2011年7月2日土曜日

*10 Rules to get Happy

【幸福論と死の覚悟】


●私が考える『幸福になるための10の鉄則』byはやし浩司


(注:あくまでも努力目標として……)


(1) 去る者を負わず
(2) 失ったものは忘れる
(3) 今を原点として考える
(4) 孤独を友とする
(5) 私を飾らない
(6) 争わない、競わない
(7) 負けるが勝ち
(8) 今、すべきことをする
(9) そこにいる人を大切にする
(10)生きていることを喜ぶ


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(1) 去る者を負わず

人は常に去り、またやってくる。
親や兄弟であれ、はたまた子であれ、友であれ、去る者は追わず。
来るものは拒まず。
人の心は、管理できない。
コントロールもできない。
人それぞれ。
私は私。
あなたはあなた。


(2) 失ったものは忘れる

   基本的には、人は何も失わない。
   森の木々を見ろ。
   青い空を見ろ。
   天の星々を見ろ。
   失ったと思うものは、あなたの我欲だけ。
   もともと価値のないもの。
   だから忘れる。
   あとは考えない。


(3) 今を原点として考える

すべては「今」から始まる。
過去はない。
未来もない。
繰り返しつづく、「今」だけ。
今を原点に、今を大切に生きる。
その結果として、明日はやってくる。
未来はそれにつづく。


(4) 孤独を友とする

生きているかぎり、孤独はつきもの。
逃れようともがけばもがくほど、キバをむいて襲ってくる。
ごまかしても、無駄。
まぎらわしても、一時的。
だったら、友として、そこに置く。
友として、孤独と仲よくすごす。


(5) 私を飾らない

見栄、体裁、世間体。
心を狂わす、三毒。
ありのままで生きる。
ありのままをさらけ出して生きる。
つまり裸で生きる。
そういう生き方を総称して、「質素」という。


(6) 争わない、競わない

       私は、私。 
       あなたは、あなた。
       たがいに生きたいように、生きる。
       大切なことは、異論を認める。
       私とちがった人間を認める。
       マイペースで生きる。
       あとの判断は、「時の流れ」に任せればよい。


(7) 負けるが勝ち

万事、負けるが勝ち。
人は損をすればするほど、心が広くなる。
強くなる。
損をすることを恐れない。
(あえて損をする必要もないが・・・。)
カッと怒ったら、黙る。
身を引く。
相手がカッと怒ったら、黙る。
身を引く。


(8) 今、すべきことをする

今、すべきことを懸命にする。
今、する。
明日に回さない。
仕事しかり、家事しかり、そして健康しかり。
明日は、その結果として、やってくる。
未来は、その結果として、やってくる。


(9) そこにいる人を大切にする

そこにいる人を、私と思う。
私と思い、大切にする。
無私、無我、無条件。
見返りを求めない。
損得を考えない。
ただひたすら、大切にする。


(10)生きていることを喜ぶ

       息ができる。
       目が見える。
       音が聞こえる。
       ものが食べられる。
       歩ける。
       走れる。
       あたりまえのことに、価値を見出す。
       賢人は、その価値を失う前に気づき、愚人は、失ってから気づく。


●死への覚悟


 今朝(7月2日)、こんな夢を見た。
目を覚ます寸前のことだった。


 ・・・私はどこか高い崖の上にいた。
下を見ると、ちょっと変わった形をした小型機が飛んでいた。
風が強かった。
小型機は前に進めず、そのまま海に着水した。
が、見ると、それは自動車ほどもある大きな、白鳥だった。
その横に自動車が、何台か並んでいた。


 私はほとんど毎朝、このタイプの悪夢で目が覚める。
学生時代からずっとそうだったような気がする。
最近は、その瞬間、呼吸が止まっているようにも感ずるので、睡眠時無呼吸症候群(SAS)にかかっているのかもしれない。
ただしSASと悪夢の関係は、はっきりしていない。


 それはともかくも、これまたふと気がつくと、私たちも小型機に乗っていた。
小さな飛行機だった。
風が強く、前に進めなかった。
エンジン音だけが大きく聞こえた。
が、そのとき、飛行機はゆっくりと機首を下に向けた。
前には、海の上に突き出た小岩が見えた。
茶色の小岩だった。


 私はその小岩を見ながら、死を直感した。
直感しながら、私はこんなことを考えた。
死ぬ直前に、海の水の冷たさがわかるだろうか、と。
それとも痛みが脳に伝わる前に、死んでしまうのだろうか、と。
死への恐怖感は、まったくなかった。
「死ぬんだ」ということはわかった。
が、何もこわくなかった。


●恩師、松下哲子(のりこ)先生(幼稚園もと園長、故人)


 若いころ、恩師の松下哲子先生にこう聞いた。
そのとき先生は、80歳を超えていた。
「先生、歳を取ると、死ぬのがこわくなくなりますか」と。
すると先生は、縁側に座ったまま、こう言った。
「林さん、人はね、いくつになっても、死ぬのがこわいもんですよ」と。


 ほかのことは覚えていないが、先生を照らしていた明るい日差しだけは、やけに印象に残った。


 が、今の私は、その覚悟が少しずつできつつあるのを知る。
死ぬのは、こわい。
それは松下哲子先生が言ったとおり。
しかし同時に、やがてくるその日に向けて、覚悟ができつつあるのを知る。
言い換えると、その覚悟を作ることが、これからの私の生きるテーマということになる。
どうすれば、その覚悟を作ることができるか、と。


 が、これは意識の問題ではない。
意識として覚悟するのではない。
水が低いところを求めて流れていくように、生きざまそのものが、覚悟に向かって進んでいく。
たとえば私はこの数年、それまで買い求めてきた様々なものを、人に与えるようになった。
若いころに買った、小物は、今では、ほとんど、ない。
メダルやコイン、模型や装飾品など。
それが最近は、絵画や、置きものに広がりつつある。
今朝も、20年来世話になった、N氏に、我が家の家宝の大皿を届けることにしている。
江戸時代に制作された、花鳥を描いた絵皿である。


ワイフが、「いいの?」と言うから、「いいよ」と。


だから今は、こう思う。
「やがて私の周囲からは、モノはすべてなくなるだろうな」と。


 これには母の影響もある。
数年前の同じころ、母は他界した。
生前は、恐ろしくモノに執着した母だった。
が、その母も、死ぬときは、数枚の浴衣と、コップなど身のまわりの生活用品だけ。
で、あるとき私は母にこう言った。
「何か、欲しいものがあるか。何でも買ってやるよ」と。
すると母は、こう言った。
「命は、金で買えん!」と。


 それが母の結論だった。
人生の結論だった。
同時に、それが私の結論にもなった。
以来、身のまわりにあるものを、私はどんどんと減らしていった。


 が、もちろん「損をしている」という感覚はない。
人にモノを与えるたびに、さわやかな気分になる。
気が楽になる。
それは楽しいことでもある。


 ・・・で、やがて私も死ぬ。
この宇宙もろとも、私は消えてなくなる。
あの世があるかどうかについては、わからない。
あのホーキング博士は、「ない」と断言した。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
しかしそれは死んでからのお楽しみ。
が、今は、あの世はないという前提で生きる。
死ぬための覚悟を決める。
・・・覚悟というより、その覚悟も、無理をしなくても、自然な形でできていくものなのか。


 今朝の悪夢は、飛行機で墜落していく夢。
いつもならハラハラ・ドキドキして目が覚める。
が、今朝の私は冷静だった。
悪夢は悪夢だが、ふんと鼻先で笑えるような悪夢だった。


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(補足)

 以上を総論とするなら、各論として、私はつぎのことを守っている。

(1)モノやお金の貸し借りはしない。
(2)私を悪く言っている人とは、交際しない。
(3)私が一度でも文を通して、その人を批判したときには、その人とは交際しない。
(4)意味のない冠婚葬祭には、出席しない。
(5)ウソはつかない。ルールは守る。約束は守る。


Hiroshi Hayashi++++++++July 2011+++++++++はやし浩司・林浩司

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