2011年11月28日月曜日

*Those Children who have few friends

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 28日
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある相談を考える】

【Q】

  今年小学生になった娘が、友達が出来なくて困っています。
  自分から話しかけたり、笑ったりするのが恥ずかしくて出来ない・・・
  そうなんです。
  最近では、学校へ行きたくないと言い出しました。
  今の所、登校拒否にはなっていません。
  「友達の作り方」って、あるんでしょうか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【A】

●友だち

 年齢的には、幼児期後期もすみ、児童期に入っています。
人格の核(コア)も、すでに完成しつつあるとみます。
つまり「この子は、こういう子」という(つかみどころ)ができているということ。
この時期に入ったら、鉄則はただひとつ。
「あるがままを認め、その上で、子育て(教育)を組み立てる」です。

 「友だちを作りなさい」式の人格を否定するような指導は、子どもをかえって崖っぷち
に追い込んでしまうようなことになりかねませんので、注意が必要です。
子どもの立場で、それを考えてみればよくわかるはずです。

●自己認識力

 小学1年生には、まだ自分を客観的に観察し、判断する能力はありません。
それができるようになるのは、小学3年生以上です。
「自分には友だちが多い」「少ない」とかいう、判断はできないということ。

 そんなとき親から、「もっとみんなと親しくなりなさい」などと言われても、困るのは子
どもということになります。
言い方をまちがえると、子どもは自信喪失から、自己否定、さらには心配しているような
不登校児に……ということにもなりかねません。

●人間関係は、密度

 人間関係は、密度の問題です。
その密度は、横軸を「幅」とするなら、縦軸は「深さ」ということになります。
「広く浅く」が必ずしも、理想というわけではありません。
そうでなくても、日本の学校は、昔から「すし詰め教育」と揶揄(やゆ)されています。
少なくとも欧米の基準からみれば、そうです。
たとえばオーストラリアには、「エアー・スクール」というのがあります。
無線で勉強する学校です。

 週に1度ほど、近くの学校に集まり、スクーリングを受けますが、そのときでも全学年
で、20~25人程度です。
そういうところの子どもが、どこかヘンかというと、そういうことはまったくありません。
さらにアメリカでは、ホームスクーラー(学校へ行かないで、家庭で教育を受けている子
ども)が、推定で200万人を超えています。

 そこで大切なのは、「深さ」です。

 数は少なくても、その人と深く交際する、です。

●では、どうするか

 この時期、親ができることと言えば、各論でしかありません。
イギリスでは、『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』と
教えます。
子どもを馬にたとえるのは、日本では失礼な感じがしますが、イギリスではその逆です。
それはともかくも、各論です。

 たとえば子どもの友だちを呼んで、パーティを開くとか、反対に友だちの誕生日には、
手作りのケーキを届けるとか、など。
コツは、親同士が仲よくなるつもりで、相手の子どもをその中に巻き込んでいきます。
つまりそれが「水場」ということになります。

●10人に1~2人

 実際には、集団にとけ込めない子どもというのは、10人に、1~2人(小学低学年児)
はいます。

 たいていは、心が開けない子どもというように考えて対処します。
自分の心を開放し、ワーッとその中に入っていけないわけです。
しかしこのばあいも、子どもの問題というよりは、乳幼児期の母子関係に問題があったと
みます。
発達心理学の世界では、「基本的信頼関係」という言葉を使って説明します。
つまり母子関係の不全ということになります。

 子どもというのは、絶対的なさらけ出し(=どんなことをしても許されるのだというさ
らけ出し)と、絶対的な受け入れ(=親は子どもがどんなことをしても、許すという受け
入れ)の上で、基本的な信頼関係を構築します。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味です。

 このタイプの子どもは、(孤独)と(集団での苦痛)の間で、はげしく葛藤します。
(おとなでも、そうです。)
(さみしいから皆の中に入る)→(しかし神経疲労を起こしやすい)を繰り返す。
こうした現象を、ショーペンハウエルという心理学者は、(哲学者ではない)、「二匹のヤマ
アラシ」という逸話を使って説明しました。

 ある寒い夜のこと。
二匹のヤマアラシは穴の中で、身を寄せ合って過ごすことにした。
しかし近づきすぎると、互いの針で痛い。
しかし離れすぎると、寒い。
一晩中、それを繰り返した……というのが、『二匹のヤマアラシ論』です。

●親の姿勢

 なおこの相談を読んで、それよりも気になったのは、親の育児姿勢です。
「子ども自身はどうなのかな?」という視点が、ないのが気になります。
子どもが「友だちがいない……」と悩んだのでいるのでしょうか。
(友だちがいる・いない)は、ひょっとしたら、親の主観的判断ではないでしょうか。
あるいはひょっとしたら、子どもは、集団生活が苦手で(=いやで)、悩んでいるのかもし
れません。

 中には、対人恐怖症であるとか、そういった心の問題(回避性障害、自閉症、緘黙症な
ど)をかかえている子どももいます。
どれにしても子ども自身では、コントロールができない問題です。

 そういった問題を取りあげることもなく、頭から「どうすればいいか」を考えるのは、
育児姿勢としては、危険です。
最近では、子どもに何か問題があったときは、「子どもは家族の代表」と考え、家族全体の
問題として考えるようになってきています。
「子どもだけ何とかしよう」と考えるのは、危険というより、無謀です。

 「なぜそうなのか?」という視点で、ものを考えます。
「なぜ、そうなったか?」でもよいでしょう。
この親は、そういう視点で、子どもの問題を考えているでしょうか。
でないとするなら、過関心、過干渉ということになります。

●不登校児

 子どもがどの程度、集団から孤立しているか。
また心の問題が、どの程度なのか。
それがわかりませんから、ここでいきなり不登校児の問題を取りあげるのは、適切ではな
いかもしれません。

 「学校へ行きたくない」と子どもが言うようであれば、親はまず聞き役に回ってあげま
す。
子どもの立場で、「そうね」「そうだよね」と言ってあげるだけでも、子どもの心は軽くな
るはずです。
まずいのは、「学校とは行かねばならないところ」と考え、親自身がもつ固定観念(古風な
常識)を子どもに押しつけることです。

 ときにはズル休みも、よいでしょう。
私は自分の子育てで、そうしました。
平日に学校をズル休みし、動物園などへ連れていくと、どこもガラガラでした。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れることができません。

●不登校は前兆をとらえる

 ジョンソンというイギリスの学者は、不登校、つまり学校恐怖症を3期に分けて考えて
います。
前兆期、パニック期、不登校期です。

 その前兆期に、子どもはさまざまな症状を示します。
頭痛、腹痛、脚痛、下痢、嘔吐などの身体的症状、ぐずりや、ふさぎこみ、グチ、無口、
無言などの精神的症状などなど。
ほかにたとえば、食欲不振、不眠、早朝覚醒など。
こうした症状が慢性的につづくなら、要注意ということになります。

 が、もしそうでないなら、つまりただのグチとして、「学校へ行きたくない」と言うので
あれば、よく子どもの話に耳を傾けてやることで、解決するはずです。

 ついでに言うなら、本当に行きたくないときは、「行きたくない」と直接的な言い方では
なく、「友だちがいじめる」とか、「学校の先生がこわい」とかなど、別の言い方をします。
子ども自身が、(行きたくない)という気持ちと、(行かねばならない)という気持ちのは
ざまで、葛藤するからです。
つまり自分の心をごまかしたり、正当化(合理化)したりします。

この葛藤が頂点に達したとき、パニック期を迎えます。
ある朝、突然、狂人のように暴れて、学校へ行くのを拒否する、など。

●あきらめる

 で、これが結論ということになります。
「あきらめる」です。
親としてできることにも限界があります。
一方、子どもには、子どもの世界があります。
今の段階で親ができることといえば、「温かい無視」と、「求めてきたときが与えどき」程
度のことです。

 子どもが学校から、疲れて帰ってきます。
それがわかったら、家庭では、思う存分、羽を伸ばさせてあげます。
温かい無視というのは、それをいいます。

また子どもが何らかの形で、甘えてきたら、すかさず、ぐいと抱いてあげる。
たったそれだけのことですが、それで子どもは、落ち着くはずです。
「求めてきたときが与えどき」というのは、そういう意味です。

小学1年というのはそういう時期です。
言うなれば、野原を飛んでいた小鳥をカゴの中に、押し込めたような状態。
子どもにしてみれば、たいへんなストレスを感じて、当然です。

 そこで子どもはそのストレスを解消しようと、大きくわけて2つの反応を示します。

 ひとつは外放型(プラス型)。
もうひとつは、内閉型(マイナス型)。

 外放型というのは、暴れる、騒ぐ……という方法で、ストレスを発散する方法をいいま
す。
内閉型というのは、内に引きこもり、身の安全を図る方法をいいます。
相談の子どものケースは、内閉型ということになります。

 なおあまり情緒が不安定であるようなら、白砂糖を断ち、カルシウム、マグネシウム、
カリウムの多い食生活に心がけます。
わかりやすく言えば、甘い食品や、肉類の多い献立から、海産物の多い献立に切り替えま
す。
それだけで子どもは、ぐんと落ち着くはずです。
1週間ほどで効果が現れてきますので、一度、試してみてください。

 最後に、「うちの子は、まあ、こんなもの」と、割り切り、繰り返しになりますが、ある
がままを認め、その上で家庭教育を組み立てていきます。
けっしてオールマイティな子どもを求めないこと。
だれにも、得意、不得意があります。

 正直に告白しますが、私自身も集団行動が苦手です。
旅行でも、ワイフと2人だけで、のんびりとしています。
余計なことですが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 集団にとけ込めない子
ども 溶け込めない子ども 友だちのいない子ども はやし浩司 友だちが少ない子ども 
神経疲労を起こしやすい子ども はやし浩司 IDOBATA こまち)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生に、掛け算を教える】

●今週は、小1クラスでは、掛け算をテーマにレッスンを進めました。
 にぎやかなクラスで、子どもたちとワイワイやりながら、教えました。
 学級崩壊寸前のようなクラスですが、たいへん楽しかったです。

(1)



(2)



(3)



(4)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

サイコパス(反社会性性格)Psychopathy

+++++++++++++++++++++

【問】

 A男氏は、45歳。
2人の息子がいる。
ともに高校生。
この10年以上、仕事らしい仕事はしていない。
親の残した遺産と、妻のパートの仕事で、何とか生計を立てていた。

 が、2人の息子が高校生になったところで、家計がパンク。
医師をしている遠い親戚のNさん宅を訪ねた。
「このままでは一家心中しなければなりません。助けてください」と。
シクシクと泣きながら、土下座までしてみせた。

 見るに見かねて、その親類は、「100万円くらいなら……」といって、現金を渡した。
それが15年ほど、前。
A男氏は、「ありがとうございます」「恩は忘れません」と何度も頭をさげ、その場を去っ
ていった。

 そこでクエスチョン。
あなたは、A男氏をどのように判断するだろうか。

●サイコパス

 『私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思いま
す。しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が
存在しているのです』(「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。

 この一文が、サイコパスのすべてを語っている。
診断基準として、同サイトは、つぎの7つをあげている。

(1)口達者で、一見、魅力的。
(2)同情を引こうとする。
(3)無責任で問題行動が目立つ。
(4)責められると逆ギレする。
(5)非常によくウソをつく。
(6)感情が浅く、思いやりがない。
(7)衝動的に行動する。

 「ウソがうまく、泣いても空涙」。
「言葉はよく知っていても、心に響かない」などが、大きな特徴としてあげられている(同
サイト)。

 詳しくは、
http://www.psy-nd.info/
で。

 またウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。
性格異常」とある。
連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・
放火魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資
格を剥奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならな
んでもやる人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。

サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情
け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪わ
れ尽くした人を後に残して行く。

良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯
し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。
その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。
その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。北米には少なくとも200
万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者ロバート・D・
ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

 ついでに「はてなキーワード」の説明文も、掲載する。

『精神病質者の意。現在サイコパスという言葉は無く、反社会性人格障害(APD)と変更さ
れている。

サイコパスの特徴は極端に自己中心的で、慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無く、冷淡で
共感が無い。加えて自分の行動に責任が取れない。

多くは脳の前頭葉に問題がある可能性が高く、ホルモン異常と考えられる。
それに加えて幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なりサイコパスとなる可能性が高い。
8~9割のサイコパスは言語能力を司る認知機能に障害があり、通常左脳で行われる言語
処理が右脳で行われている。

一般的にサイコパスとサイコは同じ意味で捉えられている』(以上「はてな・キーワード」
より)と。

●サイコパスの自己診断

 自分がサイコパスであるかどうかは、つぎのところで自己診断できるようになっている。

http://www.psy-nd.info/diagnosis.html

興味のある人(心配な人)は、このサイトで、自己診断をしてみるとよい。

●問に対して

 冒頭の【問】を読んで、もしあなたが、「A男氏は、親戚の医師に感謝し、喜んでいる。
A男氏は、自分の家に帰り、息子たちにこう言うにちがいない。『あのNさんのおかげで、
お前たちは、高校へ通うことができる。恩を忘れるな』と。A男氏は、それからは定職に
つき、妻に毎月給料を渡すようになったはず」と答えるようなら、あなたは、ここでいう
サイコパスではない。(断定はできないが、その可能性はほとんど、ない。)

 が、サイコパスは、そうは考えない。
「しめしめ、うまくだましてやった。あのバカ医師め。まんまとオレの空涙にひっかった。
あんなヤツ、オレが土下座をすれば、イチコロよ」と。

●Nさん(医師)

 冒頭にあげた話は、実話である。
このあともたびたびA男氏は、親類の医師、つまりNさん宅を訪れている。
が、そのつど、ああでもない、こうでもないと言葉巧みに、Nさんからお金を引き出すの
に成功している。

 Nさんは、私にこう言った。
「何でも毎朝、毎晩、私の家のほうに向かって、家族全員で手を合わせて感謝していると
いうのですね。
でもね、私は仏様でも神様でもないから、そんな気味の悪いことはしなくていいって、言
ってやりました」と。

 が、A男氏の話は、すべてウソだった。
その証拠に、……というか、私はそれが証拠と考えているが、Nさんが亡くなったとき、
A男氏はもちろん、家族はだれも葬儀に来ていなかった。
「2人の息子は来ているだろう」と思って、Nさんの家族に聞いてみたが、息子も、そし
て妻も来ていなかった。
A男氏というのは、そういう人間だった。

●サイコパス

 ……だからといって、A男氏が、サイコパスというわけではない。
しかし実際に、このタイプの人は少なくない。
もう一度、先に引用した文を読んでみてほしい。

 『私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思いま
す。しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が
存在しているのです』(「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。

【サイコパスの診断基準】(DSM-IVによる診断基準)

●Psychopathy Checklist (PCL)

1 口達者/表面的な魅力
2 過去におけるサイコパスあるいは類似の診断
3 自己中心性/自己価値の誇大的な感覚
4 退屈しやすさ/欲求不満耐性の低さ
5 病的に嘘をついたり人を騙す
6 狡猾さ/正直さの欠如
7 良心の呵責あるいは罪悪感の欠如
8 情緒の深みや感情の欠如
9 無神経/共感の欠如
10 寄生虫的な生活様式
11 短気/行動のコントロールの欠如
12 乱交的な性関係
13 幼少期からの行動上の問題
14 現実的で長期的な計画の欠如
15 衝動性
16 親として無責任な行動
17 数多くの結婚・離婚歴
18 少年時代の非行
19 保護観察あるいは執行猶予期間の再犯の危険が高い
20 自分の行動に対する責任を受け入れることができない
21 多種類の犯罪行為
22 薬物やアルコールの乱用が反社会的行動の直接の原因ではない

●注意

 このサイコパスの診断基準について、つぎのような注意書きが添えられている。

『サイコパスチェックリスト」は専門家が使う場合でも相当に複雑な臨床診断の道具であ
り、自分自身やそばにいる人をこれを使って診断してはいけない。この診断にはしっかり
した訓練と、正式な採点方法が必要である』と。

 安易な素人判断は、危険であるという意味である。

●善意の通じない人

 私のまわりにも、サイコパス(?)と思われる人は、少なくない。
あなたのまわりにも、ひょっとしたらいるかもしれない。
あるいはあなた自身が、そうかもしれない。
つまり善意の通じない人である。

 その人がサイコパスというわけではない。
しかし私もNさんに似たような経験を、いくつかしている。
「これだけのことをしてあげたのだから、相手はそれなりに感謝しているはず」と。親切
にしてあげたほうは、そう思いがちだが、このタイプの人には、そうした(お人好し)は
通用しない。
心そのものが欠けている……振り返ってみると、そんな印象をもつ。

 私の知人にMさん(女性、60歳くらい)がいる。……いた。

●Mさん(女性、60歳くらい)

 Mさんの第一の特徴をあげるなら、とにかくウソがうまいということ。
10のうち1つも、本当のことがない。
その場その場で、ペラペラと適当なウソをつく。
あまりウソが多いので、自分でも忘れてしまうよう。

 口もうまい。
近所の独居老人たちの世話をしている……みなに感謝されている……市から表彰されそう
になったが、辞退した……先週も、ある独居老人のために、一日中、車であちこちへ行っ
てやった……という話が、つぎつぎと口から出てくる。

 さらに近所の別の独居老人が死んだときには、自分が喪主になって葬儀をしてやったな
どという話もした。
しかもその内容が、詳細。
こっちらが聞きもしないのに、葬儀社との電話のやり取りまで話した。

 先にも引用したように、『言葉はよく知っていても、心に響かない』の通り。
ペラペラと話すが、真実味に欠ける。
「私は親切だ」「やさしい」とは言うが、そうした行為にあるべきはずの「温もり」が伝わ
ってこない。

 そしてあとは、お決まりの同情論。
Mさんが、実の父親の介護をするようになったときのこと。
Mさんは毎晩のように親戚中に電話をかけた。
私のところにもかかってきた。
「あれがたいへん」「これがたいへん」と。

 実際に、親の介護はたいへん。
そういう意味でMさんの気持ちを理解できなかったわけではない。
が、同時にMさんは妹氏の悪口を、あれこれと言った。
「近くに妹が住んでいるが、見舞いにも来ない」「来ても10分足らずで帰ってしまった」
などなど。
が、一度、こんなことがあった。

 私のワイフが、Mさんの妹氏のことをよく知っていた。
妹氏は、共働きで、父親の介護ができなかった。
そこでその代わりにということで、毎月10万円の現金を、Mさんに直接、届けていた。
そのことを私は知っていたので、ふとこう言ってしまった。

 「でも、妹さんもあなたと同じようにお父さんのことを心配していると思いますよ」と。

 この一言が、Mさんを激怒させた。
ふつうの激怒ではない。
錯乱状態に近い、激怒だった。
突然ギャーギャーと声を張り上げ、「あなたは他人の家族のことだと思って、勝手なことを
言う!」と。

 以来、私はMさんからの電話には、出ないことにした。

●離婚歴
 
 DSM-IVによる診断基準によれば、17番目に、「数多くの結婚・離婚歴がある」と
いう項目がある。
が、Mさん自身には、離婚歴はない。
(こうした診断基準は、あくまでも多数決的なものだから、みながみな、そうなるという
わけではない。)
しかしMさんの、2人の娘と1人の息子は、みな、離婚しているか、離婚状態にある。
離婚状態というのは、現在別居中ということ。

 Mさんの反社会的人格と、子どもたちの離婚と、どういう因果関係にあるかは、私には
わからない。
何かの影響を与えたということは、じゅうぶん、考えられる。
つまりMさんは、明らかに「温かい家庭作り」に、失敗していた。
3人の子どもたちは、そういう状態にありながらも、Mさんの家(子どもたちにとっては
実家)には、寄りつかないという。

●劣悪な家庭環境

 医学的な見地で「サイコパス」と呼ばれている人は、(子どもでもよいが)、そういう点
で、かわいそうな人とみる。
同情的な意味で、そう言うのではなく、「自分自身でもコントロールできない」という意味
で、そう言う。

原因としては、『幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なりサイコパスとなる可能性が高い』
(はてな・キーワード)とあることからもわかるように、乳幼児期の育児環境が第一に考
えられる。

 というのも、私が知るかぎり、サイコパスは後天的なもの。
しかも幼児期に入るころには、その傾向がはっきりしていることがあげられる。

心の冷たさだけが、強く印象に残る。
やさしくしてあげても、それがスーッとどこかへ抜けていってしまう、など。
また空想的虚言(妄言)といって、頭の中に別の世界をつくり、それに基づいて、それを
あたかも事実のように話したりする。
一見、明るく快活だが、調子がよいだけ。

 このタイプの子どもがすべてサイコパスというわけではないが、(というのも、サイコパ
スと診断されたケースはないので)、サイコパスの診断基準に照らし合わせてみると、この
タイプの子どもがなぜそうなのか、それがよく理解できる。

 ともあれこのサイコパスには、さらにいろいろな問題が隠されている。
たとえば私がよく使う『貧者の論理』『弱者の論理』『被虐待者の心理』など、総じてみる
と、(心のゆがみ)の問題と、その底辺でつながっている。

 貧者にせよ、弱者にせよ、はたまた被虐待者にせよ、サイコパスもしくは、サイコパス
的な症状を示す。
が、それについては、また別の機会に考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サイコパス 
Psychopathy サイコパス診断 診断基準 反社会性性格 人格障害 異常心理学)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●浜名湖・弁天リゾート・The Oceanにて(2011年10月30日)

+++++++++++++++++++++++++

料金は、1泊2食付で、1人6500円。
やる気度、本気度満点。
浜名湖周辺で、イチオシのホテル。
食事も、部屋も、申し分なし。
この部屋(5階の501号室)にしても、17畳もある。

……ということで、またまたやってきた、The Ocean。
「入野町の林です」と電話で言うと、フロントの女性が、「あら、林さん?」と。

……実を言うと、このホテルの経営者は、YSさん。
YSさんの2人の子ども(兄&妹)は、私の教え子。
私は、それぞれ4~5年、教えた。
応援しないわけにはいかない。
が、そうしたひいき目を差し引いても、このホテルで文句を言う人はいない。
窓を開ければ、すぐ下に浜名湖が広がっている。

もしあなたが出張か何かで、もちろん旅行でもよいが、浜松市へと考えているなら、
The Oceanを選択肢に入れてみたらよい。
このホテルから浜松市内までは、車で20~30分。
ビジネスホテル並みの料金で、旅行気分を味わえる。
はやし浩司の保証付き。

料理もよし、風呂もよし。
一流ホテル並みの食事(バイキング)を楽しむことができる。
風呂はやや小さいかなと思うが、清潔できれい。

ただし目下人気、急上昇中。
今夜は日曜日というのに、駐車場の空きを見つけるのもむずかしいほど、混んでいた。
フロントで、「今日は混んでいますね」と声をかけると、いつもの女性が笑いながら、
こう言った。
「今日は大入りです」と。
うれしそうだった。

+++++++++++++++++++++++++++

●K楼ホテル

 このホテルは、YSさんの経営。
このホテル東側に、数軒おいて、K楼ホテルというのがある。
以前は、そこによく泊まった。
そのK楼の前経営者が、MBさんだった。
MBさんの息子氏も、私の教え子だった。
その子どもは、幼稚園のときから、小学校を卒業するまで私の教室に通ってくれた。

 が、おかしなもので、その子どものことでよく覚えているのは、教室でのことではない。
その子どもが交通事故にあったときのこと。
市内の鴨江町に自宅があり、そこから自転車で教室へ通ってきてくれていた。
途中、なだらかだが、長い坂がある。
そこで交通事故にあった。
たしか右足の骨を折ったと記憶している。
その子どもが小学3年生くらいのときのことではなかったか。

 MBさんの息子氏といえば、その事件が強烈すぎて、ほかの思い出はあまり浮かんでこ
ない。

 が、残念なことに、今は経営者が変わってしまった。

 そうそう、そのK楼ホテルでは、東京からの客を連れていくと、芸者踊りをサービスで
見せてくれた。
私はホテルや旅館で、芸者踊りを見たのは、後にも先にも、そのK楼ホテルで、だけ。
そういう世界とは、無縁の世界を生きてきた。
バーもキャバレーも、ついでにトルコ風呂も、生涯において数回しか行ったことがない。
どれも1~2回行って、それで懲りてしまった。

●教え子たち

 幼児を教えるようになって、40年以上。
浜松は大きな町だが、たいていの人のことは知っている。
直接知らなくても、人と人の間には、つながりがある。
そのつながりを、ひとつ、ふたつとつなげると、たいていふたつ目くらいで、99%の人
とつながりができてしまう。

 日本を代表する楽器メーカーや自動車メーカーの社長の子どもたち。
毎年、長者番付に名前を連ねる人の子どもたち。
ワールドカップの選手の子どもたち、などなど。
暴力団の親分の孫たちも、教えたことがある。
名前を出して恐縮だが、浜松医科大学の初代学長の息子さん、医療センターの院長の息子
さん、みな、私の教え子である。
浜松市内では、ほとんどの医院の子どもを教えた。

 が、私はそういう人脈を仕事に利用したことは、生涯において、一度もない。
またほかの生徒と区別したことも、一度もない。

●影武者

 私は自分では、「影武者」と思っている。
けっして表に出てはいけない影武者。
親たちにしても、そう考えている。
仮に目的の高校や大学へ入学したとしても、私や私の教室の名前が外に出ることはない。
だから「影武者」。

 しかしそういうニュースを耳にするたびに、「そういう子どもの方向性を作ったのは私」
と思う。
自己満足かもしれない。
しかしそれは幼児教育を知らない人の意見。
私自身は、確信をもって、そう思う。
「私が方向性を作った」と。

つまり幼児教育というのは、そういうもの。
「たった週1回で?」と思う人もいるかもしれない。
しかし教育というのは、密度の問題。
ダラダラと5日間教えるよりも、週に1時間だけ、高密度のレッスンをすればよい。
子どもは、その1時間のレッスンを「柱」にし、ほかの5日間を組み立てる。

 たとえば私の教室に入会した子どもは、例外なく、翌週のレッスンを楽しみにする。
1週間の間中、「まだか、まだか」と親に催促する。
それを「柱」という。

●宣伝

 私の教室の宣伝ばかりになったが、しかし今さら「宣伝」などということは考えていな
い。
私も64歳。
生徒が多すぎても、困る。
あと何年、今の仕事ができるのか、それさえもおぼつかない。
願わくは、ピンコロ。
ピンコロだったら、明日でも構わない。
本気で、そう思っている。

 「林も、宣伝ぽいことを書くな」とは、そんなわけで、どうか思わないでほしい。
……とはいえ、この業界も、目下大不況。
そろそろ来年度の計画を立てなければならない。
競争相手はいないが、しかしジーちゃん先生は、この世界ではあまり人気がない。
そのうち加齢臭でもするようになったら、おしまい。
自分でも、それがよくわかっている。

●縁

 ところが最近、不思議に思うことがある。
心というのは、そういう点で通いあうものなのか。
最近、多くなったのが、OBの息子や娘さんたち。
そのOBについてだが、全員、私のほうもよく覚えている人たちばかり。
というのも、生徒によっては、1年もたたずして、名前も顔も忘れてしまう人も多い。
そういう人たちは、相手のほうも、私のことを忘れてしまうらしい。

 たとえば今、来ている生徒に、T君の娘さんがいる。
そのT君は、生涯において、殴ったことがある3人の生徒のうちの1人である。
T君が中学3年生のときのことである。
勉強に対して、すっかり自信をなくしてしまい、「ぼくはもうダメだ」と。
それで私はM君を裏庭へ連れていき、頬を思いっきり殴った。
「そんな弱音を吐いてどうする!」と。

 T君の娘さんの顔を見るたび、そのときのT君の泣き顔がその上にダブる。
こうしたつながりを、仏教では、「縁」というらしい。

●35歳

 そう、縁のある人は、縁がある。
いつまでも、その人のことを覚えている。
ない人は、ない。
そのまま静かに去っていく。

 が、私も男。
子どもの母親を、「女」としてみることがある。
(最近は、それがぐんと減ってきたが……。)
その母親の中には、声をかけるのも怖いほど、美しい人がいる。
そういう人は、当然のことだが、強く印象に残る。

 これは私のきわめて個人的な感覚だが、女性がもっとも美しくなるのは、35歳前後。
が、皮肉なことに、35歳を過ぎると、女性は満開時を過ぎた花のように、急速に枯れて
いく。
具体的には、バーさん顔になる。
言い換えると、35歳の女性というのは、花火大会で言えば、花火のクライマックスを飾
るスターマインのようなもの。
ドカドカド~ンと空に咲いて、そのまま散っていく。

 これについてワイフは、「30歳よ」と反論した。
しかし男性にとって、重要なのは、色気。
30歳というと、その色気がまだ未熟。
だからやはり35歳。

●以心伝心?

 しかし当然のことながら、母親というのは、全員、人妻。
そこにどんなに美しい人がいても、たとえて言うなら、その人は、ショーウィンドウに入
っている。
見るだけで、触ることはもちろん、心を通わせることもできない。
が、私が先に「不思議」と書いたのは、その先。

不思議なことに、本当に不思議なことに、私が「美しい人だな」と思った人は、私の教室
を去ってからも、毎年、年賀状をくれたりする。

 やはりどこかで心が通いあうのかも、しれない。
以心伝心?
好意の返報性?

●肥満

 ところで最近、温泉は入るたびに、ひとつ気になることがある。
若い男でも、肥満体の人が目立つようになってきたこと。
肥満体といっても、ブヨブヨに太っているといったふう。

 先ほども2度目の入浴をすませてきたが、そこにいた男たちもそうだった。
ポテポテ……。
タプタプ……。
明らかに20代と思われる男たちである。
それでもそんなに太っている。

 先日、別の温泉で見た男などは、背は低かったが、相撲取りと思われるような太り方を
していた。
やせて、細い人となると、5~6人に1人くらい?
今は、そういう時代なのか。
やがて日本人も、メキシコ人やアメリカ人のようになるのかもしれない。

●異常(者)心理

 ところで心理学にも、表と裏がある。
光と闇と言ってもよい。
闇の心理学を「サイコパス」という。
異常(者)心理学ともいう。
つまり精神的に反社会的な人格をもった人は、ふつうの人には理解できないものの考え方
をする。
(何をもって「正常」といい、何をもって「異常」というかは、定義がむずかしい。
むずかしいというより、不可能。)

 最近買った本の中に、こんな例が紹介されていた。
(「最後のタブー」晋友社版)。

 たとえば……。

(1)ある女性がマンションの別の棟を見ていた。
そのとき、別の棟の一室で、1人の男が、1人の男性にナイフを突き刺していた。
   その女性は、殺人現場を目撃してしまった。
   「アッ!」と声を出すと、その男と目が合ってしまった。
   男は、その女性の顔をじっと見つめた。
見つめながらその男は、ゆっくりと指をさしながら、手を振った。

   (問1)なぜ、その男は、ゆっくりと手を振ったか?

(2)ある男が、1人の男性を、路上で殺した。
たまたまそこへ、別の男性が車で通りかかった。
その男は、車でやってきた男性を、外へ引きずり出すと、その男性も殺してしまっ
た。

(問2)なぜ、その男は車に乗っていた男まで殺してしまったか。

 ふつうの人は、(「ふつう」という言い方には抵抗を感ずるが)、常識的な考え方をする。
たとえば(問1)であれば、「男は、今度はお前の番だ。そこで待っていろ」と合図したと
考える(同書)。
(問2)であれば、「殺人現場を目撃されたから」と考える(同書)。

 しかし異常心理学の世界では、別の答を用意する。
つまり心のゆがんだ人(=犯罪者)は、別の考え方をする。
たとえば、つぎのように考え、つぎの行動を開始する。

(問1)「向こう側の棟から、男は、つぎにその女性を殺すため、その女性の階を、指を使
って調べている」
(問2)「逃走に使うための車を手に入れるために、車の中の男性を引き出し、殺した」

(以上、「最後のタブー」(晋友社)より)

●子どもの世界でも

 子どもでも、心がゆがみ始めると、「死」「殺」「闇」に対して、強い関心をもち始める。
とくに「死」について、独特の考え方をするようになる。
印象に残っている子ども(小4男児)に、H君がいる。

 H君は、ふだんは静かで、おとなしい子どもだった。
従順で、言われたことには素直に従った。
勉強もよくできた。

 が、ある日のこと。
私はH君のノートを見て、驚いた。
そこには血を出してもがく人間、手足がちぎれ、頭蓋骨がむき出しになっている人間など。
ぞっとするような絵が、ぎっしりと描かれていた。
頭蓋骨の絵は、細部に至るまで、精密だった。

 原因や理由はいろいろ考えられるが、それを書くのが、ここでの目的ではない。
ここではそういう子どももいる……という程度に、理解しておいてほしい。
H君の描いている絵が、あまりにも現実の(?)H君とかけ離れていたため、私は驚いた。

●ゆがんだ心

 一度ゆがんだ心というのは、元には戻らない。
そう断言するのは、危険なことかもしれない。
そうであってはいけないということで、多くの人たちが「セラピー」という形で努力して
いる。
しかし基本的には、元に戻すのは、たいへん難しい。
先にも紹介したように、それがその子ども(人)の心理の基本形を作ってしまう。

 たとえば「子どもの盗み」がある。

 多少の「盗み」は、どんな子どもでも経験する。
しかし心がゆがんだ子どもの「盗み」には、際限がない。
「このお金を盗んだら、家族が困る」というブレーキが働かない。
それこそ学校の給食費ですら、盗んで使ってしまう。
盗んだお金で、好き勝手なものを買い、自分の欲望を満足させる。

 大切なことは、そういう子ども(人)にしないこと。
親の異常な過干渉、過関心は、子どもの心をゆがめる。
イギリスの教育格言にも、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
慢性的な抑圧状態がつづくと、子どものものの考え方は悪魔的になる。
その延長線上に、ここに書いた「サイコパス」がある。
そう考えてよい。

 サイコパス……「性格が逸脱した、反社会的な人格のこと。
連続殺人犯、重度のストーカー、常習的詐欺師、放火魔、カルトの指導者の多くがサイコ
パスに属すると考えられる」(同書)と。

「恐怖に関する感情が抜け落ちているのが特徴」(同書)ともある。

●もう1冊

 話題を変えよう。
不気味な話は、ここまで。

 もう1冊、本を買ってきた。
「大人のクイズ」(逢沢明著・PHP文庫)というのが、それ。
昔、TK教授の「頭の体操」という本があった。
それに似た本である。

たいへんおもしろい本で、1ページごとに、「チクショー」と思いつつ、読んだ。
「チクショー」と思ったのは、まちがえたり、解けなかったりしたとき。

 2つほど、紹介させてもらう。

(問35)

 ある人が、「私の父は、私の息子です。また、私の娘は、私の母です」と言いました。
 こんなことはありうるでしょうか。

(問21)

 ある町で、6000人の人、全員について、数学の試験を実施しました。
 その結果、足の長い人ほど、よい成績を取ることがわかりました。
 足の長さと成績の間には、相関関係があると考えてよいでしょうか。

●老化 

 このところときどき、脳みその老化を覚える。
サビついてきた。
自分でも、それがよくわかる。

 そういうときは、こういう問題に挑戦するのがよい。
そうでなくても、知識や経験、技術や知恵は、どんどんと消えていく。
集中力や思考力さえ、消えていく。

 が、中には、それにすら気づかない人も多い。
「私は利口」と、いつまでもその幻想にしがみつく。
努力しない。
そういう人は、やがてボケる。
皮肉なことに、「私はだいじょうぶ」と居直っている人ほど、あぶない。

 あの特別養護老人ホームにいる人たちにしても、なぜ自分が「特別」なのか、それに気
づいている人は少ない(?)。

 で、先の問題の答。

(問35)

 「私は、成人した娘がいる未亡人と結婚しました。
ところが、私の父が、私の義理の娘に恋をして、結婚しました。
ですから私の父は私の義理の息子になり、私の娘が私の母になりました」。
「つづいて私の娘は、男の子を産みました。
それは私の孫です。
けれども、私の娘は、私の母でもあるのです。
その男の子は私の弟でもあることになります。
だったら、その兄である私も、私自身の孫なのです」(以上、同書要約)。

 人間関係を、紙に描きながらじっくりと読んでみるとよい。

(問21)

 「町の全員というと、赤ん坊や子どもも含まれています」(同書)。

 つまり6000人の中には、赤ん坊や子どもも含まれている。
数学の問題ができないのは当たり前。
だから全体として平均化すると、足の長さと成績との間には、相関関係があるということ
になる。

 秋の夜長を過ごすには、この種の本がたいへん役に立つ。

 ただし一言。
「大人のクイズ」(逢沢明著・PHP文庫)の表紙には、「京都大学助教授」という肩書き
が載っている。
しかしこういうところに肩書きを並べるのは、「地位利用」ということで、欧米では40~
50年前からきびしく禁じられている。
(「禁じられている」ということは、「自粛」ではなく、「禁止」ということ。)
日本でも、ここ20~30年、ほとんど見かけなくなった。
が、この本には堂々と、それが載っている。

 PHPという大手の出版社が、「地位利用」という言葉を知らないはずがない。
「まだまだ日本は肩書き社会だな」と思った。
つまり「日本人は、まだまだ肩書きに弱いからな」と。
おもしろい本だが、「京都大学助教授」ともあろう人が、肩書きを並べてまで発表するよう
な内容のある本ではない。

●The Ocean

 The Oceanに泊まりながら、The Oceanの話を書かないのは、まずい?
しかしすでにこのホテルには、何度も泊まっている。
そのつど、書いていることは、同じ。

 こうしたホテルや旅館は、料金と照らし合わせて、良し悪しを判断する。
料金が高いホテルや旅館は、良いに決まっている(?)。
料金が安いホテルや旅館は、それなりに決まっている(?)。
しかしこと、このThe Oceanについて言えば、文句を言う人はいない。
料金は、このあたりのホテルや旅館の約半額。
2人で、1人分。

●気分転換
 
 気分転換というより、転地療法。
転地療法というより、転地刺激(?)。

 これはあくまでも私の老人観察によるものだが、老人が小さな世界にこもるのは、よく
ない。
こもったとたん、脳の老化は一気に進む。
「進む」というより、それまであった「種」が、急速に拡大する。
うつ病の気(け)があった人が、ひどいうつ病になるとか。
ボケ気味だった人が、本当にボケてしまうとか。

 だからあえて、外の世界に出る。
その「あえて」という部分が大切。
わかりやすく言えば、「気力」ということになる。
生きる気力を失ったら、そのまま死の待合室に、まっしぐら。

 だから老後というのは、気力との闘いということになる。
気力を、どう奮い立たせるか。

 で、私はつぎのような方法を考えている。

(1)仕事を手放さない。
大切なのは収入ではなく、仕事を中心にして回る生活感。
現実感。
緊張感。
だから最近の私は、こう考える。

 やがて収入よりも、家賃のほうが高くなる。
このまま行けば、時間の問題。
が、そのときでも、つまり赤字になっても、仕事はつづける、と。

 これには、もうひとつ、理由がある。

 私はよく「運動は、習慣の問題」と書く。
とくに私のばあいはそうで、どこかのスポーツジムへ通っても、長つづきしない。
最長で、10か月前後だった。

 しかし仕事があるからこそ、その仕事先まで、歩いたり、自転車に乗っていったりする。
途中で、「やめた」とは言えない。
どんなに寒くてても、また雨が降っていても、歩くしかない。
自転車に乗るしかない。
それが運動になる。
だから「習慣」。
運動は、習慣の問題。

 スポーツジムに通い、月謝を払うくらいなら、赤字でも仕事はつづけたほうがよい。

 その習慣があるかないかで、老後の健康は決まる。

(2)やりたいことは、即、実行

 「やりたい」というエネルギーは、「生きたい」というエネルギーと同じ。
脳の視床下部から発せられる信号に応じて、ドーパミンが分泌される。
そのドーパミンが、人間の欲望を司る。

 欲望をすべて「悪」と決めつけてはいけない。
老後は、とくに、そうである。
「旅行をしたい」
「ものがほしい」
「おいしいものを食べたい」
「人に会いたい」と。

 これらすべてが、そのまま生きる力、原動力につながる。
が、これがまた不思議なことに、あくまでも観念的な感覚だが、それをローソクの灯のよ
うに感ずることがある。

 脳の中心部にローソクがあり、そのローソクが燃えている。
強い灯ではない。
かよわく、おぼつかない。
細々とした光。

 それがときどき力を失い、消えそうになることがある。
それが自分でもよくわかる。
だから、奮い立たせる……ということになる。

 ……実は、今夜もそうで、こうしてものを書いていても、気力がつづかない。
「こんなこと書いて、何になるのだろう」とか、そんなふうに考えてしまう。
「もう一度、風呂に入って寝ようか」とも。
言うなれば、脳の中のローソクが消えかかっている。

●精力

 先日、こんなことがあった。
いつもは冗談ばかり言っている知人である。
年齢は、私と同じくらいということしておく。
その人が、私の家に来て、真顔でこう言った。
その前に、「林さん、これは真剣な話だから……」と言った。

 聞くと、今度、何でも愛人ができたという。
20歳、年下の愛人という。
で、その愛人とときどき会っているのだが、どうもあれが、うまくいかないとのこと。
そこで「どうしたらいいか?」と。

知「林さんは漢方薬に詳しいと聞いている。何か、よい薬はないか」
私「東洋医学では、自然体を大切にしている。年齢相応の変化については、問題にしてい
ない。あるとすれば、補養剤ということになる」
知「補養剤?」
私「そういうのは、いろいろある。東洋医学では、『精』というのは、栄養分をいう。食物
から得られる精微なる物質という意味。精力、精子に通ずる」と。

 ついでに言えば、私のばあいは、ニンニクが効く。
生ニンニクをすり、白いご飯に載せ、醤油を少しかけて食べる。
半日ほどで、ビンビンとしてくる。
ただしそのときは、ワイフにも、ニンニクを食べてもらう必要がある。
ともに臭いときには、ともに気にならない。

 それともうひとつ重要なことがある。
これは泌尿器科のドクターに教えてもらったことだが、あれというのは、一度刺激を与え
ると、敏感になるのだそうだ。
たとえば一度、小便を強くがまんするようなことがあると、そのあと頻尿になるとか、な
ど。

 同じように、たとえば一度ポルノグラフィック・DVDを観ると、そのあとつづけて強
い性欲を覚えるようになる。
あれが敏感になったため、そういう反応が起きると考えると、わかりやすい。
実際、若い人でも、倦怠感を乗り越えるために、その種のDVDを利用している人は多い。
「DVDをうまく利用してみたらどうか」と、私はその知人に提案してみた。

私「あとは、バイアグラかな?」
知「林さんは、使っているのか?」
私「まだ、ない。うちのワイフなんか、放っておいたら、1年でも2年でも平気というタ
イプだから……」と。

●就寝

 こうして時間だけは、過ぎていく。
ワイフは横で、今、大きなあくびをした。
ぼんやりとした時間だけは、過ぎていく。

 ……またあくびをした。
今度は小刻みに、アッアッア~、と。

 ……ということで、今日は、これでおしまい。

 今、ほしいもの。
TOSHIBAのウルトラ・ブック。
R631。
11月中旬、発売とのこと。
楽しみ。
「楽しみ」というのは、すぐには買わないということ。
ネットで追いかけると、1~2か月後には、値段が20~30%はさがる。
そのときを待って買う。

 が、それまでがまんできるか、どうか?
今の私には、自信がない。

 では、The Ocean、今夜は、ここまで!

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教
育評論 はやし浩司 はやしひろし 子育て 育児論 子育て論 評論 はやし浩司 浜
松市 BW教室 BW子どもクラブ Hmamatsu-city Japan はやし浩司 サイコパス 異常心
理 異常心理学 はやし浩司 浜名湖弁天リゾート the Ocean ジ・オーシャン)


Hiroshi Hayashi+++++++OCT. 2010++++++はやし浩司・林浩司


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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