2012年4月11日水曜日

●We thank you very much, Kan Naoto, ex-prime minister of Japan

●菅直人前首相の英断(菅直人前首相、あなたは日本を救った大恩人だ!)

●2011年5月6日

今朝(2012年4月11日)の中日新聞は、
1面トップで、菅直人前首相の英断を報道している。
要約してみる。

 時は2011年の5月6日。
時の経産省は、「浜岡原発を停止する見返りとし、他の原発の再稼働を画策していた」(大見出し)。

 その趣旨に沿い、経産省は、

(1)午後4時から「大臣会見」を行う。
(2)経産省側の意見に沿い、「浜岡を止め、他の原発を立ち上げるシナリオ」を発表する。
(3)「法律で何とかならないか」と迫る経産省側。
(4)それに難色を示した菅直人前首相。
(5)その結果、午後4時の「大臣会見」は見送られた。
(6)その後、総理執務室で、経産省の幹部と、官邸の主要メンバーが集まり、再び会議が開かれた。

 ここからが重要だから、とくに注意してほしい。
そのとき菅直人前首相は、(7)「経産省の発表では、他の原発を再稼働するのを容認しかねないと警戒」(同記事)。
(8)菅直人前首相は、午後7時10分に、「おれが会見する」と発言し、「主導権を握った」(同記事)と。

●日本を救った英雄

 さらに要点だけを簡単に言えば、こうだ。

 原発の再稼働を画策する、経産省(官僚側)。
それに危機感を抱いた菅直人前首相は、経産省主導の大臣会見を拒否。
自ら会見を買って出た。
そういうことになる。

 常識で考えても、あの時点で、(原発事故から2か月もたっていない時点で)、原発の再稼働を画策するほうが、おかしい。
爆発事故もつづき、被害の全容すら、よくわからなかった。
一方、経産省と電力会社は、一心同体。
経産省は電力会社の代弁者としての立場にあった。
もしそうでないというのなら、なぜ経産省という、ただの役人集団が、原発の再稼働を画策していたのか。

 だいたいこの図式がおかしい。

 オーストラリアでも、アメリカでも、役人が政治家にたてついたら、その場でクビ。
実際には、政治家、とくに内閣行政府にたてつく役人は、いない。
そんなことが野放しになっている国は、この日本だけ。
日本が「官僚主義国家」と言われている所以(ゆえん)は、こんなところにもある。

 それはさておき、このあと、猛烈な菅直人叩きと、菅直人降ろしが始まる。
結果は、みなさん、ご存知の通り。

 「原発事故当日に、原発を視察した」とか、「取り乱して叫んだ」とか、理由にもならない理由をこじつけた。
そして「海水注入」については、あたかも菅直人前首相が反対したかのような報道がつづいた。
(実際には、そういった事実はまったくなく、海水注入はそのままつづけられていた。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

去る2012年1月3日に書いた原稿を、再掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【菅直人前首相、吉田昌郎所長、ありがとう!】

●励まし

 昨日(01月01日)、何通かのメールが届いた。
うち1通を、ここで、そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【KO氏より、はやし浩司へ】

貴兄のブログで菅前首相、吉田前工場長を絶賛されているので驚き、嬉しく思いました。
特に菅前首相は史上最悪の首相と様々な分野で評価されていますので。

私は東工大機械工学卒で菅さんの後輩、吉田さんの先輩に当たります。
菅さんも自分の行為は歴史が評価するというようなことを言っていますが、まさにそういうことになるのだと思います。
私は早期退職、セミリタイア状況で、技術アドバイザーとして週に2日程度活動しております。
また高校OB会の地元の会長をやって(やらされて)おります。
原発関係ではあの清水前社長や天野IAEA事務局長が、高校先輩になります。

宇宙飛行士の古川さんは後輩ですが、彼のことだけは嬉しいことでした。
環境・エネルギー関係そしてハワイについてのブログをUPしていますので、お時間のある時に見ていただけたら幸甚です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●励まし

 私は毎日、こういう読者の方たちに支えられている。
またそれがあるからこそ、こうしてものを書くことができる。

KOさん、ありがとうございました!
今年も、がんばります。
よろしくお願いします。

●菅直人前首相

 たいへん恥ずべきことだが、私は「菅直人前首相」を、「管直人前首相」を書いていた。
正しくは、「管」ではなく、「菅」。
KO氏は、以下の私の書いた原稿に、先に転載したコメントを寄せてくれた。
もう一度、そのとき私が書いた原稿を、掲載する。
日付は、2011年09月12日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本を救った、菅直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、菅直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。

読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。菅前首相や海江田万里前経済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話したという。枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以上、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

●菅直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の菅直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、菅直人前首相が言うように、「東京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。
いわく、『枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考えていたことがわかる。
「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」(報道)などという発言もそのひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。
もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。

++++++++++++以下、The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。
しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++以上、The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、菅直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したのは東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのものが使い物にならなくなるからである。
東京電力側は、あの場に及んでも、そんなことを心配していた(?)。

●もしあのとき……

 もしあのとき菅直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(瀬尾試算「原発事故」宝島社)。

 数千発分だぞ!

ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グループ調査。)

 が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、11万京ベクレルx4=44万京ベクレル※(以上、瀬尾試算、「原発事故」宝島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、菅直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「菅直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

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以上、2011年09月12日の原稿より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●なぜ、菅直人前首相ではだめだったのか?

 菅直人前総理大臣が、首相の座を降り、ちょうど4か月になる。
(菅直人氏は、2011年09月02日に、内閣総理大臣を辞職。)
が、この4か月、日本は、よくなったのか。
何か、変わったのか。

 現在は、野田佳彦首相が、総理大臣職を引き継いでいる。
が、私はいまだに野田佳彦首相が、どんな人物なのか、よくわからない。
顔が見えてこない。
見えてこないから、批評のしようがない。

ただここで言えることは、野田佳彦首相が、菅直人氏をやめさせてまで、首相になる価値のある人物だったかどうかというになると、私はそうは思わない。

談合政治?
八方美人?
無色透明で、言葉はうまいが、中身がない?
当たり障りのない、無難政治家?
長期政権をねらっている?
こうした(?)マークを、野田佳彦首相には、10個ほど並べたい。

 これはあくまでも仮定の話だが、あの3・11震災時に、もし野田首相が事故を取り仕切っていたとしたら、この日本はどうなっていたか。
それを想像するだけでも、ぞっとする。
東京電力と保安院の言い分に押され、福島第一原発は、放棄。
そのあと発電所はつぎつぎと爆発、メルトダウン。

 最近になって、事故直後、菅直人前首相が、あたりかまわず怒鳴り散らしていたという報道が伝わっている。
「感情をむき出しにするような人物は、首相として失格」と。

 バカヤロー!

 あの時点において、感情をむき出しにしない首相はいない。
むき出しになってくれたからこそ、東京電力側は、菅直人前首相の言うことを聞いた。
菅直人前首相の命令に従った。

 こう書くと、福島県の人たちには申し訳ない。
が、今、福島県以外の人たちが、(私たち静岡県人も含めてだが)、事故以前とほとんど変わりない生活ができているのは、菅直人前首相、ならびに吉田昌郎所長のおかげである。
そのことを思えば、ささいなミスや失敗など、腸から出るガスのようなもの。

 菅直人前首相は、「いつか、私の正しさは歴史が証明してくれる」というようなことを言っている。
それはその通りで、その歴史は、すでに今、始まりつつある。
読売新聞(11-09-12)の記事は、それを証明する、貴重な証拠のひとつということになる。
私たちはこの事実を、後世の人たちに伝えていかねばならない。

 菅直人前首相、吉田昌郎所長、あなたがたは日本を救った、大英雄である。
大恩人である。
ありがとう!

(付記)
こんなことは、この場では、どうでもよい話かもしれない。
しかし一言。

 ここに出てくる「東工大」、つまり東京工業大学を設立したのは、恩師の田丸謙二先生の父親の、田丸節郎である。
田丸節郎は、ベルリン大学に対して、ベルリン工科大学があるのを学び、東京大学に対して、東京工業大学の設立をもくろんだ。
それに対して、当時の政府は、「東京大学にも、工学部があるだろ」と反対。
しかしその反対を押し切り、田丸節郎は、東工大の設立にこぎつけた。

 もしあのとき、東京工業大学の設立がなかったら……。
というより、田丸節郎のそうした先見の明があったからこそ、現在の日本がある。
先日(2012年4月はじめ)、田丸謙二先生(東大元副学長)が、直接、私にそう話してくれた。
詳しくは、
http://ktamaru.ninja-web.net/
をご覧になっていただきたい。

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(注※瀬尾試算)
「電気出力100万キロワットの原発を数年運転すると、瀬尾試算では、1万3600京ベクレル。
その放射能の量は、俗に広島原発数千発分に相当すると言われている」(「原発事故」宝島社、P44)と。

なお福島第一原発のばあい、原子炉1機ぶんだけで、100万キロワット。
それが4機だから、この試算の4倍もの、放射能の量があることになる。
その恐ろしさは、簡単な掛け算をしてみれば、わかるはず。
そんな原子炉が、40年近くも稼働していた!
それが爆発した!

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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