2009年11月12日木曜日

*Education in a Nation

●11月11日

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やっと調子が戻ってきた。
頭の中のモヤモヤを、吐き出せるように
なった。
よかった!

おとといの夜などは、「ぼくもこれで
ボケしまったのか」と、本気で、
心配した。

が、今日は、ちがった。
朝から、(怒り)を覚えた。
その(怒り)が、起爆剤になった。
一気に、『沈まぬ太陽』論を書いた。
山崎豊子氏が言う「義憤」を覚えた。
それがよかった。
午前中だけで、30枚分(40x36行)。
マガジン1回分の原稿を書いた。
そこで新発見。

怒りは、脳を活性化させるということ。
怒りを覚えないと、文というのは
書けない。
そう言い切ってもよい。
平和で、ゴムが伸びきったような
生活からは、何も生まれない。
緊張感そのものがない。
だから書けない。

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●モヤモヤ

 ワイフがこう聞いた。
「毎日、毎日、よくもまあ、そんなに書くことがあるわね」と。
それについて、私はこう答えた。
「あるよ」と。

 何かの話を聞く。
あるいは何かの本を読む。
そのときは、「そうだな」と思う。
(そういう意味では、私は割と、すなおなところがある。)
しかししばらくすると、頭の中がモヤモヤしてくる。
「そうかなあ?」と思ってみたり、「そうでもないのではないぞ」と
思ってみたりする。
するとやがて、頭の中がモヤモヤしてくる。
何だかよくわからないが、モヤモヤしてくる。
そこで私はおもむろにパソコンに向かって、キーボードを叩き始める。

するとたちまち、ちょうど氷が四方八方に割れるかのように、バリバリと
あちこちに火花が飛ぶ。
同時に中心に、「核」のようなものが見えてくる。

 あとは、それを叩き出すだけ。
文として、まとめるだけ。
調子のよいときは、ピアノの演奏家が鍵盤を叩くように文が、画面に出てくる。
調子の悪いときは、何度も書き直す。
こうしてひとつのエッセーが生まれる。

 が、ここで注意したいことがある。
偉そうなことは言えないが、たとえボツと思っても、けっしてあきらめては
いけないということ。
モヤモヤを感じた以上、そこにはかならず何かがある。
その何かを吐き出すまで、推敲に推敲を重ねる。
モヤモヤが、重ければ重いほど、推敲を重ねる。
するとやがてモヤモヤが、ひとつの塊(かたまり)になってくる。

 こうして私は、自分の原稿を書く。
ボツにしたことは、めったにない。
ボツにするということは、時間を浪費したことになる。
だからどんなことをしても、まとめる。
その根性がないと、エッセーは書けない。

 これは称して、「私のエッセー論」ということになる。
もちろん、私は私。
人それぞれ。
その人の思うところは、みな、ちがう。
そういうわけで私のエッセー論は、あくまでも私のもの。
何かの参考になればうれしい。

 そうそう大切なことを言い忘れた。
そのモヤモヤを叩き出したときの爽快感は、なにものにも
換えがたい。
それがあるから、私は文を書く。
文を書いているときは、本当に楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●人を愛するということ

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映画『歓びを歌にのせて』の中に、
こんなセリフがあった。
このDVDを見るのは、2度目。
星は5つの、★★★★★。

「顔を見ると幸せ
いつも想っている
いっしょにいると、とても幸せ
それが『その人を好き』という意味」と。

もう一度、まとめると、こうなる。

(1) 顔を見ると幸せ。
(2) いつも想っている。
(3) いっしょにいると、とても幸せ。

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●『許して忘れる』

 人は「愛」という言葉を、安易に使う。……使い過ぎる。
しかし愛ほど、実感しにくい感覚もない。
で、その愛の深さは、相手をどこまで許し、どこまで忘れるかで決まる。
英語では、『for・give & For・get』という。
「許して、忘れる」という意味である。
つまり相手に愛を与えるために、許し、相手から愛を得るために、忘れるという
意味である。
その度量の深さによって、あなたの愛の深さが決まる。

 では、自分自身では、どうすれば愛を実感することができるか。
「私は、あなたを愛している」と、どういうときに言うことができるか。
それが冒頭に書いた感覚ということになる。

(1) 顔を見ると幸せ。
(2) いつも想っている。
(3) いっしょにいると、とても幸せ。

●愛の実感

 失ってから、その価値をはじめて知るということは、多い。
健康しかり、若さしかり、そして子どものよさも、またしかり。
……ということは、前にも、何度か書いてきた。

 そこでここでは、その中身をもう一歩、深めてみる。

 実は「愛」も、「愛する人」を失って、それがどういうものだったかが、
わかる。
それまではわからない。
そのときは、まるで空気のようなもの。
いないとさみしい。
その程度。
そこで先の言葉に、いろいろつなげてみる。

(4) その人がそばにいると安心する。
(5) その人が何をしても、気にならない。
(6) その人がうれしそうだと、自分も楽しい。

 それが「その人を愛している」ということになる。

●身勝手な愛

 一方、身勝手な愛というのもある。
たいていは、心のどこかで(毒々しい欲望)と結びついている。
よい例が、ストーカーと呼ばれる人たちの愛である。
「いつもその人のことを想う」のは、その人の勝手だが、それでもって、「私は
その人を愛している」と錯覚する。
相手の気持ちなどお構いなしに、その人を追いかけ回したりする。

 が、これはある意味で、特殊な人たちの話。
(とは言っても、だれにでもストーカー的な要素はあるし、ストーカーをする人に
しても、そうでない場面では、ごくふつうの人だったりする。)

 実は、親子の間の「愛」についても、同じことが言える。
もしあなたが、自分の子どもといっしょにいるとき、それが楽しいなら、あなたは
子どもを愛しているということになる。
一方、子どもの側からみて、あなたという親といっしょにいるとき、それを楽しい
と思うなら、あなたの子どもは、あなたを愛しているということになる。

 が、現実はきびしい。
子どもも思春期を過ぎると、親子関係がうまくいっている家族となると、
10に1つもない。
(親は、「うまくいっている」という幻想を、いつまでも抱きやすいが……。)

そこであなたも、一度、自分の子どもにこう聞いてみるとよい。
「あなたは、お母さん(お父さん)といっしょにいると、楽しい?」と。
そのときあなたの子どもが、「楽しい」と答えれば、それでよし。
しかし「楽しくない」とか、「いっしょにいると苦痛」とか言うようであれば、
あなたの親子関係は、崩壊寸前、もしくは、すでに崩壊しているとみてよい。

 ひとつの診断法として、こんなことを観察してみるとよい。
あなたの子どもが学校などから帰ってきたとき、どこで体を休めるか。
(1) あなたのいる前で、平気で体を休める。
(2) あなたの姿を見たり、気配を感じたりすると、どこかへ逃げて行く。

 もし(1)のようであれば、あなたの親子関係には、問題はない。
が(2)のようであれば、「かなり危機的な状態」と判断してよい。

 ……とまあ、そこまで単純に考えてよいかどうかという問題もあるが、ひとつの
目安にはなる。

●物欲

 そこであなたが、もし祖父母なら、こう考えるかもしれない。
「子ども(孫)を楽しませてやろう」と。
そして子どもの物欲を満足させるために、あれこれといろいろ買ってやる。
そのとき子ども(孫)は、それに感謝し、喜ぶかもしれない。
しかしこうした満足感は、長続きしない。
数日もするとドーパミン効果は、脳のフィードバック現象によって、消失する。

(注:ドーパミン……欲望と快楽を司る、神経伝達物質。
フィードバック……脳内でホルモンの分泌により、あるひとつの反応が起きると、
それを打ち消すために、正反対のホルモンの分泌が始まる。それを「フィードバック」という。)

が、なおまずいことに、こうした満足感には麻薬性があり、幼いころには1000円の
もので満足していた子どもも、中学生になると、10万円のものでないと、満足
しなくなる。

 同じ「楽しい」という言葉を使うが、「いっしょにいると楽しい」というときの
(楽しい)と、「欲望を満足して楽しい」というときの(楽しい)は、まったく
異質のものである。

だからあなたの孫が、「おばあちゃん(おじいちゃん)といると楽しい」と言っても、
それで安心してはいけない。
あなたは孫に愛されていると思ってはいけない。
これは余計なことだが……。


●子どもの受験競争

 子どもの受験競争に狂奔する親は、少なくない。
親は、「子どものため」と思ってそうするが、子どものほうこそ、いい迷惑。
親は、自分が覚える不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。

 そこで改めて、自分にこう問うてみるとよい。

(2)「私は子どもといっしょにいると、楽しいか」と。

 あるいは、

(2)「私の子どもは、私といっしょにいると、楽しそうか」でも、よい。

 もしあなたが子どもといっしょにいるとき、楽しいなら、それでよし。
あなたの子どもも楽しそうなら、さらによし。
が、そうでないなら、あなた自身が「愛」と思っているものを、一度、疑ってみたら
よい。

 たいていのばあい、あなたはただの幻想にしがみついているだけ。
「私は子どもを愛している」という幻想。
「私は子どもたちに愛されている」という幻想。
子どもの心は、とっくの昔に、あなたから離れている。
が、自己中心性の強い人ほど、それがわからない。

毎日、毎晩、「勉強しなさい!」「ウッセー!」の大乱闘を繰り返す。
しかしそれは、とても残念なことだが、「愛」によるものではない。

●愛

 人を愛することができない人は、人に愛されることもない。
だから人に愛されたいと思うなら、まず人を愛する。
マザーテレサもこう言っている。
「愛して、愛して、愛しなさい。心が痛くなるまで、愛して、愛して、愛しなさい」
と。

 私たち凡人には、そこまでは無理かもしれない。
しかし努力することはできる。
その相手は、夫(妻)であり、子どもということになる。
もちろん親でもよい。

 で、その愛が相手の心に届いたとき、その相手は、「あなたといると楽しい」となる。
つまりその相手も、あなたを愛するようになる。
何がこわいかといって、この世の中で、「だれにも愛されないという孤独」ほど、
こわいものはない。
が、その孤独も、人を愛することによって、和らげることができる。

 ……などなど。
「愛」ほど、実感しにくい感覚もない。
また「愛」ほど、相手の中に見つけにくい感覚もない。
が、映画『歓びを歌にのせて』は、そのヒントを私に教えてくれた。
またそういう映画を、名画という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 愛の原点 愛とは はやし浩司 愛の意味 愛の内容 愛論 歓びを歌にのせて 愛の意味)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●ニヒリズム

 このところ何を考えても、「どうでもいいや」という心が、ふと頭を出す。
新聞を読んでも、雑誌を読んでも、ふと頭を出す。
今日の昼も、黄海の南北境界線あたりで、韓国とK国が銃撃戦を交わしたという
ニュースが報道された(09-11-10)。
韓国軍側には死傷者は出なかったというが、K国側の警備艇は半壊の状態で、
K国側に逃げ帰ったという。

 その記事を読んだときも、「どうでもいいや」と思った。
銃撃戦を交わしている一方で、韓国は食糧援助をしている。
開場という工業団地では、K国の従業員を雇い、K国政府に現金を、直接渡している。
K国自体も、そういう韓国を見透かして、核兵器を作るための核開発を進めている。
何が、境界線だ!
何が、銃撃戦だ!

 「国」というのが、バラバラになって、そのバラバラになった国の断片が、それぞれ
別のことをしている。
つまり一貫性がない。
私には、どうしても理解できない……というよりは、考えれば考えるほど、頭の中が、
同じようにバラバラになってしまう。

●一貫性

 たとえば私は、一度でも、その人を批判したり、中傷したことがある人とは、
つきあわない。
相手についても、そうで、私のことを批判したり、中傷している人とは、つきあわない。
こうして毎日、何かの文章を書いているが、その中ででも、そうだ。
(その人)と意識して、批判したり、中傷したようなばあい、いくらその人とわからない
ように書いたとしても、つきあわない。

 中には、陰で、私の悪口を言いふらしながら、年始には年賀状を送ってくれる
人がいる。
が、私には、そういう器用な芸当はできない。
できないから、無視する。
「一貫性」というほど、大げさなものではないかもしれない。
しかしそんなことをしていたら、私自身がバラバラになってしまう。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●国家の意思(日本の教育、私の教育論)

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国によって、教育は異なる。
国として、どういう子どもに育てたいか。
そのとき国家として(意思)が働く。
教育の内容は、その意思に応じて、異なる。

日本には日本の、国家としての意思がある。
アメリカにはアメリカの、国家としての意思がある。
中国には中国の、国家としての意思がある。
その意思に応じて、国家は子どもの教育を組み立てる。

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●もの言わぬ従順な民

 (もの言わぬ従順な民)の反対側に位置するのが、(ものを言う独立心の旺盛な民)
ということになる。
こと(組織)ということを考えるなら、(もの言わぬ従順な民)のほうがよい。
つまり明治以来、それが日本の教育政策の(柱)になっていた。

 一方、アメリカやオーストラリアでは、日本でいうような巨大企業が育ちにくい。
とくにオーストラリアでは、そうだ。
オーストラリアの街角を歩いていて気がつくのは、車の側面に、でかでかと看板を
描いて走る車。
「パイプ修理」「電気工事」「ネットサービス」「運送」などなど。
まさに何でもござれ。
それを見ながら、オーストラリアの友人は、こう話してくれた。

 「オーストラリアでは大企業は育たない。若者たちは、高校を卒業すると、
電話と車だけで、仕事を始めるようになる」と。

●不利イ~タ~

 (もの言わぬ民)から、(ものを言う民)、
(従順な民)から、(独立心の旺盛な民)へ。
今、この日本人は急速に変わりつつある。

が、この日本では(独立心の旺盛な民)は、あまり歓迎されない。
奈良時代の昔から、『和を以(も)って……』という、お国柄である。
で、今、独立して、ひとりで生きている人のことを、「フリーター」と呼ぶ。
「フリーター」というのは、昔風に言えば、「無頼」、あるいは「風来坊」。
社会が未成熟というか、フリーターを受け入れる土壌そのものが、育っていない。
何かにつけて、フリーターは、不利である。
だから「フリーター」のことを「不利イ~タ~」と書く。
(これは私の駄ジャレ。)

 一方、オーストラリアでは、年金制度にせよ、社会保障制度にせよ、職種によって、
差別しない。
官民の差は、ない。
その年齢になれば、みな、一律に年金が支給される。
「それ以上に……」と思う人は、あらかじめ保険会社などと契約をし、お金を積み立てて
いく。
保険制度についても、そうである。

驚いたのは、救急車を呼んでも、あとで請求書が回ってくるということ。
1回で、3~5万円(南オーストラリア州、私の息子の例)。
相手によって、差別しない。
そういった出費は、保険に入っていれば、そのまま返金される。

●キャンピング

 国策として大企業、もしくは組織(軍隊)に有用な人材を育てるには、
(もの言わぬ従順な民)のほうがよい。
そのためには、子どもがまだ小さいうちから、徹底して集団教育を繰り返す。
「集団からはずれると、生きていけませんよ」という意識をもたせる。
この日本が、そうである。

ほとんどの親は、自分の子どもが集団からはずれることを、極端に恐れる。
自分の子どもが不登校児になったりすると、狂乱状態になる。
骨のズイまで、学歴信仰がしみこんでいる。

 教師は教師で、(最近はそういう教師は少なってきたが)、子どもが学校を
休んだりすると、「後れます」という言葉を使って、親をおどす。
しかし、何から後れるのか?
どうして後れるのか?

 この点、オーストラリアでは、その反対のことを教える。
たとえば「キャンピング」という科目がある。
原野(アウトバック)で、生き延びる術(すべ)を学ぶ。
そこで私が、メルボルンにあるグラマースクール(小中学校)のひとつに電話を
かけ、それを確かめたところ、電話に出た事務員の男性は、こう話してくれた。
「必須科目(コンパルサリー)です」(ウェズリー・グラマースクール)と(1990年ごろ)。
(しかし最近、オーストラリアの友人にそれを確かめたところ、「unlikely(ありえない)」
という返事をもらった。※)

 また私が留学していたころ、日本でいう大学入試センター試験のようなもの
があった(1970年ごろ)。
その結果に応じて、学生たちは自分の選んだ大学へ進学できる。
その試験の直前に、受験生たちはみな、1週間程度のキャンピングに行くということ
だった。
私が理由を聞くと、「実力を正しく評価するため」と※。
(しかしこれについても、オーストラリアの友人から、「キャンピングが義務になって
いるということは、まったくありえない」という返事をもらった。)

 つまり日本式の、詰め込み学習を排除するため……と、当時の私は、そう解釈
した。

 話がそれたが、「独立(independent)」に対する考え方そのものが、日本と欧米
とでは、異なる。
それが日本の教育であり、それが欧米の教育ということになる。

●国家の意思

 どちらがよいか。
どちらが、これからの日本の教育として、望ましいか。
(もの言わぬ従順な民)のほうがよいのか。
それとも(ものを言う独立心旺盛な民)のほうがよいのか。

 しかしこの視点そのものが、実はおかしい。
「国の意思」とは言うが、では、その「国の意思」はだれが作るか。
独裁的な為政者が作るか、それとも国民自身が総意として作るか。
それによって、中身が大きく変わってくる。

つまり独裁的な国家では、(民)を国家の財産として考える。
「国あっての民」と考えるとき、そのとき、国家の意思がそのまま
その国の教育に反映される。
為政者も、「わが国民」などと、まるで国民を私有物であるかのように言う。

 たとえば中国では、上も下も、「立派な国民」という言葉を使う。
しかしそういう中国を私たちは笑うことはできない。
一昔前、つまり私たちが子どものころは、「役に立つ社会人」というのが、
教育の(柱)になっていた。
卒業式などのときも、それこそ耳にタコができるほど、そう言われた。
「どうか社会で役立つ人になってください」と。

 国家の意思……その意思に添って、その国の民は作られる。
教育によって、作られる。
「作られている」という意識をもつこともなく、作られる。
今のあなたのように……。

【補記】

●みなが、大企業に!

 私たちは日本が、ちょうど高度成長の波に乗るころ、社会に送り出された。
だから就職というと、だれもが迷わず、大企業を選んだ。
「大きければ大きいほど、いい」と。

 そして企業戦士となり、一社懸命に、その会社のために励んだ。
「それが人として、なすべき道」と。

 しかしこれはあくまでも私のばあいだが、私はオーストラリアへの留学中に、
その考え方が、ひっくり返されてしまった。
とくにショックだったのは、日本の商社マン(Business Men)が、「軽蔑されて
いた」ことだった。
これには驚いた。
心底、驚いた。
私は、M物産という会社から内定をもらっていたので、よけいに驚いた。
(このことは、『世にも不思議な留学生活』(中日新聞掲載済み)に書いた。)

 国がちがえば、職業に対する価値観そのものまで、ちがった。
それを思い知らされた。
で、しばらくして、私の考え方は、180度変わった。

 もちろん私の考え方が、正しかったというのではない。
それでよかったというわけでもない。
今の日本があるのは、企業戦士であるにせよ、一社懸命であるにせよ、
そういうところで懸命に働いた人たちがいたからである。
また私のような生き方をしていた人も、当時はまわりに、10人ほどいた。
しかし私をのぞいて、みな、ことごとく、事業に失敗したりし、そのあと、
どうかなってしまった。

 「フリーター」という言葉すら、ない時代だった。

 損か得かということになれば、この日本では、フリーターは決定的に不利。
損!
たとえばM物産の社員だったとき、うしろの席に、TJという同期入社の男がいた。
彼はそののち、政府の諮問機関の委員になり、活躍した。
今はHT首相の、首相顧問として活躍している。
そういう現実を見せつけられると、果たして私の選択が正しかったのかどうか、
それがわからなくなる。

 で、今度は、視点を国民側、つまり「民」に置いてみる。
「どういう生き方が、個人の生き方として、ふさわしいか」と。
すると、教育に対する考え方が、一変する。

 たとえばアメリカなどでは、教師が親に、子どもの落第を勧めると、
親は、喜んで、それに従う。
「そのほうが子どものためになる」と、親は考える。
この(ちがい)こそが、日本とアメリカのちがいということになる。
「国」の立場で教育を考えるのか、「子ども」の立場で教育を考えるのか、
そのちがいということになる。

 が、悲観すべきことばかりではない。
この10年で、日本というより、子どもをもつ親の意識が大きく変わった。
まさに「劇的な変化」。
「サイレント革命」と名づける人もいる。

 結果、たとえば今では子どもの障害についても、それを前向きにとらえる人が
ふえてきた。
(隠さなければならないこと)と考える人は、少ない。
障害児教育の拠点校になっている、ある小学校の校長は、こう話してくれた。

「10年前には、考えられなかったことです。今では、この小学校に入学するために、
わざわざ住所を変更してやってくる親もいます」と。

 私たちはこうした意識を、けっして後退させてはならない。
はじめに「国」があるわけではない。
(そういう部分も必要だが、あくまでも「部分」。)

はじめに「民」がいる。
「子ども」がいる。
そういう視点から、教育がどうあるべきかを考える。
教育を組み立てる。

 みながそう考えれば、結果は、あとからついてくる。
この日本の教育は、変わる!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 日本の教育 教育論 教育はどうあるべきか はやし浩司 教育論)

(注※)

 南オーストラリア州に住む友人に、このことを確かめると、その返事が届いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hi Hiroshi,
ヒロシへ、

I will find out about camping trips in the local schools and ask Andrew
& Elizabeth what they did at their school (Pembroke) in Adelaide.
キャンプについては、息子と娘に、何をしたかをたずねてみる。

I think it is unlikely a camping trip would be compulsory just before
year 11 & 12 exams and almost certainly not a requirement for University
entrance.
11学年と12学年以前に、キャンピングが義務教育ということは、ありえない。
大学の入試のために必要ということは、まったくありえない。

However camping is likely to be in the curriculum in most years after
years 5 or 6 as part of the broad life-skills education.
しかし5歳とか6歳以後は、生活力教育という意味において、カリキュラムになっている
ということはありえる。

Camping trips are most likely to occur in our spring which is towards
the end of our school year.
キャンピングは、学年末の春になされることが多いようだ。

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Hi Hiroshi,
(ヒロシへ)

I had a talk to both the state Primary school headmistress & the
recently retired state High school headmaster about camping.
最近小学校の校長と、州立高校の校長をしていた人と、キャンピングについて
話した。

Basically there is, in the curricula, Physical Education, Outdoor
Education and year camps.
基本的には、体育、野外活動、そして年度末のキャンプのカリキュラムはある。

These are all different things but do overlap a bit. Camping starts at
year 4. Usually for a week. They are not compulsory & not a
pre-condition for university entrance.
これらはみな、別個のものだが、少し重なる部分もある。
キャンプは、小学4年のときに始まる。
それらは義務教育でもないし、大学入試のための前提条件でもない。

Search around in http://www.decs.sa.gov.au/portal/learning.asp for the
South Australian policies & curricula.
オーストラリアの政策とカリキュラムについては、このサイトをさがして
みたらよい。

I can find out a bit more from the people involved in outdoor ed etc at
both schools if you can give me specific questions to ask.
何か特別な質問があれば、野外活動教育に携わった人から、もっと情報を
手に入れることができる。

Cheers,

B

Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

Dear B,

How are you these days?

By the way I’d like to write this mail to know or to make sure whether it is correct or not about the education in Melbourne now.

When I was in Melbourne around 1970’s, some of the students told me that all the high school students in leaving year were compulsory to go camping before they receive the so-called national certification examinations to enter the universities, and with the results of the examinations students could choose the university.

This is the point which I’d like to make sure, if it is the same now, I mean that if the students should go camping for a week or so before the examinations and if it is the same that students choose the universities to which they should enroll themselves according to the results of the examinations.

As you may know, the education systems are so much different between two countries. I am keenly interested in this matter now.
Or is “Camping” still a compulsory subject for students of grammar schools in Melbourne?
That is what I heard over the phone from a staff of a grammar school in Melbourne almost about ten years ago.
We in Japan don’t have such and such subject for students and of course it is not compulsory.
(Pupils or Jr. High school students go camping or so in a training centers just for a different purpose in Japan.)

So again here I summarize the points.

(1) Do students go camping just before the examinations?
(2) Is the subject “Camping” compulsory still now?

Thank you for your kind advice about this matter.

It is now winter time here in Japan.
It is sometimes cold, but most often, it is much warmer than usual years.
I hope you and your daughter with new baby are all well and we wish you a very Merry Christmas time this year.

Hiroshi Hayashi

Hamamastu-city, Japan

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(以下、手紙の要約)

B君へ

1970年ごろ、ぼくは、センター試験を受ける高校生たちが、その試験の前、
1週間ほど、キャンプに行くという話を聞いたことがあります。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。
またメルボルンのグラマースクールでは、キャンピングという科目が、必須科目
だと10年ほど前に聞きました。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。

はやし浩司

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中国の「立派な国民」教育について書いた原稿です。
(中日新聞にて発表済み)

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●急速に崩壊する「出世主義」

  「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」と。日本では出世主義が、教育の柱になっている。しかし殴米では違う。アメリカでもフランスでも、先生は、「よき家庭人になれ」と子どもに教える。「よき市民になれ」と言うときもある。先日、ニュージーランドの友人に確かめたが、ニュージーランドでも、そういう。オーストラリアでも、そういう。私は、日本の出世主義に対して彼らのそれを勝手に、家族主義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけではない。彼らにしてみれば、それが常識なのだ。

 日本人はこの出世主義のもと、仕事を第一と考える。子どもでも、「勉強している」と言えば、家事の手伝いはすべてに免除される。五十代、六十代の夫で、家事や炊事を手伝っている男性は、まずいない。仕事がすべてに優先される。よい例が、単身赴任。かつて私のオーストラリアの友人は、こう言った。「家族がバラバラにされて、何が仕事か」と。もう三十年も前のことである。

こうした日本の特異性は、日本に住んでいると分からない。いや、お隣の中国を見れば分かる。今、中国では、「立派な国民」教育のもと、徹底した出世主義を子どもたちに植えつけている。先日も北京からきた中学教師の講演を聞いたが、わずか一時間前後の話の中に、この「立派な国民」という言葉が、十回以上も出てきた。子どもたちの大多数が、「将来は科学者になって出世したい」と考えているという。

 が、この出世主義は、今、急速に音をたてて崩れ始めている。旧来型の権威や権力が、それだけの威力をもたなくなってきている。一つの例が成人式だ。自治体の長がいくら力んでも、若者たちは見向きもしない。ワイワイと騒いでいる。ほんの三十年前には、考えられなかった光景だ。私たちが二十歳のときには、市長が壇上にいるだけで、直立不動の姿勢になったものだ。

が、こうした現象と反比例するかのように、家族を大切にするという人が増えている。一九九九年の春、文部省がした調査でも、四〇%の日本人が、もっとも大切にすべきものとして、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、四五%。一年足らずの間に、五ポイントも増えたことになる。もっとも、こうした傾向を嘆く人も、多い。出世主義を信奉し、人生の大半を、そのために費やしてきた人たちだ。あるいはそういう流れを理解できず、退職したあとも、過去の肩書や地位にこだわっている人だ。

こういう人たちにとっては、出世主義を否定することは、自らの人生を否定することに等しい。だから抵抗する。狂ったように抵抗する。ある元教授はメールで、こう言ってきた。「暇つぶしにもならないが」と前置きしたあと、「田舎のおばちゃんなら、君の意見をありがたがるだろう。しかし私は君の家族主義を笑う」と。しかしこれは笑うとか笑わないとかいう問題ではない。それが日本の「流れ」、なのだ。

 今でも日本異質論が叫ばれている。日本脅威論も残っている。その理由の第一が、日本人がもつ価値観そのものが、欧米のそれとは異質であることによる。言い換えると、日本が旧来の日本である限り、日本が欧米に迎え入れられることはない。少なくとも出世主義型の教育観は、これからの世界では、通用しない。

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つづいて、『世にも不思議な留学記』に書いた原稿を
紹介します。(中日新聞にて発表済み)

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イソロクはアジアの英雄だった【2】

●自由とは「自らに由る」こと

 オ-ストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味だ。こんなことがあった。

 夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一人、二、三ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、二〇ドルの罰金ということになっていた。で、私たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑いながら、黙ってそれを受け取ってくれた。

 消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メ-トルは吹っ飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんなこともあった。

 一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその朝、ガ-ルフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び込み、ベッドごと二人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運んだ。公園といっても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。

 ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえると、二人は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑った。公園にいた人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと白かった。

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「おめでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。彼は「ブタ」という言葉を使った。

 あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはまったくちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、と考えていたようだ。また別の日。

フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」と。「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、伝統ある軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコ-ル、出世を意味していた。

 マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進するだけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になったという暗い歴史がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそんなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあるごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言っていた。ほかに自慢するものがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。

 私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策の中でつくられたものだった。私は、それを思い知らされた。

 時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

(補記)

 キャンピングに力を入れているということは、学校のカリキュラムを見てもわかる。
たとえば、Darley Primary School の第4学期のカリキュラムにはつぎのようにある。

(第4学期)

Safety in Adventure
& Teamwork
(野外活動における安全性とチームワークについて)

Health & P.E. + Interpersonal Learning
(保健と体育+人間関係の学習)

•Students develop their skills and strategies for getting to know and understand each other within increasingly complex situations.
•In teams, students work towards the
achievement of agreed goals within a set time frame.
•They develop awareness of their role and responsibilities
in various situations and interact accordingly. Students begin to be aware that different points of view may be valid.
•They begin to selfevaluate and reflect on the effectiveness of the teams in which they participate.
•Students follow safety principles in games and activities.
•They identify basic safety skills and strategies, and describe methods for recognising and avoiding harmful situations.

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 出世主義 家族主義 独立 子どもの自立 はやし浩司 camp
camping 野外活動)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++

【資料】A

(Pembroke SchoolのWebsiteより)

The Outdoor Education programme complements the academic and co-curricular life of the School.
Designed to promote enjoyment of and respect for the Australian outdoors, the programme provides students with the opportunity to develop both skills and knowledge for responsible interaction with their environment.
The Junior School Camping programme includes students visiting and/or staying in places such as Sovereign Hill in Ballarat, Kangaroo Island, the Murray Lands, the Adelaide Hills and the Mid North of South Australia.
The base for the Outdoor Education programme in the Middle School is Old Watulunga, a 17 hectare property on the Finniss River, 75 kilometres south of Adelaide. Students in Years 7, 8 and 10 participate in camps based at Old Watulunga and develop skills in canoeing, sailing, bushwalking, rock climbing, and orienteering. Year 9 students travel to the Yorke Peninsula, west of Adelaide, for an Aquatics camp.
Senior School students can study Outdoor and Environmental Education as a SACE Stage 1 and Stage 2 subject.
Regular adventure expeditions are also offered to current students and parents. In recent years these expeditions have included treks to Nepal, Northern India and the Kimberleys.


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【資料】B

OUTDOOR EDUCATION - A GROWTH INDUSTRY(オーストラリア政府指針より)

Once upon a time, your average secondary-school camp involved boarding a bus with a few days’ clothes and a sleeping bag, taking off – with the two teachers who drew the short straws – for a barely liveable old farmhouse or camping ground, and arriving home a few days later with little you as student could quantify as having been gained from the experience except a pile of dirty clothes.

Many of the staff members still teaching in Australian schools will remember those days – with fondness, horror, or something of both.

But there’s little resemblance between those adventures and the adventures now offered as part of the outdoor education curriculum in many states, and in many schools. Now, schools send their senior students to purpose-built facilities with full-time staff trained to offer a 24-hour program of activities designed to reflect the philosophical and humanistic guidelines of a 21st-century Western education.

Scott Polley is a lecturer in the School of Health Sciences at the University of SA; with a background in nursing and physical education he completed a Master of Education (Outdoor Education) from La Trobe University and he now co-ordinates UniSA’s outdoor education program. He says the place of outdoor education in the secondary-school curriculum has changed from “adding 1+ 1” to a subject area that produces students who can work in groups, solve problems, critically analyse aspects of society,” and examine their own identities.

“It’s about learning about the environment, learning about themselves and leadership, and, I guess, taking self-reliant journeys under the supervision of teachers,” Polley says.

Yet within the broad philosophies behind contemporary education ideals, there exists a wide variety in what is offered as outdoor education in Australian schools. Part of that is due to the curriculum offered by each state; Victoria, Western Australia, South Australia and the Northern Territory include as senior-school subjects “outdoor education” or “outdoor and environmental studies”, while other states offer related subjects.

With peers including Peter Martin of La Trobe University, Polley in 1999 conducted a survey of SA and Victorian schools, attempting to discern “what was being done” in outdoor education at that time.

They found that about 85 per cent SA schools, for instance, offered “some level of outdoor education”, and that the most common way was through the school’s physical education program. In addition, about 60 per cent of senior-school physical education included outdoor education as a component.

Yet even within that one state, the offerings varied. In city-based government schools, outdoor education was, he says, “in decline or static”. In city-based non-Catholic schools, outdoor ed was “growing”, yet in the city Catholic schools, it “didn’t seem to be going anywhere”.

In the government schools outside the metropolitan area, however, outdoor education was growing, and obviously so. And the reasons – in every case – had a lot to do with the staff.

“The one thing we did find made the most difference to what outdoor education was offered in schools was the teachers,” Polley says. “If the teachers are enthusiastic, that’s the factor that’s going to most influence the outdoor education offerings in a particular school – closely followed by the principal, and the importance he or she places on it.

“At one end of the spectrum you have schools that embeds ideas of adventure, learning and the environment right through the curriculum, and at the other end are those that basically say, ‘why do we have to send kids outdoors?’

“But broadly, I’d suggest, support is growing rather than reducing. And one indicator of that is the number of graduates in jobs. I’m often getting calls from people looking for graduates – for jobs in eco-tourism, in private outdoor-education companies, in schools. When I did my course there were a limited number of people with an outdoor-ed background; now there are a lot more, yet there’s still a lot more demand. That’s the best guide I can give that things are still growing.”

So in schools where teachers were older, or trained when more specific outdoor education programs were unavailable, it was less likely that the importance of outdoor education would be emphasised. “Teachers are getting older in the city,” says Polley, “and so are becoming more reluctant to do it.” It’s to the country, he points out, that recent teaching graduates find their first positions.

When asked what were the reasons for “offering or not offering” outdoor education, the most commonly mentioned factors among teachers and principals were the age of the teachers, the lack of flexibility among staff and the time away from school.

The fear of litigation – which the researchers had expected to be a major concern at a time of highly publicised adventure accidents and related insurance problems – was not widely nominated as a major factor. “Generally, the response was, ‘we’re not offering it because of staffing issues’,” Polley says.

It’s possibly not surprising, then, that Polley says the most significant change in outdoor education in recent years is the growing influence of the private providers of outdoor education – those companies sub-contracted by schools to take responsibility for providing the school’s outdoor education programs. More and more schools are choosing that option, Polley says, largely due to the problems it alleviates in terms of staffing, specialist qualifications, equipment and other costs.

Yet Polley says the growth in the private providers – both in numbers and in the size of individual companies – did not seem to have occurred at the expense of physical-education teaching jobs in schools.

(The Australian Directory of School Activities Excursions and Accommodations)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

【雑感・あれこれ】

●沖縄の苦悩vs日米関係

今、日米関係が、大揺れに揺れている。
「戦後、最大の危機的状況にある」と説く人もいる。
よい状態とは言えないが、「危機的」というのは、どうか?
また危機的であるといっても、日本がアメリカを必要とするのと同じくらい、
アメリカも日本を必要としている。
戦後一貫して、紙くず同然になったドル紙幣を買い支えてきたのは、ほかならない、
この日本である。
今の今も、買い支えている。
その地位を、今、中国に譲りつつあるが、それでも、日本あってのアメリカ。
言うなれば、もちつ、もたれつの関係。
もしこの日本が手持ちのドルのうち、5%でも、ユーロに換えたらどうなるか?
アメリカはそのまま大恐慌に陥る。

が、ある程度の清算は必要かもしれない。
たとえば沖縄。
沖縄の人たちが強いられている負担感には、相当なものがある。

そういう負担感を知りつつ、私たちは、知らぬフリをつづけている。
「私には関係ない」と。
そのニヒリズムこそが、問題。
今、こういう形で、問いなおされようとしている。

沖縄の問題は、私たち自身の問題である。
が、それでもニヒリズムを決め込むとしたら、あなたの町にアメリカ軍の基地が
移設されても、文句を言わないこと。

……と書くのは、少し過激な意見だが、
しかしこの問題は、そういう問題である。

●マンション建設反対運動

 ところで私の住む家の近くの丘の上に、マンションが建設されることになった。
もう5年ほど、前のことである。
そのとき、その周辺の住民たちが、建設反対運動を始めた。
同時に、はげしい文句の看板が、無数に並んだ。
「地獄へ落ちる」「自殺者続出」「のぞき見反対」「ここはもと墓地」などなど。
「入居者にも責任を取ってもらいます」という旗も、無数に並んだ。

 私は、反対運動そのものよりも、そのはげしい文句に驚いた。
で、そのときのこと。
隣の町内の問題なのだからと、私たちは、当初から逃げ腰だった。
そこにマンションが建設されたところで、直接的な被害は、まったくない。
しかしその近隣の人たちにとっては、そうでなかった。
ときどき通りで、住民たちが10~15人単位で、デモをしているのを見かけた。

 が、ともかくも、マンションは建設されてしまった。
今年の夏ごろから販売が始まり、今のところそのうちの2~30%程度は、
すでに入居者が生活を始めている(09年終わり)。
が、当初の看板よりは少なくなったが、それでもマンション周辺の看板は、
今もそのまま残っている。

 立場が逆転した(?)。

 看板といっても、手書きのもの。
それにはげしい抗議の言葉は、そのまま。
「今さら反対運動をしたところで、どうしようもないではないか」というのが、
私というより、このあたりに住む人たちの共通した感想。
むしろそういった看板のほうが、景観を損ねている。

 が、今まで反対してきた人たちにとっては、そうでない。
挫折感も大きいだろう。
敗北感もある。
「マンションは建ってしまった」「だから反対運動はやめます」「看板を撤去します」
というわけにはいかない。
その気持ちは、痛いほど、よくわかる。
もしこのとき、「それは隣の町内の問題で、私たちには関係ない」と決め込むとしたら、
あなたの家の隣にマンションが建っても、文句は言わないこと。
……と書くのも、少し過激な意見だが、
しかしこの問題は、そういう問題である。

 で、私は今、ふと考えた。
もし私の家の隣地に、10階建てのマンションが建設されることになったら、
私はどうするか、と。
やはり反対運動を起こすかもしれない。

●ニヒリズム

 が、沖縄の基地周辺に住んでいる人たちの思いは、そんなものではない。
アメリカ軍の戦闘機が離着陸するたびに、「鼓膜が破れんばかりの騒音」(テレビ報道)
になるという。
私も何度か、アメリカ軍の戦闘機の離着陸の様子を見たことがあるが、たしかに
ものすごい。
浜松には浜松基地(航空自衛隊)があるが、騒音の質そのものがちがう。
アメリカ軍の戦闘機のそれは、バリバリと頭から体を叩きつけるような騒音。
それと比べたら、日本の自衛隊のそれは、ゴーッという、ただの騒音。
そうした騒音に、今の今も、戦後何10年にわたって、沖縄の人たちはさらされている。

そういう現状を知って、「日本の平和と安全のために、どうか犠牲になってください」
などと、どうして言えるか。

 が、ここでもあのニヒリズムが働いてしまう。
「私には関係ない」と。

●心の欠陥

 マンション建設問題とアメリカ軍の基地問題。
こうして並べてみると、そこに、ある共通点があるのを感ずる。

(1) 自分に関係のない問題については、人は、それを避ける傾向がある。
(2) 避けるについては、それなりの理由づけをして、自分を正当化する傾向がある。
(3) そのとき、脳は問題の大小を適切に判断できない。
(4) 問題の大小を適切に判断するのが、理性ということになる。

 とくにこの中で重要なのは、(3)の「問題の大小を適切に判断できない」という部分。
マンション建設問題は、マイナーな問題である。
しかし沖縄のアメリカ軍の基地問題は、メジャーな問題である。
ところがこの2つの問題が同時に脳の中に入ると、その「大小」が判断できなく
なってしまう。

 もっと極端な例では、これは私自身が経験したことだが、一方で天下国家を論じながら、
他方で、身内のささいな冠婚葬祭の問題で悩むことがある。
2つの問題が同時に頭の中に入ってくると、どちらが重大で、どちらが重大でないかが、わからなくなる。
その結果、本来どうでもよい、ささいな問題で心を煩わす。
私は、これは人間が本来的にもつ、心の欠陥のひとつではないかと考える。

●ニヒリズムと闘うために

 ニヒリズムを感じたら、それを「心の敵」ととらえる。
ニヒリズムに毒されると、人間性はかぎりなく縮小し、やがて心も腐り始める。
ピーター・サロベイが説く「人格の完成論」にしても、「他者との共鳴性」を重要視
している。
その人の立場になって、ものを考える。
それは人間が人間であるための、最低限の条件ということになる。
もしそれすらもできなくなってしまったら、人間も、それでおしまい。

では、どうするか。

 私はそういう点では、自分勝手で、わがまま。
自己愛者と言ってもさしつかえない。
心の中は、自己中心性のかたまり。
偉そうなことは言えない。

 そこで私が考えた方法は、前にも書いたが、相手の頭の中に自分を置いてみるという
方法。
この方法は、電車に乗っているときに、思いついた。
つまり相手の目を通して見ると、私はどういう人間に見えるかを、頭の中で想像してみる。
相手は、だれでもよい。
若い男でも、年老いた女性でも、だれでもよい。
子どもでもよい。
そうして自分の姿を客観的に見る。

 それができるようになると、つぎにだれかから相談を受けたようなとき、その人の
頭の中に、自分を置いて考えることができるようになる。
私の立場で、その人の問題を考えるのではなく、その人の立場で、その人の問題を
考えることができるようになる。

 こうして自分の中に潜む、邪悪なニヒリズムと戦うことができる。
が、これについては、最近、こんな経験をした。

 ある日、ある女性(70歳くらい)から、その女性の息子についての相談がもちかけ
られた。
息子夫婦が、離婚することになったという。
話を聞くと、息子の妻(その女性の嫁)の悪口ばかり。
で、その女性の相談というのは、「どうすれば、嫁に財産を分与しなくてすむか」という
ものだった。

 そのときのこと。
私はその妻(その女性の嫁)のほうの頭の中に、自分を置いてしまった。
とたん、その女性(70歳くらいの相談者)の言っていることのほうが、理不尽に思えて
きた。
子ども(小学生の男女児)も、2人いるという。
が、一度そうなると、相談でなくなってしまう。
むしろ逆に、その女性(70歳くらいの相談者)のほうを、説教したくなってしまった。
そういうこともある。
これは余談。

 ともかくも、相手の頭の中に自分を置いてみるという方法は、結構、楽しいことでも
ある。
ニヒリズムと戦う、第一歩として、一度、あなたも試してみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ニヒリズム)

(補記)

●人格の完成論

ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。

(1) 自己管理能力
(2) 良好な対人関係
(3) 他者との良好な共感性


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

【沈まぬ太陽】

●「信念と良心の人」?

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公開中の映画『沈まぬ太陽』(WK監督)を劇場で見た。
その原作者で作家である、山崎豊子氏(84)が、このほど、
地元の堺市でWK監督と共に、その映画を鑑賞したという。
そして映画を観たあと、つぎのような感想を
述べたという(毎日JP)。

『映画は、人間の心の内を丹念に描いていて
見ごたえがありました。今の日本に必要なのは、
恩地(主人公名)のように、たった1人になっても筋を通し、
信念と良心を持ち続ける人。特に男の人たちに
見てもらいたい』(同)と。

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●日航123便の墜落事故

 日航123便の墜落事故について、毎日JPは、つぎのように説明する。
「ジャンボ機墜落事故を引き起こした航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする」と。

 つまり「航空会社(=日本航空)の組織的、構造的な問題があったから、ジャンボ機墜落事故は起きた」と。

 ここでいう「組織的、構造的」というのは、映画『沈まぬ太陽』を観るかぎり、会社の利益優先型の経営方針をいう。
事実、映画の中では、経営者たちは始終一貫して、(悪玉)として描かれている。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
そこで百歩譲って、もしそうだとするなら、つまり悪玉とするなら、事故の原因を、
もう一度丹念に、原因を検証してみる必要がある。

原因をオブラートに包んだまま、「事故の原因は、会社側の安全運航に対する努力怠慢である」と、短絡的に結びつけるわけにはいかない。
映画で表現されている労使紛争にしても、安全運航のための闘争というよりは、賃上げ闘争が主体になっていたはず。
(もし山崎豊子氏の論理が正しいとするなら、組合員も賃上げばかり主張しないで、
その分を、安全運行のために回せばよかったということになる。)

 が、ここで私たちは映画の映像トリックに、ひかかってしまう。

 映画『沈まぬ太陽』は、まず日航(JAL)123便の墜落事故から始まる。
その場面とケニア大使を招いた、パーティ会場が行き来し、やがて映画は、「~~年前」「~~年前」……と進行していく。

 そして結果として、(はげしい労使紛争)が、事故の原因であるかのような印象を観客に与える。
その(労使紛争)にしても、経営者側に責任があるかのような印象を観客に与える。
山崎豊子氏が言う、「信念と良心の人」(毎日JP)というのは、その労使紛争に巻き込まれ、その中で翻弄される恩地という名前の、1社員を言う。

 しかしここで誤解してはいけないのは、恩地といえども、1社員。
会社内部の人間である。
また墜落事故のあと、墜落事故の原因を究明したり、あるいは会社側の責任を追及した人でもない。
社長が交代したあと、今度は新社長の側近として活躍する。
経営者側の人間となる。
もちろんそれなりの高給で優遇されたはず。
最後はまた懲罰左遷(?)され、アフリカの地に戻っていくが、ここでも映画の映像トリックにひかかってしまう。

 海外勤務は、懲罰左遷なのか?

 で、当時の世相を振り返ってみると、日本航空にかぎらず、いわゆる三公社五現業と呼ばれた組織体の中では、日夜はげしい労使紛争が繰り返されていた。
三公社五現業というのは、日本国有鉄道、日本専売公社、日本電信電話公社(以上3公社)と、5つの現業官庁(郵政、国有林野、印刷、造幣、アルコール専売の各事業部門)をいう。

●疑わしきは罰する(?)

 話が大きく脱線する前に、ひとつ、明らかにしておきたいことがある。

恩地は、「信念と両親の人」という立場で、描かれている。
それはわかる。
が、その一方で、会社側の人間が、すべていかにも(悪玉)という立場で描かれている。
このあたりの描き方について、少し前に書いた原稿の中で、私は、一昔前の、チャンパラ映画のよう、と書いた。

 しかしこの手法には、たいへん問題がある。
何度も書くが、日本航空は、現在は、1民間会社である。
明らかにその民間会社とわかる形で、その経営陣を悪玉に仕立てあげるのはどうか?
江戸時代の代官を悪代官に仕立てあげるのとは、わけがちがう。

法律の世界には、『疑わしきは罰せず』という大原則がある。
が、この映画の中では、何の証拠も、また因果関係も示されないまま、「航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする」「それが日航123便の事故につながった」(毎日JP)という論理で(?)、日本航空を直接的に攻撃している。
「疑わしいまま、罰している」。
そういうことが許されてよいのか?

 仮に恩地が、「信念と良心の人」というのなら、当初は、組合の委員長だった人物が、のちに石坂浩二演ずる、新社長のもとでは、社長の最側近として働く。
どうしてそんな人物が、「信念と良心の人」なのか。

 さらに念を押すなら、恩地は、日航123便の墜落事故の原因を究明するために闘った人でも、また、事故のあと、会社の責任を追及した人でもない。
映画の中では、遺族との交渉係を務めた人である。
(この点についても、日本航空側は、そういう立場にあった人物は存在しなかったと社内報で書いている。)

●墜落事故の原因 

 墜落事故の原因については、いろいろな説がある。
公式には、圧力隔壁と呼ばれる後部の壁が破裂し、それが尾翼を吹き飛ばしたからということになっている。
しかしほかにも、尾翼のボルトが緩んでいたのが原因とか、アメリカ軍用機のミサイル誤射説などもある。

 どうであるにせよ、「航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする」というのは、あまりにもひとりよがり過ぎる。
当時の世相を振り返っても、当時はそういう時代だった。
労使紛争はあちこちで起きていた。
日本航空のことはよく知らないが、旧国鉄における労使紛争には、ものすごいものがあった。
そういう中で、懲罰左遷というのも、あったかもしれない。

しかしこの言葉は、当時、海外勤務をしていた人たちに対して、失礼極まりない。
商社マンのばあい、海外勤務はあこがれの的だった。
また当時は、2年程度を限度とする短期出張は当たり前だった。
短期出張は、単身赴任が原則だった。
それを「懲罰左遷」とは!

●日航123便

 さて本題。
作家の山崎豊子氏は、「犠牲になられた方、遺族の気持ちを思うと今も義憤にかられます」(毎日JP)と述べている。
山崎豊子氏にしてみれば、たとえ思い込みであるにせよ、そうとでも言わなければ、自分の立場がない。
つまり「義憤にかられて、あの本を書いた」と。

 しかしそうであるなら、また話は振り出しに戻ってしまう。
労使紛争と日航123便の事故が、どうして結びつくのか、と。
つまり山崎豊子氏としては、日本航空をどうしても悪玉に仕立てあげなければならない。
「義憤」という言葉も、そこから生まれた(?)。
が、どうして義憤なのか?

 もし日本航空に「組織的、構造的な問題」があったとするなら、それを追及してこそ、「信念と良心の人」ということになる。
私には、恩地なる人物には悪いが、恩地という人は、やはりただの会社人間にしか見えない。
殴られても、蹴られても、会社にしがみつく……。
「一社懸命」という言葉は、そういう人のためにある。

繰り返すが、その「組織的、構造的な問題」を追及した人ではない。
会社の裏命令で、恩地は労働組合の委員長になり、労使紛争の茶番劇を演じて見せる。
が、それをやり過ぎたため、アフリカと中東に左遷。
今度は新社長に呼び戻されて、再び本社勤め。
その過程で、恩地は、安全運行についての発言は、一度も行っていない。
それもそのはず。

 もし恩地が、安全運行のことを口にすれば、それこそまさに日航123便の墜落事故は、会社側の責任ということを認めることになってしまう。
これは山崎豊子氏にとっても、まことにまずい。
そのまま直接的に、確たる証拠もないまま、日本航空の経営者を加害者と認めることになってしまう。
そのまま名誉毀損で訴えられても、文句が言えなくなってしまう。

 そこで山崎豊子氏は、日本航空を何としても、悪玉に仕立てあげねばならなかった。
それが『沈まぬ太陽』ということになる。
で、山崎豊子氏は、こう述べている(毎日JP)。

「今の日本に必要なのは、恩地のように、たった一人になっても筋を通し、信念と良心を持ち続ける人だ」と。

 とすると、また話がわからなくなる。
もしそうなら、なぜ日本航空なのか?
どうして、今というこの時期なのか?

●名誉棄損

 この映画は、明らかに、日本航空という1企業の名誉を著しく毀損している。
映画『沈まぬ太陽』を見た人なら、だれでも、そう思う。
「名誉棄損」という言葉があるが、もしこれを名誉棄損と言わないなら、では、いったい、名誉棄損とは何かということになってしまう。

 日本航空は、実在する、1企業である。
墜落事故が起きた当時、3公社は、つぎつぎと民営化を果たしている。
日本航空も、まさにその日、民営化に向けて、その第一歩を決議しようとしていた。
その企業を、明らかにその企業とわかる形で、こうまでこういう露骨に、攻撃してよいものか。
もし「信念と良心の人」を描きたいのなら、何も日本航空にする必要はなかったし、あの日航123便事故と、からめる必要はなかった。

●映画論

比較するのもヤボなことだが、最近観た映画の中に、『チェンジリング』という映画があった。
行方不明になった息子を懸命に捜そうとする母親を描いたものだが、途中で、役人の欺瞞に翻弄される。
が、その母親は闘いつづける。
そして最後に、自分の息子を取り戻す。
そういう母親を、「信念の人」という。
もちろん映画もすばらしかった。
最後は、涙がポロポロとこぼれた。

 先週の夜は、『路上のソリスト』という映画を観てきた。
最後のしめくくりが甘かったが、実話ということ。
それに現在進行形ということ。
それで「そういうしめくくりの仕方にするしかなかったかな」と納得した。
が、そのソリストをコラム(新聞記事)にすることによって、ロサンジェルスのホームレスの待遇が、大きく改善された。

 またおとといの夜は、これはDVDだったが、『扉を叩く人』というのを家で観た。
アメリカの移民政策の中で、シリアへ強制送還される男性と、それを救い出そうとする大学教授の映画だった。
映画を通して、監督は、アメリカの移民政策を痛烈に批判する。
この映画は、アカデミー主演男優賞の候補にあがっている。

 これら3本は、どれも秀作で、星は、4つか5つ。
主演した俳優たちもうまいが、それをまわりからかためる、脇役たちの演技もうまい。
もちろん内容も、濃い。

 が、である。
当然のことながら、個人はもちろん、公的な機関ではあっても、その機関とわからないような形で、映画の中に登場させている。
またそこで働く職員の名誉を傷つけないような形で、俳優たちは演技している(「扉を叩く人」の、移民局の職員など。)
こうした配慮は、映画のみならず、公の場所で、自説を唱える者にとっては、最低限守らなければならないマナーと考えてよい。
つまり相手が日本航空だからよいという論理は、まったく通用しない。

 で、日本航空内部では、この映画について、名誉棄損で訴えるという動きもあるという。
当然、訴えるべき映画と考えてよい。
今は何かとたいへんな時期かもしれないが、後日の裁判闘争に備えて、公式な抗議文を1通くらいは、出しておいたほうがよい。
「無視」イコール、「黙認」という形になるのは、避けた方がよい。

●表現の自由vs表現の暴力

 一般論として、テレビや映画に携わる人たちは、もう少し謙虚になったらよい。
「マスコミ」という武器を手にしたとたん、好き勝手なことをしたい放題している。
あるいは「マスコミ」を背に負ったとたん、態度が横柄になる。
威張りだす。
自分たちが、日本の代表であるかのように錯覚する。

 簡単なことだが、「表現の自由」と「表現の暴力」はちがう。
威張るのは勝手だが、だからといって、表現の暴力をしてよいということではない。
たとえば1社員の信念と良心だけを描くなら、それは「表現の自由」である。
しかしそこに日本航空をからませ、さらに日航123便の墜落事故をからませたら、それは表現の暴力ということになる。
いくら「この映画はフィクションです」と断っても、その程度で、責任が回避できるような問題ではない。

 さらに言えば、WK監督は、原作者の山崎豊子氏を最前面に押し出すことによって、自らにふりかかる責任を回避しているかのようにも見える。
脚本家を3人替えたとか、脚本をそのつど山崎豊子氏に見せ、校閲してもらったとかなどという話も漏れ伝わっている(某週刊誌)。
そして今度は、山崎豊子氏と同席で、映画を鑑賞したという(毎日JP)。

 「この映画は、山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』を忠実に映画化したものです」と。
「だから私には責任はありません」と。

 もしそうなら、つまりこうした一連の行為が、自らへの責任を回避するためのものであったとするなら、日本航空への名誉棄損を事前に確信していたことになる。
罪は重い。

 とは言え、『沈まぬ太陽』は、主演の渡辺謙をのぞいて、……というより渡辺謙だけが浮いてしまったような映画で、映画としては、つまらない。
「2度目を見たいか」と問われたら、答は、「NO!」。
全体に説教ぽい映画で、観ていて何度も不愉快になった。
私たちは、貴重な時間をつぶし、劇場へ足を運ぶ。
そこでお金を払って、映画を観る。
WK監督は、そうした観客の心を忘れてしまっている。

観てから10日以上も過ぎたが、その感想は、今も消えない。

+++++以下、毎日JPより+++++

映画:「沈まぬ太陽」山崎豊子さんが鑑賞 「今も信念と良心の人が必要」

ジャンボ機墜落事故を引き起こした航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする。主人公の恩地元(主演・渡辺謙さん)は、社員の待遇改善のため、組合活動に力を尽くす。が、報復人事に遭って中東やアフリカに配転させられる。良心や出処進退のありか、組織と個人の間にそびえる壁などさまざまなことを考えさせられる。上映時間は3時間22分と日本映画としては異例の長さ。

 山崎さんは「犠牲になられた方、遺族の気持ちを思うと今も義憤にかられます」。時に声を詰まらせながら、「自分の映画で泣いたのは初めて……。渡辺謙さんの演技が素晴らしかった」と評した。

 長文の手紙を山崎さんに送り、主演を懇願した渡辺さんと同様、WK監督も山崎作品を撮ることを切望した。「自分でもよくぞ撮り終えたな、と思います。先生からは『(「不毛地帯」の映画化以来)映画化は33年ぶり。完成するまで死ねないわ』と言われていましたから両肩がいつも重かったですね」

 山崎さんは「映画は、人間の心の内を丹念に描いていて見ごたえがありました。今の日本に必要なのは、恩地のように、たった一人になっても筋を通し、信念と良心を持ち続ける人。特に男の人たちに見てもらいたい」と語った。
(毎日JP 2009-11-09)

+++++以上、毎日JPより+++++

●日本映画

 最後に一言。

 日本映画というと、どれもどうしてこうまで底が浅いのかと思う。
俳優にしても、演技、演技していて、薄っぺらい。
力みすぎ。
顔と声だけで演技する。
しかも不自然。
動作も話し方も、ぎこちない。
そのため観客として、感情移入するのが、むずかしい。
ときにその前に、はじき飛ばされてしまう。

 山崎豊子氏は、映画『沈まぬ太陽』を絶賛しているが、一度でよいから、
先にあげた『扉を叩く人』(The Visitor)、あるいは『チェンジリング』のような映画を
観てみるとよい。
そのちがいが、よくわかるはず。
(私は毎週1本程度、劇場で映画を観ているぞ!)

 『沈まぬ太陽』にしても、(1)まず俳優がペラペラと、文章を読むようなセリフを言う。
つぎに(2)視線を外へはずし、何かを思いつめたように、別のセリフを言う。
そんなシーンがいくつもあった。
恐らく監督の演技指導に従ってそうしたのだろう。
が、その言い方が、みな、同じ。
俳優自身が、自分を殺してしまっている。
監督の前で、委縮してしまっている。
もっと俳優自身がもつ個性を尊重して、それを前に出すようにすればよい。
つまり「自然な演技」。
それが重要。
それをもっと大切にしたらよい。
(当然、俳優側にも、それなりの努力と精進が必要になるが……。)

 とくにひどいのが、恩地の妻役を演じた、SK。
イプセンの『人形の家』に出てくる、「人形妻」を思い起こさせた。
できすぎというか、まるで心を開いていない。
「あんな夫婦がいるか!」と、私はそう思った。

 『沈まぬ太陽』という話題作に、あえてケチをつけてみた。
「沈まぬ太陽」と言いながら、今、その「太陽」は、沈むか浮かぶかの瀬戸際で
苦しんでいる。
このままでは、本当に沈んでしまうかもしれない。
だとするなら、映画のタイトルを、こう変えたらよい。
『沈め、この太陽!』と。
そのほうが、よほど、正直なタイトルということになる。
もともとそういう意図で作られた映画(本)なのだから……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 沈まぬ太陽 山崎豊子 映画評論)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov.09+++++++++はやし浩司

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