2011年11月10日木曜日

*A Mail from Kenzi Tamaru, Kamakura

●11月10日朝記(はやし浩司 2011ー11-10)

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昨夜、友人宅から帰ったのが、午後11時。
4時間近くも、話し込んでしまった。

そのときのこと。
何かを説明するために自分のパソコンを開いた。
ついでに……ということで、EUの経済動向を見て、驚いた。
イタリアの10年国債の利回りが、7・14%になっていた(午後19:00)。
朝方は、たしか、6%前後だったはず。

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●イタリアの金融危機

 家に帰ったのが、午後11時ごろ。
それから軽い夜食。
お茶漬けを食べた。
そのあとイタリアの金融危機が気になった。
今では、リアルタイムで、その国の国債の利回りを知ることができる(Bloomberg)。
で、「寝る前に……」とパソコンを開く。

23:30……7・213%
24:00……7・282%
00:10……7・299%
00:26……7・251%

 7%を超えたとき、アイルランドもギリシアも、金融危機に陥った。
Bloombergは、つぎのように伝える。

『……ロンドン時間午後5時3分現在、イタリア5年債利回りは前日比70ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)上昇し7.57%。
同国債(表面利率4.75%、2016年9月償還)価格は2.54下げ89.265』と。

 この報道によれば、日本時間で、今朝(11月10日)午前4時3分ごろ、7・57%まで達したことになる。
で、現在(日本時間:午前7時15分)は、やや落ち着いて、

07:15……7・206%

 今度はイタリア!、ということか。
しかし不思議なのは、……というか、私には理解できないのは、「では、ギリシアはどうなったのか?」という疑問。
ギリシアの金融危機問題にしても、何も解決していない。
が、EU関連のニュースのどこを見ても、ギリシアの名前が出てこない。
イタリアの陰に隠れてしまった。
言い換えると、イタリアの金融危機問題は、それほどまでに大きいということ。

●フランスの金融危機

 イタリアの最大債権国は、フランス。
ドイツは2番目。
そのフランスの国債(10年もの)の利回りも、ジワジワと上昇している。

00:00……3・147
00:10……3・184
00:26……3・168
07:15……3・179

 不気味なことに、フランスが今度は、イタリアのあとを追いかけ始めた。
中村清次日銀審議委員は9日、「イタリアに債権を沢山抱えるフランスについてもいろいろなうわさが出ている」と問題の深化・複雑化に懸念を示したという(ロイター)。

同時に、ニューヨーク・ダウ・工業株30種も、大暴落。
389ドルの下げを記録している(11月09日、終値)。

TBS-iは、つぎのように伝える。

『……9日からは、EUヨーロッパ連合がイタリアの財政監視を開始しましたが、ギリシャの5倍という巨額の国債発行残高のあるイタリアが、財政再建に失敗すれば、世界的な影響は計り知れません(10日03:50)』と。

 何やら恐ろしいことが起こり始めている……というところまでは私にもわかる。
わかるが、そこで思考停止。
世界経済は、一度、行き着くところまで、行き着く。

●証券会社の格下げ

 同じくTBS-iニュースは、こんな記事を配信している。

『……金融市場の混乱が証券業界を直撃しています。
アメリカの格付け会社・ムーディーズは、国内証券2位の大和証券グループの格付けを1段階引き下げるとともに、国内最大手の野村ホールディングスの格付けも引き下げる方向で見直すと発表しました』と。

 が、私には、この「ムーディーズ」(信用格付け)というのが、よくわからない。
経営の健全性を示す指標になっているということらしい。
たとえば日本経済新聞は、『……ムーディーズ・インベスターズ・サービスは9日、野村ホールディングス(HD)の格付けを現在の「Baa2」から引き下げ方向で見直すと発表した』と報道している。

「Baa2」とは何か。
そこでおさらい。

●格付け(ムーディズのばあい)

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信用リスクが低い   Aaa
           Aa
           A

中程度の水準     Baa 
           Ba
           B
           Caa
           Ca

信用リスクが高い   C
債務不履行に陥っているD

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 大和証券、野村證券(ホールディングズ)は、上述「Baa」のレベルにあるということらしい。
しかし信用を第一とする銀行や証券会社にとって、この格付けはそのまま営業に直結する。
事実、この発表を受け、野村證券は、即、反応した。
「我が社の経営は、堅固である」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田丸謙二先生(11月10日)

 昨夜(11月09日)、田丸謙二先生から、メールが届いていた。
ドイツでの講演が無事終わったらしい。
「前回のメールでは、命が心配です」とあった。
よかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田丸謙二先生の講演旅行記より

     Fritz Haber Institut の創立百年祭に招待されて


1911年にKaiser Wilhelm Institut として Berlinに創立された研究所が途中で Fritz Haber Institut (FHI) と名前を変えて、今年の10月26日~28日に創立百年のお祝いをした。


4年前にノーベル化学賞をとった前所長の Ertl 教授の75 歳の誕生日のお祝いも兼ねて、世界中から一流の学者を招いての盛大な講演会でもあった。


参加した人たちは物理、化学は言うまでもなく化学史の専門家まで含み、千人近くの集まりであった。


私は百年の歴史の中での「Haber と日本」と題して、原稿も見ずに、この百年の間での田丸家と Fritz Haber Institut との関連について講演をした。


  内容的には亡父が1908年2月に Karlsruhe の Haber 研究室に留学し、「死ぬほど働いて」アンモニア合成の成功に関与し、Haber が新設されたBerlin の Kaiser Wilhelm Institut の所長になった折に直ちに亡父を所員に招き、第一次世界大戦が始まって日独が敵対関係になるまで合計6年間 Haber と共に研究をして来た。


今回においてその当時亡父が撮った百年前の写真を何枚も出して見せたのは現在見せられた聴衆にとっては大変に印象的であったようであったし、FHI としても非常に貴重なものであった。


その後1918年に Haber はノーベル化学賞を受け、1924年に星一さんの招待に応じて夫妻で来日をした。


在日中は各地で講演をし「国を発展させるには科学の振興が必要である]という、彼がドイツで英仏をしのいで国を振興させた実績に基づいた講演をし、亡父がそれを翻訳し、自分なりの科学振興の必要性も加えて、一冊の本として岩波から出版したのである。


(事実その頃の我が国から欧州への自然科学の留学の75%はドイツに行ったものである)その影響もあってわが国では昭和一桁の非常な経済不況の中にありながら、Kaiser Wilhelm 協会をモデルにして日本学術振興会を作り、大学や研究所に研究費を増額分配し、ベルリン工科大学をモデル化して東京工大を新設もした。


(尤もこの両方の学術振興の実積は亡父の尽力なしでは実現しなかったものである)Haber がドイツの学術振興だけでなく結果的にはわが国でも科学振興の実績を積んだことは、ドイツ人たちにとっても初耳であったし,大変に印象的でもあったらしい。(わが国でもほとんど知られていない)


   次世代として私が、世界で初めて触媒反応中に固体触媒表面の挙動を直接観察して、それまで反応機構は推論に基づいていただけだったのを飛躍的に発展させて、触媒科学が科学として生まれたことを触れて、それをErtl が例えば Photoemission electron microscope を用いて見事な発展をもたらしてノーベル賞に至ったことに触れ、さらに婿の大山茂生(現東京大学教授)がフンボルト賞を三年前にうけて Hajo Freund と共に半年間FHI に滞在したことを告げて、結局田丸家は過去百年の間三代にわたり FHIと深い関係を持って来たことを紹介し、これまで一世紀の間世界をリードして来たFHI が更なる新しい世紀も世界をリードすることを願う、と言って話を閉じた。


  話の途中に亡父が残した百年前の写真の中にある亡父が着ていたモーニングがベルリン製であり、百年の間無事に保たれ、興味あることに私の娘の大山秀子にピッタリのサイズであることを言って、秀子がその服を着て現れた時は拍手大喝采であったし、ハ―バー夫妻が鎌倉の我が家を訪問した折の写真の中に、私が母の腕の中にいた赤ん坊であって、ハーバーと直接会っている証拠でもあると言った時も拍手が湧いた。


  話が終わってからの皆の態度はそれまでとはガラリと変わり、何十人もの人が入れ替わりに、素晴らしい話だった、wonderful だけでも十何人か、, beautiful, elegant, moving (感動的), gem (宝石)(招待に与った Friedrich さんの表現)、highlight (今回のCentenary の議長を務めた FTI のdirector のGerard Meijer 教授も使った表現), excellent (Ertl さんの表現)と各人なりの言葉を使って私に対してベタ褒めであった。


英語も解りやすく、素晴らしかったし、とにかく88歳の人があんな素晴らしい presentation をするなんて考えられない、という大変な評判であった。


そうしてあの話はとても内容が素晴らしくて、話を聞いておくだけではもったいないし、是非テレビで放送させ、その資料をドイツ化学会やFHIに永久に保存すべき話であるから、面倒でももう一度同じ話をして貰いたいということになり、今度は聴衆は十何人か位のままでもう一度 presentation をさせられた。


ビデオにまとまったら送ってくれるという。


とにかくこの上ない大変な好評であった。


ビジネスクラスの旅費まで出してくれてのご招待であったので、それに充分以上に報いることが出来て本当によかったと思った。


中には鎌倉まで人を派遣して古い資料を見せてくれないか、とまで言われた。


FHI の図書室に「田丸古文書」の枠を作ることも議論されているとのことであった。


  昔は従来英語で苦労をすることがなかったが、今回は耳が遠くなり、英語が聞き難く、秀子が大分助けてくれた。


老化現象も耳の遠くなる不便さはどうにかしなければ、もっと優れた補聴器にするか、というのが正直の感じであった。


幸い婿が全てを手配してくれたし、私は日本円を彼らにまとめて手渡しただけで、ドイツのお金は一文も使わずに、済ますことが出来た。


ベルリンでは日本に比べて非常な寒さであって、往復途中もよく眠れず、時差もあって肉体的に大変な苦労であったし、風邪をこじらせながらようやく無事に帰国できた。(会議が終わってから秀子たちと Romance Road を回って来た)


  秀子が科学史の専門家に我が家には亡父が百年前に購入した Lavoisier ヤ Liebig などの手書きの手紙があると伝えたら大変に興味を示していたという。


亡父が購入したままに置いてあっただけに、多分世界で唯一の本物の手書きの手紙だけに、科学史の資料としても大変に貴重なものであるからである。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ハーバー博士

 ハーバーのおかげで、今、私やあなたは、ここにいる。
そう言っても何ら、過言ではない。
ハーバーは、空気中の窒素の固定化に成功した。
当時は、『空気からパンを作った』と、絶賛された。
私たち人類が受けた恩恵には、計り知れないものがある。

 その私といえば……おととい、伊東市で講演をし、帰りに御殿場のホテルに泊まってきた。
何とも書くのもみじめなほど、スケールが小さい。
情けない。
田丸謙二先生という方は、42年前から、いつもそうだった。
言うなれば、私にとっては、北極星。
Unreachable Star! (ラ・マンチャの男より)
いつも私の数十歩先を歩き、その先で、私のようなヒヨコがヨチヨチ歩いてついてくるのを、笑って見ていた。

 ともかくも先生、無事のご帰国、お喜び申し上げます。
いただいた原稿は、さっそく、先生のHPにUPしておきます。

 で、私が言えることは、ただ一言。
「私も88歳まで、がんばります!」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●7・206

 現在(08:15)、イタリア(10年国債)の利回りは、7・206。
午前7:15分時と、変化なし。
はげしい動乱のあと、EUも、やっと眠りについたらしい。

 で、今度は、この日本。

 株価はどう動くか。
大和、野村の株価は、どう動くか。
目が離せない!

 ……ということで、今日も始まった。

 田丸謙二先生、みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司




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