2010年5月7日金曜日

*Mgazine May 7th

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 5月 7日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『許して忘れる』と、その限界
Beyond the words, "Forgive and Forget"
++++++++++++++++

『許して忘れる』は、生きる原則。
しかしその『許して忘れる』にも、限界がある。
他者に向かう(怒り)は、これは許して、
忘れることができる。
For・give&For・get。
「相手に愛を与えるために許し、相手から愛を
得るために忘れる」。

しかし自分に向かう(怒り)はどうか。
許して忘れることは可能なのか。
いくつかのケースを並べて、考えて
みたい。

++++++++++++++++

【ケース1】

 何かの失敗をして、自分の人生をメチャメチャにしてしまうということは、よくある。
私のことではない。
マスコミをにぎわす事件として、よくある。
どこかの学者は、手鏡で若い女性のスカートの中をのぞいて、自分の人生をメチャメチャ
にしてしまった。
地位も名誉も失った。

 仮に私がその学者なら、(怒り)は、まっさきに自分に向かう。
「何というバカなことをしてしまったのだろう」と。
(あるいは「何と運が悪かったのだろう」と思うかもしれないが……。)

 しかしこのばあい、(怒り)そのものも、それほど強くないはず。
その学者は、自分でしたいことをしただけ。
欲望の奴隷となり、欲望を抑えることができなかっただけ。
言うなれば債権投資で、大金を失ったようなもの。
だから逮捕され、職を追われたとしても、「損をした」と後悔することはあるだろう。
しかし(怒り)が、自分に向かうことはない。
だから(自分を許す)ということ自体、ないとは言わないが、その衝撃は小さい。

【ケース2】

 ある宗教教団では、輸血そのものを禁止している。
「禁止」という言葉は使っていないが、私が電話で問い合わせると、こう教えてくれた。
「禁止はしていません。しかし熱心な信者なら、自ら、輸血を拒否するでしょう」と。
実に巧妙な言い方である。

 で、その結果、交通事故にあった、自分の子どもが死んでしまったとする。
私の子どもでもよいし、あなたの子どもでもよい。
輸血を適切にしていれば、助かったかもしれない。
で、それから何年かたった。
その人は、信仰をやめ、その宗教団体から抜けた。
そのとき、その人は、(私やあなたでもよいが)、どう考えるだろうか。
自分の愚かさを恥じ、悩み苦しむだろうか。

 あくまでもこれは私の想像だが、その人は、自分に向かう(怒り)に苦しむことになる。
「何と、バカなことをしてしまったのだろう」と。

 このばあい、果たして、『許して忘れる』ことは、可能だろうか。
「私もだまされていました」と、忘れることはできるだろうか。
もちろん教団に責任を求めることはできない。
教団は、輸血を禁止していたわけではない。

 私がその人なら、生涯にわたって、もがき苦しむことになるだろう。
つまり自分を、許して忘れることはできない。

(実際には、こういうケースのばあい、そういう信者は、ますます信仰にのめり込んでい
く。
まちがいを認めることは、そのまま自己否定につながる。
「自分の子どもを殺してしまった」という苦しみに耐えられる親は、いない。)

【ケース3】

 過保護や過干渉、過関心で、子どもをダメに(?)にしていく親は多い。
過負担、過剰期待でもよい。

 ある子どもは猛烈な受験競争の結果、何とか、市内でもいちばんという、進学高校に入
学した。
それまで毎晩のように、母親とその子どもの間で、「勉強しなさい」「うるさい」の大げん
かがつづいた。
しかし入学したとたん、バーントアウト。
燃え尽きてしまった。
無気力から怠学となり、前期も終わるころには、不登校を繰り返すようになってしまった。
病院で診察を受けると、うつ病と診断された。

 こういうケースのばあい、その母親が、自分に対して(怒り)を覚えることは、まずな
い。
それ以前の問題として、罪の意識そのものがない。
「私はまちがったことをした」という自覚そのものがない。
むしろこう考える。
「私は子どものために、必要なことをしただけ」と。

 その母親が自責の念にかられるためには、(まちがったことをした)という、客観的な自
覚がなければならない。
それを知るためには、母親自身が賢くなり、自分の過ちに気がつかなければならない。
しかしほとんどのばあい、それは期待できない。
へたをすれば、「なぜあなたはそうなってしまったの!」と、子どもを責めつづけるかもし
れない。
つまり(怒り)が、自分に向かうということはない。

【ケース4】
 
 つまらない結婚、つまらない子育てをし、その結果、自分の人生を棒に振ってしまった
と感じたときは、どうだろうか。
数日前も、どこかのBLOGに、こんな書き込みがしてあった。
記憶によるものなので、内容は正確ではないが、こういう内容だった。

 つまりその女性(50歳くらい)は、毎日のように夫に向かって、「人生を返せ!」「青
春を返せ!」と、怒鳴り散らしているという。
はげしい文句が並べてあった。

 こういうケースは少なくない。
私も身近の人で、妻が夫にそう言っているという話を聞いたことがある。

こういうケースのばあい、自分に対する(怒り)を、相手である夫にぶつけているという
ふうに解釈できる。
不本意な結婚した自分を責めるあまり、それを夫のせいにして、夫を責める。

結婚したことを後悔しているというより、気がついてみたら、人生も終わっていた。
鏡に映るのは、すでに老人顔。
息子や娘たちからは、「バーさん」と言われ、相手にされない。
「私の人生は何だったの!」と叫んだとたん、(怒り)がこだまのように、はね返ってくる。
その(怒り)が、そこにいる夫に向かう。

 で、『許して忘れる』ということになる。
が、それは果たして可能なのか。
まただれを許し、だれを忘れればよいのか。

 このばあいでも、(怒り)が自分に向かっている間は、『許して忘れる』は、できないと
いうことになる。
夫にしても、手のほどこしようがない。

【ケース5】

 こうして考えてみると、他者を『許して忘れる』ことはできても、(それも難しいことだ
が)、自分を『許して忘れる』ということは、ほぼ不可能と断言してよい。
私も、数年前、こういうことがあった。

 私は1人の知人にだまされて、ほとんど価値のない山林を買ってしまった。
俗に言う「山師」だった。
で、それから30年以上。
いつまでももっていても仕方ないということで、その山林を売りに出そうとした。
しかし住宅地とちがって、山林には、そうした土地を売買するしくみそのものがない。
そこで私は新聞に、折り込み広告を入れた。
反応がまったくなかったので、私はそれを6回、つづけて出した。

 が、それがその知人の逆鱗に触れた。
「オレに恥をかかせた」ということになったらしい。
で、結局、その山林は、買ったときの値段の10分の1程度で、地元の別の人が買ってく
れた。
が、以来、私の方が悪者になってしまった。
(しかし、どうしてこの私が悪者なのか?)

 こういうケースのばあい、(怒り)は、私のばあいは、自分に向かう。
私は完全な、自責型人間。
私をだました知人に、(怒り)が向かうのではなく、「愚かだった」ということで、自分に
向かった。
「もっと調べて買うべきだった」とか、「親しいからといって、信用した私がバカだった」
と。
 
 で、やはりここでも、『許して忘れる』という問題がたちはだかる。
自分を許し、忘れることはできるのか、と。
が、答は「NO!」。
今でも心のどこかに、悶々とした燃えかすのようなものが、くすぶりつづけている。
それがその答ということになる。

●結論

 『許して忘れる』……、つまり、それによって「愛」の深さが決まる。
その度量の深さが、愛の深さということになる。

 しかしそれにはいくつかの条件がある。

 その第一は、ここにも書いてきたように、「他者」が、そこにいること。
相手が(自分)では、どうしようもない。
とくにそこに自分の愚かさがからむときは、そうである。
ここにも書いたように、いつ晴れるともなく、悶々とした燃えかすのようなものが残る。

 さらに言えば、「他者」といっても、それにふさわしい他者でなければならないというこ
と。
相手が「山師」のような人間では、そもそも「許す」という対象にならない。
「相手にした私が愚かだった」ということになる。

 ……ということで、(ケース1)から(ケース5)まで、いろいろな場面を想定して、『許
して忘れる』の限界について、考えてみた。
この言葉を宗教的に解釈する人たちは、たぶん、こう言うだろう。
「それでも、許して忘れなさい。その向こうに愛があり、真理が隠されています」と。

 しかし私には、その度量はない。
ごくふつうの、平凡な男である。
だからその限界を乗り越えることはできない。
それがここでいう「許して忘れるの限界」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 許して忘れる 許して忘れろ 許して忘れるの限界 愛の限界 はや
し浩司 愛の限界論 自責 他者を許す 自分を許す)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【児童心理・思いつくまま】(わんぱく少年+子どもの服従的態度)

●おとなしくなった男児

++++++++++++++++++

最近の子どもたち、とくに男児が、
おとなしすぎる。
柔和で、やさしく、覇気がない。
小学1~2年生でも、いじめられて泣くのは
男児。
いじめるのは女児と決まっている。
こうした逆転現象(?)は、すでに15~20
年以上も前から始まっている。
そうした傾向が、このところ、少子化の進行とともに、
さらに加速している。
今では、小学3、4年生でも、いじめられて
泣くのは男児。
いじめるのは女児と決まっている。

++++++++++++++++++

●わんぱく少年

私たちが子どものころには、わんぱく少年は
どこにでもいた。
私も、その1人だった。
乱暴で、喧嘩ばやかった。
しかしその半面、学校の「教室」という場では、
おとなしかった。

当時、近くの山をはさんで、山の反対側に住む
子どもたちと、戦争ごっこをよくした。
「ごっこ」というレベルを超えていたかもしれない。
はげしかった。
山の中で相手を見つけると、リンチをした。
私たちも、リンチされた。
私も一度、つかまってしまい、チxチxの先に、
かぶれの木の樹液を塗られたことがある。
あれをやられると、そのあと1週間ほど、
痛くて排尿がうまくできなくなる。

しかし学校という場では、おとなしかった。
私たちは「敵」と呼んでいたが、学校で
敵を見つけても、あいさつこそしなかったが、
たがいに知らぬ顔をして、その場をやり過ごした。

●荒れる教室

 つまり私たちが子どものころは、子どもが本来もつ
エネルギーを発散する場所を、別にもっていた。
私のばあい、「山」だった。
が、最近の子どもには、それがない。
家の中に閉じこもったまま。

 数年前のこと。
浜松の郊外、郊外といっても、山奥に近いが、そこで
講演をさせてもらったときのこと。
校長から、こんな話を聞いた。
「このあたりの子どもも、外で遊ばなくなりました」と。

 いろいろな調査結果を見ても、農村や山村地域の子どもの
ほうが、都会に住む子どもよりも、家の中にいる時間が長い。
理由は言わずと知れた、テレビゲーム、ゲーム機器。
つまりそれでは、エネルギーを発散できない。
そこでそのエネルギーを学校の教室という場で、
発散するようになった(?)。
つまり子どもたちを取り巻く環境が、質的に変化してきた。
それに並行して、少子化。
それぞれの子どもが、必要以上に、ていねいに(?)、
育てられるようになった。
とくに男児。

 言葉は悪いが、母親に(飼い殺されてしまっている)。
「飼いつぶされてしまっている」のほうが、よいかも
しれない。
過関心と過干渉。
それに溺愛と過保護。
今では昔風のわんぱくな男児というと、10人に
2~3人程度しかいない(年長児)。
これとて多めにみた数字。

 こうして「荒れる教室」が生まれ、「女児化した
男児」が生まれた。
もっとも、ほかにもいろいろな見方があるだろうが、
ひとつの見方として、参考にしてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 わんぱく少年 男児の女児化 環境の質的な変化)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●服従的態度

+++++++++++++++++

だれかに服従して生きるというのは、
一見すると、「たいへんだな」と思う
人もいるかもしれない。
しかし実際には、楽。
何も考えなくてよい。

+++++++++++++++++

●リーダー不在

 良好な人間関係が結べない子どもは、(1)攻撃的態度、(2)依存的態度、(3)同情
的態度、それに(4)服従的態度のうちの、どれかをとることが知られている。
これらについては何度も書いてきたので、ここでは(4)の服従的態度について、考えて
みたい。

 つまりだれかに徹底的に服従することによって、自分の立場を確保しようとする。
よくあるケースが、親分・子分の関係。
思春期の子どもによく見られる現象である。

 ところで少し話が脱線するが、私たちが子どものころは、子どもたちが集まる場所では、
すぐこの親分・子分関係が生まれた。
私もずっと子分だったときがあり、それが終わると、今度は親分になった。
が、今は、それがない。

 すでに15年ほど前に書いた本の中で、私はこの問題を指摘した。
たとえば幼稚園の砂場でも、珍現象が起きていた。
40年前には、砂場でも、すぐ親分・子分関係が生まれ、リーダー格の子どもの指示に
従って、みなが動いた。
みなが力を合わせて、大きな山を作ったりした。
が、最近は砂場でも、子どもたちが互いに背を向けあいながら、それぞれがチマチマと、
勝手に遊んでいる。
こうした傾向は、さらに最近、強くなってきている。
「ぼくがリーダーだ」と声をあげる子どもが、いない。
その雰囲気さえ、ない。

 それはそれとして、服従的態度にも、さまざまな問題がある。

●カルト教団

 話は一足飛びに飛躍するが、世の中には、「カルト教団」と呼ばれる宗教団体が、数
多くある。
そういう教団の中では、信者たちは、それを意識することもなく、人間ロボットとして、
幹部の指導者の意のままに動いている。
一度、そういう信者の1人と、個人的に話したことがある。
(詳しくは私の書いた『ポケモンカルト』の中に収録。)

 私が「あなたは、だれかに操られていると思いませんか」と聞いたときのこと。
その信者は、こう答えた。
「私は自分の意思で動いています。
それに教祖様(=指導者)は、万巻の本を読んでおられます。
まちがっていません」と。
こうした盲目性が、カルト教団の信者の特徴のひとつということになる。

 が、同時に、そこは甘美な世界でもある。
教団を中心に、信者どうしが、兄弟以上の兄弟、親子以上の親子になったりする。
一瞬にして、孤独感が消える。
その魅力があるからこそ、信者は、その教団から離れることができない。
またそういう力を利用して、教団は、自らの勢力を拡大していく。
つまり信者は徹底した服従を誓うことによって、自らの立場を確保していく。

 私の知っているK教団では、信仰年数によって、序列が決まる。
当然「信仰年数」が長い信者ほど、立場が上。
だから50歳くらいの信者が、30歳くらいの信者に頭をさげたりする。
そういう光景をよく目撃する。

 しかし子どもの世界では、この服従的態度は、心理的な発育ということを考えると、
好ましくない。

●自己の同一性(アイデンティティ)

 「自分はこうありたい」「こうしたい」という(自己概念)。
「私は、今、こうだ」「現実に、こうしている」という(現実自己)。
この2つが一致した状態を、「自己の同一性」という。

 思春期前夜から思春期にかけて、子どもは、この自己の同一性を確立する。
またそれができるよう、周囲の者(教師や親)は、子どもを声援し、見守らなければ
ならない。
が、そうした確立が軟弱なまま、思春期を過ごしてしまう子どもも多い。
その原因のひとつとして、服従的態度がある。

 もっとも服従することが、すべてまちがっているわけではない。
それによって、そのノウハウが蓄積され、今度はそれが親分(リーダー)としての素質に
つながっていくこともある。
先に、私は子分時代を経て、親分になったと書いた。
具体的には、幼稚園へ通っているころは、ずっと子分だった。
小学2、3年生になって、親分になった。
現在、そのころの経験が、自分の仕事(=幼児教室)で、役に立っている。

 が、一方的に服従する。
言われたまま行動する……というよりは、自分でものを考えない。
自分がどうあるべきかも、考えない。
こうした姿勢が一度身につくと、ここに書いた、自己の同一性の確立がおぼつかなくなる。
自分が何をしたいのか、何をすべきなのかも、わからなくなる。
ついで、何をしてはいけないのかもわからなくなる。
これはよくない。
「危険な態度」と断言してもよい。

 そのため思春期の服従的態度は、えてして非行、犯罪行為につながりやすい。
またそういう集団を組みやすくなる。
それを避けるためには、どうするか。

 要するに、(自分で考え)、(自分で行動し)、(自分で責任を取る)という、「自由の
3原則」を、子育てに生かす。
これについては、たびたび書いてきたので、ここに、その原稿をさがして添付する。

+++++++++++++

子育て自由論。

+++++++++++++

●自由

 自由のもともとの意味は、「自らに由(よ)る」、あるいは、「自らに由らせる」という意
味である。

 この自由には、3つの柱がある。(1)まず自分で考えさせること。(2)自分で行動さ
せること。(3)自分で責任を取らせること。

(1)まず自分で考えさせること……日本人は、どうしても子どもを「下」に見る傾向が
強いので、「~~しなさい」「~~してはダメ」式の命令口調が多くなる。しかしこういう
言い方は、子どもを手っ取り早く指導するには、たいへん効果的だが、しかしその一方で、
子どもから考える力を奪う。そういうときは、こう言いかえる。「あなたはどう思うの?」
「あなたは何をしたいの?」「あなたは何をしてほしいの?」「あなたは今、どうすべきな
の?」と。時間は、ずっとかかるようになるが、子どもが何かを言うまでじっと待つ。そ
の姿勢が、子どもを考える子どもにする。

(2)自分で行動させること……行動させない親の典型が、過保護ママということになる。
しかし過保護といっても、いろいろある。食事面で過保護になるケース。運動面で過保護
になるケースなど。親はそれぞれの思い(心配)があって、子どもを過保護にする。しか
し何が悪いかといって、子どもを精神面で過保護にするケース。子どもは俗にいう「温室
育ち」になり、「外の世界へ出すと、すぐ風邪をひく」。たとえばブランコを横取りされて
も、メソメソするだけで、それに対処できないなど。

(3)自分で責任を取らせること……もしあなたの子どもが、寝る直前になって、「ママ、
明日の宿題をやっていない……」と言い出したとしたら、あなたはどうするだろうか。子
どもを起こし、いっしょに宿題を片づけてやるだろうか。それとも、「あなたが悪い。さっ
さと寝て、明日先生に叱られてきなさい」と言うだろうか。もちろんその中間のケースも
あり、宿題といっても、いろいろな宿題がある。しかし子どもに責任を取らせるという意
味では、後者の母親のほうが、望ましい。日本人は、元来、責任ということに甘い民族で
ある。ことを荒だてるより、ものごとをナーナーですまそうとする。こうした民族性が、
子育てにも反映されている。

 子育ての目標は、「よき家庭人として、子どもを自立させる」こと。すべてはこの一点に
集中する。そのためには、子どもを自由にする。よく「自由」というと、子どもに好き勝
手なことをさせることと誤解する人もいるが、それは誤解。誤解であることがわかっても
らえれば、それでよい。
(01-11-7)

● 子どもは自由にして育てよう。
● 子育ての目標は、子どもをよき家庭人として、自立させること。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子育て自由論 自由 自らに由る 自らに由らせる。)

+++++++++++++++++

が、過関心、過干渉が日常化すると、
子どもは自立できなくなってしまう。
もちろん人格の核(コア)形成も遅れる。
それについて、つぎのような原稿を
書いたことがある。

+++++++++++++++++

【子どもの人格】

●幼児性の残った子ども

++++++++++++++++

人格の核形成が遅れ、その年齢に
ふさわしい人格の発達が見られない。

全体として、しぐさ、動作が、
幼稚ぽい。子どもぽい。

そういう子どもは、少なくない。

++++++++++++++++

 「幼稚」という言い方には、語弊がある。たとえば幼稚園児イコール、幼稚ぽいという
ことではない。幼稚園児でも、人格の完成度が高く、はっと驚くような子どもは、いくら
でもいる。

 が、その一方で、そうでない子どもも、少なくない。こうした(差)は、小学1、2年
生ごろになると、はっきりとしてくる。その年齢のほかの子どもに比べて、人格の核形成
が遅れ、乳幼児期の幼児性をそのまま持続してしまう。特徴としては、つぎのようなもの
がある。

(1) 独特の幼児ぽい動作や言動。
(2) 無責任で無秩序な行動や言動。
(3) しまりのない生活態度。
(4) 自己管理能力の欠落。
(5) 現実検証能力の欠落。

 わかりやすく言えば、(すべきこと)と、(してはいけないこと)の判断が、そのつど、
できない。自分の行動を律することができず、状況に応じて、安易に周囲に迎合してしま
う。

 原因の多くは、家庭での親の育児姿勢にあると考えてよい。でき愛と過干渉、過保護と
過関心など。そのときどきにおいて変化する、一貫性のない親の育児姿勢が、子どもの人
格の核形成を遅らせる。

 「人格の核形成」という言葉は、私が使い始めた言葉である。「この子は、こういう子ど
も」という(つかみどころ)を「核」と呼んでいる。人格の核形成の進んでいる子どもは、
YES・NOがはっきりしている。そうでない子どもは、優柔不断。そのときどきの雰囲
気に流されて、周囲に迎合しやすくなる。

 そこであなたの子どもは、どうか?

【人格の完成度の高い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、年上に見える。
○自己管理能力にすぐれ、自分の行動を正しく律することができる。
○YES・NOをはっきりと言い、それに従って行動できる。
○ハキハキとしていて、いつも目的をもって行動できる。

【人格の完成度の低い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、幼児性が強く残っている。
○自己管理能力が弱く、その場の雰囲気に流されて行動しやすい。
○優柔不断で、何を考えているかわからないところがある。
○グズグズすることが多く、ダラダラと時間を過ごすことが多い。

 では、どうするか?

 子どもの人格の核形成をうながすためには、つぎの3つの方法がある。

(1) まず子どもを、子どもではなく、1人の人間として、その人格を認める。
(2) 親の育児姿勢に一貫性をもたせる。
(3) 『自らに由(よ)らせる』という意味での、子育て自由論を大切にする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 以上、子どもの服従的態度について考えてみた。
古来より日本では、「親や先生の指示に、ハイハイと従う子どもほど、いい子」と
考える。
またそれを教育の目標にしてきた。
しかしそういう子どもほど、あとあと心配。
子ども自身も、「私探し」に苦労する。

 要するに、おとなしく覇気がないというのは、子ども本来のあるべき姿ではない。
アメリカでは、このタイプの子どもを、「問題児」として位置づけている。
そういうことも考えながら、子どもの服従的態度を、改めて見なおしてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 服従的態度 自由の3原則 三原則 問題児 育児姿勢)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●TOYOTA車は、宇宙船ではない!(Re-written on April 1st)
(改作・10-04-01)
Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

(2日前の3月30日に書いた、「TOYOTA車は、宇宙線ではない」の
原稿が、あちこちのサイトで紹介され、今までにない波紋を広げている。
その原稿を補足してみる。)
2010年4月1日。

++++++++++++++++++++

交通事故の95%は、運転手の操作ミスに
よるもの。
そのうちの何割かは、アクセルとブレーキの
不適切な操作によるもの。

ところで、こんな仰天ニュースが、読売
新聞に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞、2010-3-30日++++++++++

【ワシントン=岡田章裕】トヨタ自動車の車の急加速問題で、米航空宇宙局(NASA)
と全米科学アカデミー(NAS)が、米高速道路交通安全局(NHTSA)の要請を受け
て事故原因の調査に乗り出すことが30日、明らかになった。

 米ワシントン・ポスト紙が報じた。

 トヨタ車の急加速問題では、ラフード米運輸長官が2月に電子制御系の調査を数か月か
けて行う方針を表明したが、事故原因は特定されていない。放射線などが電子制御系に影
響を与えているとの見方もあり、NHTSAは両機関の協力を得てより科学的な調査を行
う考えだ。

+++++++++++以上、読売新聞、2010-3-30日++++++++++

●悪玉づくり

 米高速道路交通安全局(NHTSA)は、何としても、TOYOTA車を、悪玉に仕立
てあげたいらしい。
つまり引くに引けなくなった。
そこで今度は、NASAに事故調査依頼をいたという。
「放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もある」とか?

 ハア~~~?

 電子制御装置を使用していない車など、いまどき、ない。
何らかの形で、使用している。
TOYOTA車だけが、電子制御装置を使用しているわけではない。
仮に放射線が電子制御装置に影響を与えるとするなら、すべての車に影響を与えるはず。
また与えるとしたら、平均して、すべての車に影響を与えるはず。
すべてのTOYOTA車に影響を与えるはず、でもよい。

 つまりすべてのTOYOTA車が、急加速現象を起こすはず。
そこでまたまた論理学の話。

●疑問

(1)「放射線が影響を与える」というのなら、(仮にそれがわかったとしても)、では、そ
の放射線とやらは、どこから発せられたのか。
そこまで解明しなければならない。
仮に宇宙からの放射線ということであれば、すべての車にまんべんなく、影響を与えるは
ず。
アメリカを走るTOYOTA車全体が、急加速現象を起こしてもおかしくない。

(2)この発想は、絶縁体をはがして、電線をショートさせてみた、どこかのアホ教授の
それと、どこもちがわない。
「通常では起こりえない状態を人為的に作り、それでもって、急加速の原因」と。
もしこんな手法がまかり通るなら、あちこちの電線を切ってつないでみればよい。
それでおかしくならない車など、ない!
つまりバカげている。

(3)米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)に、調査を依頼したと
か?
TOYOTA車は、宇宙船ではない。
地上を走る車である。
素人の私でも、放射線が、(強弱の程度にもよるのだろうが)、電子制御装置に影響を与え
るかもしれないという程度のことは、おおかた予想がつく。
もしそうなら、さらに宇宙線の影響を受けやすい、航空機はどうなのかという問題がある。
もし「YES」という結果が出たら、車の心配より、飛行機やミサイルの心配をしたほう
がよい。

(4)仮に「YES」という調査結果が出たとしても、それでもって、急加速現象の証拠
とはならない。
もしこんな論法がまかりとおるなら、この先、運転の操作ミスで事故を起こした人は、こぞって、放射線影響説を唱えるようになるだろう。
「運転ミスではない」と。

●論理学(必要・十分条件)

 もう一度、論理学の世界で、この問題を考えてみたい。
つぎの問題を考えてみてほしい。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
『表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある』。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、
どれをめくってみるか。

1枚目……(△) 
2枚目……(□) 
3枚目……赤の(●) 
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明された
わけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。 
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)で
あったとしても)、この命題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがって
いることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●必要・十分

 話を戻す。

 「放射線が、TOYOTAの車の電子機器に影響を与える」ことを証明するためには、
TOYOTAの車に、放射線を照射して、不具合を起こすだけでは足りない。
「必要な実験」かもしれないが、「十分」ではない。
ほかのメーカーの車にも、照射してみなければならない。
つまり「ほかの車では、何ともなかった」ということを証明しなければならない。
(いまどき何らかの形で、電子機器を搭載していない車は、ない。)

さらに、もし放射線が原因であるとするなら、(放射線というのは、すべてのTOYOTA
車に、まんべんなく降り注いでいるものだから)、「なぜ特定の車だけに、影響が出たのか」
も証明しなければならない。
まだある。
「どうしてアメリカのTOYOTA車だけに、集中的に影響を与えたか」についても、
証明しなければならない。
そこまで証明して、はじめて、「十分」となる。

 また仮に放射線が原因であったとしても、そこまで予測可能であったかという問題も残
る。
私もコンピュータを使うようになって、すでに35年になる。
コモドール社のPETの時代から、使っている。
が、今にいたるまで、一度だって、「放射線の影響」など、考えたこともない。
パソコン雑誌を書かさず読んでいるが、それが話題になった記事を見たこともない。

 「放射線」という言葉は、いったい、どこから出てきたのか?

●振り上げた拳(こぶし)

 調査が進むにつれて、話がおかしくなってきた。
米高速道路交通安全局(NHTSA)は、ふりあげた拳(こぶし)を、おろすにおろせな
くなってしまった。
そこで言うに事欠いて、今度は、NASAに調査依頼?

 バカげているというか、常軌を逸している。
もし米高速道路交通安全局(NHTSA)が調査すべきことがあるとするなら、両足を、
アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリカには、何%いるか、だ。
飲酒運転をしているドライバーの数や、携帯電話をかけながら走っているドライバーの数
でもよい。

 最後に、現在、TOYOTAのハイブリッド車は、アメリカだけで、600万台以上も
走っている。
そのうちの数百台に急加速現象が起きたという。
が、全体からみれば、1万分の1。
0・01%!

事故の95%は運転手の運転操作ミスという数字は、いったい、どうなるのか。
先にも書いたように、その大部分は、アクセルとブレーキの踏みまちがいによるもの。
アクセルとブレーキを踏みまちがえれば、どんな車だって、急加速する。

●統計的調査(補足)

 ここで私は、冗談ぽく、「両足を、アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、
アメリカには、何%いるか」を調べたらよいと書いた。
しかしこれは冗談ではない。

 たまたま昨日も、近くのTOYOTAの販売会社のディーラーの人と話した。
その人(50歳くらい)も、こう言っていた。
「アクセルとブレーキを同時に踏んで運転するなどということは、日本では考えられない」
と。
つまり車の運転の仕方が、日本とアメリカとでは、ちがうらしい、と。

 そこでこんなことを調査してみたらどうだろう。

(1)両足を乗せて運転する人の割合(%)と、急加速問題が起きた割合(%)。

 たとえばA国では、両足を乗せて運転する人が、10%いたとする。
そしてそのA国では、TOYOTA車につき、100件の急加速現象が起きたとする。
割合が、全体の、0・01%だったとする。

これが基礎データ。

 つぎにB国について調べる。
B国では、両足を乗せて運転する人が、5%いたとする(A国の10%の半分)。
同じようにB国でも急加速現象が起きたとする。
そのときその割合が、0・01÷2(半分)=0・005%と同じか、かぎりなくその数
値に近ければ、急加速現象は、TOYOTA車の欠陥ではなく、運転の仕方に原因がある
ということになる。

 同じように、(2)TOYOTA車における、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)
と、ほかのメーカーにおける、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)でもよい。

●車の欠陥

 交通事故の95%は、ドライバーの運転操作ミスによるものだという(米高速道路交通
安全局(NHTSA))。
残りの5%が、車の欠陥によるものということになる。

 そこで改めて数字を拾ってみる。

 現在、アメリカでは、600万台のTOYOTAのハイブリッド車が走っている。
うち数百台が急加速現象を起こし、事故につながった可能性があるという(米高速道路交
通安全局(NHTSA))。
仮に600台としても、0・01%。

 もし私が米高速道路交通安全局(NHTSA)の幹部なら、TOYOTAの車を問題に
する前に、車の車検制度を考える。
私の二男もアメリカで学生をしているころ、車を買った。
が、ドアを満足に開けることさえできなかった。
そういう日本では考えられないような車が、アメリカでは、平気で走っている。
どうしてそういうことを、問題にしないのか。

 さらにドライバーの教育問題もある。
アメリカでは、高校生のとき、授業のひとつとして、運転教習を受け、免許を手にしてい
る。
どういう教習をしているのかは知らないが、そのあたりにまで一度、メスを入れてみる必
要があるのでは?

●放射線?

 それにしても、今度は、「放射線」というところがすごい!
その少し前にも、TOYOTAのディーラーの人と話したが、この日本では、急加速問題
は起きていないという。
(このところ車の買い換えもあって、たびたびTOYOTAの販売会社に、足を運んでい
る。)

つまり放射線なるものは、どうして日本には降り注がないのか、そのあたりもきちんと証
明しなければならない。
(あるいは大病院の放射線照射ルームの近くで、そういう事故が多発したというデータで
もあれば、話は別だが……。)

 また論理学の世界で考えるなら、先にも書いたように、「放射線が、電子制御装置に影響
を与える」というだけでは、十分ではない。
「ほかの車の電子制御装置が、なぜ影響を受けないか」ということまで証明して、はじめ
て十分となる。
これ、称して、「必要・十分条件」という。
(私たちが子どものころは、こんなことは、中学校で学んだぞ!)

●だいじょうぶか、アメリカ!

 私は、今度ほど、アメリカ人の脳みその程度を疑ったことはない。
また調査依頼を受けたNASAもNASA。
そのあたりの情報は、すでにもっているはず。
改めて調査するまでもなく、その情報を公開したらよい。

 なお私なら放射線より先に、たとえば静電気とか、稲妻とか、あるいは走行中の振動が
与える影響について調べる。
ついでに肉食人種たちが出す、あの臭いおならでもよい。
さらに悪霊のたたりでもよい。
一度、そのあたりも、調査してみてほしい。

 NASAに調査依頼するよりは、スカリーとモウルダーに依頼したほうがよいのでは?
これぞまさしく、X-File!

 ……というのは、少し書き過ぎということはわかっている。
先に「どこかのアホ教授」とも書いた。
しかしアホはアホ。
そういう常識では考えられないような実験を真に受け、それでもって、「急加速現象が証明
できた」とした、米高速道路交通安全局(NHTSA)も、アホ。
まともに相手にするのもバカバカしいほど、常識をはずれている。
だから「アホ」と書いてしまう。
言葉は汚いが、私はそれ以外の言葉を思いつかない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 トヨタ車の急加速問題 米高速道路交通安全局(NHTSA) NA
SA 放射線の影響 放射線と電子制御装置 宇宙線と電子制御装置 影響 TOYOT
A ハイブリッド車)


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