にて



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日は、寸又峡(すまたきょう)温泉に一泊。
S町での講演を午前中に終えたあと、そのあと少し遠回りをすることにした。

今、その電車の中。
金谷(かなや)で下車。
金谷から。大井川鉄道に乗り換え、千頭(せんず)まで。
そこからバスで、寸又峡まで。
宿は、翠紅苑(すいこうえん)。
寸又峡温泉の中では、ダントツ、イチ押しの旅館。
寸又峡温泉では、いつもこの宿と、決めている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●金谷から、新金谷へ

 金谷から千頭行に乗ろうとしたが、先の電車がちょうど出た後。
1時間後という。
1時間!
「それじゃあ、歩こう」ということで、JR金谷駅から、新金谷駅まで歩いた。
距離にして、2キロ弱。
空は快晴。
心地よい春の風。
絶好の散歩日和(びより)。

 途中のショピングセンターで、飲み物を買う。

●新金谷駅

 「新」という名前はついているが、20年前と同じ。
3人の息子たちを連れて、ここでSLに乗った。
30年前と同じ。
そのころ、このあたりの時計は止まった。
昔のまま。

驚いたのは、新金谷駅から千頭まで、料金が1720円(1名分、片道)だったこと。
1時間ちょっとの距離で、この料金。

 日本の鉄道料金は、高い!
「往復で?」と聞いたら、ワイフがチケットを見ながら、「片道よ」と。
「フ~~ン」と言っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。

 ……がらんとした駅構内。
少し離れたところで女子高校生が2人、大声で話している。
その声が、ストレートに、ガラス窓を通して聞こえてくる。
あとは、何かのモーターの音……。
ブ~~ン……。

 のんびりとした昼下がり。
白い陽光が、まぶしく光る。

……ワイフは先ほどから、バッグの中をゴソゴソと整理している。

●二次利用

 パソコン、デジタルカメラなど。
やがて買い換えていくと、古い機種がそのまま残る。
そういうのを見ながら、どうして私たちは二次使用を考えないのか、と。
いつも、そんなことを考える。

「二次使用」というのは、もしこういった製品に、二次使用機能があれば、再び実用品として、生き返らせることができる。
たとえばデジタルカメラ。

 デジタルカメラに、インターバル撮影機能、動体検知機能、アラーム機能などがあれば、カメラとして使用しなくなったあとも、防犯装置として利用できる。
目覚まし時計でも、よい。
ほかのカメラへの映像転送機能があれば、監視カメラとしても利用できる。
パソコンにしても、そうだ。
同じような機能があれば、古くなり、使わなくなったあとでも、何かの仕事をさせることができる。

 このことは、たとえば空き缶やビンについても、言える。
たとえばコップ型にすれば、飲んだあと、コップとして、使用できる。
筆立てや、もの入れなどに利用するという方法もある。
(考え方が、少しセコイかな?)

 ともあれ私の家にさえ、デジタルカメラが、ゴロゴロしている。
ノートパソコンも、同じ数ほど、ゴロゴロしている。

 新金谷の駅の構内で、ジュースを飲んだ。
その空き瓶をどうしようかと迷っていたとき、ふと、そんなことを考えた。

●寸又峡温泉

 寸又峡温泉へは、何度か来た。
が、温泉に泊まるようになったのは、50歳を過ぎてから。
それまでは日帰り。

 ……たった今、新金谷駅で、電車に乗った。
塗装は、はげ、表面はボコボコ。
かなりレトロ電車。

窓ガラスが、どれも薄茶色に汚れている。
そのまま外の景色が、セピアカラーに。
左右に揺れるたびに、ギシギシ、キュッキュツと。

 金谷の駅で買った雑誌を開く。
「週刊アスキー」誌。

●WINDOW8

 近くWINDOW8が発売になる。
今、そのプロトタイプが、無料で試用できる。
その記事が、「週刊アスキー」に載っていた。

 ……この世界だけは、どんどんと変わっていく。
で、今度は、WINDOW8。
私は新しいOSが発売になるたびに、パソコンを買い替えてきた。
が、すぐ買い替えるわけではない。
発売後、数か月は、様子を見る。
評判を聞いてから、買い替える。

●撮影

 電車が動き出してからまもなく、窓の外の景色をビデオカメラに収め始めた。
広い川は、言わずと知れた、大井川。
「♪越すに越されぬ大井川」と歌われた、大井川。

 しばしその美しさに、目を奪われる。

●眠い……

 講演のあとは、いつもそうだが、食欲ゼロ。
どっと睡魔が襲ってくる。
今が、そう。
写真だけ撮ることにし、パソコンを一度、閉じることにする。

……眠い……。

……「着きましたよ」と声をかけられ、目を覚ます。
列車は、千頭駅に着いていた。
列車の中で居眠りし、起こされたのは、この2~30年で、はじめてのこと。
あわてて荷物をつかみ、列車をおりる。

●翠紅苑

 この旅館は、いつも私たちを裏切らない。
シーズンオフということで、客はまばらだった。
旅館には悪いが、私たちには、ありがたい。

 部屋へ入ると、すぐ浴衣に着替えた。
ワイフが用意してくれた、茶を飲んだ。

 窓の外は、見慣れた山間(やまあい)の景色。
午後4時というのに、すっかり夕暮れ。
全体に薄青ぽく見えるのは、標高が高いせいか。
少し離れたところに小型のトラックが止まり、作業服を着た男たちが何人か、仕事をしていた。
風もない。

 ……ふと、3日前に植えた野菜の苗のことが気になった。
ここ数日、浜松地方は強い風に見舞われた。
今朝見たら、苗の何割かが、土をかぶり、横に倒れていた。

●ないものねだり

ワイフとこんな話をした。
「ないものをねだっても、しかたないね」と。

そこにあるものに、自分の価値を見出す。
幸福というのは、そういうもの。

 健康、生き甲斐、仕事、能力、キャリア、過去、安定感、名誉、地位、安心感、住環境、友人、家族、経済的豊かさ、など。
満点の人はいない。
どれかがあって、どれかが欠ける。
大切なことは、自分を他人と比較しないこと。
「私は私」と。
「人は人」と。
つまり、その割り切りの中に、幸福が潜んでいる。

●老人組

 老人組に入って、いろいろなことがわかった。
(「老人」の入り口に立っている、私のような人間を、「老人組」という。) 

先のない閉塞感の中で、生きることのすばらしさと、空しさ。
その2つが、同時に2色の煙のようになって、心をふさぐ。

 ものが見える。
音が聞こえる。
ときどきそれが不思議でならない。

 その一方で、「今までの人生は何だったのか」と。
たびたび立ち止まっては、ほこりのようにたまった過去を振り払う。

 不安と心配。
小さな希望に自分を託し、明日にじぶんをつなげる。
あとは精一杯、虚勢を張り、自分をごまかす。
楽しいふりをする。
毎日が、その繰り返し。

 それをワイフを話したら、先の(ないものねだり)の話になった。
ワイフがその言葉を使った。
「ないものを、ねだっても、しかたないのよ」と。

 人をうらやむ(=envy)というのは、それ自体が、私たちを不幸にする。

●世界一周

 このところワイフとこんな相談を、よく交わす。
「仕事をどうしようか?」と。

 私は、死ぬまで子どもたち(生徒の幼児たち)との接点を保ちたい。
またそれがないと、「私」の土台が崩れる。
ものが書けなくなる。

 が、ワイフは、こう言う。
「外国を回りたい」と。
客船で、世界を一周する旅もあるそうだ。
あるいは、世界のあちこちを、3か月単位で移動するという方法もある。
花火大会にたとえるなら、最後に打ち上げられるスターマインのようなもの。
ドドド、バババ……と咲いて、そのまま散る。

 私の心は、揺れ動く。

●風呂

 ワイフが入浴支度を始めた。
「温泉に入ってこようか?」と。

 先ほどバスの中で、運転手が、こう言った。
「このあたりは、天然の硫黄泉です」と。
肌がスベスベになって、よいそうだ。

 話はぐんと恐ろしくなるが、あのラジウム温泉というのは、本当に安全なのか。
WHOは、「危険だからやめろ」という勧告を、出している。
またアメリカでは、ラジウムが検出される地域では、住宅の建設許可はおりないそうだ。
はっきりと確かめてはいないが、どこかの記事にそう書いてあった。

 一度、しっかりと確かめてみる。
今日は、どちらであるにせよ、つまり危険であるかないかということは忘れ、のんびりと湯につかりたい。

●ミステイク

 今日は、2つのミステイクをした。
ひとつは、パソコンのコードを忘れたこと。
もうひとつは、老眼鏡を忘れたこと。
朝、あわてて出かけたので、それで忘れた。

 いくらTOSHIBAのR631でも、一晩はもたない。
現在、バッテーリーの残は、46%(3時間45分)と表示された。

 これから3時間、間断なくパソコンを叩いてやる。

●うらやむ(=envy)

 (ねたむ)(うらやむ)というのは、聖書でも、きびしく戒めている。
常識。
先にあげた幸福の中で、何が大切かといって、「健康」ほど、大切なものはない。
体のどこかがおかしくなると、とたんに健康な人が、ねたましくなる。
うらやましく思うこともある。
が、そのときは、そのとき。
釈迦もこう言っている(法句経)。
「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

 私たちは日々に作り上げ、日々に失っていく。
重要なことは、失うものを嘆かない。
そこにあるものの中から、幸福を見出していく。

 では、(若さ)については、どうか。

●若い女性

 数日前、テレビを見ていたら、こんな女性がいた。
すでに2度ほど、離婚しているという。
その女性がこう言った。

「私、身長が168センチもあるでしょ。だから結婚相手の第一条件は、いっしょに歩いていて、かっこうのいい男です」と。

 その女性は、何とかというハーフの男性と結婚し、世間を騒がせた。
が、離婚。
もう一度結婚したが、子どもが1人でき、そのあとまた離婚。

 その女性を見ながら、「ぼくなら失格だな」と思った。
身長が足りない!
と、同時に、「そういう女性も多いのかなあ」と。

 が、いくら神様が私を、青年時代に戻してくれると言っても、そういう女性と結婚するような男性だけにはなりたくない。

若い人たちから見れば、私たち老人組は、みな馬鹿に見えるかもしれない。
しかし私たち老人組から見れば、そういう若い人たちが、みな馬鹿に見える(失礼!)。
あのバーナードショーがそう書き残している。

 (若さ)が、馬鹿の代名詞であってはいけない。
そういう(若さ)だったら、私は、ねたましいとも、うらやましいとも思わない。

●美しい人

 今朝早く、浜松の駅前で、美しい女性を見た。
「どこの国の人かしら?」とワイフ。
振り返って見ると、そこで目が合ってしまった。
とっさに、こう言った。

「My wife says, you are a beauty!」(ワイフが、あなたのことを美しい人だと言っているよ)と。
すかさずその女性は、「Thank you」と答えた。
一瞬のできごとだったが、目がすてきだった。

 国を聞くと、「I’m from Canada(カナダ)」と答えた。

 見た目の美しさでは、日本人は、欧米人にかなわない。
そんな余韻もまだ残っているとき、電車の中で、前の席に若い女性が座った。
日本人の女性だった。
が、どこもかしこも、不自然。
プチ整形というよりは、顔全体を作り直してしまったかのような女性だった。
整形が悪いというのではない。
整形が必要な人も多い。
しかしいくらがんばっても、私たちの顔を、欧米人のような顔にすることはできない。

 どうして日本人は、欧米人の顔に近づけたがるのだろうか。
欧米人が、日本人のような顔に整形したという話は、聞いたことがない。
つまり整形そのものが、日本人であることの敗北を認めるようなもの。

 若い女性よ、中身を磨け!
知性を磨け!
理性を磨け!

 私とワイフは、その女性をまじまじと見てしまった。
見とれて、そうしたのではない。
どことどこを、どう整形したか、それを知りたくて、まじまじと見てしまった。
私たちの視線を感じたのか、その女性自身は、ツンとすましていた。
どこか得意げな雰囲気だった。

●外見

 外見を飾ることの虚しさは、50歳を過ぎないとわからないのでは?
が、この意見に対して、ワイフは、こう言った。
「若い人でも、わかる人は、わかるわよ。反対に、年をとっても、わからない人は、わからないわよ」と。

 見栄、メンツ、世間体……。
そればかり気にしている人は、多い。
「だから、それがどうしたの?」という部分がないまま、生きている。

 が、私はそういう意味で、そう言ったのではない。
見栄、メンツ、世間体ばかり気にしている人がいる。
そういう人に、その虚しさを教えてもわからない。
が、50歳を過ぎたら、教えたら、わかるようになる、と。

 先の電車の中で見た女性にしても、そうだ。
その女性は、まさに命がけで、美しくなりたいと思っている。
その気持ちは、よくわかる。
が、今、その女性に、そうすることの虚しさを話しても、理解できないだろう。
ひょっとしたら、今の人生をバラ色に感じているかもしれない。

●見栄

 が、こんな女性もいる。
80歳を過ぎても、見栄、メンツ、世間体を気にしている女性だ。
60歳近い娘と同居している。
その女性の老齢年金と、娘の年金だけで、生活している。
家計など、あってないようなもの。
しかしそんな女性でも、美容院では、1万円のチップを渡しているという。

 さらにスーパーなどで、ものを買うときも、わざわざ分厚いサイフを見せびらかしているという。
両端だけを1万円札にし、間に1000円札をはさんでいる。

 見栄、メンツ、世間体を気にする人は、そこまで気をつかう。
そういう女性と、先に書いた電車の中で見た女性は、どこもちがわない。
少なくとも、私には、同じに見える。

●翠紅苑(すいこうえん)

 時刻は、午後5時48分。
日が長くなった。
山間の景色は、ここへ来たときのまま。
こういうところでは、夕方が長い。

 食事は6時でも、6時半でもよいとのこと。
温泉へは、一晩中、入れるという。
ただひとつ残念なのは、温泉までの距離が長いということ。
一度、長い通路を歩くのだが、途中、外気にさらされる。
真冬は、つらい。

●村松秀太郎画伯(むらまつ・ひでたろう・がはく)

 夕食のとき、村松秀太郎画伯と知りあった。
話しかけたら、日本画の大家、村松秀太郎画伯とわかった。
しばらく話したあと、私はこう聞いた。

「失礼ですが、あなたはたいへんな方とお見受けいたしますが、あなたはいったい、どういう方ですか」と。

村松秀太郎画伯は、笑いながら、こう言った。
「日本画を描いている、村松です」と。
それでその人物が、村松秀太郎画伯とわかった。

 その後、席を画伯の横に移し、いっしょに食事をさせてもらった。
ふつうなら、近くにも寄れない画伯である。

 その村松秀太郎画伯、翠紅苑に連泊し、近くの山の中で絵を描いているということだった。
その翠紅苑のロビーにも、村松秀太郎画伯の日本画が飾ってある。
龍の絵である。

 その前に、温泉でもいっしょだった。
その瞬間、「この人は、ただ者ではない」と直感した。
その直感は、ズバリ、的中した。

 村松秀太郎画伯が話している様子は、動画に収めさせてもらった。
YOUTUBEにUPしておく。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 村松秀太郎 画伯 はやし浩司 翠紅苑 寸又峡温泉)

●ただ者ではない

 ここで私は、こう書いた。
「ただ者ではない」と。
雰囲気そのものが、ちがう。
一見、穏やかそうな人だが、その奥にある重みまでは、隠せない。

最初は、千葉県の話から始まった。
そのあと静岡県の話になった。
村松秀太郎画伯は、静岡県の清水市生まれ、現在は、千葉県の市川市に住んでいるという。
放射能汚染から避難し、静岡県にやってきているということだった。

その千葉県は、今、たいへんな状況という。
若い母親など、みな、ノイローゼになってしまっている、とも。

 ただ者ではない人には、重厚な気配を感ずる。
これも年の功か。
反対に、いくら身を飾っても、ただ者はただ者。
それもよくわかるようになった。

●頭痛

 部屋に戻ったら、午後8時を過ぎていた。
軽い頭痛は、列車の中で、起こされてから、ずっとつづいている。
温泉に入って、少しひどくなった。
睡眠不足と疲れ。

 こういうときは水分を多量に補給するのがよい。
食事中も、水をたくさん飲んだ。
今も立てつづけに飲んでいる。
私流の、治療法。
一時的に頭痛はひどくなるが、そのあと、まさに(水が引くように)頭痛が消える。
(頭痛といっても、いろいろな種類のものがあるが……。
詳しくは、はやし浩司著「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)をどうぞ!)

●サッカー

 ワイフがサッカーの試合を見たいと言った。
日本対バーレーン。
日本が引き分けか、勝てば、のロンドン五輪、出場権を手にいれる。
大事な試合。

 テレビにスイッチを入れる。
前半38分。
0-0。

 「ぼくの命は、あと2時間しかない」と私。
パソコンのバッテリーは、あと2時間分程度しかない。
いや、今調べたら、1時間15分。
こうなったら、時間との勝負。
1時間で、どこまで書けるか。

●「私」論

 書き忘れたが、翠紅苑の料理は、いつ来ても、すばらしい。
満足度、120点。
が、今夜は、ほどほどのところで箸を置いた。
先ほど脱衣所で体重を測ったら、65キロだった。
できれば、この状態を保ちたい。

 要するに、ダイエットというのは、脳の奥深くに潜む本能との闘い。
食欲本能という本能との闘い。
私であって、私でない「私」との闘い。
ほとんどの人は、(私もそうだが)、その本能に振り回されてしまう。
自分を見失ってしまう。

 逆に言うと、本当の私を取り戻すためには、一度私を、その「私」から切り離す必要がある。
食事をしながらも、自分にこう問いかける。
「食べなければ損(そん)なのか。それとも食べれば損(そこ)ねるのか」と。
その問いかけを繰り返す。
その先に、本当の私がある。

 ダイエットを、ただのダイエットと考えてはいけない。

●3月15日

 昨夜は、そのまま就寝。
2回目の温泉に入り、そこでダウン。

(この間、約9時間。)

 今、千頭の駅の構内で、列車を待っている。
9時26分発の、各駅停車。
今、時刻は、9時57分。
それまでパソコンのバッテリーがもつかどうか?

 何度も、警告表示が現れる。

 やや冷えた空気が、椅子の下から体に伝わる。
しかし寒いというほどではない。
もう春は、そこまで来ている。

 私たち夫婦だけの構内。
電車に乗るのも、2人だけ?

 ……ということで、今回の寸又峡温泉の旅は、おしまい。
あとは、バッテリーが消えるまで、こうして文を打ちつづける。

 ……ワイフが、今、暖かい紅茶を横に置いてくれた。
3月15日、木曜日。
昼までに帰り、あれこれ仕事の用意をしたあと、街へ出る。
そう言えば、近く『スターウォーズ』が、公開される。
楽しみ。
今度の『スターウォーズ』は、題1作の、リメイク版。
3D。

 それから今週は……。
こういうBLOGでは、予定は書かないほうがよいそうだ。

 そう言えば、昨夜、関東地方で地震があったとか。
気がつかなかった。
またロンドン五輪のサッカー予選では、日本が2-0で、バーレーンを下している。

 ……翠紅苑では、村松秀太郎画伯に直接会うことができた。
人格者だった。
印象に強く残った。
これから画伯の日本画を見るたびに、昨夜のことを思い出すだろう。
すばらしい思い出になった。
横山大観……、平山画伯……、それにつづく、現代日本画の巨匠。

 本物の人は、どこかちがう。
雰囲気がちがう。
会った瞬間に、それがわかる。
そういう自分が、つまり多少なりとも、人を見る目ができた自分が、少しだけだが、うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 翠紅苑 寸又峡温泉 村松秀太郎画伯 講演の帰りに はやし浩司 すいこうえん 翆紅苑 翆紅園)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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