2011年11月3日木曜日

*Magazine (Nov 9th 2011)

【11月3日】

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昨日、映画『三銃士』を観てきた。
内容はともかくも、映像技術に驚く。
「ここまで進歩したか!」と驚くこと、
しばしば。
映像技術に感動し、星は文句なしの
5つ星の★★★★★。

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●三島市での講演会

 三島市での講演会の感想が届いた。
うれしかった。
協議会のみなさん、ありがとうございます。
当日は市長ならびに、教育長もおいでになるということで、
かなり緊張していました。
(講演は聞いてもらえませんでしたが……。)

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●ラジオ相談(広島県のみなさんへ)

 これから広島のラジオ局で、子育てQ&Aに出演することになっています。
電話での相談です。
「IDOBATA」という番組です。
広島県の方で、まにあうようでしたら、どうか、お聞きください。
午後1時~(11月3日)です。

Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

マガジンの先取り号をおまけに添付しておきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司





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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ゆがむ子どもの心


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F県に住んでいる、YSさん(母親)から、
こんな相談が届いた。
転載許可がもらえたので、そのまま紹介する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


おはようございます。
前回は夫との事についての返信ありがとうございました。
今のところ、ごくごく普通に(?)過ごしています。
(腹の立つこともありますが…。)


今回は、小1から不登校中の次女(小5)のことで、少し気になることがあったので
相談させてください。


つい最近、次女がとても怖いことを言い出しました。


「ナイフとか銃とかで、人を殺してみたい。あと、魔法が使えたら一回死んでみたい。


 一回死んで、魔法で生き返る。飛び降りるのとか楽しそう。」


とか、さらっと普通の口調で言ったんです。


「魔法が使えなかったら、生き返らないね。」って言ったら、
「魔法が使えなかったらそんなことしない。」とは言っていましたが、とても不安で
怖くなりました。


「この世がつまらない?」って聞いたら、「べつに。」だそうです。


毎日家で普通に元気に過ごしているようにみえますし、会話も普通に
しています。
他に気になるような症状などはないと思っているのですが…。
これが本音ならどうしたらいいのか怖くなってしまいました。


5年生になってからの担任が熱心(?)で、今までよりも少し学校に関する
刺激は増えているかなとは思いますが、そのせいもありますか?
学校のことを聞いてみても、特別嫌そうな顔はしませんし、イヤだと言ったことは
すぐに引いてしつこくはしていません。


最近アニメが大好きで、アニメばかり見ているのですが、(ガンツという殺し合いの
映画も見ました)、戦いモノがあったりもするので、その影響?とも思ってはいますが…。


半年ほど前にも「火をつけてみたい。」と言ったことがあったので、
次女の心の中はどうなっているのかとても不安です。


どうぞよろしくお願いいたします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧は悪魔を作る」

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
心理的な抑圧感が長くつづくと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったもの。

その一例として、H・フォスデックも、つぎのように言っている。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat(人を恨む(憎む)という
のは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ)』と。

 ゆがんだ感情(劣勢感情、陰性感情、劣等感情)は、脳内ホルモンの分泌そのものにも
大きな影響を与える。
サイトカインを例にあげるまでもない。
サイトカインは、脳内ストレスを引き起こす。
それだけではない。
低体温を引き起こし、免疫機能を低下させる。

 もちろん精神活動にも大きな影響を与える。
YSさんの子どものばあい、表面的にはともかくも、かなりこころがゆがみ始めていると
みる。
が、このタイプの子どもは少なくない。

●I君(小6)のケース

 I君は、父親が中学校の教師だった。
それもあって、教育熱心な家庭環境で生まれ育った。
ふだんは静かで、それなりに勉強もよくできた。
私の指示にも、素直に(?)従った。

 が、ある日、そのI君のノートを見て、びっくりした。
そこには血を出してもがき苦しむ人間の顔が、実にリアルに描かれていた。
ほかに「死」「殺」などの文字も並んでいた。
現実にそこに見る(I君)と、ノートに見る(I君)は、あまりにもかけ離れていた。
私はそれに驚いた。

●M子さん(中1)のケース

 M子さんは早熟で、体格もすでにおとなになっていた。
そのM子さんが、教室にプリクラ・ブックを置き忘れていった。
で、私はそれを「忘れ物コーナー」に置いた。

 が、翌日、そのブックが、騒動の種になった。
別の子どもがそのノートを開いた。
見て、ワーワーと騒ぎ出した。
ほかの子どもたちも騒ぎ出した。

 見ると、メモページには、全裸の女性が椅子に縛られ、性的拷問を受けている絵が、何
枚も描かれていた。
残虐な絵もあった。
そのM子さんの絵も、絵というよりは、写真を思わせるほど、リアルな絵だった。

 ただM子さんは、頭もよく、行動的で活発。
絵から想像するような陰湿さは、みじんもなかった。

 M子さんは、脳内で起きている性的エネルギーを、自ら抑圧し、それが原因で、心をゆ
がめていた。

●抑圧

 心理学でいう「抑圧」を、安易に考えてはいけない。
私は「心の別室」と呼んでいる。
それについて書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧」の恐ろしさ(Another Room in the Mind)
(電子マガジン・2009年7月15日より)

++++++++++++++++++++

よく兵士、あるいは元兵士の残忍行為が問題になる。
最近でも、アメリカの収容所で、アメリカ兵が
イラク軍捕虜に対して暴力、暴行を繰り返したという事件が
問題になった。

こう書くからといって、アメリカ兵を擁護するわけではない。
が、こうした問題は、常に戦争について回る。
戦時中には、日本軍もした。
ドイツ軍もした。
その多くはPTSDに苦しみ、さらには心そのものを
病んでしまう兵士も珍しくない。
昨年見た映画の、『アナザー・カントリー』も、そうした兵士を
題材にした映画だった。

が、こうした問題も、心理学でいう「抑圧」を当てはめてみると、
理解できる。

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●抑圧

 自分にとって都合が悪い記憶があると、人はそれは心の別室を用意し、そこへそれを
押し込めてしまう。
そうすることで、自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。
こうした現象を、心理学の世界では、「抑圧」という。
「隠ぺい記憶」と言う人もいる。

 もともとは乳幼児期の不快な思い出や記憶について起こる現象を説明したものだが、
もちろんおとなになってからも、ある。
何かのことで失敗したり、いやなことがあったりすると、それをできるだけ早く
忘れようと、心の別室を用意し、その中に押し込んでしまう。

●上書きされない

 ふつう記憶というのは、どんどんと上書きされていく。
たとえば不愉快なことがあっても、そのあと楽しいことがつづくと、過去の記憶を
忘れてしまう。

 が、心の別室に入った記憶には、その(上書き)という操作が働かない。
別室に入ったまま閉じ込められているから、修正されるということもない。
だから何かの拍子に表に出てくる。
たとえば高校生になった子どもが、5年前、あるいは10年前にあったことを持ち出し、
「あのとき、テメエは!」と言って、親に対してどなり散らすことがある。

 また最近聞いた話では、ともに70歳前後の夫婦なのだが、喧嘩するたびに、30年前、
40年前の話を持ち出して、たがいに責めあうという。
それを横で聞いていた娘(50歳くらい)は、こう言った。
「どうしてそんな昔の話をして、喧嘩するのでしょう。
頭がボケてきたのでしょうか」と。

 もちろん頭はボケていない。
(あるいはボケとは関係ない。)
抑圧された記憶というのは、そういうもの。

●子どもの世界でも

 「いい子ほど心配」とは、教育の世界では、よく言う。
先生や親の言うことに従順で、すなお。
ハイハイと指示や命令に従う……。
しかしこのタイプの子どもほど、あとあと心をゆがめやすい。
(あるいはその過程で、すでに心をゆがめている。)
思春期前夜、あるいは思春期になると、突然変化することも珍しくない。
はげしい家庭内暴力や、引きこもりにつながることもある。
何かのことで突発的に爆発して、こう叫んだりする。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。

 心の別室には、キャパシティ(容量)というものがある。
そのキャパシティを超えると、隠ぺいされた記憶が、そこから突然、飛び出す。
本人ですらも、コントロールできなくなる。

 そんなわけで、子どもを指導するとき大切なことは、子どもに、
心の別室を作らせないこと。
まず言いたいことを言わせる。
したいことをさせる。
常に心を開放させる。
それが子どもの心をゆがめないコツということになる。

●兵士のばあい

 話を戻す。
もちろん私には戦争の経験はない。
ないが、おおよその見当はつく。
つまり兵士たちは、戦場では、慢性的に恐怖感にさらされる。
そのとき兵士は、その恐怖感を、心に別室を作り、そこへ押し込めようとする。
その上で、勇敢な兵士を演じたりする。

 が、これが心をゆがめる。
何かのきっかけ、たとえば相手が捕虜であっても、敵の顔を見たとたん、隠ぺい
された記憶が暴走し始める。
それは「記憶の暴走」と言うような、簡単なものではないかもしれない。
暴走させることによって、心の別室にたまった、恐怖感を解消しようとするの
かもしれない。
それが捕虜への、暴力や暴行へとつながっていく。

●教授の殺害事件

 今年(09)に入ってから、ある大学で、ある大学の教授が、元学生に殺害
されるという事件が起きた。
動機はまだはっきりしていないが、その学生は教授に対して、かなりの恨みを
もっていたらしい。

 この事件も、「抑圧」という言葉を当てはめてみると、説明できる。
というのも、その元学生のばあいも、元学生とはいっても、大学を卒業してから、
すでに10年近くもたっている。
ふつうなら、いろいろな思い出が上書きされ、過去の思い出は消えていてもおかしく
ない。
が、先にも書いたように、一度心の別室に入った記憶は、上書きされるということは
ない。
いつまでも、そのまま心の中に残る。
そこで時間を止める。

●心の別室

 ところで「心の別室」という言葉は、私が考えた。
心理学の正式な用語ではない。
しかし「抑圧」を考えるときは、「心の別室」という概念を頭に描かないと、どうも
それをうまく説明できない。
さらに「心の別室」という概念を頭に描くことによって、たとえば多重人格性などの
現象もそれで説明ができるようになる。

 人は何らかの強烈なショックを受けると、そのショックを自分の力では処理することが
できず、心の別室を用意して、そこへ自分を押し込めようとする。
「いやなことは早く忘れよう」とする。
しかし実際には、「忘れる」のではない。
(その記憶が衝撃的なものであればあるほど、忘れることはできない。)
だから心の中に、別室を作る。
そこへその記憶を閉じ込める。

●では、どうするか

 すでに心の別室を作ってしまった人は、多いと思う。
程度の差の問題で、ほとんどの人に、心の別室はある。
暗くてジメジメした大倉庫のような別室をもっている人もいる。
あるいは物置小屋のような、小さな別室程度の人もいる。

 別室が悪いと決めつけてはいけない。
私たちは心の別室を用意することによって、先にも書いたように、
自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。

 が、その別室の中の自分が、外へ飛び出し、勝手に暴れるのは、よくない。
その瞬間、私は「私」でなくなってしまう。
ふつう心の別室に住んでいる「私」は陰湿で、邪悪な「私」である。
ユングが説いた「シャドウ」も、同じように考えてよい。
あるいはトラウマ(心的外傷)も、同じように考えてよい。
そこで大切なことは、まず自分自身の中にある、心の別室に気がつくこと。
そしてその中に、どんな「私」がいるかに気がつくこと。

 シャドウにしても、トラウマにしても、一生、その人の心の中に残る。
消そうとして消えるものではない。
だったら、あとは、それとうまく付きあう。
うまく付きあうしかない。
まずいのは、そういう自分に気がつかないまま、つまり心の別室にきがつかない
まま、さらにはその中にどんな「私」がいるかに気がつかないまま、その「私」に
振り回されること。
同じ失敗を、何度も繰り返すこと。

 たとえば夫婦喧嘩にしてもそうだ。
(私たち夫婦も、そうだが……。)
もうとっくの昔に忘れてしまってよいはずの昔の(こだわり)を持ち出して、
周期的に、同じような喧嘩を繰り返す。
「あのときお前は!」「あなただってエ!」と。

 もしそうなら、それこそ「愚か」というもの。
が、もし心の別室に気がつき、その中にどんな「私」がいるかを知れば、あとは
時間が解決してくれる。
5年とか、10年はかかるかもしれないが、(あるいは程度の問題もあるが)、
時間が解決してくれる。

 あとは心の別室を静かに閉じておく。
その問題には触れないようにする。
心の別室のドアは、開かないようにする。
対処の仕方は、シャドウ、もしくはトラウマに対するものと同じように考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BWきょうしつ 心の別室 はやし浩司 抑圧 抑圧と
心の別室 シャドウ はやし浩司 トラウマ)

(付記)

 心の別室といっても、けっしてひとつではない。
そのつど人は、様々な大きさの別室を、作る。
作って、自分の心を救済しようとする。

 ……と考えていくと、心の別室というのは、脳の問題というよりは、習慣の問題
ということになる。
心の別室を作りやすい人と、そうでない人がいるということ。
何かあるたびに、心の別室を作り、そこへ自分を閉じ込めようとする人もいれば、
そのつど自分を発散させ、心の別室を作らない人もいる。
だから「習慣の問題」ということになる。

 もちろんできれば、心の別室など、作らないほうがよい。
そのつど自分を発散させたほうがよい。

(追記)

 同じような原稿を、この3月にも書いた。
あわせて読んでほしい。

『●「抑圧」(pressure)

+++++++++++++

昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。
が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

++++++++++++++++++

が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。

だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。
徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。

が、その程度ですめばよい。
ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。

こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。

ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。
とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。

親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。
母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。

人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。
が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。

話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。
大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっていると考えてよい』。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思春期の子どもの心理

 抑圧は、(1)内的抑圧と、(2)外的抑圧に分けて考える。

 内的抑圧というのは、欲望、願望、希望などが原因で起こる、もろもろの欲求不満、不
平、不完全燃焼感などを抑圧することをいう。
外的抑圧というのは、たとえばきびしい家庭環境、威圧的、権威主義的な親の育児姿勢が
原因で起こる、もろもろの欲求不満、不平、不完全燃焼感をいう。

 思春期前夜から思春期にかけては、この双方が、子どもの内部で起こりやすい。
それが結果として、子どもの心をゆがめる。

●すなおな子ども

 「すなお」というより、「さわやかな」と言い換えたほうがよいかもしれない。
このことは幼児を観ると、よくわかる。

 たとえば「野原と森、それに赤い屋根の白い家」を描かせてみる。
そのとき心がさわやかな子どもは、見ても、ほっとするようなやさしい絵を描く。
そうでない子どもは、どこか不気味。
もう30年前のことだが、こんなことがあった。

 お父さんとお母さんの絵を描かせていたときのこと。
M君(年中児)が、お父さんの顔を描き始めるとすぐ、その顔を真っ黒に塗りつぶしてし
まった。
で、別の紙をあげ、もう一度描かせてみたが、結果は同じだった。

 しばらくしてから母親に理由をたずねると、母親はこう言った。
「実はあの前の夜、夫が蒸発しまして」と。
当時は突然の家出を、「蒸発」といった。

 その前後にも、似たような子どもがいた。
年長児の男児だったと思う。
その子どもは、父親の顔を描くのだが、体、とくに腕から手の部分を、鉛筆で真っ黒に塗
りつぶしてしまった。
母親に理由を聞くと、母親はこう言った。

 「主人(=父親)は、子どものころ大きな事故を経験し、右手が使えません。しかし息
子がそんなことを気にしているとは、夢にも思っていませんでした」と。

●YSさんのケース

 それが内的抑圧によるものなのか、それとも外的抑圧によるものなのかは、わからない。
というのも、年齢的に、思春期に入っている。
脳内で起きている変化によるものであれば、内的抑圧になる。
しかし環境的に考えると、外的抑圧になる。

 どちらであるにせよ、先に書いた、欲求不満、不平、不完全燃焼感が、怒濤のごとく渦
を巻いていると考えられる。
そのはけ口があればよいが、そのはけ口もない。
YSさんの娘は、きわめて閉塞的な環境の中で、袋小路に入ってしまっている。

 心理カウンセラー的な言い方をすれば、スポーツでも何でも、自分を発散させる場所を
与えろということになる。
が、実は、これと並行して、「自我の葛藤」の問題もある。

●自我の同一性

 自我の同一性についても、たびたび書いてきた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Q: 最近わが子の親に対する話し方が気になります。
たとえば、私が何か「こうしなさい」と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」など
と言ってくるので、ついつい怒ってしまうこともしばしば……。

 これは反抗期なのでしょうか?


A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。
(私はこうでありたい)という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致さ
せようとします。
一致した状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。
それが「思春期の反抗」と考えてください。

 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。
それを許せということではありません。
それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カリカリするの
はしかたないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱皮を始めてい
るのだ」と、一歩退いて子どもを見ます。

 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子
どもは親の前では仮面をかぶるようになります。
自我の確立に失敗し、非行に走ったり、親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケース
も目立ちます。
最悪のばあいには、自我の崩壊……。
ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。

 親には3つの役目があります。 ガイドとして子どもの前に立つ。 保護者として子ど
ものうしろに立つ。 そして3番目が重要ですが、友として子どもの横に立つ、です。

 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。と
たん、肩の荷が軽くなりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●言葉として発散させる

 YSさんの娘が慢性的な抑圧状態にあることは、まちがいない。
が、こうした抑圧は、多かれ少なかれ、どの子どもにもある。
それがない子どもは、いない。
YSさんは、自分の子どもを「異常」と思う必要はない。
平たく言うと、「この時期の子どもによく見られる現象」ということになる。

 あまりおおげさに考えないこと。
「バカなこと言ってないで、さっさと自分のことをしなさい」程度に、軽く受け流してい
く。
ただし何らかの行動をともなうようであれば、要注意。

 たとえば「殺したい」と言いつつ、ナイフを買い求める。
「死にたい」と言いつつ、その種の本を買ってくる。
あるいはペットなどに、残虐な行為を繰り返す。
リストカットをする。

 そういうことがあれば、「観察」の段階を超えているとみる。
学校を通して、専門医もしくは心理療法士を紹介してもらう。
「治療」を考えた指導に切り替える。

 で、同時に、「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭にあると考え、YSさん自身が
猛省する。
「家庭は休む場所」「憩う場所」「心を休める場所」と心得、それに適した環境を娘に用意
する。
そのときコツは、娘の中で、心の別室がどのように形成されているか、静かに観察、判断
子どもの立場になり、子どもの心の中から、子どもを見る。
頭ごなしに叱ったり、注意しても意味はない。
ないばかりか、かえって症状を悪化させるので、注意する。

 以上ですが、ここの書いたことを参考に、子どもを観察してみてほしい。
何が子どもを抑圧状態にしているかがわかれば、解決策も自ずと見えてくる。

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ねずみを殺すために家に火をつける はやし浩司 内的抑圧 外的抑圧)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【富士宮へ焼きそばを、食べに行こう!】(はやし浩司 2011-10月)



++++++++++++++++++

 昼食を・・・と思い、台所へ。
ワイフが、ポツンとそこに座っていた。
「昼ごはんは・・・?」と聞くと、
「柿があるわ」と。

うちの庭でできた柿である。
農薬ゼロ。
皮ごと食べられる。

それを食べながら、「なあ、焼きそばを
食べにいかないか?」と声をかけると、
二つ返事で、「あらっ、いいわ!」と。

私「富士宮焼きそばだよ」
ワ「どこにあるの?」
私「富士宮だよ」
ワ「富士宮まで行くの?」
私「そう・・・」と。

 で、今は、新幹線の中。
浜松から静岡まで新幹線。
静岡から富士まで、在来線。
そこで身延線に乗り換え、富士宮まで。

私「往復の旅費が、12640円。
焼きそばが、1000円・・・くらいかな?」
ワ「ぜいたくね・・・」
私「ホント・・・」と。

+++++++++++++++++

●掛川

 乗ったと思ったら、もう掛川。
いつもは在来線。
今日は新幹線。
今週は、大阪のユニバーサルスタジオに行くつもりだった。
が、その日、ワイフは高校の同窓生に会うとか。
しかも天気予報を見ると、全国的に雨。
「あきらアメ(雨)たあ」と言うと、「そうね」と。

 それで富士宮焼きそばとなった。
さあ、みんなで行こう、富士宮焼きそば!
みんなで食べよう、富士宮焼きそば!

●あるコラム

 ある週刊誌に、知人のF氏が、毎週、短いコラムを書いている。
そのコラム。
久しぶりに読んでみたが、???。
論理性がなく、自慢たらしい話。
やたらと漢字が多く、読みづらく、おもしろくない。
おまけに支離滅裂。
全部で、60行足らずのコラムである。
一読して、すぐわかった。

「あぶないな」と。
つまり脳みその働きが、あぶないな、と。

●認知症

 文章が書けないから認知症ということではない。
文章を書くのが苦手という人はいくらでもいる。
しかしF氏はちがう。
大学元教授。
ベストセラー本ももっている。
そういう人が、文章を書けなくなったら、認知症を疑ってみたらよい。
特徴がある。

(1) ことさら古臭い漢字遣いが多い。(読者の立場になって書かれていない。)
(2) 話がくどい。(こまかいところで、へんにこだわる。)
(3) 連続性がない。(話がポンポンと飛ぶ。)
(4) 支離滅裂(突然、だれも知らない中国の四字熟語が飛び出したりする。)
(5) 趣旨が不明(何を言いたいか、よくわからない。)

 その週刊誌の、そのF氏のコラムは、まさにそれだった。
が、「明日は我が身」。

たとえば今朝、私は「メタ認知能力」についての原稿を書いた。
途中で、何を書いているか、自分でもわからなくなってしまった。
BLOGに載せようかどうか迷った。
認知症を疑われてもしかたないような文章だった。

●映画『送り人』

 これは現実の話。
事実。
だからその人たちとわからない程度に、ありのままを書く。

 数か月前、1人の男性が死んだ。
名前をUT氏としておく。
享年84歳。
妻も84歳。
妻のほうは、自活できる程度に、元気だった。

 その男性が危篤状態になったときのこと。
東京に住んでいる息子氏が、叔母から連絡を受け、30年ぶりに、浜松へ戻った。
30年ぶり!
いろいろあったらしい。

 父親は自宅で倒れた。
息子が戻ったとき、(ふつうは「駆けつけた」と書くが、そういう雰囲気ではなかった)、男性の意識ははっきりしていた。
男性と息子氏の間に、母親が立った。
母親は息子氏に、こう言った。
「あんたなんか、帰ってちょうだい」と。

 息子氏は玄関口に立って、母親にこう聞いた。
「親父はどうなんだ! 親父も同じ気持ちか!」と。
そこで母親が父親のところへ行き、息子が来ていると話した。
しかし父親は、一瞬かなりの興奮状態になったあと、首を横に振った。
それを知って、息子氏は、そのまままた東京に帰っていった。

 この話をワイフがしてくれたとき、即座に、私はあの映画『送り人』を思い出した。
その映画の中では、死んだ父親が、最期まで息子との思い出の石を握っていた。

●映画『送り人』

 静岡から、在来線(東海道線)に乗り換えた。
その電車の中で、映画『送り人』の話になった。

私「なあ、あんなことありえないよな」
ワ「そうねえ・・・。ありえないわよね」
私「親父が、そんな石、握って死ぬだろうか」
ワ「ありえないわよね」と。

 その前に、UT氏の話をしていたこともある。

私「あの映画の脚本を書いたのは、若い人だと思うよ。視点が若い人のほうにある」
ワ「そうよね。父親の立場からすれば、息子に捨てられたわけだし・・・」
私「理由はともあれ、息子は親を捨てた・・・。最近の若い人たちは、ささいな理由をこ
じつけては、親を捨てる」
ワ「この半世紀で、立場が逆転したわね」
私「そこなんだよ。ぼくたちが社会へ出たころは、みな、収入のいくらかは、実家へ送っ
た」と。

●二番煎じ

 UT氏と息子氏の間に、何があったかは知らない。
しかし昔風の言い方をするなら、「30年も親を放っておいて、私は息子です」は、ない。
息子の側は永遠の親の愛を期待するかもしれない。
しかし親側は、別の考え方をする。
神や仏ではない。
その愛にも限界がある。

UT氏にしても、そうだろう。
が、今は、時代も逆転した。
親が子ども(息子や娘)の心配をする。
子ども(息子や娘)が、それを親に要求する。
「親なら親らしくしろ!」と。

 で、話は映画『送り人』に戻った。

私「母親なら、石を握っていたかもしれない」
ワ「そうねえ・・・」
私「が、父親は、そんなことはしない。古い世代の父親なら、なおさら」
ワ「お涙、ちょうだい・・・というわけね」
私「若い人たちなら、泣いただろうね。しかしあの映画は、『マジソン郡の橋』の二番煎じ。
ぼくはそう思った」と。

 映画の中では、息子が父親の死に駆けつけると、父親は、息子との思い出のある石を手
に握って、死んでいた。

●富士

 電車は富士に着いた。
そこで身延線に乗り換え。
富士宮まで。
(現在、富士宮から先へは、バス運行になっている。)

 ネットを使って、おいしい店をさがそうとしたが、一件もヒットせず。
通信販売で、今では富士宮焼きそばを買うこともできるそうだ。
それはわかったが、店によって味がみなちがうという。
そういう話を、いつか、だれかから聞いたことがある。

 浜松からわざわざ参上した手前、富士宮では、いちばんおいしい店を探し当てたい。
ワイフは「駅前でだれかに聞けばいい」と、のんきなことを言っている。
しかしそんなことで、いちばんおいしい店が見つかるだろうか。
少し心配になってきた。
おまけに、今日は、柿を食べただけ。
腹のほうは、ペコペコ。

 それにもうひとつ気がかりなことがある。
現在、時刻は14:49分。
個人の店だったら、休憩中ということになる。
だいじょうぶかな?

●車内

 日曜日というが、高校生らしき学生の姿が目立つ。
みな、それぞれ乱れた服装をしている。
平気で携帯電話を使っている。
少し前まで、ドアの手前の床に座っていた女性もいる。

 たった今しがた、実に、奇天烈(きてれつ)な恰好をした高校生の一群が通路を通り過
ぎていった。

私「あのなあ、富士宮には、チンドン屋学校というのがあるそうだ」
ワ「うそでしょ!」
私「ああ、うそだ」と。

●タクシー

 富士宮駅からは、タクシーに乗った。
運転手に聞くと、「うるおいてい」がよいと薦めてくれた。
(富士宮市淀師415-2:電話0544-24-7155)
駅からは、1150円の距離だった。

●うるおいてい

 タクシーの運転手が薦めてくれただけのことはあった。
おいしかった。
その様子は、ビデオに収めた。
家に帰ったら、編集し、YOUTUBEにUPするつもり。

 で、帰りは、西富士宮駅まで、歩いた。
30分ほど。
それが今日の運動。

 途中、富士の清流か。
川もあり、側溝もあったが、水は清らかに住んでいた。
「このあたりに、友人が経営する幼稚園があったはず・・・」と。
そんなことを考えながら、道を歩いた。

●西富士宮駅

 駅に着いたら、ちょうど電車が発車するところだった。
つぎの電車は、5時7分発。
約50分、待ち。
私たちは交番の前にある、「M-Fuji」という喫茶店というか、雑貨屋に入った。
道路に面したテラスで、紅茶とコーヒーを飲んだ。
時刻は16:49分。
すでにあたりは暗くなり始めていた。
低い雲が、隙間なく天を覆っていた。

 ・・・その前に、こんな事件があった。
駅を出たところで、カバンが落ちているのがわかった。
中を見ると、長野県・・・と書いた封筒が見つかった。
私たちはそれを交番に届けようと、交番に向かった。
で、あと数メートルというところで、一人の男が追いかけてきた。
「私のかばんです」と。

 2、3言、言葉を交わしたあと、私はその男にカバンを渡した。

●帰りの電車の中で

 ところで中華料理店というと、気取った高級店が多い。
料金も高い。
そういう中にあって、本物中の本物の中華料理を食べさせてくれる店がある。
「紅虎餃子店」。
JR浜松駅から北へ、数百メートル。
駅から歩いて7~8分のところに、その店がある。

数日前も、ワイフと2人で、その店で夕食をすませた。
いつ行っても、おいしい。
「本物を食べた」という実感が、食事を終え、外に出ると、どっと湧いてくる。

●和風中華料理店

 もう少しグルメの話をつづける。

 南オーストラリア州の、Dという町へ行ったときのこと。
オーストラリアの友人が、その町に一軒しかないという中華料理店へ案内してくれた。
経営者は、中国人夫婦。
私とワイフは、定番料理をいくつか注文した。
酢豚、ギョーザ、えびのチリソース炒めなど。
が、食べてみて、びっくり。
日本で食べなれた味ばかり。
と、同時に、私はそれが和製中華料理とわかった。
つまり日本のインスタント食品に、適当に食材を加えた、和製中華料理とわかった。
製造元の食品会社名まで、わかった。
「味の素」である。

 私が、「おい、これ、味の素の味だぞ」と言うと、ワイフも素直に、それを認めた。

●タイ風インド料理店
 
 反対にこんなこともある。

 浜松の郊外に、一軒のインド料理店がある。
経営者はインド人とか?
で、そこで私とワイフは、3種類のカレーがセットになった夕食を注文した。

 が、食べてみると、どれもタイ風カレーの味。
「どこかで食べた味だなあ」と思いながら、食べた。
グリーンカレー?
レッドカレー?

 が、やがてわかった。
東南アジア系の食材店で売っている、缶詰に入ったカレーだった。
ある時期、私はエスニック料理が好きで、よくその食材店へ通った。

そのインド料理店では、(多分x10?)、そのカレーをそのまま使っていた。
牛肉や鶏肉は、適当に加えてあったが、ベースとなっている味まではごまかせない。

 が、それでもおいしければ、私は文句を言わない。
しかし食材店で一缶、80~120円前後。
一缶もあれば、4~5人前は作れる。
それを店で、簡単なサラダをつけ、1200円!

 あとで人づてに聞いたところでは、その経営者はインド人ではない。
バングラデッシュ人だったという。
残念ながら、こういうインチキな店は少なくない。

●本物

 もちろんその一方で、本物を食べさせてくれる店もある。
冒頭にあげた「紅虎餃子店」も、そのひとつ。
中国語のほうでは、「紅虎餃子房」となっている。
本物の中華料理を食べてみたいと思う人は、一度行ってみたらよい。
はやし浩司の保証つき。

 「餃子店」という名前がついていることからもわかるように、その店には10種類のギ
ョーザがある。
浜松も「浜松ギョーザ」で、名を売り出している。
が、率直に言って、中国の本場のギョーザには、かなわない。
かなわないことは、10種類のうち、どれひとつをとっても、すぐわかる。

 ところでこれは、何かの雑誌に載っていた話だが、中国には、焼きギョーザというのは、
ないそうだ。
(浜松ギョーザと言えば、すべて焼きギョーザ。)
で、その理由が書いてあった。

 中国では食べ残し、古くなったギョーザを、焼きギョーザとして食べる、と。
だから中国人に、焼きギョーザを出すと、出された人はそれを不愉快に思う、と。

 そう言えば、この日本でも、食べ残した刺身は、あとで焼いて食べる。
それと同じ?

●本物論

 本物というのは、どんな世界でも、どんなばあいでも、光る。
それを見た人を、感動させる。

 ただし一言。

 私の30年来の友人に、北京から来た人(現在55歳・男性)がいる。
その人に、紅虎餃子店の話をすると、その人は、こう言った。
「ああ、あれは、日本の味ですよ」と。

……!

 つまり日本人向けに、味を変えている、と。

 そういうものか?
本物を超えたその向こうにある「味」までは、私たち日本人にはわからない。

●10月2日も終わって・・・

 こうして10月2日も、こうして終わりに近づいた。
電車に乗ると、外の景色は一段と、暗さをましていた。
まさに衝動的な旅だったが、それなりに楽しかった。
「一度は・・・」と思いつつ、その「一度」を果たした。
本場の焼きそばを食べた。
これで「富士宮へ焼きそばを食べに行こう」という話はしないだろう。

・・・ということで、富士宮への旅はおしまい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 富士宮やきそば うるおいてい はやし浩司 
富士宮焼きそば)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 2011+++++++++はやし浩司


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●ゆがむ子どもの心


+++++++++++++++


F県に住んでいる、YSさん(母親)から、
こんな相談が届いた。
転載許可がもらえたので、そのまま紹介する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


おはようございます。
前回は夫との事についての返信ありがとうございました。
今のところ、ごくごく普通に(?)過ごしています。
(腹の立つこともありますが…。)


今回は、小1から不登校中の次女(小5)のことで、少し気になることがあったので
相談させてください。


つい最近、次女がとても怖いことを言い出しました。


「ナイフとか銃とかで、人を殺してみたい。あと、魔法が使えたら一回死んでみたい。


 一回死んで、魔法で生き返る。飛び降りるのとか楽しそう。」


とか、さらっと普通の口調で言ったんです。


「魔法が使えなかったら、生き返らないね。」って言ったら、
「魔法が使えなかったらそんなことしない。」とは言っていましたが、とても不安で
怖くなりました。


「この世がつまらない?」って聞いたら、「べつに。」だそうです。


毎日家で普通に元気に過ごしているようにみえますし、会話も普通に
しています。
他に気になるような症状などはないと思っているのですが…。
これが本音ならどうしたらいいのか怖くなってしまいました。


5年生になってからの担任が熱心(?)で、今までよりも少し学校に関する
刺激は増えているかなとは思いますが、そのせいもありますか?
学校のことを聞いてみても、特別嫌そうな顔はしませんし、イヤだと言ったことは
すぐに引いてしつこくはしていません。


最近アニメが大好きで、アニメばかり見ているのですが、(ガンツという殺し合いの
映画も見ました)、戦いモノがあったりもするので、その影響?とも思ってはいますが…。


半年ほど前にも「火をつけてみたい。」と言ったことがあったので、
次女の心の中はどうなっているのかとても不安です。


どうぞよろしくお願いいたします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧は悪魔を作る」

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
心理的な抑圧感が長くつづくと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったもの。

その一例として、H・フォスデックも、つぎのように言っている。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat(人を恨む(憎む)という
のは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ)』と。

 ゆがんだ感情(劣勢感情、陰性感情、劣等感情)は、脳内ホルモンの分泌そのものにも
大きな影響を与える。
サイトカインを例にあげるまでもない。
サイトカインは、脳内ストレスを引き起こす。
それだけではない。
低体温を引き起こし、免疫機能を低下させる。

 もちろん精神活動にも大きな影響を与える。
YSさんの子どものばあい、表面的にはともかくも、かなりこころがゆがみ始めていると
みる。
が、このタイプの子どもは少なくない。

●I君(小6)のケース

 I君は、父親が中学校の教師だった。
それもあって、教育熱心な家庭環境で生まれ育った。
ふだんは静かで、それなりに勉強もよくできた。
私の指示にも、素直に(?)従った。

 が、ある日、そのI君のノートを見て、びっくりした。
そこには血を出してもがき苦しむ人間の顔が、実にリアルに描かれていた。
ほかに「死」「殺」などの文字も並んでいた。
現実にそこに見る(I君)と、ノートに見る(I君)は、あまりにもかけ離れていた。
私はそれに驚いた。

●M子さん(中1)のケース

 M子さんは早熟で、体格もすでにおとなになっていた。
そのM子さんが、教室にプリクラ・ブックを置き忘れていった。
で、私はそれを「忘れ物コーナー」に置いた。

 が、翌日、そのブックが、騒動の種になった。
別の子どもがそのノートを開いた。
見て、ワーワーと騒ぎ出した。
ほかの子どもたちも騒ぎ出した。

 見ると、メモページには、全裸の女性が椅子に縛られ、性的拷問を受けている絵が、何
枚も描かれていた。
残虐な絵もあった。
そのM子さんの絵も、絵というよりは、写真を思わせるほど、リアルな絵だった。

 ただM子さんは、頭もよく、行動的で活発。
絵から想像するような陰湿さは、みじんもなかった。

 M子さんは、脳内で起きている性的エネルギーを、自ら抑圧し、それが原因で、心をゆ
がめていた。

●抑圧

 心理学でいう「抑圧」を、安易に考えてはいけない。
私は「心の別室」と呼んでいる。
それについて書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧」の恐ろしさ(Another Room in the Mind)
(電子マガジン・2009年7月15日より)

++++++++++++++++++++

よく兵士、あるいは元兵士の残忍行為が問題になる。
最近でも、アメリカの収容所で、アメリカ兵が
イラク軍捕虜に対して暴力、暴行を繰り返したという事件が
問題になった。

こう書くからといって、アメリカ兵を擁護するわけではない。
が、こうした問題は、常に戦争について回る。
戦時中には、日本軍もした。
ドイツ軍もした。
その多くはPTSDに苦しみ、さらには心そのものを
病んでしまう兵士も珍しくない。
昨年見た映画の、『アナザー・カントリー』も、そうした兵士を
題材にした映画だった。

が、こうした問題も、心理学でいう「抑圧」を当てはめてみると、
理解できる。

++++++++++++++++++++

●抑圧

 自分にとって都合が悪い記憶があると、人はそれは心の別室を用意し、そこへそれを
押し込めてしまう。
そうすることで、自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。
こうした現象を、心理学の世界では、「抑圧」という。
「隠ぺい記憶」と言う人もいる。

 もともとは乳幼児期の不快な思い出や記憶について起こる現象を説明したものだが、
もちろんおとなになってからも、ある。
何かのことで失敗したり、いやなことがあったりすると、それをできるだけ早く
忘れようと、心の別室を用意し、その中に押し込んでしまう。

●上書きされない

 ふつう記憶というのは、どんどんと上書きされていく。
たとえば不愉快なことがあっても、そのあと楽しいことがつづくと、過去の記憶を
忘れてしまう。

 が、心の別室に入った記憶には、その(上書き)という操作が働かない。
別室に入ったまま閉じ込められているから、修正されるということもない。
だから何かの拍子に表に出てくる。
たとえば高校生になった子どもが、5年前、あるいは10年前にあったことを持ち出し、
「あのとき、テメエは!」と言って、親に対してどなり散らすことがある。

 また最近聞いた話では、ともに70歳前後の夫婦なのだが、喧嘩するたびに、30年前、
40年前の話を持ち出して、たがいに責めあうという。
それを横で聞いていた娘(50歳くらい)は、こう言った。
「どうしてそんな昔の話をして、喧嘩するのでしょう。
頭がボケてきたのでしょうか」と。

 もちろん頭はボケていない。
(あるいはボケとは関係ない。)
抑圧された記憶というのは、そういうもの。

●子どもの世界でも

 「いい子ほど心配」とは、教育の世界では、よく言う。
先生や親の言うことに従順で、すなお。
ハイハイと指示や命令に従う……。
しかしこのタイプの子どもほど、あとあと心をゆがめやすい。
(あるいはその過程で、すでに心をゆがめている。)
思春期前夜、あるいは思春期になると、突然変化することも珍しくない。
はげしい家庭内暴力や、引きこもりにつながることもある。
何かのことで突発的に爆発して、こう叫んだりする。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。

 心の別室には、キャパシティ(容量)というものがある。
そのキャパシティを超えると、隠ぺいされた記憶が、そこから突然、飛び出す。
本人ですらも、コントロールできなくなる。

 そんなわけで、子どもを指導するとき大切なことは、子どもに、
心の別室を作らせないこと。
まず言いたいことを言わせる。
したいことをさせる。
常に心を開放させる。
それが子どもの心をゆがめないコツということになる。

●兵士のばあい

 話を戻す。
もちろん私には戦争の経験はない。
ないが、おおよその見当はつく。
つまり兵士たちは、戦場では、慢性的に恐怖感にさらされる。
そのとき兵士は、その恐怖感を、心に別室を作り、そこへ押し込めようとする。
その上で、勇敢な兵士を演じたりする。

 が、これが心をゆがめる。
何かのきっかけ、たとえば相手が捕虜であっても、敵の顔を見たとたん、隠ぺい
された記憶が暴走し始める。
それは「記憶の暴走」と言うような、簡単なものではないかもしれない。
暴走させることによって、心の別室にたまった、恐怖感を解消しようとするの
かもしれない。
それが捕虜への、暴力や暴行へとつながっていく。

●教授の殺害事件

 今年(09)に入ってから、ある大学で、ある大学の教授が、元学生に殺害
されるという事件が起きた。
動機はまだはっきりしていないが、その学生は教授に対して、かなりの恨みを
もっていたらしい。

 この事件も、「抑圧」という言葉を当てはめてみると、説明できる。
というのも、その元学生のばあいも、元学生とはいっても、大学を卒業してから、
すでに10年近くもたっている。
ふつうなら、いろいろな思い出が上書きされ、過去の思い出は消えていてもおかしく
ない。
が、先にも書いたように、一度心の別室に入った記憶は、上書きされるということは
ない。
いつまでも、そのまま心の中に残る。
そこで時間を止める。

●心の別室

 ところで「心の別室」という言葉は、私が考えた。
心理学の正式な用語ではない。
しかし「抑圧」を考えるときは、「心の別室」という概念を頭に描かないと、どうも
それをうまく説明できない。
さらに「心の別室」という概念を頭に描くことによって、たとえば多重人格性などの
現象もそれで説明ができるようになる。

 人は何らかの強烈なショックを受けると、そのショックを自分の力では処理することが
できず、心の別室を用意して、そこへ自分を押し込めようとする。
「いやなことは早く忘れよう」とする。
しかし実際には、「忘れる」のではない。
(その記憶が衝撃的なものであればあるほど、忘れることはできない。)
だから心の中に、別室を作る。
そこへその記憶を閉じ込める。

●では、どうするか

 すでに心の別室を作ってしまった人は、多いと思う。
程度の差の問題で、ほとんどの人に、心の別室はある。
暗くてジメジメした大倉庫のような別室をもっている人もいる。
あるいは物置小屋のような、小さな別室程度の人もいる。

 別室が悪いと決めつけてはいけない。
私たちは心の別室を用意することによって、先にも書いたように、
自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。

 が、その別室の中の自分が、外へ飛び出し、勝手に暴れるのは、よくない。
その瞬間、私は「私」でなくなってしまう。
ふつう心の別室に住んでいる「私」は陰湿で、邪悪な「私」である。
ユングが説いた「シャドウ」も、同じように考えてよい。
あるいはトラウマ(心的外傷)も、同じように考えてよい。
そこで大切なことは、まず自分自身の中にある、心の別室に気がつくこと。
そしてその中に、どんな「私」がいるかに気がつくこと。

 シャドウにしても、トラウマにしても、一生、その人の心の中に残る。
消そうとして消えるものではない。
だったら、あとは、それとうまく付きあう。
うまく付きあうしかない。
まずいのは、そういう自分に気がつかないまま、つまり心の別室にきがつかない
まま、さらにはその中にどんな「私」がいるかに気がつかないまま、その「私」に
振り回されること。
同じ失敗を、何度も繰り返すこと。

 たとえば夫婦喧嘩にしてもそうだ。
(私たち夫婦も、そうだが……。)
もうとっくの昔に忘れてしまってよいはずの昔の(こだわり)を持ち出して、
周期的に、同じような喧嘩を繰り返す。
「あのときお前は!」「あなただってエ!」と。

 もしそうなら、それこそ「愚か」というもの。
が、もし心の別室に気がつき、その中にどんな「私」がいるかを知れば、あとは
時間が解決してくれる。
5年とか、10年はかかるかもしれないが、(あるいは程度の問題もあるが)、
時間が解決してくれる。

 あとは心の別室を静かに閉じておく。
その問題には触れないようにする。
心の別室のドアは、開かないようにする。
対処の仕方は、シャドウ、もしくはトラウマに対するものと同じように考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BWきょうしつ 心の別室 はやし浩司 抑圧 抑圧と
心の別室 シャドウ はやし浩司 トラウマ)

(付記)

 心の別室といっても、けっしてひとつではない。
そのつど人は、様々な大きさの別室を、作る。
作って、自分の心を救済しようとする。

 ……と考えていくと、心の別室というのは、脳の問題というよりは、習慣の問題
ということになる。
心の別室を作りやすい人と、そうでない人がいるということ。
何かあるたびに、心の別室を作り、そこへ自分を閉じ込めようとする人もいれば、
そのつど自分を発散させ、心の別室を作らない人もいる。
だから「習慣の問題」ということになる。

 もちろんできれば、心の別室など、作らないほうがよい。
そのつど自分を発散させたほうがよい。

(追記)

 同じような原稿を、この3月にも書いた。
あわせて読んでほしい。

『●「抑圧」(pressure)

+++++++++++++

昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。
が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

++++++++++++++++++

が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。

だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。
徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。

が、その程度ですめばよい。
ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。

こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。

ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。
とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。

親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。
母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。

人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。
が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。

話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。
大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっていると考えてよい』。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思春期の子どもの心理

 抑圧は、(1)内的抑圧と、(2)外的抑圧に分けて考える。

 内的抑圧というのは、欲望、願望、希望などが原因で起こる、もろもろの欲求不満、不
平、不完全燃焼感などを抑圧することをいう。
外的抑圧というのは、たとえばきびしい家庭環境、威圧的、権威主義的な親の育児姿勢が
原因で起こる、もろもろの欲求不満、不平、不完全燃焼感をいう。

 思春期前夜から思春期にかけては、この双方が、子どもの内部で起こりやすい。
それが結果として、子どもの心をゆがめる。

●すなおな子ども

 「すなお」というより、「さわやかな」と言い換えたほうがよいかもしれない。
このことは幼児を観ると、よくわかる。

 たとえば「野原と森、それに赤い屋根の白い家」を描かせてみる。
そのとき心がさわやかな子どもは、見ても、ほっとするようなやさしい絵を描く。
そうでない子どもは、どこか不気味。
もう30年前のことだが、こんなことがあった。

 お父さんとお母さんの絵を描かせていたときのこと。
M君(年中児)が、お父さんの顔を描き始めるとすぐ、その顔を真っ黒に塗りつぶしてし
まった。
で、別の紙をあげ、もう一度描かせてみたが、結果は同じだった。

 しばらくしてから母親に理由をたずねると、母親はこう言った。
「実はあの前の夜、夫が蒸発しまして」と。
当時は突然の家出を、「蒸発」といった。

 その前後にも、似たような子どもがいた。
年長児の男児だったと思う。
その子どもは、父親の顔を描くのだが、体、とくに腕から手の部分を、鉛筆で真っ黒に塗
りつぶしてしまった。
母親に理由を聞くと、母親はこう言った。

 「主人(=父親)は、子どものころ大きな事故を経験し、右手が使えません。しかし息
子がそんなことを気にしているとは、夢にも思っていませんでした」と。

●YSさんのケース

 それが内的抑圧によるものなのか、それとも外的抑圧によるものなのかは、わからない。
というのも、年齢的に、思春期に入っている。
脳内で起きている変化によるものであれば、内的抑圧になる。
しかし環境的に考えると、外的抑圧になる。

 どちらであるにせよ、先に書いた、欲求不満、不平、不完全燃焼感が、怒濤のごとく渦
を巻いていると考えられる。
そのはけ口があればよいが、そのはけ口もない。
YSさんの娘は、きわめて閉塞的な環境の中で、袋小路に入ってしまっている。

 心理カウンセラー的な言い方をすれば、スポーツでも何でも、自分を発散させる場所を
与えろということになる。
が、実は、これと並行して、「自我の葛藤」の問題もある。

●自我の同一性

 自我の同一性についても、たびたび書いてきた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Q: 最近わが子の親に対する話し方が気になります。
たとえば、私が何か「こうしなさい」と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」など
と言ってくるので、ついつい怒ってしまうこともしばしば……。

 これは反抗期なのでしょうか?


A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。
(私はこうでありたい)という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致さ
せようとします。
一致した状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。
それが「思春期の反抗」と考えてください。

 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。
それを許せということではありません。
それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カリカリするの
はしかたないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱皮を始めてい
るのだ」と、一歩退いて子どもを見ます。

 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子
どもは親の前では仮面をかぶるようになります。
自我の確立に失敗し、非行に走ったり、親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケース
も目立ちます。
最悪のばあいには、自我の崩壊……。
ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。

 親には3つの役目があります。 ガイドとして子どもの前に立つ。 保護者として子ど
ものうしろに立つ。 そして3番目が重要ですが、友として子どもの横に立つ、です。

 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。と
たん、肩の荷が軽くなりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●言葉として発散させる

 YSさんの娘が慢性的な抑圧状態にあることは、まちがいない。
が、こうした抑圧は、多かれ少なかれ、どの子どもにもある。
それがない子どもは、いない。
YSさんは、自分の子どもを「異常」と思う必要はない。
平たく言うと、「この時期の子どもによく見られる現象」ということになる。

 あまりおおげさに考えないこと。
「バカなこと言ってないで、さっさと自分のことをしなさい」程度に、軽く受け流してい
く。
ただし何らかの行動をともなうようであれば、要注意。

 たとえば「殺したい」と言いつつ、ナイフを買い求める。
「死にたい」と言いつつ、その種の本を買ってくる。
あるいはペットなどに、残虐な行為を繰り返す。
リストカットをする。

 そういうことがあれば、「観察」の段階を超えているとみる。
学校を通して、専門医もしくは心理療法士を紹介してもらう。
「治療」を考えた指導に切り替える。

 で、同時に、「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭にあると考え、YSさん自身が
猛省する。
「家庭は休む場所」「憩う場所」「心を休める場所」と心得、それに適した環境を娘に用意
する。
そのときコツは、娘の中で、心の別室がどのように形成されているか、静かに観察、判断
子どもの立場になり、子どもの心の中から、子どもを見る。
頭ごなしに叱ったり、注意しても意味はない。
ないばかりか、かえって症状を悪化させるので、注意する。

 以上ですが、ここの書いたことを参考に、子どもを観察してみてほしい。
何が子どもを抑圧状態にしているかがわかれば、解決策も自ずと見えてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 抑圧 心の別室 は
やし浩司 自我の同一性 はやし浩司 残虐な言葉 思春期の子どもの心 心のゆがみ 
ねずみを殺すために家に火をつける はやし浩司 内的抑圧 外的抑圧)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【富士宮へ焼きそばを、食べに行こう!】(はやし浩司 2011-10月)



++++++++++++++++++

 昼食を・・・と思い、台所へ。
ワイフが、ポツンとそこに座っていた。
「昼ごはんは・・・?」と聞くと、
「柿があるわ」と。

うちの庭でできた柿である。
農薬ゼロ。
皮ごと食べられる。

それを食べながら、「なあ、焼きそばを
食べにいかないか?」と声をかけると、
二つ返事で、「あらっ、いいわ!」と。

私「富士宮焼きそばだよ」
ワ「どこにあるの?」
私「富士宮だよ」
ワ「富士宮まで行くの?」
私「そう・・・」と。

 で、今は、新幹線の中。
浜松から静岡まで新幹線。
静岡から富士まで、在来線。
そこで身延線に乗り換え、富士宮まで。

私「往復の旅費が、12640円。
焼きそばが、1000円・・・くらいかな?」
ワ「ぜいたくね・・・」
私「ホント・・・」と。

+++++++++++++++++

●掛川

 乗ったと思ったら、もう掛川。
いつもは在来線。
今日は新幹線。
今週は、大阪のユニバーサルスタジオに行くつもりだった。
が、その日、ワイフは高校の同窓生に会うとか。
しかも天気予報を見ると、全国的に雨。
「あきらアメ(雨)たあ」と言うと、「そうね」と。

 それで富士宮焼きそばとなった。
さあ、みんなで行こう、富士宮焼きそば!
みんなで食べよう、富士宮焼きそば!

●あるコラム

 ある週刊誌に、知人のF氏が、毎週、短いコラムを書いている。
そのコラム。
久しぶりに読んでみたが、???。
論理性がなく、自慢たらしい話。
やたらと漢字が多く、読みづらく、おもしろくない。
おまけに支離滅裂。
全部で、60行足らずのコラムである。
一読して、すぐわかった。

「あぶないな」と。
つまり脳みその働きが、あぶないな、と。

●認知症

 文章が書けないから認知症ということではない。
文章を書くのが苦手という人はいくらでもいる。
しかしF氏はちがう。
大学元教授。
ベストセラー本ももっている。
そういう人が、文章を書けなくなったら、認知症を疑ってみたらよい。
特徴がある。

(6) ことさら古臭い漢字遣いが多い。(読者の立場になって書かれていない。)
(7) 話がくどい。(こまかいところで、へんにこだわる。)
(8) 連続性がない。(話がポンポンと飛ぶ。)
(9) 支離滅裂(突然、だれも知らない中国の四字熟語が飛び出したりする。)
(10) 趣旨が不明(何を言いたいか、よくわからない。)

 その週刊誌の、そのF氏のコラムは、まさにそれだった。
が、「明日は我が身」。

たとえば今朝、私は「メタ認知能力」についての原稿を書いた。
途中で、何を書いているか、自分でもわからなくなってしまった。
BLOGに載せようかどうか迷った。
認知症を疑われてもしかたないような文章だった。

●映画『送り人』

 これは現実の話。
事実。
だからその人たちとわからない程度に、ありのままを書く。

 数か月前、1人の男性が死んだ。
名前をUT氏としておく。
享年84歳。
妻も84歳。
妻のほうは、自活できる程度に、元気だった。

 その男性が危篤状態になったときのこと。
東京に住んでいる息子氏が、叔母から連絡を受け、30年ぶりに、浜松へ戻った。
30年ぶり!
いろいろあったらしい。

 父親は自宅で倒れた。
息子が戻ったとき、(ふつうは「駆けつけた」と書くが、そういう雰囲気ではなかった)、男性の意識ははっきりしていた。
男性と息子氏の間に、母親が立った。
母親は息子氏に、こう言った。
「あんたなんか、帰ってちょうだい」と。

 息子氏は玄関口に立って、母親にこう聞いた。
「親父はどうなんだ! 親父も同じ気持ちか!」と。
そこで母親が父親のところへ行き、息子が来ていると話した。
しかし父親は、一瞬かなりの興奮状態になったあと、首を横に振った。
それを知って、息子氏は、そのまままた東京に帰っていった。

 この話をワイフがしてくれたとき、即座に、私はあの映画『送り人』を思い出した。
その映画の中では、死んだ父親が、最期まで息子との思い出の石を握っていた。

●映画『送り人』

 静岡から、在来線(東海道線)に乗り換えた。
その電車の中で、映画『送り人』の話になった。

私「なあ、あんなことありえないよな」
ワ「そうねえ・・・。ありえないわよね」
私「親父が、そんな石、握って死ぬだろうか」
ワ「ありえないわよね」と。

 その前に、UT氏の話をしていたこともある。

私「あの映画の脚本を書いたのは、若い人だと思うよ。視点が若い人のほうにある」
ワ「そうよね。父親の立場からすれば、息子に捨てられたわけだし・・・」
私「理由はともあれ、息子は親を捨てた・・・。最近の若い人たちは、ささいな理由をこ
じつけては、親を捨てる」
ワ「この半世紀で、立場が逆転したわね」
私「そこなんだよ。ぼくたちが社会へ出たころは、みな、収入のいくらかは、実家へ送っ
た」と。

●二番煎じ

 UT氏と息子氏の間に、何があったかは知らない。
しかし昔風の言い方をするなら、「30年も親を放っておいて、私は息子です」は、ない。
息子の側は永遠の親の愛を期待するかもしれない。
しかし親側は、別の考え方をする。
神や仏ではない。
その愛にも限界がある。

UT氏にしても、そうだろう。
が、今は、時代も逆転した。
親が子ども(息子や娘)の心配をする。
子ども(息子や娘)が、それを親に要求する。
「親なら親らしくしろ!」と。

 で、話は映画『送り人』に戻った。

私「母親なら、石を握っていたかもしれない」
ワ「そうねえ・・・」
私「が、父親は、そんなことはしない。古い世代の父親なら、なおさら」
ワ「お涙、ちょうだい・・・というわけね」
私「若い人たちなら、泣いただろうね。しかしあの映画は、『マジソン郡の橋』の二番煎じ。
ぼくはそう思った」と。

 映画の中では、息子が父親の死に駆けつけると、父親は、息子との思い出のある石を手
に握って、死んでいた。

●富士

 電車は富士に着いた。
そこで身延線に乗り換え。
富士宮まで。
(現在、富士宮から先へは、バス運行になっている。)

 ネットを使って、おいしい店をさがそうとしたが、一件もヒットせず。
通信販売で、今では富士宮焼きそばを買うこともできるそうだ。
それはわかったが、店によって味がみなちがうという。
そういう話を、いつか、だれかから聞いたことがある。

 浜松からわざわざ参上した手前、富士宮では、いちばんおいしい店を探し当てたい。
ワイフは「駅前でだれかに聞けばいい」と、のんきなことを言っている。
しかしそんなことで、いちばんおいしい店が見つかるだろうか。
少し心配になってきた。
おまけに、今日は、柿を食べただけ。
腹のほうは、ペコペコ。

 それにもうひとつ気がかりなことがある。
現在、時刻は14:49分。
個人の店だったら、休憩中ということになる。
だいじょうぶかな?

●車内

 日曜日というが、高校生らしき学生の姿が目立つ。
みな、それぞれ乱れた服装をしている。
平気で携帯電話を使っている。
少し前まで、ドアの手前の床に座っていた女性もいる。

 たった今しがた、実に、奇天烈(きてれつ)な恰好をした高校生の一群が通路を通り過
ぎていった。

私「あのなあ、富士宮には、チンドン屋学校というのがあるそうだ」
ワ「うそでしょ!」
私「ああ、うそだ」と。

●タクシー

 富士宮駅からは、タクシーに乗った。
運転手に聞くと、「うるおいてい」がよいと薦めてくれた。
(富士宮市淀師415-2:電話0544-24-7155)
駅からは、1150円の距離だった。

●うるおいてい

 タクシーの運転手が薦めてくれただけのことはあった。
おいしかった。
その様子は、ビデオに収めた。
家に帰ったら、編集し、YOUTUBEにUPするつもり。

 で、帰りは、西富士宮駅まで、歩いた。
30分ほど。
それが今日の運動。

 途中、富士の清流か。
川もあり、側溝もあったが、水は清らかに住んでいた。
「このあたりに、友人が経営する幼稚園があったはず・・・」と。
そんなことを考えながら、道を歩いた。

●西富士宮駅

 駅に着いたら、ちょうど電車が発車するところだった。
つぎの電車は、5時7分発。
約50分、待ち。
私たちは交番の前にある、「M-Fuji」という喫茶店というか、雑貨屋に入った。
道路に面したテラスで、紅茶とコーヒーを飲んだ。
時刻は16:49分。
すでにあたりは暗くなり始めていた。
低い雲が、隙間なく天を覆っていた。

 ・・・その前に、こんな事件があった。
駅を出たところで、カバンが落ちているのがわかった。
中を見ると、長野県・・・と書いた封筒が見つかった。
私たちはそれを交番に届けようと、交番に向かった。
で、あと数メートルというところで、一人の男が追いかけてきた。
「私のかばんです」と。

 2、3言、言葉を交わしたあと、私はその男にカバンを渡した。

●帰りの電車の中で

 ところで中華料理店というと、気取った高級店が多い。
料金も高い。
そういう中にあって、本物中の本物の中華料理を食べさせてくれる店がある。
「紅虎餃子店」。
JR浜松駅から北へ、数百メートル。
駅から歩いて7~8分のところに、その店がある。

数日前も、ワイフと2人で、その店で夕食をすませた。
いつ行っても、おいしい。
「本物を食べた」という実感が、食事を終え、外に出ると、どっと湧いてくる。

●和風中華料理店

 もう少しグルメの話をつづける。

 南オーストラリア州の、Dという町へ行ったときのこと。
オーストラリアの友人が、その町に一軒しかないという中華料理店へ案内してくれた。
経営者は、中国人夫婦。
私とワイフは、定番料理をいくつか注文した。
酢豚、ギョーザ、えびのチリソース炒めなど。
が、食べてみて、びっくり。
日本で食べなれた味ばかり。
と、同時に、私はそれが和製中華料理とわかった。
つまり日本のインスタント食品に、適当に食材を加えた、和製中華料理とわかった。
製造元の食品会社名まで、わかった。
「味の素」である。

 私が、「おい、これ、味の素の味だぞ」と言うと、ワイフも素直に、それを認めた。

●タイ風インド料理店
 
 反対にこんなこともある。

 浜松の郊外に、一軒のインド料理店がある。
経営者はインド人とか?
で、そこで私とワイフは、3種類のカレーがセットになった夕食を注文した。

 が、食べてみると、どれもタイ風カレーの味。
「どこかで食べた味だなあ」と思いながら、食べた。
グリーンカレー?
レッドカレー?

 が、やがてわかった。
東南アジア系の食材店で売っている、缶詰に入ったカレーだった。
ある時期、私はエスニック料理が好きで、よくその食材店へ通った。

そのインド料理店では、(多分x10?)、そのカレーをそのまま使っていた。
牛肉や鶏肉は、適当に加えてあったが、ベースとなっている味まではごまかせない。

 が、それでもおいしければ、私は文句を言わない。
しかし食材店で一缶、80~120円前後。
一缶もあれば、4~5人前は作れる。
それを店で、簡単なサラダをつけ、1200円!

 あとで人づてに聞いたところでは、その経営者はインド人ではない。
バングラデッシュ人だったという。
残念ながら、こういうインチキな店は少なくない。

●本物

 もちろんその一方で、本物を食べさせてくれる店もある。
冒頭にあげた「紅虎餃子店」も、そのひとつ。
中国語のほうでは、「紅虎餃子房」となっている。
本物の中華料理を食べてみたいと思う人は、一度行ってみたらよい。
はやし浩司の保証つき。

 「餃子店」という名前がついていることからもわかるように、その店には10種類のギ
ョーザがある。
浜松も「浜松ギョーザ」で、名を売り出している。
が、率直に言って、中国の本場のギョーザには、かなわない。
かなわないことは、10種類のうち、どれひとつをとっても、すぐわかる。

 ところでこれは、何かの雑誌に載っていた話だが、中国には、焼きギョーザというのは、
ないそうだ。
(浜松ギョーザと言えば、すべて焼きギョーザ。)
で、その理由が書いてあった。

 中国では食べ残し、古くなったギョーザを、焼きギョーザとして食べる、と。
だから中国人に、焼きギョーザを出すと、出された人はそれを不愉快に思う、と。

 そう言えば、この日本でも、食べ残した刺身は、あとで焼いて食べる。
それと同じ?

●本物論

 本物というのは、どんな世界でも、どんなばあいでも、光る。
それを見た人を、感動させる。

 ただし一言。

 私の30年来の友人に、北京から来た人(現在55歳・男性)がいる。
その人に、紅虎餃子店の話をすると、その人は、こう言った。
「ああ、あれは、日本の味ですよ」と。

……!

 つまり日本人向けに、味を変えている、と。

 そういうものか?
本物を超えたその向こうにある「味」までは、私たち日本人にはわからない。

●10月2日も終わって・・・

 こうして10月2日も、こうして終わりに近づいた。
電車に乗ると、外の景色は一段と、暗さをましていた。
まさに衝動的な旅だったが、それなりに楽しかった。
「一度は・・・」と思いつつ、その「一度」を果たした。
本場の焼きそばを食べた。
これで「富士宮へ焼きそばを食べに行こう」という話はしないだろう。

・・・ということで、富士宮への旅はおしまい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 富士宮やきそば うるおいてい はやし浩司 
富士宮焼きそば)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 2011+++++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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