2011年7月18日月曜日

*What is Democracy for the Japanese?

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【欲望の奴隷たち】(壊れる子どもの心)

●孫が、裁判?

 長野県に住む友人が、こう言った。
大学の同窓生で、司法書士をしている。
「林君なあ、今はなあ、孫がなあ、親をたきつけて、遺産相続の裁判を起こす時代なんだよなあ」と。

 少しわかりにくい話で、ごめん。
が、こういうこと。

親が死ねば、争うとしても、ふつうは遺産相続権がある実子が、遺産分割を求めて裁判を起こす。
「私にも、分け前をもらう権利がある」と。

 が、最近は、そもそも遺産相続権のない孫が、親を前に立て、遺産分割を求めて裁判を起こす。
そんなケースがふえてきた、と。
「親父にだって、遺産相続をする権利がある。分け前をよこせ」と。
中には、親はいらないと言っているにもかかわらず、その子(つまり孫)が、「もらうべき」と言って
騒ぐケースも多いという。
(実際には、そういうケースのほうが多いのだそうだが……。)

 わかりやすく言えば、ジーチャン、バーチャンが死ぬと、孫の立場の人間が、遺産分割を求めて裁判
を起こす。
もちろん親が生きていれば、孫には、遺産相続権は、まだ発生していない。
つまり遺産相続権はない。
だから親をせかせ、裁判を起こす。

●身辺整理

 私も60歳を過ぎて、心境が大きく変化してきた。
そのひとつ。
モノを買わない。

 若いころは、好んで骨董品を買い集めた。
江戸時代の浮世絵を買い集めるため、北陸地方の都市を回ったこともある。
あるいは30代のころは、洋画に興味をもった。
ピカソの絵こそ手が届かなかったが、それ以外の画家の絵なら、たいてい集めた。
シャガール、ミロ、カトラン、ビュッフェ……。
ローランサンの絵も好きだった。
が、今にして思うと、どうしてあんなものを買い集めたのだろうと思う。
意味のない買い物だった。
だからときどき、ワイフにこう言う。

 「そのお金で、海外旅行をもっと楽しんでおけばよかった」と。

 で、今は、そういったものを、どんどん手放している。

●金(マネー)

 兄弟姉妹が、親の財産を取り合って争う。
私はその見苦しさを、あちこちで見聞きしている。
見苦しいというよりは、あさましい。
親の介護、葬儀、遺産分割とつづくうち、たいてい兄弟、姉妹はバラバラになる。
中には、「玄関先で怒鳴りあう」(知人)兄弟、姉妹もいる。

 だから親たる者、財産は、子どもには残さない。
額の問題ではない。
わずか数百万円のことで裁判を起こす人もいる。
反対に、それぞれが1億円以上もの財産を手にしながら、さらに争う人もいる。
そこで私たち夫婦は、こう決めた。

「ちょうど2人が死ぬころ、財産は、ゼロにしよう」と。

●欲望

 で、立場上、そんなことも考えながら、生徒たちをながめる。
兄弟、姉妹で、私の教室へ来てくれている子どもも多い。
そういう子どもたちをながめながら、「今は、仲がいいのだがなあ……」と。

 親にしても、そうだろう。
いつか自分の財産をめぐって、子どもどうしが争うなどいうことは、夢にも思っていない。
「自分が死んでも、息子や娘たちは仲がいいはず」と思いこんでいる。
あるいはそこまで考えが巡らない。
が、今のあなたがそうであるように、遺産には、恐ろしいほどの魔力が潜んでいる。
ジワジワと胸の中でふくらみ、やがて制御不能になる。
「1円でも多くもらわなければ、損!」と。

 つまり人間の欲望には、際限がない。
その欲望が、お金(マネー)に置き換わる。
あるいはその逆でもよい。
お金(マネー)が、欲望に置き換わる。

 しかし、いつから……?
どのようにして……?
反対に、「どうすれば、今のまま、いい兄弟姉妹関係をつづけることができるだろうか」と考えること
もある。

●親に反抗するのは、こどもの自由

 昨日も書いたが、現在、この日本では、親子の立場が逆転している。
親が子どもにペコペコし、子どもが親に向かってふてくされる。
少し古い資料だが、こんな調査結果も残っている。

 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。
「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%。

この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、中国15%。
親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青少年研究所・98年調査)。

 日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけないと考
えている高校生が、ダントツに少ない。

 こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家OG氏)
と論評する人がいる。
しかし本当にそうか。
この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなってしま
う。
日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 
アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。

 もう一度、数字を確認しておきたい。

「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%(アメリカ、16%)。
「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%(アメリカ、82%)。

 1998年の調査というから、そのときの高校生たちが、今、「親」をしている!

●壊れる心

 もちろん中には、そうでない兄弟姉妹も多い。
良好な関係をつづけている親子も多い。
しかし皮肉なことに、学歴社会とは無縁な世界で生きている人ほど、そういう人たちが多い。
一方、高学歴な人ほど、兄弟姉妹関係が、おかしい。
親子関係がおかしい。
私の言っていることがウソでないことは、ほんの少しだけ、あなたの周囲にいる人たちを観察してみれ
ばわかるはず。

 つまりこの問題は、どこかで学歴社会、それを支える受験競争とからんでいる。
私自身の印象としても、それを断言できる。
子ども(生徒)にしても、受験競争を、ほんの数か月(夏休みの1か月でもよい)経験しただけで、別
人のようになってしまう子どもがいる。
親は、「やっと心構えができました」と喜んでいるが、その裏で、子どもの心が粉々に破壊されている
ことには、気づいていない。
親自身がその高学歴者であることが多い。
つまり自分の心が壊れているから、子どもの心が壊れても、それに気づかない。

●教育

 簡単に言えば、教育が欲望追求の場になっている。
教育とは名ばかり。
心を育てるしくみになっていない。
今では進学率の高い学校を、「よい学校」(?)という。
進学率というのは、より有名学校への進学率をいう。
(今さら、こんなことなど、説明する必要もないが……。)

 その結果が、現在ということになる。
何とも心さみしい社会だが、その弊害が、今、あちこちで矛盾となって噴き出している。
数日前も、こんな調査結果が新聞に載った。

「60%の人が、今後、孤独死をする」(中日新聞)と。
記憶によるものなので、数字、内容は不正確だが、NHK「無縁社会、無縁死3万2千人の衝撃」(2
010年放映)という番組によれば、無縁死をした人が、3万2000人もいるという。
これに孤独死を加えたら、その数はさらに多くなる。

 が、これはけっして老人だけの問題ではない。
40代、50代の人たち自身も、その予備軍と考えてよい。

●では、どうするか?

 これは意識の問題。
その意識を変えるのは、容易なことではない。
10年単位というより、世代単位の問題でもある。
冒頭にも書いたように、親から子、さらに孫の代まで、意識が毒され始めている。

 戦後日本は、高度成長によって多くのものを得たが、同時に、多くのものを失った。
その結果が、今、ここにある現実ということになる。
どうすればよいかということは、私にもわからない。
が、こういうことは言える。
そこにそういう現実があり、今、みなさんがそういう現実に向かって歩んでいるなら、それを避けるこ
とも可能ということ。

 まずいのは、それに気づかず、そのワナにはまってしまうこと。
気がついてみたら、周りにはだれもいない。
そうなってからでは、遅い。
手遅れ。
もっとも孤独死をしたからといって、それが人生の結論というわけではない。
人生の敗残者(負け犬)というわけではない。
大切なことは、それまでに(すべきこと)をやり遂げること。
有意義に生きること。

 そのための準備だけは、怠ってはいけない。
……という意味で、このエッセーを書いてみた。
異論もあるだろう。
反論もあるだろう。
ひとつの参考意見として、読んでもらえればうれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はや
し浩司 欲望の奴隷たち 親に反抗する子ども 逆転する親子関係 孫が遺産相続権を行使)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【権威主義と天下のバカ大臣】

+++++++++++++++++++++

ときどき講演に招かれる。
ていねいに迎えられる。
が、居心地があまりよくない。
窮屈。
そのときいつも、私はこう思う。
「私は、そんな人間ではないのだがなあ」と。 

が、もしそんな私でも、毎日、そんなふうに
扱われたら……。
やがて感覚が麻痺し、意識が逆転するかも
しれない。

+++++++++++++++++++++

●官僚主義国家

 今朝も中国の友人からメールが届いていた。
こうあった。
原発事故被災地についてのメールだったが、最後の一文が、グサリと胸に突き刺さった。

「China is a dictatorship country, even Japan is not a real democratic country. 」
「中国は、独裁国家だが、日本も同じように、真の民主主義国家ではない」と。

 これについては、世界中の人たちが、異口同音にそう書いている。

(1)なぜ日本では、大規模なデモ(抗議行動)が起きないのか、と。

 答は簡単。
日本人は、江戸時代より「もの言わぬ従順な民」に作りあげられている。
それがまた教育の第一目標になっている。
「ものを言う民」は、官僚政治にとっては、まことにもって都合が悪い。
が、それが悲劇ではない。
本当の悲劇は、日本人自身がそれに気づいていないということ。
民主主義もどきの民主主義をもって、それが民主主義と思い込んでいる。

 このことは私自身が経験している。
1970年に、オーストラリアのメルボルン大学(法学院)に留学したときのこと。
どのテキストにも、「日本は官僚主義国家」と書いてあった。
「君主(ローヤル)官僚主義国家」と書いてあるのもあった。

 当時の私はそれに猛烈に反発した。
が、日本は世界に名だたる官僚主義国家だった。
それから40年以上。
今に到るまで、何も変わっていない。
日本は、官僚のための、官僚による、官僚の国。

 日本の中に住んでいると、それがわからない。
日本の外に住んでみると、それがわかる。
あるいは外の国の人には、それがわかる。
「日本は新の民主主義国家ではない!」と。

●天下のバカ大臣、M/R

 TBS-iは、つぎのように伝える。

++++++++++++++以下、TBS-iより++++++++++++++++

M/R復興担当大臣が就任後初めて、3日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに
腹を立て、知事を叱責しました。

 宮城県庁を訪れたM/R復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わります。

 「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」(M/R復興相)

 笑顔で現れた村井知事、握手を求めますが、拒否。応接室が緊張します。そして要望書を受け取ると、
M/R大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。

 「(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ。お
客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。長幼の序がわかっている自衛隊なら、そ
んなことやるぞ。しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだか
ら」(M/R復興相)

++++++++++++++以下、TBS-iより++++++++++++++++

 問題点は4つある。

(1)村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責したこと。
(2)笑顔で現れた村井知事、握手を求めるが、拒否したこと。
(3)「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ」と言ったこと。
(4)「今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」と言ったこと。
ほかにも、「オレは九州の人間だから、東北の市が何県にあるか知らない」と言ったとも伝えられてい
る。

 いろいろな大臣がいるが、(……いたが)、ここまで権威主義の凝り固まった大臣というもの少ない。
まるで封建時代の殿様、そのもの。
「上下意識」が強く、「自分は偉い人間」と錯覚している。
はっきり言えば、バカげている。
つまりその錯覚意識があるかぎり、日本の民主主義は、完成しない。

 人は何をもって、「偉い」というか。
その前に「偉い」とは何か。
この日本では、地位が高く、肩書きが立派な人ほど、「偉い」という。
が、英語国には、「偉い」に相当する単語すらない。
あえて言えば、「respected」ということになる。
「尊敬される」という意味である。

 が、「尊敬される」というときには、地位や肩書きは関係ない。
いわんや日本流の上下意識は、ない。

M/Rは、大臣。
一方は、県知事。
M/Rは、無意識のうちにも(?)、上下判断をし、それに応じない相手を「無礼」と決めつけた。
まさに時代錯誤。
が、これは何もM/Rだけの問題ではない。

●権威主義

 権威主義と言えば、水戸黄門がある。
今でもテレビの人気番組になっている。
三つ葉葵の紋章をかかげ、「控えおろう」と一喝すれば、みなが、「ハハー」と言って頭をさげる。
日本人には、実に痛快なシーンということになる。
が、欧米人には、それが理解できない。
あるときオーストラリアの友人にこう聞かれた。

「ヒロシ、水戸黄門が悪いことをしたら、どうなるのか?」と。

で、私が「水戸黄門は悪いことはしない」と答えると、まわりにいた学生たちまで、「それはおかしい」
と言って騒いだ。
オーストラリアでは、ときの権力者といかに戦ってきたかが、歴史になっている。
ウィリアム・ウォレス(イギリス)、ロビン・フッド(イギリス)、マッド・モーガン(オーストラリア)
などなど。
そういう人たちが英雄になっている。

 つまりそれを支える権威主義者たちがいるから、こういうバカ大臣がいつまでものさばる。

 話は少し脱線するが、以前書いた原稿を紹介する。
「意識」を考える、ひとつのヒントになれば、うれしい。
「世にも不思議な留学記」より。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。
中には、「空手を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。
あるいは「弾丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、競馬の馬は、
コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。
さらに「日本人は、牛の小便を飲むというが本当か」というのもあった。
話を聞くと、「カルピス」という飲料を誤解したためとわかった。
カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲んで、こう聞
いた。
「忠臣蔵を説明してほしい」と。
いわく、「浅野が吉良に切りつけた。浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。
ここまではわかる。
しかしなぜ、浅野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。
加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、どう考えても、おかしい。
それに死刑を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)だ。刑が重過ぎるなら、時の政府に抗議
すればよい。
また自分たちの職場を台なしにしたのは、浅野というボスである。どうしてボスに責任を追及しないの
か、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本人は、水戸
黄門に頭をさげるのか。
水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるのか」と。
私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになっている。たとえ
ばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。
体中を鉄板でおおい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。
イギリスにも、ロビン・フッドや、ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロー・スクールの一室で、みながお茶を飲んでいるときのこ
と。
ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。
「日本には単身赴任(当時は、短期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)という制度が
あるが、法的な規制はないのかね?」と。
そこで私が「何もない」と答えると、まわりにいた学生たちまでもが、「家族がバラバラにされて、何
が仕事か!」と叫んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでいるかぎり、絶
対にわからない。
が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が日本へ帰ってきてからのことである。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのときすでにM
物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。
「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア~」と。

だからといって、母を責めているわけではない。
母は母で、当時の常識に従って、そう言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支えてく
れると思っていた。
が、その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世界では、幼
稚園の教師をしていることを隠した。
一方、中の世界では、留学していたことを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どうし
て?」と首をかしげてしまった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、ほかならぬ、
オーストラリアの友人たちである。
みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらしい仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかったと
思う。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi
Hayashi education essayist writer Japanese essayist 意識のズレ 浅野内匠頭 吉良上野介 忠臣蔵 
意識論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原因は歴史教育

 意識は、当然のことながら、教育によって、作られる。
とくに「歴史」については、そうである。
今でも、「私の目標は、織田信長になること」(M県・県知事)と豪語してやまない人がいる。

 それについて書いた原稿ではないが、参考までに、以前書いた原稿を、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●織田信長

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織田信長は、なぜ、消防自動車を呼ばなかったのか?
「織田信長は、家来の(宴会中)に殺された」では、なぜまちがっているのか?

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●珍回答

 「織田信長は、本能寺で、なぜ消防自動車を呼ばなかったのか?」と聞いた、子どもがいたという(某雑誌)。
子どもといっても、中学生(?)である。
年齢はわからないが、漢字をそこそこに使えるところをみると、それくらいの年齢である。

 一方、「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」と、歴史のテストで答えた子どどもいた。
こちらも、中学生(?)である。
年齢はわからないが、ともに小学校の高学年児かもしれない。
あるいはひょっとしたら、高校生かもしれない。
「高校生」とは名ばかり。
歴史の知識にかぎらず、その程度の常識しかない高校生は、いくらでもいる。

●バカげた歴史教育

 そこそこに歴史の知識のある人は、こうした子どもたちの疑問や、回答を笑う。
かれらがもっている常識でもよい。
その常識を笑う。
織田信長の時代には、消防自動車は、なかった。
また織田信長は、家来の(明智光秀)に殺された。

 が、ここで私は、ハタと考えてしまう。
私たち自身だって、一応常識的な人間と思っているが、その一方で、非常識な情報に、そのつど振り回
されている。

 織田信長にしても、日本では歴史上の人物となっている。
しかし(ほめたたえるべき人物)であったかどうかということになると、それはどうか?
見方をほんの少し変えると、織田信長は、ただの殺戮(さつりく)者。
それを本能寺で討ち殺した明智光秀も、これまたただの殺戮者。
言うなれば、本能寺での異変は、ただ単なる、殺戮劇!

 権力の座についたというだけで、この日本では、「歴史上の人物」ということになる。
名を残すことになる。
事件があった年まで、記録され、今になっても、子どもたちは、それを暗記させられる。
どうしてそんなことが
必要なのか。
重要なのか。
さらに一歩、踏み込めば、このバカげた歴史教育に、なぜ、私たち日本人は、気がつかないのか?

 たとえばあなたの近所で、親の遺産を取り合って殺人があったとする。
そうした殺人と、織田信長や明智光秀がした殺人と、どこがどうちがうというのか。
あなたはその(ちがい)を説明できるだろうか。

 「戦国時代の昔、いろいろな武将がいて、国を取り合った。
その中に、頭のおかしい武将もいて、家来に殺されることもあった」と。
その程度の知識で、じゅうぶんではないのか。
またどうしてそれではいけないのか。
年号を正確に言えたからといって、それがどうしたというのか?
必要であれば、そのつど、調べて、それを書けばよい。
ちなみに私は「本能寺の変」という言葉は知っているが、何年にそれが起きたか、知らない。

 大切なのは、中身。
今に残る、中身。
つまりなぜ私たちが歴史を学ぶかと言えば、過去の人たちのなした経験を、「今」に生かすため。
失敗でもよい。
そういうことをしないで、一方的に織田信長を美化するから、いまだに「国盗り物語」よろしく、政治
家の中には、権力闘争に明け暮れる人がいる。
またそういう人が、いつまでたっても、後を絶たない。

●大切なのは中身

 もし本能寺での異変が重要な歴史的事実であるとするなら、なぜそういう事件が起きたか。
その背景を教える。
そこに至る経緯を教える。
ついでに権力闘争の醜さや、無意味さを教える。
それが歴史教育だと、私は思う。

 だからテストの内容も、こう変えればよい。

【問】

 「織田信長という独裁者が、本能寺という寺で、家来の明智光秀という人に殺された。
なぜ、明智光秀は、織田信長を殺したか。またあなたはこうした権力闘争を、どう思うか」。

 ともかくも日本の歴史教育は、暗記一辺倒。
暗記に始まって、暗記に終わる。
この教育姿勢は、明治の昔からまったく、変わっていない。
ウソだと思うなら、大学の受験生たちがもっている歴史の参考書を見てみればよい。
センター試験の問題を見てみればよい。

 重箱の隅の、そのまた隅をほじくり返したような問題ばかり。
教える側も、それを教えるのが歴史教育と錯覚している。
教わる側も、それを暗記するのが歴史教育と錯覚している。

 ちなみにこうしたバカげた歴史教育をしているのは、この日本だけ。
欧米では、教師が生徒にテーマだけを与えて、そのテーマに沿ってレポートをまとめるのが、歴史教育
の(柱)になっている。

「あなたはトラガルファーの戦いについて、1年をかけて、調べなさい」
「あなたはフランス革命について、1年をかけて、調べなさい」と。

 そして年度の終わりに、自分の勉強したことを、調べたことを、みなの前で発表する。
そういう教育を、小学生のときからしている。
小学生のときから、受けている。

●知識は無価値

 暗記ということになるなら、ついでに明智光秀のほかの家来たちの名前も暗記したらよい。
ついでにそれぞれが、どのような作業を分担したか、それも暗記したらよい。
本能寺にいた織田信長の家来たちの名前も、暗記したらよい。
本能寺の住所も暗記したらよい。

 が、今では、こうした知識は、インターネットを使えば瞬時に手にすることができる。
詳しい内容を知りたければ、パソコンを使って調べればよい。
大切なのは、その上で、どう考え、どう判断するか、である。
そしてそれをどう「今」に生かしていくかである。

 私たちもそろそろ気がつくべきときにきている。
「暗記は無価値」と。
暗記といっても、このばあい、暗記のための暗記を重ねるような暗記をいう。
地理にしても、無罪とは言えない。

 この話で思い出すのは、5、6年ほど前に、つぎのようなことを暗記していた中学生である。
その中学生は、こう復唱していた。
「長野の高原野菜、富山のチューリップ・・・」と。
そこで私がその中学生に、「高原野菜って何?」と聞くと、その中学生はあっさりと、こう答えた。
「知らない・・・」と。

 で、私はこう言った。
「浜名湖のうなぎと、教科書には書いてあるけど、今ではうなぎを養殖している業者は、ほとんどいな
いよ」と。

●新しい教育

 「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」でも、よいではないか。
そのとき本当に宴会をしていたのかもしれない。
ひょっとしたら織田信長の家来たちは宴会でもして、油断していたのかもしれない。
それをまちがっていると証明できる人は、だれもいない。
百歩譲って、どうして「明智光秀」という名前を、書かねばならないのか。
またどうしてそれが重要なことなのか。

 さらに百歩譲って、それが重要なことというのなら、それこそ重箱の底をほじくり返すような知識を、
生徒たちに暗記させたらよい。
暗記程度に応じて、成績をつけたらよい。
が、それは先にも書いたように、バカげている。
つまりこういうバカげた教育を教育と思い込んでいるから、その一方で、「なぜ消防自動車を呼ばなか
ったのか?」という子どもが出てくる。
思考力そのものが欠落したような子どもである。

 が、これでは、いつまでたっても、日本人は変わらない。
進歩しない。
愚劣な失敗を、いつまでも繰り返す。

 たとえば私は、もう40年も前のことだが、北欧のどこかの国の首相が、議会まで自転車通勤をして
いるのを知って、本当に驚いたことがある。
当時の常識(?)に凝り固まっていた私には、信じられないような話だった。
「首相が、自転車で通勤?」と。

 ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛庁の長官に就
任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった。

 悲しいことに、現在の日本は、まだその延長線上にある。
その責任の大きな部分は、日本のゆがんだ歴史教育にある。
・・・と言うのは書き過ぎかもしれない。
しかしそれくらいの緊張感をもって、この問題を考えないと、今の日本の歴史教育を変えることはでき
ない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はや
し浩司 日本の歴史教育 暗記教育 暗記のための暗記 ゆがんだ歴史教育 暗記教育)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●首相が自転車通勤

 この原稿の中で、とくに注意してほしいのは、以下の部分。

「ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛庁の長官に就
任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった」。

 まともな人が見れば、狂っている。
その狂っていることが、当時は常識だった。
国名は忘れたが、当時すでに欧米では、首相といえども、みな自宅から自転車通勤をしていた(北欧)。


 それが民主主義……というより、民主主義の「結果」。

●天下のバカ大臣

 こういうバカが、大臣になった。
大臣になって、東北の復興を手がけることになった。
いわく、「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ」と。

 人間も謙虚さを忘れたら、おしまい。
「大臣」「大臣」とチヤホヤされるうちに、自分を見失ってしまった。
被災者たちの気持ちを忘れてしまった。
だいたい「我々は何もしないぞ」とは、何ごとか!

 報道の内容が事実とするなら、この一言で、大臣失格。
即刻管直人首相は、M/Rをクビにすべき。
それができないというのであれば、管直人首相自身が責任を取るべき。

 ……朝、起きてニュース・サイトをながめた。
久々に、私は怒った。
で、あえて持論を確認。
「偉い」を廃語にしよう!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【「偉い」を廃語にしよう】

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。
よく似たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。
日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり
偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。「信長は
古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業がで
きるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始
者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民(とく
に農民)は極貧の生活を強いられた。

もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」
でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、
「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラ
ム)と書いている。家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、
彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、
あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人を
めざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだ
しも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。「私、日本で一番偉い人」
と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。

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興担当大臣)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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