2012年4月23日月曜日

今日も終わった+野鳥公園byはやし浩司

【国家破綻】ロイター・NEWSを精読する Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 今日も終わった。 たった今、お茶を口にし、ほっと一息ついた。 時刻は、午後9時40分。 で、今夜、高校生たちと、こんな会話をした。 私がふと、こう言ったときのこと。 「今、多くの大学では、高校で使う教科書より簡単な教科書を使って授業をしている」と。 するとすかさず、Rさん(女子)がこう言った。 「だったら、大学へ行っても無駄じゃん」と。 ……そうかもしれない。 合理的に考えれば、そうかもしれない。 しかしこのRさんの論理は、基本的な部分でまちがっている。 「でもね、みんな幸福になりたいと願っているよ。 簡単な英語でも、メールくらいは自分で書きたいと思っている人もいるよ。 英語が苦手な人でも、苦手なりに、がんばる。 そういう人の願いまで、『無駄』と、だれが言えるだろうか。 これは極端な話だけど、君もいつかは老人になる。 寝たきりになるかもしれない。 もしそんなとき、だれかが、『生きていても無駄じゃん』と言ったら、どうする? 君は、それに納得するだろうか」と。  頭のよい子どもである。 すぐ私の言わんとしていることを、理解した。    このつづきは、もう少しあとに書いてみたい。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●ロイター伝を、精読する Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ロイター(2012-04-22)は、つぎのように伝える。 日銀の白川総裁が、こう言ったという。 とくに最後の1行が重要。 『ソブリン危機は、前触れなしに顕在化する可能性がある』と。 日銀総裁という人物が、日本を離れ、胸の内を明かしたという点で、このニュースのもつ意味は重い。 ふつう重要人物というのは、国内ではめったに胸の内を明かさない。 「外国」という場で、明かす。 それはともかくも、このニュースを精読するだけで、日本が今、置かれた現状を正確に知ることができる。 精読してみよう。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●【際限ない国債買い入れ、制御不能なインフレ招く=日銀総裁】 ワシントン/東京 21日 ロイター 【注……以下、『かっこ』部は、ロイターの記事。つづく★印は、はやし浩司の感想】 『日銀の白川方明総裁は21日、訪問中のワシントンでフランス銀行主催のパネルディスカッションの参加し、国債への信認が低下することによる金融システム不安を抑えるため中央銀行が際限のない国債買い入れなどを行えば「制御不能なインフレを招く」と警告。 中銀の流動性供給で時間を買える間に財政改革を進める重要性を強調した』(以上ロイター)と。 ★白川総裁は、経済学の基礎を述べている。 つまり「中央銀行が、際限のない国債を買い入れれば、インフレを招く」と。  これは当然のこと。 「国債を買う」ということは、その分だけ、札の印刷機を回すことを意味する。 たとえば政府が、1兆円の債務の返済に迫られたとする。 が、手元に現金がない。 そういうとき政府は、中央銀行(日本のばあい、日銀)へ行き、こう頼む。 「1兆円、用立ててくれ」と。  政府からの申し出とあれば、断ることができない。 そこで中央銀行は、1兆円の札を渡す。 渡すと言っても、札束が用意してあるわけではない。 あるのは印刷機。 その印刷機を使って、紙幣を印刷する。 「印刷機を回す」というのは、そういう意味。 で、そのとき政府が発行する借用証書が、「国債」ということになる。  が、札が市中に出回れば出回るほど、札の価値はさがる。 絵画(リトグラフ)を例に考えればよい。 石版刷りの枚数が多ければ多いほど、価値はさがる。 ラーメンにしても、そうだ。 たとえばそれまで500円だったラーメンが、700円になる。 それがインフレ。  日銀総裁が言ったというと、何やらたいへんなことを言ったように思う人もいるかもしれない。 しかしこれは、経済のイロハ。 (そう言えば、最近、市内でラーメンを食べると、1食800~900円だぞ!) 『白川総裁は、欧州金融市場に小康状態をもたらした欧州中央銀行による長期資金供給オペ(LTRO)は、「あくまで『時間を買う』政策に過ぎない」と指摘』(以上ロイター)と。 ★EUの金融危機は、基本的には、何も問題は解決していない。 白川日銀総裁は、それを述べた。 「小康状態」というのは、それをいう。 事実、欧州中央銀行は、ギリシャの金融危機問題についても、借金の付け替えをしただけ。 あるいは借金返済の期限を、引き延ばしただけ。 欧州中央銀行が、ギリシャに現金を貸し付け、その現金で、ギリシャは、各国の金融機関に現金を返した。 「長期資金供給オペ」というのは、それをいう。  もちろんその間に、ギリシャ経済が上向けばよい。 が、そうでなければ、そうでない。 欧州中央銀行は、ギリシャに、「時間的余裕を与えたから、その間に立ちなおりなさい」と言った。 それが『時間を買う』の意味。   『市場が落ち着き、かえって財政への危機意識が薄れ、財政赤字拡大から金融システム不安が再燃すれば、「中央銀行が国債担保の流動性供給、あるいは国債買い入れを通じて、最終的に際限のない流動性供給に追い込まれる可能性がある」と警告』(以上ロイター)と。 ★が、人間の心というのは、いいかげんなもの。 気が緩んだとたん、再び、怠けてしまう。 ギリシャにしても、そうだ。 「いざとなったら、中央銀行が助けてくれる」と。 こうしてギリシャは、依存心をもってしまう。 が、この依存心が恐い。  保護、依存の関係というのは、一度できると、常に一方的なものになりやすい。 保護する側は、いつも保護する。 依存する側は、いつも依存する。 親子関係にしても、親戚、友人関係にしても、同じ。  さらにそれが慢性化すると、立場が逆転する。 依存する側が、保護する側に、それを要求するようになる。 「ちゃんと、めんどうをみてくれ!」と。  こうして経済の世界でも、『際限のない流動性供給』が生まれる。 つまり資金の垂れ流しが始まる。 『「膨大な通貨供給の帰結は、歴史の教えにしたがえば制御不能なインフレ」と言い切った』(以上ロイター)と。 ★で、その結末は悲惨。 古今東西、最終的には、制御不能なインフレを引き起こす。 が、ただのインフレではない。 猛烈なハイパーインフレ。  そのうちこの日本でも、タクシーの初乗りが、1万円になる。 そうなる。 『日本については、「人々が将来の財政状況への不安から支出を抑制し、そのことが低成長と緩やかなデフレの一因になっていると考えられる」と指摘した』(以上ロイター)と。 ★その通り。 白川日銀総裁はどうか知らないが、一般庶民は、生活防衛をしなければならない。 が、本来、お金というのは、使ってはじめて意味をもつ。  たとえばあなたが100万円の機械を買ったとする。 その100万円は、(販売会社)→(製造業者)→(部品製造会社)→……と回っていく。 その間にあって、それぞれの会社の社員の給料となって、回っていく。 それが経済を活性化させる。 が、もしその100万円を、あなたがタンス預金にしてしまったとしたら、そうか。 そのお金は、その時点で、まさに(死に金)。  その(死に金)がふえればふえるほど、経済は停滞し、物価がさがる。 それがデフレ。 『総裁はフランス銀行の「フィナンシャル・スタビリティ・レビュー4月号」にも寄稿し、日本で低金利が続いている背景として、「国債利回りが低位安定的に推移すると、その事実自体が国債の安全性評価をさらに高めてその保有動機を強めるように作用する」ためと説明』(以上ロイター)と。 ★現在、国債の利回りは、1年モノで、0・11%前後。 5年モノで、0・28%(4月22日現在)。  国債の利率は低ければ低いほど、……というか、逆にその国が安定すればするほど、利率は低くなる。 が、日本のばあいは、どうか。 本当は、中身は、ガタガタ。  ……しかし、この日本は、何とかもちこたえている。 なぜか?  言うまでもなく、90%以上、引き受け手は、日本人自身。 言うなれば身内の借金。 親が自分の息子や娘に借金をしている。 そう考えればわかりやすい。  ともかくも、「見かけ上、日本の国債は、安定している」。 それを白川日銀総裁は、こう言った。 『その事実自体が国債の安全性評価をさらに高める』と。  日本国債が、そのために買われやすくなっている、と。  しかしどうして経済界の人たちは、こういう回りくどい、難解な言葉を使うのか。 『保有動機を強めるように作用する』と。 簡単に「みんながほしがるようになる」と言えばよい。 そのほうが、ずっとわかりやすい。 (こういうとき、通訳の人は苦労するだろうな。 私も経験がある。) 『しかし、政府が「自らの支払い能力を超えて借金を重ねることはできない以上、投資家が信用リスクを意識し始める臨界点がどこかに存在する」と警告。 ★が、いつまでも、こんな綱渡りがつづくはずがない。 いつか破綻する。 その破綻する限界点を、「臨界点」という。  が、ここで忘れてならないことは、先延ばしにすればするほど、被害も大きくなるということ。 一般家庭の借金を例にあげるまでもない。 しかも臨界点に近づけば近づくほど、累乗的に、借金は、膨(ふく)らむ。 私の友人などは、最初はたった700万円の借金でつまずいた。 それが何と、1年半後には、1億5000万円になっていた。 どうしてそうなったか……というよりも、経済の世界というのは、そういうもの。 『投資家が他の投資家が国債を売却すると予想することが利回りを押し上げる「自己実現的なプロセスがひとたび作動すると、『市場取り付け』に至ってしまう可能性がある」と述べ、そのような「ソブリン危機は、前触れなしに顕在化する可能性がある」と指摘した。 ★実にわかりにくい。 要するに白川日銀総裁は、こう言っている。  どこかで火がつくと、それが理由で、国債の利率は上昇する。 だれかが「あぶない」と言い出すと、みなが銀行に押しかける。 が、国債(証券)では、スーパーでものを買うことができない。 当然、現金化しようとする。 それが『取り付け騒ぎ』になる。  国家の危機的状態を、「ソブリン危機」という。 白川日銀総裁は、そうした危機は、何の前触れもなく、突然やってくると述べている。 これも、巷(ちまた)の倒産劇を見ればわかる。 企業というのは、その前日まで、何食わぬ顔をして、営業をつづける。 が、その翌日、いきなり、倒産!、と。 そうなる。 国も、また同じ。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●金庫の中は空っぽ  日本最大の銀行は、郵便局。 日本最大の国債の引き受けても、これまた郵便局。 その郵便局には、現金は、もうない。 自転車操業どころか、幼児の三輪車にもならない。 三輪車操業。  現金で預けた人にしても、また国債購入という形で預けた人にしても、それだけのお金が郵便局にあると思ったら、おおまちがい。 そういうお金は、「財投」という形で、道路建設や会館の建設などなどに、使われている。 が、どこも赤字、赤字の大合唱。  わかりやすく言えば、あなたが銀行(郵便局)へ貸した現金は、すでにその大半が消えている。 どこにもない。 だからもしここで、1人、2人が、10人、20人となり、さらに100人、200人となり、そういう人たちが「金返せ!」と叫んだとたん、日本という国は、破綻する。  まさに今がそのとき。 しかもそのときは、「ある日突然、やってくる」(白川日銀総裁)と。  だから今、私がここで、「自己防衛を始めよう」と叫べば、国家破綻に火をつけることになってしまう。 そんなことはしたくないが、むしろ私には、この「平静さ」こそが、不気味でならない。 「どうしてみな、こうまで平静でいられるのだろう」と。  そんな疑問の念だけを書くにとどめ、この話はここまで。 しかし一言。 預金、国債を現金化し、別の現物資産に交換するなら、今しかない。 余計なお節介かもしれないが……。(はやし浩司 2012-04-22) Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ●結果主義  『終わりよければ、すべてよし』という格言がある。 しかし、本当にそうか。 そう考えてよいか。  冒頭に書いた話に戻る。 Rさん(高校女子)は、こう言った。 「大学へ入って、高校で使う教科書より簡単な教科書で勉強するのは、無駄」と。 一見、合理的な意見に見える。 しかしその実、その裏に見え隠れするのは、結果主義。 ●無駄  以前、こんなことを言う母親がいた。 自分の息子が高校受験に失敗したときのこと。 「今までの苦労が、すべて無駄になりました」と。  が、本当にそうか。 そう考えてよいのか。  その高校に入ることは、たしかにできなかった。 しかしそれまでに学んだことが、消えたわけではない。 それにその失敗を乗り越え、つぎの成功に結びつけるということはできる。 人生に終わりはない。 始まりもない。 絶えずその瞬間に終わり、また始まる。 ●重要なのはプロセス  結果主義のこわいところは、ここにある。 『終わりよければ、すべてよし』というのは、結果主義。 しかしそれを裏から読むと、『終わり悪ければ、すべて悪し』となる。  どこかの仏教系教団の信者が、そう言っていた。 「林さん(=私)、あのキリストは、最期は磔(はりつけ)で死んだのですよ。 キリスト教がまちがっているという、最大の証拠です」と。  が、この意見に納得する人は、少ない。 何も結果だけが、人生ではない。 重要なのは、プロセス。 過程。  最後にどうなったかではなく、それまでどう生きたかということ。 もしそんなことを肯定したら、あなた自身が、自分の人生を否定しなければならなくなる。 私もそうだが、たいしたこともできず、そこそこの人生で終わるはず。 が、それでもまだよいほう。 多くは、挫折と失望を繰り返し、名もなく、財産もなく、この先、孤独死、無縁死を迎える。 推計によると、2050年ごろには、約60%の人がそうなるという。 つまり60%の人が、無縁死、孤独死を迎えるという。  それを「失敗」と呼んでよいのか。 同時に、「私の人生は無駄だった」と結論づけてよいのか。 結果主義者たちは、「無駄」と結論づけるだろう。 が、これは正しくない。 ●孤独死、結構  私たちは今、懸命に生きている。 自分と闘っている。 生きる意味や価値は、そこにある。 それ以外には、ない。  あえて言えば、結果など、気にするほうが、おかしい。 はっきり言えば、どうでもよい。  私自身も、孤独死、無縁死を迎えるだろう。 少し前までは、そうであってはいけないと思っていた。 が、今は、その希望(?)も消えた。 反対に、「それもいいではないか」と考えるようになった。 どうせ人は、独りで生まれ、独りで死ぬ。 どうせ人は、裸で生まれ、裸で死ぬ。 「無」から生まれ、「無」に帰る。 (「帰る」ではなく、「還る」でもよい。)  そのかわり、今というときを、燃焼させる。 燃焼させて生きる。 大切なのは、「死」というそのときがどんなものであれ、そのときまでに、自分を完全に燃焼させること。 その充実感さえあれば、たとえ砂漠でのたれ死んでも、「無駄だった」ということにはならない。  さあ、名もなく、名誉もなく、地位もなく、財産もなく、それでいて懸命に生きてきた仲間たちよ、勇気を出して、前に向かって生きて行こう。 世間の馬鹿どもに、「無駄だった」と批評されても、気にすることはない。 私たちは、私たち。  繰り返す。 人生には、終わりもなければ、始まりもない。 大学生になってから、中学の教科書を使って勉強しても、遅すぎるということはない。 老人組になってから、中学の教科書を使って勉強しても、遅すぎるということはない。  ……ということで、ここで明確に結論をくだしておく。  結果主義は、まちがっている! ●今日も終わった  ……そう言えば、数日前、車を運転しているとき、ワイフがこう言った。 「アッ、ツバメ!」と。 が、私は見なかった。  今朝、そのツバメが我が家の庭先にもやってきた。 小雨降る中、360度の急回転をしながら、小さな虫を追いかけていた。 「まだ寒いのに……」と、私は思った。  私は鳥が大好き。 30歳くらいまで、それもあって、鶏肉(とりにく)が食べることができなかった。 が、今では、庭全体が、野鳥公園のようになっている。 1日中、いろいろな鳥が庭へやってきて、あちこちで遊び回っている。 私には、それが楽しい。  では、おやすみなさい! 2012/04/22 (はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 結果主義 プロセス 過程論 はやし浩司) Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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