2011年11月7日月曜日

*Magazine  Nov. 7th 2011

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 7日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの心とその形成期

=====子どもの心は、いつどのように作られるか=====

【第一の方向性】

【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳~2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。混然一体となり、一次曲線的に形成されていく
のではない。たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。エリクソン(※1)という学者は、
この時期を「信頼関係の構築期」と位置づけている。信頼関係…つまり母子の間における
信頼関係をいう。
 この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。さらにひどく
なると、情意(心)と表情が、一致しなくなる。指導する側から見ると、「何を考えている
か、わからない子ども」ということになる。これは子どもにとっても、不幸なことである。
良好な人間関係を結べなくなる。そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。
 そこでその子どもは、外の世界で友を求める。しかし心が閉じているから、外の世界に
なじめない。その分だけ精神疲労を起こしやすい。ときに傷つく。それを繰り返す。
そうした心の状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という
言葉を使って説明した。
 2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろう
とした。が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。離れると寒い。だから2匹のヤマア
ラシは、一晩中、くっついたり離れたりを繰り返した。

●2匹の犬

 私はこのことを、2匹の犬を飼って知った。1匹は、保健所で処分される寸前の犬。こ
れをA犬とする。人間でいうなら、育児拒否、冷淡、無視、虐待を経験した犬ということ
になる。

もう一匹は、超の上に超がつく愛犬家の家で生まれ育った犬。私の家に来てからも、しば
らくは、私は自分のふとんの中で抱いて寝た。これをB犬とする。
 2匹の犬は、性格がまったくちがった。A犬は、だれにも愛想がよく、シッポを振った。
そのため番犬にはならなかった。おまけに少しでも目を離すと、家の外へ。道路で見つけ
ても、叱られるのがこわいのか、私からサーッと逃げていった。
 一方B犬は、忠誠心が強く、他人が与えた餌には口をつけなかった。私の言いつけもよ
く守った。もちろん番犬になった。見知らぬ人が庭へ入ると、けたたたましく吠えた。
 A犬と私の間には、最後まで信頼関係は構築できなかった。一方、B犬と私は、最後ま
で深い信頼関係で結ばれていた。

●性格

 が、それだけではすまない。心は性格として定着する。「私」がない分だけ、自分を偽る。
仮面をかぶる。おとなにへつらったり、相手の機嫌を取ったりする。おとなの前で、いい
子ぶったりする。イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。
 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を大切
にする。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。つまり子どもの側から
すれば、「どんなことをしても許される」という安心感。母親側からすれば、「どんなこと
をしても許す」という包容力。この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構
築される。が、不幸にして不幸な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信
関係となり、生涯に渡ってその子どもは、重い十字架を背負うことになる。

●親子の絆

 親子の絆にしても、そうだ。最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンテ
ィング)(※3)に似たようなものがあることがわかってきた。孵化してすぐ二足歩行を始め
る鳥類は、最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。それを刷り込みというが、その
とき親子の絆は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
 人間のばあい、生後0か月から7か月前後までが、その時期とされる。この時期を「敏
感期」と呼ぶ学者もいる。この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつ
をとっても、わかる。

●子どもを愛せない母親

 その一方で、子どもを愛することができないと、人知れず悩んでいる母親も多い。東京
都精神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、7%
もいることがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」
(同、総合研究所調査・有効回答500人・2000年)。
 私が同時期に浜松市で調査したところ、「10%」という数字が出てきた。程度の差もあ
るが、「兄は愛せないが、妹は愛せる」という母親も含めると、10%になる。
 また虐待についても、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしていると
いう。(妹尾栄一調査)。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたり
しない」などの17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときど
きある……1点」「しばしばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。
その結果、「虐待あり」が、有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、
「虐待なし」が、61%であったという。
 母親だから子どもを愛しているはずと決めつけて考えてはいけない。

●世代連鎖

 ついでながら、虐待について一言。『子育ては本能ではなく、学習である』。とくに人間
のような高度な知能をもった動物ほどそうで、親に育てられたという経験が身にしみてい
てこそ、今度はその子どもが親になったとき、自然な形で子育てができるようになる。あ
るいは親から受けた子育てを、そのまま繰り返す。これを「世代連鎖」という。
 つまり子育てとは、子どもを育てることではない。子どもに子育ての仕方を見せる。見
せるだけでは足りない。しみこませておく。「家族というのはこういうものですよ」「夫婦
というのは、こういうものですよ」「親子というのはこういうものですよ」と。
 それがよい世代連鎖であれば、問題はない。が、そうでなければそうでない。たとえば
昔から『離婚家庭で生まれ育った子どもは離婚しやすい』と言う。
 「離婚が悪い」と書いているのではない。離婚率も今や35%(平成19年)に達して
いる。(25万件(離婚届数)を72万件(結婚届数)で割ってみた。)離婚そのものは、
子どもの心にはほとんど影響を与えない。離婚に至る家庭騒動が、影響を与える。どうか
誤解のないように!
 とくに世代連鎖しやすいのが虐待ということになる。親が子どもを虐待するのはしかた
ないとしても、今度はその子どもが自分の子ども(孫)を虐待するようになる。それを見
て、そのとき親が、「しまった!」と気づいても遅い。つまり虐待はしない。

●心の病気の(種)も乳幼児期に

 さらに心の病気についても、その(種)は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。た
とえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子ども
は、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(※4)を形成すると説く。
 さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になる
こともあるという。それが成人してから、うつ病につながっていく(同氏)、とも。

●自己中心性

 この時期の幼児の特徴を一言で表現すれば、「自己中心性」ということになる。ものごと
を、(自分)を中心にして考える。「自分の好きなものは、他人も好き」「自分が嫌いなもの
は、他人も嫌い」と。
 それがさらに進むと、すべての人やものは、自分と同じ考え方をしているはずと、思い
こむ。自然の中の、花や鳥まで、自分の分身と思うこともある。これをピアジェは、「アニ
ミズム」と名づけた。心理学の世界では、物活論、実念論、人工論という言葉を使って、
この時期の子どもの心理を説明する。
 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。風にそよ
ぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きていると考える。
……というより、生物と、無生物の区別ができない。
 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考
える心理をいう。ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、
心の中でそれを念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外
の世界の区別ができない。
 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつ
くられたと考える心理である。人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。
ある子どもは、母親に、月を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そう
いう心理は、乳幼児の人工論によって、説明される。
 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されて
いく。しかしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには
青年期を迎えることがある。

●原始反射

 なお乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。たとえば、赤ち
ゃんには、赤ちゃん特有の、反射的運動がある。これを「原始反射」と呼ぶ。この原始反
射の多くは、生後3~4か月で、消失してしまうことが知られている。その原始反射には、
つぎのようなものがある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。
バビンスキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、
親指がそりかえり、足の指が開く現象をいう。赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、そ
れに抱きつくようなしぐさを見せることをいう。ドイツのモローによって発見されたとこ
ろから、モロー反射と呼ばれている。口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを
指などで触れると、その指を口にくわえようとする現象をいう。自動歩行反射というのは、
脇の下を支えながら、右足に重心をかけると、左足を前に出そうとする。これを繰りかえ
していると、あたかも歩いているかのように見えることをいう。マグネット反射というの
は、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっすぐになる現象をいう(以上、同書よ
り要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2~4週間で、長くても、8~10か月で消失すると
言われている。で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。赤ちゃんには、
赤ちゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。もうひとつは、いわゆるネ
オテニー進化論の問題である。要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さが、こ
うした現象となって、現れるのではないかということ。本来なら、こうした原始反射とい
ったものは、母親の胎内で経験し、誕生するまでに消失しているべきということになる。
つまりわかりやすく言えば、人間は、その前の段階で、誕生してしまうということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の
時代からの進化の過程を、一度すべて経験するという。初期のころには、魚のような形に
もなるという。その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れるとも考えられる。

【第2の方向性】

【幼児期前期・自律期】(2~4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。「マシュ
マロテスト」というのが、それである。そのテストを、同大学のHPより、そのまま紹介
させてもらう。

『…スタンフォード大学の附属幼稚園で、4歳児を対象に、マシュマロテストと題したつ
ぎのような実験がおこなわれた。実験者が4歳児に向って、「ちょっとお使いに行ってくる
からね、おじさんが戻ってくるまで待ってくれたら、ごほうびに、このマシュマロを2つ
あげる。でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロ1つだけだよ。そのかわ
り今すぐ食べてもいいけどね」と。
 その間、約20分。最後までガマンして、ごほうびにマシュマロ2個をもらった子ども
と、そうでない子どもに分かれた。その4歳児を追跡調査した、興味ある結果が出てきた。
 マシュマロ2個の子どもは1個の子どもに比較して、高校において、学業面ではるかに
優秀で、社会人になってからも高い社会性を身につけ、対人能力にも優れ、困難にも適切
に対処できる人間になっていた…』(同サイト)と。

 ダニエル・ゴールマンは、自著「EMOTIONAL INTELLIGENCE」の中で、この実験を
つぎのように結んでいる。いわく、「明日の利益のために、今の欲望を我慢する忍耐力は、
あらゆる努力の基礎になっている。きたるべき報酬を予期することで、現在の満足を得な
がら目標に向って長期にわたって努力しつづける持続力には、忍耐を要する」(同サイト)
と。

●決定的な差

 この実験を少し補足する。この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者
ウォルター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査
がなされている。
 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグルー
プの間で、決定的な差が生じたことは先に書いたとおりだが、情動を自己規制できたグル
ープは、たとえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)(※2)で、もう一方のグル
ープに200点以上もの大差をつけたという(植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社)。

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがま
んしてする力」のことをいう。一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある
子どもということにはならない。好きなことをしているだけである。ためしに子どもに、
台所のシンクにたまった生ゴミを手で始末させてみるとよい。背が届かなければ、風呂場
の排水口にたまった毛玉でもよい。そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言っ
てできれば、その子どもはすばらしい子どもということになる。
 もちろんこのタイプの子どもは、学業面でも伸びる。というのも、もともと(勉強)に
は、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。この時期を通して、幼児は、してよい
ことと、してはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。前回教えたこととちがっ
たことを言うと、「ママは前にこう言ったじゃない」と抗議したりする。「幼稚園の先生は
こう言った」と言って、親をたしなめるのも、この時期の子どもの特徴である。それが正
義感へとつながっていく。
 そのためこの時期をとらえ、うまく指導すれば、あと片づけのしつけがたいへんうまく
いく。花瓶の位置がずれていただけで、それが気になり、元の場所に戻そうとする。そう
でなければそうでない。行動そのものが衝動的になり、生活態度そのものが、だらしなく
なる。

●では、どうするか

 子どもの忍耐力を養うためには、「使う」。家庭の中に、ある種の緊張感をつくり、その
緊張感の中に巻き込む。「自分がそれをしなければ、家族のみなが困る」という意識をもた
せるようにする。親がゴロゴロと寝ころんでいて、子どもに向かって、「おい、新聞をもっ
てこい」は、ない。
 ついでながら、この日本では、子どもに楽をさせること、あるいは楽しませることが、
子どもへの愛の証であると誤解している人は多い。あるいはより高価なプレゼントをすれ
ばするほど、親子の絆は太くなると誤解している人も多い。しかし誤解は誤解。そんなこ
とを繰り返せば、子どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。やがて手がつけられなくな
る。
 そこでイギリスでは、こう言う。『子どもの心をつかみたかったら、釣り竿を買ってやる
より、いっしょに、釣りに行け』(イギリスの教育格言)と。

【第3の方向性】

【幼児期後期・自立期】(4~5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、
「自分のことは自分でしなと言い返したりする。生意気になりながら、自立をめざす。
 で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。
 ウソについては、2歳前後から始まる。ウソ寝、ウソ泣きがそれである。
 つぎに暴言。自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言
を吐くようになる。「ババア」「ジジイ」「バカ」など。暴言を許せというのではない。暴言
を言えないほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。適当にあしらい、あとは無視する。
私のばあい、つぎのような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだ
よ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。「ビダンシ(美男子)」と。それ以後幼児たちは、喜
んでその言葉を使う。私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。
 盗みについても、同じように考えるが、子どもの金銭感覚(ふえた、減った、得した、
損した)は、年長児から小学2年生ごろまでに完成する。この時期に、欲望を金銭で満た
す方法を覚えると、あとがたいへん。幼児期には100円で喜んでいた子どもでも、高校
生になると1万円、さらに大学生になると10万円になる。
 さらに脳の中(線条体)に受容体ができると、条件反射的にものをほしがるようににな
る。買い物依存症がその一例ということになる。必要だからそれを買うのではない。欲し
いからそれを買うのでもない。(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。
 話しが脱線したが、盗みについては、それが悪いことということを、時間をかけ、ゆっ
くりと説明する。激しく叱ったり、怒鳴りつけたりすれば、子どもは、いわゆる「叱られ
じょうず」になるだけ。いかにも反省していますという様子だけを見せ、その場を逃れよ
うとする。もちろん説教としての意味はない。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。この時期、「自立心」は、どの子どもにも
平等に備わっている。そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。が、かえっ
てその自立心をつぶしてしまうことがある。親の過保護、過干渉、溺愛である。とくに過
干渉が、こわい。
 親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干
渉児」になる。子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。
発達心理学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。最悪のばあいは、精神そのものが
萎縮してしまう。
 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。親の過干渉にや
りこめられてしまった子どもが萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもが
粗放児ということになる。兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。子育ての不安が、母親をして過干渉に駆り立てる。が、
簡単に見分けることができる。

私、(子どもに向かって)、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、(それを横で見ていて)、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言い
なさい」
子「……」
私、(再び子どもに向かって)、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、母親が決めてしまう。典型的な過干渉ママの会話である。

●過保護と溺愛

 過保護といってもいろいろある。食事面の過保護、行動面の過保護など。何か心配の種
があり、親は子どもを過保護にする。「アレルギー体質だから、食事面で気をつかう」など。
 しかし何が悪いかといって、精神面での過保護ほど、悪いものはない。「あの子は悪い子
だから、あの子とは遊んではだめ」「公園にはいじめっ子がいるから、ひとりで行ってはだ
め」など。
 子どもを、厚いカプセルで包んでしまう。で、その結果として、子どもは過保護児にな
る。いつも満足げで、おっとりしている。が、社会性がなく、ブランコを横取りされても、
それに抗議することもできない。そのまま明け渡してしまう、など。だから昔からこう言
う。『温室育ち、外ですぐ風邪をひく』と。
 また溺愛は、「愛」ではない。たいていは、親側に精神的欠陥、情緒的未熟性があって、
親は子どもを溺愛するようになる。つまり自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利
用する。
 ある母親は、毎日幼稚園の塀の外で、子どもの様子をながめていた。また別のある母親
は、私にこう言った。「先生、私、娘(年長児)が病気で幼稚園を休んでくれると、うれし
いです。一日中、看病できると思うと、うれしいです」と。
 親の溺愛が度を越すと、子どもの精神の発育に大きな影響を与える。子どもはちょうど、
飼い主の胸に抱かれた子犬のようになる。だから私はこのタイプの子どもを、「ペット児」
(失礼!)と呼んでいる。飼い慣らされた子犬のように、野生臭が消える。

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。
それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。あるいは努力の割には、効
果があがらない。心についても、そうである。
 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。先
に書いた、あと片づけのしつけも、そのひとつ。
 で、幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずか
しい。『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(=人)の人格の「核
(コア)」になる。言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。「この
子はこういう子である」と認めた上で、教育を組み立てる。へたにいじると、自信なくし
たり、自己評価力の低い子どもになってしまう。

【第4の方向性】

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳~)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能に
なってしまった。天井が落下した。その直後、この浜松市から250人もの応援部隊が、
栃木工場に向かった。
 一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。ま
た被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。日本人
が培った勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、災害時においても、いかんなく発揮さ
れた。
 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育まれる。いろいろ問題点がな
いわけではない。世界のすう勢は、自由教育。EUでも、大学の単位は共通化された。ア
メリカでは、ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000
年には100万人を超えた。現在、推定で200万人はいるとされる。ドイツでは、午前
中は学校で、午後はクラブでという教育形態が、ふつうになっている(中学生)。カナダで
は、学校の設立さえ、自由である。
 日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本
の学校教育には、すぐれた面も多い。この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、
こう書いた。「これこそまさに日本人の美徳」と。この言葉に異論はない。

【青年期・同一性の確立期】(12歳~)

●同一性の確立

 児童期のあと、子どもは思春期前夜(精神的に不安定になる)、思春期へと進んでいく。
この時期の、言うまでもなく最大かつ最重要の課題は、「同一性の確立」である。
 「私はこうありたい」という(自己概念)。「現実に私はそれをしている」という(現実
自己)。この両者が一致した状態を、「同一性」という。
 児童期の勤勉性と同一性の確立について、エリクソンは、別個のものと考えているよう
だが、実際には、両者の間には、連続性がある。子どもは自分のしたいことを発見し、そ
れを夢中になって繰り返す。それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)
を一致させながら、自我の同一性を確立していく。
 自我の同一性の確立している子どもは、強い。どっしりとした落ち着きがある。誘惑に
対しても、強い抵抗力を示す。が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりんの状態」
になる。心理的にも、たいへん不安定となる。非行にも走りやすい。その結果として、つ
まりその代償的行動として、さまざまな特異行動をとることが知られている。
 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい自分を
演じて、みなの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型(集団の中
で子分として地位を確立する、非行補助)など。
 もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。「タバコを吸ってみないか?」と声
をかけられると、「うん」と言って、それに従ってしまう。断ることによって仲間はずれに
されるより、そのほうがよいと考えてしまう。
 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正された
りということは、ほとんどない。

●夢と希望、そして目的

 ただ残念なことにこんな調査結果もある。
子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふ
えた。中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがあ
る」と思って、一日を終える子どもは、男子で30%、女子で35%にすぎない(「日本社
会子ども学会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。
 が、これではいけない。自我の同一性どころではないということになる。子どもの夢を
大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

【終わりに……】

●『子どもは人の父』(ワーズワース)

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学(大脳生理学)、心理学の3
方向から、見直され始めている。「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤
解が、いまだにのさばっているのは、残念としか言いようがない。むしろ事実は逆。
 幼児時代を「幹」とするなら、それにつづくもろもろの時代は、その「枝葉」にすぎな
い。かつてイギリスの詩人、ワーズワース(1770~1850)は、こう歌った。

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
 私が子どものころも、そうだった。
 人となった、今もそうだ。
 願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
 子どもは人の父。
 自然の恵みを受けて、それぞれの日が
 そうであることを、私は願う。

 つまり『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。この言葉のもつ重みを、
もう一度、心にしっかりと刻みたい。


注※1 エリクソン…エリク・ホーンブルガー・エリクソン(1902-1994)は、
発達心理学者、精神分析家。「アイデンティティ(自我の同一性)」の概念を提唱したこと
で知られる。ここではエリクソンの心理発達段階論を取りあげた。エリクソンは、心理社
会発達段階について、幼児期から少年期までを、つぎのように区分した。(1)乳児期(信
頼関係の構築)(2)幼児期前期(自律性の構築)(3)幼児期後期(自主性の構築)(4)
児童期(勤勉性の構築)(5)青年期(同一性の確立)

注※2 SAT…Critical Reading、Writing、Math が、それぞれ200点から800点の表示、
合計2400点満点で評価される。

注※3 インプリンティング…(すりこみ imprinting)とは、刻印づけのこと。コンラー
ト・ローレンツの研究で世界に知られるようになった。

注※4 九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司(改)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月17日朝記(雑記)

●肥満

 おもしろいソフトを見つけた。
人の顔を肥満体に変身させるソフトである。

 さっそくそれを使って、自分の顔を変身させてみた。

(元の写真)
浩司2011.jpg

(変形させた顔)
PhotoFunia-76ef52.jpg

 ワイフにそれを見せたら、ワイフがゲラゲラと笑った。

●私の好物

(特等)缶詰の鯨肉(最近は牛肉)に、ネギをまぶしてフライパンで炒めて、それをご飯
にかけて、食べる。

(1位)白いご飯に、削り節を多めに載せる。
その上から醤油を軽くかける。
箸で、削り節と醤油と、その下の白いご飯をかき混ぜながら食べる。

(2位)白いご飯と、マグロもしくはカツオの缶詰をそのまま混ぜて食べる。

(3位)生ハム、もしくはソーセージにケチャップをかけ、そのまま食べる。

 どれも私が子どものころ、……というか、戦後のあの時代には、みなが食べたもの。
今の若い人たちには信じられない話かもしれないが、それでも当時は、ごちそうだった。
卵などという高級食材は、めったに食べられなかった。
当時ですら、つまり私が小学生のころですら、1個15~20円前後もした。
小遣いが5円、10円の時代である。
うどんが一杯、30~70円。
お好み焼きが、一皿、20~30円前後。

 そうそう江戸前寿司が、一人前、210円だったのを、記憶している。
超高級料理だった。
当時は冷凍設備も貧弱で、内陸部では、生鮮魚そのものが手に入らなかった。
私が小学3~4年生のころのことだった。

 その代わりというのもおかしな話だが、鰻丼などは、比較的安かった。
町の北を長良川が流れていて、そこで鰻が捕れた。

●質素

 昔の人たちは、質素なものを食べていた。
たとえば旅館の料理にしても、魚の焼き物と味噌汁程度だったという(明治時代)。
何かの本でそう読んだことがある。

 また駅弁にしても、当初は、おにぎりに梅干し程度だったという。
それを知っただけでも、私たちが今、いかにぜいたくなものを食べているかがわかる。

●昼寝

 ところで昨日(10月16日)のこと。
いつものように昼寝をした。
1~2時間、眠った。
が、ハーハーと体内が燃えるように熱いのを知った。
風邪ぽいかなとは思っていたが、発熱?
「とうとう熱が出てきた」と。
脈も速い。

 横を見ると、ワイフも昼寝をしていた。
で、ワイフにこう言った。
「おい、熱が出てきたみたい……」と。
するとワイフは、うるさそうにこう言った。

「バカねえ~。気温が29度もあるからよ」と。

 あとでわかったことだが、東京では真夏日だったとか。
前線が通り過ぎ、急に暑くなった。

●鰻(うなぎ)

 鰻の話をもう少し。

 長良川では、鰻が捕れた。
夕刻しかけを川に沈めておくと、朝には、2~3匹、捕れた。
今のような養殖鰻ではない。
天然の鰻。

 しかし鰻というのは、調理が難しい。
だから捕っても、自分で食べるということは、めったになかった。
鰻丼屋へもっていくと、一匹いくらというふうに、買ってくれた。

 私の住む町には、3軒の鰻丼屋があった。
どこもおいしかったが、実家の上手にある鰻丼屋が、とくにおいしかった。
焼き方がちがうせいもあるが、その店の鰻丼の鰻は、歯ごたえがあった。
一方、浜松で食べる鰻丼の鰻は、どれもフニャフニャ。
残念ながら、「おいしい」と思ったことは、一度もない。

●削り節

 昨夜、久しぶりに、削り節を白いご飯の上にかけて食べた。
醤油を少したらすと、おかずとして食べられる。

 ……おいしかった!
腹の胃袋に、そのままそのうまみが、しみこんでいった。

 が、削り節といっても、ダシを取るときに使うような安いもの。
そのほうが、うまい。
高級な削り節は、味が薄い。
口に合わない。
だからダシを取るような削り節。
子どものころは、毎日のようにそれを食べた。

●運動不足

 このところやや運動不足。
自分でも、それがよくわかる。
その分、食事の量を減らしているが、そういうときというのは、腹ばかりふくらんでくる。

 今夜は自転車に乗ろう!
……と今、心の中で決めた。

 ところで昨日もそれについて書いたが、「健康格差」という言葉もあるそうだ。
それはその通りで、同じ63歳でも、本当にジジ臭くなってしまった人がいる。
その一方で、若々しく見える人もいる。
私の年齢になると、プラスマイナス10歳くらいの差は出てくる。
そのちがいは何かというと、改めて書くまでもなく、健康管理。
その第一が運動ということになる。

 もちろん精神の健康も重要。
しかし第一が運動。
つまり運動をサボったら、その日を境にジジ臭くなる。

●「くたばりそこない」

 長生きした女性が、こう呼ばれているそうだ(「女性公論」今月号)。
「くたばりそこない」と。

 ワイフが読んでいた雑誌なので、見出ししか見ていない。
そこにそう書いてあった。
しかしひどい言葉だ。
「くたばりそこない」。

 が、実際には、そういう人は少なくない。
『憎まれっ子、世にはばかる』とも言う。
嫌われ者ほど、長生きをする。
……というか、本当は、みな、平等なのだが、そういう人ほど、目立つ。
つまり死は、みなに平等にやってくる。
憎まれている人ほど、長生きするというわけではない。
が、目立つ。
目立つから、「くたばりそこない」となる。

 ……やがて、この私も、そうなりそう。

●ペン・タブレット

 昨日、やっとペン・タブレットをそこそこに使えるようになった。
使いながら、一枚、絵を描いてみた。
途中で、いやになるほど、ヘタクソな絵になった。
で、ボツにしようかと考えたが、作品は作品?

 が、今日、それを楽天PhotoにUPしようとしたら、限度を超えていた。
「500KB以上はUPできません」と。

 ということで、その絵は、ここでは紹介できない。
内心ホッとしている。

 ……そろそろ朝食の時間。
今朝は、ここまで!

みなさん、おはようございます。
今日も、(今週も)、元気でがんばりましょう!
2011/10/17記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【活発に学ぶ子どもたち(Active Learners)】

●Happy LearnersからIndependent Thinkerへ。さらにActive Learnersへ。世界の教
育の潮流は、「活発に学ぶ子ども」に向かっています。言うまでもなく20年後の日本は、
現在の子どもたちが作ります。もし日本が、ほかの国々と同じ教育をしていたら、この日
本には未来はないだろう。今、日本に求められているのは、世界の標準を抜き出た革新的
な教育ではないだろうか。

今日(2011/10/17)は、年中児に、「長さ」を教えてみました。活発に学ぶ子どもたちの声
をお聞き下さい。私はこういう声が、明日の日本を支えると確信しています。

(1)


(2)


(3)


(4)



Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「週刊現代」誌(10・29日号)を読む

+++++++++++++++++++++++++++++++

昨日、ワイフが、「週刊現代」(10・29日号)を買ってきた。
ここが週刊誌のすごいところ。
新聞やテレビが報道しないことを、ズバリ報道する。
「言論の自由は、週刊誌によって守られている」と言っても過言ではない。
が、その週刊誌にもいろいろ。

「週刊新潮」や「週刊文春」は、どう読んでもおもしろくない。
「まちがったことは書かないぞ」という姿勢は、よくわかる。
しかしその分だけ、保守的(?)。
つまらない。

一方、「週刊現代」は、あえて火中の栗を拾いつづけている。
そのつど、私たちが知らなかったことを、気がつかせてくれる。
ということもあって、3・11大震災以来、私はほとんど毎週、週刊現代を欠かさず買っ
ている。
書店で立ち読みするような失礼なことは、していない。

++++++++++++++++++++++++++++++

●島田紳助(週刊現代誌より)

 島田紳助が涙をこぼしながら引退宣言をしたあとも、みな、「紳助さん」と(さん)づけ
で書いていた。
が、そのあと、出てくるは出てくるは、醜聞の数々。
暴力団と関係があったというよりは、暴力団の構成員そのもの。
今回も週刊現代誌は、「吉本芸人とヤクザの関係、ぶちまけたる! 『汚い男・島田紳助』」
という記事を載せている。
そんなことは、あの顔を見ればわかるだろ……と書きたいが、人は顔で判断してはいけな
い。

 が、本当の問題は、ああいう人間が、テレビというマスコミの世界で、王様のように君
臨していたこと。
島田紳助というより、マスコミの責任は、どうなるのか。
ほかにも怪しげな人物は、いるのではないか。

 今では(さん)づけで書いている雑誌、週刊誌はない。
もちろん暴力団と関係があったとしても、それは刑法でいう「罪」ではない。
今のところ島田紳助周辺に捜査当局による捜査のメスが入ったという報道は、ない。
呼び捨てにすることが正しいとは思わない。
しかし「紳助さん」は、ここまでくると、不気味。

 で、その記事を一読して感じたこと……。
私たち視聴者が、賢くなるしかないということ。
「顔」というより、「言動」。
さらにはその「言動の中身」で、その人物を判断する。
そういう姿勢が身につかないかぎり、こうした人物はつぎからつぎへと、現れる。
今の今も、マスコミの世界で大きな顔をしているのは、いくらでもいる。

●『世界大恐慌の可能性』(週刊現代)

 世界大恐慌は、すでに始まっている。
今の状況を「恐慌」と言わずして、何と言う?
たとえばギリシャ問題。

 週刊現代誌は、「ギリシャ、この腐りきった国の実態」と題した記事を載せている。
やはり一読して、「この国は、救いようがない」の一言。

悪い面だけにスポット当てて書いているような部分もないわけではない。
もともとあの国は、そういう国。
時計に追われて生活するような資本主義の国とは、かなり異質。
のんびりとした国民性が、今回は、裏目に出た。

●韓国の経済危機

 週刊現代誌を読むだけはいけない。
私も週刊現代誌風に、「韓国の経済危機」について、書いてみる。
題して「日韓経済戦争・秋の陣」。

●日韓経済戦争・秋の陣
 
 ギリシャより危ないのが、韓国。
韓国政府は、「韓国経済は盤石である」というような大本営発表を繰り返している。
が、本当かな?

 中身はボロボロ。
『韓国の対外債務、4000億ドルに迫り、過去最高額を相次いで更新している』(中央日
報・11年09月)と。
一般家庭債務も、「63兆円を越えた」(朝鮮日報)と。
4000億ドルだぞ!
63兆円だぞ!

 これに対して、韓国政府は、「各家庭の純資産も、その程度あるから心配ない」と、繰り
返し応戦している。
が、その中身といえば、住宅バブル。
バブル資産。
そこへ来て、今回の大恐慌。
世界の新興国からの資金引きあげ。
韓国もそのひとつ。

今日のレートでみると、1ドルが、1155ウォン(10月18日)。
3・11大震災のあと、「このとき」とばかり、ウォン安に舵を切った。
徹底した輸出攻勢で、この日本に取って替わろうとした。
が、それが裏目に出た。

 モノを売りたくても、売り先の国々の経済が収縮してしまった。
韓国政府は、「外貨準備もじゅうぶん」と豪語しているが、大半は現金ではなく、有価証券。
(外国からの借金)ですら、(投資)に組み入れてしまう国である。
数字のインチキは、し放題。

先ごろ野村證券は、「韓国はアジアの中でももっとも通貨の安定した国」(東亞日報)とい
う経済報告書を発表した※。
が、その報告書を書いたのは、野村證券の社員だが、韓国人。
野村證券にしても、今ここで韓国がこけたらたいへんなことになる。
先に書いた4000億ドルにしても、その大半がジャパン・マネー。
週刊文春誌の記事をそのまま紹介させてもらう。

(注※)「野村證券の首席エコノミスト、クォン・ヨンソン氏は27日の記者懇談会で、「フ
ァンダメンタルの側面から見たとき、韓国はアジアで通貨危機発生の可能性が最も低い」
と主張した(東亞日報・9月27日)。

●野村ホールディングズ 

 週刊文春誌、最新号(10・20日号)によれば、日本の金融機関にも影響が及び始め
たという。

 名指しで経営危機が危ぶまれているのが、(1)「三菱UFJ」銀行(P24)。
(2)「野村ホールディングズ」(P25)。
ともにEU経済に、深く入りこんでいる。

 で、ここではじめて聞いた言葉が出てきた。
「CDS値」という言葉である。
週刊文春誌によれば、「経営破綻の危険度」を示す指標だそうだ。
(CDS……クレジット・デフォルト・スワップ)

 それによれば、モルガン・スタンレー銀行は、529ベーシスポイント。
この値は、リーマンショック時の値を超えているという。

(CDS値がどの程度なら危険かということは、よくわからない。
しかしモルガン・スタンレー銀行が、三菱UFJに買収されたときの値よりも、現在、モ
ルガン・スタンレー銀行は、さらに高い値になっているという。
529ベーシスポイントというのは、そういう数字らしい。)

 ほかにバンク・オブ・アメリカが、458ベーシスポイント。
野村ホールディングズが、340ベーシスポイント。
三菱UFJは、モルガン・スタンレー銀行を、リーマンショックのあと、1兆円で買収し
ている。

 これだけ読んでも、なぜ野村證券が、韓国経済危機説の火消しに躍起(やっき)になっ
ているか、よくわかる。

●再び「週刊現代」(10・29)

 私たちと直接関係がある記事が、これ。

「株・国債・投信・外貨預金、史上最悪のクラッシュに備えよ」。

 が、すでにクラッシュ(崩壊)は始まっている。
今日(10月18日)の日本経済新聞によれば、先週末、アメリカの株価は、247ドル
の下げ。
それを受け、今朝の東京市場も、129円安(10:00AM現在)。

 そこで私なりに、こんなことを考えてみる。
これは私の経験でもある。

●一般投資家の95%は、損をしている

 非公式な調査だが、「一般投資家の95%は、損をしている」(某経済誌)と。
株・国債・投信・外貨預金……何でもよい。
「95%」という数字は、どこから出てきた数字か、よくわからない。
しかし周囲の人たちをみても、それほど大げさではないように感ずる。
つまりほとんどの人が、損をしている。

 なぜか?

 その第一、儲かっているときは、「儲かった」「儲かった」と、はしゃいでしまう。
そのため売り時を逃してしまう。
また売り時(満期)が来ると、証券会社にせよ、銀行にせよ、さらなる乗り換えを勧めて
くる。
これが危険。
ワナ!

 客である私たちは、まんまとそれに乗せられてしまう。
若い社員から手書きの案内書が届いたりすると、フラフラとそちらに傾いてしまう。
ばあいによっては、さらに現金を上乗せして、それに応じてしまう。
「儲けさせてもらった」という負い目もある。

 が、この世界、何が起るか、わからない。
一寸先は闇。
3・11大震災を例にあげるまでもない。
EUの経済危機を例にあげるまでもない。
そういった事件(イベント)が起きるたびに、株や外債は大暴落する。
その大暴落したとき、大損をする。
それまでに儲けた分まで、吹き飛んでしまう。

 つまりこうして95%の一般投資家は、損をする。
一般投資家というのは、つまり私たち。
私のような、ちょっと知ったかブリをする投資家。

 だから結論として言えることはただひとつ。
証券会社や銀行を信用してはいけない。
彼らはあなたの資産を食い物にして、生きている!

 ……ということがわかっていても、この低金利時代。
今回の3・11大震災、それに8月1日の株価大暴落。
人間のサガ(性)は、因果なもの。
私の知人の中には、3・11大震災のあと、退職金のほとんどを失った人もいる。

●朝食

 たった今、朝食を終えたところ。
ここ数日、白いご飯に、カツオの削り節をかけて食べている。
それを見ながら、私がふと、「なんだか、魚の遺骨を食べているみたい」と。
それを聞いて、ワイフがこう言った。

ワ「へんなこと言わないでよ!」
私「だって、遺骨みたいだよ」
ワ「わかっていても、そういうことは言わないの!」
私「……人間も、残酷な生き物だね。ほかの生物の遺骨を食べて生きている……」と。

 こうして10月18日は、始まった。
のどかな朝。
何という非現実的な現実。
庭では二羽のキジバトが、芝生の上で羽を広げて横になっている。

で、一言。
がんばれ、週刊現代!
次号も買うぞ!
2011/10/18朝記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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