2009年11月9日月曜日

*The Value of Silence

●思慮深さ(The Value of Silence)

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何かを話すと、すかさず返事が返ってくる。
しかしその中身は、たいていいいかげん。
脳に飛来した情報を、音声に置き換えて
いるだけ。
これを「音声化」(はやし浩司)という。

子どもの世界でも、よくこんな現象が観察される。

たとえば鉛筆を床に落としたとする。
そのとき、こんなことを口にする。

「アッ、鉛筆がおちたア」
「ぼく、拾う」
「鉛筆は、どこかな」
「あったア~」と。

意味のない言葉を、ひとり言のように言う。
私はこのタイプの子どもを、勝手に、
「音声化児」と呼んでいる。
脳の表層部分に飛来する情報を、やはり、
音声に置き換えているだけ。
だから「音声化児」と呼んでいる。

このタイプの子どもは、よくしゃべるという
点で、一見、利発に見える。
しかし中身が薄っぺらい。
思考力も浅い。
4、5歳児に多く、やがて少なくなっていく。

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●反すう能力

 「思慮深さ」は、反すう能力で決まる。
「能力」というより、「習慣」の問題。

(1) 相手の言ったことを、まず聞く。
(2) 脳の中で、それを吟味する。
(3) それを何度も繰り返す。
(4) その上で、自分の意見を添える。

 ところがおもしろいことに、当の本人は、即座に反応することを、よいことだと
誤解している。
中には、それを「頭のいいことの証(あかし)」と誤解している人もいる。
つまり自分が、頭のよい人と思われたいがため、無理に、即座に反応しようとする。
だからどうしても、言っていることが、浅くなる。
ペラペラとよくしゃべる割には、中身がない。
口はうまいが、心が伴わない。

●沈黙の価値

 『沈黙は金なり』という。
英語国では、『沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな』という。

 ここでいう「沈黙」というのは、「反すう能力」をいう。
この反すう能力のある・なしで、思慮深さが決まる。
反すう能力のある人を、思慮深い人といい、そうでない人を、そうでないという。
もっとわかりやすく言えば、反すう能力のある人を、「賢い人」といい、
そうでない人を、「愚かな人(fool)」という。

 たとえばこんな会話をする。

A「女も、25を過ぎると、結婚できなくなるよ。25だなア~」
私「今は、そういう時代じゃ、ないと思うんですが……」
A「いやいや、世の中には、常識というものがあるからね」
私「それぞれの人には、それぞれの思い方や考え方があると思うんですが……」
A「やはり、常識には従ったほうが、いいよ。何と言っても、常識だよ」
私「……?」と。

 ここに書いたA氏は、常識論を説きながらも、自分では何も考えていないのがわかる。
考えようともしていない。
子どもの世界でも、いつも軽口をペラペラとしゃべっている子どもがいる。
反応も早い。
「ドヒャー、何、これ? ハハハ、これ、動く? ギャー、動いたア!」と。
その一方で、私が何かを話しかけたりすると、ジーッとこちらをにらみ、そのまま
視線が沈む子どももいる。

 どちらがよいかということは、一概には言えない。
時と場合による。
しかし「反すう能力」のある子どもは、後者のような反応を、よく見せる。

●加齢とともに

 これは現在の私の実感だが、加齢とともに、反すう能力がより優れていく人と、
反対に劣っていく人がいるのがわかる。
イギリスのある賢人は、こう言った。
『40歳のとき愚かな人(fool)は、生涯、愚かな人である』と。
どうやらその分かれ道は、40歳くらいのときにやってくる。
そのころまでに、反すう能力を身につけた人は、長い時間をかけて、賢い人になっていく。
そうでない人は、そうでない。

 さらに深刻な問題として、そこへ認知症が加わると、この反すう能力が、極端に低下
する。
言ってよいことと悪いことの区別も、つかなくなる。
認知症でなくても、人は加齢とともに、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
だからますます軽口が多くなる。
考えが浅くなる。
つまり反すう能力が、衰えてくる。
これは私たちの年代の者にとっては、深刻な問題と考えてよい。

●思慮深くなるために

 先にも書いたように、思慮深さは、能力の問題ではない。
習慣の問題。
その習慣がある・なしで、決まる。
そこで重要なのは、(1)まず相手の話を聞く、ということ。
つぎに(2)それを頭の中で、何度も吟味するということ。
その上で、(3)それを言葉として言う。

 子どもの世界で言うなら、年長児になっても、無意味な音声化が残っているようなら、
こまめに、「口を閉じなさい」と指示して、それを抑える。
が、この時期を逃すと、今度はそれがクセとして、子どもの中に定着してしまう。
なおすとしたら、まだ親の目がしっかりと届く、年長児ごろまでに、ということになる。

 が、これは何も子どもだけの問題ではない。
私たち自身の問題でもある。

 そのことは、電車やバスに乗ってみると、よくわかる。
たいてい1組や2組、騒々しいグループが乗り込んでいる。
あたり構わず、大声でしゃべりあっている。
ペチャペチャ、クチャクチャ……と。

 試しにそういう会話に耳を傾けてみるとよい。
つぎのことがわかる。

(1) 中身が浅い。
(2) どんどんと、内容が変わっていく。
(3) 一方的にたがいに話すだけで、会話がかみあっていない、など。
そういう状態で、片時も休むことなく、おしゃべりがつづく。

 先日も、地元の観光バスに乗ったら、乗ったときから、降りるまで、合計すれば
8時間近く、おしゃべりをつづけていた女性がいた。
「疲れないのかな?」と思い、観察してみると、口先だけで話しているのがわかった。
口もほとんど、動かない。
言葉にも抑揚がない。
プラス、脳みそを、ほとんど使わない。
だから、疲れない。

 もっともこれには、AD・HDの問題もからんでくる。
女児のばあい、多動、集中力の欠如に併せて、多弁性が現れてくる。
で、多動性、集中力の欠如は、小学3年生前後を境にして、外からはわかりにくくなる。
本人の自己管理能力が発達してくると、自分で自分をコントロールするようになる。
が、ほとんどのばあい、おとなになってからも、多弁性だけは、残る。
バスの中のその女性のばあい、そちらのタイプだったかもしれない。

●11月9日(月曜日)

 話がそれたが、「思慮深さは、反すう能力で決まる」。
要するに「考える力」ということになる。
日ごろから、その習慣があるか、ないかということ。
それで決まる。

 そうでなくても、加齢とともに、思慮深さは減退してくる。
……とまあ、話が繰り返しになってきたので、この話はここまで。
今日から、11月の第2週目。
相手が子どもでも、しっかりと耳を傾けてやろう。
そう心に誓って、今日も始まった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 思慮深さ 沈黙は金 沈黙の価値 思考の反すう 反芻 反芻能力)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★Don't speak unless you can improve upon the silence
 「それが沈黙から進歩したものでなければ、話すな」(スペインの格言)。

In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends.
(Martin Luther King Jr.)
「最後には、あなたは敵の言葉ではなく、友の沈黙のほうを覚えているだろう」(マーティンルーサー・キング・Jr)。

★The true genius shudders at incompleteness - and usually prefers silence to saying
something which is not everything it should be. - Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)。

●これらの教育格言の中で、とくにハッと思ったのが、エドガー・アラン・ポーの「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよりも、沈黙をふつう、好む」という言葉である。

 わかりやすく言えば、「ものごとを知り尽くした天才は、自分の未熟さや、未完成さを熟知している。だから未熟なことや、未完成なことを人に語るよりも、沈黙を守るほうを選ぶ」と。私は天才ではないが、こうした経験は、日常的によくする。

 私のばあい、親と私の間に、どうしようもない「隔たり」を感じたときには、もう何も言わない。たとえば先日も、こんなことを言ってきた母親がいた。

 「先祖を粗末にする親からは、立派な子どもは生まれません。教育者としても失格です」と。

 30歳そこそこの若い母親が、こういう言葉を口にするから、恐ろしい。何をどこから説明したらよいかと思い悩んでいると、そのうち私の脳の回路がショートしてしまった。火花がバチバチと飛んだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

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