2011年7月10日日曜日

*On nineth of July at my mountain house

●7月9日(土曜日)山荘にて

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今夜は、山荘へ逃げてきた。
自宅での気温は、夕方、30度を超えていた。
それで山荘へ。

途中、ブックストアで、2冊、本を仕入れる。
私は、日本文芸社の『超大恐慌の時代』(藤井巌喜著)。
ワイフは、雑誌の『ムー』(学研)。
今夜は、読書。
読書の夏(?)。

・・・今、午後10時半。
今、やっと一息ついたところ。
『超大恐慌の時代』の第1章「震災大不況の到来」、
第5章の「中国バブルついに崩壊」を読み終えた。

この2つを読んだだけでもわかるが、日本の未来は、お先真っ暗。
藤井氏は、こう書いている。
「外国人は最悪の事態を想定して行動している。
日本人は希望的観測に従って行動している」(P47・要約)と。

まったく、同意見。
福島第一原発事故にしても、ほとんどの日本人は、「安定状態に入った。
つまり問題は解決した」と思い込んでいる。
そう思いたい心情は、よくわかる。
またそうでも思わないと、気が晴れない。
しかし何ひとつ、問題は解決していない。
解決していないばかりか、この先、まだ、何が起こるか
わからない。

今日も菅首相は、こう言った。
「解決までには、この先、何十年もかかります」(記者会見)と。
つまりこの原発事故は、そういう問題。

この先、どれほど多くの悲劇を、私たちは目撃することになるのか。
それを思うと、ただただ気が重くなる。

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●耳鳴り

 山荘の夜は、静かだ。
ワイフはコオロギが鳴いているという。
が、私には、聞こえない。
いや、聞こえていたが、私は耳鳴りかと思っていた。

 私は子どものころ、慢性中耳炎で苦しんだ。
この病気のいやなところは、耳の奥がいつも熱っぽいこと。
そのためものごとに集中できない。
が、それでも勉強しなければならない。
そんな日々がつづいた。
そのつらさは、慢性中耳炎になったことのある人なら、みな知っている。

今は、それは収まったが、代わりに耳鳴りが始まるようになった。
ちょうどセミが鳴くような音に聞こえる。
実際、夏になり、セミが鳴くようになると、困る。
耳鳴りの音なのか、本物のセミの声なのか、区別できないときがある。

 が、そういう状態が何十年もつづくと、これも慣れ。
慣れの問題。
他人が心配するほど、私は耳鳴りの音については、気にしていない。
飛行機の中で、飛行機のエンジン音を気にしないのに似ている。
それに悪いことばかりではない。
耳が、健康のバロメーターになっている。
風邪のひき始めには、症状がまず、耳や喉(扁桃腺)に出る。
そのころ予防処置をすれば、大きな病気に進まないですむ。
実際、この20~30年間で、病気で仕事を休んだことは、ほんの数回しかない。

 とは言いつつ、今、窓をあけ、耳を外に向けた。
コオロギの鳴き声を聞きたかった。

●Google Crome OS

 で、今夜はこう決めた。
震災や原発事故の話は書かないでおこう、と。
経済の話も、やめておこう。
座右には、家からもってきた週刊誌や心理学の本が、10冊、近くある。
私のばあい、こうして何か読むものが近くにないと、落ち着かない。
言うなれば、「文字中毒」?

 と書いても、趣味の本も読まないわけではない。
先週は、コンビニで『DIME』(小学館)を買った。
最新パソコンを特集していた。
それが今、テーブルの上にある。

目下、話題になっているのは、グーグル社が開発した、新OS。
「Google Crome」(OS)を搭載した、グーグル・パソコン(端末パソコン)。
雑誌には、「革新的新端末?」(P19)とある。
一言で表現すれば、「スピード感がちがう」ということらしい。
どこがどうちがうのだろう?
一度、どこかで触ってみたい。

●Twitter

 今やTwitterの全盛期。
そのための専用パソコンまで売りに出されている(NEC)。
たかが「つぶやき」とあなどってはいけない。
Twitterが、世界を動かしている。
中東で始まった、一連のジャスミン革命にしても、Twitterが起爆剤になった。
しかし私には、どうも使い勝手が悪い。
悪いというより、使う目的がちがう。

 私にとって、ものを書くというのは、墓石に文字を刻むようなもの。
生きているという証(あかし)そのもの。
死んだあとは、生きたという証(あかし)そのもの。
Twitterでは、それが期待できない。
文字通り、「おしゃべり」。
スズメのさえずりと同じ(失礼!)。
いくら書いても、何も残らない。

 では、FACEBOOKは、どうか?
仲間をさがし、友だちを作るには、役に立つかもしれない。
しかしこれにも限界がある。

 遠い昔の話だが、「パソコン通信」なるものが始まった。
最初はカタカナのみの交信だった。
それがやがて漢字も使えるようになった。
私は真っ先に飛びついた。
で、すぐ何人かの人たちと、友だちになった。

 1人は兵庫県姫路市に住んでいる人だった。
毎晩のように、今でいうメールを交換した。
(たしか浜松市内でも、パソコン通信をしている人は、数えるほどしかいなかった。)
が、インターネットが現れ、パソコン通信は、姿を消した。
同時に、その友人も、消えた。

 そういう経験があるから、FACEBOOKには、どうしても飛びつけない。
「やがては時間の無駄になる」と。
友だちといっても、ある限度を超えては、親しくなれない。
「限界」というのは、そういう意味。

●ネット用語

 「この世界は、どこまで進むのだろう」と、よく考える。
パソコンの性能も、1~2年単位でよくなっていく。
新しいサービスも、つぎからつぎへと始まる。
ついていくだけで、たいへん。

毎日のように、新しい言葉も生まれる。
数日前も、「ストレステスト」という言葉が目についた。
直訳すれば。「耐性テスト」ということになる。
別の本には、「安全性確認テスト」と書いてあった。
だいたいの意味はわかったが、そこまで。

 が、いまだに意味のよくわからない言葉もある。
「スレ」という言葉。
若い人たちが、ネット上でよく使っている。
が、この言葉にしても、どんどんと変化していく。
10年ほど前だが、「モナー」という言葉もあった。
そこでネットで知り合った若い人に、意味を聞いた。
当時25歳くらいの男性だったが、親切に教えてくれた。
「お前も、そうだろ」という意味で、「モナー」と言う、と。
「お前もなあ」を短くして、「モナー」と。
相手に向かって、「偉そうなことを言うな」というときに、モナーと言う、と。

 が、最近、「モナー」という言葉は、あまり見かけない。
つまりそういうこともあるから、流行語をそのまま使うのも、危険なこと。
少なくとも、私は避けている。

●スケベ小説

 ところで震災以来、「週刊G」(講談社)を欠かさず、購入し、読んでいる。
その中に、毎週、たいへんスケベな連載小説が載っている。
作家の人には悪いが、これがどうしようもないほど、ヘタクソ。
一応それなりの名前のある作家なのだろうが、ヘタクソ。

 私もときどきスケベな話を文にする。
外に向かって発表したことはないが、言うなれば、私の秘密の趣味。
一度だけだが、ある女性に、それを読んでもらったことがある。
その女性は、こう言った。
「びっくりして、気絶しそうでした」と。

 ・・・と書くからといって、私のほうが上手というのではない。
スケベ小説というのは、現実感がモノを言う。
スケベな作家が、頭の中だけで想像して書いたような小説には、その現実感がない。
その場の人間しか知らないような、臨場感がない。
つまり読んでも、おもしろくない。
週刊Gに載っている小説は、明らかに(作り話)。
言うなれば「排泄の描写」ばかり。
哲学がない。
だから「ヘタクソ」という言葉を使った。

●TOSHIBA・UX

 ワイフは、先に床に入った。
日付は変わって、7月10日になった。
私も、少し眠くなってきた。
が、こんな時間は、そうはない。
私だけの、貴重な時間。
今しばらく、パソコンのキーボードを叩いていたい。

 使っているのは、TOSHIBAのダイナブックUX/23(10インチ・ミニパソ)。
ダイナブックのTX/66(15インチ・ノート)ももってきた。
が、私はUXのキーボードが好き。
キーを叩いているだけで、気持ちよい。
つまり今の私には、キーボードを叩くのが「主」。
文字を書くのは、「従」。
書くために叩いているのではなく、叩くために文字を書いている。
本末が逆転している。

●心の開いた人vs心の閉じた人

 が、それでは読者の方に申し訳ない。
現在、BLOGだけでも、毎日、1万人近い人たちが、私の文を読んでくれている。
そういう人たちのために、何か、役に立つことを書きたい。

 何だろう・・・?

 ・・・今、興味をもっているのは、「心の開いた人vs心の閉じた人」。
数日前から、このテーマで原稿を書きたいと思っている。
が、イマイチ、頭の中で構想がまとまらない。
まとまらないから、ずっと、そのまま。

 が、簡単に言えば、こういうこと。
(心の状態)と(外に向かって表現される様子)が、一致している人を、「心の開いた人」という。
一方、(外に向かって表現される様子)からは、(心の状態)のわからない人を、「心の閉じた人」という。

 子どもの世界を見ていると、それがよくわかる。
表情や様子から、その子どもが何を考えているか、よくわかる子どもがいる。
そういう子どもを「心の開いた子ども」という。

 その一方で、何を考えているか、よくわからない子どももいる。
心がつかみにくい。
自閉症という障害をもった子どもは別として、自閉傾向をもった子どもとなると、何割かがそうであると言える。
一見、従順で、おとなしく、親や教師の指導に、すなお(?)に従う。
しかしその分だけ、ストレスをため、心をゆがめやすい。
ときに突発的に錯乱状態になって、暴れることもある。

 だから・・・。
相手に対して心を開くということは、良好な人間関係を結ぶ、必要条件ということになる。
心が閉じていたのでは、良好な人間関係は、結べない。
友人でも、親子でも、そして夫婦でも。

●夫婦論

 夫婦の話を書いたので、一言。

 円満な夫婦関係を結ぶためには、1にさらけ出し、2にさらけ出し、3にさらけ出し。
性生活はそのために、たいへん有効。
たがいに裸になって、やりたいことをやればよい。

 もちろん性生活だけではない。
言いたいことを言い合う。
徹底的に言い合う。
もしそれができないというのであれば、その夫婦は、かなり危険な状態にあるということになる。

 だから昔からこう言う。
「喧嘩をする夫婦ほど、仲がいい」と。
あるいは「夫婦喧嘩、犬も食わない」と。
夫婦喧嘩が悪いというのではない。
その範囲で収まっているなら、夫婦喧嘩、おおいに結構。
たがいに言いたいことを言い合えばよい。
「その範囲」というのは、言い換えれば「破滅的でなければ」の意。

●小便

 少し不謹慎な話になる。

私は山荘では、小便は、窓を開け、外に向かってする。
それには理由が、ある。

 トイレを使うと、水を流すたびに、モーターがタンクに圧力を加える。
そうしないと、水が、ろ過装置を通らない。
山荘の水は、山からの引き水。
そのため一度、ろ過装置を使って、ろ過する。

 そのときモーターが回る。
その音で、ワイフが目を覚ます。
だから窓を開け、(実際には網戸を開け)、外に向かって小便をする。

 が、これが実に気持ちよい。
限界ギリギリまで膀胱に尿をため、一気に、しかしスワーッと、それを排泄する。
その快感は、多分、男性にしかわからないものではないか。

 欧米人の家には、どこにもピス・ポットというのが、用意してある。
「小便瓶」と訳す。
たいていベッドの下に隠してある。
小便をしたくなったら、その中にする。
(女性はどうしているか、私は知らない。)

 今、その小便をしてきたところ。
スッキリ。
気持ちよかった。
湿った森の冷気が、それと入れ替わりに、私の体の中にしみ込んできた。

・・・ということで、眠くなってきた。
そろそろ私も床に入ることにする。
明日も忙しくなりそう。
草払い機の修理と草刈り。
それが第一。
午後からは教材づくり。

 そうそう、犬のハナがこのところ、どんどんとやせ細っていく。
心配。
今日も好物の肉だけを与えた。
食欲だけは旺盛で、ぺロッとたいらげたが、年齢も年齢。
もう20歳になる。
それなりの覚悟はしている。

が、私には、大切な友だち。
ワイフ、B君、D君、K君についで、第五の友だち。
・・・というか、家族の一員
そう、今の私には、家族といっても、ワイフ、長男、それにハナしかいない。
だからハナがやせ細っていくのを見るのは、つらい。

 では、みなさん、おやすみなさい。
(はやし浩司 2011-07-10記)


Hiroshi Hayashi++++++July 2011++++++はやし浩司(林浩司)

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